国債相場1(金利上昇)

株式や円通貨と違い国債には満期があるので政府はいくら売り浴びせがあっても満期が来るまで支払う義務がありませんので、期中の売り浴びせは、売る方が自分の手持ち債券評価を下げてしまうだけで満期前には政府が困ることがありません。
とは言え、債券相場下落=金利上昇ですから、政府は次回からの借換債発行コストが上がって困ります。
普通に考えれば自分の保有債券の売り浴びせは自分が損するので出来ないのですが、空売りという手法があるのでこれが可能になっています。
大量売り浴びせ・一種の仕手相場形成が成功すれば、大もうけ出来ますので、December 1, 2011「ポンド防衛1」のシリーズで紹介したジョージ・ソロス氏が、1992年にポンドを売り浴びせて何百億単位で儲けたような事態が可能になっています。
こうした空売りが成功するにはその下地・・実体経済能力と国債・為替相場が大幅に乖離している(その気配が充満しているときの発火点になる)ことが必須で、実態と大きな乖離がないときに仕掛けても(燻って終わりで)失敗するだけです。
ポンド防衛に関してこの問題をシリーズとして書き掛けでしたが、また機会があれば元に戻るつもりです。
空売りが出来るようになったので、中央銀行による実勢相場把握力の鈍化あるいは意図的なお遊び・・高め誘導などが過ぎると市場の反撃・・空売りなどによる是正を受ける仕組みになっているので、この後で書きますが今ではどこの中央銀行でも実勢追認が主流でしょう。
金利上昇の下地があるかどうかは、国内にどの程度の金あまりがあるか・資金の不足度合いに国債の実質金利がかかっているので、資金不足度=長期的国際収支のプラスマイナスの状況次第となります。
我が国の国債や市場金利が世界一低いのは経済力・・黒字度が世界一であるからであり、中国が儲かっているように見えても高金利を維持するしかないのは実際には資金導入の必要な国・・資金不足国であることを表しています。
どこの国でも長期的に国際収支マイナスが続けば、国内資金が徐々に逼迫して来る・・対外債権が減少して純債務国に転落しひいては外国から借りなければ貿易決済が出来なくなって来ます。
日銀・中央銀行が政策金利をいくら引き下げたくとも、需給に応じた金利にしないと外国勢が貸してくれません。
為替相場は企業の大合唱その他の圧力で介入すれば数日程度は円高を冷やすことが出来ますが、金利は長期取引(銀行間取引は別ですが、企業の資金調達では短期でも借りる以上は数ヶ月間など一定の期間があります)のために、日銀がどうすることも出来ない・・実勢相場での取引しか出来ないのが実情です。
すなわち為替相場とは違い国債金利相場は政府が勝手に決め切れない・・国際金融情勢にマトモに連動しているので、その乖離が発生し難いのでこれを突いての空売りで大もうけしようとすることはあり得ないことになります。
国債残高が多くなって来ると少しでも金利が上がると大変なことになるというマスコミでの論調が多いのですが、残高が大きくなると金利が上がるのではなく金利は資金需給による・・すなわち長期的国際収支バランス(対外債務の多寡)によることです。
財政赤字かどうかは、国内資金調達を税収によるか国債によるかの給源問題に過ぎず、日本国が立ち行かなくなるかどうかは国際収支の問題であることを2012/04/28「税と国債の違い1」以下で書いています。
国際収支黒字継続している限り、国債発行残高がいくらであろうとも関係がありません。
一家の収入総額の範囲内で生活している限り、息子や娘から生活費として強制的に徴収するか同額を息子や娘から借りたことにするかの違いによって破綻するか否かが決まるものではありません。
一家(息子や娘を含めた同居人)の総収入が一家の総生活費を上まわっているか否か(収支バランス)こそが重要です。
借金していても収入の範囲内ならば払えるし、借金ではなく預金の取り崩しであっても収入を越えた生活をしているとその内払えなくなります。
国家で言えば国際収支の範囲内で生活をするかどうかが重要であって、生活レベルを収入よりも高くし過ぎると、対外的に払えなくなるのは当たり前です。
ですから一定の生活水準を維持する資金の出所・・財政赤字の額よりは、現状が国際収支を悪化させるほど贅沢しているかどうか・・そのデータ提示こそが合理的な議論の叩き台に必要です。

マスコミによる世論誘導の害2(不毛な財政赤字論1)

「1000兆円の国債・債務を次世代に残すな!」「年金不安で次世代は損ばかり」とマスコミは宣伝し、国民の多くがその宣伝を真に受けてその気になっています。
しかしその内95%・950兆円は国内保有=債権者は国民ですし、その保有債券を相続するのも次世代ですから、差引僅かに50兆円しか次世代に残す負債はありません。
個人金融資産が1500兆円と言われていますので(上記国内保有比率が今後下がってもその分海外債券を持っていれば結局は同じです)差し引き500兆円のプラス財産を次世代に相続させることになります。
相続財産としては金融資産に限らず自宅やアパート保有など親世代の保有不動産も今では莫大で・一般的にはこちらの方が大きいのが普通です。
この辺は都市住民2世と地方出身者との格差として、今後相続財産のウエートが上がるというテーマでFebruary 5, 2011都市住民内格差7(相続税重課)」まで連載しました。
例えば数億円の自宅やアパートがあって数千万円の負債があった場合、マスコミのように金融資産だけで見れば次世代は数千万円の負債相続ですが、不動産価値と総合すれば数億円の黒字相続です。
個人の場合住宅ローン債務が3000万円あってプラス金融資産が数十万円しかないときに、金融資産だけで見れば約3000万円の赤字ですがマンション価値が8000万円であれば、誰も騒がないでしょうし、子供も金融負債の相続をイヤだとはいいません。
住宅ローン支払中世代は金融資産だけで見れば、(自己資金で間に合えば借りないのが普通でしょうから)一般的に金銭債務だけ見れば債務超過・赤字家計ですが、総資産としては黒字の人が多いでしょう。
相続開始前(65歳以上)の人は住宅ローンも終わっているのが普通で、定年直後は退職金等による金融資産と不動産価値はほぼ均衡しているでしょうが、高齢化に連れて金融資産を食いつぶして行くので、主たる資産は不動産中心となり、プラスそこそこの金融資産を有している人が平均的なところです。
富豪は別として平均的サラリーマンで言えば自分の寿命プラスα程度の金融資産があれば良いという人生設計が普通ですから、80〜90歳前後の人の資産としては不動産が中心で金融資産はホンの一部である人の方が多いでしょう。
お金があまりなくともお祖父さんお祖母さんの保有資産の相続は、大きな価値があるのが普通です。
マスコミで問題にしている資産は、総資産のホンの一部に過ぎない金融資産だけですが、それでさえ1500兆円もあります。
仮に金融資産がゼロに近づいても、実は保有不動産その他の資産価値が大きい時代ですから、これを無視して次世代が負債を相続すると騒ぐのは国民に余計な不安を煽っていることになります。
国有資産も同様で1000兆円の国債=負債があっても、それ以上の国内投資をして対応する資産があれば(個人金融資産が仮に1500兆円もなくてゼロだとしても)黒字の政府です。
政府の財政赤字を騒いでいるマスコミ論調は、個人で言えば住宅や保有アパート価値・保有金融資産などプラス資産をあえて全部無視して、住宅ローン債務だけを針小棒大に論じているようなものです。
こんな議論の方法は子供騙しそのものですから、明らかに誤誘導・一定方向(増税)への意図的な世論操作をしていることになります。
将来大変なことになるかどうかはトータル資産・・バランスシートで見なければ、金融資産のマイナス分だけ見ても話にならないことは誰にでも分る道理です。
企業規模/経済規模が大きくなれば負債も大きくなりますから、大変な負債かどうかは企業全体の規模で比較しないと何とも言えません。
マスコミは比較すべきプラス財産総額を全く論じないで負債の絶対的な大きさだけで、「大変だ」と論じている不合理な論法で、これで日本中が黙っているのですから不思議です。
こんな報道に対して、(日本国民は賢明だから黙っていても内心)みんな馬鹿にしているのだろうと思っていたのですが、6月14日書いたように学者が大まじめにこれを信用しているのにも驚きました。
学者と言えばいろんな専門家のブログを読むと、専門外のことを例として言及する場合マスコミが報じているステレオタイプの誤った知識・歴史認識を前提に書いている人が多いのにも驚きます。
学者の立論の前提が誤ったステレオタイプの知識に基づいているのでは恐ろしいことですが、そう言う意味でもマスコミの学者に与える誤った前提知識の弊害も大きいのです。
次世代に対する負債の先送りとして議論するならば、上記の通り対応する自宅等の不動産車機械などがあれば健全なことになるので総資産とのバランスが重要です。
マスコミの論法は住宅ローンで自宅購入し、あるいは企業が借入金で設備投資した場合に、購入し入手したプラス資産を全く評価しないのですから、銀行制度や社債発行自体を悪だと言っているようなものです。
経済の世界では基本常識になっているバランスシートで健全性を見る方式を、マスコミも知っている筈なのに財政赤字論に関しては全く無視していることになります。
この辺のことは以前から連載しましたが、逆から言えば赤字解消のために国有資産を売却して財政赤字を減らしても、(同額の資産が減っているので)国民にとってマイナスを減らしたことにはなりません。
NTTや専売公社・郵政民営化や国有地である公務員宿舎用地売却で大金が転がり込んでも、その分国有資産が減っているので、総合的な財務(バランスシート)としては変化なし・意味がありません。
(マスコミでは財政赤字だから宿舎用地など売却すべきだという論調がおおいのですが、国家財政全体から見れば意味のない主張で、経済政策として民営が良いか公務員に宿舎が必要かどうかの視点だけであるべきです)
民主党による埋蔵金を吐き出せば良い式の議論も同じで、その分国家資産が減るので差引経済(バランスシート)的には同じです。
マスコミだけではなく政党も経済学者も金融資産・・それもマイナス部分だけをテーマにしている結果、意味のない議論に日本中が時間を掛けていることになります。
年金未納率を減らすために社保庁がドンドン免除者を増やしていた(納付義務者を減らせば滞納率は下がりますが、払う人が実際に増えた訳ではないので年金赤字問題には何の解決にもなりません)のと同じで、問題の解決に関係ないことに時間を費やしているのです。

マスコミによる世論誘導の害1(世代対立を煽る愚1)

国が良くなるもならないも、政治的意見もマスコミのレベルに大きく影響されます。
先日ある役所の会合に出ていて、テーマ外のことで財界系の委員と学者委員とで大激論になったことがあります。
あるテーマについて議論している際に、若手学者が未成年者の入場料を無償にすべきだという発言をしたまでは良かったのですが、更に
「若者は年金や税その他で損ばかりしているのだからそのくらいサービスすべきだ」
と言ったことに対して、県財界の長老でもある委員が、これに対して
「教育者がそんな間違った考えでは困る」
と猛烈に噛み付いて、議題とは関係のない世代論に発展してしまいました。
居並ぶ行政庁の役人(局長以下)は委員からの質問に答えることは出来るものの、質問もないのに会議に口を挟むことも出来ないので、唖然として見守るしかなかったのが何となく滑稽でした。
公開の会議でしたので、傍聴人も笑って・・まじめな(決まり切った?)会議よりもよっぽど面白かった?・・聞いていました。
(公開会議なのでその内議事録がネットで公開される筈ですが、逐語訳ではなく概要になるので多分テーマ外の議論は掲載されないでしょう)
そこではしなくも分ったことは、学者も専門外のことについてはマスコミ報道・・「次世代が損だ」という偏った報道の鵜呑み程度の意見しか持っていないことです。
今日のコラムに限らずこのコラムでのマスコミ批判は、マスコミが直接社説等で主張していると言うのではなく、たまには違う意見も乗せますが・圧倒的多数意見として繰り返し掲載されている意見(多くの国民は鵜呑みにしますので影響が大きい)・・主流的意見批判として書いていますので、そのつもりでお読み下さい。
彼は若いので子育ての経験もないからでしょうが、子供が親に世話になることはあっても親に育ててもらったことを越える面倒を見る子供は数えるほどしかない現実に思いが至らなかったようです。
鳩山元総理のように(総理までなったのですから毀誉褒貶があるとしても一般的に言えば成功した人でしょう)成功した人でも親から受け継ぐ以上のことを、(ここは経済的な損得のレベルで書いていますが、親が子供を思う心以上に子が親を思う心の比較としても同じです)親にしたとはとても思えません。
鳩山氏のように成功した訳ではありませんが、私の場合を振り返っても親が遊びに来たときにホンのちょっとしたプレゼントしたくらいで、親が命がけで戦火の中を逃げ回り私達子供を育て上げてくれたことに比較して何ほどの恩返しもしてません。
東京の家は空襲で燃えてしまい、何の遺産も貰えなくて自分でゼロから資産を築いた私の兄の場合、100歳まで親の面倒を見たので、親にしてもらった以上のことをしていると思いますが、こう言う例は稀だと思います。
(こう言う例は戦後を生き抜いた70代以上の世代に比較的多いだけで、今の若者世代にとっては親にしてもらった以上のことをしている人の比率はもの凄く下がっている筈です)
ここ数十年前から子供一人を普通に大学卒までに育て上げるだけで何千万もかかる時代ですが、かなり成功した息子でも親に何千万円も出す子供は1万人に一人もいないと言っていいでしょう。

政治生命をかけるとは?1

「政治生命をかける」とは自分の政治信念を貫徹するためには有力者に嫌われ、政治上不利な立場になろうとも、正義のために節を曲げずに主張を通し、選挙でも堂々と主張してその結果、「選挙で負けても悔いがない」というのが本来の意味でしょう。
多数派が正義不正義に拘らずその主張を通すためには、政治生命をかける必要がありません。
消費税増税反対を主張して政権を取った(国民から信任を受けた)党が、方針変更に対する総選挙の洗礼(国民の信任)を受けるのを明白に嫌がりながら、「増税に政治生命をかける」というのは言葉のまやかしです。
(誰かの委託を受けた行為ではない・・純粋個人の利害だけの行動ならば、豹変するのは勝手・君子ですが・・・)
少数派が正義のために行動するときに不利な扱い・・除名や資格停止などの不利益処分を受けるのを覚悟の上で行動するときに使う言葉を、多数派が奪ってすり替えて使い国民を誤導しているのです。
公約違反推進に多数の力を恃んで政治生命?をかける党首・・これをマスコミが「本来の語義・用法と違う・・国民を欺くもの」だと批判しようとせずに、むしろそれとなく応援している様子です。
(・・民主党が実現したマニフェストは少ないのでマニフェスト重視を言うのはおかしいという変な擁護論さえありますが、実現に努力して出来なかったのと反対の政策を率先して実行するのとは本質が違います。
あるいは反対する勢力をおとしめるためにそこにあるのは「個利個略しかない(政治的識見がない)」と言い、「すべてが選挙対策だ」とも言います。
しかし公約違反の与党やマスコミの大勢に反対するのが何故(何の識見もない)個利個略なのか、(普通は個人にとっては不利な選択です)またせっかく作り上げた与党を飛び出して孤軍奮闘(マスコミからも集中砲火を受けながら)で戦おうとしている人が何故選挙対策で動いているというのか、論理が見えません。
むしろ公約違反はおかしいと思いながら執行部に反対意見を述べる勇気のない政治家の方が、個利個略・選挙対策(自己保身)だけの人ではないでしょうか?
選挙目当てと言いますが、与党から飛び出して国からの補助金もない(1月1日現在での政党にしか補助金が出ない・・途中で分裂するグループに不利な制度です)状態で選挙をやるのは極めて不利なことは常識でしょう。
増税するか否かこそは数ある政治案件の中では、政治意見の中核であることは公理とも言えるほど歴史上明らかなことですから、増税反対かどうかを軸に行動基準を決めることが何故に政治的識見がない行為と言えるのか不明です。
財政赤字解消のために増税の必要性があるかどうかの意見とそれぞれの根拠・理由はこれまで書いているとおりいろんな意見があるのですから、自分(マスコミ)と論拠が違う相手を「識見がない・・バカだ」というのでは、大人の議論・・マスコミが取り上げるべき公平な報道とは言えません。
どちらの論拠が正しいかは選挙で決めることです。
論理のない批判が横行しているのは言うならば、誹謗中傷のたぐいを天下のマスコミが垂れ流していることになります。
党は党でそんな党首に任せられないと解任するどころか、公約を守れと反対する少数議員・・彼らこそ正義のために政治生命をかけていると言えます・・を除名してしまうような政党・・マトモな政党が世界を見渡しても歴史上あったでしょうか?
時代劇で言えば、お家乗っ取りを策す悪家老一味に敢然と立ち向かう正義の「士」少数派を誹謗中傷しているようなものです。
幕藩体制下で幕藩体制を覆すような主張が公然とされた場合、そのグループは幕藩体制と食うか食われるかの戦いをしない限り存続出来ないのは当然です。
信長や秀吉の支配下で信長や秀吉の支配方法に異を唱える以上は、信長や秀吉の支配領地内で存続が許されません。
民主主義体制を良しとする現行法体系下で、(これを覆そうと主張するならば一貫していますが・・これをやめる展望もないまま)民主主義の根本原理に反する行為をしている以上は、一種の反逆罪を犯している状態で、現行秩序上存在自体が許されない状態です。
まさに野田総理とその1党は政治生命をかけて自ら政治家を辞めるべき主張になります。
民主主義に根底から反する行為を賞賛するマスコミその他の勢力は、民主主義制度を否定する勢力に加担・そそのかす勢力と言わざるを得ないのではないでしょうか?
アメリカは民主主義を守るための戦いだったと称して日本に原爆を落とし、その他何百万(大げさかな?)の一般人を焼夷弾で焼き殺し続けたのですが、日本のマスコミはアメリカでは野田総理が激励されているかのような(高官などとぼかした言い方)報道です。
アメリカは自分の都合に合わせてあちこちの軍事独裁政権を支援してきましたし、自分に都合の良いときだけ民主主義のための戦いと言い出す自分勝手な国ですが、・・いくらご都合主義のアメリカだとしても、民主主義制度の根幹を破壊する野田総理の暴挙をそこまで応援するかな?と疑っています。
元々野田総理は訪米直後から消費増税へのボルテージがイキナリ上がって来た傾向があって、アメリカに吹き込まれてやっているらしいとも言われていますし、反米的色彩の強かった鳩山・菅政権に比べてアメリカの覚えが目目出たいのは間違いがないでしょう。
ところで何故アメリカは日本の消費税率上げに熱心だと言われるのでしょうか?
(勿論正式表明をする訳がないので噂・憶測に過ぎませんが・・)
今までのアメリカの行動からして、日本を良くするために熱心になることは殆ど考え難いので、合理的な理由としては増税させて日本経済の停滞・駄目にしてしまうことを期待しているらしいことくらいしか推測できません。
増税=内需縮小という図式は間違い・・消費の増減には関係がない・・むしろ増税分を100%支出に使えば消費が上がるという意見を以前March 19, 2012税収2と国債1」以降書いています。
増税目的が赤字解消のための増税の場合、その分支出が増えないで資金を市場から引き上げるだけになるのでマイナス消費になりますが、国債=せっかくお金の使い道のない人が出してくれた資金で所得再分配しているのに、これを税で貧者からも徴収して金持ちに返してしまう・・金持ちからの所得再分配をやめるというのですから、財政赤字解消のための増税ほど馬鹿げた政策はありません。
財政赤字解消のために増税が必要という論理は、現在社会で必須の所得再分配機能を理解しない意見であって破綻していることになります。
国債保有者が外部にある場合、(他人からの借金で豊かな生活をしている場合)所得再分配資金を削って(外食を減らすなどして)でも赤字解消が必要になりますが、身内が持っている場合(家族の誰かが外食費を持ってくれている場合)赤字解消の必要性ががないばかりか、寄付同様の所得再分配機能があって、むしろプラス要因になっているのです。
約1000兆円の国債残高=同額の資金が、今まで余裕のある金持ちから所得分配金に使われて来たことになり目出たいことではありませんか?
綺麗な道路維持や保険の赤字も生活保護・子供手当もみんなこの資金があってこそ支給されて来たし、これが我が国の国民の同胞意識・一体感の基礎になっていることを上記コラム以降で連載しています)
世の中には間違った(私の意見とは違うと言うだけです)経済理論が横行しているので、アメリカもその気になっているのでしょうか?
しかし、日本経済が停滞し、ジリ貧になってもアメリカにとって何の得もないのですから、この種の議論(増税反対論者の流布するアメリカ陰謀説とも言うのかな?)も眉唾です。
せいぜいアメリカ主導のIMF官僚の好きなテーマ・・彼らはいつも、馬鹿の一つ覚えのように緊縮健全財政政策論であることは分りますが、学者というのは過去の事例研究しか知らないからそうなるのであってアメリカの陰謀でも何でもない・・智恵が足りないだけです。
ちょうどIMF専務理事が来ていて、増税による赤字解消努力を賞賛するような発言が新聞に載っています。
やはり、ここは外国の思惑(外国からの支援を受けているという議論も一方ではアメリカの後ろ盾があるという宣伝にもなるし、他方では本筋から離れた誹謗中傷の一種にもなります)を基準にせずに、純粋に我が国の民主主義制度を守るのに有益か否かの視点だけで考えるのが、賢い方法でしょう。

マニフェスト(選挙公約)の重み1

自民党は企業代弁政党である上に自民党の政策立案・運営に一体化していた官僚の実務能力不足の露呈などを総合判断の結果、前回(2009年)衆院選では「自民党に任せられない」となって民主党に政権を任せたのですが、予想通り民主党には受託能力(実務運営能力)に欠けていることがはっきりしました。
民主党の実務能力が低いことは政権交代前から分っていた のですから、数年くらいは大目に見るしかないと、総選挙前の06/11/09「政権交代2(任期制・転職社会の効用)」で書いたことがあります。
しかし、今回の消費税増税法案推進行為は実務能力の問題ではなく、民主党に対する信用失墜にとどまらず現在の政治制度・民主主義制度そのものの信用をなくしてしまう結果になることを心配しています。
日本はバブル崩壊とその事後処理だけはなく、民主主義制度破壊・新政治制度創設の分野でも世界の最先端を走っていることになるとすれば名誉なことですが・・。
経済・文化が世界最先端であれば政治の枠組みも当然最先端になるべきですから、我が国で新たな政体が創設されても不思議ではありません。
民主主義制度自体永久不変の正義ではなく、ある生活形態によって生まれたに過ぎないとすれば、グロ−バル化・コンピューター化の時代には別の政体がいいのだということになるのでしょうか?
民主主義の時代が終わったので新しい時代に向けて別の正義の形態を民主党や日本のマスコミが構想しているなら何の心配も要りません。
以下、間接民主制・・国民の思いを議員に付託する制度をこのまま続ける以外に今のところ新しい正義の方式が分っていないとした場合の意見です。
私は今のところ民主主義に変わるより良い政体の存在を知りません・・衆愚政治を避けるために制限選挙制にすべきだという意見を書いたことがありますし、この後でも書きますが、これも代議制民主主義の一方法としての意見に過ぎず代議制民主主義そのものの廃止を主張しているものではありません。
間接民主主義制度は、国民主権と言いながらも、国民個々人が直接政治をすることが出来ないので政党や個々の候補者の掲げた公約に対する信頼を基礎に政治運営を国民が代議士に「お任せ」することで成り立っています。
個々人の代議士に託すだけでは国会内の多数派工作で負けてしまうこともあるので政党政治が発達しました。
同じ託すならば発言力のある人に頼りたいし、同じ意見のグループがあればそのグループに政治を託した方が自分の意見が実現し易いということで、国民の方も無所属よりは党へ・・どうせなら実現可能な大きな党へと票が集まり易くなります。
これが議員の与党病が生まれる所以です。
選挙民は自分の意見を託すに足る人かどうかについて当初は人格識見・・あるいは有力者かどうかで選んでいましたが、その内自由主義か、社会主義か等の政党色で選択し、最近では選挙の争点が次第に具体化して来る時代になってた来たので、争点ごとに公開質問状を送付してそれを新聞やネット上で公開される時代が来ています。
選挙民の多くはこうして明らかにされたテーマごとの意見を見て自分の投票行動の基準にしています。
特に前回選挙の政権交代は、民主党には実務能力が低いことを多くの国民が知りながらも民主党への政権交代を期待したのは同党の掲げる主義主張・・公約・マニフェストに共感したことを主たる投票基準にしていたものと思われます。
従って公約あるいはマニフェストは、国民に対する次の選挙までの当選者の行動目的の約束ですから、当選後公約に正反対の行動をしても許されると言い出したら選挙・・代議制民主主義は成り立ちません。
一人二人ならルール違反として次に落選させれば済みますが、多数党あるいは全議員が談合してこのようことをする・・あるいはルール違反しなかった他の政党や議員まで全員で消費税増税は必要だったのだから、ルール違反(選挙民の意見)は問題じゃないと言い出したら、信任で成り立っている選挙制度・代議制民主主義制度を否定しているに等しくなります。

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