アベノミクスとは?1(物価目標1)

最近の円安現象がアベノミクスとは何の関係もないことが分りましたが、そこで、いよいよアベノミクスの功罪と言うか、その意味するところを考えてみましょう。
アベノミクスの第1の矢は金融の大胆緩和によるデフレ脱却論ですが、金融緩和によるデフレ脱却は可能でしょうか?
国際平準(グローバル経済)化が始まった以上は、一国だけが国内金利や紙幣の量的緩和をしてもインフレにはならないことをこれまで繰り返し書いてきました。
供給が一定のところで紙幣を増発すれば物価は増発分に比例しますが、今は中国その他から日本で高く売れるとなればいくらでも安値で入って来るので日本国内だけで値上げすることは出来ません。
工業製品はいくらでも増産出来るので売れるとなれば増産するだけであって1昨年からテレビでも車でも2倍近く売れたエコカー等の補助金下でも値上がりはしませんでした。
実際アメリカでも、金融緩和どころか量的緩和、更には住宅ローン債権の引き受けさえしていますが、インフレになっていません。
先進国=元は工業製品輸出国から、新興国や現地での生産が増えたことによって先進国の国内生産能力は輸出減になった分生産設備過剰状態になっています。
先進国では国内需要以上に供給力があるのが問題ですから、1割や2割需要が増えても廃棄予定の休止設備稼働やフル稼働で間に合います。
(仮に増産が間に合わなければ競争関係になっている新興国から輸入が増えます)
金利がいくら下がってもあるいは紙幣をじゃぶじゃぶ発行しても、企業はこれ以上国内投資しないで内部留保を厚くするかその資金を利用して成長力のある海外に投資するばかりです。
国内投資意欲は紙幣をじゃぶじゃぶ発行するかどうかに関係がありません。
長期的に円安のトレンドがあって、しかも設備が不足すれば(実際には多くの企業が過剰設備を抱えているので1〜2割程度の需要増では稼働率が上がる程度ですが・・・)1〜2割増産投資するので・・そのときには投資資金として紙幣の供給・金融緩和が必要でしょう。
ただし、日本では設備だけではなく、資金も余剰状態で企業は使い道のない資金で国債等を買っているので、設備投資→直ぐに他所から資金を調達する必要があるとは限りません。
資金不足の企業が投資したいときでも、円安も1〜2年程度で元の円高に戻る見通しであれば、銀行がいくらお金を貸しますと言っても借りてまで増産投資しないし、企業内余剰資金があるばあいも国内投資しないで海外投資する方向になります。
国内雇用情勢もこのトレンド次第と言えるでしょう。
国内需要自体は人口減に合わせて低下するしかない(電気自動車の購入比率が5割増えても人口が1割減って行けば、人口が同じ場合よりは消費量が縮小するという意味で書いています)のですが、仮に円安になって海外輸出品を国内で増産出来れば、そのために国内で物流が活発になるし、生産資材の需要が上向く・・ひいては雇用も増えるので、タクシー利用、飲食店その他内需が拡大されます。
円安になってこれまでの3割増の増産しても海外に売れるとなれば増産するでしょうが、新規投資の場合、工場用地取得〜新設投資→工事が終わって稼働し始めたころに、元の円高に戻る予想のときには、円安になっても増産投資はしないで、現状設備で間に合う程度の増産で凌ぐことになります。
ですから、5〜10年単位の円安が続く予想が立たないと、国内増産用投資資金は不要です。
2%のインフレ目標=物価も同様で、競争国の物価が低ければ安い製品が入って来るので国内だけで物価を上げようとしても(国内で違法?カルテルを奨励しても)どうにもなりません。
前近代の閉鎖社会(値上がりしても直ぐに輸入品が増えない)・増産不可能な自然状態に頼る時代での経済理論は、(資源その他第一次産業ではまだあるていど妥当していますが・・)先進国では最早通用しなくなっていることを繰り返し書いてきました。
太陽光発電の例で分るように鉄鋼製品もその他日用品も、中国等から国産より安ければドンドン入ってきますから、国内だけ高くする訳には行きません。
金融政策で物価目標何%(を実現する?)という学者がいるらしく、白川総裁を事実上更迭して日銀総裁や副総裁に就任しましたが、(私の素人判断では)金融政策だけで今時そんなことが出来るのか理解不能です。
安倍政権やその取り巻きがスケープゴートを作って歴代政権との違いをアッピールするために利用しているのではないでしょうか?
レーガのミクスのときもそうでしたが、政治というのは国民や相手をうまくたぶらかした方が勝ちとも言いますので、それはそれで良いのですが・・。
たぶらかしは、たぶらかしであって、実態との違いがいつか露呈しますので、バブル崩壊同様に長期的には国民に不幸をもたらします。

アベノミクスと円安効果?1

2013年3月3日〜5日に見たように為替相場・・円下落は経済苦境打開の一助・ほっと一息つくゆとりを与えてくれる一助にはなるものの、大きく負けている業界にとっては直ちにはあまり意味がないことが分ります。
為替相場に頼って円安を喜んで安易に喝采を叫んでいる人は、言わば臨時の下駄を履かせてくれたのを喜んでいる状態ですから、こう言う人が多いと日本の将来が危険です。
そこで所謂アベノミクスがどのような効果があるのかについてこの際に見ておきましょう。
今回(2月22日)の安倍総理の訪米・首脳会談の結果、懸案のTPP参加交渉が前向きに進みそうです。
January 7, 2013前後のコラムで、TPPに参加しない限りアメリカ(オバマ)は尖閣諸島問題で良い顔をしないだろうと書いていましたが、さすがに安倍氏はここで決断したようです。
前回総理になったときに比べると、先送りしない決断を含めて今回の安倍氏の政治判断がなかなか大人になったと思いますし、交渉能力が格段に上達していて安心・安定感があります。
アベノミクスの内容がはっきりしませんが、(私が理解出来ないだけかも?)現在の円安はアベノミクスの結果でもアナウンスの結果でもなく、大震災以降の経済ファンダメンタルズ変化・・日本が本当に弱って来た効果が約2年経過で出るべくして出て来たものです。
負け組に入れば、為替相場が下がるのは理の当然(相撲でも負け越せば番付が下がり対戦相手も低レベルになって楽出来ますし、企業も負け越してくれば株価が下がります)で、何も目出たいことではありませんが、その代わりハンデイを貰える得な役回りもあります。
市場経済下では、商品値段も競争力低下に合わせて下げるしかないので下がって行くのが普通です。
しかし売値だけ他所より安くしないと売れなくなっても、仕入れ値が同じままでは企業がジリ貧になって最後に倒産します。
国家も円安=同じ製品が安くしないと売れなくなったということですが、仕入値は従来と同じどころか円が安くなった分高くなるので国際収支で見ると実は大変な結果が待っています。
これが1企業の収支に直結せずに約半年間程度のタイムラグで輸出企業が儲かって輸入企業が損する関係ですから分り難くなっているだけです。
仮に円が2割安になると輸出する鉄鋼製品が同じコストで、2割安くしても採算が取れるので競争力が増しますが、半年ほどすると輸入鉄鉱石や燃料代が2割上がって入って来るので、為替変動効果はトントンになります。
(人件費上昇はもっと遅れるのでその間の利益があるのと実際には2割そっくり上がらない分だけ得する・・労働分配率の引き下げによる効果があるだけですから、円安効果は人件費引き下げ効果を期待していること・・円高は人件費の実質増加になることについてもこれまで何回も書いてきました。)
輸入物価値上がりによる競争力低下によって、この半年の間に更に円が2割下がれ(このように円高や円安は一旦始まるとスパイラル的現象が起きることを既に書きました)ば、同じことの繰り返しになるので半年間だけのメリットではありません。
為替相場は経済現象の結果生じるものであって政治によるものではないので、経済危機が周辺から迫っているドイツを中心とする通貨安競争批判(モロに影響を受ける韓国更には中国は必死にロビー活動していたようですが・・)は実態に反しています。
年末からの円安トレンドは安倍政権の成果あるいはアナウンス効果でもないのに、支持者が政権交代直前から始まった円安の始まりを安倍政権の意欲の結果だと賛美し続けたし、政権幹部が不用意に口走るから、国益に反した世界世論が形成されるリスクが生じかけたのです。
G20ではうまく切り抜けましたが・・・麻生副総理の功績というよりは、国内向けに嘘を報じているからややこしくなりかけただけです。

円安期待論の誤り1

国の経済が危機状態あるいは低下傾向になったときに海外の評価が下がって円が下がるのですから、国力低下や危機を期待するなんてことは合理的に考えれば余程挽回する能力のある勇気のある人しか出来ない筈です。
政治家が本気にこれと言った挽回策もなしに、単に円安になる・・国力低下→評価が下がるのを期待しているとしたならば、日本のために働く政治家や学者とは言えません。
ただし、円相場が実力以上に急激に上がり過ぎているならば、実力に合わせた円相場に戻るべきだという意見は別にあり得ます。
例えば、10ポイント上がるのが適正なときに勢いで20〜30ポイントも上がってしまったときのことですが、論者の適正意見論が正しいならば、本当は放っておけば一定期間経過で適正なところに落ち着く筈です。
我が国の円相場で言えば、日本は上がり過ぎた円によって競争上不利になっても、まだまだ貿易黒字でしたから、実はまだ上がり過ぎではなかったことになります。
タマタマ東北大震災の結果、被災による輸出減と原燃料の大幅輸入増によって大幅赤字に転落してしまい、昨年末から円高の修正局面・・円安に振れ始めたのは、我が国にとって結果的に僥倖だったと言う意見を2013/02/25「原発事故と円安(天佑)1」以下で書きました。
要するに実力以上に相場が上がったり下がったりすれば、市場が修正して行く・・これが変動相場制の妙味です。
逆から言えば、政治が介入してどの辺が適正相場だと決めつけて、相場を上げ下げ出来るものではありません。
米将軍と揶揄された吉宗が苦労した所以です。
市場の結果を待たずに円安を期待する論者は、相撲で言えば関脇や小結から早く落っこちて幕尻になれば対戦相手が弱くなって楽だから早く落としてくれというファン(そんなファンがいるかな?)のようです。
こう言う政治家やこれを主張するエコノミストは、日本が弱くなるのを期待するのと同じですから、日本から出て行って敵性国家である韓国や中国の政治家になってもらうのが合理的です。
企業で言えば、危機バネを期待して自社株の大幅下落を期待する経営者や株主がいるでしょうか?と言う理屈を書いています。
円高で売れないと泣き言を言って円安期待している経済人に限って、逆にそうした根性も踏ん張り能力もない・・安きにつきたい人の方が多いので却って危険です。
日本の復興には、円安期待を唱える軟弱な企業人を相手にしないで、逆転バネを活かすに足る根性のある企業人が努力出来るように環境整備して行く政治・・規制緩和や国際競争し易い環境整備が求められています。
理屈はともかく国際収支の大幅赤字定着傾向によって円安になってしまったことは現実ですから、勤勉な日本人がこの円安で競争上有利になったチャンスに安住することなく、刻苦勉励して競争力を取り戻してくれることを期待してやみません。
円安は、世間が囃しているようなチャンス(好機)ではなく危機状態の現れである・・・しかし、危機こそチャンスであると肝に銘じて・・多くの日本人は頑張るでしょう。
私は仕事柄、絶対的な危機に陥った企業相談に乗るのを結構楽しみにしています。
従来的思考の延長で見れば危機そのものですが、この危機を私のような変わった判断基準で別の角度から見れば大きなチャンスが待っていることが多いものです。
このままで行けば倒産するしかない状態が目前に迫っていれば失敗して元々ですから、これまでやりたくても怖くて出来なかったような思い切った手を打っても損がありません。
これがピンチに陥った日産や日立その他多くの日本企業が劇的に復活出来た原理です。

TPP18(言語共通化1)

日本に本社機能が集中するようになれば、本社に用のある外国人が多く来て住み着くことがあるでしょうし、日本語修得者も増えます。
東京が彼を吸収することによってコスモポリタン化しますが、その場合は、日本文化を核にしたコスモポリタン化であって民族の個性を失うことはありません。
(後記のように社内公用語を英語にして行っても、本社が日本にあって日本語をベースにして公用語だけ英語にするのと本社がアメリカにあって英語が公用語になるのとでは基礎が違ってきます。)
アメリカに本社機能が移って行くと固有の言語(日本語は今の東北方言みたいな扱いになって行くでしょう)からして失うようにならざるを得ないでしょうから、民族固有の文化は大幅に毀損されます。
固有文化維持の視点から言えば、固有言語を維持出来るか否かはかなり重要ですが、この辺はTPP加入の有無にかかわらず、市場一体化が進む以上は、国際共通言語化して行くしかない趨勢自体を否定出来ません。
会計基準や金融取引・税制基準が国際共通化せざるを得ないのと同じ問題です。
EUのように陸続きの国では、国境を通過する都度交通法規が違ったり貨幣が違うのでは不便ですから、いろんな分野で共通化したくなる気持ちが分ります。
日本企業が国内だけで完結出来るならば良いですが、製造業に限らずコンビニなどサービス業を含めて殆どの大手は海外進出するしかなくなっています。
多くの外国人を現地雇用をして行くしかない以上は、本社が日本にあっても社内公用語を世界的に共通化しつつある英語にして行かないと意思疎通や効率化の面で支障が生じてきます。
個々人も雇用の流動化が進み、転職のために別の国際企業への再就職するには、最低英語くらいは話せないと国際展開している大手企業への転職がおぼつかなくなりますので、英語会話能力・英語文献・データを素早く読み込む能力を身につける必要性が高まるでしょう。
言語共通化問題は、TPP参加とは関係のない現象であって、あらがい切れない流れと言うべきです。
日本列島が明治以降に統一国家になって次第に各地方言が廃れて行ったのと同じ流れですが、各地の方言の場合文法的に根っこは同じでしたし元になる気候風土も基本は同じでした。
日本語を英語に切り替えて行くと基礎になる気候風土も違うし、文法からしてまるで違う・・質的に違う点が固有文化・思考形式にどのような影響を及ぼすのかが心配です。
会社や役所では洋服・・自宅に帰ると着物に着替える習慣が明治以降長年続きましたが、高度成長期以降昭和50年代までに次第に廃れました。
(この結果紬などを着る人が減ってしまったでしょう)
会社が洋風のビルでも自宅では座敷生活だったのですが、自宅も洋風・・椅子テーブル生活に切り替わる時期でもありました。
昭和50年代中頃以降、宴会もどちらかと言うと座敷が減って立食形式のパーテイに変わって行った時期に合うように思います。
私が弁護士になった頃に、ボス弁護士に連れられて行ったのは和風料亭で、呼ばれた芸者さんの三味線など合わせて小唄・甚句などを楽しむ・今から考えれば江戸時代的スタイルが残っている時期でした。
平行して所謂キャバレーやクラブに連れられて行くこともありましたが、まだ和風の楽しみ方が残っている和洋混交時代が、昭和40年代から50年代半ばころの姿でした。
話題が少し変わりますが、TPP参加国の内シンガポールは、ほぼ純粋な商業都市国家ですから、自国内の僅かな製造業保護よりはアメリカ市場が国内同様になれば、まさに10km四方の国が500km四方の国と合併するようなもので、商人としては市場が広がるメリットだけを考えていることになります。
シンガポールは、2013/03/10「TPPと主権4(商人の立場1)」前後で書いた発想によっているのでしょうが、地域統合本社程度の設置が期待出来ても本当の本社はアメリカに持って行かれるリスクがある点は、製造業系企業とそれほどは変わりません。
日本で言えば、東北各地の県庁所在地よりは仙台の方が有利という程度の利点をシンガポールが狙っているのでしょうか。
世界企業の本社が我が国にすでに一杯あるのに、市場一体化によってアメリカに本社や生産機能を持って行かれるリスク・・ひいては独自の文化が縮小衰退して行くリスクのある日本とは、元々志の大きさ・リスク意識が違うことになります。
守るべき固有の言語・文化もないと言えば失礼かな・・ 文化濃度の薄さに比例して身軽ですから、変化の激しい時代には何にでも簡単に変身出来るメリットがあります。

個性と成長2(開国の意義1)

鎖国とは一切の交流を塞ぐのではなく政府や特定商人だけに窓口を開くものですが、幅広い国民同士の全般的な交流に広く開かないと、民族間の細かなヒダの違いまでは分りません。
世界中と庶民に至るまで幅広く交際して世界の進運に乗り遅れないためには、開国・幅広い交際が必要であったことは、今から考えても間違いではなかったでしょう。
以前にも紹介しましたが、もう一度明治憲法前文の一部を紹介しておきましょう。

明治憲法
告文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆・・省略

上記のとおり、開国の必要性について明治憲法でも「・・顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ・・」と明記されています。
明治維新当時の西洋列強のあくどい戦略や、今の中韓のやり方があくどいからと言って交際しないのは間違いです。
弁護士の場合、いろんな悪い事例を事件を通じて知っているので、防衛策を助言出来るのですが、そのことと弁護士自身が悪いことをしたり悪い方法を教える必要がないのと同じです。
日本人は中国人や韓国人の悪辣な手法を理解して真似るのではなく、あるいはユダヤ資本のやり口を知っていても、あるいは経営者の巨額報酬の取り方をそのまま身につける必要がありません。
日本の経営者・政治家は、これらを知った上で日本流の正しいやり方で、したたかに対応する能力を身に付ければ良いのです。
数年前にアメリカで謂われなきトヨタタ叩きがありましたが、トヨタはこれに正面から反論したり、虚偽申告していた人を刑事告訴・民事賠償請求すらしていません。
(レーダー照射事件も毒餃子事件に対する反応でも同じですが、韓国や中国の場合アメリカ流に先ずそんなことはないと反撃していたでしょう)
ソフトな日本流やり方が、今ではアメリカでの信頼獲得に貢献しているようです。
アヘン戦争という大義のない戦争・占領に驚いた我が国では、野蛮で、猛獣のような西洋列強を批判しても相手には道義心がないのですから意味がありませんでした。
幕末攘夷論・・ひいてはこれに連なる現在右翼のTPP反対論は「こんな悪い輩とは一切付き合わない」という分り良い意見ですが、それでは世界情勢・科学技術の進運に取り残されてしまったでしょう。
明治政府以降現在に至る開国方針は、正しかったと思います。
開国を決めた明治政府は先ずは自衛力の向上に力を入れると共に列強の気風を学んで、これを取り入れて行く必要性を理解していたものの、どの分野でどの程度受入れて行くかのサジ加減は、本当に難しいところでした。

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