共謀概念の蓄積1

共謀罪の対象が全ての犯罪ではなく一定の凶悪犯だけとすれば、悪事共謀の事実が証拠で認定出来てもこの段階で処罰すべきか放置すべきかは、政治が決めるべきことです。
法律論としてみれば、この段階で処罰したり、検挙して犯罪実行を抑止することが何故人権侵害になるのでしょうか?
逮捕裁判するには厳密に絞られた共謀の事実(あてはめ)と確かな証拠がいるのは自明ですから、反対論者は確かなあてはめと証拠があっても処罰べきではない・・人権侵害のリスクがあると言う矛盾した論理で反対していることになります。
この程度のことは事実と証拠があっても処罰すべきではないという政治論を法律論の如く主張していることになります。
特定犯罪の共謀の事実があってそれを裏付ける「証拠があっても駄目だ」と一生懸命に反対している勢力はもしかして、どう言う人や集団の利益擁護をするために頑張っているのでしょうか?
恨みを晴らすためや保険金殺人のために自分に代わって殺人をしてくれる人をネットで募集するような個人もいます。
大した考えもなく何となく誘拐犯をネット募った結果、初対面同士でグループになって誘拐・殺人行為をしたグループが数年前にいました。
今回の北大生が簡単にテロ組織「イスラム国」に参加しようとしたことのハシリみたいな事件でした。
個人であっても、ネットで公開募集して犯行計画を進めている場合に、(証拠があっても)これを事前検挙抑止出来ないのでは社会が危険過ぎます。
(危険過ぎるかどうか、この程度ならば放置しておいて誘拐・殺人等の実行行為を待って処罰すべきかどうかは、国民・政治の判断事項であって法律家が専門的な意見を持っている訳ではありません)
法律家が懸念すべきは、共謀概念の曖昧さによる恣意的な検挙の危険性防止…思想信条の自由・・・内心仕返しをしたいとかいろんな妄想段階・ちょっとした冗談や世間話まで処罰されるのでは困りますので、この辺の心配を訴えるのは当然です。
法律家としては、共謀事実の定義・境界の緻密な議論と証拠論が重要です。
内心の妄想の域を超えて 具体的な計画を立て第3者を交えて計画するようになれば放置すべきではない・・共謀罪処罰対象の共謀とすべきでしょう。
要は、どの程度の意思の連絡があれば(冗談に相づちを打った程度ではなく)共謀があったと認定すべきかの学説判例の集積による分野です。
この辺は、わが国では、諸外国と違い昭和30年代から共謀共同正犯理論が学説判例上発達して来たことを無視すべきではないでしょう。
この集積の結果、共謀概念の成立要件についてかなり精密に事例が集積されていますので、諸外国よりも共謀の限界事例集積が進んでいる・・言わば共謀定義に関する先進国です。
(高齢化やデフレ現象が諸外国より早く進んでいるのと似ています)
10月22日に紹介した条約では「相談することを犯罪とする」とあるように「相談」となっていて、我が国の法律用語である「共謀」となっていないのは、我々法律家が見れば驚くような幅広い概念です。
諸外国では、日本のように50〜60年以上(後に紹介する最高裁判決が昭和33年ですから、そこまで行くには10年以上の実務があります)に及ぶ共謀概念の事例蓄積がなかったから、こう言う漠然とした用語になったのではないでしょうか?
ちなみに共謀共同正犯論は、これを最初に提唱した草野豹一郎博士の昭和7年論文と言われていますから、その後幾多の学説論争を経て、昭和33年の大法廷判決になっているのです。
当時共謀を処罰するのは近代刑法の個人責任主義や、行為責任主義に反すると主張されていたのですから、反対論の主張によれば日本だけが突出して経験を積んで来たことになります。
我が国では諸外国と違い、(上記のとおり想像に過ぎませんが・・)相談や協議や会談等の漠然としたいろんな概念の中で、このコア(中核)になる「共謀」と言えるまで厳密に絞り込まれたときに限って共謀認定して来た・・長年運用して来た実績があります。
私のように刑事事件をあまりやっていない弁護士でもこれまで共謀共同正犯事件・・どの時点で共謀が成立したと言えるかなど数え切れない程担当して来ています。
実際に殺人事件等が起きてから後追いでやって来た従来の共謀認定とは、殺人行為等実害のまだ存在しない段階での共謀認定とは方向性など違いますが・・少なくとも共謀認定の実績・事例集積がある点では諸外国とは大違いですから、既に法制化している諸外国よりも我が国の方が濫用リスクが少ない筈です。
我が国では普通の「相談」程度では法律用語としての「共謀」にならない・・充分に絞り込まれていることは、争いがないと言い切れる状態です。

共謀罪反対論が守ろうとしている利害集団1

日弁連が政治運動して良いかの議論を離れて、以下成立してしまった条約履行反対論の合理性を見ておきましょう。
反対論者は、日本をどう言う方向へ持って行きたいのでしょうか?
どう言う世界秩序を目指して・それが日本のためになると言う考えで国際条約を形骸化したいと思っているのか知りませんが、政治運動をする以上は一定の現世的利害のある効果を目指していると言うべきです。
政治運動する集団はすべからく、目指す世界観・・どう言う結果を期待しているのかを国民に提示すべきではないでしょうか?
イスラム国その他テロ組織には相応の正義があって、日本がこの取締りに協力すべきではないと言うのも1つの意見のあり方ですが、それならそれでそう言う主張をし、組織犯罪防止条約反対を訴えれば分りよいです。
(でもそう言う主張は政治目的団体がやるべきことであって、日弁連の仕事ではありません。)
日弁連意見書では、日本にはテロの現実的危険が日本には存在しない・・条約を履行するべき立法事実がないと言う主張ですが、(日本だけ必要性を感じないと言って国際協力しないことが国際政治として成り立つかは別問題ですが・・)北大生によるテロ組織「イスラム国」応募に驚いた人が多いとしても、まだ危険性が低いと同感する人が多いでしょう。
今の日本でこの法律が制定されると直ちに実際の効果を受けるのは、国際テロ組織よりはまさに国内組織暴力団のように思われます。
今あるのは銃刀法所持取締法や「凶器準備集合罪」ですから、凶器等準備した上で、しかも現実に集合しないと検挙出来ませんが、共謀罪の法律が出来ると1~2ヶ月先の何時集合するのかその他の情報が不明でも、「◯◯を暗殺するぞ!」いう命令等が分った(証拠をつかんだ)段階で検挙出来ることになります。
集合計画がなくとも特定ヒットマンを決めてさえなくとも、敵対集団幹部暗殺を組織内で決めた(証拠をつかんだ)段階で検挙出来ます。
もちろん(凶器がなくとも良いのですから)事前に法で決めた特定凶器や毒物を使う予定の情報収集・・証拠集めをする必要もありません。
これが共謀罪があるかないかの大きな違いでしょう。
ただしこの後で書いて行きますが、「共謀した」と言う事実とその裏付けの証拠がいります・・念のため・・。
日弁連の反対意見は・事実と証拠があってもこの段階で検挙するのでは人権侵害になると言うことになるようですが、この論理立ては無理があるように思います。
逮捕の濫用や・・冤罪のリスクは、共謀概念の曖昧さや証拠がないのに検挙されてしまう証拠評価レベルの議論です。
これまでチラチラと書いて来ましたが、安易に共謀の事実認定されない(ジョークに相づちを打った程度で逮捕されるのでは困ります)ように日弁連が努力すべきは、共謀概念の客観化と証拠法則に関する緻密な意見提案ではないかという私の意見につながって行きます。
法律専門家によるすり合わせの結果・・日弁連が納得する共謀概念定義や証拠法則に従って共謀の事実が認定された場合にも、冤罪のリスクがあると主張するのは論理矛盾になります。
そこで近代刑法の精神に反すると言う意味不明のスローガンを表に出さざるを得ないのではないでしょうか?
共謀の事実と証拠だけで検挙されると困るのは今のところ、暴力団や違法なことを計画している集団だけでしょうが、そう言うグループを野放しにしておくために応援することが何故人権擁護になるのか分りません。
このあとで書くように共謀罪が出来ても「共謀」の概念構成と客観証拠がいるので、むやみに検挙される訳ではありません。
殺人行為等具体的被害行為が未だ存在しない共謀だけの証拠確保は、実際には難しいので簡単に検挙出来ません。
しかし偶然計画が分り、証拠までそろっていた場合でも、計画だけでは手も足も出ない・・実際に誘拐や殺人行為等に着手するまで検挙・抑止してはならないのでは、困りませんか?

共謀罪反対論と日弁連の政治活動の限界1

今回の共謀罪制定反対運動は、人権擁護に関連する運動でしょうか?それとも日弁連の制度目的を逸脱した運動でしょうか?
30日に紹介した判例のように考えれば、弁護士の目的とする人権擁護に密接に関連していますが、単なる法技術問題を越えて国際信義の問題になっているから、そこまで法律専門家が絡んで行って良いかに疑問があります。
10月22日に紹介したように日本政府は2000年国連の組織犯罪防止条約に署名し2003年5月に国会承認も受けています。
2003年以降は国内法整備の国際法的義務(条約を守る義務)を負っている状態です。
国会で同意した条約は、国内法に優先するのが法体系上の原則ですから、国内法で言えば法律が国会で制定されたが、これを実施する省政令規則等の施行準備が遅れているような関係です。
こうした状態に関しては、憲法改正手続法がないと憲法改正権・主権が事実上行使出来ない状態になると書いたことがありますがそれと同じです。
国際的に見れば関税引き下げの約束をした後で、いつまでたっても、関税法の改正をしないし、税関職員にそのマニュアルを与えないので、現場では従来どおり関税をかけているような関係・・日本は条約違反をしている状態です。
条約成立後の段階で国内法制定になお反対するのは、国内議論を尽くして成立した法律・(条約)に対してなお反対運動しているのと似ています。
判例の許容する「目的を逸脱していない」のは、成立後の法律に飽くまで反対政治運動することまで含むのでしょうか?
成立した法律に従うべきではないと言う運動は法律家の運動としてはおかしなものですから、法律が成立してしまった以上はこれに従うしかないが、(例えば消費税率アップ反対運動していてもアップする法が成立してしまった後に、消費税納付拒否を主張するのは、法律違反行為の煽動です)法律の廃止運動を意味していることになるのでしょうか?
元日弁連事務総長であった海渡氏が著者だったか編集関係者の本を立ち読みすると、成立後の秘密保護法の廃止運動をするのは国民主権の一種であるから許されていると言う意味のことが書いてありました。
憲法改正論で書いたように、作る権利のある国民は改廃する権利もあるのが原則です。
しかし国際条約に署名してしまった後に条約の義務による国内法整備に反対するのは、条約違反行為をすべきだと主張しているのと同じではないでしょうか?
そもそも、共謀罪反対論者が、組織犯罪防止条約の履行=国内法整備に反対することによって、どう言う法律効果を狙っているのかが見えません。
条約内容に反対ならば、その条約改正運動をするのは分りますが、ただ国内法整備だけ反対するのは上記の消費税納付拒否・違法行為主張と同じではないでしょうか?
条約改正運動としてみれば、成約後14年も経過して大多数の国が履行をしている状態で、共謀罪の取締りをしないように変更する国際政治力などないと見るのが普通です。
飽くまでも条約の履行を拒むと言うことは、将来的には条約からの脱退を目指すことになるのでしょうか?
条約に参加するかしないか・・飽くまで反対を続けて修正or脱退に持ち込むリスク・・その場合の国際的孤立の可能性を含めた判断は、高度な政治判断であって人権擁護の使命とはあまりにも遠く離れ過ぎた政治運動のように思われます。
共謀罪制定が国際条約上の法的義務になってしまっているならば、日弁連は国内法制定過程で人権擁護上必要な法案意見(安易な共謀認定がえん罪を生まないような歯止め・証拠上の意見など)を充分主張して行く・・その実現目的範囲内での政治運動程度が目的の範囲内で合理的です。
日本が2000年に条約に同意してしまった以上・しかも世界の大方がこの条約に参加している以上は、いまは反対運動出来る時期が終わり・1種の条件闘争段階ではないかと思われます。
日弁連の10月号委員会ニュースには、このためにか?条約自体に反対出来ないとも書いています。
その上で凶器準備集合罪等が日本にはあるから作らなくて良いと言う論を展開しているのですが、この論法は無理があることを23日以降書いてきました。
共謀罪法制定が国際的に避けて通れないとすれば、日弁連の本分であるえん罪防止に役立つような条文制定作業等に意見を入れて行く努力に集中して行くべきではないでしょうか?
特定秘密保護法に関しては抽象的な反対運動ばかりしていたので、法案作成作業については蚊帳の外におかれたまま成立してしまったように思われます。
これについて、日弁連は充分な国民的議論もないまま国会通過したと批判していますが・・・。

共謀罪と組織犯罪防止条約4(立法事実1)

元々私は共謀罪制定に反対すべきか賛成すべきか具体的に考えたこともありませんので、この際必要性(立法事実)から順に考えて行きましょう。
共謀段階では規制すべきでない・・特定の武器等を所持した準備行為があってから規制すべきと言う意見では、どんなに危険な計画を治安機関が知って証拠を確保していても、前もって法指定された武器や化学薬品利用や方法でない限り規制すべきではないから、目の前を犯行現場へ向かって通り過ぎるのを放置すべきだと言う意見になるのでしょうか。
事前指定された武器や薬品を持っているか、または犯行実行に着手してからでないと検挙出来ないのでは、スピード感のある現在の大規模なテロの危険を防げない状態のまま放置すべきだと言う意見と同じになりそうです。
地下鉄サリン事件で言えば、サリンは当時製造や所持していること自体犯罪行為ではなかったのではないかと思いますが、(このコラムはいつもお断りしているように学術論文ではなく、思いつきで書いているので正確には分りません)警察がこの計画を仮に察知していても犯行に着手してからの検挙しか出来ないのでは、着手と同時に大規模被害が即時に発生してしまいます。
地下鉄サリン事件では、事件が起きるまで警察が手出し出来なくて監視程度しか出来なかったから、大惨事になってしまったと思われます。

以下はウイキペデイアからの引用です。
サリン等による人身被害の防止に関する法律

サリン等の製造、所持等を禁止するとともに、サリン等を発散させる行為についての罰則及びその発散による被害が発生した場合の措置等を定め、もってサリン等による人の生命及び身体の被害の防止並びに公共の安全の確保を図ることを目的として1995年(平成7年)に制定された法律である。新聞等では「サリン防止法」と略されることもある。
オウム真理教がサリンを散布してことによって死傷者を出した松本サリン事件や地下鉄サリン事件をきっかけに、制定された。この法律ができる前までは、サリンの製造や所持を直接禁止する法律は存在しなかった。
憲法の遡及処罰禁止規定(39条前段)により、この法律はオウム真理教事件の犯人には適用されない。オウム真理教によるサリンの製造に関しては、サリンプラント建設事件においては殺人予備罪[1]で、松本・地下鉄両サリン事件で使用されたサリンを製造した者には殺人罪や殺人未遂罪で訴追されている。

上記サリン事件で分るように事件当時は不処罰だったのですから、事件が起きてから特定物質に関する法令を作る現在のやり方では、大規模テロが起きる兆候をつかんでも見ているしかない・・事件が起きてから法律を作るような制度になっています。
テロ組織が・・次はサリンではない別の化学品を使うなど毎回新たな方法でやって来ると、後追い法律制定ではいつもやられっぱなしになるしかありません。
後追いでも槍や刀の新種くらいならば被害が知れていますが、サリン等の大規模テロが増えて来ると事件が起きてから指定するような制度設計・・後追いでは困ります。
世上よくある不満ですが、暴力団が押し掛けて来ているときに110番すると「殴られたり刺されてから電話してくれ」と言われて・・「刺されている最中に電話するヒマなどあるものか・・」と憤慨する人がいます。
このような対応を繰り返していた挙げ句に、ストーカー被害の桶川事件が起きた結果、世論の批判を受けてストーカー対策の法律が出来ました。
それでもまだ不十分で次々と殺人被害が起きているのは、ある程度のことを実行しない限り接近禁止程度しか出来ず・・法律上は禁止命令違反に対して懲役刑もありますが、実際上イキナリの検挙が出来ないから急激に過激化した場合、後手に回ってしまいます。
地下鉄サリン事件が起きると直ぐに大規模部隊を山梨に向けて出動させたことからして、公安関係は、十分準備していたこと・・ある程度情報を得ていても、その程度では犯罪に実行するまでは手出し出来なかったのではないかと私は想像していました。
うろ覚えですが、事件後数日したら、直ぐに5000人規模の部隊が一糸乱れず出動しましたが、各県警からの人員選抜作業・・部隊編成、その他・大量の防毒マスク準備や宿舎建設用資材や糞尿の処理・動員車両・食糧供給(山梨の山間地出動ですから、地元弁当屋さんもイキナリ数千単位の弁当注文には応じられません)等かなり前から計画と準備が進んでいなければ数日くらいで出動するのは不可能です。

 共謀罪と組織犯罪防止条約1

近代法に反すると言うだけの法制定反対論は、結果的にそんな規制は必要がないと言う結果を期待しているとしか思えません。
繰り返し書いていますが、単なる参考意見に留まらず政治運動をする以上はそのもたらす結果から考えて行くべきです。
そうとすれば、この条約が成立しかけている段階で頑張るべきであって、成立後14年も経過してしまっている現在になって、規制内容が近代法の精神に反すると言う理由だけで、国内法整備に反対し続けることがどのような政治結果を目指していることになるのでしょうか?
国内法整備義務に応じられない・・異議を唱えて日本だけが条約から脱退しろ・・そんな勝手なことが世界経済に組み込まれている現在社会でも通用するとでも言うのでしょうか?
日本は既に2000年ころにこの条約に署名し国会承認も終えているのに、対応する国内法整備を条約に反して怠っている状態で14年も経過しています。
その結果、日本が犯罪組織に寛容過ぎるという国際勧告を何回も受けている状態にあるようです。
・・国際常識から孤立していることをしょっ中訴えることのスキな弁護士会や左翼文化人はこれを公平に公表していません。
ことしに入ってフランスの大手銀行(バリバだったか?)が、テロ・犯罪組織だったかに融資〜銀行取引をしていたと言うカドで1兆円規模の罰金支払い命令を受けて国際ニュースになっていましたが、これ以上日本の取締が緩過ぎると日系銀行も1兆円規模の罰金を科されるリスクが現実化しています。
1年〜半年ほど前にみずほ銀行系列組織(日本信販系)が暴力団関係に融資していたことがニュースになりましたが、国内ニュースで終わる保障がない不安・・こんなことを繰り返していると、いつアメリカによる金融制裁対象にならないかの不安が現実化していることが確かです。
20年ほど前に大和銀行がアメリカで不正取引が摘発されて、国際業務から全面撤退となって、今では銀行自体がなくなっていることを想起しても良いでしょう。
今では日本だけが勝手に世界基準に反して国際業務を出来ない時代です。
共謀罪新設に対する反対論の中核は「近代法の精神に反する」と言うだけのようですから、国際社会で共通化している時代精神の変化に対応出来ていないことを自ら暴露しているようなものです。
(現在社会は近代社会ではないのですから、現在社会が必要としている法制度の必要性を正面から議論することが必須です)
国際社会では近代法の精神を十分理解しながらも新しい時代に対応するべく苦心して議論を尽くした結果、このような国際法規順・・国際条約が生まれて来たと思われます。
日本の法学者や弁護士だけが、西欧で発達した近代法の精神を知っている訳ではありません。
近代法精神確立の本家である欧米主導で決まって来た国際標準・・組織犯罪防止条約の履行が「近代法の精神に反する」と言うだけでは、「何を言ってるの?」と思うのが普通ではないでしょうか?
日本の法学者や弁護士が、国際社会で進行中のテロや組織犯罪防止対策が、近代法の精神に反すると批判することが自明であると主張するならば、西洋その他先進国が、何故近代法の精神に反する筈のテロ対策の合意をするに至ったのかの議論・・必要性論を紹介した上で、実際の社会状況(立法事実)を前提にしても、そんな対策が不要と言う意見ならば、その論陣を堂々と張るべきです。
法律は、現実社会に必要な道具であって机上の空論のための道具ではないのですから、法律論の優劣はその意見を現実社会に適用すれば、人権を守りながら社会が合理的に回って行くことが出来るか否かの問題です。
災害弱者を救済するためにはプライバシーに配慮しながら、救助関係者に災害弱者の情報を与えておく必要がある・・他方でどのようにすれば、この情報が悪徳業者等に漏れないかの具体的作業システムが問題になっているのが現在社会です。
このように、モノゴトは「知る権利・プライバシー権・思想の自由を守れ」「弱者救済」などの観念論だけでは、解決出来ないようになっている・・具体的議論をして決めて行くのが現在社会です。
この緻密な作業を全くしないで「近代法の精神に反する」と言う抽象論ばかりでは、そもそも法律論を戦わせるべき一般的論争ルールにも反しています。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC