調査主体別世論調査の傾向差1

消費者事件が多発するようになってから企業は顧客に電話をかけて契約内容の確認をするようになっていますが、訴訟等ではその電話記録が提出されると原則として正しいものとして採用されています。
これは企業人が電話で聞き取ったことをそのまま記録しているものとする信用で成り立っているものです。
その録音記録原本まで提出を求めることは滅多にありません。
これをいいことにして、留守だったのに会話したことにしていても、保証人になった身に覚えのない方は、4年も5年も前に確認の電話があったかどうかなど・・なかったと言えても具体的会話を覚えていないのが普通です。
以下の事件のように直後のことでも高齢者の事件では問い合わせている息子の方は、録音があるなら、「おじいちゃん「お願いします」と言ったのでないか?忘れてるのじゃないか?と企業側の言い分を信用して終わってしまうのが普通です。
契約関係は相手があるので苦情が起きいざとなれば「録音自体を聞かせろ」となりますが、世論調査の場合誰の録音かの特定がないので、誰かの声と突き合わせることが不能で、改ざんする気になれば自由自在でしょう。
世論調査の場合、個別会話なく番号回答方式ですので、原始記録の書き換えでなく、電話を聞き取りながら右手で該当番号を丸していくスタイルの場合、当初から相手の回答が②なのに③であるかのように片手で丸していくことが可能なので書き換える前の原記録自体が存在しません。
録音自体がない・電話をかけなかったですませば、真相は藪の中になります。
電話をしていないのに担当者が好きなように政党支持の回答を作っていたとすればどういう基準で作っていたのか?こういうことも調査報道すべきではないでしょうか?
最もありうる調査結果は、正式に聞き取りした回答比率に合わせて配分したということでしょうが、そんな面倒なことをするくらいならば、実際に電話を掛けた方が手間暇かからないので「利益のためにやった」というのが正しいとすれば、発注者の期待に応える一定方向への色付け報告の意図があったのではないか?の疑念を払拭できないでしょう。
折から東電関連電話記録改ざん事件が発覚したばかりです。
このようなことが内部で普通に行われている疑いが起きて、世論調査についても内部調査が始まって今回判明したのではないでしょうか?
https://www.asahi.com/articles/ASN6D6VR0N6DUTIL01W.html

契約認めたように…東電委託先、通話記録文書も改ざん
北沢拓也、久木良太 2020年6月13日 5時00分

不正な編集は、りらいあ社の鹿児島センターで行われた。2019年3月~12月に44件の音声データを改ざん・捏造し、東電EPに提出。契約を拒んだ顧客を契約成立にするなど、強引な勧誘実態を隠すことが目的だったという。
このうち東京都江戸川区の男性(85)は19年1月に勧誘の電話を受け、数日後に申し込み完了の書類が届いた。男性は「契約したつもりはない」と驚き、妻(77)と一緒に長男(51)に相談。長男はりらいあ社につながった電話で、高齢の父親は内容を理解せずに契約させられたと訴え、通話記録の提供を求めた。
その後、男性宅にA4用紙5枚にまとめた「通話内容」が郵送されてきた。長男は契約を了解したように見えるやり取りを確認。契約は継続したという。

ところが実際には録音自体が改ざんされていたことが発覚したという事件のようです。
朝日のニュースではその後の事実関係は有料記事になっていて見られませんが、時事ドットコムによると以下の通りです。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020061100399&g=eco

不正を行ったのは、りらいあコミュニケーションズで、今年1月に内部通報で発覚した。東電などによると、電力・ガスの小売り販売の勧誘業務で、2019年3~12月に東電が提出を受けた71件の音声データのうち44件で不正が見つかった。顧客とのやりとりの一部を削除したり、顧客に成り済まして会話を偽造したりしていた。

録音自体改ざんされていると消費者には簡単に暴けませんが、(朝日の例では顧客の方が渋々認めるしかなかったようです)内部通報があって録音自体改ざん(なりすまし録音)されたものであることが判明したようです。
世論調査と違い顧客が特定されているので顧客と付き合わせれば声の違いなど判明します。
そういう場合でも「録音自体を聞かせろ」というクレームが少ないので「なりすまし」録音する誘惑が起きたのでしょう。
この場合契約を取りたい・・営業成績に関わるメリットに関係しますが、世論調査の場合、どういう利益と引き換えにしていたかの真相解明こそが重要です。
調査主体の思想傾向がよく知られている場合、迎合して一定率で電話かけ子が電話記録する時に電話相手の応答と違う箇所に丸バツすることも可能です。
どういう手口で何を不正入力していたか不明ですが、電話をかけていないとすれば、白紙状態に現場の意見をそのまま入力できそうです。
各種調査機関の委託先現場担当者がサジ加減入力しているのが常態化しているとすれば事前予想・世論調査と実際の選挙結果が大違いになるわけです。
数十年以上前ですが、環境アセスメントが始まった頃だったかに、橋梁工事前の河川敷等で野鳥等の生態調査をしている人と会話したことがありましたが、彼らのオフレコの話によると「だいたい合っているけど、「調査委託団体の意向に合わせて数字を作っていかないといけないので・・」環境保護系調査の人は苦しそうでした。
言われてみると、実際飛び交っている野鳥の数などどうやって数えているのか?その証拠保存は不明ですし・・・鳥や小動物の糞の数や営巣数などは写真添付するが周辺の草などちょっとイジれば別の巣にできると聞いたような記憶ですがうろ覚えです・・念のため。

沖縄基地反対闘争と政党要件1(政党助成金法)

旧社会党は再軍備反対・・非武装平和論ですから、基地存続自体の反対運動は観念的には一貫していますが、旧社会党時代の村山内閣でこれを変更した以上はこれを反故にする主張自体論理違反です。
ただし主張が首尾一貫してればいいのではなく非武装平和論は現実離れいているとして国民支持を失っているから主張を変更した結果、党自体は政策主張よりは、事実上現地実働隊化・・リング上の勝負をやめて場外闘争に軸足を移している印象です。
主義主張で国民支持を求めるのではなく合法非合法織り交ぜて政策実現妨害に専念しているのではもはや政党を名乗る実質的資格がないというべきでしょう。
旧社会党のように名義だけ一坪地主になっていたのと違い、国会議員福島瑞穂氏自身が現場実力行使に参加して警察に排除され(昔でいえば足軽のような役割?)ているのですから、政党の格式も落ちたものです。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/129507

福島瑞穂氏も排除される 辺野古で社民議員ら座り込み
2017年8月18日 12:45
沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブの工事車両用ゲート前で18日午前、福島瑞穂参院議員を含む社民党全国自治体議員研修会のメンバー約70人が新基地建設に反対し、座り込み抗議活動をした。機動隊員が座り込む議員らを強制排除し、資材を積んだ工事車両16台が基地内に入った。

福島瑞穂氏に関する7月5日現在のウイキペデイア記事です。

福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1955年12月24日 – )は、日本の弁護士、政治家。社会民主党所属の参議院議員(4期)、社会民主党党首(第3・6代)、同参議院議員会長、社会主義インターナショナル副議長。神奈川県在住

大義不要の非合法集団と一線を画せない政党は、実質的意味の政党の資格・・政党交付金受給適格性があるのか疑問ですが、これは心情論であって法規制としては無理があるようです。
政党助成法 平成六年法律第五号

(政党の定義)
第二条 この法律において「政党」とは、政治団体(政治資金規正法(昭和二十三年法律第百九十四号)第三条第一項に規定する政治団体をいう。以下同じ。)のうち、次の各号のいずれかに該当するものをいう。
一 当該政治団体に所属する衆議院議員又は参議院議員を五人以上有するもの
二 前号の規定に該当する政治団体に所属していない衆議院議員又は参議院議員を有するもので、直近において行われた衆議院議員の総選挙(以下単に「総選挙」という。)における小選挙区選出議員の選挙若しくは比例代表選出議員の選挙又は直近において行われた参議院議員の通常選挙(以下単に「通常選挙」という。)若しくは当該通常選挙の直近において行われた通常選挙における比例代表選出議員の選挙若しくは選挙区選出議員の選挙における当該政治団体の得票総数が当該選挙における有効投票の総数の百分の二以上であるもの
2 前項各号の規定は、他の政党(政治資金規正法第六条第一項(同条第五項において準用する場合を含む。)の規定により政党である旨の届出をしたものに限る。)に所属している衆議院議員又は参議院議員が所属している政治団体については、適用しない。

政党助成金交付対象となる政党の定義は以上の通り形式要件だけです。

社会党の教条主義化→孤立1

地域エゴそのものの場合、全国あるいは全県的支持の欲しい政党は手を出せませんが、国会で(反対の為の)反対をしても相手にされなかった国策実現を少しの時間でも停滞させたい政党の場合喜んで応援します。
地域エゴの応援依頼に答えるのは、全国的支持の希望を捨ててしまった抵抗政党にとって、最後の拠点になります。
国会で決まった政策の実行段階・政策の多くは(最先端の宇宙物理の実験装置でもロケット発射でも)現場工事が必須ですが現場には「国という抽象的な地域」がないので高速道路であれ空港であれ、研究所建屋建築工事であれどこかの地方自治体での工事が必須となります。
リニアーモーターカーで言えば、長大な沿線自治体の一つでも工事許可しなければ工事がストップ・・原発の場合、全国に発電所がちらばっている上に原発所在地・影響を受ける原告適格の範囲は最近広範囲(隣県住民も被害リスクあるとして原告適格が認められる)ですので、その地域内のひとつ二つの市町村や県を握るのは容易です。
人口数百〜千人の市町村でもどこかで反対運動が起き、あるいは地域エゴを煽れば国策実現妨害ができます。
「オスプレイ配備して墜落事故を起こしたらどうするんだ!」イージスアショアでいえば迎撃ミサイル発射基地になると、「発射後に発車直後に切り離すブースター?が人家に落ちたらどうるんだ!」と言う反対論で地元が反対していました。
こいう事を言い出したら軍事基地自体が成り立ちません。
集団自衛権反対論も同じで、古くから米軍基地があると米ソ戦争に巻き込まれるという反対論の現在版です。
地域や現地職場で拒否権を発動させれば結果的に国策遂行や産業革新政策等全て停滞させられるとなれば、苦労して全国的支持獲得する必要がなくなります。
地域エゴを主張するしかない地域(地元見返り大幅増を求める功利的な地元を含め)では、結局「大義などどうでもいい?」確かな野党・大義に関係なく?反対してくれそうなことで定評のある政党に頼るようになります。
反対論に取り憑かれた地元民としては、自己主張に冷静なチェックをせず正義の物差し抜きで率先して「絶対反対」で座り込みなどの実力行使もしてくれるし、そう言う運動に慣れている頑固な抵抗政党に頼るしかないので、抵抗政党がその地域で俄然支持を伸ばします。
国政レベルでは政党要件ギリギリの少数政党に落ち込んでも、特定地元に不都合なことについて反対運動を盛り上げれば、応援するのがその政党だけであれば、その期間だけはその地元で圧倒的支持を受けられる構図が生まれました。
社会党が天下を狙うのを諦めて党内純粋理論闘争に走ると一般支持がいよいよ減少する・・結果的に抵抗勢力として生き残るのに連れて、国策反対運動には理由を問わず?協力する・・座り込み等の実力行使に慣れてくる・・傭兵的役割を果たす専門集団としての信用が定着していったのでしょうか?
ただし、成田空港反対運動では、社会党は当時まだ2大政党でまだ天下取りの夢があったのでいわゆる抵抗政党を標榜していたわけではありません。
成田闘争では、社会党元委員長など錚々たるメンバーが個人として名を連ねましたが、自分が先頭になって「闘争」することまではしていませんでした。
この時闘争主力になったのは、当時学園紛争が収束し、プロ集団化していて行き場を失った状態のいわゆる三派十流といわれた過激派全学連(残党?)でした。
以来社会党はいわゆる長期低落傾向を続ける中で戦闘的現場集団を正面に立てて激しく争うのに慣れてきたのか、現在の沖縄基地闘争では、社会党後継政党である社民党が現地闘争系グループと関係があるかのような報道があります。
地元反対運動応援の草分け?となった成田空港開設時の反対運動を見ておきます。
成田空港開設場所決定について直接国会で議論する法律は存在しないでしょうが、新東京国際空港公団法が国会でできてその設置区域は政令で定めるというのが普通ですから、法に根拠を有するものというべきでしょう。
法に根拠を有する・国会の委任で決まったものとすれば、国会で決まっている国策実現に対し、現場で反対するのは国会の議論で決着したことの蒸し返し行動です。
これをやる政党は、言論の自由→言論を尽くした後は実現に協力する仕組み・民主主義制度の否定団体というべきでしょう。
社会党は、党として公然反対しなかったのは、まだ国政に意欲があった時期でしたのでこういう批判が怖かったからでしょう。
千葉県では、地元県知事や地元政界は農民への十分な補償その他配慮があれば協力する(飛行機時代到来に合わせるインフラ整備の必要性を承認し協力する)立場でした。
対する社会党は共産圏諸国を含めた全面講和以外の片面講和反対→朝鮮戦争直後の世界情勢から見て全面講和など実現不能な状況下での主張は、結果的に日本の独立反対論は、結果的にソ連圏へ忠勤主張でした。
天地開闢以来の初の異民族支配を受けた日本民族にとっては米国占領政治から独立は民族あげての悲願でしたが、この慶事にいちゃもんつけて独立に反対する無責任な神経・・その極論に国民の多くが驚いていたでしょうが、安保騒動は西側陣営参加反対の主張でしたので日本の独立反対論の延長上(一貫性にこだわるのが教条主義の特徴)の主張でした。

利害調整不全6→(地域エゴ野放し1)

民主主義社会・・自由な言論が際限ない対立を前提にするのではなく冷静な議論を経て結論が決まると挙国一致(企業で言えば企業)の方針が決まり、反対した方(一つの政策決定が自己利害に反する集団も決まればそれに従う)も実行に協力する社会を前提にしています。
経済活動場面・自由主義経済の場合→(見えざる神の手)市場による淘汰が行われ選ばれた企業が成長し、勝ち残った製品サービスが社会に行き渡る仕組みです。
商品の場合には市場規模が大きい場合順位1番から50〜100番までの多様な商品サービス並存可能ですし、多様なサービスが並存している方が消費者には便利です。
だから都会に人が集まるのです。
国家社会のルールや政策決定の場合、社会秩序そのものの決定ですので、商品のように並存可能というわけにはいかない・・・道路交通法でいえば、AB両地点のいずれに信号機設置すべきかどうかの議論でA地点だけと決まった場合、B地点派がA地点の信号設置に反対したんだからと信号無視して良いとなれば社会が混乱します。
制限速度や一方通行、駐車違反場所でも同じで、反対派だった人も決まった以上はそのルールを守るべきですので、集団別ルールが並存するのは不可能です。
民主主義とは統治の原理・統治ルール決定手続きに関するルールであり、自由な言論活動は一定期間内に一つの結論に収斂するための言論の自由です。
一定手続きで決まったこと(法)には反対派も従うことを予定していることになります。一旦決まったことを実行してみる不都合があるなどの修正変更の必要があるので、多数意見が決まったのちにも、少数意見者も「やはりこの方法の方が良い」と言い続ける言論の自由は残りますが、多数で決まったルールに従わない自由はありません。
すなわち民主主義とは意見・利害調整による意見一致を前提にした決定手続きをいうのであって、利害調整・意見一致できないで意見対立のまま終わることを予定していません。
民主主義であろうと、絶対主義であろうと自由主義であろうと一党独裁であろうとすべて社会は生命体同様の統一秩序を求めています。
一つの体で左足は横へ動く右足は前に動くというバラバラ行動は許されません。
幼児や小中学生レベルの場合、完全な自治運営が困難なように、言いたい意見を話し合いの結果合理的に収斂させる能力があってこそ自由な意見交換が成立します。
意見を言うなら議論の結果によっては相手の主張に従う度量が必要です。
年齢基準は年齢に応じてその比率が上がるだけであって、(小学3年生で5年生の能力ある子も2年生の能力しかない子もいます)大人になっても対話能力が育っていない人が一定率いるのですが、(私もそうかな?)そういう人は、自分の能力限界をわきまえて集会参加しても黙って聞いている・論争を聞いて最後にどちらが良いかの挙手をするだけで済ませば世の中が決まって行きます。
旧社会党の場合、議論にならない反対のための反対論(法案に関係ないキャンダル追求先行要求など)を繰り広げ、質疑打ち切りすると委員長不信任案や議長不信任案等を繰り出して最後は牛歩戦術や根拠ない不信任決議案提出で数時間でも採決を遅らせることで議決自体の妨害を図っていたので国民支持が離れました。
このような政治活動は技術革新の早い現在社会で、日本の国際適応を一国でも遅れさせる目的にしかならない・反日国家の意を受けた行動でないか?の疑念を抱かせるようになりました。
こういう疑念が一般化して来て・・革新的系政党支持率が低下一方になったのちは、地方自治体レベルでの抵抗戦術を始めたようです。
国政の場合2〜5%の支持率では何もできないのですが、地域特化し地域固有の問題が起きればその問題が続く限り、その地域限定で抵抗政党が圧倒的支持を得られるようになります。
数%支持でも特定問題・・例えば、放射性物質の特定市町村内廃棄貯蔵地問題が起きれば、その問題に限って過半の支持を得ることが可能です。
福島原発事故の結果、千葉県内で風向きの関係か?柏市中心に放射性物質の降下が多かった・・これの県内処理として原因企業である東電の広大な敷地がある千葉市内の臨海工業地帯・・広大な埋立地立地なので旧市街とかなり距離が開いている・近くに一般住宅街もない・・千葉市に白羽の矢がたったらしいのです。
これまで書いてきましたが、そもそも微量の放射能があった場合、どういう被害があるかの科学的意見を見たことがないのですが、宗教心のようにメデイアが恐怖心を煽り続けてきた結果だと思っていますが・・。
普段与党支持者でもこの問題に限っては、まず反対するしかないという宗教信念みたいな動きが起きます・・自治会等での議論を聴いていると風評被害がおきたらどうするんだ!式の反対で地元結束するようです。
原発問題もそうですが、「不可知な論争に持ち込んだ方が勝ち」というか、反対論者は対話にならないこの方式に頼ることが多いのです。
「〇〇があったらどうする」式の議論では、神ならぬ身、誰も「そんなことはあり得ない」と断言仕切れ無いので黙るしかない・・合理的対話が成り立ちません。
県内どこかで引き受けねばならないとなれば、被害の一番少なそうな場所に決めるしかないのですが、東京電力敷地が広大でしかも周辺と車で移動するほどの距離がある・・それ以上の適地がない・・しかし地元エゴに付き合わないと仕方ないので責任政党の与党系は「知事にかけあって努力する」というだけで腰が引けているので迫力がない・・不利です。
集会での議論を聞いていると「柏市のゴミを千葉市がなぜ引き受けねばならないか?」という一見尤もらしい議論で落ち着いて参加者が自己満足していたようです。
ちょっと考えれば無理筋の論理ですが、誰でも良識というか、良心があるので自分を誤魔化す目先の浅い論理が必要なのでしょう。

民主主義と利害調整力不全1

グランドプリンセス号がCDC命令どおりメキシコ行きの航路変更してサンフランシスコ沖に到着したのに、地元の反対で入港できず、4〜5日時間空費したことを紹介してきました。
4月頃には別のクルーズ船のフロリダ入港を巡って、フロリダ州政府がクルーズ船の入港を認めるとしても、フロリダ州民しか下船させない→州民以外の医療サービス提供拒否態度が紹介されています。
日本でも国策の最たるものである自衛隊基地設置(与那国島の設置)や装備(オスプレイやイージス・アショアなど)に関して地元自治体が同意しないと設置すらできないのが現状です。
たまたま河野防衛大臣によりイージスアショアの非効率性が明らかにされましたが、問題はそういう前向きの議論ではなく、地元の反対はその工事が国家存亡に関わる国策として有用であるか否かの議論に関係なく地元が少しでも負担になることは嫌!という意思表示が貫徹できる点にあります。
地上型迎撃装置の有効論でなく迎撃用に打ち上げたブースターが地元に落下したら怖いという次元の違う反対論でした。
リニアーの愛知県内工事に愛知県が同意しないことが2〜3日前に大ニュースになっていましたが、国家的大事業の場合、辺野古沖移設や自衛隊基地を含めほぼ全て公共工事を伴うので地元自治体が地元に不利益と考えれば拒否できるのが現状です。
日本だけでなく先進諸国では自己中心主義の権化みたいな主張が各地で噴出して、中央政府が利害調整ができなくなる姿が一般化してくると、逆にこのような国家運営に不満を抱く人が増えてきます。
格差問題〜人種差別問題などなどの各場面での対立が米国で目立つのは、民主主義・自己主張の行き過ぎにより、利害調整・社会統合が不可能になっている場面が表面化している姿と見るべきです。
民主主義とは自己(権利)地域・集団主張が先(表現の自由)にあって、意見相違(利害相克・調整)は公開の討議を経て止揚・統合されて行くのを理想とする社会です。
全体がどうなろうともそんなことは考えなくとも良い。
まずは自己(地域や集団)主張して行けば全体としての最適解は「思想の自由市場で(見えざる神の手で)決まっていく」という楽天的考えが基本のようです。
GPS操作を違法とした判例を紹介したことがありますが、弁護活動や最高裁判例も、電子機器のない時代に制定された人権擁護システムが、犯罪者が自由に電子機器や高速移動機関駆使して犯行をできるのに、捜査機関が電子機器を利用すると違法で許されないと言う奇妙な状況になっています。
以前犯人が逃走するのに民家敷地を横切って逃げると、警官がその敷地を横切って追跡すると違法になるのか?という比喩で書いたことがありますが、犯人追跡中は例外にしないとこういう変なことになります。
法制度が社会現実に追いついていない問題が今回のコロナ禍で続々と表面化しました。
従来非公式会話はズームで良いが公式の会議・・株主総会などズームやテレビ会議で開いても違法でないか等の疑問・・不便なことが大量に一挙に現実化しました。
いろんな会議は対面議論が原則ですが、災害等特殊事情下では、テレビ会議等が許されるとか、テレビ会議が許されるのを原則にして、電波不安定や機器の故障等による送受信が途絶した場合の効力は別に定めておけばいいのでしょうが、こうした各種問題点を先送りして来たツケが来たのです。
私の関係する日弁連選管委員会でも毎年のように問題になっていましたが、もしも訴訟になって委員会決議無効になると選挙がどうなる?という大事件になるのが怖くてこれまで先送りして来ました。
法律家には法匪と言う批判的名称がありますが、招来する結果の妥当性など問題にしない・・法令がそうなっている以上はそれを守るべきであるという形式論が普通です。
時代に合わない縛り・規則類は民間が無視しているし、警察も一々刑事事件にしないのでそのまま邪魔になっていないのですが、いざ屁理屈で争う人がいると不都合が表面化します。
結果が不当であれば、憲法や法令変更すべきであって、法律家は現行憲法や法令に違反してればその違法性を指摘すれば良いし、裁判所の職務はそこまでで犯罪捜査がどうあるべきかを判断すべき立場でないということでしょう。
ところがそう言う論者に限って憲法改正の議論すること自体に反対と言い、ちょっとした法令改廃でさえも国会審議に入ることすら反対という姿勢が顕著で政府の揚げ足取りに終始しているのが国会の現状で時代即応の改正が容易でないのが現実です。
原発反対運動や地元知事の不同意も設置稼働規則に適合しているかどうかであって、原発政策がどうあるべきかを裁判しているのではないというのが専門家の意見です。
ところが実際には、原発反対派が結束して全国的に訴訟しているのが現実・・日本中の原発訴訟弁護団はほぼ一つの中核的組織集団が地元別の弁護団を結成している・・地元別に構成員が入れ替わっていますが、中核人員はほぼ共通・・だけの実質全国規模の政治闘争の一環になっているし、与那国島基地設置反対運動や沖縄の普天間基地移転反対なども概ね特定運動家・・常連があちこちで運動しているイメージです。
もともと原発施設等の何がどの規則に違反しているかなど、普通の人に分かるはずもないので、いわゆるプロ運動家が初めっから反対するために規則のどこに違反があるかを見つけ出す方式のように見えます。
静岡県のリニア工事着工反対の根拠・・地下水脈がどうなる?という主張も、常識だけで分かるものではないので、まず反対したくてそういう問題があるかも?と見つけ出したということでしょう。
静岡県の主張は政府の有識者会議で水脈変更があるのか検討することになったようですから、同意しないと言えばいいだけのことを、格好つけでコレが心配と言っているような印象をうけます。

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