政党支持層の変化1

13日に見たように農業は地方自治体の人材供給面でも中核を占める場合が多く、農家をつかねる農協制度は、結果的に地方行政組織を事実上牛耳る制度設計でした。
地方政治家あるいは地方出身国会議員はすべからく農業票=農協を支持基盤にしないと当選出来ない仕組みでした。
長く政権党であった自民党が農協と蜜月関係にならざるを得なかった所以ですが、指導待ちを基本とする農協組織とは「自由」民主主義とは本質的に矛盾がありました。
(本来共産主義的地方政治制度は、社会主義系の政党に有利になる筈だった関係です。)
この無理を是正する動きが選挙制度の改正でした。
労組・あるいは共産主義者を支持基盤とする革新系と称する(実質超保守)政党は、都会票の重みが少な過ぎると言って、一票の格差是正を連年訴えて来ました。
この運動は、実は(もっとも社会主義的組織に組み込まれて保守化していて革新系政党と気のあう)農民票の重みを切り崩す政策でした。
高度成長期以降、選挙法改正が行なわれる都度、都会票の比率が上がって来ると、中央から指令に頼る硬直的・・発展阻害勢力である農協票に自民党が頼る必要性が薄れてきます。
本来過酷な競争生活をしている都会人は、競争社会を前提とする自民党支持層になって行くべき本質的関係があらわになって来たのが平成に入ってからの動きです。
この地滑り的変化が社会党の事実上の消滅をもたらした原因でしょう。
革新系は社会党から社民党に名称を変えても新技術導入や競争反対を前提にする以上は、上からの指示を待って停滞こそ安心と言う基礎的態度になっている農民を支持層に切り替えて行くしかないでしょう。
他方自民党は、都市票が大きくなって来たことから、言わば超保守の農協票に頼る比率が大幅に減少しています。
都市と農村の経済格差拡大の実態に照らせば、格差論の好きな革新系政党が、都市票を基礎にするよりは農村票を基礎にした方が主張にもあっています。
アベノミクスは地方経済に及んでいないと言う批判論法も同様で農村票目当てにすれば一貫します。
ところで、アベノミクスの恩恵が地方に及び難い点に付いては、経済活動が活性化しても、公立校の教員の給与収入がすぐに上がらない・景気が悪くても給与が下がらないことを見れば分るように、経済の活性化策と農業振興は別次元のような・・農業が補助金中心で公務員のように聖域化していて、経済活動の原理に「我関せずの関係になっている以上は」経済の動き・・よくなっても、農業や公共工事中心の地方経済に影響が及ばない(不景気でもあまり関係がない・・公共工事は不景気対策で打つものですから、景気が良くなると逆に減るのかな?)のは当然の帰結です。
経済活動と連動しない農業・公共工事中心経済の地方に行けば行くほど、好景気の恩恵が明らかに実感出来ないのは当たり前のことです。
地方にも好景気の恩恵を速やかに及ぼしたいならば、農業も産業である以上は、好不況の経済活動と連動するようにして・経営者の自覚を持つように流動化して行くべきです。
まだ農村票が自民党に流れていますが、自民党は都市票取り込みに成功しているので、自助努力反対の農民票をある程度切り捨てても国政としては困らない筈ですが、憲法改正したいことや票は多い方が良いから表面からそんなことを言わないだけではないでしょうか?
ただし、地方選挙で首長や議会をどれだけ抑えるかと言う数字では、過疎地域も1つの自治体である以上は農民票を無視出来ません。
地方の人口減が激しいので、地方選挙の結果は国政に関連しない時代が来ているのに、マスコミや識者の意識が遅れていて・・あるいは敢えて矛盾主張しているのか?未だに地方選が国政支持率の動向を占う指標と誤解している点がややこしくしています。
マスコミや革新勢力は、一方で1票の格差是正を(地方自治体の数でなく人口比に忠実にせよと)主張して、(憲法違反の疑いのある選挙による政権として)政権の正当性を崩すべく大々的に主張しながら、一方で自治体の数で勝敗を報道して「国民の声を謙虚に聞くべし」と国政選挙の効果を否定するようなマスコミの主張・解説は矛盾していることになります。
支持基盤を都市票と農村票として分類すると、公明票は単独宗教を基礎にしている点で異質政党ですが、この点を別にすれば、都会に基礎を置き、労組よりは中小零細事業者に基礎を置く点で保革の区別で言えば、中道勢力です。
(親中韓系かどうかはまた別の基準ですので、ここでは触れません)
こう言う視点で言えば、自民党が軸足を農民票から、公明票に切り替えた・連立したのは、自主性・自発的発展勢力尊重と言う意味では合理的選択に見えます。
自公連立成立(2003年(平成15年)11月)こそが、保革のねじれ(世上衆参のねじれを言いますが、私の場合支持層のねじれを書いています)解消の第一歩だったことになります。

共産圏的集団指導体制2と地方の衰退1

日本を除くアメリカ、ドイツ等どこの国でも、地方に大企業本社等があり、新規企業が生まれています。
戦後、日本だけ地方では滅多に新規企業が生まれない・・せっかく工場誘致してもその技術を利用して我がものにしてしまう土壌がない原因は、昨日書いたように中央への人材流出パターンに本質があるとしても、占領軍の置き土産・・農地の共産主義的細分化+指導強制による無気力化政策の成功も影響があった可能性があります。
中央の指導強化と地方の発展性に付いて考えて行きます。
自由な発想・思考錯誤に任せると失敗も多いし、すぐに良い結果が出る訳ではありません。
しかし、百〜千人の挑戦者の中から一人でも成功者が出れば全体として長期的に良い社会になると言うのが、産業革命以降世界の一致した考え方でしょう。
逆から言えば、どこかの成功例を探して来て伝授指導するばかりでは、自主開発に挑戦する精神が鍛えられず、長期的には発展の根が枯れてしまいます。
日本企業の衰退と逆転バネのある企業を比べると分りますが、目先が利いてある事業モデルで稼いだ会社は、世界の流れが変わると、応用力がなく衰退する一方となりますが、時間がかかるものの自発的研究開発で自力で伸びて来た会社新たな社会へ対応するべく次の事業へ転換して生き残り復活出来ています。
中国のような超低賃金国の生産競争参加で、日本はもう駄目だと言われながらも時間をかけて、地味に努力して来た結果、今漸く復活出来た背景は飽くまで根気のいる自前技術のある企業が頑張ったからです。
世界の潮流が変わると対応出来ない企業は、それまで時流に乗っていただけで、物まねして来て、自前技術を育てていなかった会社のメッキが剥げる場合が殆どです。
スーパーダイエーで言えば、アメリカ流スーパー販売方式導入で流通業界を席巻したのですが、それだけでは他所も導入すれば、横並び競争になり負けてしまいました。
中国の安い人件費目的に真っ先に進出した中規模家電メーカーは、1時一世を風靡しましたが、みんなが進出するようになると淘汰されてしまいました。
またその後進出した大手もサンヨー電気その他特定技術を持たない以上は、現地企業が育つと負けてしまいました。
松下→パナソニックも低賃金目当ての中国進出からの方針転換・撤退で、BTOBへ戦略転換して何とか踏みとどまり、黒字転換を果たしています。
時代が変わるごとに無数にあった同業種企業群から、転換成功して生き残って来た企業は(各業界ごとに日立、東レ・・零細事業では蒲田の個人事業者までその他枚挙にいとまがありませんが・・)自前技術を大事にして来た企業ばかりです。
中韓の企業は先進国技術の導入・指導を受けてやる分には失敗がなくて効率が良かったのですが、この効率の良さの故にこれに比例して自前技術があまり育っていないので、反日運動の結果日本からの技術導入が細るとどうなるか・・ドイツとの親密化期待・・に関心が移っています。
未熟な子供や部下にやらせるとマドロッコしいし失敗も多いですが、親や上司が何でも手を出していると子供や部下が育ちません。
長期的発展のためには完成モデル模倣の指導よりは、失敗しても良いから自発的工夫力を磨くことが必要です。
中ソは後進国だったので革命後先進国技術をエリートが研究し、模倣(スパイが盗んで)して中央が指導する形式・・政治的には独裁が妥当しました。
このモデルが共産圏への先進技術輸出禁止(ココム・チンコム等)の結果、厳しい警戒をかいくぐっての剽窃(スパイ活動)に頼るしかなくなった結果、導入範囲が特定軍事技術・ロケット等の分野に偏るしかなくて、幅広い民生技術まで及ばないことから、共産圏社会の停滞が際立ってきました。
これがソ連の崩壊や中国が共産主義政権のまま自由主義経済への参加・開放政策へ転換せざるを得なくなった基礎でした。
安倍政権の農業改革・岩盤崩しの要点は、この指導監督制度の強化よりは、廃止・縮小に的を絞り、一時的に停滞しても自発的努力をする業界、努力すれば報われる業界への転換を図るべきでしょう。
「地方創生」のかけ声自体が国主導で地方活性化しようとするもので、無駄な努力と言うよりも、マイナス効果が見込まれます。
農家や地方政治を指導に頼らせる基本政策を決めているのが、以下の条文です。

農協法
第七十三条の十五  農業協同組合中央会(以下「中央会」という。)は、組合の健全な発達を図ることを目的とする。
第七十三条の二十二  中央会は、その目的を達成するため、次に掲げる事業を行う。
一  組合の組織、事業及び経営の指導
二  組合の監査
三  組合に関する教育及び情報の提供
四  組合の連絡及び組合に関する紛争の調停
五  組合に関する調査及び研究
六  前各号の事業のほか、中央会の目的を達成するために必要な事業

上記のとおり共産圏で一般的な党中央の方針を下部組織に徹底して行くやり方そのままを法制化したもののようです。
共産党中央ならぬ、農協中央の指令に基づくやり方では(傘下の単位組合や個々の農民は指令を待つばかりで)農業の自主的発展は望めません。

農協法5(共産圏の集団指導体制1)

話を私の疎開時代の農村社会に戻します。
・・と言うより空襲を受け、丸焼けになってからの東京脱出ですから、正式には疎開ではありません・・母は焼け出されて来たと言っていました。
私が米軍空襲の被害を受けて中学卒業まで田舎に暮らしていたトキの経験では、田舎では村役場と農協事務所・小中学校は隣接していましたし、直ぐ近くには農協の醤油製造工場(大豆の焦げる良い匂いがしていたのを記憶しています)もありました。
子供心には農協と役場の区別も分らない(・・村の中枢と言う印象?)ような印象で暮らしていました。
意外にこの子供心の印象が、実態にあっていたのかも知れません。
ソ連や中国の集団農場が病院から学校まで全て包摂していたと言われる状態を彷彿させる・・農業関係者・農協の重鎮中心に回ってる社会構造でした。
一般の業界団体では加入業者の自主性が基本で、同業者間で共通課題が生じているときに業界一丸で勉強会を開いたりして対処しましょうと言う方向ですが、農協法では上(中央)からの指導と助け合い(共済事業)が中心コンセプトの印象で、業界団体とは本質が異なっています。
単位組合の上に君臨するのが中央会と言う別組織でこれが指導から監督までみんなやる仕組みになっています。
今朝の日経新聞朝刊第一面に、タマタマ農協の営農指導員不足を大きく書いています。
日経では、指導不足こそが農業が発展しないどころかお荷物になっている原因と言わんばかりです。
私の意見は自己啓発努力しないで、中央に頼り切るシステム・精神こそが、自発性を育てない結果長期低落傾向になったと言う意見ですから日経とは視点が違います。
マスコミ系は人権や民主主義を声高に言う割に、何かあると中央の監督責任ばかり追及する傾向があること・・結果的に、中央の権限強化を促進する傾向があるとこのコラムで繰り返し批判してきました。
指導力強化ばかり・・末端は指導を待っていればいいと言う状態では、その分野は却って駄目になると言うのが私の持論です。
指導は効果が出易いですし失敗もありませんが、どこかで成功した事例を別の地域に持って行って真似させるだけでは(効率はいいでしょうが)発展性がありません。
地方自治体も同様で、どこかの先進自治体の成功例があると見学者が引きも来らずと言うありさまで、結果的に日本中同じような地方起こし企画ばかりになっています。
こんな指導員ばかり育てても仕方がないでしょう。
他所で成功していると言う早耳情報に頼っていたことが、自分で考えない農業にしてしまい、ひいては農家が構成主体になっている地方自治体(地方役人の実家が農家と言うのが圧倒的です)も同様に中央の指導や先進事例の収集に精出す結果になってしまったのだと思います。
折角地方立地・誘致した工場が景気動向その他の事情で出て行くと、・・何故その後単なる元の荒廃地に戻ってしまうのか、地元に産業の芽が残らないのか疑問に思っていましたが、70年(数世代)にわたって後進国並みに指導を受けるだけで自主性放棄して来た結果、地元農民出身の従業員が意欲や能力のない国民性になってしまったことによるのではないでしょうか?
中国、韓国、台湾でもタイでも、日本企業が進出して数十年もすると現地人経営の工場やサービス業(日本並みのスーパー)等が生まれて来て、日本企業が現地企業に負けて追い出されて行くのが普通です。
日本の地方は、折角先端企業を誘致してもこれに触発されて自前の新規創業が出来ないのでは、結果から見ると中国や韓国、台湾、タイ等以下の国民レベルになっていることになります。
地方発の新規産業がなかなか生まれなくなって久しいのは、基礎になる人材が中央からの指導待ち人材になってしまったことによると思われます。
地方の基幹産業である農業が衰退したから地方の元気がなくなったように一見見えますが、自発性のない人材が同じ(地方公務員その他公共事業経営者も実家が農業と言う人が圧倒的)ですから、自発性・発展性がなくなっている結果と見る方が正しいでしょう。
以前優秀な人材が出るとその都度中央に吸い上げられてしまうから、この繰り返しで地方の人材は痩せてしまう・・と言う意見を10/02/03(2003年です)「地方自治と人材3(憲法38)」その他で書いたことがあります。
それにしても同じ親から生まれた兄妹の中で地元に残った長男の家系(に限らず、残るような人は元々進取の気性に乏しい傾向もあるでしょうが)だけが自発性が格段に乏しくなるのは、制度的仕掛けの影響がかなりあったのではないかと言うのが今回の意見です。

戦勝記念式典の愚1

ようやく慰安婦騒動が収まりかけて来たと思ったら、今度は戦後70年周年と言うことで、中国が最近大々的に問題化し始めました。
日本はどうやって謝る気持ちを表すんだ!と言う明からさまな挑戦です。
日本は共産党軍に負けた訳ではないのに「次から次へといい加減にしてよ!と言う気持ちの日本人が増えてきます。
(正当か否かに関わらず)批判が強まれば、反作用が生じます。
最近米軍の残虐な空襲体験が時々マスコミに出るようになってきましたが、我が家はまさにその空襲被害の中で逃げ惑った挙げ句に九死に一生を得て生き残れた一家です。
(私はおんぶされていたので、親兄弟に感謝しています)
中国が喧伝する対日戦勝?70周年軍事パレードに関連して話がそれますが、この際ちょっと書いて行きます。
戦争に勝った方が、戦勝記念式典を毎年のように開いていますが、勝ち誇っているつもりでマイナス効果をバラまいていることに気が付いていないようです。
人間としての、レベルが低過ぎませんか?
受験戦争や一流企業就職試験合格、司法試験等何事でも何かに打ち勝った喜びは、実は一瞬であって、そんなことを毎年何十年も祝っても何の価値もありません。
東大合格したことばかりを70年も祝うのではなく、立派な学者・社会人になれば良いことで、1流企業入社を何十年も喜ぶのではなくその会社で如何に業績を上げるかでしょうし、弁護士になれば、なったときの喜びばかり70年も祝うのではなく、その先最低の弁護士で終わるのではなく立派な弁護士になっていれば良いことです。
本当に戦って勝った方の国民にとっては、70年前のことよりも、「今の政治をどうしてれるの!」と言う関心でしょうし、個人に引き換えてみても例えば、70年前に東大合格したことを毎年祝って近所に餅を配ってもどうなるものでもありません。
誰かと喧嘩して勝ったことを何回自慢しても、日々の生活が良くなる訳ではありません。
何十年も前に喧嘩で勝ったことを自慢し続ければ、何か得することがあるでしょうか?
過去の栄光を自慢する社会や人は、当時に引き比べて現在が如何に悲惨であるかを自己証明することを自覚しないからでしょう。
・・今の悲惨な境遇を忘れたい人が過去の栄光を大事にしますし、・・指導者と国民の関係からすれば、政治の貧困・悲惨な現実から国民の目をそらしたいからでしょう。
東大を出てもっと立派になっている人は、70年前に東大合格したことを自慢することはありません。
ある時点の自慢を頻りにする人は、その後はジリ貧であることを自己証明しているのです。
スポーツで言えば県大会に出たの最高であればそれが自慢ですし国体まで言った人もそれが自慢です。
その後プロ野球選手になった人は国体に出たことを自慢しません。
逆に負けた方は、毎年隣の人から、「あのときお前に喧嘩で勝ったよな!」と言われ続けると、負けたときの屈辱感は毎年生傷にミソをすりつけられるようでいや増して行きます。
ですから、勝負がついた後は勝った方が逆に戦いに触れたがらない・・「あれは終わったたことだ」取り合わないのが大人の智恵です。
この程度のことをアメリカは理解出来ないのですから、民度が幼稚園児程度と私がこのコラムで書き続ける所以です。
負けた方が、臥薪嘗胆の意味で毎年式典を開くならば分りますが、(日本の終戦記念日は毎回残虐な被害を受けたことお思い偲ぶものですが決して復讐することまでは言いません)勝った方が70年も戦勝祝いをしても、負けた方の恨みを毎回新たにして激しくするばかりで損しか残りません。
日本と戦ったこともない中韓やロシアが、派手に戦勝記念行事をやればやるほど、日本人はアメリカの野蛮極まる戦争犯罪行為・ロシアの背信行為とシベリヤ抑留の悲惨さをまざまざと昨日のように思い出さざるを得ません。
中韓はアメリカのご機嫌取りにために式典をやる振りをしていながら、内心は日本の反米感情を煽る下心もあるでしょう。
最近派手にやるのは本来の戦争当事国ではない中韓やロシアが中心であることもその気配を感じさせます。
アメリカは長年中韓を背後で煽って日本の足を引っ張って来たものの、そのマイナス効果に漸く気が付いて来たらしく「良い迷惑」と思うようになり、困り始めているのではないでしょうか?
(アメリカが70年経っても、まだマイナス効果に気が付かないとすれば余程レベルが低い・児戯のレベルにあることになります)
韓国がアメリカの御機嫌取りのつもりで慰安婦・南京虐殺等で騒ぎ過ぎて、(日米離間を計る中韓の意図に気が付いてしまった)アメリカのご機嫌を斜めにしているような印象になって来た原因です。
中韓の激しく非合理な日本批判は、現在の中韓両国民がこれに比例して悲惨な状態にあること・・現在国際競争の敗者であることの自己証明をしていることになります。
落ちぶれてる人が出世した人を前に、本当は俺の方が家柄が良いんだと威張っている姿を想像すれば分るでしょう・・現在負けているから過去の栄光を持ち出すのです。
この程度のことにまだ気が付いていない・・国民を誤摩化すのに有利な戦略になっている・・民度がその程度に留まっているからでしょう(・・ロシアも毎回式典開催に積極的な国ですが、国内・国際政治がうまく行ってない実態は共通です
根拠ない日本批判を激しくすればするほど日本人の反作用を引き起こして、ブーメランのようにアメリカの対日戦争の正統性に対する疑念に跳ね返って行くので、実はアメリカ陣営の弱体化を図る政略を兼ねていると見るのが合理的ですし、アメリカも(中学生レベルの能力があれば)その意図に気が付き始めている筈です。

農協法4(共産主義的組織1)

農協は弁護士会のように加入強制まではしないものの、元の小作地を売り渡された零細農民は、一人残らず地域農協に加入しないと種苗の入手に始まって出荷に至るまで何も出来ない仕組み・・(共同購入共同出荷)事実上加入強制されている関係でした。
零細化の原理は以下のとおりです。
小作人にその耕していた農地を分与することが原則ですが、地主にも生活がある・・搾取が行けないと言うだけですから、1町5反前後くらい?まで地主に保留した分がありました。
そうすると小作人の耕していた分の何割かが地主分として残すことになるので、従来小作地よりも一定量減ってしまいます。
100人の小作人がいれば1%減るだけでも大きいですが、そんな大地主は全国で何軒もなく、4〜5〜10人程度の小作人しかいない地主が普通でしたから、4〜5人が地主生活分としての農地を残すには各人の小作地の何割かを減らすしかなくなります。
結果的に過去の小作地よりも減ってしまいますが、地主に搾取されていた分が減るから良いだろうと言うことだったのでしょう。
地主は搾取するばかりで改革の機運が全くなかったかと言うと、地主と言っても上記のとおり小規模零細企業みたいな規模が中心でしたが、中から時間経過で中規模経営に成長して近代化に進む人・・近代農業に脱皮するべく工夫する人が生まれる余地もあったと思われます。
日本農業は04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」前後に紹介したように江戸時代には農地売買禁止令の時代でしたから、人力利用で耕作可能な零細自作農ばかりだったのですが、明治の地租改正で徐々に資金力・経営力のある農家に集約され始めたばかりでした。
農地集約が始まったばかりでイキナリ企業家的地主が生まれるとは限りませんが、そこから起業家精神が生まれて来るには世代交代等の期間的流れが必要です。
言わば中小地主層とは一次予選を勝ち抜いて来た有能な階層だったと言えます。
この効果が出るかどうか・第2次予選で更に有能な人が活躍するかどうかと言う時間軸のところで、もう一度ぶちこわして零細農家に再分配してしまったことになります。
一次予選を勝ち抜いた地主層は、農地解放に嫌気をさして多くは都会へ脱出してしまいました。
全国一律の更なる細分化でそのような工夫努力する余裕も能力もない・・中央の指導に従う弱い人ばかりになってしまいました。
農村地区での農協の役割を見ると、事実上の全員加入組織ですから、(農村社会での非農家はホンの例外)一種の政府みたいな役割・・丸抱えでした。
純農村では政治と言っても農政が基本ですから、農協組織の意見に村長さんが従うしかないほぼ重複関係です。
(勤め人は役場の職員、農協職員、学校職員と駐在所のおまわりさんと国鉄の駅員・・彼らも家に帰れば農家の一員です・・その他はお寺や医師くらいで他は殆ど農民です)
戦後直後は特に食糧難の時代ですから、我々のような引揚者・そのムラの厄介者でしかありません・・の発言力は全くない・農家=資産家の意見が基本で地方政治が動いていました。
今でも共産圏・中国で共産党の中央・地方組織が中央政府・地方政府と2重行政的関係になっているのと似たような体制だったことになります。
中国では、市長等行政機関の長は(選挙で選ばれていない関係もあって)同地区の共産党支部長の方が市長や省の長よりも権限が上になっているし、警察よりも党の規律委員会が先ず拉致して行って、高官が突然音信普通になってから半年くらい経ってから刑事事件にすると言う報道が出て来る社会です。
子供のころの印象ではまさに農協や農業委員会(各種委員会統治形式も戦後占領軍の導入による共産主義的組織の1つです)の方が事実上の権力を持っている関係でした。
農村や元地主の状態(・・どの程度の規模が多いか生活状態)をどうして知っているかと言うと、私の一家は東京大空襲の結果、焼け出されて戦後田舎に住んでいたからです。
抗日戦勝利70周年と中国が宣伝する結果、最近大空襲関連報道が増えてきました。

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