危険と隣合わせ1(メリット)

生活利便性のあるものは役に立つものであればあるほど、汚かったり危険性が高いものです。
薬のない頃に砂糖水を飲ませる程度と違い今の医薬品は効き目が強い代わりに誤って処方すると危険ですし、また副作用が強いので管理して利用する必要があります。
フグはうまいけれども厳重な調理が必要ですし、車も飛行機の便利な分自転車よりも危険ですし排ガスも多く出します。
昔から必需品でも汚いものや危険なものは、危険性を前提として出来るだけ遠くに追いやって目に触れないようにする・・馬は必要であるが馬糞だらけの馬小屋は殿様の御殿から遠く離れたところに配置する・・便所も必要だが少しでも離れたところ造ってありました。
明治の始め、鉄道の駅も歩ける最大のところまで遠いところに造るものでしたし、飛行場は今でもかなり離れています。
権力中枢の裁判所やお城を基準に見ると東京も大阪(城主のいなかった大阪や甲府は裁判所が基準です)もあるいは小さな町である佐倉でも足利でもみんな歩いて15〜20分前後に駅があります。
(昔の人は歩くのが早かったので10分以内かな?)
鉱工業生産も必要ではあるが汚いし危険だから、貴顯の住居地から遠く離れた場所で営むものでした。
必要なものは身近におきたいものですが、危険や悪臭・騒音等と隣り合わせのために、如何に安全に管理して最大限近づけるかが人類の智恵の見せ所です。
石炭・石油が必要・・それならば近い方が便利ですが、首都の真ん中に「ぼた山」があり、炭坑夫が王宮の隣で生活しているところはないでしょう。
石炭石油は僻地で都会が出来た後に取れるようになったからでもありますが、それならば取れるところに消費地を持って行く・政治の中心が移って行っても良い筈です。
アメリカで言えばボストンやニューヨーク等の中枢部とシカゴ等の大工業地帯は飛行機で移動するくらい離れていますので、工業地帯に住む人と政治の中枢にいる人や企業経営者とは違った世界に住む関係でした。
病院関係も近ければ便利ですが、伝染を恐れて隔離が原則で、都市部で共存するようになったのは、まだ数十年くらいでしょうか。
(元々郊外にあったのが都市の拡大で市中心部近くなった例が多いでしょうが・・・)
我が国の場合も外国に倣って出来るだけ工業地帯をエリート向けの高級住宅街から離すように努力していましたが、一般の工業地帯で言えば、川崎から東京都心までの距離は数十キロメートルしかなく戦後出来た千葉の臨海工業地帯でも東京都心から60km前後です。
原発が一般の工業地帯よりも遠く離れているようでも、福島原発から東京まで僅か約200キロメートルしか離れていません。
これが茨城の原発(東海村の原研)になると僅か100km前後しかありません。
危険な物は遠く離しておくべきだと言う選択自体は正しいのですが、為政者・経営者が安全地帯にいる結果、危険回避に向けた切迫感が薄まることになります。
為政者・経営者が危険と隣り合わせにいないと、慈善事業的発想で労働者(及び工場近くに住む家族)が劣悪な環境で働くのは可哀想だからという上から目線での改革しか出来ません。
チェルノブイリのようにモスクワから遠く離れた場所の場合、指導部の緊迫感が緩くなりがちです。
ロシアでは石棺で覆ったまま放りっぱなしですが、我が国で一日も早い除染や、廃炉に必死なのは近距離にみんな住んでいるからです。
チェルノブイリの放射能汚染図で見ると半径600kメートルまでしか同心円は出ていませんが、その外側にあるモスクワまでの距離は、図上約700キロメートル前後もありそうです。
狭い国土の我が国では、遠く離れたところに工場地帯を造ったつもりでも諸外国とはまるで距離が違います。
上記のように高級住宅街も外国に比べればほぼ隣接地・工業地帯内と言える場所にありますので、上下挙げて公害・大気汚染や水質悪化に対する感度が良かったことが幸いして公害対策が進んだのでしょう。
川崎や千葉からですと一般工場の煤煙でも風向き次第で都心に汚れた空気がマトモに吹き寄せますので、昭和40年代から問題になった公害問題は、公害反対運動・・革新勢力だけの関心事ではなく企業経営者や政権側も(自分の妻子が被害を受けるので)放置出来なくなったのです。
ちなみに千葉川鉄公害訴訟は1975(昭和50)年に提起されたものですが、大気汚染問題は首都圏全体の関心事になっていたのです。
四日市喘息は川鉄に先立つ公害でしたが、首都圏での上記訴訟提起のインパクトは大きかったので、これ以降・政府・企業側は、工場は汚い・うるさい・臭いものという開き直り・・工場の近くに住む方が悪いというような発想を切り替えます。
公害発生は我が国特有ではなく(世界中似たようなレベルの工場が操業していましたので)イギリスのスモッグ例でも明らかなように世界中同じようにあったのですが、工業適地と住居適地が同じ地域にある我が国特有の弱点が却って新たな展開を目指すようになれた原因です。
工業用地を遠くへ持って行く発想を諦めて、工業発展と健康な生活との共存を目指すように・・脱硫技術その他公害防止技術が発達したのが幸いし、我が国は世界に冠たる公害防止・環境技術を発展させられました。
鉱工業の公害対策だけではなく、密集した都会地でのビル取り壊しが多いことから、その方面の工夫も進んでいて今では大した騒音や埃を立てずに歩行者が多く歩いている直ぐそばでも大した危険性なしに行われるようになっています。
(何百万人も毎日利用しながらの東京駅の改築計画の見事さを見て下さい)
今回の原発事故を1つの教訓として原発や大規模化学工場等と共存のための智恵を結集して行くべきでしょうし、そうした努力をしてこそ世界に誇れる技術立国へ再度進んで行けます。
危険だからやめたというだけでは、智恵がないし発展性もありません。
マゼランやコロンブスの大航海もすべて未知の危険に挑戦してこそ成功したものですし、その他新技術の開発はすべてその傾向があります。

平成24年1月元旦

あけましておめでとう御座います。
年賀状よりこのコラムの方が、皆様に早くお目にかかる時代です。
私は朝寝坊タイプですので、元旦=初日の出を拝むのは苦手です。
子供達が小さい頃に年末年始に掛けて船に乗って旅行に出かけることが多くありました。
船室はホテル同様に造られていて、お風呂もあるし、大きな窓がついているので太平洋側の部屋の場合、水平線上に昇る日の出を見られそうだと毎回期待して寝るのですが、朝になるとやはり眠たいので(太陽は明日も昇るし)明日でも良いかとなって、窓の障子を開けないままになることが普通で、御陰で未だに一回も日の出を拝んでいません。
早起きの方々は、文字どおり晴れやかな元旦をお迎えのことと存じます。
昨年は日本にとって大変な1年でしたし、実際に被害に遭われている方や、身近に被害を感じていらっしゃる方も多かったことでしょう。
しかし、災害発生から既に9ヶ月近くも経過したので、今年は復興に向けた期待の年の始まりです。
言い古されたことですが、復興は元に戻すだけではなく新たに興すことです。
大晦日に書きましたが、「災い転じて福となす」今風に言えば失敗は成功の元とも言いますが、転じて福となし、失敗を教訓に次の成功を導くにはそれなりの努力・・一定の基礎水準・能力が必要です。
我が国の技術水準は高く、多くの先端産業は他国の技術や製品導入によるのではなく、自前技術が多いので、昨年の大災害に遭ってみて新たに必要となった新技術・災害時のサプライチェーン維持の工夫についても、やる気になれば自前で直ぐに対応出来る範囲内と思われます。
災害がなければ必要性に気づかなかった新たな分野の草分けになれるのですから、被害を受けた方々には実験台になって戴いたようで申し訳ないですが、新興国から追い上げを受けて絶えざる最先端技術の開発に追われる日本が、期せずして新たな課題を与えられたような幸運な年だったことになるでしょう。
「災いを転じて福となす」か否かは、災いを受けた国民のレベル・心意気にかかっています。
今年は我が国の復興・昇龍元年にする心意気で1年を始めましょう。
過去に公害に関しても多くの被害者が出ましたが、これに正面から向き合って来た結果、我が国の環境・クリーン技術を世界に冠たるものに成長させられたのです。
公害が出るから、「工場は存在自体が悪である」と決めつけて遠ざけるのではなく、都市の近くに工場が立地する前提で公害を少なくして行く技術の開発に励み、我が国は世界初の健康な生活と工場・作業現場が共存して行ける社会を作り上げてきました。
(荒々しかった建設現場でさえも目隠し、遮蔽具が綺麗に優しくなり、騒音も減りました)
原発やその他生活利便に拘る最新技術はそれなりに副作用(新薬同様に危険)がありますが、危険があるだけでこれを嫌忌するのではなく、最新技術の危険性を如何に管理するかの研究や技術革新の努力こそ必要です。
今年はせっかく天から与えられたテーマから逃げずに立ち向かって行きたいものではありませんか。
危険だからもっと遠くへ持って行く、あるいはやめてしまうような発想では進歩がありません。
せっかく与えられた飛躍するチャンスを失って亡国の道を歩むことになります。
以下公害克服の歴史を簡単に振り返り、昨年の大災害を如何に克服して行くかの覚悟を考えて行きたいと思います。
高度成長期以降公害が社会問題になるまでは工場・生産・作業現場がある限り空気や水の汚れ・臭気・騒音は当然であり、このために工場地帯と住宅街は離れて造るものとするのが世界の主流・常識でした。
高度成長期以降、都内下町(荒川流域)にあった多くの工場が追い出され、その跡地が公園や住宅団地になって行きました。
イギリスのスモッグは有名でしたし、それが先進工業国の象徴みたいに思われ、明治の遣欧使節団以来多くの人々は、モクモクと黒煙を上げる煙突群を見るとその力強さに感動していたのです。
蒸気機関車の吹き上げる黒煙・蒸気あるいはシュッポシュッポと言う力強い音に今でも感動する人がいるので、ときどきSLを走らせたりしていますが、強いものは(粗暴で)危険でもある時代が長かったので、その意識・遺伝子が強く残っている人たちでしょう。
明治になって柔道が生まれ、「柔よく剛を制す」ことが知られるようになりましたが、それまでは強い=粗暴=危険と同義だったのです。
名馬は気が荒いのが普通と思われていました。
これからは、利用価値の高い・・強力な設備も人類に優しくなってもらう・・優しく飼い馴らす必要があります。
・・デイープインパクトは優しそうでした・・。
現在では男の強さは、芯が強くその結果優しいことであって、粗野・粗暴はもしかして芯の弱さの裏返しによるのではないかとすら思われる時代です。
北朝鮮がいつもあんなに力んでいなければならないのは、世界一弱いことの裏返しで可哀想な感じです。

構造変化と格差9(能力不均等1)

近代工業は多くの労働力を必要としていて大量の雇用吸収力がありますし、その結果、先進国では多くの中産階層を生み出して政治的安定を実現出来たことを、2011-12-17「構造変化と格差2」のコラムで書きました。
新興国の追い上げに対応する先進国としては、新興国の何十倍もの人件費=何十倍もの豊かな生活水準を維持するには、時間コストが高くても収益の出る産業を育てる・・産業の高度化しか生き残る道はありません。
高度化社会への変質に成功した社会は、少数の高度技術者や高級ブランドによって成り立つ社会ですから、大量の労働力が不要・・それまで世界の工場として多くの労働者を雇用していた職場がなくなって行く社会です。
結果的に先進国の最大構成員であった中間・下層レベルの仕事が少なくなります。
日本が過去約20年間大量生産型産業の大幅縮小にも拘らず、国内総生産が漸増し続けていたことからみれば、金額からみれば大量生産から脱皮して技術の高度化に成功しつつあることを2011-12-16「 構造変化と格差拡大1」以下で連載しました。
上記によれば、我が国では大量生産型職種の縮小・・平均的仕事しか出来ない多くの人・国民の大多数が適応不全の結果、従来の能力に応じた職を失いつつあることになります。
仮にも国民全部が適応しないで(誰一人として高度化に成功しない場合)大量生産品が流入する一方に任せていると産業革命後イギリスの綿製品輸入で大打撃を受けて「死屍累々」の表現で知られるインドのようになります。
他に外貨を稼げるものがなければ、貿易赤字が累積して最後には実力相応に円相場が下がって行き、(仮に円相場が今の10〜20分の1に下がれば、賃金水準でも新興国と同等になって行きますので)新興国と大量生産品でも互角に勝負出来るようになるでしょう。
現実には、国民の能力には凹凸があるので、一部(日本の場合かなりの部門)で高度化に対応出来ていてその部門が海外輸出で儲けているので、今でも日本全体としては黒字基調となっている結果、却って円高が進んでしまっているのが実情です。
東北大震災+原発事故及びタイの洪水被害のトリプルパンチで黒字基調がちょっと怪しくなっていますが・・円相場に関しては貿易収支赤字は国際収支の一要因でしかなく、トータルでみれば所得収支(短期的には資本収支も関係しますが・・)を含めた経常収支で決まるものです。
貿易黒字だけではなく・・海外からの利息・利潤の送金を含めれば、まだまだ経常収支黒字が続くことは明らかでしょうから、今後少しくらい貿易赤字が続いても今以上に円高になることは間違いがありません。
平均的人材/すなわち人口の多くが失業の危機に曝されているのに、一方で一部の高度化対応企業や人材によって貿易黒字が増え、海外進出企業からの国内送金によって所得収支黒字が増える状態になっています。
この結果円相場が上がる一方ですから、比喩的に言えば4〜50点の人が職を失うだけではなく60点、65点の人も職を失うなど、高度化対応による貿易黒字の獲得と所得収支黒字がジリジリと円を切り上げ、ひいては国内で働ける水位を上げて行く関係になっています。

構造変化と格差5(水平移動から垂直移動へ1)

法律の分野でも弁護士は過疎地の法律相談を日当にもならない僅かな費用で分担していますが、公務員になると裁判官や検察官(これら補助職の公務員も)は全国一律給与で
各地に赴任しています。
地域の需要は地域の経済力で賄ってこそ自立していると言えるとすれば、全国平均以下の経済力しかない地方にとっては、全国的一律給与の公務員が配置されること自体も補助金の仲間でしょう。
自治体警察が経済的に成り立たなくなって都道府県警察になったのも、市町村には維持費が出せないことがその主たる原因であったでしょうが、これを補助金の視点で見直せば、零細市町村にとっては自力では維持出来ない高度な治安組織が張り巡らされ、全国平均レベルのサービスを受けられているのも補助金の御陰です。
医療や弁護士、あるいは美術展・音楽等の催し・・サービスを受けるために出かけられないことはないとしても、住民サービスとして身近に欲しいとなれば、地方と都会の支払能力の差額を補助して芸人に公演してもらったり医師等に赴任してもらうしかなくなります。
その地域の支払能力で負担出来ない高額なサービスを受けようとすれば、補助金に頼ることになるので結果的に地元市場経済の支払い能力で決まる低い収入の地元産業=農業等に就くよりは、補助金関連職種に就いた方が高額な収入を得られる結果になります。
ギリシャなどでは公務員だらけになっていると言われるのはそのせいです。
勢い、地元住民の政治・関心は補助金の枠の広がり(老人ホーム建設や弁護士派遣などは従来なかった分野です)や補助率の拡大に向くことになります。
(田舎では、政治家は密接な関係で都会から地方に行くと驚きますよ・・・)
地方公務員自体、過疎地地元の就職先としては一番恵まれた職場になっているのは公共団体の職務の殆どが補助金(の分配等の仕事)で成り立っているからです。
教育費も保育料も老人ホームも中央から回って来る負担金・補助金がなければ、多くの僻地の自治体では現状水準のサービスを提供出来ない筈です。
ラーメン屋等飲食店・理容・美容師、塾ですら、直接補助金をもらっていないとしても、補助金によって水増しになっている農業所得、土木建設や医師・教員・公務員の顧客・・現地消費があって成り立っています。
明治以降元々都市にいた人や農漁村から都市に出て行った人たちはそれぞれに適応して、工場労働者・商店の店員を経て個人経営者までなる人や、公務員、教師、ホワイトカラー等に転進して行けました。
せっかくこうして職種転換に成功した人たちでも、出た先の地方都市が衰退して行き、別の都市に移動せざるを得なくなった人もいたでしょうが、その都度新たに発達した別の近代工業や商業の働き手として転換して行けました。
たとえば、私が身近に知っている例では、石炭産業が衰退すると九州方面から多くの人が千葉の復興住宅(と言う埋め立て地の団地)に移住してきましたが、折りから勃興していた千葉の工業地帯での労働者として多くの人たちが吸収されて行ったようです。
大規模炭坑の閉山に応じて炭坑夫だけではなくそこで営業していた商人、床屋、教師、あるいは事務職等みんな余るので、いろんな人が来たでしょうから、数の多い炭坑夫→工員が目立つだけで元の職種に応じてそれぞれ転身して行ったこと思われます。
日本ではこうしたことを繰り返しながらも、農業→都会近郊の植木屋や土木建設現場系の出稼ぎ職として、農民の次世代は集団就職を経て工員=繊維→電気→車などその都度別の工業生産分野が成長したので、水平的職種転換して何とかなっていました。
(「百姓」というように農民は出稼ぎに行けば、大工の下働きから土木工事、植木屋の手伝い・・現場系の仕事は何でも出来る人たちです。)

構造変化と補助金1(過疎地1)

個人レベルでは、飽くまで衰退して行く地元に残っている人の中にも農漁業に固執する人もいれば、中央からの補助金期待の土木建設業その他に転進する人もいたでしょう。
地元に残っている人は郷土愛の固まりかと誤解しがちですが、(震災報道はそう言うイメージです)中央からの地方交付金や各種補助金は、個々人に配られるのではなく地方公共団体経由ですので、この補助金に群がって(いるつもりはないでしょうが・・)地元に生き残る人も多くいました。
補助金目当てに生き残っていると言えば、土木建設業ばかり連想しますが、実際には多くの教員、保育士、医師関連職種、地方公務員、個人商店も実は同じ人たちです。
過疎地の医師は元は地元で代々医師をしていた人でしょうが、今では中央から派遣されて義務感で赴任してる人が多いので、補助金の恩恵に浴していないように見えます。
過疎地の医療保険は独立採算であればとっくに破綻している筈ですから、地元経済に限定すれば医療費支払能力が大幅に縮小している筈です。
全国の平準化した保険料と国庫負担金が中央から回って来るから、過疎地の医療財政は成り立っているし、派遣される医師も存在・高給が支給されるのです。
我々弁護士需要でも、日弁連補助金で過疎地に法律事務所を設置したり、国庫金による法テラススタッフ弁護士が、過疎地の法律需要に対応していますが、地元の支払能力のみであれば、これらの設備・事務員等の維持が出来ません。
そもそも補助金とは何かですが、地元の経済水準による支払能力が低すぎると、都市でその何倍も高額収入のある職種は寄り付きませんので、(例えば芸術家やタレントは一日1〜数万円で公演してくれと言われても応じられないでしょう)都会に出かけて行くしか近代文明の恩恵に浴せません。
教育者に来てもらったり芸能人に公演してもらったり、不採算の医療その他の専門家に来てもらうためには、何らかの補助金でその一部を負担し、(医師や教師は相場の給与で赴任するみたいですが・・)残りは弁護士等の公徳心による減額(採算割れ価格)で成り立っています。
ちなみに弁護士にとっては、過疎地の法律相談に行ってると、事務所維持費が出ないので、事務所経費負担がいらないイソ弁等若手が分担している状態です。
東北の震災被害の法律相談もそうですが、当事者がその費用負担能力がないので、日弁連が担当者に交通費の外に一日3〜4万円支給して現地相談を行っているのですが、これでは事務所家賃・事務員の給与その他経費にすらならないので、赤字で協力している関係です。
(日弁連はどこからも援助してもらってないので、弁護士から集めた会費で相談に行く人に支給しています)
土木工事の場合も地元経済水準で払える限度で土木工事をしようとする場合・・・仮に地域の産業として江戸時代同様の農漁業しかない場合を例にすると、その生産力だけでは江戸時代まであった程度の木造の橋や砂利道しか造れないし、(砂利だって買って来る資金がないでしょう)勿論村役場も木造平屋建てがやっとですし、学校も幼稚園も病院もその程度のものしか造れない筈です。

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