民主主義と正義9(選出母体の支持獲得1)

フランス革命以降の政治は王族の血統だけで自然に為政者になれる時代が終わり、(それまでの王位継承の争いは血統が正統であるかが大きなテーマでしたが・・)支持母体の支持によるしか為政者になれなくなった以上は、為政者になりたい人(立候補者)は自分が為政者になれば何が出来るか、何をしたいかをあらかじめ支持者に訴えて行く必要が生じてきます。
為政者になりたい人+その選出母体グループにとっては、「何をするか」よりは、次期選挙で他の支持母体との政権獲得競争に勝つことに主眼・目的があり・・そのための方便として有利そうな「何をする」という公約を発表するようになります。
民主政体になると本来の政治目的であるべき「何をするか」が政権獲得の手段になり、何かをするための手段であるべき政権獲得が「目的」になって政治活動の目的と手段が逆転してきました。
公約は政権獲得の方便ですから大した重みもないし、政権を取ったらそのとおり出来るとは限りません。
選挙権者が拡大して大衆化して来ると、大衆受けする公約と選挙資金を提供する層との意見の分離が生じてきます。
この辺はこの後でオバマ政権誕生(再選)と巨額資金の辺りで詳しく書いて行きます。
労働者代表の共産主義政権・・1党独裁政権(これも民主政体の一態様です)が生まれてくると、これに対してアメリカは差別化を図るために自由主義・陣営と言い出しました。
民主主義革命を経ているというだけでは、選出方法が民意(血縁世襲でないというだけです)によるというだけで、民選形態も共産主義独裁もナチス独裁もファシスト独裁もあるので(大分前に書きましたが、独裁も、選出法方法としては世襲ではなく民選ですから民主主義の一種です)価値観が何も決まらないことの証左です。
では自由主義と言えば価値=正義が決まるかと言えば、何を言っても、やっても自由というだけでは何も決まっていない・・逆に予め何も決めないことに価値を見いだす政体です。
そのときどきの多数決によると言っても、その時々の国際情勢等の流れ・風潮次第になるので、定まった価値・正義はありません。
(絶対主義王政に対する相対主義世界の出現と言われる所以です)
共産主義(これは唯一の価値である共産主義を強制するので絶対主義の一種でしょう)の浸透に配慮して、20世紀には完全な自由ではなく、修正資本主義・・社会的修正をする方法が流行りましたが、どこまで修正したとしても自由主義と言う以上は強い者の自由を保障する本質を否定することが出来ません。
社会主義的修正は、強い者が恩恵的に社会保障費用を負担するだけであって、本質は強者・拠出者の意向にかかっています。
強い者の自由が戦後世界秩序だった・・この反作用として核兵器拡散の必要性が現実化して来たことを2012年11月15〜16日頃から書いてきました。
ところで、ソ連崩壊・共産主義政体の失敗で、単一利益代表形態はうまく行かないことが分り、今では先進国の大政党は多くの利害関係者を包摂した政党になっています。
従来は社会党や共産党あるいは自民党と言えばそれぞれが利益代弁する階層が明らかでしたが、こうなると大政党は何を・誰の利益実現を目指すのかさっぱり分りません。
そこでマニフェストの事前公開が盛んになって来たのですが、経済現象は複雑ですし、予め金利を上げますとか下げますと公約出来る性質のものではないのと同様に、世界情勢の変化その他いろんな事象に対して、予め固定した約束をする事自体がナンセンスです。
予め言ったことに責任を持つとすれば「経済危機があれば臨機応変に対処します」「国民第一」などと言う精神論くらいが、関の山でしょう。
その意味では、公明党の「公明」清潔を売り物にするだけで何をするのか内容不明の政党名は時代に合致していたことになります。

民主主義と正義6(他者排除1)

日本人には、犬などの動物や植物には石ころとは違って人間同様の心があると思う人が多いのですが、西洋の法では石ころと犬猫を同列理解を基本としていて、20世紀後半になって漸く愛護すべき「対象」となって来たばかりです。
奴隷制度のあったアメリカでは、黒人を人とは認めず、牛や馬など動物と同じ扱いでした。
日本の場合、仮に愛馬と使用人が同じ扱いでも、もともと愛馬や愛犬も肉親同様に可愛がっていたので、それほどの差がもともとありませんが、日本以外では、動物は石ころ同様の扱いになるのですから、人間が奴隷になって動物扱いになると本当にひどいことになります。
「私権の享有は出生に始まる」とすれば、一旦権利の主体になっていた人が途中で奴隷になると私権の主体でなくなってしまうとすれば、その変更に関する法律をどうやって作ってあったのか・技術的に難しいので不思議です。
日本のように自然人と法人の区別だけではなく、奴隷身分になれば人から物体に変更するという特別な法律・・こんな法律をわざわざ作るのも難しいでしょう。
アメリカや西欧諸国では、植民地人や黒人奴隷をどのように区別して法で規定していたのか、あるいは古代から異民族・異教徒や奴隷を一般的な人とは別の物として区別するのは当然とする自然法的解釈があった・・条文すら必要がないほど自明の原理だったのかも知れません。
(アメリカでは、黒人奴隷はアメリカ「市民」ではないという運用だったようです・・南北戦争後の憲法修正第14条で、これらの差別が憲法上禁止されたことになっていますが・・・実際には多数の判例の集積によって徐々に差別が縮小されて来たようです。)
このように考えて行くと、そもそも日本のように「私権の享有は出生に始まる」という大上段に振りかぶった条文・・基本原理を宣言すると奴隷制度に真っ向から矛盾するのでこれを書いた条文がどこにもないのかも知れません。
存在しない条文を検索するのは不可能なので娘に聞くと「私権の享有は出生に始まる」という意味として「奴隷は駄目よ・・」と大学で習った記憶があるということです。
とすれば、西洋には奴隷制と矛盾する「こう言う立派な条文自体がなかったのではないか」という私の推測が当たっている感じです。
西洋が到達したと自慢する人権尊重の精神と言っても、実は古代アテネ市民やローマ市民権同様に近代においてもアメリカ「市民」に限定した人権だったのです。
神の前に平等とか法の下の平等と言っても、人か否かによる基準ではなくすべて「市民」にだけ保障されていたに過ぎません。
(だからアメリカでは、今でも「市民権」を得るかどうかに重要な意味があります)
アメリカ黒人の人権論争についても、長い間「アメリカ市民権」の枠内に入るかどうかのテーマで荒それ修正憲法判例の集積になって来たのですから、人か否かを基準にするのが当然と思い込んでいる日本人には驚きではないでしょうか?
西洋では人か否かの基準ではなく「市民権」のある人間か否かこそが今でも重要だということです。
中国の歴史でも書いてきましたが、古代から中国の地域では商業進出すると、その地で市を開いて昼間は原住民と交易しますが夜になるとそこの守りにつくために、先ず橋頭堡・砦を築いて夜間の守りを固めます。
その砦・城塞住む人と周辺から交易に来る人とは、厳重に区別されていました。
日が暮れると城門が閉まり、鶏鳴によって城門を開ける習わしでしたから、鶏鳴狗盗の故事が生まれるのです。
このように城内=市内の住民=市民と砦外の居留民・原住民とはまるで権利・義務が違いますし、(西洋風に言えば異教徒ないしエイリアン)この歴史があって、今でも中国の農民工・・都市住民資格取得を厳しく制限している差別に連なっているのです。
日本では誰でも知ってのとおり都市と周辺地域との間に城壁もなく自由自在に出入り出来る仕組みですから当然市民とその他の区別もありません。
日本では明治民法の時代から「私権の享有は出生に始まる」と民法冒頭第1条に規定されていて、人として生まれた以上は万人平等が宣言されていますが、これは西洋法の影響ではなく、日本古来からの自然法の確認・宣言だった言うべきでしょう。
この時点で、世界最先端の基本法典を作っていたし、もともとの国民意識の確認条文ですから、法律どおりみんなで実践していたことになります。
こんな当たり前の確認条文が第1条に必要になったのは、当時の西洋文明では差別が当たり前だったから「日本は違うよ!」と明らかにする必要があったのかも知れません。
南北戦争を有利に展開する目的で奴隷解放宣言しただけでは、奴隷制度に慣れ切ったアメリカ人の意識がついて行かないので、実際には直ぐに対等にはならず、100年単位の時間がかかって黒人の権利が徐々に引き上げられて来た国とは違います。
(日本社会は法律制度を考える以前の古代から、万物対等の世界観の民族です・・「やれ打つなハエが手をする足をする」という一茶だったかの句がありますが、ハエ1つ叩くのでさえむやみに殺生するのが憚られる社会・・これが名句として人口に膾炙しているということは、この意識を支持する人が多いということです)
我が家の狭い庭に夏から咲いているサルビアを引き抜いて早く冬〜春用のビオラに植え替えたいのですが、あまりにも元気にサルビアが咲いているので、可哀想で引き抜けないで1日1日引き抜くのを先送りしている状態です。
私一人ではなく、日本人には万物の生命をいとおしく思って生きている人が多いでしょう。

万物共生3(器物損壊罪から動物愛護法へ1)

月1回程度のペースで東京地裁での午前中の弁論等の機会に、歌舞伎公演その他各種観劇等を妻とともに楽しんでいることを、このコラムで紹介したことがあります。
坂東三津五郎主演2012年10月に国立劇場(今は歌舞伎座が新築工事中です)で観た「塩原多助一代記」(初代三遊亭圓朝が創作した落語・人情噺。明治11年(1878年)の作・実在の塩原太助をモデルにした立身出世物語)を紹介しておきましょう。
「あおの別れ」の場面では、可愛がっていた愛馬「あお」との別れの場面が描かれますが、その何場面か後の最後で「あお」が殺されたと聞いて太助がおいおいと大泣きする場面があります。
親友が殺された情報よりも、愛馬が殺された情報に感極まる設定自体、期せずして我が国の動物に対する心情・・人間と動物を分け隔てしない心情が良く表されていると思います。
この場面が見せ場ということは、観客である日本人の多くがそう言う心情を共有しているということでしょう。
平家滅亡の始まりである以仁王の挙兵に連なる源三位頼政の挙兵の端緒は、息子の愛馬に関する平家の公達との確執が始まりでした。
(物語ですから事実かどうか分りませんが、この部分が国民の共感を呼ぶから千年単位で語り継がれて来たのでしょう)
戦時中の食糧不足で動物園の象が衰弱して死んで行く様子が繰り返し痛恨事として報道されています。
最近の原発事故による避難命令によって家畜を連れて行けなかった人たちが、一時帰宅が許されると、マッ先に涙ながらにやせ衰えた牛の餌を配って歩く姿が報道されていましたが、肉牛用であろうとも一緒にいる限り自分の子供に対するような愛情で接しているのが日本では普通です。
類人猿やオランウータン等の高等動物の研究で日本の研究水準が世界で群を抜いているのは、元々相手を自分と同格者として共生して行く基本思想があるから理解しあえるのではないでしょうか。
西洋では何の根拠か知りませんが、人間を万物の霊長として(何事も他者との差別化が基本の社会です)それ以外は物体(石ころ)扱いです。
民法のコラムで紹介したことがありますが、ローマ法に起源のある現在の法律では、人以外はすべて「物」と定義されています。
ここで項目だけ、その配列を紹介しておきます。
民法
(明治二十九年四月二十七日法律第八十九号)

 第二章 人
   第一節 権利能力(第三条)
   第二節 行為能力(第四条―第二十一条)
   第三節 住所(第二十二条―第二十四条)
   第四節 不在者の財産の管理及び失踪の宣告(第二十五条―第三十二条)
   第五節 同時死亡の推定(第三十二条の二)
  第三章 法人(第三十三条―第八十四条)
  第四章 物(第八十五条―第八十九条)

上記のように西洋法の体系では、先ず権利主体になり得るのは人だけであり(死亡により人ではなくなります)、これには自然人と法人の2種類が規定されています。
そして、人が利用し支配する客体としての「物」が規定されているのですが、上記のように人以外はすべて「物」として定義されていますので、すべての生物・・動物も石ころ同様の「物」です。
西洋から伝来した近代法では、犬を殺しても従来(動物愛護法等が出来るまでは)は器物損壊(不良が校舎の腰板を蹴飛ばしたのと同じように・・)になるだけでした。
器物損壊罪は他人の物を壊したときだけですので、自分の飼っている犬・猫を殺しても犯罪にはなりません。
その上、近所の犬や猫等を殺しても、その買い主からの告訴がない限り処罰出来ませんでした。(親告罪)

刑法
(明治四十年四月二十四日法律第四十五号)

(器物損壊等)
第二百六十一条  前三条(公文書等の場合・・・イナガキ注)に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
(自己の物の損壊等)
第二百六十二条  自己の物であっても、差押えを受け、物権を負担し、又は賃貸したものを損壊し、又は傷害したときは、前三条の例による。
(親告罪)
第二百六十四条  第二百五十九条、第二百六十一条及び前条の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。

万物共生1と多神教

少数者への配慮・少数意見の尊重とは、政権獲得政党が支持母体の権益追及をすることを前提にした上で、戦いに勝ちさえすれば負けた方に対してどんなむごいことをしても良いという日本以外の世界中で普遍的であった思想が修正されて来たことを表しています。
日本では古来から敗者に対する礼儀を欠かさない社会でした。
菅原道真の怨霊に対する恐れ・・足利氏が敵対して来た後醍醐帝を祭るために建てた天竜寺など枚挙にイトマがありません。
菅原氏の怨霊思想は文字資料としての始まりに過ぎず、文字以前のもっと古代・・神話時代から、被征服王朝である各地の神々を祭る仕組みがあります。
この事実自体は神話による当てにならない伝承ではなく、(比叡山の麓の日枝神社に行くと)実際にあちこちの地方の神様が祭られている事実で証明されます。
この精神が多神教(今風に言えば言論を封殺しては行けない精神風土が文字社会以前から宗教のように存在していますし、西洋の言論の自由・・弾圧が行けないと言い出すよりも何千年も早いのです))・佛教が入って来ると仲良く神仏習合して行った・・他宗教を排斥する思想と無縁になった原因であり結果でもあるでしょう。
この精神があってこそ、外国から変わったものが入ると直ぐに取り入れてしまう風土にも繋がっています。
取り入れ方も旧来のもの100%廃棄してしまうのではなく、日本在来のものに外国の良いところを取り入れて発展させる工夫がし易いのも神仏習合の精神と同じです。
どんなものでも少しは良い所があることから、部分的取り入れに便利です。
この点朝鮮族のように外国の方法がいいとなれば(農産物解放やIMF体制が良いとなれば直ぐに全面的に乗ってしまうなど変化が激しくなります)全面入れ替えする社会です軋轢が多くて大変です。
我が国の場合部分取り入れ・・遠近法がよいとなれば日本画に一部取り入れるなど発展が微温的・緩慢(マスコミは時流に遅れる、遅れると批判しますが・・)ですが、社会の進展としては無理がありません。
異なった意見を受容して行く日本精神からすると、日蓮の他宗教排撃の思想はどうもしっくりしないので、邪教として弾圧を受けることになったし、後に入って来た他宗排撃のキリスト教も同じ目にあったのです。
(スペインの植民地にする領土野心があったことが、政治的には大きな眼目ですが、これに付加して内容的にも寛容を旨とする日本精神に合わなかったので、自然に下火になって行ったし、何の弾圧もないどころか米英思想の支配的な維新以降今に至るまででも殆ど広がらない根拠です)
話が変わりますが、第二次政界大戦直前に何故アメリカが日本イジメに精出していたかと言うと、アジア赴任の宣教師の報告が大きな役割を果たしていたと言われます。
中国ではある程度キリスト教の布教に成功していたことは、太平天国の乱その他で周知のとおりですが、
日本人に対しては、上記のとおり一神教の教義は本質的に無理があって、どうにもならなかったことは現在に至る結果で明らかですが、宣教師達の成績不良の言い訳として日本人は如何に宗教心がなくひいては道義に劣るかを定期報告の度に一生懸命に書き連ねていたと言うことです。
(西洋では信仰心がないのは道徳心がないし野蛮人という意味ですし、敬虔なカトリック教徒◯◯教徒と言うときには、一般的に人格の褒め言葉になっています。)
宗教心がまるでない酷い人種だと言うことから、どんな酷いことでもやりかねないと言う誹謗中傷を(これが当地派遣宣教師の決まった報告方式になっていたとも言われます)繰り返している内に、日本人はどんなに野蛮なことをしているかというあることないことのでっち上げ虚偽報告が必要になって来て、まことしやかにせっせと本国へ送っていたらしいのです。
(現在中国地方政府は、成績が下がると困るので、前年比何%増の成長報告を中央へ送り続けるので同国の成長率がまるで当てにならなくなっているのと同じです)
虚偽報告が繰り返されるうちに何か事例をでっち上げるなどエスカレートするのが普通です。
その内に南京で多くの中国人が虐殺されていると言うでっち上げ報告になっていたらしく、これがアメリカ本国での「日本人は酷い」「中国人が可哀想だ」というコンセンサスが形作られるのに大きな影響があったらしいのです。
実際にはアメリカ自身最後の市場である中国から、「日本を何とか追い出したい」という基本姿勢があったから、そう言う報告が増えた面があるでしょう。
我が国でも、比叡山を焼き討ちした信長が、如何に冷酷無比な性格であるのように末永く言い伝えられている(実際にそうとは限らないのですが・・・坊主の言い伝えしか残らないのです)のと同じで、坊主を敵に回すとその悪口は怖いものです。
実際に同じ宣教師から本国の家族への近況報告の手紙等(これは実際を表現しているでしょう・・出世するために虚偽報告の必要がないので)では身近に日本人の悪行・・大虐殺等を見たという衝撃的なことについて触れたものは皆無ということです。
古代から、訳もなく犬一匹殺すのさえためらう日本人が、何の理由もなく大量に虐殺するなど考え難いのですが・・・。
事実を知るために個々人の私信を調査している日本人もいるのです。
幕府によるキリスト教弾圧に関しては、平等を主張するキリスト教が身分差別を前提とする幕藩体制に合わなかったから弾圧を受けたと言う虚偽の主張が私の頃には学校で教えられて来ました・・今でもそうかな?
しかし当時のキリスト教社会自身、日本以上に強固な身分社会でしたから、(織豊から徳川初期には強固な身分階層が決まっていませんでした・・武士と農民は相互乗り入れ可能だったから、刀狩りが行われたのです・・西洋では農民は農奴的身分でしたから、武器さえ持てば騎士の仲間入り出来る社会ではありません、)そんな学校の教えは全く史実にあっていません。

信義を守る世界3(ロビー活動と正義1)

バブル崩壊に対する智恵の浅い経済学者による処方箋どおりに政策運営しない日本の金融政策に対して非難轟々でしたが、アメリカや欧州で実際にバブル崩壊が起きてみると20年以上も前の日本の対応が結局一番良かったことが分って来ています。
経済学者等ちょっとした秀才の考える底の浅い能力は、古来から鍛え抜かれた日本の智恵に遠く及ばないことが実証されてきました。
(欧州危機に際してIMF型秀才の発案はアジア危機で失敗だったことが実証されて、今回はむやみに緊縮を求めない方向に推移しています)
日本は明治維新までは「信義を重んじれば最後の勝者になれる」という価値観で来たのですが、あまりにも欧米諸国が野蛮でしかも武力を持っている(アメリカ黒人奴隷の実態やアヘン戦争には日本人は心底驚きました)ので、相手の非違行為を許してしてやるだけでは、こちらが奴隷にされてしまいかねない時代であったことから、自衛のために富国強兵に邁進せざるを得なかったに過ぎません。
日本一国では獰猛な欧米に対抗し切れないので朝鮮にも協力を求めたのですが、李氏朝鮮は今の北朝鮮の将軍様同様で自分の地位さえ保障してくれれば、清朝への服属のママで良い・・清朝が駄目になればロシアへの従属で良しとしていました。
(これが西南の役の切っ掛けとなった征韓論の伏線です)
欧米の植民地支配は現地有力者を温存して間接統治するのが伝統的手法でしたから、(アラブの王様などを擁立したのも同じやり方です)朝鮮王族及び政府高官にとっては清朝に服属しているのも欧米列強の支配下に入るのも同じことですから、これで良いと言う姿勢でした。
我が国以外では、(日本人には理解し難いことですが・・・)為政者は国民・・将来の国家のためにどうかの視点よりは、自己保身が主目的で生きています。
我が国では天皇家に始まり下は企業経営者に至るまで、自分の保身どころか自分の命を犠牲にしてでも、一家や一族あるいは部下を守る行動基準の社会構造ですが、他所は違います。
例えば落城に際して城主が責任をとって腹を切る代わりに、城兵の命を助けてもらうなどは、日本では普通の価値基準です。
だからこそリストラが必要になっても、最後の最後まで決断出来ないし、イザとなっても配置転換を基本にしていて簡単に社員の首を切れません。
関ヶ原で負けた毛利や上杉家で領地・収入が大幅減になっても家臣がついて来たので収入に比べて大量の家臣を抱えて苦労した例でも分るでしょう。
ところで、国民がどうなろうとも国家がどうなろうとも、自己保身が第一である点は専制君主制か民主制かあるいは中国のような共産党独裁かによっては変わりません。
民主主義国家の本家であるアメリカ大統領もこの点は変わりません・・。
長期的に見て国家がどうなるかよりも自分が当選すること・自己保身(このために巨額の資金が必要ですが、この出し手に応援してもらうことが国家のためになるかどうかは二の次です)が先ず第1の関心であることは同じです。
民主主義政体と売国奴的為政者・あるいは中国のような賄賂政治の出現とは何の関連もありません。
だからこそ中国や韓国は、巨額資金を投じてアメリカでのロビー活動に邁進しているのです。
日本人の場合、そんな心理は全く理解出来ないし、そんな不当なことまでしたくないという意識が強いので、アメリカでのロビー活動資金を政府が出す方向にはなりません。
誠実にやっていれば理解してくれるだろう式の行動パターンで戦前も戦後も痛い目に遭いながらも現在も踏襲しています。
戦中戦後で言えば、援蒋ルートなどアメリカの応援を引き出した蒋介石の奥さんが美人だったし有名です。
日本人の価値観から言えば不正なロビー活動の御陰で日本は戦前戦後を通じてアメリカ政府の覚えが目出たくないという意味では、ものすごく割を食ってきました。
数年前には根拠のないトヨタ叩きにイキナリ火がつきましたが、これは韓国のロビー活動によったものだという噂がもっぱらです。
(単なる噂であって嫌韓派によるデマかも知れません・・この種のことは、刑事事件にでもならない限り誰も真実を知ることが出来ません・・だからこそやり得になるのでしょう。)
結局インチキな被害情報だったことが分りましたが、実際に被害を受けていないのに名乗り出ることなど慰安婦問題とそっくりの構図です・・。
しかし、今回は対象が客観的な車の性能に関するものなので、被害情報は虚偽であったことは一定期間でバレてしまいましたが・・・バレることは計算済みだったでしょう。
バレてもこの間に韓国製車の売上を伸ばす・・一旦顧客を奪ってしまえば有利・・トヨタに対するクレームがインチキだったと分っても分るまでの間に一旦購入してしまった客は3〜5年以上は乗るしかないので、その間に整備その他継続的ないろんなサービスで自分の客にしてしまえる大きなメリットがあります。
それに騙された客の心理として「自分はデマにオドロされた」と思いたくない・・「やっぱり韓国車の方が良い」と言い張りたい人が何割か増えるメリットもあります。

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