辛淑玉氏は実質亡命したのか?1

辛淑玉氏がドイツへ移住した理由について、同氏の主張を敷衍している記事がネット検索で出ましたので、これを引用しておきます。
同記事は、辛淑玉氏の新聞投稿記事の一部を引用していますので、そのまた一部の再引用となります。
辛淑玉氏の主張を書いたらしい新聞記事写真が出ているほかに、記事そのままの引用らしい文章の行があったのでそれに△をつけました、それ以外の引用文はこの著者の要約または意見かもしれません。
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/8ce05aaea1801739c5d86184731f02da

辛淑玉さんの「亡命」の危機は絶対に傍観できない

2018年03月05日 | 民主主義・人権
自己紹介
K・サトル:1953年広島県生まれ  以下省略
△ 「この間のMXの対応はひどいものでした。彼らは、一度として私に謝罪をすることも、ありませんでした。放送事業者としての責任を全く理解していないからです。」
これは番組を制作したDHCグループの問題ではありません。日本で進行している在日に対する迫害は現在、言論やメディアによる段階から、特定のターゲットに対する物理的なテロの段階へと移りつつあります。2月23日には、朝鮮総連に対する極右の銃撃事件が発生しました。
私がドイツに逃れたのは、極右テロからの自衛であり、事実上の「亡命」です。旧大日本帝国は父祖の地を奪い、MXは私のふるさとを奪いました。帰れるところは無いのです。
△ 「虚偽報道でその原因を作ったMXは1年以上もたって、DHCに逃げられ、番組中止を発表する。どれほどズレているのか、と言わざるを得ません。」
極右テロは、メディアがまずターゲットを指さし、極右のならず者が引き金を引く形で連携的に起こるのです。組織的でなくても、観念の連携があればテロは起こります。IS(イスラミックステート)の宣伝サイトをみて共鳴した人物がテロを起こすのと同じです。
△ 「だから、たとえBPOがこの番組をフェイクで、辛淑玉に対する人権侵害だと指摘してくれても、極右のならず者たちがテロを思いとどまるという保障はない。まして、このフェイク映像は、この時点でもまだネットに垂れ流されている。きわめて危険な状態なのだと思います。」

辛さんの恐怖・怒りはいかばかりでしょう。
辛さんの指摘の通り、フェイク情報とテロの関係はけっしてひとごとではありません。「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから…社会民主主義者…労働組合員…そして、彼らが私を攻撃したとき、声を上げる者は誰も残っていなかった」というニーメラー牧師(ドイツ)の言葉を思い出します。
最後の文章は˚Kサトル氏の意見ですが、結局はナチスに結びつけるパターンです。
実質的亡命の意味は、亡命申請してもは認められないが、実際には命からがら逃げ出したと言うことでしょうか?
「極右テロは、メディアがまずターゲットを指さし極右のならず者たちがテロを思いとどまるという保障はない」

というのですが、テロのターゲットをメデイアが予告した事実があるのか?テロリストによるテロの予告またはその動きがあるのでしょうか?
罵詈雑言でさえ文明社会で許せるかの議論をしているのに、本当に暴力にまで発展する動きがあり得るとすれば由々しき事態 になります。
亡命しなければならないほどの危険があったのか?上記文章では「何があって怖いと思った」かを書いていないのですが、上記引用記事では、これが原因だというような印象を与えるためにかMX事件と朝鮮総連本部銃撃事件が出てきます。
上記記載のMX事件(これだけではどんな事件か不明)を検索してみました。
この事件でテロ行為を誘発するような発言があったのかもしれません。
検索してみたら毎日新聞の報道が見つかりましたが、これによると要旨以下の事件らしいです。
https://mainichi.jp/articles/20180308/k00/00e/040/322000c

放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会(委員長・坂井真弁護士)は8日・・・・共同代表の辛淑玉(シン・スゴ)さん(59)の名誉を毀損(きそん)する人権侵害が成立すると認め、MXに再発防止の努力を一層重ねるよう勧告した。
・・・
審理対象となったのは、昨年1月2、9日の放送分。沖縄県の米軍ヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設反対運動に参加する住民らを「テロリストみたい」などと現地からのリポート部分で表現。スタジオのトーク部分で運動に資金提供をする「黒幕」の話題に触れた際、辛さんの名を出していた。人権委はリポートとトークの各部分を一体として判断。出演者の発言やナレーション、テロップを重ねることで、辛さんが「過激で犯罪行為を繰り返す基地反対運動を職業的にやってきた人物でその『黒幕』」などと伝える内容になっていたと認定した。
坂井委員長は、異なる立場を批判する自由は保障されるべきだとした上で「批判する根拠が真実かどうかや、適切な取材がされたかどうかを確認しないまま、放送することまでが許されるものではない」と述べ、名誉毀損が成立するとした。

上記によれば、生命身体に対する害悪を直接誘発するような発言は一切問題になっていないようですし、しかも彼女が「黒幕ではない」ことが分かったということでしょう。
この事実無根のニュースがあったことで、テロ標的にすべき発言をしたとは書いていませんし、名誉侵害を受けると何故テロ被害を恐れて亡命しなければならないのか脈絡不明です。
ただ彼らの黒幕であるが、違法行為の黒幕かどうか不明というのであれば、かっちりした論理区分けは別として批判がかえって強まるかもしれません。
ただ、私の個人的常識からいえば、政治運動家や評論家がスポンサーを求めたり講演料収入をほしいことがあっても、自分が逆にスポンサーになったりお金を出す方に回るのは稀有のことですから、MX事件・・ニュースでこれといった根拠事実も上げずに「資金提供している黒幕」という断定意見・・あるいはいきなり話題を振られた出演者が「〇〇じゃないの!」咄嗟に述べたり、「スポンサーは〇〇さんですか?」と言われてこれと言った根拠なくあんちょこに「そうだよ」答えたとしても、視聴者の多くが「評論家が日当をもらうのでなく、自腹を切る方に回るなんて無茶」だと感じて信用しなかった・・影響がもともとなかったのではないでしょうか?
この名誉毀損事件・・決定書をみないと「何が事実無根」なのかすら不明ですが・・「事実無根と分かったとしても、テロ被害の恐怖に結びつくのか不明だ」と私のように批判するのは・・感度が鈍すぎということかもしれませんが・・・。
児童売買春事件の名誉毀損事件でもそうですが、如何にも自分の手柄のごとく自己宣伝のネット発信をしていた(ただし過去の発言を正確に見直せば、こういうことをして貢献したという事実の主張ではないイメージ流布していた程度でしょう)のに、いざ批判されると「自分は何も関与していない。しているというなら証拠を出せ!」ということで勝訴しているような印象です。
(ただし、児童売買春事件の弁護士の過去の主張を吟味したこともないし、判決書を見ていないので、以上は想像でしかありません・・念のため・・正確に知りたい方はご自分で確認してください)
メデイアで一般的な「思わせぶり表現だけで」どこにも(自分または自社が)「誰それが何をしたと書いていない」思わぶり表現に素直に引っかかって、抗議すると、逆に名誉毀損で訴えられる仕組みです。
朝日の慰安婦騒動でも同じですが、朝日新聞は具体的に何を虚偽報道したかとなると大した事実は出てこないし、植村記者の問題も彼が具体的に「何を捏造したか誤報したかとなると何もない」ことになりそうです。
でも彼に限らず「宴たけなわ」のころには、自分の手柄のごとくチヤホヤされている時には黙っていてわざわざ否定しないのが普通ですが・・。
メデイア+文化人は「思想の自由市場論」によって何を言っても良いような立場でやってきましたが、実はメデイアは印象報道中心で事実をきっちり書かない・・「事実」を言わず、事実を書かな」ければ、不満な方は「事実が違う」という反論もできない仕組みです。

ヘイトスピーチ11(我が国ヘイトの現状1)

日本には公民権運動がなかったのはその通りかもしれませんが、米国判例の軌跡を省略して(集団誹謗規制の強調が却って公民権運動のマイナスになるという利益衡量があって、表現の自由の原則を守るようになった歴史を省略できるかの観点が必須でしょう。
日本では米英のような人種差別による不公平な法の運用・・同じ刑事法でも現場射殺や検挙でも黒人(日本の場合朝鮮人)に厳しく運用するような習慣がない(日本の場合朝鮮人の場合にはお目こぼしにする逆の運用です)から、そのような心配がないという在日の安心感が基礎にあるのでしょうか。
双方向適用になっても日本人は弱い者に優しいから、自分たちには法の厳しい適用はないだろうという安心感・・。
思えば韓国の言いたい放題やりたい放題の精神的根底には、日本は米英のような厳しい仕返しをしない・・失敗したら取り返しがつかないのではなくいつも許してくれるという「日本に対する甘えがある」と言われてきました。
朝鮮人の過激な行動が「集団に対する誹謗は名誉毀損にならない」という一方的論理で頰っかむりされてきた日本の場合、朝鮮人が同じバスに乗ったり日本人と同席するのを禁止するなど公式差別が一切なかったし、(アメリカの場合国民でありながら差別したのですが)帰化しない在日=外国人でありながらも参政権を除いて日本人とそっくり同じ待遇・公教育を受ける権利などがはじめっから保障されてきた違いがあります。
昨日紹介した論文は、アメリカには公民権運動あってその保護のための表現の自由の強調であったが、日本にはそういう歴史がない(から表現の自由をそれほど強調する必要がない?)と主張したいような印象の論文です。
日本には公民権運動がなかったのはその通りかもしれませんが、日本の場合「朝鮮人は同じバスに乗るな」「入場禁止禁止」などの差別もありませんでした。
その他公式差別が一切なかったし、よく知られているように朴正煕大統領は日本の士官学校出身の将校で日本兵を指揮していました。
アメリカの場合外国籍ではなくれっきとした米国国民でありながら「黒人」というだけで法律上も差別していたのですが、日本の場合帰化しないしたがらない・・在日=外国人でありながらも、参政権を除いて日本人とそっくり同じ待遇・公教育を受ける権利などがはじめっから保障されてきました。
朝鮮人の場合には、逆に自分たちから民族教育のためと言って、独自に朝鮮人学校を設立したり、民族学級を作るなど公平な公教育を拒んできたものです。(将軍様の肖像を掲げて愛国歌を歌ったり変な民族教育をするためにその時間分、一般的な数学や国語などの教育時間がへります)
また米国の公民権運動は、純粋に国内の人種差別撤廃運動であり(国内分裂騒動を策す)外国の支援を受けるものではないのに対して、朝鮮人問題はいつも韓国、北朝鮮との外交問題に絡んで特殊な政治問題化してきたものです。
朝鮮人学校は、北朝鮮の支援を受けて政治色濃く始まったものであり、現在も密接な関係があることを、7月27日以降紹介した論文では以下の通り書いています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/96/0/96_109/_pdf/-char/ja

韓ハン東トン賢
朝鮮学校とは,在日朝鮮人が,在日朝鮮人の子どもたちに対する自主的な民族教育を行っている全日制の学校である。
日本の学制に合わせて6 ・ 3 ・ 3 ・ 4 制で,小学校にあたる初級部54,中学校にあたる中級部33,高等学校にあたる高級部10の112計98(このほかに幼稚園が38。また初中や中高,初中高といったかたちで併設されていることが多いので,学校数としては63校),および大学にあたる大学校1 校(以上,2012年4 月現在)が,朝鮮民主主義人民共和国を支持する在日朝鮮人の民族団体,在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の管轄のもと,所在地の都道府県から学校法人ごとに「各種学校」の認可を得て,日本各地で運営されている

今回のヘイト問題過熱の始まりも韓国政府や在日による慰安婦問題の執拗な国際的宣伝活動が国際的に拡大するようになった(これに対する日本国内の反発・バックラッシュ?)がきっかけであることは周知の通りです。
戦後日本の朝鮮人問題は、在日や文化人が?人権問題を絡めることによる政治利用しているように見える点が不純な印象です。
台湾その他の外国人が今や日本にいっぱいいますが、朝鮮人のように特別在住資格を持たないその他外国人が、人権侵害を訴えていません。
彼らの主張によれば、半島出身者は差別されて不満いっぱいのはずなのに、戦後全員が帰れるのに帰らなかったり、戦技不法入国して住み着いた人が多いのは、朝鮮人の本音というか、実際の居心地の良さががどちらにあるのかを事実が証明しているのではないでしょうか。
在日外国人の中でもっとも恵まれている朝鮮人がより有利な特権を求める政治運動(だからこれだけ不満なはずの日本を出て行ってもすぐに戻ってくるのですが・・)では、その他日本在住諸民族が応援する気にならないでしょう。
日本の場合国内人種差別問題というよりは、在日が(北と南のそれぞれ支持する)本国の動向に連動する在日政治運動の側面を無視してはならないでしょう。
何かと言うと「ドイツの反省を見ならえ」と言いますが、日本はドイツのように朝鮮人を収容所にいれたりホロコーストした歴史もありません。
ドイツのユダヤ人迫害と同視させるための遠大な謀略の元に、海外で慰安婦騒動を起こしたのでしょうか・・・。
何かというと「ドイツの反省を見習え!」というスローガンが出てくるのは、このような戦略意図を表しているように推測されます。
ちなみに挺対協やのりこえねっと代表で知られる辛淑玉氏は、今やドイツの反省を学ぶためかな?移住したようです。
18年7月29日現在のウイキペデイアの紹介記事です。

辛 淑玉(しん すご、日本名:新山 節子(にいやま せつこ)、신숙옥、Shin Su-gok、女性、1959年1月16日 – )は、在日朝鮮人3世の人材育成コンサルタント。[1]、フリーライター、政治活動家。のりこえねっと共同代表[2]、TRAI(Trans-pacific Research and Action Institute for the hisabetu-nikkei)東京代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人[3]。2017年12月1日、ハインリッヒ・ハイネ大学デュッセルドルフ日本研究所にて客員研究員。2018年からドイツに移住
ウィキペディイア記載経歴を見ると
「高校は東京都立第一商業高等学校に入学し、在学中は新宿の焼肉料理店「名月館」などでアルバイトをしながら、代々木ゼミナールと代々木学院に通ったという」
ドイツ移住に関する記事は以上の紹介程度でその原因詳細不明ですが、「在特会」側であれ、「在日」側であれ過激すぎる言動は、昨日(しばき隊が居場所をなくしている印象を)書いたように日本社会では双方ともに受け入れられなくなったからではないでしょうか?
ドイツ移住に関するウイキペデイア記事は以上の紹介程度でその原因詳細不明ですが、「在特会」側であれ、「在日」側であれ過激すぎる言動は、昨日(しばき隊が居場所をなくしている印象を)書いたように日本社会では双方ともに受け入れられなくなったからではないでしょうか?
日本研究の客員研究員という肩書き自体、意味不明に受け取る人が多いのではないでしょうか。
日本研究のためにいきなりドイツへ行く意味と「客員」という待遇自体の不可思議さです。
客員は一般的に無報酬という意味に使われていますが・・。

ヘイトスピーチ9(米国憲法論の推移1)

日本の学会では、個々人(法人を含む)の人格批判ではなく「日本民族全体の品格を貶める運動は名誉毀損にならない」としていたので、結果的に、「日本批判し放題」法理論を提供してきました。
ただし法理論がどうであれ、「相手民族を事あるごとにこき下ろしていて」民族間感情ががうまくいくかは別問題です。
これに対する反発が在特会批判として勢いを増したのです。
このあとで市川教授の論文を紹介しますが、憲法上規制が可能かどうかと、規制強化が民族和解に有益かどうかは別問題という意見の通りでしょう。
以下米国憲法判例を紹介するように「集団に対する名誉毀損を問題にしない」判例法理の確立は、公民権運動等のためには集団誹謗を不問にする方が運動に有利とする基礎的考えがあったようです。

以下紹介論文一部の先行引用です。

「同様の状況に置かれていたユダヤ系アメリカ人についても、とくにその知識人層において、集団に対する名誉毀損の規制は利益よりも危険のほうが大きい、という認識が主流になっていた。」

人権とか憲法学といっても党派的利益の都合に合わせて議論してきたことがわかります。
憲法学をこき下ろす立場から言えば、憲法学なんて政治的イデオロギーを学問らしく装っている政治論争に過ぎないと、20年あまり前に事務所にいた修習生が自信を持って話していました。
今更「朝鮮民族批判だけ許されない」とは言いたいがあからさまに言いにくい状態・・どのように修正すべきか百家争鳴状態・憲法学会でもまだ定説のない状態と言えるでしょうか。
そこで日本民族に対する誹謗中傷が良くて「在日批判だけ許さない」論理として「少数民族批判を許さない」・ヘイトとしたようですが、そうであればちょっと論理が粗雑かもしれませんが、国際世界で日本民族は多数派ではない→「国連での日本批判はヘイトにならないか」の疑問が起きます。
極論すれば、いわゆる被害者ビジネス・・・ヘイトになるか否かの基準は、「被害を訴える方は何を言っても良い」というものではないでしょうが、・・天皇の拡大顔写真に竹槍を突き刺すようなデモ行進をするなど・・・いくら激しくてもこれらに対するヘイト・憎悪表現批判が聞こえてきません。
今後ヘイト論議が深まると「少数派は何をしても良いか?」の議論も俎上に登るべきでしょう。
素人の私が「ああだこうだと考える」よりも、この辺でヘイト規制に関するプロ・憲法論の状況を知っておく必要がありそうです。
まず言論の自由の本家、アメリカではどうなっているでしょうか?
日本の憲法学界論文はアメリカ判例を下敷きにした議論が多かったので、理解の前提としてアメリカの連邦最高裁判例の変遷〜現状を以下の論文引用により紹介しておきます。
結果的にヘイト規制を認めないというのがアメリカ憲法判例の現状ですが、テーマ自体に歴史的文脈」とあるようにこアメリカの結論は公民権運動保護の特殊性による・・(「日本では公民権運動などの保護すべき対象がないので認めるべき?」といいたいけど今は言わない?)と言うのが筆者の意見のようです。
論文は長文のため以下は、要約整理やつまみ食い的引用ですから、気になる方は以下引用先に入って直接お読みください。
https://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/pdf/review_2014-03.pdf

アメリカにおけるヘイトスピーチ規制論の歴史的文脈
──90年代の規制論争における公民権運動の「継承」
キ ー ワ ード :
ヘイトスピーチ、公民権運動、表現の自由、リベラル、批判的人種理論
明戸隆浩 大阪経済法科大学 アジア太平洋研究センター
内容は膨大ですので、項目的に列挙し要約的な引用をしています。
1. 問題と背景
2.アメリカにおけるヘイトスピーチ規制論の歴史的文脈
2-1 先行研究の検討
2-2 ヘイトスピーチ規制に関する連邦最高裁の判例の変遷
① 1942年のチャプリンスキー判決→喧嘩言葉に表現の自由を認めない判例
② 1952年のボハネ判決→「集団に対する名誉毀損(group libel)」の論理
に依拠してヘイトスピーチ規制を根拠づける・・「集団にも適用可能だとした」リー ディング・ケース
③ 1969年のブランデンバーグ判決は クー・クラックス・クラン(KKK)が集会で十字架を燃やし(23)、扇動的発言を行ったことが、州法に基づいて違法とされたことの合憲性である。
連邦最高裁の判断は、州法を修正第1条に照らして違憲とし、KKKの指導者の有罪判決を破棄するというものだった。KKKという典型的な差別主義者の差別扇動さえ修正第1条の保護を受けるという、現在につながる流れが成立した瞬間である。
そしてこうした判断は1977年のスコーキー事件をめぐる判決でも基本的に踏襲されることになる。そこではホロコースト生存者が多く居住するスコーキー村周辺でのネオナチのデモが条例違反とされたことの合憲性が争われたが、連邦最高裁の判断は、やはり条例を違憲とし、ネオナチのデモの権利を支持するものだった(24)。
その後もこうした傾向は変わることがなく、むしろそれは
④ 1992年のRAV判決によってさらに強化されることになる。
このケースは、ミネソタ州セントポール市の白人家庭が大多数を占める住宅地で、白人少年RAV等が、黒人家庭の住居敷地に侵入し十字架を燃やしたことに対するものである(25)。セントポール市の「偏見を動機とした犯罪に関する条例」にはこうした十字架を燃やす行為を規制する条項が含まれており、RAV等の行為に対してもこの条項が適用されたが、RAV等はこの条例が表現の自由を定めた憲法に違反すると主張して争った。
これに対して州最高裁はこの条例を合憲としたが、連邦最高裁は州最高裁の判断を覆し、同条例が喧嘩言葉一般ではなく一部の喧嘩言葉のみを対象としている点で表現の内容に踏み込んでおり、修正第一条に反するとした。
この判決はヘイトスピーチに対する規制を限りなく狭める方向に働き、以後アメリカではヘイトスピーチは事実上規制できないという状況が成立することになる
2-3 転換点としての公民権運動
・・・・・1960年代以降にアメリカで「表現の自由」の原則が厳格に適用されるようになったのは、公民権運動の過程において「表現の自由」が運動を後押しする重要な理念となっていたことが大きい(26)。
ブライシュによれば、当時のアフリカ系アメリカ人や公民権運動の活動家にとって、名誉毀損に対する規制はむしろ障害となると認識されていたという。実際60年代には、公民権運動の運動家の発言がとくに南部の諸州においてたびたび名誉毀損で有罪とされ、その度に連邦最高裁が「表現の自由」の原則に基づいてそれを覆す、ということが生じていた。また、同様の状況に置かれていたユダヤ系アメリカ人についても、とくにその知識人層において、集団に対する名誉毀損の規制は利益よりも危険のほうが大きい、という認識が主流になっていた。
「表現の自由」の原則はマイノリティの利益を守るためにこそ必要だという考え方が、アメリカ社会において次第に普及していったのである(27)

外国人の政治活動4(マクリーン判決の限界1)

在日はニューカマーと違い「特別な権利(歴史)がある」というために、昨日紹介したような歴史研究発表・日本の歴史教科書介入運動に精出しているように見えます。
しかし、日本国家予算に頼る大学等に寄生しながら朝鮮半島ルーツの研究者中心の学会の一方的研究発表では、逆に日本人の反感を買う方向に働くのではないでしょうか?
20年ほど前に、幕張で開催された何かの講演に出てきた韓国系の講師が「如何に日本民族が劣っているか」を「得々と語っていて」参加した人が唖然としたと言っていましたが、だからと言って日本人聴衆が一人としてブーイングせずに黙って聞いて終わると礼儀上拍手するので彼らとしては大成功していると思っているようです。
日本人は彼らが日本人より優れていると思って聴きに行くのではなく、彼らがどう考えているのかを知りたくて聴きに行く人が多いのを誤解しているようです。
彼らは事故の考える歴史認識を前提に「日本人は歴史を知らないから本当の歴史を教えてやらねばならない」と思い込んでいるようです。
日本人の方は在日の歴史など研究対象にしたい学生がいないだけのこと・・・彼らの優越意識は実体のない観念に過ぎないので、(それを感じている)彼らは絶えざる優越観念の再構築に迫られている結果、内部教育の再生産(幼児期から対日優越性を繰り返し教え込むこと)に精出すしかない立場に追い込まれているように見えます。
彼らのことを「劣等感の裏返しで威張るしかないからと・・」日本社会の方も大目に見ていた・国内無視に耐えられなくなったのか、国際的宣伝活動をするようになったように見えます。
まともに相手にするとこちらも品位が下がるので「嘘はバレるので言わせておけばいい」という国民が大勢でしたが、国際的宣伝が悪影響を及ぼし始めたので、日本全体が放置できなくなったのが慰安婦騒動でした。
騒動が大きくなるとその震源地?である国内運動母体に対して「いい加減しろ」と言わずにいられない勢力も出てくる・・それが「在特会」の運動であり、激しい運動に参加する人だけではなく「反日宣伝をいい加減してほしい」と思っている人から大幅な支持を受けたので驚いてヘイト規制運動になったものと思われます。
本来こういう時には融和を目指すべきでしょうが、逆張りでヘイト言論規制を求めたり、さらなる被害研究拡大を目指す方向では民族融和に背を向けることになりそうです。
外国人が居住地で行う政治活動の問題点は、政治活動を規制または禁止しろという意味ではなく、「郷に入りては郷に従え」というように、その国文化否定精神で良いのか?という程度の意味です。
「住んでいる社会に敵意を持っていたのではうまくいかないよ!」というだけです。
その社会の文化を尊重した上で、その社会をより良くするためにする政治活動に誰も反対はないでしょう。
ですから、政治活動一般が悪いわけではないのです。
以下引用する意見は、外国人が政治運動できないという主張のようですが、公職選挙法違反と一般の政治運動が違法になるのとは同じではない(一般政治運動が直ちに違法になるわけではない)ので、そこで論理のズレがあるように思われます。
右翼系はこのマクリーン判決を錦の御旗のように掲げるのが多いのですが、誤解に基づくようなので参考のために彼らの主張を引用しておきます。
http://toyouke.ldblog.jp/archives/37419551.html

知識:在日外国人の政治活動は合法?違法?
2015年07月29日 12:00  記者:赤松伊織  カテゴリ:論説
在日外国人に政治活動を行う権利はない。なお選挙運動(ビラ配りやポスター貼り、演説なども)も違法だ。当然ながら外国人とは日本国籍を有さない者。公職選挙法(リンク:法令データ提供システム)では、「選挙権及び被選挙権を有しない者の選挙運動の禁止」に第百三十七条の三「第二百五十二条又は政治資金規正法第二十八条 の規定により選挙権及び被選挙権を有しない者は、選挙運動をすることができない。」とある。外国人は日本国籍を有しておらず、それにともない選挙権・被選挙権も有していないため、選挙運動は違法行為にあたるのだ。
では、政治活動はどのような理由で認められていないのだろうか。
「マクリーン事件(リンク:Wikipedia)という出来事がある。この事件は1970年代に起きた。日本における在日外国人の政治活動の自由と在留許可をめぐる裁判だ。判決では、「外国人の基本的人権は在留制度の枠内で保障されるにすぎないので、在留期間中の合憲・合法の行為を理由として、法務大臣は在留更新不許可処分を行うことができる」「外国人の政治活動の自由はわが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等を除き保障される」となった。この2つ目の判決に注目である。
在日外国人の政治活動は、国に関する政治的な動きには携わってはいけないというものなのだ。つまり、政権や政党に対し意見を述べたり、特定の政党を支持あるいは不支持活動を行ったりするなどは出来ないということである。もちろんビラ配りやポスター貼り、演説その他インターネットにおける政治活動も、国政に関することは禁止である。」
当然といえば当然だ。もし悪意ある外国人が政治を乗っ取るために日本に入国していた場合、外国人に政治活動の権利があるとすれば国が崩壊させられる危険性がある。在日外国人内部で自治的な動きのために政治活動が許可されるのみなのはどこの国であっても一緒だ。
・・・・在日韓国・朝鮮人らは「差別撤廃」を名目に、1977年頃から「外国人参政権」を求め活動を繰り広げている。
・・・・、国に対しこのように参政権を要求することも政治活動の一環であるため本来は違法だ。
近年では「反安倍政権」を掲げ在日韓国・朝鮮人らが国会前や地方でデモを起こしているが、これも本来であれば違法行為である。違法になるべきはずの在日外国人の内政干渉、争乱・内乱行為が見逃されてしまっているのが実態だ」

最高裁判決は在留更新許否の裁量にあたって在留期間内の政治運動の程度内容によっては更新許可しない理由にすることが許されるとした(に過ぎない)ものであって、許可条件違反の取り消し事件ではありません。
ですから、上記最判だけで(出入国管理難民認定法をちらっと見た限りでは政治運動禁止条項が見当たりません・私の見落としかもしれませんが・・政治運動禁止許可条件がない可能性が高いので)政治運動=違法行為と断定はできません。
公職選挙法の場合、選挙活動要件が細かく決まっていますが、一般の政治運動の場合、定義が広く要件がはっきりしないので、サジ加減次第で違法→許可取り消し→強制送還が許されるとおかしな結果になる・基本的人権かどうかのテーマ以前に法治国家とは言えなくなるので法技術上無理があるでしょう。
更新拒否ならば、裁量の幅が広いので認定上の無理が少なくなりますが、以下に書いていくようにその裁量さえ政治を理由にできるかの時代がきています。
上記最判は(昭和53年10月4日大法廷判決)事件番号  昭和50(行ツ)120)の旧法時代のもので、現行法(条文に大差なくとも国民の法意識が高度化してきているので)でも同程度の裁量が認められるかは不明です。

出入国管理及び難民認定法 (昭和二十六年政令第三百十九号)
(在留期間の更新)
第二十一条 本邦に在留する外国人は、現に有する在留資格を変更することなく、在留期間の更新を受けることができる。
2 前項の規定により在留期間の更新を受けようとする外国人は、法務省令で定める手続により、法務大臣に対し在留期間の更新を申請しなければならない。
3 前項の規定による申請があつた場合には、法務大臣は、当該外国人が提出した文書により在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができる。

外国人の政治活動2(民族教育1)

日本でも諸外国でも、いろんな国に〇〇商工会などの国内県人会的相互扶助的組織がありますが、民団や朝鮮総連のようによその国での政治活動を主目的にした組織を維持している国や民族があるのでしょうか?
諸外国での日本人学校は子供小学校4〜5年で帰国した場合のカルチャーショック・・帰国時にスムースに日本の教育過程に馴染ませるためのウオーミングアップ目的であって、帰国予定もない自国出身者に対する民族教育目的で小中学校などを設置している民族があるでしょうか?
ただし以上の感想はメデイアを通じた印象操作?的情報(の受け売り)によるもので、独自の見解を述べるほどの事実認識がないので朝鮮人学校で検索してみたらすぐに以下の2件の論文が見つかりましたので、紹介しておきます。
ただし、学者の論文とはいえ、朝鮮関係になるとこれまで別のテーマで引用した論文も全てそうですが、在日か帰化人か不明ですが、氏名の印象からするとルーツ的には朝鮮人系学者の論文しか見当たらないのには今更ながら驚きます。
日本社会における朝鮮系民族の歴史を見るには、敗戦を一つのエポックにする思考自体おかしくないとしても、日本人の多くにとっては敗戦の日ですが、朝鮮人にとっては「解放」後何年というような書き出しになるようです。
例えば後に引用する韓東賢氏論文の一部を抽出します。

2.1. 誕生と模索,放置と消極的容認
1945年8 月の「解放」時,日本には約200万人の在日朝鮮人がいた。不安定な状況のなかで様子を見つつも当初,その多くは帰国を目指した。だが,一緒に帰国するにも日本で生まれ育った子どもたちは日本語しかできず,また皇民化教育や差別を通じて被支配民族としてのスティグマや屈折を内面化していた。
子どもたちの朝鮮語習得と,またそうした状態からの脱却を願う在日朝鮮人のニーズが,朝鮮学校を生んだ<

韓国や朝鮮の学者が韓国内で発表した論文を日本語翻訳しているなら別ですが、在日・日本社会の仲間として受け入れられて京都大学やその他一流研究機関の研究者・・一般日本人でも京都大学等の学者といえば大成功者でしょう・・として生きている在日研究者?が、そういう意識で堂々と論文発表するのか?と驚かされます。
立場によれば「解放の日」と賞賛するのも勝手でしょうが、日本人にとっても「戦争に負けて大変ったなったけれども、結果的に良かった」という言い方があってもいいでしょうが、日本で職を得ている韓国朝鮮系学者にそういう視点で論文発表されても日本国内へ影響力は限定されるでしょう。
学問表現の自由は国家社会のためではなく「自己実現のためにある」という憲法学の主流に対する疑問の続きですが、政府=国民の税を使って行う学問というものはその社会のためになろうがなるまいが「自己実現すればいい」というものではなく、日本国内(日本社会から資金を得て)で研究発表する以上は、「より良い日本社会にする」かの視点での研究発表が欲しいものです。
日本に住んでいる以上日本社会を良くしたいと思って研究しているのでしょうが、頭から「解放記念日」と始められると読んでいる方は日本批判のための研究発表かと誤解してしまうので、その分だけでも損でしょう。
ところで、研究というものは、引用資料さえ捏造でなければどういうう立場で研究しても同じではなく、どういう立場で意見を書くかによって、都合の良い資料を収集したくなるものです。
どう言う意識で研究していても引用資料自体は正しいのでしょうが、研究者は自己意識の求めたい資料を探すし、自己意見に都合よく解釈する傾向がありますから、その反対資料への目配りも偏りがちになるでしょう。
歴史で言えば、矛盾した資料は山ほどあるので、そのうちどの資料を引用するかによって結論が違ってくるのはよく知られている通りです。
あるいは、政治家の公式発言を前後の動きから真意を読み解くのも普通に行われていますが、読み解く立場によっても政治家の発言に対する解釈が180度変わることがあります。
科学者の発明発見も、無意味に行うのではなく、「こうしたらこうなるのではないか?」というひらめきというか方向性に基づいてそれに向けて集中実験し、民俗学でも一定の方向性があって、古老から聞いて歩いたり現地調査・収集して歩くものでしょう。
ですから、学者が初めから特定の政治的立場で研究するのでは、結論に対する信用性をハナから失う点を気にすべきではないでしょうか?
いろんな立場(特に少数意見)による研究が必要ですが、逆の多数を占める日本人側からの研究が皆無ではないまでも、ほとんど表に出てこない・特定立場の集団による研究ばかりでは危うい感じです。
今春以来のアメリカの北朝鮮危機対応でも驚いたのですが、米国の北朝鮮専門家として出てくるのは、なんと朝鮮人系氏名の人が多いことに驚いていたのですが、北朝鮮を研究対象にしたい学生などアメリカにいない・・市場競争がそうさせるのでしょう。
大国の方は小国の正確な情報を知らなくともそれほど困らないので知る機会が少ない・・弱い方が大国研究に精出すのも市場原理でしょうし、大国に入り込み易い仕組みが出来上がっているようです。
これでは日本に限らず大国の方が相手の手の内を知る機会少ない・北朝鮮との国際交渉で、大国の方(片手間ですし、人材も有能な順に米国など先進国の専門家になりたがります)が毎回北(の方は有能な順に米国中国など大国順に集められます)に翻弄されてきた原因(大国のビリレベルと小国トップレベルとの交渉)もわかります。
大国では「ビリの人材」でさえも北朝鮮の専門家になりたがらない結果、北朝鮮専門家といえば北出身者任せになってしまったようです。
日本で韓国研究の専門家志望のネイテイブ日本人学生は滅多にいないでしょうから、人材も集まりません・多分在日か元韓国人がその分野の主流でしょう。
一旦学会主流を韓国系人脈が抑えると、主流に反して「中立的方向からの見直しをしたい」と言っても干されるばかりになってしまう・たぶん博士論文が通らないし、教授等への昇進の道が閉ざされるので、自己満足的議論がはびこる→ 韓国人のサロン化し国民意識から遊離していきます。
弁護士会でも、一旦政治一定方向が決まるとその方向に反対する人が出難い結果、似たような傾向が出ている批判がありますが、意見が合わないからといって就職に困らない限り弁護士志望は減りませんが、学者の道は教授を頂点とするピラミッド型支配ですから、思想的が合わないと大学院段階で干されて終わりですから「解放記念日」から始まる研究では日本人の専攻希望は皆無になっているでしょう。
逆からいえば、(日本国内に反論すべき学者がいない結果、)韓国等では韓国系学者の一方的視点による意見が、日本国内世論(サイレントマジョリティーを理解し損ねる)と思い違いして行動するので、余計サイレントマジョリテイに嫌われるリスクも起きてきます。
朝日等のマスメデイア界に食い込めば日本世論を支配できると誤解したのと同じような流れです。
本日現在のウイキペデイアの記事です

韓 東賢(はん とんひょん、한 동현、女性、1968年 – )は、在日朝鮮人の社会学者、日本映画大学准教授。比較文明学修士。専門はナショナリズムとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティの問題など。主な分野は在日外国人問題とその周辺、とくに朝鮮学校とそのコミュニティの在日朝鮮人。
経歴 東京都生まれ。朝鮮大学校卒業後、朝鮮新報での記者生活を経て、立教大学大学院文学研究科、東京大学大学院総合文化研究科に在籍したのち、現職。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC