ロシアの人口急減データを昨日紹介しましたが、中国の場合どうだったかと平均寿命で世界ネタ帳を見ると、1980年以降しか出ていないので大躍進時代の平均寿命変化は分かりません。
現在は10年に1度の国勢調査をしているようですが、人口自体が未だにはっきりわかっていない・数億単位(11〜12億から15億?)の誤差のある推定しかないと言われている状況です。
ソ連の経済統計の水増しも大変なものでしたが、人口や死亡年齢までごまかしていないだろうという気持ちで引用したものです。
18日に大躍進政策のウィキペデイアで紹介したように、地方政府や人民が中央の無理な政策に迎合して数字だけ合わせようとするのでその歪み(地方政府が大増産を達成したと虚偽報告していたように2人目の出生を届けないなど)が現れています。
本日現在の中華人民共和国に関するウィキペデイアの記事からです。
一人っ子政策の歪みは以下の通りです。
「戸籍上は子供を一人しか持たないようにするため、出産しても届出を行わないことによって黒孩子(ヘイハイズ)と呼ばれる戸籍を持たない子供が激増したり、貧乏な農家の子供たちが人身売買のバイヤー経由で裕福な家庭に売られるなど、新たな問題が発生した。また、統計上では総人口は約13億人であるが、黒孩子や盲民と言われる浮浪民の存在のため、潜在的な人口は15億人を超えているとも言われる[79]。また、清水美和東京新聞論説委員によると、10年ごとに行われている国勢調査では、2000年度調査は統計は13億人だったが、実際は15億人だったという。 」
人間というより生き物の基礎的権利ともいうべき出産の数にまで国家が介入する「何でも強制管理主義」の弊害です。
無理な強制があれば、無理に比例して公式数字と実態がかけ離れてきます。
いろんな統計数字が合わないというと趣味の問題のように見えますが、これにともなう実害は甚大です。
公式届出できない幽霊人口は、文字通りの幽霊であって人間扱いされていません・学校に行く資格もなければ(文盲のままです)保険もないし、就職するにも名前すらない・・正規な就職不能で学歴もなく一生涯日陰者です。
殺されても、交通事故にあってもそもそもその人間がいたことになっていないのですから、・それなりに救済する運動もあるでしょうが、原則と例外の関係を書いています・・人間扱いされていないどころの話ではありません。
内政の結果を総合的に表すバロメーターである(後漢末の混乱から曹操〜曹丕〜司馬懿による西晋王朝までに人口が10分の1に減ってしまったという推定例を数日前に書きました)ロシアの平均寿命低下の原因を19日に見てきましたが、社会混乱・・強権政治が綻びるとすぐに「1990年代前半だけで男性の殺人被害者は2倍に増えた。」結果男女の寿命差が開いたというのですから凄まじい社会です。
強圧的に抑えつける者がなくなると強盗等が横行して殺人被害が2倍になる社会レベルでは、何らかの強権政治が必須です。
いろんな場面で書いてきましたが、幼稚園児や小学低学年生〜中高校生を集めて「自主的に話し合って決めなさい」と言っても、年齢相応に決められる能力レベルがあって年齢能力を超えたテーマの場合には無理です。
民度というのは平均的レべルのことですから、場合によっては隔絶した偉大な人材が出て来ることがあります。
近現代史で見れば複雑なユーゴスラビアをチトー大統領のような人物がカリスマ支配ができる場合です。
以下はユーゴスラビアに関するウィキペデイアの記事からです。
「ユーゴスラビアは多民族国家であり、その統治の難しさは後に「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と表現された。」
しかも混在が進んでいたために、一たび民族間紛争・殺し合いが始まるとそれぞれの民族集住地域にいる少数民族は悲惨なことになり、世界中が放って置けなくなったのがボスニア・ヘルツェゴビナその他次々と起きた紛争でした。
この大きな原因は、偉大な指導者いる場合、多種多様な矛盾関係を包容包摂してまとまっていることがおおいのですが、指導者がいなくなるとそれぞれ我慢していた利害集団が我も我もt「エゴ・我」を主張し始めると収拾がつかなくなります。
チトー死亡(1980)後ソ連が崩壊する共産主義の強制力・ソ連に対する恐怖がなくなったのを機会に帳尻合わせが一気に始まった印象です。
この結果、異民族混在のユーゴスラビアは四分五裂して凄惨な市街戦を繰り返して見るに見かねたEUの介入で漸く小民族に分かれて落ち着いたばかりです。
古代からの王国建国はこの種の突出した偉大な人材が出た時に成立したのではないでしょうか?
民度レベルとの格差に反比例して支配者には大きな権力を持てる代わりに権力者の自己抑制と民意を積極的に汲み取る能力教育→帝王学を身につけさせて、無茶をさせない慣習的ルールが成立していたのは能力格差を前提していたのでしょう。
西欧では(議会との)能力格差が縮まったことを反映してイギリスのマグナカルタ成立以来徐々に王権縮小過程にあったのに、大航海偉大〜重商主義時代の到来に気を良くした西欧各国で最後のあがきのように王権神授説を背景に絶対王政・・国王の権力再拡大を志向したので、(太平洋プレートの滑り込み圧力のエネルギーがたまって大規模地震が起きたような)反動が起きたのが英仏の革命だったと見ることが可能です。
幼児には自己決定能力がないのに比例して両親の指導強制力プラス深い慈愛が必要なのと同じで、上下の関係は能力格差に裏打ちされれているものです。
能力格差が低いのに権力だけ強いと革命が起きるし、能力差があるのにこれを無視して人権とか高邁な理念だけで平等論を主張するのは、裏付けになる能力差を無視した空論です。
実態無視の意見に煽られた単細胞グループが、親や上司、先生などなど目上のひとたちに日頃(自分の能力不足を補って)大事にされている現実を見ないで「造反有理」という言葉に酔いしれて文化革命騒動の真似事をしていたのが、その頃の日本学生運動でした。
中国の場合年の行かない少年を紅衛兵に仕上げ、これが全土に猛威をふるったのですから、正気の沙汰ではありませんが、実は中国人民の不満が爆発寸前にまで鬱積していたので、これを煽ってみたら成功したと見るべきでしょう。
文化大革命は時系列で見れば、大躍進政策の失敗による困窮不満でしたから、本来は元凶である毛沢東に向かうべきエネルギーを現政権への不満へと方向づけた毛沢東の手腕は恐るべきものでした。
少年兵/紅衛兵が暴れまわって大事な人間関係をぶち壊して見ても、ぶち壊した少年兵の方には上から下までそれぞれの分野で(ちょっとした宣伝に簡単に乗せられてしまう程度の低レベル)自立能力すらない・実際の運営能力がないために結局は大混乱しかなく最終的には独裁政治になるしかありません、
日本では、毛沢東語録を聞きかじり、造反有理と称して少しの疑問もなく、大学教授を根拠なく吊るし上げて学内の反対意見を蹴散らして大学自治会をスターリンのように独占支配して(いわゆる内ゲバ・粛清の行き着くところが浅間山荘事件で白日の下に曝されましたが、)百%実践してきたのがいわゆる3派10流と言われた全学連でした。
一応自治会選挙で選ばれたというのでしょうが、誰も寄り付けないようにしているのですから民主「的」かもしれませんが「民主的」運営でないことは結果から見ても誰の目にも明らかです。
革命後の独裁政治の場合、長年の権力行使に付随して発展してきた王権発動にあたっての抑制的システムまでぶち壊してしまって存在しなくなっているのが難点です。
クロムウエルやジャコバンの形式的な議会の議決、ソ連のスターリン独裁や現在進行中の中国の全人代の運営を見ても全て全会一致の採択ですから、権力抑制に対する実際的意味のある装置でなかったことは明らかです。