人手不足で困っていて就職難で困っていない日本で、メデイアの支援を受ける小池氏がなぜ韓国の政策の受け売りをするのか不明です。
小池氏が都知事になってから都政の重要事項について公式会議の手順を踏んで行う方式を無視して密室で決める独断が目立ちますが、そうなるといわゆる14人のブレーンの影響力・彼らの思想根拠が重視されます。
たとえば、築地市場者での座長をしている小島氏の経歴によれば、元々原発反対と築地移転反対論者であったと報じられています。
内部留保課税に関しては、安東氏の言い訳・・・内部留保課税するといえば企業の配当や雇用が増えるからという韓国の経験を下敷きにした意見が出ていますので、彼の意見が参考にされたのでしょう。
日本のメデイアでは、4〜5十年前までには何かあるとテレビ新聞等で「欧米では・・・」と知ったかぶりで講釈する人が多かったのですが、今では韓国事情を紹介する人がメデイア界では幅を利かしているかのような実態が伝わってくる印象です。
11月25日に希望の党のその他の主張?公約の下位に来る具体化主張を紹介しましたが、26日から手元資金問題に流れて期間が空いてしまったのでもう一度再掲します。
特集:2017衆院選
「3本柱」のほかの柱は「議員定数・議員報酬の削減」「ポスト・アベノミクスの経済政策」「ダイバーシティー(多様性)社会の実現」など。柱のほかに「『希望への道』しるべ 12のゼロ」をスローガンに掲げ、隠蔽(いんぺい)ゼロ、受動喫煙ゼロ、花粉症ゼロ――などを打ち出した。」
というのですが、何となくメデイア受けしそうな流行語を羅列したような印象を受けるのは私だけでしょうか?
上記ダイバーシテイー社会の実現と正社員化応援(正社員を増やしていく政策)とどのように整合するのか全く不明です。
幼稚園児が「おまわりさんになりたい」などいうのは微笑ましいものですが、政党の公約でスローガンだけ掲げて何をどう実現するのか不明では政治になりません。
終身雇用意識全盛の戦後高度成長期でも現場労働者や、小規模商店で働く店員等は身分保障がありませんでした。
終身雇用社会といっても一定の社会状況で中心的雇用形態になっていた、あるいは理想的就職先と観念されていたに過ぎません。
現在〜将来にかけて終身雇用維持どころかこれを拡大させる必要性があるか?という基礎的議論が必要でしょう。
いわば人を商品のごとく働き盛りの男性を規格品とし、それ以外は男性を含めて女性全てを規格外商品・キズ物として必要以上に不利益に扱い、自立しづらい社会・・ギュウギュウ詰めの満員電車その他全て規格適合(48時間戦えますか!)の男性向けにつくられていた社会でした。
人の一生も一定の型が理想とされ、結婚して1人前といい、子供がいないと肩身が狭いなど何もかも画一基準社会でした。
規格にはまった人間以外はダメという社会では期待される能力がオールラウンド型が有利になりがちですが、規格外で良いとなれば、できない部分が多くても部分的に秀でた人が生きやすい社会になります。
ゆとり社会が始まると少しくらい規格外(ハンデイがあっても)でも働ける労働環境が整備され、いまでは女性が外で働くのが普通になり、子育て中でもやめなくてもいいし男女を問わずガン治療中の人でも職場復帰できるようになってきました。
宅配や訪問介護等が介護が充実していけば、子供のいない老後(単身のまま老いて)もそれほど気になりません。
通勤手段もエスカレーターなど整備され歩行弱者も気軽に外出できるようになっています。
非正規労働だけが問題ではなく正社員という「規格」外でも自立して生きていける社会にして行こうとする動きを肯定的に見ていく気持ちがあるか?でしょう。
労働者にとって意味があるのは、正社員・終身雇用(嫌なことがあってもやめられない)そのものに意味があるのではなく、生活の不安定・・病気や何かの事情では働けなくなる時の備えあるいは、きちんとした年金や保険制度加入の恩恵があるかどうか、失業すると再就職困難な社会を前提に終身雇用を理想として来たにすぎません。
「正社員」就労を支援するよりも、事情があって一旦仕事から遠ざかりその後再就職したい場合でもいろんな受け皿のある社会にした方が合理的です。
相応の生活できる見込みさえあれば、大企業の社長等に登り詰める自信がない限りサラリーマンよりは自営業者・脱サラ・独立を夢みる人が多いのと基礎は同じで人は自由を求めているのです。
働き方の違いに応じて年俸ではなく月給になり週休日給になってもいいのですが、それと保険や年金制度から切り離す必要がないということです。
正社員にこだわる意見は正社員?規格適合者とその他条件で働きたい人とで関連条件格差を前提にしています。
保険や年金あるいは日々の収入の確保・・起業・再就職のしやすい社会・・生活の安定をどうやって保障していくかに意味がある・・職を転々しても相応に生活できれば、終身縛られない方がいいと思う人が多いでしょう。
繁華街のように無数の商店があれば、お金さえあれば晩御飯を食べたりもの買ったりするのに困らない・・何もかも数ヶ月分も自宅に備蓄する必要がないし、老後生活も介護関連が充実すればあくまで子世帯と同居する必要がありません。
労働環境も受け皿や社会保障制度の問題であって、再就職環境が整っていて転職者にとって非合理な格差がなければ、終身雇用にこだわる必要がありません。
パート等に対する社会保障等の支援が充実して行けば、さらに正社員希望が減って行くのではないでしょうか?
社会が必要としているのは、正社員就職支援ではなく不定期就労したい(いろんな規格の)人の要望を受け容れながら、必要な待遇改善の問題であることがわかります。
転職した人の年金の継続を図るなど不便さの解消・・目の悪い人や足腰の弱い人の労働能力が健常者(規格人)とに比べて2割劣っていても、給与が2割低いだけの差が合理的であって、1〜2割劣っていると就職できないで無収入になるとか、保険制度に入れないなどの差がつくのは不合理です。
ここの価値としてはその通りですが、商品供給側の企業としては2割の欠陥商品では2割引でも売れません。
個々人を部品のように切り分けられれば、ある人が根気がなくて3時間もするとミスが出るとしたら3時間前に交替させればいいことです。
あるいはABCDの要素・・組み立ては得意だが色つけが下手とすればその工程を別人にやらせたらいいことで、この程度の(蒔絵の工程や浮世絵の版元〜刷り師、絵描きなど)分業は江戸時代からやっています。
これをもっと細分化すれば・耳の悪い人でも手作業に支障がない・絵は描けるなど・・良いことです。何もかも平均的オールラウンド型能力を要求する規格社会(教育制度ではオールラウンド型国立大学出身の支配的社会?)は窮屈すぎるほか、必要以上の偏見を生むようになります。