PKOと国際常識3(政党の役割1)

質問だけから見ると民進党の主張が私の理解不足のためかはっきりしませんが、人命危険があるからPKOや駆けつけ警護をやめろと言う意味か?それとも現地政府の要請のない軍事力行使は侵略行為?になると言う形式論を言うのか不明です。
昨日紹介した民進党の国対委員長の意気込みでは、PKO派遣5原則が壊れていることを議論して行きたいと言うのですが、民進党が国際合意にの変遷に合わせて5原則を修正すべきと言うのか、5原則堅持して撤退すべきと言うのかはっきりしません。
いずれにしても現在では、昨日ウイキペデイアで紹介したとおり国内紛争・・政府の依頼がなくとも国連が派遣することになっているのですから、政府軍かどうかや危険状態を質問して追及しても、国際合意に反して日本が一方的に撤退する前提がない限り議論の筋が違い過ぎる・・国際的に通用しない議論を吹っかけても意味のないことです。
そして、駆けつけ警護を国会が認めた法にしたと言うことは、「駆けつけ警護の必要な危険程度では撤退しないこと」が前提になっている解釈をするのが合理的です。
駆けつけ警護が現実にあって・・頻発している場合には・・相手が単なる市民による略奪なのか反乱軍かなどによって、撤退の可否を議論するのは合理的ですが、まだ駆けつけ警護出動すらしていない現状で周辺の危険性を議論して、どのような国政を期待するのか不明です。
駆けつけ警護の必要性すら起きていない状態でも【危険だから撤退しろ」と言う前提の議論ならば法を無視したや繰り返しになりますし、以下に紹介するように南スーダンは権に関する国際合意・国際常識を無視した主張になります。
国際的に通用しない論理を振りかざして、仮にその主張どおりに実行すると国連決議無視・・日本の国益に反することをやれと言うのが目的のように見えます。
ス−ダンへの自衛隊派遣は民主党政権が決めたとも報道されています。
民主党が政権を取ったときには「少なくとも県外へ」を筆頭に事前スローガン通りやれないのでこれを守らない例が多かったと思います。
野党とは言え、政党である以上自分が政権担当になっても実行出来る前提の主張や質問をすべきです。
(実行出来そうもない主張をするから、どこの国益を代表して議論しているのか?と言う疑いを持つ人が多くなる理由です)
https://ja.wikipedia.org/wiki
「国際連合南スーダン派遣団は、南スーダン共和国に展開する国際連合平和維持活動 (PKO) のひとつ。
2011年7月9日に北部スーダンから分離独立した南スーダン共和国の平和維持活動を主任務とし、司令部を首都ジュバに置く。約7000名からなる治安維持及び施設整備部隊と警官約900人を加えた8000人規模で構成され、市民保護目的の武力行使が認められている。」
南スーダン派遣は、上記のとおり「市民保護目的の武力行使」戦闘があり得る前提の派遣です。
もともと戦闘参加すら想定して派遣しているのですから、その前段階の危険状態を根掘り葉掘り聞いて派遣をどうしようと言うのか質問の意図が見えません。
確保している質問時間を持て余しているのではないでしょうか?」
PKO派遣5原則には危険状態が酷くなれば撤退出来ることになっていますが、撤退条件を満たしているかどうかを把握するために質問しているのでしょうか?
pkoスーダン派遣は民主党の政権が決めたことですが、駆けつけ警護は安倍政権が1昨年付与した新任務ですから、駆けつけ警護の危険性を強調したいのは分ります。
しかし、実際に「駆けつけ警護」をしていないのに現地情勢を聞くだけでは、何のためのネチネチ質問かよく分りません。
仮に現状が分っても撤退出来ないとすれば、・・国政として何を実現するために時間をかけた議論なのか分りません。
自衛隊が戦闘参加したならば、どちらの味方をしたのか・中立を守ったのかは重要ですが・・現地の危険の有無ばかり聞いているところから見ると、それが駆けつけ警護の新任務とどう言う関係があるのか?関連性不明です。
南スーダンが内乱状態かどうかをいくら質問しても、国家間紛争だけではなく内乱状態でもPKO派遣は国連の意思になっているのですから、具体的に自衛隊に危険が迫っていない前提でくどく問いつめている意味不明です。
聞いていると防衛大臣の発言ミスだけを期待しているような漂流質問をしている印象です。
ちなみに我々法律家の世界では、証人尋問で意味不明の質問をだらだら続けるのを、漂流質問と言います。
2月24日に維新の会の議員による予算委員会の質問をユーチューブ(いつの分か不明)で聞いていると「民進党の質問や主張は揚げ足取りばかりで、何を主張したいのかさっぱり分らない」と言う趣旨の発言をしていましたが、これが国民大方の感想でしょう。
民主国家を維持するためには、野党がしっかりしてくれないと国民が困ります。
昨今マスコミ批判が激しいですが、ネット情報と言っても個人で世界中の情報収集出来ない(裏付け)ので多くは世界各地に情報源を持つマスコミ情報を加工した意見分野で違いがある程度です。
都市テロは秩序破壊が目的ですが、テロリスト自身が都市交通システムや通信情報が正常に動く前提に行動していると書いたことがありますが、フリージャーナリストの海外ネット情報も99%がマスコミ情報を基礎に取材しただけ・・ちょっと色付けした程度が普通です。
上記のとおり、マスコミや政党の主張や情報を100%の信用出来ないとしても、積極的虚偽報道(ABCDの情報のうち一部を強調したり一部しか報道しないと言うことがあってもない情報をでっち上げて報道しない程度のモラルを守っている)社会の基礎基盤としての役割が重要です。
マスコミの信用をドンドン毀損していき、何の責任もないような者が、テロ事件がないのにテロ騒ぎあったと虚偽情報をネットで拡散するようになると、まさに偽造貨幣が出回る状態と同じで流言蜚語の社会となり、混乱するばかりです。
このコラムではマスコミ批判をしていますが、私はマスコミがしっかりと客観情報を流して欲しいと言うだけでマスコミ自体を潰せば良いとは考えていません。
政治の世界でも事実を前提に多様な意見を戦わせるためには、聞くに堪えるマトモな議論をする・・しっかりした野党が必要なことは確かです。
自民党自体に野党的勢力・多様な意見を内包しているから、日本では野党不要と言う状況を表してるのかも知れません。
この辺の状況は、中大選挙区制度の効用・小選挙区制の害として、2月21〜22日に書きました。
韓国が国際常識に反する固有論理・・実現不能な感情論に固執している不思議さ・・この結果自滅して行く予想が多くなっていますが・・。
民進党も自己の身内にしか通用しない論理に固執する・・・同じ傾向・体質を鮮明にして来たのには驚きますが、支持率低下によって、こう言う人しか残らなくなった悪循環かも知れません。
これでは国民支持率がドンドン下がって行くのは当然です。
政権獲得を目指す政党である限り、しっかり勉強して国民のために言いたいこと・・本当に実現した方が良い・・実現の処方箋を用意しての意見ならば国民の支持率が上がるでしょう。

PKOと国際常識2(ハーグ陸戦条約)

停戦合意が有名無実化して行き、混乱が広がり略奪や虐殺が横行するようになると危険地帯になったことは明らかですが、だからといって、市民を放置して真っ先に「軍」が撤退するのでは国際的非難を受けかねません。
これがウイキペデイアで昨日紹介した国際批判を受けた実態でしょう。
中立を維持しながらも、住民保護には手を貸す・・略奪集団から保護してやること・・これが現在の国際世論というべきでしょう。
元々平和維持活動とは、対立する軍事勢力の領域の現状維持を図るためではなく、戦乱による住民被害防止が目的・・そのための再戦闘勃発阻止であったとすれば、目的の変質ではありません。
戦争に関する戦時条約も、戦争自体をなくせないとしても、軍人でない一般人の保護だけでも始めようとしたものです。
住民保護こそが戦争と平和に関する法の究極の目的・基礎です。
ウイキペデイアからの引用です。
「ハーグ陸戦条約(ハーグりくせんじょうやく)は、1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(英: Convention respecting the Laws and Customs of War on Land, 仏: Convention concernant les lois et coutumes de la guerre sur terre)」並びに同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」のこと。1907年第2回万国平和会議で改定され今日に至る。ハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規などとも言われる。
日本においては、1911年(明治44年)11月6日批准、1912年(明治45年)1月13日に陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約として公布された。
陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則
第25条:防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。
第26条:攻撃軍隊の指揮官は、強襲の場合を除いて、砲撃を始めるに先立ちその旨官憲に通告するため、施せるだけの一切の手段を尽くさなければならないものとする。 
第27条:攻囲及び砲撃を行うにあたっては、宗教、技芸、学術、慈善の用途に使用されている建物、歴史上の記念建造物、病院、傷病者の収容所は、同時に軍事目的に使用されていない限り、これに対しなるべく損害を与えない為の必要な一切の手段を取らなければならないものとする。攻囲された側は識別し易い徽章をもって建物または収容所を表示する義務を負う。前述の徽章は予めこれを攻囲者に通告すること。
第28条:都市、その他の地域は突撃によって奪取された場合といえども、略奪を禁止する。」
各種平和論も戦争になった場合の一般国民の受ける悲惨さを訴えてこそ成り立っています・・逆から極論すれば血の気が多くて喧嘩したい人は「サッカー場でヤクザ同士・・軍同士が殺し合いするなら」どうぞ勝手に!・・平和論が不要です。
昨日紹介したウイキペデイア記載の「国際世論批判」とは、上記平和論によって、まさに人権団体が非難したものでしょうが、その人権団体が一方で「PKO部隊に一人でも被害が出たらどうするのか」と言う矛盾した論陣を張っています。
あるいは日本の人権団体だけの主張かも知れません。
こう言う無茶・・「いい子ぶる」偽善のマスコミ論調に腹を立てている人が、マスコミを痛烈批判するトランプ氏支持に回った印象があります。
自己・個人の利益を犠牲にしても、より多くの人命を救うことが必要な場合があるのです。
軍や警察・消防士はそう言う役割に使命感を持って応募し、命の危険を顧みず民族の楯となって頑張ってくれるからこそ、国民から尊敬され・・英霊を民族の神として祀りその子孫を大事にするのです。
イザとなって危険な場所に行きたくない・・住民を救えないと言うのでは、軍人としての価値がない・・そう言う職に就いていたこと自体が民族に対する裏切りです。
2月24日に物事の定義や理念の必要性が変わって行くので、「19世紀型原理を唱えれば済む時代ではない」と言う意見を書いて来ましたが、PKO派遣の必要性も時代によって変わって来た・・これが国際常識です。
我が国では92年に決めたいわゆる派遣5原則が時代に合わなくなくなっているのに、これを振りかざして反対するのは、幕末に世界情勢を無視して鎖国の祖法を守れと言っていた攘夷思想や戦後の非武装平和論・護憲勢力と同じ構図です。
他方で、PKOの関与が広がり過ぎると、徐々に危険性が増す・・結果的に先進国による派遣が減って実働部隊をインドやアフリカ諸国に委ねている印象です。
これが先進文化人の偽善と言われる象徴です。
民進党はスーダン派遣隊の昨年夏の日報の提出を求めて、駆けつけ警護任務の危険性強調をしているようです。
戦闘単位が政府軍か否かの特定を求めて国会で民進党が延々と追及?している様子が時々ニュースに出ています
民進党はスーダンは5原則に抵触する状況になっているから、これをやめるように言いたいのでしょうが、昨日紹介したとおり紛争状態の国に割っ入って強制介入も出来るように国際社会の原理が変わっているのをどう考えるかの視点がありません。
以下は、民主党の国対委員長の意気込みです。
https://www.minshin.or.jp/article/109939
山井和則国対委員長は26日午前、定例記者会見を国会内で開いた。
「冒頭、国会対策の基本方針として・・・「南スーダンの駆けつけ警護については「71年間日本の自衛隊は銃撃戦をしたことがなく、任務として死傷した自衛隊員は一人もいない。12月からの駆けつけ警護によって自衛隊員が深刻なリスクにさらされる危険があり、日本の戦後を大きく変えてしまう事態になりうるかもしれない。私たちはPKO参加5原則が(激しい戦闘が行われている)南スーダンの状況では壊れていると認識している。そういうことも含めて議論をしていきたい」と述べ「申し上げた通り、問題点は厳しく追及し、良い法案は成立させる。徹底した追及の延長戦上に蓮舫代表が言う対案をしっかり提示し、国民の負託に応える国会対策をしていく」と意気込みを語った。」
住民保護こそが平和維持軍の本来の責務と認識されている現在の国際常識・・国連決議ですから、これを前提に我が国の時代遅れの5原則をどうするかの議論こそが重要です。
左翼系は何かと国連決議や勧告を重視して運動しているのに、PKOになると国連決議を何故無視するのか不思議です。
非武装平和論者にとっては、平和維持に軍はいらない・平和さえ唱えていれば解決すると言う立場でしょうか。
「国連が紛争地域の平和の維持を図る手段として」紛争解決の手段として軍の派遣が必要と言う国際合意が気に入らないのでしょう。
非武装平和論は世界でどこも採用していない空想論であり、これを前提に揚げ足取り的にゴネゴネと繰り返しの国会論議になっている・・言わば税金の無駄遣いです。
日本固有論理で「危険性がある」とか、相手が政府軍かそうでないかの区分で「派遣しない」と言う主張が国際的に通用すると思っているのでしょうか?

PKO1と国際常識1

トランプ大統領就任直後に訪問した安倍総理にトランプ氏が気前よく「よっしゃ任せておき・・」と睨みを利かせてくれる約束を取り付けることが日本国民の被害を減らせる最大の成果です。
この大成果を無視して追随外交だと批判していますが、(中韓系運動家にとっては大きな痛手だったからでしょう?)日本は軍事予算を今の2〜3倍にしても自分だけでクニを守れるわけがないし、孤立するのはとてもリスキーなことは明らかです。
無い物ねだりというか、アメリカの保障などない方が(中韓には)良いと言う立場の代弁主張でしょう。
この時点でトランプ氏と対立するのと日本の安全保障うを勝ち取るのとどちらが総合的メリットが大きいかこそが、判断基準であり、軍事同盟締結可否の基準であって、「付き合いで一人でも被害が出るのは困る」とか、派遣先周辺が危険かどうかなどの基準がテーマではありません。
1対1の日米安保でよりも、もっと多くの多角的関係がある国連のPKOでも(1対1の同盟よりは負担を軽くする必要がありますが)少しでも危険があれば許されないかのような国会の議論が盛んですが、これもズレています。
元々国連PKOは、危険だからこそ「軍」の派遣になっているのであって、これを危険かどうかで議論するのは子供の喧嘩みたいで意味がない・・どの程度の危険を冒してでも国際的義務を日本が果たす気持ちがあるかどうかの議論のためにはどの程度の危険があるかの事実吟味は必要です・・その上で「この程度の危険がある場合撤退すべきではないか」と言う意見を主張するのは合理的でしょうが、ノッケから政府を追及するの早過ぎます。
国際協力可否・・日本だけ協力しないのでは、その代償をどこかで払わない限り国際孤立になりますから、協力しないときの損益(湾岸戦争では日本は巨額冥加金を払っても評価されませんでした)こそが議論のあり方です。
日本が中国に侵攻されたときに「アメリカが軍を出してくれずに、金さえ出してくれれば良いのか」と言えば分り易いでしょうか?
大災害時に何の人的応援もしないで大金を送っても、目の前で実際に助けてくれる人に被災者が感謝するのとの違いです。
戦争と災害は違うでしょうが、命の危険が迫っているときに守ってくれる人やそこへ逃げ込めば安全と言う施設がある方が良いに決まっている・・殺されたり障碍者になってから、医療や応援資金を出すが緊急応援しないのとどちらが有り難いかの違いです。
こう言う客観情勢を無視して一人二人でも犠牲が出たらダメどころか、今の議論ではスーダン派遣基地の近くで戦闘があったかどうかを大騒ぎしている民進党のスタンスには驚くばかりです。
元々危険だから国連の要請で「軍」を派遣しているし、危険だからこそ「駆けつけ警護」があるのですから・・駆けつけ警護の妥当性を危険かどうかで議論するのでは既に国会を通った「駆けつけ警護制度」を認める国会議決の蒸し返しです。
相互性の緩いPKOにどの程度協力するか、国際協力の程度がどうあるべきか・・その議論の前提としてどの程度の危険まで引き受けるべきかこそが論点でしょう。
国連が派遣する平和維持活動の必要な場所とは、平和の保たれていない危険な場所と言う意味です。
まして【駆けつけ警護」は元々危険性が具体化したときを想定している・・それでも撤退しない新たな権限付与をしたものですから、以下に紹介するようにPKO発足時とPKOの派遣条件が変わって来た・・社会意識変化に対応する狙いもあったでしょう。
発足当時には、停戦合意発効などつかの間の安定・・抽象的危険状態の現状維持が目的であったものから、具体的紛争がまだ収まっていない//あるいは紛争再燃時の住民保護の役割・・一定の混乱状態下の積極的平和構築に軸足・任務に変わったことは明らかです。
相互性の緩いPKOと軍事同盟とは違いますが、たった一人〜数人の被害でもイヤ・・その危険があるだけでもイヤと言うならば、我が国は危険のあることは一切分担しない自分勝手なクニとなります。
こんな無茶が通用していたのは「戦争放棄」と言う非常識憲法があって、これを強制したのが外ならぬ超大国米国であったから、国際的に免責されていたに過ぎません。
戦力放棄の非常識憲法が世界の非常識と認識されるようになって、事実上の戦力を持つようになった以上は、日本も一般的な国際的義務を果たす必要が出て来ます。
たった一人の被害もなくクニを守れるならば、世界で孤立していても良いし同盟国はいらないでしょうが、日本が一睨みすれば、周辺の韓国や中国やロシアが怖じ気づいて引っ込んでしまうほど日本は強いのでしょうか?
110番通報で警官の出動を求めたら、危険性が低いなら直ぐ行くが危険度が高いなら行かないと言うことが許されるでしょうか?
あるいは喧嘩最中の現場には危ないので行けないが、喧嘩が終わって落ち着いてからならば、直ぐ行きますと言うのが警察の役割でしょうか?
危険なときに助け合うのが軍事同盟ですし、平和が侵されている・・危険に曝されているから現地住民保護のため派遣するのが国連PKOです。
平和で危険がなければ、派遣する必要がありません。
PKOに関する変遷はウイキペデイアによると以下のとおりです。
「平和維持活動は、「国際の平和及び安全を維持する」(国際連合憲章第一章)ため、国際連合が小規模の軍隊を現地に派遣して行う活動である。従来は、紛争当事国の同意を前提に派遣されていたが、冷戦後は必ずしも同意を必要とせずに派遣する例もある。平和維持活動については、憲章上に明文の規定はないが、「ある種の国際連合の経費事件」において国際司法裁判所がその合法性を認め、国際連合総会が1962年の第17回総会でこれを受諾している(総会決議1854)。
1994年のルワンダ虐殺では、当事者間での停戦合意が失われており、中立性維持のためPKO部隊が住民の保護をせずに撤退し、国際世論から大きな批判を受けることととなる。これを受け1999年には、コフィー・アナン国連事務総長が、国連自体が紛争当事者になることを前提に、国際人道法(武力紛争法)の遵守を告示するに至り、PKOの変質が明らかになった[5][6][7][8]。
さらに2013年には国際連合コンゴ民主共和国ミッションにおいて、先制攻撃も可能な強制介入旅団(FIB)の設立がなされ、程なくして反政府武装勢力3月23日運動の掃討に成功する[9]。
2016年7月に内戦中の国連加盟国である南スーダン国軍により、首都ジュバの住民に多数の犠牲者が出た際には、加盟国との交戦を避けるためPKO部隊による住民の保護がなされず、再び国際世論の批判を招くこととなる。
「日本は国際平和協力法に基づき、1992年の第2次アンゴラ監視団 (UNAVEM II) に選挙監視団として3名を派遣したのが始まりである。以後11のPKO等に要員を派遣している[15][16]。この国際平和協力法で1992年に定められたPKO参加5原則では、紛争当事者の間で停戦合意や、紛争当事者が日本の参加に同意していること、PKOが特定の紛争当事者に偏ることなく中立的立場を厳守することなどを参加の要件としているが、上述のように内戦状態にある南スーダンで国軍による住民被害の防止を求められるなど、現状と乖離した規定となっている[17][18]。」
上記のとおり元はと言えば、停戦合意の監視団・・緩衝剤として始まったものですが、今では、目前の市民被害阻止の役割が国際的に期待されていて役割が積極化しているのです。
目の前で市民被害が起きて逃げ込んで来るようになると、紛争にまき込まれるからと拒否し、見殺しにして傍観している・・これが人道的に許されないことから駆けつけ警護の必要性が、認識されて国会を通過したのです。

2項対立7と集団自衛権2

経済協定も同じでスワップもFTAもどこと結ぶと総合的に有利かが判断基準であって自分の負担が増えるのはイヤ・保証しませんとか、相手に「輸入関税を下げろ」と言い、自分は「一切下げません」と言う一方的な契約は成り立ちません。
モノを買えば代金を払うように、人間関係では必ず対価があります。
単独業界の損得だけならば単細胞でも分り易いですが、輸入枠を広げる業界は損をする・輸出の増える業界がトクをする・民族の発展のために将来どの業界を伸ばして行く方が良いかを含めて総合判断になると分り難いのですが、この複雑な総合判断コソが国益を図るために重要です。
ですから部分を取り出して単純な絶叫的議論を仕掛けるのは無理がある・単純化スローガン反応するのは民族の将来を誤ります。
トランプ氏のスローガンである高関税や移民禁止した場合・・雇用を取り戻そうと言いますが、ことは単純ではありません・・服作用を幅広く見ないと大変なことになると言われている所以です。
生命体の維持発展には、日々新陳代謝が必須です。
企業で言えば不得意分野を縮小または切り離して得意分野に特化する選択と集中・リストラクチャリングが必須ですし、個人も不得意分野にこだわらず運動神経のある人はスポーツに特化し、美術才能のある人はその方向へ・・その分英語数学の勉強を減らしてもいいのです・・国家社会も原理が同じです。
生命体はいつも何かを棄てて何か良いもの取り込んで行く・・取り込むべき必要な知識分野・友人知人も入れ変わって行くし、その結果幼児期少年期青年期と変わって行くように、社会や企業・組織体も永続性を図るにはいつも微妙な入れ替えやトキには大きな痛みを伴うドラスチックな入れ変えが必須です。
特に貿易の原理は、お互いに得意なモノを売って不得意な分野を輸入する相互交換関係ですから、個人が得意分野への特化するのと原理は同じですが、輸入拡大で潤う業界と輸入拡大で損をする業界の関係者が違う・・この点が切り離される事業分野・・痛みを伴う企業リストラと原理が似ています。
リストラの場合、社内配置転換(・・いきなり未経験の分野に移れば未熟ですから出世競争から外れてしまうなど縮小方向になった分野担当者には厳しい局面ですが、)で何とか処遇して社内融和を図っています。
同じように縮小して行く業界に働いている人を輸出で拡大する業界にうまく転進させて行くには、どのような政策が良いかこそが政治のテーマであるべきです。
集団自衛権論に戻りますと、議論すべきテーマは相互同盟を結ぶ必要があるかどうかであって、アメリカの戦争に巻き込まれると言う議論は論点がズレています。
自分だけ都合よく守ってもらえないのは当たり前ですから同盟する以上はその対価として、盟主の催す戦争に参加して犬馬の労をとるのは昔から同じです。
それを含めて同盟するかどうかだけであり、同盟国の戦争に巻き込まれるかどうかを議論するのは間違いです。
アメリカのような超大国の場合「孤立してどこからも応援がなくとも良い」と言う唯我独尊が成り立ちますが、軍備の貧弱なクニでは、その分に反比例して、いつでも応援を頼めるようにしておく必要があるのは世界常識ですし個人でも同じです。
個人や企業で言えばいつでも原材料や部品その他の仕入れ可能であれば在庫が減らせるし、これが難しいときには多くの在庫・食糧の備蓄が必要になります。
企業は銀行融資枠が大きければ現金保有残高を減らして有効利用出来るし、国家間ではスワップ協定で相互保証枠が大きければ、自前で外貨準備を蓄積する必要性が減ります。
世界一の純債権国日本にとって外貨のスワップがあってもなくとも大したことがないが、経済基礎の脆弱な国にとっては相保障があるかないかは死活的重要性があるのと同様の関係です。
このように軍備であれ、経済であれ弱小国ほど相互保証の利益が大きいのが原則です。
アメリカの戦争に巻き込まれると言う議論は、アメリカが敗退するような危険な戦争に付き合って日本が滅びるようなリスクがあるかないかの議論では意味があります。
弱小国が強国に攻められていて応援を元米良た場合日本が応援すると強国に一緒に滅ぼされ停止まうような場合にはどうするかの議論が重要です。
今のところ、アメリカの陣営参加しても圧倒的戦力のあるアメリカ軍に対する付き合い程度のリスクしかありません。
まして周辺事態に限定すれば、アメリカと互角に戦える国は中ロしかないのですから、想定されるリスクは対中ロ戦だけです。
この内今のロシアの国力からしていろいろな場面でアメリカと対立をしていてもアメリカと正面からコトを構える自体は想定し難い・・挑戦意欲を示しているのは中国だけです。
しかし、米中が貿易面で利害があっても直接軍事対決発火の可能性は本来ありません。
軍事力行使・火を吹くとしたら、尖閣諸島・南シナ海に絡むことくらいですが、これはアメリカにとってすぐに軍事力行使を必要としない間接的利害でしかないのに対して、日本には直接的死活的利害があって、しかも公船と言う元軍艦を改造した艦船が毎日のように押し寄せている状況で、いつ正式な軍艦が来るかもしれない緊迫状況・・今にも中国による軍事力行使リスクが迫っています。
日中1対1よりはアメリカを巻き込んだ方が有利だから、日本がアメリカにも利害あるとして逆に巻き込もうとしている関係であり、じょうきのとおり、日本が日本近海でアメリカ独自の利害による戦争に巻き込まれるリスクは殆どないでしょう。
唯一のリスクは朝鮮有事の場合ですが、これは元々日米安保がある限り避けられないし元々の朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも日本から米軍が出撃していたものですから、集団自衛権とは関係がないでしょう。
アメリカ有事の際に日本その他弱小国の応援を得ても、早期情報を得るあるいは兵站などの後方支援などで役に立つ程度で本格的主力軍の衝突場面ではアメリカ軍本体の能力次第になります。
これに対してアメリカの5分の一の軍事力の国でも、日本侵攻を始めると日本にとっては死活問題ですから、アメリカの応援があるのとないのとでは桁違いのメリットがあります。
逆に日本有事の際にアメリカの応援がないと亡国の危険があります。
実際にトランプ氏による100%「日米一体」の表現があれば、中国やロシアが日本侵略を計画したり強迫することすら出来ない状態になっています。
日本はアメリカによる日本防衛表明の御陰で数十万規模の人命が損なわれずに済んでいる・・この見返りにどの程度まで犬馬の労をとるべきかも決まって来る関係です。
(折角朴政権が反日を改めたと思っていたら、次の大統領候補者はそろって朴政権以上に反日を煽動するようになっているなど・・今や中韓の強迫は急を告げています)
自国が危険に曝されている程度に応じて、相手国への協力による危険の引き受けの必要性・程度が決まる関係です。
尖閣諸島に連日押し寄せる中国の多数船舶の意気込みを見れば、一旦軍事侵攻が始まり戦端が開かれれば、とても一人や二人の被害程度で追い払えるとは思えません・・。
もしも日本だけでは直ぐに追い払えずに、数千人規模の被害が出て、しかも国土の一部が蹂躙される事態・半年ほどの戦争の結果仮に追い払っても大変な被害です。
やはりアメリカに付き合っておいて・・仮に付き合いの結果数人規模の被害が出てもアメリカの睨みだけで中国やロシアを追い払ってくれている今の方が安上がり・・被害絶対数が少なくて済む気がします。

2項対立6と 集団自衛権

ばい菌の浸透に戻ります。
先進国では(政治資金規正法があるように)何事も不明朗資金利用が許されませんが、実際政治・・マスコミで言えば、情報をとるには領収書の出ない手土産や工作資金その他が必要ですが、そうなるとヤミ資金利用出来る中韓工作員の独壇場・・簡単にマスコミを牛耳り政治を動かせるようになっているようです。
ダーテイ資金をいくらでも出せる国が、国際政治を裏で操れる変な結果・社会になっています。
このトガメが出て来たのがオリンピック委員会などのスポーツ組織・・国連の各委員会ではないでしょうか?
国内では真偽不明ですが、パチンコ業界が巨額のアングラマネー供給源になっていて、出所不明資金の必要な?政界に影響力を行使しているとも噂されています。
現在の世界的話題では、トランプ氏がプーチンに秘密を握られていると言う噂と選挙結果を左右するべく様々な情報操作がロシア政府によって行なわれたとも言われています。
現在進行中のフランス大統領選でも同じことが危惧されています。
2月24日午前のmsnニュースからです。
毎日新聞14時間前
【パリ賀有勇】4~5月のフランス大統領選(2回投票制)を巡り、超党派の市民運動を率いて出馬するマクロン前経済相の陣営が、ロシアからサイバー攻撃を受けたと非難するなど、米大統領選で介入が指摘されたロシアに対する懸念が強まっている。」
従来から政敵を追い落とすために怪文書情報流布が行なわれていましたが、今度は根拠なきネット情報の拡散ですから道具立てが現在的になっただけで手法としては同じです。
ただ怪文書は紙媒体でしかもマスメデイアが相手にしないチラシ配布の手作業でしたから配布先数も限られていましたが、ネット拡散では、元々政治無関心層も簡単に目にし、刺激を受ける・・広がりが半端ではないので、これが煽動に乗り易い大衆を巻き込む大きなネルギーになると◯◯旋風の言動力になります。
極右と言われるルペンだったかもう1つの極右団体だったかはっきり覚えていませんが、公式にロシア系の資金団体が名を連ねているともいつかの日経新聞記事で読んだ記憶です。
ソモソモ何を持って極右と言うのか全く不明・・マスコミの一方的色づけ・レッテル貼り報道自体が偏っていることを書いたことがあります。
民族主義者を極右と言うのかも知れませんが、英語で「◯◯ファースト」と言うようになって分りよくなって来ましたが、小池知事の政治姿勢に関して数日前に書きましたが、外国や他所の自治体のために働く政治家はいないので、全て◯◯ファーストに決まっています・・。
都政も国政も◯◯ファーストに決まっていますし、誰もが平和を守りたいのは変わりませんが、軍備不要論だけが平和主義のようなマスコミの刷り込みは間違い・・誤導というべきで、慰安婦騒動も朝日新聞の意図的?誤導に始まりました・・平和論では平和を如何にして確保するかの方法論コソが重要ですし、民族主義・・国益を露骨に要求すると単細胞には分りよいですが、多様な利害を含めた複雑交渉能力こそが、真の国益擁護の決め手になるとトランプ政治に関して連載して来ました。
方法論なしの結果だけの単純主張勢力・・複雑な利害調整し如何にして国益や自治体利益を実現するかの複雑経路の戦略がなくて、平和を守れとか・◯◯ファーストと言う結果だけ強調すれば平和主義者や愛国者・民族主義者と言う仕分けをしているようにみえます。
単純主張に同調しないと、軍国主義者や売国奴になってしまう変な切り分けです。
この傾向は何でも「人権を守れ」と言って反対すれば、正義の味方になるような風潮の醸成も同じです。
低レベル国民に訴求するのに便利だからか、マスコミ報道の仕方はレッテル貼り・・2択的分類・単純化し過ぎる傾向があります。
この単純化の方向を見ると中韓系利益擁護には有利に、反中韓系に不利に単純化する傾向が見えます。
最近、欧米の◯◯ファーストを持ち上げるようになったのは、ロシアにとっては◯◯ファースト政党を支持すれば、ロシア制裁に消極化すると言う読みなのでしょうか?
多角的協定や連帯は、自国に一定の不利なことでも引き受けることを前提にしていますが、(例えば軍事同盟すれば、自国が攻撃されていないのに応援に行き、犠牲を払うのがその典型です)◯◯ファースト主義とは付き合いで目先の割を食わない方が良いと言う主張ですから、トランプ流の1対1の目に見える損得だけが基準になります。
欧州諸国でも◯◯ファースト主義政権にドンドン変わって行けば、独仏にとっては欧州の辺境のウクライナ・リトアニアやポーランドはどうなってもいい・・アメリカンファーストではアジアでは金を出さない限り日本の面倒を見てられないと言う方向になりますから、ロシアや中国が◯◯ファースト主義のトランプを応援していた理由です。
これを引き戻したのが安倍総理のトランプ氏との2月11日ころの会談でした。
要は多角的利害の損得まで頭の回らないレベル・・低レベル大衆に訴える社会のことです。
日本でも日米安保・集団自衛権反対論者は、アメリカの戦争に巻き込まれると言い、一人でも負傷者が出たらどうするのだと言います。
ソマリア、スーダン(日米安保によるのではなく国連軍派遣ですが・・)その他に付き合いで1〜2個中隊レベルの派遣して仮に数人以上の犠牲が出たとしても、日本有事の死活的状況で放っておけば何万と言う犠牲の出る可能性が起きてもどこも応援してくれないのと、日頃の付き合いの御陰でイザとなれば、その何百倍もの応援してくれるのとどちらがトクかの判断がつかないレベルです。
この種の議論は一人でも怪我しないかとかその危険がないかがテーマはなく、自国が危険に瀕したときに応援してくれる国かどうか・その国と同盟していてイザと言うときに応援してもらったら、仮想敵が退散するほど強いクニかどうかのチェックでしょう。
中世のいわゆる「頼うだる人」と決めたら・その人(主人)に忠義を尽くす・・「危険なら行きません」と言うならば、自分が危険なときに助けてくれとは言えません・・。
元々武士団・・系列化の進行は、自衛武士団だけでは荘園を守り切れないときに近隣から応援を頼む相互関係から始まったと思われます。
城は、一定時間で応援が来る前提の時間稼ぎの備えであって、応援の予定がない篭城は意味がない・・いつかは食糧切れなどで負けてしまいます。
日米戦の敗因は、どこかで「水入にしてくれる」仲裁役を用意出来なかったことにあります。
ソ連を当てにしていて土壇場で裏切られた・・本当は信用していなかったでしょうが利用出来る国はソ連しかなかった・・準備不足だったことは周知のとおりです。
相互応援関係→自分が襲われていなくとも応援に駆けつけて戦闘参加するのは当然・・「怪我のリスクがあるからイヤだ」などと言っていては、相互防衛関係は成り立ちません。
集団自衛権の可否の議論で必要なテーマは「Aと結ぶとどう言うマイナスがあって、どう言うプラスがあるか」が、判断基準であって、何事も自分は「 舌を出すのもイヤ」と言うのでは契約・・友人関係でも成り立ちません。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC