今でも経済官僚が何故貨幣価値維持にこだわるのかという疑問に戻ります。
Aug 18, 2012「健全財政論12(貨幣価値の維持6)」の続きです。
これは戦後直ぐのハイパーインフレに懲りた記憶が最大の悲劇として原始的に刻み込まれていて、これが組織のDNAとして受け継がれ色濃く残っているからではないでしょうか?
これを収束したのは最近(と言っても60年も前ですが)では、戦後のドッジライン(1949)によりました。
財政均衡→超緊縮政策を原則とするドッジライン実施の結果、翌年の株価は大幅下落し(我が国株式市場最安値の記録として今も残ります)大変な不況が到来します。
当時占領下でしたのでGHQの指令として強制力がありました・・この指令を受けたトキの大蔵大臣は後の経済成長路線の池田勇人ですから皮肉なものです。
97年のアジア危機でもIMFは韓国その他アジア諸国に対して超緊縮政策を強制しましたし、(現在のギリシャに対しても同じ傾向です)アメリカの経済学者はこの種の政策発動が好きらしいです。
我が国でも戦時中の軍事費と言う名の無制限財政出動を支えるために行われた戦時国債の無制限発行に協力した結果、敗戦後の超インフレに苦しむことなりました。
これをあっさり退治したのはドッジ・ラインによる超緊縮政策でした。
勿論日銀の頑固な「羹(あつもの)に懲りてなますを吹く」たぐいのインフレ恐怖症も同根です。
超不景気政策に対して当然経済界は反発した筈ですが、(政府は占領軍には逆らえないことから財政出動ではなく日銀貸し出し増加で対処したようです。
・・これが日本企業の借入金過大・・自己資本不足傾向の源流です)他方で内需抑制していても運良く?朝鮮戦争勃発(1950年6月38度線越境開始)が内需の代わりに外需をもたらして景気刺激となったので、ドッジ・ラインのマイナス効果がそれほど国民に意識されない内にうやむやになりました。
このトキのインフレ退治の成功体験ばかりが大きく信仰の一種になっているような気がします。
その後の田中角栄総理による狂乱物価を引き起こした失政の記憶の追加があり、更には平成のバブル発生(物が足りるようになって、あるいは量産追加可能になってから消費材の値は上がりようがなくなったので、量産追加供給の不可能な土地バブルになったのですから、インフレの現在版です)と、記憶が途切れることがなく続いて来たことが大きかったと思われます。
経済官僚が財政健全化にこだわるのには、無謀な軍事費に充てるために国民の財産を供出させて根こそぎ使ってしまったことに対する慚愧の念もあったと思われます。
平和に暮らしていた国民を徴兵して中国等の戦地であるいは太平洋上で特攻その他で多くの人命を無駄死にさせたことに対する軍事関係者の悔恨の念の財産版です。
「過ちは二度と繰り返しません」という広島原爆の碑同様に、経済官僚としては、「赤字国債さえ発行しなければ戦争に突き進むことがなかった」という悔恨の念が沸々と湧いて来たのでしょうか?
日本は戦争で多くの人命だけではなく多くの財産も失ったのですが、財産喪失は戦時中に生じていたものですが、国家が存続する限りに額面だけの国債として残っていたのが、敗戦後遅れてインフレになって実質価値が明らかになったに過ぎないとも言えます。
第1次大戦後有名なドイツの超インフレ・・トラック一台ほどの紙幣を持って行って本が1冊買えるほどであったという話も同じで、戦時中に国内資産が破壊され尽くされていたことに原因があったと理解すれば分ります。
閉鎖された1国経済で考えれば、紙幣量が一定でも国内資産が1000分の1に破壊されれば1000倍のインフレになる道理です。
実際に資産がなくなっていて膨大な国債や紙幣が残っていれば、当然その比率でインフレになるか国債価値の暴落になるしかありません。
とすればインフレになったのが悪いのではなく、実際にはその前に国債で造った艦船や戦闘機が沈没・撃墜され、国内資産はすべて空襲で燃えてしまったことによる財産喪失に原因があった・・負ける戦争をしたことそのものの責任に過ぎません。
火災・爆発事故で工場が燃えてしまえば資産価値(保険をかけていない場合や・・掛けていても工場再起動までの売上)が減少するので株価が下がるのと同じです。
株価下落の責任は経理課職員にあるのではなく、火災や爆発事故を起こした関係者の責任です。