構造変化と格差23(新自由主義1)

モラルハザードにそれましたが、2012-2-12「 構造変化と格差22(モラルハザード1)」の続き・・格差問題に戻ります。
ここ5〜6年くらい前から、格差社会の広がりは新自由主義経済の結果だという意見が目立つようになりました。
(我が国は格差社会かどうかについてはオキュパイウオールデモに関して書き始めたとおり、疑問を有していますが、それはさておきと言うコラムです)
これは格差が生じたのは負け組の自己責任ではなく、経済政策や政治が悪いという他者転嫁論ではないでしょうか。
環境も無視出来ませんが、他者転嫁論だけでは前向きな解決には結びつきません。
ソ連崩壊直前ころまで流行していた共産主義者による定式的主張・・収入が低いのは搾取される制度の結果であって労働者には責任がない・・疾病も然り、学業成績が悪いのも不良になったのもすべて生育環境が悪い・・政治や社会にすべてを転嫁していた議論の焼き直しに見えます。
刑事事件であれ何であれ、悪い結果はすべて環境に原因があるという教条的議論には飽きるほどつき合ってきました。
環境は、勿論道徳観形成に影響を与えますが、貧しい環境から立派な人が出たり、親が厳しく躾けても不良になる子供は不良になる・・放っておいてくれたからのびのび成長出来たなど結果はいろいろです。
かなりの部分は、環境の影響を受けながらも本人の心がけ・・生まれつきの能力に関係することも無視出来ないでしょう。
人は環境に規定されながらも、主体的に生きて行く存在であると言う戦後流行した実存主義哲学の最盛期に育った私は、今でもそのような人生観で生きています。
私自身戦後の廃墟の中で育った自分に重ね合わせて、主体性を重んじる哲学に相性が良かったこともあります。
実存哲学とマルクス主義・ナチス・ファシストなど全体主義の関係は、03/01/08「西洋近代哲学の発展3(大衆の寄る辺は?1)」で少し書きましたし、刑法理論も似たような主張の団藤刑法学で一貫していることを、12/12/08「社会隔離と医療観察法12 」その他で書いていますので参照して下さい。
これまで連載しているように、グローバル化によって国内生産現場が縮小して単純労働需要・・中間層の職場が減ったことが現在の格差拡大問題の始まりであり、大本です。
格差が生じたとしても経済理論が格差を生み出したのではなく、グローバル化の結果です。
グローバル化の始まりは経済理論によるものではなく、アメリカによる対日輸入規制の強化が日本によるアジアでの生産による迂回輸出を生み出して、東南アジアで雁行的発展が始まった結果です。
グローバル化=国際賃金・生活水準平準化の始まりですが、先進国では賃金の下方硬直性があることから、直ぐに賃下げが出来ないので新規参入の制限→先進国=高賃金国の失業率の上昇から変化が始まります。
企業では、円相場に対応出来るほどの高付加価値生産の出来ない企業が高賃金国に留まる限り、企業としての負け組=倒産または業務縮小になりますが、企業には個人に対するような社会保障制度がないので(補助金行政がこれに該当しますが・・)国内に留まれば倒産・・社会からの退出の憂き目に遭うので、仕方なく新興国へ移動して行くようになっています。

モラルハザード5(権利の2元性1)

こんな風潮がまかり通っていると、その内せっかく働いたお金を差し引かれるのは納得出来ない・ひどい役人だなどと言い出したらきりがない・・ことになりそうです。
今でも「せっかく働いても引かれてしまうのでは損だから・・」と考えている人が多いのですが、(失業保険受給期間中に働いたら損だと言う発想の人も根が同じ発想です)どこか狂っていないかと思うのは私だけでしょうか?
こうした風潮の結果、失業保険受給期間中に就職すれば奨励金のような一時金が支給されるようになっていますし、生活保護からの脱出を応援するために働いたお金全部を差し引かない運用になっているようにも思いますが、妥協策と言うべきでしょうか?
生活保護費支給は、現在では憲法25条によって認められた生存権という権利の具体化ですが、元はと言えば「可哀想そうだから人並みの生活が出来るよう・・」にと言うことから始まっているものです。
いろんな善意による恩恵・・事柄が権利に昇格する傾向の社会ですが、元々の権利・・不可譲の権利と言うと大げさですが、「貸したら返して貰う権利」、「売れば代金を貰う権利」、「働けば賃金をもらう権利」など、古代から当然存在する権利と、社会が豊かになって障害者保護や生活保護、教育を受ける権利など、元は恩恵だったものが今では権利と称されています。
検査の結果障害者が生まれて来ると分っていても、「私には子供産む権利がある・・」「子供は育つ権利がある」という意見であえて出産を強行する人が出て来ています。
特定の難病と分っていながら出産し、その子のために月何百万という治療費がかかっても母親は当然の権利だという顔で、障害者のために頑張って行きたいとテレビに出て如何にも正義実現のために戦っている闘士のような意気込みです。
権利にも太古からの権利と社会の了解・思いやりで成り立っている擬制的権利の2種類があると思いますが如何でしょうか?
擬制的権利は障害を持って生まれてしまえば仕方がない・みんなで見るしかないという思いやりから始まって、肩身の狭い思いや遠慮することのないように権利にしているだけであって、障害をもって生まれるのを知りながら権利だから・・と出産をあえて強行されると「誰が税の負担をするんだよ・・・」という気になるのではないでしょうか?
生活保護も同じで、勝敗は時の運・・長い人生一敗地にまみれることもあるし、運悪く病気して働けないこともある・・こういうときには助け合うしかないというのが、事の起こりであって、元祖・権利ではありません。
権利とは言っても、給付を受ける基準は窓口の役人のさじ加減やその役人の御陰で給付される訳ではなく、社会みんなの温情で給付を受けるようになっている・・国会で定めた法の基準で決まるのだから、役人の基準の解釈誤り・意地悪の結果、法で定めた基準以下の給付しか受けられなかったら法(あるいは憲法の精神に反しているかどうかを)に違反しているかどうかを裁判所に訴えることが出来るという意味で「権利」になっているのです。
リーデイングケースとなった有名な朝日訴訟の最高裁の判決を紹介しておきましょう。
(最大判昭和42.5.24 民集21.5.1043)
「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものではない」とし、国民の権利は法律(生活保護法)によって守られれば良く「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的的な裁量に委されて」いる。

モラルハザード4(生活保護と収入源1)

全国から集まった寄付金の一律的配分の場合も、低所得層ほど損害補填率が高くなり有利になります。
このように考えて行くと、全国からの寄付金は損害度合いに応じて傾斜配分していれば公平だったことになりますが、データ化は容易ではないので一律配分しか出来ません。
そうなると生活保護所帯は失ったものが最も少ない割に良い思いをしていることになるので、現金給付分だけでも生活保護費を差し引く・・一般の論理で運用するのが公平ではないでしょうか。
マスコミが「生活保護費を差し引くのはひどい・・」と騒ぐものだから、事務所に別の件で相談に来る人まで、(その人はどのような根拠で言っているのか不明ですが・・・)「生活保護からまで引くようなとんでもない役人だから・・」という発言をして、脈絡なく役人批判をして行く人がいますが、マスコミの責任は重大です。
マスコミが煽ると一般の人は、そのまま無批判に便乗するのが普通でしょう。
マスコミはどう言う根拠で、(生活保護はどうあるべきか・どう言う社会ステムが良いという前提で)非難しているのか不明です。
もし批判するならば、今後被保護者がもっている現金の出所によっては、いくらお金があっても別途生活費を支給すべきだという基本政策論でも展開しないと論理的ではありません。
現在までの生活保護システムは、どんな理由・原因で手に入れたものであれ、現在お金がある人に対してその限度で保護する必要がないシステムです。
(生活費月15万円必要なときに5万円持っていれば、その不足分10万円だけ保護する原理です)
子供が死んだのと引き換えに入手した最も悲しい慰藉料や生命保険の入金あるいは、親の死亡による生命保険であろうと、お金の入手原因が何であれ、あるいは自分が交通事故で痛い目にあった慰藉料としてもらったお金でさえ、「一定額以上お金があるなら、保護する必要がないでしょう」というのが生活保護システムのコンセンサスです。
子供死亡の慰藉料等として1000万円単位のお金があって、充分な生活をしている人が、「このお金は別だから生活保護してくれ・・」という光景を考えれば明らかですが、一所懸命働いて月二〇数万円しか収入のない人から集めた税金で、こういう人を援助するのはおかしいでしょう。
何らかの違法な所得・・ヤクザが覚せい剤・ミカジメ料・恐喝その他の所得で豪邸に住んでいる場合、違法な金だからカウントしないないと言って、生活保護受けられるのではお笑いです。
所得原因を問わない・・裏返せば貧しくなった原因も問わない・・暴飲暴食やシンナーに溺れていた結果でも、病気や障害で収入が現実にないならば、ともかく保護してくれるシステムが生活保護の精神です。
原因を問わない生活保護原理を、震災の見まい金に限って何故変える必要があるかの根拠も示さないまま、政府批判を煽っているのは無責任です。
ただし、これの訴えを認めた判決・支給額減額措置の取り消し?・・が出ているようですが、まだその判決文を読んでいないので論理構成が分っていません。
私の考えが誤っていると分れば、勿論「改むるに憚ることなし」です。
誤った風潮(私だけの意見かな?)に負けたのか今回の震災では、寄付金からの収入をカウントしない扱いになっているように思いますが、今のところ正確に知りません。

構造変化と格差22(モラルハザード1)

我が国の世界に誇るべき同胞意識・絆を大切にする価値観を守るためには、個体能力差に応じて努力が報われる社会・・結果的に格差が生じるのを認めた上で、その格差がテコの原理のように何十〜何百倍にも拡大しない社会をつくること・・アメリカンドリームの否定こそが、求められていると思われます。
発光ダイオードを発明した人の裁判がありましたが、裁判の結果を見ると不当に安いと思う人がいるかも知れませんが、我が国では
「ある程度の報奨金までが許容されるが、それ以上は所属している会社・・ひいては同胞で成り立っている社会に還元して行くことが望まれていた」
と日本人の中に流れる「法」意識とすれば、判決が妥当だったことになります。
島津製作所のノーベル賞受賞者田中さんの対応と会社の対応は、日本人の琴線に触れる妥当な感じでした。
発光ダイオードの報奨金も適正妥当なところで交渉によって解決出来なかったのか・・・彼も権利主張一本槍で却って居場所をなくした感じですし、会社にとっても有為な人材を失い残念な結果でした。
ソフト化社会の権利主張について2月初めに連載したように我が国・ソフト社会では、権利主張の強すぎる人は生きて行けません。
かと言って,格差の生じない社会を賞賛する人があまり多いと、庶民に対して間違ったメッセージを送ることとなり、努力しなくて良いのかと誤解する人が多くなるのが困ります。
この誤解が広がればまじめに働くのは損だとなって、失業しても直ぐに就職しようとせずに、失業保険は貰える限度まで貰わないと損だという風潮になりつつありますし,生活保護費受給者も増えて来ます。
今よりも何十倍も貧しかった戦後の時代よりも、豊かな現在の方が生活保護費受給者が増えているのは、こうした風潮が広がっている結果でしょうか?
平成23年12月24日の日経新聞朝刊には、被災地では建設需要があって求人が多いのですが、一方で失業保険受給者が多いにも拘らず求職者が少なくて、人手不足のために復興工事を実行出来ないで困っている実態が出ていました。
被災地に限って失業保険の受給期間延長をしていたのですが,これを打ち切る必要が出ているようです。
「失業保険が出る間は働かない方が得だ」というモラルハザードが起きているのかも知れません。
(これは、割り増し退職金等で退職した中高年,あるいは定年退職労働者でも同じで、殆どの人は失業保険受給期間内は転職する気がない様子です)
被災地では失業保険を打ち切ると生活保護申請が増える可能性があって、(失業保険は自治体の支出にはなりませんが・・)震災で弱体化している自治体財政が余計苦しくなるので迷っている様子が報じられていました。

ソフト化社会7(紛争予備軍1)

生活水準の向上により人格・性格がソフトになったばかりではなく、2月6日まで書いたとおりシステム的にも法的紛争が起き難い社会が構築されていますし、日本人は元々無益な紛争を好まないので、これからもっとこの種のシステムが発達する一方でしょう。
人間自体がソフトになって紛争が起き難い社会になっているのは、事故や事件を起こす年齢構成でも分ります。
交通事故でも刑事事件でも総数が激減しているのに、年齢構成別に見ると減らないのは中高年齢層の事件や事故ですが、彼ら高齢層が被害者になっているというよりは、彼らは昔ながらの荒い生活をしているので事件に巻き込まれ易いことを表しているのです。
この1年間に私が担当した刑事事件(交通事故等)を振り返っても、殆どが70代前後の人です。
(ある事件は70代前半の被告人と被害者も70代半ば・・交通事故の示談解決での脅迫事件ですが、これは60代の生活保護受給者です。)
世界中で若い年齢の犯罪が減ってるのに高齢者犯罪率が減らないのは珍しいのですが、我が国の場合、粗野な世代が長寿化の結果まだ生き残っていることから生じた現象です。
60代以上が何故そんなに粗野かと言えば、戦時中人を殺し合いして来た世代から直截影響を受けた世代がまだ生き残っているからと言えます。
今の40〜50代以降が6〜70歳代になって来ると(私の兄や姉の子供の世代ですから、戦後2代目です)世の中がもっと落ち着くでしょうから、上記の通り紛争未然防止システムの完備と相まって紛争事件は高齢者層でも今より更に減少する筈です。
紛争予備軍として残っているのは、生活水準が向上しなかった・・ソフト化に進化出来なかった、生活保護所帯すれすれ階層の事件ばかりです。
(離婚・少年・刑事事件・相続でさえすべてこの階層に集中しています)
相続は資産家の争いかと誤解している人が多いと思いますが、実際の紛争はどこかの統計に出ていましたが、遺産数千万円程度の階層に多いそうですし、私の実感でもそうです。
遺産数千万円あるいは1000万円あるかないかの親が死ぬと、この次世代は食うや食わず見たいな人が多い上に人間関係を円滑にするソフトが発達していないことから争いになり易い感じです。
離婚でもホワイトカラー階層以上になると話し合いで解決しているのが普通で、法的手続きまでは必要がないことが多いようです。
生活・知的水準が向上すると権利主張が激しくなってトラブル多発するのではなく、却って紛争に発展しないで処理する智恵が発達するのが、我が国社会と言えるでしょうか?
人の一生で言えばギャングエイジと言って自我が主張出来るようになった最初はソフトが発達していないのでもめ事を腕力で解決したくなる年代があります。
ギャングエイジ的な稚拙な社会を前提にすれば、権利があるのを知れば円満解決の智恵がなくてストレートに権利行使する社会となりますが、成熟した社会では自己の権利を守るために落ち着いて解決する智恵が生まれるのです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC