証拠収集制限論とえん罪の増加1

共謀法が折角あるのにサリン事件のようなテロ行為や暴力団の集団犯罪計画を事前に阻止出来ない事件が頻発すると、「警察は何をしているのだ!」と言う批判・・証拠がある程度緩くとも早めに検挙すべきだと言う社会意識が強まってしまいます。
共謀罪が出来るまでは「計画が分っていても犯人が動き出すまで手を出せなかったから・・」と言い訳が出来ましたが、共謀で処罰出来る法律が出来た以上は、共謀段階で何故検挙しなかったか?と言う批判になります。
こうなると捜査機関も焦るので、十分な証拠もないのに「逮捕すれば何とかなるだろう」式の・・自白に頼る誤逮捕・ぬれぎぬ事件がいくつか発生するリスクが高まります。
すなわち人権侵害のリスクが高まりますので、これを人権派?弁護士や学者が心配している・・言わば、不幸な事態が起きるのを期待して「それ見ろ人権侵害が起きただろう」と活躍の場を求めているかのような変な状況です。
マイナンバー法や防犯カメラその他証拠の客観化に資するデータ化の動きがあるとその収集に何かと反対する勢力は、無理な逮捕が発生して人権侵害が多発する事態を待ち望んでいるのでしょうか?
共謀段階で犯罪化して、これを処罰するとえん罪多発するのが心配だと言いながら、客観証拠収集技術発展に反対するのは、どこか変です。
えん罪多発の不幸な事態にならないようにするためにも、共謀罪を作る以上は証拠の客観化を着実に(プライバシー保護等と勘案しながら十分な議論をして)押し進めるべきですし、科学技術進歩と応用に反対するのはおかしい動きです。
反対ばかりしていて議論の詰めに参画しないままですと、却って日弁連のチェック能力を発揮出来ないまま証拠法則の整備が進んでしまい、証拠収集が安易に進むのは国民の不幸です。
暴力団やテロ集団ではない、一般的な犯罪者までが「共謀した」だけで検挙されるのでは人権侵害にならないかと言う心配が普通の議論でしょう。
暴力団ではなくとも、一般人(日常的には善良な人に見える?)でも、ある日(本人はその前から内心悶々としていても外部には分らないだけですが・・)ストーカーに変身することがあり、しかもそれがイキナリ殺人等凶悪犯罪にまで発展してしまうのが現在社会です。
個人が内心悶々としている段階でも、近づいて来て何となくおかしいと思えば避けて通るようにしたり、個人的な付き合いであれば「何かあいつ最近おかしいから・・」と注意したり近づかないようにすることは出来ますが、検挙処罰までするのは無理があるのは明らかです。
ですから、個人がある日(外見上は)突然秋葉原事件みたいなものを起こすのを、予め公権力で制禦することが出来ないのはいまの科学技術では仕方がないことです。
何十年かすると個人行動が数十分前から、かなり予測出来るようになる時代が来るかも知れませんが、それだけで、刑事処分や拘束まで出来るかは別問題です。
しかし近代と違って現在では、科学技術進展の結果、例えば殺人行為実行の前々段階である共謀までするようになれば、場合によっては客観的に証拠把握出来て間違いのない段階まで来たのです。
共謀罪が出来ても、全ての共謀について証拠が把握出来る訳ではなく、一定の証拠がそろう事件だけですから、当面100%の共謀を検挙してくれるのかと国民が期待すると間違いの基です。
国民の期待が大き過ぎると不満が起きて警察が焦って不当逮捕になり兼ねません。
これを心配して日弁連が危険だと騒いでいるのでしょうが、そう言う方向ではなく、共謀罪が出来てもきちんとした証拠のある分だけに厳選して立件するように運動し・・客観証拠収集を妨害しない方が、人権擁護に結びつくのではないでしょうか?
科学技術の発展が殺人等の行動に出る前でも、共謀・自分で一人で考えているのではなく第三者と相談するようになると、客観証拠が集積出来る時代が目の前に来ています。
とは言え、期待は禁物です。

証拠収集反対論5(マイナンバー法1)

共謀罪や秘密保護法、マイナンバー法や防犯カメラ等反対論者は、現在型犯罪(企業秘密漏洩・毒物混入に始まって現在社会では情報不正取得は、巨大な富の不法取得であり、被害者から見れば巨額大損害です)の客観証拠になりそうなものに片っ端から反対するグループと重なっています。
極端な話、夜道は暗い方が良い・・明る過ぎるとプライバシーが侵害されると言わんかのような勢いです。
マイナンバー法(番号法)反対論も、名寄せされると何故監視社会になるのか理解不能・・国民の健全な関心・心配は、監視されることよりもこれが漏洩したときの被害の方にある筈です。
統一番号利用によって、今後は仮名名義等の不正銀行取引や生活保護等の不正受給も白日の下に曝されます・・公明正大に生きている人にとっては、これが何故反対理由になるのか疑問ですし、逆から言えば・・どういう利害集団の利害のために運動しているのかの疑問が起きてきます。
マイナンバー法が始まれば、監視社会になると言いますが、今回の統合は、住民基本台帳の情報と、市民税等の税と年金保険・災害関連だけです。
これが統一されると情報漏洩のリスクが巨大になる点は分りますが、それ以外に何が困るのか・・ひいては仮に自分の銀行口座番号が取引銀行以外の監督官庁等に知られやすくなっても困る人は滅多にいないでしょう。・・
何か不正行為をしていない限りどう言う人が困るのでしょうか?
マイナンバー法がない時代・・現行法下でも犯罪に関係すれば捜査機関や税務署は銀行等に取引履歴を紹介して開示してもらう権利があることは争いがありません。

刑事訴訟法

第百九十七条  捜査については、その目的を達するため必要な取調をすることができる。但し、強制の処分は、この法律に特別の定のある場合でなければ、これをすることができない。
2  捜査については、公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる。

国税徴収法
(昭和三十四年四月二十日法律第百四十七号)
質問及び検査)
第百四十一条  徴収職員は、滞納処分のため滞納者の財産を調査する必要があるときは、その必要と認められる範囲内において、次に掲げる者に質問し、又はその者の財産に関する帳簿書類(その作成又は保存に代えて電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他の人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。)の作成又は保存がされている場合における当該電磁的記録を含む。第百四十六条の二及び第百八十八条第二号において同じ。)を検査することができる。
一  滞納者
二  滞納者の財産を占有する第三者及びこれを占有していると認めるに足りる相当の理由がある第三者
三  滞納者に対し債権若しくは債務があり、又は滞納者から財産を取得したと認めるに足りる相当の理由がある者
四  滞納者が株主又は出資者である法人

マイナンバー法が出来たことによって新たな情報登録が始まるのではなく、元々住民登録の外、保険・年金番号はそれぞれが持っていました。
銀行口座番号も元々取引参加した以上は取引先金融機関や各種会員加入した時点で、口座番号や会員番号等が登録されています。
マイナンバー法によって新規に登録されたり捜査権が生まれるのではなく、元々あったデータが当面社会保険関連や税と住民登録が統一番号化するだけです。
この統一管理によって税と社会保障給付関係の一元管理が容易になって、行政が効率化され、齟齬を防ぎ易くなることが期待されています。
反対したい利害関係者はこの齟齬がなくなることによって損をする・・分り難さを利用して不当な利益を得ていた勢力ではないでしょうか?

共謀罪反対論と証拠収集反対論1

今後共謀のみで犯罪成立と言う法律が出来た場合には、これまでの判例に加えて(殺人等の実行行為がない段階での認定になる以上は)共謀行為の客観化がより一層進む筈です。
この作業に日弁連が1枚も2枚も噛んで行くべきだ・・これが専門家集団がやるべき本来の仕事ではないかと言うのが私の意見です。
これまで書いて来た通り、厳密に絞られた共謀行為があって(上記のように立法化が決まれば、更なる共謀概念の客観化作業が当然進められることになります)しかも、証拠上認定された場合だけ検挙することにも反対・・・すなわち日弁連がこう言う実行犯募集を自由にやらせておくべきだと言う政治意見で・立場で反対運動をしているのでしょうか。
日弁連が期待されている立場は拡大解釈によって、誰かが酒席での冗談で「あんな奴ぶっ殺したいよ!」と言ったのに対して、「そうだそうだ」と応じた場合まで殺人の共謀になるのでは困ると言う人権侵害の恐れではないでしょうか?
あるいは確実な証拠もないのに共謀したと言われると困ると言うことではないでしょうか?
近代社会では、「意思を表示した」だけで処罰されなかったのは、意思表示は録音機のない時代に全く客観証拠が残らないから無理・・えん罪リスクが大き過ぎたからに過ぎません。
現在社会で共謀罪を処罰するにしても、客観証拠のない誰かの密告程度では無理ですから、裁判システムその他のインフラからして近代社会の始まりころとはまるで違っています。
メールや録音等の客観証拠がないときに、計画の噂程度で検挙するのは不可能ですし無理に検挙しても裁判が維持出来ません。
ですから、共謀罪が出来ても実際に事前に検挙できるのは、本当に証拠上明白になったときだけですから、逆から言えば、明々白々な証拠を握っても検挙出来ないで反抗グループが実行するまで指をくわえて待機しているしかない・・不正義状態を何とかしようとしているとも言えます。
このようにえん罪リスクが心配ならば法律要件を厳しく絞るとか従来の判例の枠組みでは緩過ぎると言うならばその提言をして行くのが正当な道ではないでしょうか?
法律家らしい提言よりは「共謀段階の処罰法を作るな」と言うことは、「どんな証拠があっても処罰すべきではない」と言う主張と同義です。
どう言うことがあれば、処罰すべきか、どこまで犯罪扱いしないで社会が我慢するべきかは政治論であって法律論ではありません。
日弁連が政治論に踏み込んでいるとすれば、共謀罪が出来ると困るどこかの集団利益の代弁をしていることになるのでしょうが、当面現実的被害を受ける利害集団としては組織暴力団くらいしか想像出来ません。
日弁連がまさか暴力団存続のために頑張っている訳ではないでしょう。
ところで、共謀の客観証拠は簡単に入手出来ない上に、共謀が冗談の会話かどうかの見極めのためにも、捜査機関としては、周辺準備行為の観察・・間接事実の証拠収集から入って行くようになると思われます。
結果的に、従来どおり客観的準備行為のある場合が中心になるでしょうが、行く行くは電子機器の証拠・・メール・傍受等の重要性が増してきます。
検挙するには「厳格な共謀概念と証拠が必要だからそんなに心配いらないじゃないか」と言う私のような意見によれば、共謀罪や秘密保護法反対・マイナンバー法や防犯カメラ設置、通信傍受等が監視社会になると主張している反対論者と支持基盤が共通している不思議さに気が付きます。
防犯カメラやドライブレコーダー等の記録によるプライバシー被害と防犯カメラ等があることによるメリット・・社会の安全とどちらを選ぶかの問題であって、「監視社会になる」と言っていれば済む話ではないことをOctober 26, 2014「共謀罪6と立法事実3」で書きました。

不公正な情報提供1と中立機関

原発元所長の吉田調書が公開されない・・朝日新聞しか内容を知らない・・誰も反論証拠を出せないと思って偏った捏造報道をしていたところ、政府に公開されてしまい、報道の虚偽性が白日の下に曝されて信用を全く失ったのが朝日新聞です・・。
マスコミが報じなくとも個人・・フリーのジャーナリストが世界中に出掛けて行ってマスコミの報じない中韓等に不都合な現状をネットで報告している状況ですが、今のところ需要の多い政治経済状況に偏っています。
法律条文や裁判・運用状況等専門的知識が前提になる分野では、まだまだそう言う人材が現れません。
その内専門的フリーのジャーナリストも生まれて来るかも知れませんが、何年経っても需要が乏しい・・市場が育たない限り無理かな?
大手マスコミや大学等で費用を出してもらわないフリーが、外国へ行って資料収集するには経済力が続きません。
その内自動翻訳等が発達して国内の司法統計同様にアメリカやその他主要国の司法統計などの各種統計が、そのまま日本語でしかもネットで見られる時代が来る方に期待する方が早いかも知れません。
いまは素人にはアクセス出来ないことを良いことにして(・・吉田調書の場合で言えば、マスコミすらアクセス出来ない予定でした)マスコミや専門機関が良いように情報操作している状況です。
(世界中に調査団を派遣して自社・ある利害集団に都合のいいい部分的な事実だけアップしていますが、何故か共謀法や秘密保護法ではこれすらやりません・・世界中探しても都合の良い事実が見つからないからでしょうか?)
国内報道でも、街角のインタビューも自社主張にあわない意見はカットされているのが常識です。
マスコミが報道しなくとも、その内、お金をかけて海外事情を調査する人も出て来るし海外情報がそのまま分る時代が来るでしょうから、そうなると日弁連も20年前の主張が世界情報のつまみ食い・・我田引水だったとして朝日新聞に似たような結果・・世間お信用を失う結果にならないかと心配しています。
まして我が国は11月2日から書いているように、世界に先駆けて過去半世紀以上にわたって、共謀に関する判例の集積がある国です。
反対論者からすれば、共謀共同正犯の「共謀」と共謀罪の「共謀」は違うと言う主張になると思われます。
11月2日に書いたように事件が起きてから遡って認定する「共謀」と被害が起きていない段階での共謀認定とは、方向性が違うとしても重要な部分で重なることは確かでしょう。
公害防止技術の進んだ企業が、更に高度な公害防止を求められた場合、従来技術そのままでは使えないとしてもそれまでの経験を活かせるので、それまで公害技術ゼロの企業よりも有利なのと同じです。
半世紀以上の運用の経験のある我が国の方が、これまで共謀認定集積の少ない諸外国よりも、現場の暴走を心配する必要性・・リスクの少ない良好な環境になっている事は間違いがないと思われます。
この結果、諸外国よりも濫用的な検挙リスクが少ない・・・半世紀間以上運用されて来て実際に濫用されて問題になった事例は1つもありません・・少なくとも私は知りません。
半世紀の間に1つでも濫用的逮捕等が発生していれば、反対論者は「こんなに危険だ」と鬼のクビでもとったように大々的に発表しているでしょう。
人権擁護と言う視点で見るならば、共謀の概念蓄積が進んでいる我が国の方が欧米よりも捜査権濫用の危険が少ない状況になっているのを、反対論者は何故一般に紹介しないのでしょうか?
例えば学者の「欧米ではこうだ」と言う意見(社会系の論文)を見ると、どこかの市でこう言う条例があると言って自慢げに紹介するのですが、その国で今後その傾向が広がって行くのか、その市だけの特殊現象か?社会全体の傾向がまるで分らない報告論文が多いのに驚きます。

 社会防衛と人権擁護1

オレオレ詐欺等では、預金払い戻しの時間場所が払い戻し機のデータで特定されるようになっていて、しかも、その時間帯の現場写真があって犯人割り出しに威力を発揮しています。
モノゴトは社会の安全装置としての役割とプライバシー侵害との兼ね合いでしょうし、公道や大規模商店内での写真撮影から守られねばならないプライバシー性はそんなに高いとは思えません。
立ち小便しているのを写されるのが恥ずかしいと言うような人・・あるいは何か後ろめたいことをしている人の秘密を保護するために防犯・社会の安全と引き換えにするべき議論でしょうか?
防犯カメラ反対論者は、誰のどう言うグループの利益を求めて反対運動しているのでしょうか?
「近代刑法の精神」はまさに19世紀=「近代の精神」であって、20〜21世紀に生きる現在の精神ではありません。
現在には近代とは違う現在の精神が生まれていることを知らない訳がない筈ですが、その説明が必要でしょう。
現在進行中の民法改正の方向性では、過失責任主義から行為時の標準取引基準に変容する予定になっています。
即ち意思責任主義が変容しつつあって民法もこれにあわせて改正しようとする動きになっています。
これは法律が変わることによって社会意識が変わるのではなく、社会意識変化にあわせて法も変わって行くべきことを表しています。
例えば医療事故で言えば、当時の医学水準でどうだったかが問われるのが前世紀以来・・普通になっていte,
担当医の内心を探求して過失や故意を議論しても始まりません・・。」
民法改正の動きはこうした前聖域以来の実態追認のための改正でしかありません。
刑法分野でも重大結果を引き起こしたのに意思責任を問えない場合でも、結果が重大な事件に限って医療観察法が制定されていることは09/08/06「保安処分13と心神喪失者等医療観察法8(入院通プログラムの重要性)」等で連載して紹介しました。
この法律によって医療とは言うものの、行為者・危険な人に対する事実上の社会隔離が進んでいます。
この医療観察法による強制医療は医療とは言うものの、重大結果に限るところが、結果責任を問うような仕組みになっていることや再犯の恐れの条項もあるので、本質的に医療と相容れないと言う批判・・、弁護士会や法学者からこの法律制定時に(・・近代刑法の確立した原理に反すると言う)厳しい批判が出ていました。
当時医療観察法は社会防衛思想・保安処分の焼き直しだと言う批判だったと思いますし、私も同じ懸念を持っていましたが、いま考えると社会防衛思想の行き過ぎで人権侵害になるかどうかこそが問題であって、人権侵害にさえならなければ良いのであって、その兼ね合いを考えながらの社会防衛自体は必要です。
車は危険ですが、ブレーキ等安全装置や運転の仕方次第で有用な道具になっているのと同じです。
殺人事件を次々と起こしても精神疾患等で行為時に意思能力がない以上は無罪だからとして、その都度釈放・・野放しで良いのか?と言う社会の現実がありました。
犬は人間同様の能力がないから咬んでも仕方がないと言わないで、かまないように放し飼いにしないとか相応のルールが生まれています。
意思責任主義を近代法の基本と言う意見が多いですが、我が国では忠臣蔵で有名な浅野内匠頭による松の廊下の刃傷事件が元禄14年3月14日(1701年4月21日)ですから、フランス革命よりも約100年近く前でも、取り調べに際して「乱心致したのだな!」と助けるために問いただす場面が有名です。
吉祥寺の放火事件・・八百屋お七の場面も同じです。
ただし我が国では以前から繰り返し書いているように、庶民の実情からいろんな制度が発達していて、西欧のようにローマペルシャから輸入した観念論から発達したものではありません。

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