個人責任と組織の関係3(仮処分制度の領域1)

弁護士の場合間違ったことや変なことを主張しても、周辺・相手に対する説得力がなくて相手にされない・・相談者もおかしいと思えば別の弁護士に行くことが出来るし、強制力がありませんので、実害はそれ程ありません。
裁判官や検察官等権力=強制力を持っている場合、余程権力行使に対する自制心がないと、自己抑制しない人がその任につくと国民(しかも多くの人)が直接の被害を受けます。
変な人が権力を個人で行使出来る地位につくと、(昨日から書いているように決定内容・理由付けを知らないので高浜原発仮処分裁判官のことではなく一般論です)その人個人の問題と言うよりは、仮に千人に独りしか独断的自己抑制の利かない裁判官がいないとしても,これが独りでも出て来ると国家的に大変なことになります。
司法権は、行政庁のようにピラミッド型に多数の上司が関与して決裁して行くシステムではありません。
特定裁判官の決定が上司同僚間の意見交換で決めて行く仕組みではない(ヒラが書簡問題が大騒ぎになったこと想起して下さい)ことから、特定裁判官の考えによる政府や議会意思を覆す決定がそのまま即時に国家意思として効力を持ってしまいます。
長期間掛けた多数の利害調整を経て決まった政府決定や議会意思あるいは下位の審議会・規制委員会等の決定が、短期間でしかも国民意思吸収訓練を受けていない少数の裁判官が、結論を出すと政府や議会の意思に優越するシステムは問題が大きすぎないかの疑問です。
合議で決定したとしても地裁合議体の場合,比喩的に言えば本気でやっているのは裁判長一人で、右陪席は一人前の裁判官(と言っても経験5〜20年前後)ですが、その代わり目の回るような大量の事件を単独で抱えているので、社外取締役のような役目でじっくり記録を読む暇がありません・・。
左陪席は自分で事件を抱えていないので合議体事件記録調査の主任ですが、まだ一人前の裁判官になっていない新人・見習い扱いで裁判長の価値判断に反論出来るような立場ではなく、判決の書き方やその他の指導を受けているイメージですから、裁判長に指示された方向に沿って如何にそつなく証拠を拾い出し文書構成するかの能力が問われています。
各種委員会や審議会の経験ある方は分ると思いますが、いろんな利害代表で構成されている公的委員会でも委員長の議事運営の影響が大きいもので、まして3人の合議体と言っても(法的に裁判官は対等ですが上記のとおり年功順に構成されているので実質)対等者間ではありません。
政治決定のための会議のように3者の背後に別々の利害を代表している訳ではない・・裁判長の示した方針の影響力が大きいのが実態です。
政治家のように民意吸収能力が訓練されていない少数司法官のしかもじっくり審理しない「仮りの」判断で衆知を集めた政治判断が覆され、一旦効力が出るとそれを是正するのに数年以上はかかってしまう制度は問題がないでしょうか?
まして大津地裁の場合には、異議を出しても同じ裁判長・・本案訴訟も同じ裁判長と言うのでは司法の構成・・第三者の意見を求めて是正する制度が空洞化している問題があります。
報道ではこの裁判所では、本案訴訟も同じ裁判官なので2〜3年本裁判をしても多分結論は変わらない・(訴訟進行は裁判長次第ですし・・やっと判決が出ても)更に数年後の高裁判決の結論待ちになるだろうと書いていたようです(記憶違いか?)ので、もしかして合議体が1つしかない小さな裁判所でしょうか?
グーグルで見ると以下のとおりです。
以下によると合議体は2部ありますが、どちらの合議体で扱っても同じ裁判長ですから結論が変わる訳がないと言う意味で(上記のとおり裁判長の指導力が大きい前提)これを報道しているのでしょう。

大津地方裁判所 担当裁判官一覧

(平成28年1月28日現在)

大津地方裁判所民事部

合議A係 山本善彦,小川紀代子,秋元美衣瑠      毎週火曜,随時の金曜 1
合議B係 山本善彦,溝口理佳,山口雅裕,岡田総司    毎週木曜 1
1係 山本善彦 第2,4金曜 1
2係 溝口理佳 毎週火・金曜 2
3係 山口雅裕 毎週水・金曜 3
3S係 佐藤克則 随時の火・金曜日 3,4
4係 小川紀代子 毎週木曜 3

個人責任と組織の関係2(高浜原発仮処分1)

そもそも科学者総動員しても正確な地震発生の予知不可能なことが知られているこの時代に、衆知を集めて議論した結果で決まった基準そのものを、司法権がその優劣を裁く権能があるのでしょうか。
ちなみに予知不能を前提とする議論で衆知を結集する以上は、一定の結論が出るまでには反対論その他多様な意見が内部にあったことは当然で、これがあったことは危険性の証拠にはなりません・・逆に健全な議論があった証拠です。
今回の仮処分は基準そのものではなく、基準該当可否の判断に関する科学者の意見を信用出来ないとしたのかも知れません。
医療で言えば、診断ミスを裁判で判定するのと同様でしょうか?
医療事件は実際に治療が効果が出ずに死亡したり手術の効果が出ない場合が一般的で後からの判断ですから、手術前のデータと比較しての判定は可能です。
(「後講釈は誰でも出来る」と一般に言われている分野です)
事前差し止め・停止命令は実害の出る前の判定である特殊性があります。
科学的にまだ何がどうなると言う結論も決まっていない段階で、どの科学者の意見の方が正しいと裁判所が判定してよいのかと言う疑問が世間にあるでしょう。
科学そのものでは決め切れないことが知られている分野ですから、結局は科学的意見を前提に政治責任で決めるしかない分野です。
科学ではなく最終的には政治的に決めるしかない事柄について司法権がどう言う根拠で優越的判断を出来るのでしょうか?
政治で決めるべき分野について一裁判官が危険と断定するのは裁判所の介入限度を超えている・裁判権濫用の疑念があるという立場から言えば、今回の高浜原発停止決定もその一種でしょうか?
(ただし、決定の正確な内容はまだ分っていません)
裁判権がチェック出来るのは、政治が決めた基準・最上位には憲法や法がありその下位の政省令や規則・ガイドラインどおりに設備が設計されているか、作られているか、運用されているかなどのチェック権しかないように思えます。
決めた基準とおりにやっているかどうかの当てはめも科学者の知見によるしかないのですが、科学的に一致した見解のない分野だとどうすべきかです。
例えば活断層か否かの認定基準に関する一致した見解があって、この見解によれば活断層と認定すべきなのに、敢えて稼働をするために不合理に否定した場合が考えられます。
ニュースの断片だけで分りませんが、科学的に未確定分野について・・はプロである以上は批判に耐えられるような表現工夫している筈ですから、「未確定だから危険だ」と言う乱暴な判断はしていないとは思いますが、ニュースの書き方ではそのように受け取っているようです。
個別の文字を読むのではなく、全体の文脈を読んでいるでしょうか?
地震可能性には正解がない(・・仮に活断層があるとしても毎年地震が来る訳ではない・・1000年に一回と言う正解があっても、その一回がいつ来るかは分らない)のですから、中東等への工場進出等の決断同様で全てのリスクを予知するのは不可能です。
予知出来ないことを理由にどこの国へも進出しないままでは世界企業はジリ貧です・・経営者が責任を持って毎日決断して行くのが実務です・・。
その決断に対して、その国のカントリーリスクゼロの証明を求めるのでは、どんな新規挑戦も出来ません。
国の将来投資も同様で、直感力・現場力にたけた人材・・民主的に信任を受けた政治家が法の基準を決めることですから、既定の正解を探して来る秀才の能力とは方向性が違っています。
仮に100%安全と言えない場合には実行をやめるべきで仮に事故に遭うと実行を指示したものに責任があると言い出したら、会社近くの銀行への預金に行くことだって命じられません。
わずか100メートルの距離であっても、100%安全を誰が証明出来るかということです。
ましてや新興国やアメリカへの出張命令を出してその出張中に銃撃事件に巻き込まれると、企業の無謀な命令だったと言うことで非難されるようだと、マトモな仕事を命じられません。
今回の決定が、政治→法で大枠の基準を決めて順次おろして行き・規制委が決めた基準に合致していないと言う手続違背を理由にするならば合理的ですが、政治で決めるべき基準そのものを否定する判断の場合、裁判権濫用の疑いが生じます。
政治も最上位政治や中下位の政治があり、我々地方の審議会などは下位の政治です。
上記のとおり最上位段階が決めた基準該当性の有無も誰でも分るものではないので、その段階の科学者等の関与で決まるのが普通です。
過去の事件ならば医療ミスのように医療の一般的順序に従ったかの判定が容易ですが、事前に決めるとなると本来専門家の判断に任せるしかない分野です。
この自己抑制機能を判示したのが砂川事件最高裁判決・高度な政治問題については司法権は予め判断しないと言う判決です。
最高裁判決は、裁判官には自己抑制しない人はいないと言う信用で成り立っているのですが、ここで問題にしているのは、自己抑制しない裁判官が出たらどうするかのセーフテイ機能の必要性です。
ただし,以上は一般論であって、上記のとおり決定内容をまだ知りませんので、今回の高浜の原発停止処分を命じた裁判官が自己抑制を欠いていると、ここで書いているのではありません。

個人責任と組織の関係1

日弁連や単位弁護士会が政治活動するのはどうか?と言う意見に対して、人権擁護活動だと言う議論がすり替えっぽい疑念がつきまといます。
世の中何事でも、尖鋭な政治対立も人権擁護に関係すると言えば言えますが、結局は一般人が法律解釈運動と許される政治運動の限界をどのように考えるかと言う国民判断によることになると思われます。
マスコミの中立違反・偏向しているかどうかの判断も、最終的には国民常識・・市場で淘汰して行くしかないのと同様です。
個人ならば何をしても組織の評判に関係がないのでしょうか?
年末から児童売買春の規制に関するNGOの国連(海外)での活動の怪しさを書き始めていましたが、児童の人権は正に弁護士の関心事であるべきことには相違ないですが、それと国連に出て行って日本の酷い?現状を過大にアッピールする必要性があるかは、別途の国内政治判断です。
弁護士個人の政治活動は、日弁連などの組織の政治運動とは違って民主国家において自由ですが、国連男女差別撤廃委員会(日本弁護士が委員長)皇室批判の勧告案が日本政府に示されたことがタマタマ大ニュース・・になっていますので個人と組織の関係に触れておきます。
野球や芸能人の業界や一般企業組織等で、組織内の個々人が業務を離れて何をしようと何を言おうと本来組織に関係のないことです。
それでも組織の一員が不祥事を起こすと組織として対応し記者会見などで大騒ぎしています。
物造りやスポーツなど社会道徳意識の合致と無関係に構成されている組織でさえそうです。
もっと広く言えば何の関係ない筈のムラや街から立派な人が出ると、その地域の誇り・・立派かどうか分りませんが、甲子園やオリンピックで活躍するとその地域が盛り上がります・・・逆に言えば、おかしな人が出てもその地域の評価に関係している筈です。
血縁の多いムラ社会ではなくなっても、地域の評判を気にするのは単なる名残か、あるいは犯罪者が出るとその近くに住むのが不安になる・・偉い人がいると周辺人がいい方向へ薫陶を受ける・・メリットとデメリットとがあるからでしょうか?
今は地域社会よりも企業や組織社会での生活時間が長いので、組織内の人格的影響は地域社会よりも何倍も大きい時代です。
従業員が何万人といる大企業の末端で不祥事があったり暴言を博と組織トップが謝罪の記者会見を開いたりするし、トップ次第で企業のあり方が大きな影響を受けると言われています。
従業員が何をしようと暴言を吐こうと企業に関係がないと開き直っていると、社会の支持を得られない・・売上減や優秀な人材獲得競争に負けるので企業が対応に追われるのです。
芸能界・野球や相撲の場合タレントや選手は独立事業者としても、不祥事があると業界全体のイメージ低下になるので業界が必死です。
政治家も何を言おうと勝手ですが、評価・支持率の上下作用があるので、無茶な独りよがりは次の選挙に影響します。
政治家全体が社会から見ておかしいと思われると優秀な人材が政治に行かなくなりますので、「政治業界」全体としての利害もあります。
大金がかかってスポンサーの言いなりになるしかない・・アメリカの大統領になり手がいない・・変な人しか立候補しないと言われるようになっているのは世界全体の不幸です。
こうして見ると民主国家においては個々人の行為や発言を国家が発言を規制したり(違法でない限り)処罰出来ない代わりに、市場評価で自ずから規制されて行くことが分ります。
業界員全体が市場評価に曝される仕組みこそが正に民主政治の基本です。
裁判官や弁護士のように直接的な市場評価のない分野で暴走があった場合、どうすべきかが最近の関心になっています。
超長期的には優秀な人材が行かなくなる点では政治家その他と同じですが、短期・中期的弊害をどうするかの問題です。
裁判の暴走リスクに関しては市場評価による修正が間に合わないので上訴制度があってその間に効力が出ないようになっていますが、仮処分の場合即時に効力が出てしまい、異議申し立てがあっても異議審で取り消されない限りその間に効果が出たまま(異議審の決定が出るまでには数年かかるのが普通)になってしまうのが大問題です。
今朝の日経新聞では高浜原発稼働禁止仮処分命令が出たと言うニュースが出ていますが、一旦仮処分が出ると仮に明白に行き過ぎで違法である場合でもこれを覆すには数年単位の時間が必要ですからその間巨大な原発設備が停止したままになってしまう・・一企業の損失に留まらない国益喪失は巨大なものになります。
弁護士が個人で国連で活動を続ける(とは言っても日弁連の推薦があったのではないか?)・・あるいは一裁判官が原発停止を命じる・・・等の行為が、もしも国論の割れる問題である場合、反対論者からの彼らを推薦したり任用している組織全体に対する批判になりませんか?

護憲運動2と愛国心1

私が公害反対・・工場の操業停止仮処分申請運動に参加しなかった理由として、ソ連や中国のひどい公害には何も言わないで日本の進んだ公害防除装置の不備だけを強調して操業停止運動する偏頗性にあったと書いてきましたが、(核実験反対や原発反対も含めて中ソに関しては何も言わない)平和運動も同様の偏頗性が目につきました。
このため、一般の人権擁護活動と違う各種反対運動には参加したことがありません。
この辺のことは繰り返し書いて来ました。
アメリカ製憲法を賞讃しながら実質アメリカの推進する政策に反対する運動は、アメリカにとっては、苦々しい限りでしょう。
ベトナム戦争やイラク戦争への参加をしない理由として反戦運動の激しさ・・平和憲法を理由にして「日本は参加出来ない」で済ましてきました。
ここまでは左翼・文化人の主張は日本人(少なくとも私)の正義感(イラク戦争は対日開戦同様の言いがかり・・不正な戦争と思っています)正義に反する武力を用いないと言う国益・・正義感にもあっていました。
しかし、アメリカによる不正義な戦争に加担させられるのではなく、中国の不正義な膨張主義=日本の安全に直結する東シナ海や南シナ海の安全保障の維持努力にまで反対するようになって来ると、何のための政治運動か?・・護憲運動・平和運動は方便だったのではないかの疑念が生じます。
戦後の人権擁護活動や平和運動家の本音は・・日本の国益よりは、日本侵略目的の旧ソ連や中国の国益を守る目的でずっとやって来たのか?と言う疑念が出て来ました。
私が中国国内の反日暴動の煽動→尖閣諸島海域侵犯行動・韓国による慰安婦騒動以来、旧来の人権活動家・・日弁連等の意見と一線を画するようになった・・ついて行けなくなった理由です。
政治運動はどこかの勢力の利益のためにあるのですから、平和を愛し環境を大切にする気持ちは日本古来からの犬猫牛馬まで家族同様に愛する精神とは合っていますが、日本を侵略しようとする勢力をのさばらせるために利用するのでは本末転倒です。
アメリカに無理矢理戦争に引き込まれて酷い目に合った・・懲り懲りしていた日本人としては、敗戦後アメリカが平和を保障してくれるならば、無益な戦争を回避したいと言う日本人の心に合致していたので、押しつけではあっても内容的に憲法を受入れる心理的状態にあったことは事実でしょう。
その延長で起きたベトナム戦争やイラク戦争反対までは合理性がありましたが、アメリカの核の傘に象徴される安全保障が当てにならなくなって来て、日本が侵略されそうになっても非武装維持・・集団自衛権反対・・防衛機密のダダ漏れ運用容認の特定秘密保護法反対・・尖閣諸島侵犯行為にも黙っているべき(民主党政権ではビデオ公開を公務員法違反→刑事処罰と言う立場?)と言うようになって来ると私の平和論とは相容れません。
その気になって平和運動家の動きを戦後ずっと通してみると、日本侵略容認+反米勢力の利益になるように動いて来たと見れば、過去70年の動きが一貫します。
植民地現地部族間である程度紛争のタネを残しておくのは、欧米植民地本国にとっては支配の道具として利益であり常套手段ですから、日韓間に慰安婦問題の火種があって相互に反目しあっているのは、アメリカにとって望むところでしょう。
しかし、火種を越えてこれを煽りに煽って大火事にしてしまい、ここまで日韓紛争を激化させることまではやるのは、アメリカの利益ではありません。
アメリカが対共産圏向けに構築していた強力な同盟国(元は対ソ連で向けでしたが今や中共向けに変質しています)同士が仲良くなり過ぎるのは困るのでアメリカが火種を残ししておくだけあって、ここまで反目関係になるとアメリカにとっても不利益です。
世界中で小さな紛争を起こせては兵器を売り、或る程度以上紛争が大きくならないところでこれを仲裁することで、アメリカの権威を維持してきましたが、これがあちこちで火種が大きくなり過ぎてアメリカの手に負えなくなって来たのが中東その他でのアメリカの権威喪失の基礎です。
しかも中韓の反日行動が激しくなればなるほど日本国内では「アメリカが裏で糸を引いて来た」と言う疑念が渦巻いてきます・・。
護憲運動(非武装平和論や集団自衛権反対あるいは特定秘密保護法反対)と慰安婦騒動推進勢力はほぼ重なっていたように見えることからすると、かれらが何を目的に運動して来たのかの到達目標?が見えてきます。
古くはソ連を引き入れ共産化する目的のためだったでしょうし、・・今では日韓対立を煽りひいては日米離間のくさびを打ち込む結果も、すべてアジアで武力背景に横車を押し通したい中国の利益に結びつく構図です。
日本を愛すると言う目的が一切ない政治論のように見えますが、穿ち過ぎでしょうか?

憲法の本籍(国民主権)3と護憲運動1

国内政治論争は、日本国内問題解決にどうしたら良いかの議論であるべきなのに、護憲勢力は憲法内容の合理性如何に関わらず,内容の議論から逃げて護憲、護憲と言う形式論に固執し、しかも正当性の裏付けを海外・・国連での意見採択などに求める傾向があるのは、元々の成り立ちが背後のアメリカの意向を「イヤらしく」利用しようとする勢力だからです。
最近の例では集団自衛権必要性の議論を一切せずに「憲法違反を許さない」と言う合唱ばかりです。
彼らのよって立つ戦略は、「日本がアメリカの残した憲法を骨抜きにしょうとしていますよ!」とアメリカを中心とする外国勢力にアッピールすれば、アメリカを中心とする国際社会の支援を受けられる・日本人がヘコムしかないだろうという高度なイヤらしい意図が見え見えです。
この延長線上で、アメリカの支援に関係なく純粋国内問題でも、国内政治テーマにすべきことまで国内議論をしないまま先に国際問題に広げて国連でこういっていると言う動きが慰安婦騒動以来発達してきました。
慰安婦騒動のぱあい、朝日新聞の大誤報に端を発して国民的議論がないまま国連報告書が出されてしまい、こう言う報告があるから仕方が無いじゃないかと言う決め付けから始まっています。
NGOヒューマンライツナウに関して 年末に書きかけて先送りになっていますが、最近では、NGOと言うものを作って、児童保護など純粋の国内政治論を、国連へ出掛けて行ってロビー活動する・・その挙げ句に国連調査官と言う人物の招聘に成功して,実態調査もしないでNGO関係者からの聞き取りだけを元に、日本の性道徳の退廃は酷いものだと言う印象の記者会見をやらせるまで発展したのはこの一例です。
最近左翼が運動している憲法9条に対するノーベル平和賞運動もその一例でしょうか?
海外で日本の悪評・・ほめ殺しを広げてこれを利用する政治運動のあり方に関しては、後で上記NGO問題のシリーズの続きでもう一度書きます。
話がそれましたが、憲法論に戻ります。
新商品の例で言えば、事前にどんなに綿密なテストをしても・・実際に顧客が使い込む過程で想定外のトラブルが生じるのが普通で、使ってもらいながら商品の改良をして行くのが一般的です。
いろんな法律も・・日本国憲法も、運用して行くと、不都合が起きて来る点では、あらゆる商品と本質は同じです。
最近では、運用実績を見てから修正することを織り込んで施行後3〜5年経過後に見直す規定をおく法律が増えています。
李承晩ライン・竹島問題や朝鮮戦争が起きてみると理想論ではうまく行かない・・周囲には強盗国家がいるのにどう対処すべきか、非武装のままでは民族を守れないと言う問題意識が定着してきました。
これまで書いて来たようにソモソモ「国民主権に基づく憲法」としては自民族の生命を守るための自主防衛すら出来ない建て付けには無理があったことが、明白になったのです。
しかし、アメリカのメンツを潰さずに済ますための智恵として、特定条文が国民のためになる内容かどうか・・文字どおり読むと自民族のためにならないときには現憲法を生かしておくための智恵として「国民のためになるように」解釈して行く智恵が生まれました。
実はアメリカ自身、朝鮮戦争勃発以来日本を対共産圏向け軍事同盟国・・補完勢力として利用する必要が生じたのですが、憲法9条が矛盾するので重荷になっているのですが、自分の作った憲法が民族自立を妨害する・人道に反するもので無効だとは言えません。
ですから,護憲勢力・9条論者とは、実はアメリカによる日本に対する脅しを利用しているのではなく、アメリカが正面から反対出来ないことを悪用してアメリカの対日政策の変更を妨害している「イヤらしい」勢力になります。
集団自衛権論争も同じで、「日本がアメリカの作った憲法に違反しようとしている・アメリカの主導する戦後秩序を破壊しようとしている」とアメリカに訴えるのは一見アメリカに忠実なように見えて,実質はアジア安保維持のために日本のよりいっそうの協力を求めるアメリカの足を引っ張るためのイヤらしい行動になっています。
幕末に幕府に忠誠心を持たない薩長が、神君(家康)以来の「祖法」を守れ・・攘夷決行を主張→・・やれば欧米列強に対して勝ち目がないのが明らかで、結果的に欧米の植民地になってしまうリスクがあって幕府が実行出来ないことを知りながら、攘夷決行を幕府に迫ったのと同様の手法です。
これが狡い便法に過ぎなかったことは、自分たちが政権を取ったら,欧米に迎合して直ぐに開放政策に転じたことを見ても分ります。

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