マッカーサーの功罪(天皇制の維持)1

日本人の万物を慈しみ誠実な精神は崇高であって、そもそもこの精神を潰す必要がないとマッカーサーは理解したらしく直ぐに占領政策を軌道修正しました。
初期の神道指令等(アメリカ本国=ルーズベルトの意向そのままだったでしょうから)対神道弾圧政策はかなり厳しいものでしたが、徐々に神道弾圧・規制が緩んで行きます。
進駐した大量の米兵(最大で43万人+軍属)が実地に日本人の善良な国民性に接したことによって、米兵の裾野から日本人理解が進んだことによる影響大きかったと思われます。
本当は米国本土でもそんなことくらいは分っていたのですが、異人種の「日本をやっつけろ!」という強烈な人種差別思想・・政治の力で、そうした意見は押しつぶされて、如何に日本が悪いことをしているかと言う意見・プロパガンダばかりが幅を利かしていたのです。
マスメデイアというのは、一定方向に向かうと世論迎合・それ一色になる傾向があるので怖いものです。
マッカーサーに対する毀誉褒貶は一杯ありますが、彼は占領軍司令官として赴任した以上、日本侵略軍代表としての役割を果たしたことは相違ないので、その限りで日本人が酷い目にあった張本人として日本人から批判を受けるのは当然です。
また彼自身の個人的報復感情によって、敵将であるマレーのトラと言われた山下奉文大将を根拠のない理由で無理矢理に処刑しています。
降伏した将軍を処刑するのは国際法違反ですし、まして軍服の着用すらも許さず惨めな囚人服を着せて出廷させて辱めを与えて(銃殺ではなく)絞首刑にしたのは、単なる殺人罪でしかありませんから、こうした面で批判を受けるのは当然です。
しかし、彼は厚木基地に降り立ってから短期間で日本に軍政を布く布告の発令予定を撤回しているように、(そのときのやり取りでも決して日本人を奴隷化するつもりはないと彼は言い訳していますので、語るにオチルと言うかアメリカでは日本を奴隷化することは既定路線だったのでしょう)それなりに正義感・・真実を見る目が正しかったように思えます。
彼は軍人として日本が宣伝していた「鬼畜米英」の逆バージョンでアメリカ政治家・マスコミによる対日プロパガンダを信じていた・あるいは(個人的報復感情に溺れて)信じようとしていたのはある程度仕方がないことです。
如何に日本人が残虐非道であるかの宣伝に正直に洗脳されてその気(彼はフィリッピンを追われた個人的報復感情が中心だったでしょうから、不純であった点はルーズベルトと同罪ですが、・・)になって、日本に赴任していたこと自体、彼の責任ばかりとは言い切れません。
マッカーサーその他アメリカ関係者の強烈な報復感情を満足させるには、一定限度の高官が民族の代表として犠牲になって宥める必要があった・・結果的に極東軍事裁判が日本に有利に働いた側面も無視出来ません。
言わば、当時日本全体で誰かが犠牲にならなければ収拾がつかない国際状況であったことは否めません。
日本全体で暗黙の合意として、天皇に責任が及ばないようにするという暗黙の了解で、已むなく極東軍事裁判を受け入れたと思われます。
米軍は天皇責任を問わない約束を守ったのに今更軍事裁判が酷いと言われると、逆に日本の方がルール違反と思っているかも知れません。
日本側としては天皇に戦争責任が及ばないようにする・・無茶な抵抗をして日本民族総奴隷化されてしまうリスクを回避するために,アメリカの理不尽な要求もある程度満足させる必要があったことは確かです。
アメリカとしてはその引き換えに生け贄を出したのだから仕方がないだろうという気持ちなのでしょう。
しかし、強盗に命とお金支払約束とどちらを選ぶかと言われて,命惜しさに一定金額を払う約束をしても、後でこの約束は無効・違法を言えるのと同じです。
この取引は、占領下の脅迫によるものですから、2013-11-3「日米平和条約の不存在」に書いたように、日本はいつでも無効宣言出来る法的地位にありますから日本が実質的なルール違反していることにはなりません。
日本は無効宣言まではしないまでも、天皇や民族が奴隷化される代わりに犠牲になった首脳部の人たちに(この意味では祖国を守るために特攻機で散って行った若者に対するのと同じです)尊崇の念を抱き篤く弔いたいのは当然です。
城明け渡しに際して城兵全部の生命保障と引き換えに腹を切った城主を弔うのは、古来当然のことでした。
占領政策のテーマに戻しますと、軍事裁判→処刑強行によってアメリカ側の報復感情がある程度満足したからでしょうか?
その後は、ある程度公平に日本を見るようになったと思われます。

政府と国民の分断策(日本人の識字率・民度1)4

日本人は結婚であれ投票であれ、何であれ、個々人の心には親でさえも踏み込まないのが古代からの習慣です。
結婚は文化の融合ですから、同格の結婚が一番文化摩擦リスク回避には無難ですから結果を見れば家と家の結婚のような結果になりますが、親が頼んでも個々人がイヤだ言えばまとまらなかった点が重要です。
文化人は頭でっかちに理解しているので、西洋方式を日本に当てはめようとして無理に西洋式の階級社会を擬制し、信教の自由がなかったかのように教え、現実直視出来ないのです。
社会組織でも恰も西洋式の大地主と奴隷的小作人を措定していろんな物語が作られていますが、実際に我が国で大地主が生まれたのは明治の地租改正と同時施行にかかる江戸時代からの農地永代売買禁止令解除以降の短期間のことでしかないのです。
この弊害のために戦後の農地解放によって、農地売買が再び許可制になっています。
この辺は04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」前後のコラムで紹介しています。
信教の自由の大前提・・大名も信仰の内心にまで踏み込めない前提があってこそ、一向一揆などで戦国大名が悩まされていたのです。
歴史では、士農工商を階級制度と大げさに習いますが、一応の区分けでしかなく、江戸時代に活躍したいろんな人を見れば明らかなように、階級間の相互乗り入れ自由な緩い社会でした。
戦後イヤっと言うほど日本人は集団主義で個性がないと言う自虐史観を刷り込まれてきましたが、日本軍が最後まで戦場から逃亡せずに戦い抜いたことがアメリカでは脅威だったからです。
日本人が庶民・末端に至るまで集団での行動を一糸乱れず行なえるのは・・ゴミも散らさないし、秩序だって混雑の中で行動出来るのも・・規律を守るのは個性がないからではありません。
逆に、民族の最下層に至るまでレベルが高いし、民族一体感ひいては環境全体を愛する公徳心が強いことによるのです。
米軍は日本軍の強さを教養がないから命令に対して盲目的に従う民族と誤解して漢字からローマ字にすれば識字率あがるだろうと考えていたようです。
幕末日本にきた西洋人の観察にも多くあるように、女中でさえも命令すると働かないが、任せるとその何倍もやってくれると賞讃されています。
日本軍が強かったのは、個性のない集団主義だからではなく、逆に個々人が心底日本民族を守ると言う使命に燃えているから強かったのです。
集団主義で個性がないと批判する同じ文化人が、「西洋では街並が統一されているが日本では街並がバラバラだ」と批判するので子供心に矛盾を感じて育ちました。
日本は西洋と違って、かなり昔から庶民向けの絵草紙や江戸時代では庶民向け文芸の花が開いています。
芭蕉が奥の細道の旅に出られたのは行く先々でスポンサーが待っていたからできたことですし、それだけ文化の裾野が奥地まで広がっていたことが分ります。
西洋では20世紀の大衆社会が始まるまでは、庶民は文字すら知らず文化に接する必要もない社会でした.
音楽や絵画・演劇等文化的なものは、全て宮廷や教会でしか経験・見られないものでした。
オペラ座と言っても貴族の社交場であって、庶民が行くところではありません。
日本の歌舞伎が庶民の娯楽として始まっているのとは大違いです。
勿論相撲や文楽も俳諧も小唄、端唄、都々逸あるいは浮世絵も皆、庶民大衆向けの娯楽であり芸術でした。
西洋では、庶民にはパンとサーカスという程度の発想でした。
引用文の最後を見れば分るように文盲率が1%と言えば、知恵遅れ等がその程度いますので普通の人はほぼ100%が読み書き出来ていたことになります。
こう言う民族に対して自国の基準を持って、文字が読めないから政府に庶民がたぶらかされていると想像して日本人の知的レベルを上げるためにローマ字を教えてやろうと言うアメリカ国民の知的レベルが分ります.
うろ覚えばかりでは信用性がないので以下のデータを引用します。http://www.nipponnosekaiichi.com/mind_culture/literacy_rate.html

日本は世界一の識字率を誇る。
江戸時代の日本は、庶民の就学率、識字率はともに世界一だった。
嘉永年間(1850年頃)の江戸の就学率は70~86%で、裏長屋に住む子供でも手習いへ行かない子供は男女ともほとんどいなかったという。
また、日本橋、赤坂、本郷などの地域では、男子よりも女子の修学数の方が多かったという記録もある。
もちろん、寺子屋は義務教育ではない。寺子屋制度は、庶民自身の主体的な熱意で自然発生した世界的にも稀有なものだった。 当時の日本は、重要なことは役所や国がやるべきだなどという発想はなく、自分にとって重要であるならば、自分たちで自治的に運営するのが当たり前という感覚を持っていた。
これに対し、1837年当時のイギリスの大工業都市での就学率は、わずか20~25%だった。
19世紀中頃の、イギリス最盛期のヴィクトリア時代でさえ、ロンドンの下層階級の識字率は10%程度だったという。
フランスでは1794年に初等教育の授業料が無料となったが、10~16歳の就学率はわずか1.4%にすぎなかった。<『大江戸ボランティア事情』(石川英輔・田中優子著、講談社)より>
江戸時代の幕末期では、武士階級はほぼ100%が読み書きができたと考えられている。
町人ら庶民層でみた場合も、男子で49~54%、女子では19~21%という推定値が出されている。
江戸に限定すれば70~80%、さらに江戸の中心部に限定すれば約90%が読み書きができたという。<『「奇跡」の日本史』(歴史の謎研究会編、青春出版社)より>
また、1860(万延元)年に日本との間に通商条約を結ぶために来日したプロイセン海軍のラインホルト・ヴェルナー(エルベ号艦長)は、航海記で次のように述べた。
「子供の就学年齢はおそく7歳あるいは8歳だが、彼らはそれだけますます迅速に学習する。民衆の学校教育は、中国よりも普及している。
中国では民衆の中でほとんどの場合、男子だけが就学しているのと違い、日本ではたしかに学校といっても中国同様私立校しかないものの、女子も学んでいる。日本では、召使い女がたがいに親しい友達に手紙を書くために、余暇を利用し、ボロをまとった肉体労働者でも、読み書きができることでわれわれを驚かす。民衆教育についてわれわれが観察したところによれば、読み書きが全然できない文盲は、全体の1%にすぎない。世界の他のどこの国が、自国についてこのようなことを主張できようか?」<『エルベ号艦長幕末記』(ラインホルト・ヴェルナー著、新人物往来社)より>

日米平和条約の不存在1

アメリカが飽くまで非を認めない限り、日米はまだ真の意味で和解していないことになります。
(それをアメリカが一番良く知っているから復活した日本の報復が怖くて戦後日本の力を殺ぐことならば、何でもすると言う最大の仮想敵にして来たのです)
日米間では独立状態での本来の平和条約が結ばれていない・・原爆と占領下で強制された条約しかない・・一種の戦争状態のままですので、「仕返しをするべし」という気運がその内に盛り上がって来ると厄介です。
敗戦国日本に押し付けた欧米の国際条約の有効性論理によれば、戦争の結果による条約を無効としてその結果獲得した領土等全て無償返還すべしというのですから、日米・あるいはサンフランシスコ平和条約は占領下で行なわれたのですから、日本側がいつでも無効宣言出来る関係です。
どんな大国もいつかは衰退して行くのですから、アメリカが自分のやって来た非人道行為について知らんぷりしていて、相手ばかり批判する・・原爆投下責任や戦後処理の不当性批判等を力づくで抑える政策をとり続けるのは持続可能性がなく、将来に禍根を残す政策です。
アメリカが日本批判を中韓両政府にさせて、その逆張り数々の戦争中の非人道行為を謝らないままで、戦争を早く終わらせるために都市住民を包囲して丸焼きにしたり原爆投下して何が悪い?と開き直りに固執し続けていると最悪です。
日本が将来優位に立ったときには、アメリカ中の都市住民を包囲して次々と焼き殺しても、核攻撃しても(戦争を早く終わらせるために)許されるというアメリカの大好きな報復論理展開論を誘発し兼ねません。
実際には大多数の日本人はそうした報復の循環・連鎖を好みませんので、何事でも許し包容する文化を育んで来たし,報復を断ち切る智恵を縄文・弥生時代から蓄え実践してきました。
ですから、ココではアメリカが最後まで謝らないとしても、多数の世論はそうはならないでしょうが、一定数の跳ねっ返りが騒ぐ事態が来るのを心配をしています。
アメリカは日本の報復を極度に恐れているから日本を最大仮想敵国にして来たのでしょうが、早く謝ってくれさえすれば日本は許せるし、真の同盟関係になれます。
アメリカがある程度力のあるうち・・日本よりある程度優越している関係のうちに、平和裡に謝ってくれて解決しておくのが、双方にとってベストだと思います。
優越している方が謝るのでは沽券にかかわるというのは、度量の狭い小人の考え方です。
アメリカが上位者である内に率先して謝ってくれると、下位者の日本は感激するので効果が大きいのです。
悪いことや失敗して相手がまだ気が付かないからと知らんぷりしていると、却って修復の機会を失うことがあるので、我が国では失敗したら相手に指摘され非難される前に率先して謝るのが古来からの智恵です。
会話の開始の前に先ず・・「済みませんが・・」と一種のお詫び言語が入るのは、その典型パターンです。
アメリカは日本に比べて文化度が数千年〜数周回遅れの国であると何回も書いてきましたが、潔く謝る智恵がない・・度量が狭いのが難点で、今後国力衰退に伴ってこれが大きなネックになって来るでしょう。
大きな声で自分の主張をすることしか経験がない点では、韓国、中国と同レベルですがこれでボロをあまり出さないで来られたのは、国力が桁外れに大きかったからに過ぎません。
アメリカが今後相対的強者の地位に転落し始めると、今までのような単純意思表示では外交が難しくなりますが、アメリカは経験が乏しいので自力で対応すればこれからはボロ続出になるでしょう。
日本と一日も早く和解して真の同盟関係を構築し、日本のしなやかな外交力・経済力で補完してもらうのが、アメリカが世界の覇者の地位を少しでも長く維持し続けるための最良の道です。
アメリカは、中韓を利用してわざわざ自分から日本を敵対関係に追いやっている余裕がなくなりつつあることを理解すべきです。
もしかすると最近少しずつ分り始めているような兆候・・中韓両政府の靖国問題・慰安婦問題/南京虐殺提起等に対して迷惑そうな受けとめ方が増えて来た様子が見えます。
しかし、兆候で誤摩化すのではなく、はっきり謝ってしまえば日本人は納得するし、心底からの信頼関係・・日本は誠実ですから固い同盟関係になるでしょう。
謝ってしまえば、中韓が靖国参拝等を批判する論拠をなくしてしまいますが、謝らないままである限り、中韓がココをついて来る都度日本人はアメリカが謝りたくないから陰で慰安婦問題等を次々とでっち上げて唆しているとの疑いが強まらざるを得ず、不幸な(心底に不信感のある)関係が続きます。

政府と国民の分断作戦(日本人の一体感)1

占領軍が決めた戦犯処刑が、百歩譲って仮に国際正義にかなっていたとしても、日本人にとっては、戦犯にされた彼らは日本人を代表して処刑されたと思っていますので、外国人がいつまでも彼らを貶めることは、同胞意識の強い日本人には耐えられません。
戦いに敗れたとは言え、良く戦った敵将に対する尊敬の念を表すのが我が国の武士道であり、負けた方を貶めることは恥ずかしいこととされています。
アメリカによる占領初期の人民と政府を区分して対立させようとしていた戦略は、実態に合わないと分って直ぐに方向転換されました。
(アメリカとしては、人民と権力者の分離手法による戦犯裁判は、原爆投下同様の戦略ミスだったことになりますが、やってしまったことで歴史から抹殺することが出来ませんので、日本人に早く忘れて欲しい・・早く風化を進めてほしい事件になっているはずです。)
靖国参拝の盛り上がりは、アメリカの戦後処理に対する批判イコールですから、一番刺激を受ける筈の米国がだんまりで全く触れないようにしていることからも、上記方針転換は明らかです。)
折角張本人のアメリカが一日も早い風化を期待しているのに、これを許さないために日本人の被害感情をしょっ中刺激するために頑張っているのが中韓両政府となります。
中韓両政府は、間断なく靖国問題や慰安婦問題、南京虐殺問題を盛り上げることによって、無関心日本人の多くに問題の所在を明らかにして、アメリカ批判・・アメリカの戦争責任追及機運を盛り上げるために一役買っていることになります。
中韓による日米離間の策と言えますが、アメリカのとるべき道は知らんぷりをするのではなく、あっさりと原爆投下やアメリカの焼夷弾攻撃等の残虐性を自己批判しアメリカの方が酷いことをして来たから、戦犯裁判は120%誤りでしたと素直に謝罪すれば済むことです。
何回も書いているように、日本人は相手が非を認めて潔く謝れば、どんな被害を受けて来た相手でも文句を言わずに許す懐の深い民族です。
相手が謝ったからと言って、際限なく相手民族を非難したり、報復する権利があると主張し続けるような汚い民族ではありません。
そうする智恵によって、列島内ではいつまでも反目しないで一体感を持ってやって来られたのです。
アメリカは自分の幼稚な単純思考レベル・・やられた以上は報復する論理・・価値観を基準に考えるから、もしも謝ると日本からのアメリカに対する核報復をする権利があると言う論理展開を極度に恐れていることは周知のとおりです。
自分が占領中であるにもかかわらず、戦後ずっと日本による報復を恐れて世界最大の仮想敵国にして来たことは暗黙の世界了解事項になっています。
このためにアメリカは日本に対していつまでも・マトモな再軍備を認めないでアメリカ軍のくびきの元にいつまでもおいて来た・・日本の強大化を恐れている論理そのものが、アメリカが自分のレベル・・やられたことはやり返す権利があると言う低レベルな思考しか出来ない証左です。
アメリカが潔く謝らないし日本の報復を恐れているから、中韓両国は安心して日本批判が出来るのですが、靖国問題を中韓が批判するたびに日本民族を憤激させ、ひいてはアメリカの戦争犯罪こそ、酷かったのではないかと言う追及機運が盛り上がってくる最悪の展開になっています。
靖国批判が繰り返される都度、必然的にアメリカの行なった残虐行為を掘り起こすことに連なり、これが繰り返されるうちに報復感情が生まれて来る危険水域が上がって行きます。
元々日本民族は古代縄文〜弥生混交時代から相手が非を認めれば許して来た民族ですし、アメリカが非を認めて謝る・・即ち戦争で言えば降伏した状態になれば、捕虜を虐待出来ないのと同様に日本は腹が立っていても、謝ってきた以上は許すしかありませんし、それが出来る民族です。

アメリカの神道敵視政策5(日本人奴隷化1)

日本民族が如何に酷い民族であったかの宣伝を徹底するには、日本人の気高い生き方自体を否定する必要がある・・そうすれば戦前のアメリカ政府の宣伝が正しかったことになります。
万物を慈しみ畏敬する神道の存在・・日本人の和の心が残っているのでは、日本人が植民地で人道的な政治をして来た証拠になり不都合だったでしょう。
神道の否定・・政教分離・日本人のモラルバックボーンの否定・破壊こそは、アメリカが日本に戦争をせざるを得ないように仕組んで引きずり込んだ大義の証明に必要でした。
戦後日本人を退廃化させるにはバックボーンになっている神道の破壊こそが有効と考えたのでしょう。
戦時中の研究の結果、日本人の強固な団結心が神道によると分ったので、彼らは神道を目の敵にしたのです。
米軍占領政策の一部を2013-10-27日現在の「連合国軍占領下の日本」と題するウイキペデイアから抜粋します。

「1946年11月、ポーレーは最終報告として「我々は日本の真珠湾攻撃を決して忘れない」と報復的性格を前文で明言し、「日本に対する許容工業力は、日本による被侵略国の生活水準以下を維持するに足るものとする。右水準以上の施設は撤去して有権国側に移す」とした。軍需産業と指定されたすべてと平和産業の約 30%が賠償施設に指定され、戦災をかろうじて免れた工業設備をも、中間賠償としてアジアへ次々と強制移転させた。」

これを見ると決して日本人民を奴隷化するものでははないとポツダム宣言では言いながら、(ポツダム宣言に技書かれてること自体が怪しい・・実質奴隷化が目的だったのではないかと以前コラムで書いたことがあります)イザ降伏すると相手に武器がなくなったことを良いことにして、日本を日本の非支配下人民レベル以下に落とす・・軽工業と農業しかさせないという基本方針が決められました。
そもそも日本の民主化と植民地以上の工業生産禁止とどう言う関係があるの?アメリカの邪悪な意思が明らかな決定です。
欧米の非植民地の東南アジア等で読み書きさえ自由に教育されない・何ら植民地人には近代工業力を着けさせないというレベルにしか、日本人に生活させないという決意がここで証明されます。
実際に爆撃から守り抜いて漸く国内に残った工業設備がドンドン中国等へ搬出されました・・。
朝鮮半島は無傷でしたから、そこへは運びませんでしたが日本は焼け野が原でしかも残った工業設備も重要なものは全部(当時の植民地のレベル以上のものを搬出するとなれば、ほぼ全部です))持って行かれてしまったのです。
中国等へ搬出用に梱包作業を命じられた当時の日本人は明日からその仕事ができなくなるのですから、その心を思うと涙が出ます。
日本には存在を許されない工業設備を中国へ持って行くということは、搬出された国・・中国以下の工業力によるしか生活しかさせないという近代的奴隷化の実現でした。
物を作る能力があるのにそれを禁止し、燃料その他必要ならば輸入させる・・輸入代金は農産物輸出で賄えというのです。
・元々食糧不足国ですから、そこから輸出に回せばしょっ中餓死者の出る国・ひいては文化活動に割くに余力がなくなり、文化的にもアフリカ並みの国に転落させるもくろみだったでしょう。
能力のあるものに能力を発揮さないほど残酷な仕打ちはありません。
優秀な子供に勉強させないで家事労働等で酷使するシンデレラの話を地でいくような目標をアメリカは立てていて、表向き奴隷化しないと主張していたのです。
マッカーサーが最高司令官に選任されたのは赴任直前だったと言われていますが、彼が日本軍に対する復讐心に燃えていたので適任と考えられたのでしょう。

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