行政警察とは?1(川崎民商〜第一京浜事件事件)

外国の憲法解釈は別として我が国憲法でも行政行為に令状主義の適用があるかどうかは、新憲法制定直後から争点になっていました。
もともと戦前での違警罪即決例の濫用などを多くの人が記憶しているからです。
明治維新以降日本の西洋法構築は、ボワソナードを招聘してフランス法体系の導入による治罪法から始まり、その後ドイツ法体系に変化していきましたが、(明治維新以降の刑事法整備の詳細は旧コラムで連載しました)仏独どちらであってもいわゆる大陸法体系では司法警察と行政警察の2分類の法体系でした。
戦後憲法・刑事訴訟法(自治体警察に始まる警察制度も)が全面的にアメリカ法継受に切り替った以上は、戦前の区別を維持する必要があるかどうかの問題(そんな単純化すべきでないという意見との論争?)です。
憲法

第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

上記憲法の保障が刑事手続だけか行政手続きにも及ぶか?がさしあたりの焦点でした。
所得税法に関する川崎民商事件で解決したと思われますが・・.・・・。
結論だけ覚えていたのですが、今読み返してみると以外に複雑です。
(難解すぎるから結論だけ記憶していたのかも?)
判旨1では税務調査・行政行為からといって憲法の令状主義の適用がないと言えないとしながらも、判旨2では、結局税務調査には令状が不要と言う複雑な判例です。
(判例要旨2には出ていませんが、判決書によると所得捕捉の実務的必要性との総合判断?も書いています)

事件名  所得税法違反 事件番号 昭和44(あ)734 昭和47年11月22日 判例集 刑集第26巻9号554頁
裁判要旨  一 当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が、憲法三五条一項による保障の枠外にあることにはならない。
二 所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)六三条、七〇条一〇号に規定する検査は、あらかじめ裁判官の発する令状によることをその一般的要件としないからといつて、憲法三五条の法意に反するものではない。
三 憲法三八条一項による保障は、純然たる刑事手続以外においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続にはひとしく及ぶものである。
四 所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)六三条、七〇条一〇号、一二号に規定する質問、検査は、憲法三八条一項にいう「自己に不利益な供述」の「強要」にあたらない

犯罪の予防鎮圧・行政警察行為に関しては警職法で、司法警察官としてではない行政警察としての権限・職務質問、任意同行などが規定されています。
警職法の職務行為は行政警察そのものであって、今も令状不要です。
職務質問や任意同行その際の所持品検査で得たものを刑事手続の証拠にできるか・・違法収集証拠か否かで争われていますが、警職法の職務行為=行政警察行為による所持品検査段階では令状不要ですから、その段階の所持品検査が警職法の範囲内かどうかの争いでもあります。
範囲内かどうかの判断をするのに憲法のデュープロセス法理に反しないかのスクリーンニングがあって、ややこしくなっています。
実務を見ると、同じ警察官が怪しそうな人物や車に検問・職務質問・任意同行〜事情聴取その他の犯罪予防行為をした時に、その直感が的外れでなかった時=犯罪容疑が出た時点で警職法の職務行為から刑事訴訟法上の司法警察官の行為として現行犯逮捕などの司法手続きに移っていきます。
同一警察官の行為が、どこからが司法警察行為なのかは法理論上はっきりしているとしても、前段階の令状なしで例えば覚せい剤所持を所持品検査で発見した行為が、警職法上合法か?警職法上の任務としてもそれが憲法の令状主義に反しないかが問題となってきたのです。
この辺は、所得税法違反事件での立ち入り調査も構造が同じです
下記加藤氏の論文は2015年点でも行政警察と司法警察の区分の必要性があるかどうかに関するものです。
論旨展開の必要に応じて各種判例が引用されていますので、部分的にそのまま紹介すれば私の意見を書くよりわかり良いのですが、原文は縦書きのためにコピペでは読みにくいの引用できません。
行政警察と司法警察の区分要否に関する諸説を分類した上で著者の意見を書いていますので関心のある方は下記の(上)(下)論文に入ってお読みください。
論旨を展開するために主要判例の多くが引用されています。
上記川崎民商・所得税違反法事件も紹介されています。
http://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pdf/nihon/80_4/01.pdfに日本法学第80巻第4号(2015年2月)加藤康榮氏の「行政警察活動と犯罪事前捜査」(上)とhttp://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pdf/nihon/81_1/03.pdf#zoom=60第81巻1号(2015年6月)(下)のテーマで連載論文が出ています。

上記論文でも言及されている米子銀行強盗事件の最判(最高裁昭和53年6月20日第三小法廷判決、刑集32巻4号670頁)が違法収集証拠論の角度から以下の論文に出ていましたので関心のある限度で部分的に紹介しておきます。
中央ロージャーナルですから毎号事務所に送ってくるので見ている筈ですが、事務所に書籍が溜まりすぎるので読むとすぐに廃棄にまわしているので、こんな時にはネットに出ていると便利です。
http://ir.c.chuo-u.ac.jp/repository/search/binary/p/9765/s/8268/

違法排除法理の展開における違法認定と証拠排除
─第一京浜職務質問および車内検査事件最高裁判例を契機に─
I 問題の所在および本稿の概要
II 第一京浜職務質問および車内検査事件での最高裁判所の判断
III 第一京浜職務質問および車内検査事件での最高裁判所判断の検討
IV 終 わ り に        中野目 善 則第13 巻第 2号(2016)

I 第一京浜職務質問および車内検査事件での最高裁判所の判断
「以上の経過に照らして検討すると, 警察官が本件自動車内を調ベた行為は, 被告人の承諾がない限り,職務質問に付随して行う所持品検査として許容される限度を超えたものというべきところ,右行為に対し被告人の任意の承諾はなかったとする原判断に誤りがあるとは認められないから, 右行為が違法であることは否定し難いが, 警察官は,停止の求めを無視して自動車で逃走するなどの不審な挙動を示した被告人について,覚せい剤の所持又は使用の嫌疑があり,その所持品を検査する必要性,緊急性が認められる状況の下で,覚せい剤の存在する可能性の高い本件自動車内を調べたものであり,また, 被告人は,これに対し明示的に異議を唱えるなどの言動を示していないのであって,これらの事情に徴すると,右違法の程度は大きいとはいえない。
・・・本件採尿手続も,右一連の違法な手続によりもたらされた状態を直接利用し,これに引き続いて行われたものであるから,違法性を帯びるといわざるを得ないが,被告人は,その後の警察署への同行には任意に応じており,また,採尿手続自体も,何らの強制も加えられることなく,被告人の自由な意思による応諾に基づいて行われているのであって,前記のとおり,警察官が本件自動車内を調べた行為の違法の程度が大きいとはいえないことをも併せ勘案すると,右採尿手続の違法は,いまだ重大とはいえず,これによって得られた証拠を被告人の罪証に供することが
違法捜査抑制の見地から相当でないとは認められないから,被告人の尿の鑑定書の証拠能力は, これを肯定することができると解するのが相当であり(最高裁昭和五一年( あ)第八六五号同五三年九月七日第一小法廷判決・ 刑集三二巻六号一六七二頁参照),右と同旨に出た原判断は,正当である。」

以下米子銀行強盗事件最判の紹介は明日のコラムに続きます。

原理論と時代不適合3(テロ対策1)

日本の野党文化人?は学校で習った(時代遅れの)近代法の原理原則しか知らないのかな?・・具体論に弱いので各種議論の場では、アラ探しに特化する傾向があります。
共産主義思想は産業革命→工場労働者増加に基礎をおいていますし、労組はその申し子です。
共産・社会主義系野党政治家は、19〜20世紀中葉までの近代社会をモデルにし、工場労働者・労組に足場があっても、古代から存在するサービス系や農業系が脱皮し高度化してきた現在社会の当事者に足場を置いていません。
支持基盤が硬直的・・産業革命で生まれ出た工場労組中心の結果、変化の激しいサービスや知財〜IT分野に足掛りを持っていない点が、観念論に走りやすくているように見えます。
「近代法の法理を守れ」のスローガンに頼る所以です。
原理原則というものは、働き方に限らず刑法の秘密保護法やGPS捜査も同じですが、時代(多くは科学技術)の進展変化によって生活様式や社会のありようも変わるので、部分的に手直しする必要が生じるのが普通です。
テロが頻発し、しかも旧来型でなく突発型でも被害が大きくなってくると、事前情報収集プラス抑止力が必須になってきます。
西欧でのテロ発生後数時間後には犯行グループが大方特定されてそのうち一人はどこそこ方面逃走中などのほか拠点捜索などの報道が出て、その事前行動把握などが報道されていますが、今は事前情報や警戒が重視される時代です。
一方で、なぜ実行阻止できなかったかの政権批判記事も出ます。
テロの頻発を許せば政権が持たなくなるのも現実です。
このように今では為政者は治安の責任者として事前抑止できなかった理由で批判されるのに、一方では個人情報保護違反で犯行前の情報収集が違法と評価される矛盾時代です。
ベルギーテロの時には、各人種ごとに居住区が分かれていて、治安組織もそれぞれになっていてその連携が悪く、事前情報収集がうまく行ってないことが原因であるかのような報道されていました。
http://www.asahi.com/topics/word
ベルギー連続テロ(2017年03月21日 朝刊)
2016年3月22日、ブリュッセル空港とブリュッセル中心部の地下鉄マルベーク駅で爆発があり、32人が死亡、約340人が負傷した。実行犯5人のうち3人は現場で自爆し、残る2人は後で逮捕された。一部は15年11月のパリの同時多発テロにも関与したとされる。また過激派組織「イスラム国」(IS)の拠点があるシリアへの渡航歴があることが判明している。
ベルギー同時テロの続きです。
以下の文章は、結論としてはテロを防ぐのは「政治の問題」だと言う意見ですが、前提的に以下のような治安状況が紹介されています。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48352?page=3

2016・4・9
ヨーロッパの華やかな小国・ベルギーがなぜ「テロの温床」になったのか
自治と共存の伝統はいったいどこに…

文/松尾秀哉(北海学園大学教授・ベルギー政治史研究)
3月22日、ヨーロッパの小国、ベルギーで連続テロが起きた。死傷者は300人を超えるとされる。・・・
まだ昨年のパリ同時テロ事件の記憶も新しいなかで、フランスの隣国ベルギーの首都で、なぜテロが生じたのか。・・・
今後捜査が進み、新しい事実も発見されていくだろうが、現時点の情報を基に、ベルギーの現代政治を調べてきた者として考察してみたい。
ベルギーの「最大の問題」
・・・・この国が抱えてきた最大の問題が言語問題である。1830年の独立の時点で既にフランス語を話す人びととオランダ語を話す人びとがいた。生まれついての多言語国家である。
ベルギーの独立戦争は、フランスの革命思想に憧れて自由と自治を求めた人びとが中心となったが、当時の周辺大国は、革命思想をベルギーで食い止めるために、オランダ語を話す人びとが多く住む地域を併せて独立を承認したと言われている。
「オランダ語圏の中にあるフランス語圏」として、ブリュッセル首都圏は19の区に行政の管轄が分かれ、それぞれに市(区)長がいる。住民のほとんどがフランス語を語る両語圏のなかで、飛び地のようにオランダ語話者の集住地区が存在していることもその原因だ。
・・・ブリュッセル19区とモレンベーク
それぞれの区長たちは協調的であるよりも、自らの支持を集めるために、非協力的であると言われている。警察も6管轄に分かれているため、管轄が異なれば手が出しにくい。
・・インテリジェンス(諜報活動)の管理も多元的で、データはひとつのネットワークで管理されておらず、各地区の公安担当者は、危険人物リストをeメールに添付してやり取りしていると現地ル・ソワール紙は報道している。 こうしたベルギー側の多元的な治安、管理体制の問題は指摘されて仕方ないのかもしれない。
しかし・・そもそもそのすべての人からテロリスト容疑者を峻別することが可能だろうかとも思う。
・・問題は治安体制の瑕疵よりも別のところにあるように思われる。ここで重要なのは「政治」の役割である。
以下省略

と、この著者は情報集取の難しさを言うメデイアの上記前提状況を紹介しながらもテロが起きる温床をなくすのが政治の仕事だろうという意見を書いています。
軍備の必要性の議論に際して、戦争が起きないようにするのが先だというような意見ですが、医療・消防予算・機器更新必要性の議論で火事や病人を出さないように教育したり、建物を不燃化するのが先でないかとの議論で堂々巡りするのに似ています。
現実は両方同時進行で必要なことが多いのですが・・。
この種意見の優劣は別として、ここでは世界的傾向は「テロが起きてからの検挙」では国民が納得しない現実になっている事を書いています。
佐倉惣五郎の時代には、地域の集落代表が何回も協議を重ねてイザ決行となっても集結してから徒歩で行動開始ですから、仮に鎮圧をする予定でもそれからの軍勢召集でも間に合います。
まして戦国時代の一向宗の一揆と違い江戸時代の一揆勢は集団で城下に押しかけて、気勢を上げていると、城方の上使が来てこれに強訴できれば目的達成・解散です。
後は首謀者がお咎めを受ける覚悟と言う穏健なものですから、お城の方でも政治的対応をどうするかを決める(その時になってオロオロ狼狽しない程度の備えが重要)だけのことでした。
戦後盛んに上映された清水次郎長、黒駒勝蔵(千葉でいえば、笹川繁蔵、飯岡助五郎)などのヤクザの出入り(例えば人生劇場で有名な吉良の仁吉の荒神山の出入り)映画でいえば、徒党を組むところから始まるから、その段階で規制すれば足りるというのが日本の戦後(最近できたばかりの共謀罪を除けば現在の!)治安システムでした。

原理論と時代不適合1(民進党綱領)

誰の目から見ても、従来の延長ではなく産業界を含めて各種構造改革・リストラクチャリングが必須になってきたバブル崩壊後、政府が何かしようとすれば先ずは反対・けちを付ける方法ばかり精出して、1日でも10日でも決定の先延ばしが目的かのような議事妨害や主張態度が国民支持を失っていったのは当然です。
当時最大野党であったバブル頃からの社会党の流れに関する3月5日現在のウイキペデイアの1部です。

土井ブームの盛り上がりと凋落
土井社会党は土井の個人人気と女性候補(「マドンナ」と呼ばれた)を積極的擁立など女性層を中心とする選挙戦術を展開し、消費税導入やリクルート事件、農業政策に対する不満を吸収した「激サイティング!社会党」のキャッチコピーを掲げ、1989年の第15回参議院選挙では46議席を獲得。自民党は36議席しか獲得できず、連合の会と共に、自民党を非改選を含めても過半数割れに追い込み、改選議席で自民党を上回った。土井の個人的人気による選挙結果のため、土井ブームと呼ばれた。
1990年に発生した湾岸危機で政治課題となった自衛隊の派遣では、日本社会党は憲法9条堅持の立場から、「自衛隊海外派遣に反対」を主張し、民社党・公明党との関係は冷え込んだ。
これと並行して民社党・公明党との協調を重視する連合など労組幹部などとの摩擦も強まり、土井執行部の求心力は急速に低下した。1991年の統一地方選挙で社会党は敗北、土井は責任を取って委員長を退いた。
1993年の第40回総選挙で社会党は新党ブームに埋没し、改選前の136議席から70議席と議席をほぼ半減させた。
特に都市部では、東京都で11議席から1議席に激減するなど、土井ブームで得た議席を失い、55年体制以来最低の議席数となった。長年の宿敵であった自民党が大敗した選挙であるにも関わらず、社会党は却ってその存在感を失うこととなり、後のことを考えれば皮肉にもこれが社会党にとっての”終わりの始まり”であったとも言える。
・・・その後の1995年の第17回参議院選挙では16議席しか獲得できず、2年前の衆議院選挙に続く大敗北に終わった。
新党構想は結局、鳩山由紀夫・邦夫兄弟や菅直人らが中心となり同年衆議院解散直前結成された民主党として現実のものとなった。
社民党は一旦、民主党への丸ごと参加を決定したが、鳩山由紀夫の「排除の論理」に反発して、すぐに撤回。現職の幹事長であった佐藤観樹を含め約半数の党所属国会議員が「個々人の決断」のもと社民党を去り、民主党結成に参加した。幹部候補生と目された前北海道知事横路孝弘も民主党を選んだ。
一方、村山ら約半数の議員は社民党に残留し、土井たか子を党首に復帰させ、第41回総選挙に臨んだ。支持労組の大半は民主党支持に転じたが、地方組織のかなりの部分は社民党に残った。村山内閣時の路線転換に批判的な議員や党員の一部は、離党して1996年3月、新社会党を結成した。結果的に民主党、社民党、新社会党の3つに分裂したことになる。

上記土井ブーム以降の経過を見ると鳩山民主党の大勝から凋落〜民進党への改称〜希望の党と立憲民主党への3分裂「排除の論理」などそっくり同じコースを辿っていることがわかります。
バブル期には政策など不要で浮かれていたので消費税反対の「やるっきゃない」というアッピールだけで、社会党が急浮上したもののバブル崩壊後斬新な知恵が必要になってくると自社既存政党の対応力不足で、ともに支持率を落としていきますが、実務に足場を持ち融通性のある自民党以上に学校で勉強した知識に頼る硬直的社会党がついて行けなくなったことが浮き彫りになります。
自民党は時間をかけて新時代対応力をつけていったのですが、革新系は硬直的近代法理・平和論にこだわる結果、総本山社民党は以来恒常的に2議席前後になってしまいました。
国民の数%は教条主義の貫徹に郷愁を持つ人がいるということでしょう。
上記の通り民主党はもともと選挙対策として社会党を脱出した人が多くを占めているので、民主党〜民進党は内部に左右対立を抱えているのが難点でした。
これを解消するために保守の小池新党へ合流するにあたり排除の論理を宣言したのは合理的でしたがその結果、保守政党にまぎれこもうとした左派(教条主義)の猛反発を受けたことになります。
バブル崩壊後野党の主役になった民主党〜民進党系野党の主張は日本をどの方向へ導きたいかの方向性が見えない・元社会党のようになってきた・・新たな政策を少しでも遅滞させる・・変化に適応をさせないことが自己目的になってきた印象でどうにもならなくなったのを打開するために細野氏ら右派が分裂したのですが・・。
そもそも野党の綱領や公約は何でしょうか?
民主党時代には左右両派の寄り合いでしたので当綱領さえ作れないと言われていました。
自民党綱領解説からの抜粋です。
https://www.jimin.jp/aboutus/pdf/kouryou.pdf

平成22年(2010年)綱領
(2) 綱領は政党の命
この綱領で民主党とどこが違うのか、との質問が出ます。我が党と民主党との最大の違いは、綱領があるかないかです。
民主党には、昔の社会党綱領の下で議員をやっていた人が、閣僚席に現在数人座っています。
この方々は、社会主義を捨てて、民主党に参加したのでしょうか。また、我が党の中で、ポストに就けない、権力闘争に敗れたからといって出ていった人も多い。市民の目先の生活が大切で、国より個人だという市民運動家の方もいる。民主党は、綱領がないというよりも、こうした人たちの混合政党であるから、政策を判断する共通の理念を統一できない。
その結果として、当面の選挙対策的場当たり政策がまかり通るのが残念な現実です。共産党は共産主義で統一をされている。社民党の性格は変わってきたけれども、最終的には社会主義的なものへ移っていくことが書かれています。ところが、民主党には綱領がありません。選挙が不利だから離党する、大臣になりたいから他党にいくなどいう政治家が集まる政党では、綱領が持てないのは当然です。綱領を共有するから同志が集まり、党があるのです。政治理念ではなく、当面の損得で離散集合をする政治家は、必ずや後世の批判を受けるでしょう。政治家である前に、節義ある人間として、我々もまた心すべき点です。

民進党に改称された頃に「党の方針も決められない政党」と言う批判に答えるためにようやく綱領できたようですが、以下の通り肝心の国防その他の基本方針が全くなく、あたり触りのない綱領になっています。
https://www.minshin.or.jp/about-dp/principles

民進党綱領  2016年03月27日
我が党は、「自由」「共生」「未来への責任」を結党の理念とする。
私たちは、「公正・公平・透明なルールのもと、多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会」「誰もが排除されることなく共に支え、支えられる共生社会」「未来を生きる次世代への責任を果たす社会」を実現する。
(私たちの立場)
我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。
未来・次世代への責任を果たし、既得権や癒着の構造と闘う、国民とともに進む改革政党である。


民進党の綱領を見ると自由、共生社会など当たり前と言うか幼稚園児の作文のよう暗喩目しか書いていません。
国家存立にかかわる防衛の基本方針も決められない。
内政では分配中心で肝心の分配資金をどうやって稼ぐか・・・生活水準向上の原資をどうするかの国民最大関心事に対する主張がありません。
・・決まりきったことしか書けない点が今まで批判されてきた寄合所帯の弱さを表しています

 

内閣支持率と政党支持率の推移1

昨日紹介した希望の党に関する支持率変化を見ると合理的議論に応じるまともな野党を標榜して票を集めながら、選挙が終わると先祖帰りしてしまって国民を欺いたことに対する国民の冷めた気持ちが伝わります。
メデイアがこぞって小池新党を煽っていた手前、この惨めな状態を毎日新聞は表面に出せなかったから半端な表現になったのでしょうか?
昨年総選挙直前頃から「安倍政権だけは許せない」という変な宣伝がメデイアで浸透していたし、現在の憲法改正論についても、内容に対する議論(「軍靴の音が聞こえてくる」「戦争に巻き込まれる」式の説得力がないのを自覚しているからでしょうが)よりは「安倍政権での改憲を許すな!」「安倍1強のマイナス」面の強調など自民内の分断を煽る傾向がつよくなっています。
では安倍氏が自民党の足を引張っているのかと言うとそうではなく、自民党支持率よりも内閣支持率の方が高い・・自民党議員の多くが安倍人気で支えられているのが実態です。
昨年の総選挙ではこの候補者は人物的にどうかな?と言う人でも、安倍人気のおかげで底上げされて漸く当選できた人がいます・・、
小泉政権以来「〇〇チルドレン」という議員が増えているのは、党首人気に左右される選挙になってきたことによることがわかります。
だからこそ、投票の数ヶ月前頃から自民党対野党の政策を競うよりは、ともかく「安倍内閣が許せないのだ!」と言う意味不明の感情批判に訴える内閣批判が強まったのでしょう。
そこで内閣支持率と政党支持率の関係を以下の表で見ると、メデイアの宣伝が功を奏したのか?昨年選挙時数ヶ月間だけ内閣支持率が急減しています。
内閣批判すれば自民党支持率に直結すると言う選挙戦略だったのです。
内閣支持率と自民党支持率の関係について歴代の表が出ていましたので紹介しておきます。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/political/2018.html

グラフ:2017年内閣支持率

内閣:安倍内閣(%)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月
(衆)※1
11月 12月
支持する 55 58 51 53 51 48 35 39 44 37 46 49
支持しない 29 23 31 27 30 36 48 43 36 43 35 35

 

グラフ:2018年内閣支持率

内閣:安倍内閣(%)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
支持する 46 46
支持しない 37 34

 

 

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5236a.html

いわゆる55年体制以降で見ると、当初自民党支持率の方が内閣支持率より高く安定していた時代が続いたのは一つには、左右政党の大同団結直後で左右対立のどちらが良いかの選択を求める全面競争・・体制選択時代であったのでトップの個性による政策の細かな幅のウエートが低かった時代です。
どちらが地上の楽園であるかの争いは、現実の経済状態・時間経過で証明されていくものですから、池田政権の高度成長政策は、自由主義経済の優位性を事実で国民に示したものでした。
高度成長時代はキャッチアップ型経済成長が続いていたので、(社会/共産主義を取るか自由主義を取るかの大きな違いだけで、自由主義陣営を選択する限り誰がなっても政策の幅に変化が少なかったからでしょう。
60年安保後も、政党選択の延長時代であったようです。
高度成長終末期の軌道修正時期に入った田中〜三木内閣が党より個人の能力による政策期待・・脚光を浴びる時代になって、内閣支持率の上下が激しくなりいわゆる三角大福戦争に突入し政治論議が身近になった時代でした。

過去1年政党支持率の推移

米軍機部品等落下事件では具体的死傷者も民事的損害もはっきりしない(漁業者が怖くて漁業できないという不安があるかもしれませんが)のに飛行停止(しかもメデイア論調は1〜2週間などの限定ではなく無期限?)まで求めるのは非常識というべきでしょう。
今のメデイアの騒ぎ方を見ると、「飛行機事故を100%無くせないならば、それができるまで飛行禁止しろ」とでも言わんかのようです。
あまりにも論理的でないのを意識したのか「国民感情を逆撫でする」という感情論を煽っている点では、(合意しても何をしても)「国民感情が許さない」という韓国の慰安婦騒動の蒸し返しと同じです。
食中毒事件等で多い1〜2週間の営業停止ではなく無期限飛行停止を求めるのが合理的となれば、世界中の軍事基地はどうなるのか?となります。
軍用機というのは極限状態・性能ぎりりギリで戦う訓練ですから、旅客機と桁違いの故障・不時着率が高いのでないかと素人的に推測されます。
日本駐留米軍機だけ事故率が高いならば別ですが、そういう主張が一切ない・・国際的な一定率の故障とおなじとすれば、同率の事故発生でも他所の国ならばいいが「日本でだけ許さない」「飛行禁止しろ」というのでは「軍事基地をなくせ」というのと同じ結果主張・要するに非武装平和論の焼き直しです。
岩盤規制に対する森友加計騒動や働き方改革やGPS騒動を見ると、ケチをつけて騒ぐことによって議事妨害や操業妨害するために国会があるのではなく、「法案にこういう文言を加えたりこれを変更すれば弊害が減るのではないか?」というような前向きの提案こそが民主主義社会での国会審議に求められていると思います。
昭和3〜40年代に盛んであった公害反対運動も同じで当時「操業停止を求める」ばかりで前向き提案が一切なく、公害をなくすために工夫対応してきたのは政府与党・産業界の方でした。
60年安保以降、「何でも反対」の社会党イメージが定着していわゆる「長期低落傾向」の結果、党名を維持できず社民党と名称を変えましたが、今では衆議院では小選挙区1議席比例1議席を持つだけ・の政党?になりました。
17年選挙の定数465名中2議席しかない政治集団は(法の定義は別として)国民にある一定程度の意見を代表する「政党」という社会イメージとあっていません。
政党と名乗るのは良いとしても、0、5%足らずの議席しかないのでは、国論に影響を及ぼすべき政党とは言えないでしょう。
これを見越した社会党議員の多くがいわゆる泥舟から脱出を図るために保守系政治家を取り込んだ新党結成が流行しました。
保守系を取り込むことで観念論政党のイメージ脱却をはかり実務能力を宣伝した結果、バブル崩壊後の経済低迷期に国民支持を失った自民党が下野して細川〜羽田政権樹立につながりました。
その後いろんな政党の離合集散・・紆余曲折を経て保守系を取り込んだ民主党を作り、健全野党の鳴り物入りで発足しましたが、大同団結した民主党が漸く政権について見ると実務能力のない政党であることが証明されてしまいました。
その後長期低落傾向に歯止めがかからず民進党へ党名変更したり党首交代しても昨年総選挙前には民進党の支持率7〜8%以下に低迷してきたので、再び柳の下のドジョウを狙って?昨年総選挙直前に元自民党員の小池新党への合流を画策し、現実的野党への生まれ変わりを標榜して世間を騒がせましたが、結局国民の多くは騙されず・・ダマス気がないにしても恋警視他数人の保守系議員ほか、みんな元民進議員の構成になれば自ずから党内意見が決まって行きます)その割に票は伸びませんでした。
総選挙が終わってすぐの党首選出では、憲法改正反対方向へ方針表明・・その他何でも反対・議事妨害政党の本音を出し始めたばかりです。
この現状評価が出てきました。
社民党その他革新系政党支持率が高く出る傾向があると言われる毎日新聞のニュースを紹介しておきます。
https://mainichi.jp/articles/20180225/k00/00e/010/2680

25日発表された政党別支持率は以下の通りです。
毎日新聞2018年2月25日 16時59分(最終更新 2月25日 21時17分)
毎日新聞は24、25両日、全国世論調査を実施した。
主な政党支持率は、自民党35%▽立憲民主党13%▽公明党3%▽共産党3%▽日本維新の会3%▽民進党1%--など。「支持政党はない」と答えた無党派層は37%だった。【池乗有衣】

政党と言ってもいくつもないのにどうして一覧表にして数字をそのままあげて(その横に前回比増減率などを記載して)公表しないのか?不思議な発表形式です。
何か不都合を隠したいのでしょうか?
上記「主な政党」名にちょうど知りたかった希望の党がありませんが、「主な党」の基準が不明ですが、仮に支持率順であるとすれば、民進党が1%の支持率で「主な政党」に入っている以上は「主な政党」の基準は1%以上としたように読めます。
主な政党に入れてもらえなかった希望の党は総選挙では50名(定員の1割以上)も当選していたのに今では1%未満の支持率しかなくなったことになるのでしょうか?
そこでNHK のデータで、総選挙時の希望の党の支持率と比較してみますと以下のとおり選挙時4、8%だったのが今年2月の支持率は0、4でしたので「真面目に議論をします」と言うイメージ刷り込みで10倍の議席を獲得したことになりそうです。
ただし、社民党を見ると選挙時0、4%支持率で2名の当選ですから支持率と獲得議席率はほぼ一致していますが、浮動票に頼る政党の場合、世論調査では未定・支持政党なしが以下のNHKの表によると4割近くもあるので支持率と獲得議席にストレートな連動性がありませんので、「あんちょこに言えば」と言うだけです。)
毎日新聞では分かりにくい表現なので政党支持率をNHKでみました。
NHKの方が表になっていて推移もわかり良くできています。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/political/2018.html

政党支持率

(%)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月
(衆)※1
11月 12月
自民党 38.3 38.2 36.9 38.1 37.5 36.4 30.7 34.8 37.7 31.2 37.1 38.1
民進党 8.7 6.4 7.6 6.7 7.3 7.9 5.8 5.7 6.7 1.6 1.3 1.8
立憲民主党 4.4 9.6 7.9
公明党 3.5 2.8 4.1 3.8 3.8 4.2 4.1 3.7 3.1 3.8 5.2 4.1
希望の党 4.8 3.2 1.4
共産党 3.2 4.4 2.8 3.2 2.7 2.7 3.3 2.8 2.6 2.7 3.1 3.5
日本維新の会 1.6 1.4 1.6 1.1 1.3 1.2 1.2 0.5 1.1 1.3 1.1 1.5
自由党 0.0 0.4 0.1 0.5 0.3 0.4 0.5 0.3 0.3 0.0 0.1 0.2
社民党 0.9 0.7 1.1 0.6 1.0 0.9 0.3 0.9 0.5 0.5 0.6 0.6
その他の政治団体 0.3 0.3 0.4 0.2 0.1 0.3 1.0 0.5 0.2 0.4 0.2 0.1
支持政党なし 38.3 40.1 38.9 38.7 38.4 40.8 47.0 45.7 40.8 39.1 32.4 34.1
わからない、無回答 5.3 5.2 6.6 7.0 7.5 5.1 5.8 4.8 7.1 10.0 6.1 6.9
 

政党支持率

(%)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
自民党 38.1 38.7
立憲民主党 9.2 8.3
公明党 2.4 2.1
希望の党 1.0 0.4
民進党 1.3 1.4
共産党 3.6 2.7
日本維新の会 1.0 1.1
自由党 0.0 0.6
社民党 0.3 0.4
その他の政治団体 0.4 0.2
支持政党なし 36.6 36.8
わからない、無回答 6.2 7.4

 

上記を見ると昨年の総選挙時の希望の党の議席は50議席で、定員の1割以上も獲得したときの支持率では4、8%がこの半年で0、4%にまで・・10分の1に1直線で下がってきたことがわかります。
毎日新聞の報道が偏っていると言うネット記事(風聞)が多いですが、この比較によるとNHKとほぼ同じである・客観性があることがわかりました。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC