民意に基づく政治1

June 6, 2013「モラール破壊11(根っからの民主政体の国・日本)」や2013/07/03「反日教育3(親日意識2)」で少し書き始めていたテーマに戻ります。
ボトムアップ政治に慣れていない国・・庶民が家畜のように何千年単位で扱われて来た社会では、庶民が政治に参加した経験・能力がないのでイキナリ民意に基づく政治と言い出しても民主主義的政治運営が難しいのが当然です。
小学生や中学生が親に反発して家を飛び出してもうまく行かないのと同じです。
この場合、もがいているうちに不良になってしまう・・国で言えばテロ国家になって収拾のつかなくなる例・・もいますが、大方は周りが面倒見たりしているうちに一定年数で大人になって行くので何とかなりますが、民族としての経験不足の場合、5年や10年でどうなるものではありません。
韓国や中国は、この苦しみの最中なので政権維持のために対外的に(言い易い日本相手に)無茶苦茶を主張しているしかない状態であると理解出来ます。
自由恋愛も同様ですが、身分その他の格式に縛られた結婚形式の殻を破って自由な恋愛をしたい自由人が増えて来て、我が国では花街を舞台にした(義理人情の板挟み・近松の浄瑠璃がそもそもこの種のテーマでしたし、しかも庶民が対象・・・、シェークスピアも王侯貴族が主人公ですからかなり早い展開です)歌舞伎のテーマになり、西欧では近代文学の大テーマになりました。
しかし、実際に自由に恋愛出来るほどの主体的人格を確立出来る人は滅多にいないのが現実です。
親や周囲が紹介する仕組み・・お見合い結婚がなくなって、「自由恋愛でどうぞ」と言われてもその能力のない人が大多数です。
夢のような恋愛結婚をしたいと夢見る人が増えると、大多数の女性は現実の結婚に不満を抱くようになります。
その結果、離婚も増えるし晩婚化・独身化が進むと言えるでしょうか?
アラブ諸国では民主化を夢見て騒乱を起こして政権を倒すまでは良いのですが、実際には古代から一方的に命令されるだけで衆議でやって来た経験がない・・運営能力のない民族が殆どですから、自由な意見を言い出したら収拾がつかなくなり、待っているのは混沌しかありません。
何十年か混沌を繰り返して、結果的に強力な指導者待望・・強権的に命令されて動く社会・・独裁政権に戻る民族の方が多いのかも知れません。
これまで中韓両国では専制制の政治しか知らないので、人民には自前の道徳律が身に付かなかったと書いてきました。
自前の道徳律のない社会では、公正な意見を戦わすことは不可能です。
この辺は政治経験の有無という意味でも同じで、ボトムアップ政治の経験のない国としてはアラブや中南米諸国等と共通の問題点かも知れません。
あまりにも抑圧されて来た民族では自分の意見を言えるとなれば、正しい線を乗り越えてその何倍でも言えるだけ言ってみるという声を大にして言うことしか知りません。
これでは単に百家争鳴状態にしかならないので、政治がまとまる訳がありません。
中南米で軍事政権が続いたのは、公正な意見を言う習慣がない・・民族の経験不足によるものでしたし、ロシア革命や中共の一党独裁もこの面から見れば皆同じです。
政治に関して意見を言った経験がないから能力が身に付かなかっただけではなく、元々公正な意見を言う道徳律の低い・・ない社会では、意見を聞いていると我欲を主張するばかりで収拾がつかない・・無理だったから、下々の意見を聞く習慣が生まれなかったのかも知れません。
家庭で言えば、訳の分らない幼児の意見を聞いていろんな生活上の決定をしていられないのと同じです。
民主主義の手本のように言われるフランスでも、市民革命・・政治参加権を有産階級に制限していたにもかかわらず、革命以降ジャコバンの恐怖政治とナポレオン帝政〜第二帝政とその間の混乱の繰り返しでしたし、戦後も20年前後不安定政治の繰り返しでしたが、ド・ゴール将軍の強力な権力(民主的に選ばれた一種の軍政)の下で、所謂第五共和制(結果的に大統領任期の長期化・権限の大幅拡大)になって漸く落ち着いたに過ぎませんでした。
ド・ゴールの登場とフランス政局安定については、10年以上も前の12/10/02「民主主義とは、2」で書きました。
ドイツは鉄血宰相と言われたビスマルクが統治し、第一次世界大戦敗戦後ワイマール憲法によって世界一の民主主義制度を導入し法的には民主化しましたが、結局はまとまらずナチスなど強力な指導者を必要とする社会が続いていました。

国家と国民4(民族意識1)

民族国家意識が世界で持てはやされるようになったのは、ナポレオン戦争時に戦争遂行便宜のために生まれたに過ぎません。
韓国や中国で国外脱出熱が高いのは意識が先に進んでいるのではなく、1周回遅れでまだ民族意識が定着すらしていない結果です。
元々漢民族と周辺諸民族の混交が古代から絶え間なく問題なく進んだのは、民族意識という強固なものが古代から存在しなかったことによります。
バルカン諸国等で民族雑居が進んでいるのも同じで、元々民族単位で争う習慣がないから長い年月の間に混交が進んだのです。
バルカン諸国が今世界中の火種になっているのは、元々民族対抗意識が希薄であったからこそ雑居が進んでいた地域だったのです。
ドイツでユダヤ人がナチス迫害を受けたのは、ドイツが西欧諸国内で一番ユダヤ人迫害の少ない地域・・住み易いからこそ多くのユダヤ人がいたことがマイナス効果を及ぼしたのと同じで、何が幸になるか不幸になるかは前もって分りません。
争うべき利害対立もないのに(同じ地域に混在している限り資源の奪い合いその他地域対立の合理的争点はあり得ません)西欧の民族感情を煽る意識が伝染して意識だけ先行して、民族自決の流行に遅れまいとして喧嘩するための喧嘩をしているような感じです。
民族意識は上記のとおりナポレオンがフランス革命後に介入して来た周辺諸候をはねのけるために徴兵の便宜のために言い出したに過ぎない・・元々排外的意識効果を生み出す元祖みたいなものです。
民族意識が高揚すると周辺国からの侵略を防ぐには効果の高い思想ですが、元々仲良く混在していてその地域の利害を共有している民族同士が内部でいがみ合うために、これを使うのは本末転倒と言うか誤用です。
千年単位で仲良くして来た民族同士が、外敵撃退のためではなく、内紛のために西洋の思想にかぶれて(格好いいと思うのか?)喧嘩する必要がないのです。
多分西欧列強が植民地支配するのに現地の民族対立を煽る方が統治し易い(繰り返し書いて来た離間の策です)ので、世界中に民族意識や宗教意識を植え付けて教育して行ったものと思われます。
ナポレオンの言い出した民族意識にまだ染まっていなかった清朝支配下や李氏朝鮮では、身近に起きたアヘン戦争の結果に対して、政権維持に関する(権威喪失による)危機意識しかなくて、民族としての危機意識が殆どありませんでした。
これに対して、前回書いたように日本では古代から列島防衛のための民族意識が強固に育まれてきましたので、アヘン戦争のあった場所からとおく離れた日本では政権維持よりは民族の危機到来にどう対処するか・・北辺の国土防衛などに対する関心が国民の支配的意識であったこととの大きな違いでした。
民族存亡の危機に対応するために必要となれば政権交代・・維新が起きたし、目的が民族の独立維持でしたから、列強の介入を招く大規模内戦をやりませんでした。
応援を求められると期待していたフランス軍の応援を幕府及び旧幕府軍(彰義隊や榎本武揚あるいは奥羽列藩同盟軍)が頼まなかったのは当然です。
これに対して今の北朝鮮も同じですが、民族の生活水準アップよりは現政権維持が出来るかどうかこそが最大・主要関心事です。
現体制維持のために国民がどんなに苦しもうと関係ないのが北朝鮮政体です。
朝鮮戦争では南北共に外国軍に応援してもらって、双方の外国から来た大軍に自民族を蹂躙させていたのですから、日本では想像もできないバカな話です。
清朝末期では西洋列強に対峙するために必要とした、いわゆる変法自疆運動も清朝支配維持にマイナスとなれば弾圧されてしまいました。
元々異民族支配の長かった中国地域では、他民族の支配下にはいること・・そのときそのときにより強い勢力が支配する・・イギリス支配でも結果は同じですから、それ自体大した問題にはならなかったのは当然です。
香港などはイギリス支配だからと言って住民が逃げ出すのではなく、逆にドンドン人が集まって人口が増える一方だったことを、08/30/05「都市の成り立ち9(異民族支配)」で書いたことがあります。
清朝自体が満州族によるその他民族を支配するものでしたから、西欧列強進出・領土割譲に対して我が国のように民族存亡の危機感などが生じる余地がなかったのです。

限定戦争と原発政策1

相手国内に自国資産・・進出企業の資産などが多くなると相手を空爆しているようでいて、自国企業の資産を空爆することになり兼ねません。
進出企業だけ避けてその周辺をピンポイント空爆してもその企業のサプライチェーンや従業員が被害受けると事業活動が出来ません。
先日千葉の裁判所の近くにあるキ・ボールというところの一階ホールで、千葉の空襲や広島長崎に対する原爆の写真展があったのでみてきましたが、長崎付近には米軍の捕虜収容所があるからどうするかと言う意見に対し、(そんなのを一々気にしていられないということで)直ちに却下して、当初計画どおりに長崎へ投下したと書かれていました。
中世の発想・・王様が国民と関係なく戦争していたように国家間で戦争してもそれぞれの企業活動はそのまま続けたり、政治と経済・民族間憎悪を切り離すなどしない限り・・グローバル化の進んだ現在では波及効果が大きく複雑になり過ぎて、全面戦争をするのは現実的ではなくなります。
例えば尖閣諸島の帰属を争ってお互いの本土で爆弾を落としあうとすれば、双方の被害は尖閣諸島の100〜1000倍以上も発生してしまいます。
こうなると、「国益を守るための戦争」と言う概念は自己矛盾になりますので、そこまでして全面戦争しなければならない意味が何か?となってきます。
欧州が二度の大戦に懲りて戦争しない仕組みづくり・・EU成立になったと言いますが、要はヨーロッパでは国家間の人や企業の移動入り組みが複雑になり過ぎて国単位で喧嘩出来なくなった・・民族単位での争いが意味をなさなくなったことによります。
原爆の場合象徴的ですが、その他の戦争・・通常兵器でも空爆その他近代兵器(第二次世界大戦末期の米軍による焼夷弾攻撃など)になって来ると非戦闘員を巻き込む形になるので、一定エリア内にいる自国民・企業も巻き込むしかありません。
今後の戦争は原爆保有国も安易に原爆を使用出来ない国際道義があって・・全面戦争をすることが不可能になっています。
・・アメリカもベトナム戦争で面倒だから原爆を落とすと言えなかったし、中国も日本に対して尖閣諸島の領有問題で原爆による脅しを使えていません。
原爆による脅しをもしも中国が使えば、直ちに日本が核武装に走ることが目に見えているので、示唆すら出来ない状態です。
日本は核武装を実際にしなくとも、イザとなれば短期間にレーアメタルの代替品を開発したように、いつでも核開発出来る能力を持っていることが、中国等への核抑止力になっているのです。
原発単体での経済面の採算性だけを議論するのではなく、原発やロケット技術の維持は国防上のカードとして必須でしょう・・。
原発自体は廃棄費用・損害賠償まで考えると一定の赤字になるとしても、最先端技術を維持することで技術輸出で儲けられる面があるうえに、他方で核兵器の恒常的保有コストが不要になるメリットも大きいので、これらを総合して結果的に安いかどうかの議論が必要です。
医薬品でも何でもそうですが、研究開発部門だけ見れば100%赤字に決まっています。
クルマでも何でも研究開発の成果を活かして世界展開してどれだけ儲けられるかによって、研究開発費がペイするかどうかが決まるのです。
原発反対運動論には廃棄費用や一定率の損害発生費用・危険性を見込めばそもそも化石燃料等に比べて割高ではないか?と言う意見が多くを占めていますが、その種意見の場合にはこの技術を利用して世界展開して儲けを還元出来る場合にも(その儲け・・多くの人材雇用を生み出しているメリットを含めて)割高かどうかを検証しないと合理的な議論とは言えません。
原発反対運動家が原発が割高だと主張しながら、原発技術の海外輸出批判・・海外展開によるコスト引き下げ努力を批判しているのは、矛盾主張になります。

国家と国民1

韓国の兵士になるならば、家族を連れて日本から出て行ってくれないかという議論が高まるのは必然です。
ここで書いているのは韓国系日本人に対する差別ではなく、韓国籍を持ったまま(だから徴兵問題が起きるのです)の在日に対する処遇意見をどうするかですから、お間違いのないようにして下さい。
在日韓国人は徴兵に応じるかどうか自由に選択出来るのですから、その選択の結果に応じた責任を負うべきかも知れません。
韓国政府による徴兵の実施(・・あるいは任意勧誘であっても)が本当ならば、(あるいは噂でもこうした噂が流布されるようになったことは・・)在日韓国人は日本国籍を取らないで韓国籍のママでいるヌエ的態度をいよいよはっきりさせられる時期が迫って来たのかも知れません。
韓国政府からすれば、在日に対して「本当は(日本と韓国の)どっちが好きなんだ」と迫るための踏み絵に使おうとしているのでしょうか。
韓国政府が自国民だから(対日戦争要員として)兵士に徴用すると言い出せば、形式論としてはそのとおりですが、大変なことになります。
韓国政府の徴兵実施論・・国民である以上当然の義務だという意見は、日本の右翼が(本国・実家が日本を非難しているだけで在日が一緒に日本非難しているとは限らないのに)「日本がそんなに嫌なら在日は韓国へ帰れ」と主張しているのと同じで、考えは単純で分りよいですが、智恵のない話です。
対日戦争用の兵士の留守家族を日本で養っているのでは、日本人が納得出来ないので、いやがらせの自粛どころか日本国籍を持たない在日兵士の妻子・親族の強制送還への動きが強まるでしょう。
在日韓国人は兵役を拒否して日本に忠誠を誓う・・他方韓国では兵役の義務を果たさない以上国民と認めない・・国籍剥奪するか?となります。
日韓対立が激化した場合、在日の微妙な立場を理解して在日韓国人の徴兵義務には手を着けない・・日本人も彼らを苛めないのが大人の智恵ですが、韓国の場合、こうした智恵が働かないで逆に尖鋭化・・日本に対して「苛めるなら苛めてみろ!」と開き直って来る傾向があります。
弟が社会的に成功している兄に向かって無茶苦茶言い募っているうちに逆切れして、自分から預かって貰っている息子を連れて帰るといきり立っているようなものです。
もめ事が起きるような国同士ではその前提として民間人の交流が相互に多くなっているので、いつの時代でもどこの国でもこの種の問題は起きる筈ですが、韓国のように自国民を人質にして逆切れと言うか逆に迫る(可能性のある)国がないので、今までうやむやになっていただけです。
ここで問題にしているのは日本国籍を持たず、且つ韓国の徴兵に応じて帰国してしまった場合の問題ですから、太平洋戦争中の日系人強制収容問題は、米国籍があっても人種によって強制収容したのですから問題点が違います。
ただ中国の場合も仮に日中開戦になれば、自国にいる日本人を官製の暴徒が襲撃する可能性が高いので日本人は急いで引き上げるしかないでしょうから、同じことかも知れません。
結局は、相互に入り組んで自国民が住んでいる場合や企業活動が毛細血管のように入り組んでいる場合に、もめ事を起こすと戦場だけが紛争の場ではなく、その波及効果が複雑化して大変なことになるので、もめ事をなるべく起こさないようにする知恵が働くようになります。
とは言え、もめ事は関係が深いからこそ起きるものですから、ヨーロッパ中世のように王様だけが勝手に戦争していたような仕組み・・発想に戻さない限り、戦争をすると勝者敗者双方にとって毛細血管までずたずたにしてしまった損害・傷痕が大きくなり過ぎて、双方が大損害を受けて、世界での序列が双方共に大幅低下してしまいます。
第一次〜第二次世界大戦後欧州の地位が大幅低下したことがその先例です。
(第一次世界大戦までの欧州での覇権争いは中世のように王様個人の戦争ではなくなったものの英仏7年戦争と言っても本国での戦争をしないで植民地での出先の戦争ばかりでした)
古くは、決着のつかない戦いでは、煬帝の朝鮮半島遠征失敗の結果隋が滅び、モンゴル(元)が日本遠征失敗で滅び、明が秀吉の朝鮮侵攻に応戦して負けた訳ではないものの結果的に滅び、日本も秀吉政権が滅びました。

怵惕惻隠の情1

日本に居着いた韓国・中国人に犯罪が多いとかヤクザ・高利貸し風俗系その他芳しくない仕事についていることが多い故を持って、韓国人や中国人の品性が卑しいとか民族的にレベルが低いなどと断定するのは7月3日に書いたように間違いです。
実家が貧しくて売春するしかない娘を非難するよりは、そうならざるを得ない苦境を理解してやらねばなりません。
移民受け入れ自体の可否の意見は別として、実際に入って来て住んでいる以上は、その弱者を救済するのが人としてあるべき行為です。
(私は01/04/02「外国人労働力の移入1」以来外国人受け入れ論に一貫して反対しています・・最近ではDec 28, 2012「観光立国と生活レベルの低下4」前後で観光立国論にすら反対しています)
移民受入れに反対することと現に来てしまった移住者の負っているハンデイを補填するべき運動が必要・・これがまさに人道的精神の発露です。
ましてや、いたわるどころか移住者の本国との諍いを理由に心細く生きている・・何も反論出来ない弱者を苛めるようなことは論外と言うべきでしょう。
孟子の言う「怵惕(じゅってき)惻隠の心」を大事にしましょう。
「所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有怵惕惻隱之心。非所以内交於孺子之父母也、非所以要譽於郷黨朋友也、非惡其聲而然也」
赤ちゃん(孺子)が井戸に落ちようとすれば(親に取り入ろうとか郷党朋友から良く言われようなどと考えるヒマもなしに)誰でも手を出して救おうとする心を言ったものです。
孟子の性善説の有名な一節ですが、高校時代に漢文で習った孟子のこの一節が思い出されて(そう言えば韓国人が人命救助しようとして大久保駅で死んだ事件があったと思い出して)グーグルで検索してみたら「惻隠の情」に関して以下のような書き下し分と最近の事例を書いている人がいました。
  http://www1.odn.ne.jp/kushida/hk_kwb-j/hk_0401j.html
「人皆な人に忍びざるの心有り。……人皆な人に忍びざるの心有りと謂(い)う所以(ゆえん)は、今、人乍(にわか)に孺子の将(まさ)に井に入らんとするを見れば、皆な怵惕惻隠の心有り。交わりを孺子の父母に内(い)れんとする所以に非ざるなり。誉れを郷党朋友に要(もと)むる所以に非ざるなり。其の声を悪(にく)みて然るに非ざるなり。(『孟子』公孫丑上)」
「2001年1月、韓国人留学生と日本人カメラマンとが、JR大久保駅線路に転落した日本人を助けようとして尊い命を失ったことはまだ記憶に新しい。そして2003年11月、埼玉県在住の中国人(元留学生)が川でおぼれている小学生を助けようとして飛び込み、やはり尊い命を犠牲にした。彼には妻子もいたという。」

惻隠の情には人種も何もない・・ただ本能的に目の前の苦難を救ってやりたいという孟子の言うとおりの行動が人間には備わっているのです。
日本人も中韓政府の暴言や横暴な態度に一々腹が立つのは尤もですが、日本人まで同じレベルに落ちて言い返しているのでは行けません。
異郷にいて心細く生きている人達を非難するのではなく、思いやる気持ちが必要です。
孟子は続けて言います。
「由是觀之、無惻隱之心、非人也、無羞惡之心、非人也、無辭讓之心、非人也、無是非之心、非人也。」
側隠の心のない人は人に非ず也と言います。
自分の不善を羞じ、人の不善を悪(憎)まない人も人でないし、礼儀のない人も人ではないと言います。
孟子(紀元前372年? – 紀元前289年)が昔言ったとおりに性善説をまるまる実行しているのが、今の日本人であり、これが今世界で賞讃されているのです。
中韓両国政府の悪罵に応じて日本人の多くがやり返しているのでは、同じレベルに落ちてしまい、恥ずかしいことになります。
孟子の意見を見ると始皇帝以降の中国人は専制君主制の結果道義レベルが下がりましたが、2千数百年以上前には立派な人が一人いただけではなく・・・これを受入れる多くの人がいたことが分ります。

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