自国通貨が逆流した場合1

サブプライムローンも同じでしょうが・・金融資産は実態経済から見れば中間的経路を複雑にして膨張し過ぎている部分が多いので、時々これの是正をして債務者の支払能力の限度に是正して・・評価減して行かないとその乖離が大きくなり過ぎる・・一種のバブル崩壊まで待つのは却って危険です。
不動産バブルも同じで、途中の業者や参加者が多すぎると中間でいくらでも値上がり期待で高値に値段をつり上げて行きますが、本来はエンドユーザーの購買力以上の値上がりはバブルです。
今回のギリシャ危機も独仏等の黒字国が、南欧諸国への貸付金を支払能力以上に名目上膨らましていた咎めが出たに過ぎません。
我が国で過剰に発行された紙幣はタンス預金になって退蔵されたり、直ぐに銀行等に還流してしまい、銀行も民間資金需要がないので国債等へ還流していました。
余ってしまった紙幣の行き先は、(国債で得た資金を政府が税で財政投入資金として不足需要の穴埋めとして無理矢理に利用する以外は、)円キャリー取引としての外国人投資家への貸し付けが中心でした。
日本はここ20年前後膨大な紙幣の発行をして来ても、結果的に余剰な円紙幣を円キャリー取引を通じて国外に流出させて円を海外滞留させて、国内購買意欲上昇に繋がらなかった(国内で紙幣需要がなかったので海外に逃げた)のでインフレにならなかったことになります。
紙幣大量発行=インフレになる従来の社会・・物不足社会であれば貨幣価値が増加発行量に反比例して減価するので経済現象は簡単ですが、成熟国で多量発行してもインフレにならないままになりますと円の保有者は、そのままの額面価値を表面上保有することになります。
その間に仮に紙幣発行量が2倍になっていたら、国民は従来の2倍の金融資産を保有することになりますが、日本の国富が倍増する訳ではありません。
国富の増加は、紙幣発行量によるのではなく生産量によるのです。
生産量が増えていないのに紙幣だけ増やすといつか帳尻を合わせるしかない・・金融資産は紙幣の増刷した量に反比例していつか減価するしかない・・実態に合わせるしかない筈であると言うのが、今回のテーマです。
現在の円高局面(円高とは円紙幣の購入者が多いということです)においてもかなりの量の円紙幣が海外に流出している筈ですから、何かの切っ掛けで円取引が逆流を始めると円は大暴落(インフレ)に見舞われます。
幸い、アメリカドルもユーロも信用をなくしているので、(日本と競合していたドイツマルクはなくなってしまったし・・・)今のところ受け皿がなくて円の保有比率が上がる一方ですから、バブル崩壊後大量発行した円が海外に流出する一方・・需要が底堅いので、今のところ円が逆流する心配はありません。
世界全体で外貨準備通貨として、アメリカドル保有比率が下がる方向に進むとその分ドルを売ってユーロや円を買う・・買い替えが起きるので、貿易等の需要に基づく決済以上に要らなくなったドルがアメリカに還流します。
こうなると将来アメリカの貿易収支・国際収支がトントンになっても、(当面赤字のままでしょうが・・・)諸外国でのアメリカドルの外貨準備保有率が下がって行く分だけ、ドル売り圧力が高まることになります。

ドイツ国債の売れ残り1

借金で誤摩化していても大きな企業や国は海外法人を巻き込んで複雑な操作が可能なので結果が出るのに長くかかるだけであって、その代わり結果が出たときには被害が大きくなります。
(オリンパスのバブル崩壊時の巨額損失先送りが、外国人社長の解任劇に端を発して最近明るみに出て大騒ぎなっていますが、規模が大きいと長期を要することが分ります。)
ギリシャのような小国と違い、イタリアがもしもギリシャのようなことになると,世界第7位の経済規模ですから、世界経済に与える混乱は半端なものでありません。
この混乱の影響が既にフランス国債相場へも波及しつつあると思っていたら、11月24日、欧州経済の要石であるドイツ国債でさえ発行額の約3分の1も売れ残りが出たので、大騒ぎになってきました。
私見によれば、ドイツ国債の売れ残りはドイツ国債そのものの信用力低下に直截よるものではありません。
ドイツの突出した国際収支黒字を背景にドイツの銀行等金融機関が貿易赤字国である南欧諸国の国債を大きく買っていたことによるものです。
貿易赤字諸国では赤字財政を組もうにも貸してくれる国内金融機関が脆弱・・資金不足ですから、国外勢に自国国債を買ってもらうしかありません。
ドイツ等黒字国が赤字国の国債を買うことによって、赤字分とほぼ同額の還流資金を得た赤字国は財政出動が出来、(公共工事をして失業救済したり、年金支給資金にしたり、)ひいてはその恩恵で国内生産高以上の国内購買力が維持出来ます。
この結果、赤字国国民は収入以上の買い物が出来るので・・国内経済が回って行く代わりに貿易赤字が続き・黒字国は赤字国の借金による消費力を利用して更に売り込める(貿易黒字を続けられる)仕組みでした。
これを繰り返していると赤字国の借金は膨らむ一方ですから、いつかは破綻するのですが、この辺のアフリカ最貧国に対する債務免除に関するローマクラブなど債権国会議の時代をNovember 5, 2011に紹介したことがあります。
今回のギリシャや南欧諸国の債務危機は、これまでのアフリカ最貧国に対する債権国会議のヨーロッパ版と見るべきです。
最貧国の債務が雪だるま的に増える状態になって来ると債権国は棒引きの会議をするしかないのはこれまで同様です。
ですから、南欧危機は独仏等の黒字・債権国の金融資産の大幅劣化・損失危機でもあったのです。
独仏等の金融機関はギリシャ危機によって保有債権の値下がり損失が大きくて、自国の国債を購入する資金余力がなくなって来たために、今回の自国国債を購入する資金が足りなくなったために売れ残ったのでしょう。
ですから,直截ドイツ国債の信用力がなくなって買い手がつかなかったのではないとしても、結果的にドイツの黒字蓄積と言っても同じ経済圏内の貸したり借りたりの数字に過ぎなかった意味がはっきりしてきて、国内金融機関が買わないと外国勢が買わないということは、長期的に見て信用力が落ち始めたことになります。
この辺はドイツの黒字と言っても、EU内の蛸足配当的黒字に過ぎなかったことをNovember 16, 2011「ギリシャ危機4(財政赤字の結末)前後で書いて来た通りの結果が出て来たに過ぎません。

金融資産と資産表1

個人で言えば、売却可能な不動産が1億円の価値があって、その他に金融資産が5000万円の場合、借入金が6000万円を超えてもまだトータル資産価値が黒字ですが、現預金勘定が手元で赤字だと心細くなる心理状況を無視出来ませんし、土地の場合、1000万円だけ不足すると言ってもその分だけうまく切り売り出来るものでは有りません。
個人金融資産のプラスマイナスで一般に論じているのは、一応の基準になっていることになります。
とは言え、金融資産・・手元流動性が手厚い方がイザというときに(緊急事態には)心強いというだけであって、時間をかけた国力や企業価値としては、トータル資産で見るべきです。
預貯金1億円あっても不動産等その他換金可能資産ゼロの人と、預貯金5000万円しかなくとも評価2億の換金可能な不動産・・たとえば時価4000万円の投資用マンション5室を持っている人とでは、どちらが豊かであるかは明らかですから、個人金融資産残高や対外純債権国か否かばかりを基準に金科玉条のように議論するのは本質を見誤ります。
対外純債権国とか債務国と言っても、10兆円の純債権国で対外鉱物権益など一切ない国と純債権額は5000億円しかないが、対外鉱物権益に20兆円以上保有している国とでは、どちらが実質的に豊かであるかの基準が逆転してきます。
対外純債務額が10兆円あっても、評価50兆円の対外権益を保有している国では実質黒字国と言うべきです。
(単純化すれば10兆円の借金をして購入した海外権益が大化けして50兆円に値上がりしている場合)
現預金や金融資産は直ぐに換金出来るので、機動力が有るのに対して権益その他の資産は直ぐに換金出来ないので、目先の取り付け騒ぎには間に合わないことから、手元流動性の多寡を議論するのも一理有るというだけで、長期的国力には直接関係がありません。
ただ、各国の保有権益のバランスシート作成が進んでいないので、統計の分り易い金融資産・企業で言えば手元流動性だけの統計で議論しているのが現状で、これは実際の経済実力は同じでは有りません。
国別の資産表作成の必要性については、08/19/08「中国・韓国株のトレンド2」以下で連載しました。
ただし、個人と組織の違いを言えば、鉱物権益や不動産そのものを個人保有することは今では滅多になく、これを株式会社で保有しているのが現実ですから、その保有資産は株式という個人の金融資産残高に還元されて来て表現出来ていることになります。
もしもそうとすれば、結局個人資産の大方は金融資産であるから、個人金融資産のプラスマイナス・・額の大きさを国力の評価基準にしても、それほどの間違いではないことになってきます。
以上の考えは法人と個人の合計を見るには適していますが、国の場合は国富を株式化していませんので、金融資産に還元されていないのでその価値・実態がまるで分っていません。
ギリシャ危機とは言うもののイザとなれば古代ギリシャの神殿(半径1kmメーターの土地を含めて)を売ればいくらになるのか、日本の富士山をいくらで売れるかの評価をした数字が有りません。

財政出動2(増税1)

赤字国債は好景気になったら増税して取り戻す予定で始めるのですが、せっかく立ち直りかけた景気に水を差すと言っては、国民・政治家が反対し続けるので、内需刺激策が普通の状態になってしまい、一旦始めると、これをやめることが出来なくなります。
October 18, 2011「国際競争力低下と内需拡大1」以下で連載しましたが、内需拡大(財政出動)政策は、国際競争に負け始めたことによって、国内生産減少による失業増大・・あまった労働需要を吸収するため(失業対策として)に始めることが殆どです。
(輸出減少または輸入拡大による生産縮小は景気の波動による不景気と生産縮小の結果が同じですが、景気の波動による縮小では有りませんから、景気対策と称するのは誤りです)
過疎地などへ補助金投入(その地域の内需拡大)も、過疎地域の産業空洞化が原因ですから原理は同じで、域外出荷出来るような地場産業が育たないで空洞化が収まらない限り、その土地の人口が少なくなって廃村になるまで続けるしか有りません。
とすれば、国際競争力を回復しない限り何年経っても労働力余剰のままである点は変わりがないのですから、いつまでたっても内需拡大政策・・不要な公共工事等の財政支出をやめることは出来ません。
我が国が20年くらい内需拡大・公共工事を続けざるを得なかった原因です。
今はさすがに公共工事は不人気ですので、就労対策として介護関連支出への応援団が多くなっていますが、失業救済・外貨を稼げない点は同じです。
(過疎地の場合には、時間を掛けて安楽死・・次第にその地域の人口減少を待てるので次第に失業人員が減って行く点が違います)
輸出がジリジリと減る傾向の国にとっては、(私の持論である人口減政策を取らない限り)数年経っても一時しのぎ的内需刺激策を廃止するどころか、更に輸出が減って行くばかりですから、増える一方の失業者を吸収するために財政支出を逆に追加していくことにならざるを得なくなります。
個人でも団体でも1%の生産が減れば、生活水準を1%落とすしかないのが原理ですが、それをするには、仮に1%の失業救済資金が必要ならば働いている人から1%増税してそれを回すしかないことになります。
景気対策としては前回書いたように増税はマイナス作用が有りますが、景気の波動対策の場合、持ち直しがありますが、構造不況・・輸出減少に対する対策は本来景気の波とは関係がない・・数年待てば生産が自動的に回復することは有りません。
輸出減少による生産縮小の場合は別の観点・・ここは分担方法の観点が必要です。
みんなが1%仕事を減らしてシェアーするワークシェアリング論も同じ論法です。
10人の会員のうち収入ゼロになった一人の生活を救うには残り9人が1割ずつ拠出するしかないと考えれば単純明快です。(全員が9割の水準になります)
各人の拠出(増税)を嫌がって(不景気になるという理由で)、会の名義で他所から借金して救済しようとしているのが今の政治です。
しかし、上記のとおり、輸出減による生産縮小の場合は、景気循環による生産縮小ではないのですから所得税を増税しても国内資金量は同じですから、不景気・経済縮小にはなりません。
法人税を上げると法人が萎縮して経済活動も縮小するので、景気に悪作用ですが、所得税が上がっても国民の勤労意欲は変わりません。
また、所得税が少し上がっても消費額自体はこれにピッタリ反比例して減少するものではありません。

金銀輸出と日本1(高級品志向)

日本の場合、金銀産出による資金で世界の最高級品を買い集めて、自家薬籠中の物・・国産化努力を怠らなかった点が世界のどの資源国とも違います。
この豊富な資金を使って殆どの分野で世界最高水準の学問・知識・芸術作品の輸入に努め、宗教(古くは空海や最澄などの遣唐使の留学生派遣に留まらず、)その時期時期ごとのいろんな技術・・鉄砲(最後は工芸品になってしまいましたが・・・)から、磁器、絵画、工芸品・学問(朱子学や禅の思想)に至るまで輸入しては、あらゆる物の国産化に努力し続けていました。
アップルのジョブスが日本の禅に傾倒して永平寺に入門しようとしていたと言われるように、今では禅と言えば、日本が本家のような感じでしょう。
数日前に北海道産の生チョコレートを食べているとその箱の中に北緯20度以北では栽培ができないと言われているカカオの栽培に石垣島(北緯24度)で1000本単位の栽培に挑戦中で既にかなり大きく育っていて、近いうちに純国産のチョコレートが出来るようにするべく努力していると書いてありました。
いろんな農産物でも良いのが入って来ると、エリンギでも何でも直ぐに国産化するのを皆さんご存知でしょうが、金を産出するからそれで買えば良いと言うのではなく先ず国産化に努力すること・・これは漢字の輸入に始まる我が国の長い伝統です。
外国では戦争に勝つと金銀財宝を戦利品として持ち帰ることが多いのですが、我が国の場合、朝鮮征伐(子供の頃に習った用語ですが、今では文禄・慶長の役というのでしょうか?)でも財宝を持ち帰るのではなく、優れた陶工を連れ帰っているだけです。
連れ帰った陶工を大事にして一家を構えさせたので、有田焼その他九州各地に陶磁器生産技術が根付いたのです。
日本では世界有数の金銀が取れていたからと言って、それを理由に昔から王侯貴族が贅を極めて遊び暮らしていたことは一回も有りません。
平安貴族は、せいぜい和歌を詠んでいたくらいで質素なものです。
栄華を極めたと言われる藤原氏の残した宇治の平等院くらいが代表的なものでしょうが、元々は浄土思想の顕現としての建物ですし、見に行くと建物の芸術性に感心するものの自分が贅沢するためのものという印象では有りません。
平泉の金色堂も宗教施設であって、自分が贅沢するためのものでは有りません。
家光が金ぴかの日光東照宮を造営しましたが、これも彼の個人的贅沢をするためのものでは有りません。
日明貿易で巨利を得た義満が金閣寺を建てたりしていますが、その程度のことに過ぎず、これと行った贅沢をしていたとも思えません。
東京の六義園(柳沢吉保造営)を見ても今の迎賓館のように、社交の場として造ったものであって、自分一人が贅沢したくて造ったものでは有りません。
明治の財閥が造った庭園も皆同じく接待用で、直ぐに東京都へ寄付したりしています。
日本の場合、古来から世界有数の金銀産出国でありながら、何故平安朝や武家政権時代の将軍家やその周辺で、アラブの王族のような贅沢をしなかったのでしょうか?
今のように何でも輸入出来る時代ではなく、しかも波浪を越えて来るにはリスクが大きく高いものについたからでしょうか。
輸送に大した負担にならない・腐らないもの・・学問を学んで来たり、教典や書物、仏像、絵画、磁器等の内特に高級なもの・・嵩の割に高級な芸術品・文物を買いあさるしかなかったことが幸いしたのでしょうか?
その結果、日本人は庶民に足るまで良いものが、好きになったのだと言い切れるかまで今のところ分りません。
陸続きでなかった結果、金・銀がいくらあっても国民が食うためには自前で食料を作るしかなかったし、衣類その他日用品も、金がいくらあっても輸入で間に合わせられるほど便利な時代ではありませんでした。

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