サイレントマジョリティ1(委員会と執行部)

千葉県弁護士会では、関連委員会が提案しても執行部が採用しないために2月総会で会員提案議案になったことを紹介しました。
会員提案の総会議案にまでなっていないものの、ある施設に対する後援依頼を昨年の執行部が採用しないことで会員から、「委員会提案を無視するとは何ごとか!」と言う批判意見が出ていました。
ただし、いずれも思想的に偏った提案と言うものではありませんが、今や(専門化して視野が狭くなっている?)委員会と執行部との競り合いが始まっていることを紹介しているだけです。
執行部と各種委員会との綱引きに関しては、ここ三〜5年前ころに担当委員会の言うとおり?の提案した結果、数年続けて(議案は違いますが・・)総会で執行部提案が否決されたことがありました。
言わば専門家集団の思い込みに無関係会員が反対した構図でしたが、昨年度執行部は会員の総意を肌で感じた結果、委員会提案に抵抗する方向に(無意識の変化でしょうが・・)変わって来たと評価できます。
執行部が独善だったのかどうかは、最後に総会で決着がついたのですが、そこまで頑張るのは度胸のいることです。
昨年度執行部は、委員会の突き上げに毅然と対処して来た点で、(委員会の言うとおり執行していれば大過なくやれます)大した度胸・意思力のあった執行部であったと評価しています。
仮に会の総意であっても、右であれ左であれ、特定方向に偏った政治活動を公益性のある弁護士会の名で行うと、会内だけではなく、世間からも反対勢力の反発を受けるのは必然です。
ただし、生活保護や格差社会反対・自然保護運動程度の世論誘導型政治活動は、個別的利害団体・・反対政治勢力がないので今のところ無難です。
しかし、長年の反日的親中韓マスコミ報道に対して遂に在特会と言う政治勢力が生まれ、結果的に朝日新聞やフジテレビが大打撃を受けてしまったように、いつかは行き過ぎた政治運動に対する反対と言う運動体が生まれるかも知れません。
挑戦されれば、論争に打ち勝てば良いと言う意見もあるでしょうが、そんな論争の当事者になって弁護士会が血道を上げるとすれば、そのこと自体が、無益な資源(時間)浪費になり、大論争がネット報道されることによる会のイメージダウンは計り知れません。
このイメージダウンにフジテレビも朝日新聞も参っているのです。
政治論争をやるのは、その道(左右)の政治組織に任せれば良いことです。
日本は民主国家ですから個人が何を主張しても構わない筈ですが、中立を装った機関や組織がみんなからお金を集めて特定方向の意見を主張するのは狡いことです。
政治的意見を言いたければ、私のように自分のブログで書く程度にするか、組織的政治運動したければ弁護士会の名を使わずに同志を募るべきでです。
他人から集めたお金を使うならば、特定政治活動に使うとはっきりさせたうえで、会費を募って別の組織名で運動するべきです。
強制徴収した会費を使って特定目的の政治活動・声明を今後ドンドン拡大して行くようになると(平成26年10月18日にPTAや町内会等の事例で書いたように)将来弁護士自治を内部から侵蝕してしまうリスクを孕んでいるように思います。
仮に会の総意=多数決であっても政治活動が許されるかどうか自体に問題があるのですが、その以前に・・自由に退出出来る一般組織でないことを踏まえて会内合意のあり方・健全性には謙虚な姿勢が必要です。
「不満・意見があるならば委員会に出てきて、反対論を言えば良いじゃないか、言わない以上は賛成なのだ」と言う極論があるとすれば、妥当でしょうか?
ちょうど4月12日には統一地方選があって、この後に第二次統一選がありますので、投票率の低さに関心が集まっています。
投票参加しない人の方が多くなって来るとその意見をどう見るかが重要です。
弁護士会の委員会の実態から見て行きますと、特定方向で固まってしまっている?委員会では、一人変ったことを言っても孤立するばかりですから、その内に出席しなくなりますから、こう言う場合には出席者の多数決よりは出席率が重要になります。
千葉の弁護士会では自分の希望した委員会に(懲戒等の特殊委員会を除いて)原則として希望どおり任命する仕組みですから、出席しても孤立しそうな委員会・予め方向性が分っている委員会の方向性にあわない意見を持っている一般会員は所属希望を出しません。
その結果、委員会意見は一定方向へ純化する一方です。

弁護士資格と弁護士業務1

世の中には元社長や元校長、元◯◯がいくらもありますが、こう言う表現は何か事件があったときマスコミがつけるものであって、自分から名乗れないところが困るのでしょうか?
課長は課長の待遇、定年後再雇用されて非正規になれば元部長、元課長などと言いません。
社長は社長の待遇、辞めればその後転進後の肩書きが付き、肩書きがなくなれば、その人のそのときの人柄だけで勝負する・・このようにありのままの人柄・人格でそのときの待遇を受けるしかないのではないでしょうか?
弁護士だけが現在やっていない過去の仕事の肩書きにこだわるのはおかしい気がします。
ただ、人間を合理的側面だけで割り切って行くのは間違っています。
高齢者施設等では、ボケ始めた人をバカにしたような扱いが良くないと言われていて、もと校長先生には先生と呼びかけたら・・嬉しそうに反応して生き生きとするようになったなどの話が一杯あります。
人間は最後まで、誇りを持って生きたいものですから、非合理な感情だと言って馬鹿にしてはいけません。
ところで論理的に整理してみると、司法試験を資格試験と考えれば、(20年ほど前に大量合格制度の議論が始まったときにも、資格試験か競争試験かの議論がありました)大卒その他のいろんな資格を見れば分るように、一旦得た資格は終身で良いことになります。
調理師や建築士や介護士や美容師、溶接資格など総べてそうですが、美容院経営をやめても美容師の資格はなくならないでしょう。
あまりにも職業に密接過ぎてその仕事を辞めたら意味がないからでしょうか、元美容師とか言うものの、調理師などをやめて別の仕事や無職の人が自分は調理師です・美容師ですと自己紹介する人はいません。
大学教授を辞しても博士号はそのままですし、江戸時代の武士は、奉行その他の役職を辞して隠居して出仕しなくなっても、 武士の資格が変わりませんでした。
弁護士の場合は、生活の糧を得ることが主目的ではなく、武士のような資格制度から意識が始まっていたのですが、これが強制加入制度となって、弁護士会に加入しないと弁護士を名のり、且つ弁護士業務を出来なくなったことによって、資格名称と職業名称が合体してしまった歴史があります。
この歴史がDNAとして残っているので、業務を辞めても弁護士資格・学者で言えば博士号のようなもの?にこだわりたい人が多い原因があるのかも知れません。
このように考えれば75歳以上で会費免除を受ける会員は、弁護士業務をしないで資格を有するだけにすれば実態と一致しますが、顧客にとっては、業務をやれる弁護士とやれない弁護士の区別が付かないと混乱します。
会費免除者=名誉資格だけであると言う歴然たる新たな表示方法の工夫がいるでしょう。
高齢弁護士にすれば、「弁護する資格・能力はあるが、お金に困っていないから悠々自適の生活をしているだけだ」と言う気持ちがあるのでしょう。
とは言え、自分では若いもののには負けない自信があっても、実際に90歳になって来れば能力が落ちていることは明らかです・・資格剥奪までしなくとも自然ににやめて行くし、顧客にも分るので、実害が生じていないだけはないでしょうか?
会費が高いとこの自然的隠退を早めることになるので、一概に悪いとは言えない逆に良いことかも知れません。
ここではその点を議論するテーマではありませんので、このくらいにしておきます。
これからの人生がある若手・中堅にとっては、会費負担の比重が大きくなり、自分の意見と正反対の政治運動に会費の多くを費やしていることが多いとなれば、その分でも安くしてくれるかどうかは死活的問題です。
結果的に右であれ左であれ(はっきり中立の公益活動と分る分野は別として)一切の間接的政治運動しないで、その分会費を安くして欲しい希望者が増えて行くのは自然の流れになります。
こう言う人が増えて来れば、その意を組んで会執行部による政治活動(関連支出)が自粛されて行くようになるでしょう。
それが大人の智恵です。
多数で決めたのだからと言って、遠慮会釈なくやれば会内に亀裂が生じてしまいます。
大分前に書きましたが、各種委員会はその道の「お宅が集結している」関係で、次第にやることや意見表明がエスカレートして行く傾向があるように思えます。
執行部が大人の智恵でこれをセーブしようとすると、街宣行動や集会開催等を求める委員会対執行部の対立場面がこれから増えて行く・・セーブする役割を果たすことが却って必要ではないでしょうか?

会費負担の重さと減免1

中途退官者の高齢者は弁護士経験が浅くて(仮に50歳で中途退官した場合でも2〜30台から弁護士業をやっている人に比べて)顧客基盤が弱いことから、一般高齢会員中の弱者を構成している比率が高い可能性があります。
半年ほど前に弁護士会館で偶然にある高齢会員に出会ったときに、そろそろ会費も払えなくなるから元気な内に「◯◯料亭で一杯やっておこうか!誘われたことがあります。
高額の会費負担に耐えられない若手弁護士や妊娠した会員に対する会費減免制度が始まっていますが、むしろ高齢会員の方が深刻な印象です。
10日に書いたように自分の生活費を稼ぐのがやっとと言う若手会員だけではなく、元々壮年期においても一人で細々〜普通にやって来た多くの高齢会員は、(大きな事務所経営している高齢会員は例外です)高齢化して収入減に直面しているし、妊娠のように一時的な問題ではない分、会費負担の重さが深刻でしょう。
「壮年期でも会費も払えないならばきちんと業務が出来ていないのだから弁護士業務を辞めたら良いじゃないか・・退出システムがない方がおかしい」と言う意見もあり得るでしょう。そもそも一旦弁護士になればどんなダラ漢でも一生食って行ける・・淘汰・競争のない業界はおかしいと言う意見は外部からあり得ます。
競争とは言うものの、高齢者の場合も退出させればいじゃないかと言えるかどうかです。
長年功労があってもどこの会社でも一定のところで定年があるように、(特別功労者・能力さえあれば、定年後も社長や会長等になってなお働けるし、名誉教授などの特別待遇がありますが・・。)その組織に貢献出来なくなれば身を引いて行くのが原則ですから、弁護士会だけが、最後まで面倒を見るのは例外かも知れません。
ただ、企業等とは違い、弁護士会は会員であると言うだけで給与を払う訳ではなく、大したコスト(総会通知等の管理コストですが、将来的には各種伝達がメール中心になって行くと送信コストもなくなるでしょう)がかかりません。
我々古参会員は今までもの凄い時間数、会のために無償奉仕をして来ていますので、(今でもかなりの委員会に所属して活動時間を取られています)事実上引退後の少しの期間程度はその程度の負担をして貰っても良いか?と言う感じです。
以上を総合して千葉県弁護士会では、在籍40年以上で75歳以上の会員が免除適用となっているのは、総合的に見て合理的な制度のように見えます。
壮年で会費も払えないような経営状況の場合、会費だけ免除して弁護士業を継続出来るようにするのは、世間に迷惑をかけるリスクがあります。
法的能力が低くてミスばかりで顧客が離れる場合はもちろんのこと、法的能力が高くても、顧客満足度が低いと言うことは・・サービス内容が悪い・・顧客評価=国民評価が低いことですから、弁護士界全体の評価を下げていることになります。
顧客としょっ中トラブルを起こすのも弁護士会全体にとってのリスクですから、総合的に弁護士能力としての欠陥があると言えます。
高齢化によって事実上仕事をしていない人・弁護士と言う名称・肩書きが欲しいだけの人・・最後の入院中でも弁護士の肩書きが欲しいと言うならば、その希望を叶えて上げてもそうしたリスクはありません。
在籍40年以上75歳以上で免除する制度では、(会に対する貢献度の低い)4〜50歳代で退官後弁護士になった人だけではなく、途中東京等からの移籍会員で40年未満の人はこの恩恵を受けられません。 
しかし、転籍者は千葉県弁護士会に貢献していないだけあって、日本の弁護士会全体では何か貢献(東京の弁護士会ではそれなりに公益活動を)していることを考えると、どこの会に属していようとも、(経歴を持ち歩けるように?)弁護士歴40年でも良いような気がします。
ここ20年前後登録の若手・中堅弁護士では、都内のタワーマンション等購入が普通になってきましたが、我々前後の世代は一定年齢になると、都内通勤者でも東京周辺県で戸建てを買うのが普通でした。
この結果、東京登録の弁護士の場合、自宅が東京周辺県にありながら、(遠距離通勤の)東京登録の弁護士が一杯います。
こう言う人が高齢化に伴って、都内の事務所をたたんで自宅兼にすると事務所住所要件上、自宅のある周辺県の単位会に登録替えするしかなくなるのが現状です。

弁護士大増員の影響(弁護士会費負担の脅威)1

弁護士会の単位が都道府県単位になっているのは、タマタマ弁護士法が出来たときにあった行政単位を利用しただけですから、県単位で構成する必要性を再検討すべき時期がきているように思います。
今は千葉県内登録だけでも弁護士は約700人もいるのですから、県に1つと言うのではなく、政党要件同様に一定以上・・たとえば100人以上に達すれば別の会を設立出来るようにすべきだと言う意見が出て来るような気がします。
※当然のことながら「公益事業を一切しなくても良いのか」などいろんな要件議論が必要ですが・・。
地域限定せずに関東1円どこに住んでいても(政党のように)一定数に達すれば独立の会を設立出来るようにしても良いでしょう。
弁護士の関心の違い・・ひいては利害関係も地域差よりは、どのような事件を共通にやっているかの方が大きくなっています。
政治活動の是非と関係なく、元々強制加入制度自体が、近年の弁護士大幅増員・・若手弁護士や高齢化した弁護士・中高年層の限界的収入層の収入減・低下によって揺らぎ始めて行きます。
弁護士登録しない・法曹有資格者構想が議論されるようになって来たのも、このような実態があるからでしょう。
弁護士大増員以降これまで若手弁護士の生活苦ばかり注目が集まっていましたが、高齢会員も苦しくなっている様子です。
社会の生活水準が落ちると構成員の中で弱者に先ず影響が出るのと同じで、弁護士大増員によって経済的影響を受けるのは、若手だけではありません。
社会の場合、高齢者は労働収入が減ってもその代わり年金制度が充実していますが、弁護士の場合、高齢会員向けの収入システムはありません。
せいぜい後記の会費免除制度くらいでしょうか?
高齢会員や中高年会員は自己の収入減を恥ずかしくていえないからか、会費免除などを大きな声で主張していませんが、日弁連会員の登録抹消情報を見ていると最近自発的に廃業する(高齢会員と思われる人)が目につくようになっています。
また会費未納で懲戒処分を受けている中高年会員も少しずつ増えて来ているように思えます。
いわゆる不祥事・・非弁提携などを起こす会員も、高齢者に多くなっています。
この種の事件はミスが原因ではなく、経済困窮がほぼ100%の原因ですから、困窮度の指標とも言えます。
10〜15年以上前までは、裁判官・検事等の定年退職後の仕事として、弁護士登録する人が普通でした。
定年退官者は、基本的には年金で普通のサラリーマン以上?の生活が出来るので、会員登録しておいて、老後の余技のように「会費支払程度の収入があれば良いか』と弁護士会に加入している方が多かったと思います。
大増員前には月に1〜2回って来る国選弁護受任程度の弁護活動をして行けば良いかと言う意識が普通でしたが、最近では若手会員が増えて国選その他公的配点の取り合い状態になっているので、公的な仕事は年に1〜2件回って来るかどうかになって思惑が狂ってしまったと思われます。
何の収入もないまま年間60〜70万円前後もする会費を払うのでは、定年後の名誉料としては高過ぎるので、定年退官→登録後数年程度でやめてしまう例が出て来たと思うと、この関係に敏感に反応したらしく、この数年では退官した知り合いが弁護士登録したと言う挨拶が少なくなりました。
弁護士激増問題はひとり弁護士会の問題に留まらず、判事・検事にとっても、現職のときに考えていた定年後の老後設計を大きく狂わせつつあるようです。
ここ10数年來弁護士会が弁護士大増員で大騒ぎして来たのに対して、裁判所や検察庁は自分のところは採用を殆ど増やさずにいて・・(成績上位・上澄みの採用で良いので、新規採用者のレベルダウンの心配がありません)裁判所・検察庁を構成する判検事は自分に関係ないと高見の見物をしているイメージでした。

労組5と労働審判制度1

労使紛争に関して従来型労働組合関与による大型手続が社会の需要に対応出来なくなって来た・・機能しなくなっていたので、平成18年4月から新たな解決方法である労働審判制度が始まりました。
労働事件の判決まで何年もかかるので、本案前の仮処分制度利用がはやりましたが、迅速処理を前提とする仮処分も事実上丁寧な審理が原則になって来て、仮処分の本案化の問題が言われるようになりました。
仮処分と言いながら、強制力があって、(断行型・・仮の地位を定める仮処分・・仮に給与を払えと命令すると)後で結論が変わって労働者敗訴になっても、生活費に使ってしまっているので事実上取り返しのつかない損害が起きてしまいます。
そこで相手側の言い分を聞かないで一方的な命令を出すのは危険過ぎるとなって、本案同様に相手の反論を求め、反証を出させるようになって来た結果、本案訴訟と時間軸・訴訟の仕方がほぼ同様になってしまったのです。

労働審判法
(平成十六年五月十二日法律第四十五号)
(目的)
第一条  この法律は、労働契約の存否その他の労働関係に関する事項について個々の労働者と事業主との間に生じた民事に関する紛争(以下「個別労働関係民事紛争」という。)に関し、裁判所において、裁判官及び労働関係に関する専門的な知識経験を有する者で組織する委員会が、当事者の申立てにより、事件を審理し、調停の成立による解決の見込みがある場合にはこれを試み、その解決に至らない場合には、労働審判(個別労働関係民事紛争について当事者間の権利関係を踏まえつつ事案の実情に即した解決をするために必要な審判をいう。以下同じ。)を行う手続(以下「労働審判手続」という。)を設けることにより、紛争の実情に即した迅速、適正かつ実効的な解決を図ることを目的とする。

(迅速な手続)
第十五条  労働審判委員会は、速やかに、当事者の陳述を聴いて争点及び証拠の整理をしなければならない。
2  労働審判手続においては、特別の事情がある場合を除き、三回以内の期日において、審理を終結しなければならない。

この制度では、申し立て後数ヶ月での解決が基本ですから、非常に簡易化されました。
4〜5年ほど前に経験した事件では、(労働組合のバックアップどころか)弁護士さえ代理に立てないで個人名での申し立てでした。
労組系の弁護活動の経験のない私自身も、依頼を受けて企業側や労働側での受任・交渉等が多くなり始めています。
私が今担当しているアルバイト?運転手の解雇無効事件も、労働審判制度を前提にした弁護士同士の交渉ですが、この種事件に労働組合の出る幕がありません。
非正規労働をなくせと言うスローガンよりは、その解雇が許されるかなど、イジメやサービス残業など具体的労働条件を巡る争いのバックアップの具体的行動が必要です。
労働組合を通さなくとも直接弁護士にアクセス出来るし、(組織的長期支援がなくとも)一般弁護士も簡単に事件を始められるので、労働組合の後ろ盾が不要になって来たのです。
この制度開始の結果、労働組合の地盤低下が始まったのではなく、型通りの闘争や政治活動中心の運動では、多種多様化してきつつある労働者の個別利益擁護が出来なくなって来たことが先にあったのです。
見かねて新たな制度を創設してみたところ、これが需要にあっていたので、大ヒットしたと言うべきでしょう。
以下は、2015年3月28日現在ネット検索した記事の引用です。
これを見ても労組の応援をバックにした従来型大型訴訟は、個々の労働者の権利擁護に役立っていなかったことが分ります。

「労働審判制度の創設と施行に向けた課題

季刊・労働者の権利256号(2004年10月発行)から転載
執筆担当 弁護士鵜飼良昭
 「② 労働審判制度誕生の要因

 「この労働審判制度は、労働側、経営側、裁判所間の越えがたいと見られた利害や意見の対立を止揚したものといえる。我が国では、西欧における労働参審制の歴史に比較して、世論の関心はまだまだ低く議論の蓄積も少ない。それは我が国社会の労働や法に対する価値基準の低さの反映でもある。このような状況下で、何故今回のコンセンサスが可能となったのであろうか。少なくともその背景として、この10数年来個別労働紛争が増大する一方で、企業内の労使による解決能力が低下し、多くの紛争が解決の手段を与えられず潜在化しているという認識や危機感の共通化があげられるであろう。経済のグローバル化や労働力の流動化等によって、雇用社会は多様な労働者で構成されるようになり、利害の対立や紛争が深刻なものとなっている。旧来型のシステムや企業内でしか通用しない慣行やルールによる対応は既に限界に達している。

 この間、個別労働紛争の増大に対応して、地方労働局の相談・あっせん等の紛争解決システムも設けられてはきた。しかしこれらはいずれも、任意的調整的な解決機能しか持たない。どんなに法違反が明白で悪質なケースでも、一方当事者がノーと言えば強制はできないのである。従って、法の適正かつ実効的な実現を図るためには、紛争解決の要である裁判による解決の途が開かれなければならない。しかし我が国の労働裁判は3000件程度で、この10年間で3倍に増えたとはいっても、英独仏等の数十万に比して桁外れに少ない。この間、多くの労働者は泣き寝入りを強いられており、それは長い物には巻かれろという退嬰的な意識を社会に沈潜化させる源となっている。国民の大半によって構成されている雇用社会に、普遍的な法を行き渡らせることこそが、人々の自立を促し、我が国社会の活力やモラルを回復させる途であろう。この様な認識が、「自由と公正を核とする法が、あまねく国家、社会に浸透し、国民の日常生活において息づくように」という司法制度改革の理念を受けて、労働審判制度を誕生させた大きな要因だということができる。」

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