高齢者と民意2

国際経済競争の激化・世界情勢変化の激しいこの時代に、何かと与党を困らせるために重要政策や重要産業発展に必要な施策に限って議事妨害に精出すのですから、これほど国益に反することはありません。
激しい反対運動の結果、成田空港は滑走路1本の変則空港で始まる・アクセスとして成田新幹線(東京成田間が15分前後)が予定されていましたが、反対が酷すぎて変則空港になったので利用者が見込めずに沙汰止みになりました。
せっかく用地買収していたので数十年を経て現在北総線として通勤電車の線路になっていますが、この挫折自体も国際ハブ空港としての頓挫原因の1でした。
結果的に先発の成田空港が後発の仁川空港に国際ハブ空港の地位を奪われるなど、何でも反対の運動が日本の国益を損なう方向に及ぼした悪影響は測りしれないものがあります。
過去の色んな事例を見ると、反対するだけして、最後に法案が成立するにしても導入を1日でも先延ばしし、実現するにしても修正に修正を重ねさせて使い勝手の悪い制度にしてしまい、政策効果を削ぎたいという態度が見え見えです。
どのような政策を採用することが国益になるかについては民意が決めることですが、これについては、重要法案については選挙前から政党ごとの方向性を有権者が知っているので選挙で決着がついた事になるので、国民多数の支持を受けた与党主導の重要政策実現に反対するのでは選挙結果=民意無視になります。
選挙で決まった政権選択=政権党の重要目標とする政策が民意によって支持されたのに、選挙で負けたことを潔く認めないで審議拒否牛歩戦術などあくまでも反対を貫いてきたので、選挙のたびに支持を減らしてきたのが旧社会党でした。
選挙でもスポーツでも勝負に負ければその原因を究明反省して捲土重来を期すのがあるべき姿ですが、負けたことを認めないで「国民大多数の気持ちを踏みにじった強行採決を許さない・」などの決まり文句ばかりでは、国民の方が白けます。
でも騒動が好きなようですが、デモをしたら支持が増えるとおもっているのでしょうか?
反対だけでは党勢縮小の一途で旧社会党凋落の結果、社会党を脱出した議員中心に結成したデモクラッツ以下、雨後の筍のように次々と生まれた野党(離合集散を繰り返して、今は立憲民主と国民民主と両党に合流しなかった無所属の3派ですが・・全学連が分裂を始めて3派10流と言われたのと似ています)は、自分の主張は原理論ばかりで具体性がないのですが、政権攻撃するには政策内容に関係ない枝葉末節のルール違反の「疑い」を騒いでは、国会審議妨害作戦を展開していることになります。
憲法改正でいえば、何が不満というのかはっきりしない・・「安倍政権での改憲反対」・・の世論調査の仕方を見ても内容で勝負する姿勢が見えません。
働き方改革では前提データの違いが発覚した点は問題(というばかりでそのデータが法案のあり方にどういう影響があるのかについてメデイアによる説明がない・・「お前は頭が悪いだけ」と言われればそれまでですが、だからと言って野党側に与党と違うどのような意見があるのか一切不明・ただデータがあてにならない・・「こういうことで良いのか!」と言わんかのような批判ばかりです。
何かミスを見つけ出しては政府が「こんな杜撰なことで良いのか」という追及ばかり聞いていると国会は「ミスのホジクリあいのためにあるのか?」と思う人が増えるでしょう。
もともと多数党の掲げる政策実現は、抽象的に言えば選挙による民意の支持をうけているのであって(野党は一任したわけではないと言いますが、代議制民主主義とは人格識のある人に決定を一任する仕組みで、一々のテーマごとに民意を問う仕組みではありません。
選挙の結果支持を受けた与党の重要政策の実現妨害をすること自体が、民主主義制度の破壊行為です。
原理論と違い現実の政策課題・・特に細かな条件の決定などは、あらかじめの公約に基本的に馴染みません。
幹線道路貫通や保育所増設でも方向性は言えても具体的にどのように実現するかは、現場ごとの市民の反対運動等があって、実現過程は千差万別です。
沖縄基地移転問題で民主党鳩山政権が食言になったのは、この限界を悪用して「公約だからいい加減・夢さえ語れば良い」という根拠のない公約を掲げたことによります。
革新系支持者は、実務経験がないというよりか、高齢者(どこかの企業や官庁の勤務経験者ですが)の中でも元々中学生レベルの夢を語るレベルで理解が止まってしまった人が原理論しか言えない体質がモロに出た象徴です。
(企業内でも原理論にこだわってあちこちでぶつかりながら定年までようやく生き延びてる自分を組織内で生き残るために仕方なしに?内心宥めながら、なんとか定年まで仮面をかぶってやってこられたのかも知れません)
一般社会で見ても意見相違があっても、ある組織が多数決で「何月何日にお花見やAの行事をやろう」と決めたらBの行事をしたくてその行事に反対した人でも気持ちよく協力するのがルールです。
みんなで決めたことを自分は反対だったからとその準備の仕方にいちいちケチをつけていたら、その組織の一員として生きていけません。
こんな言いがかり的審議拒否の連発では、一見反日目的集団・中韓の犬ではないかと主張する人が出てくるのはムベなるかなというところですが、私は彼らを必ずしも反日目的集団とは思っていません。
彼らは民主主義政治、人権尊重という言葉に酔いしれている結果、相手にも意見があり人権がある・・意見相違には妥協が必要という現実を受け入れられないからではないでしょうか?
この点では1つの価値観が「唯一正しい」と決めたら一切疑問を持たず心酔する・・共産主義独裁はそう言う単純理解にはピタリの思想です。
北朝鮮を理想郷と称賛して移住を奨励したり中国の文化大革命を称賛していた左翼文化人の心の拠り所がここにあります。
この理想社会実現のためには「遅れた民意を指導する」のが前衛支配思想で、レベルの低い遅れた思想は前衛思想家が「思想改造対象」でしかない・・理想社会実現を妨害する反革命分子は容赦なく叩き潰す・・・粛清の嵐を称賛することになります。
中ソ等の独裁政治・偶像崇拝的傾向・・スターが演説すればそれに酔い痴れてどのように実現するか(都市計画の具体的現場でブルドーザーで庶民の家を踏み潰して行く中国の現実には目を向けない)を問題にしない・・理想としているからこういう行動をとるのではないでしょうか?
自由主義国を転覆させるためには「方便として最大限言論の自由を主張し、手続きミスをあげつらうべし」ということになるようです。
テロ組織は相手国の交通等の麻痺を企図するのですが、自分がテロ現場に赴き逃走するにはその国の交通網を最大限利用するのと同じです。
中国が自分は相手国に自由な行動をさせないが、相手国の公平で開かれた制度は十分利用すると言う身勝手な態度に対してトランプ氏が「冗談じゃない!」と怒りを炸裂させているように物事は互恵関係が基本です。
スポーツでも日常生活でも何でも一方がルール違反やり放題では、まともにスポーツを楽しめませんし近隣の交際になりません。
付き合い初めにはルール破り放題でも「まさか?」と思うので多めに見ていますが、一定期間経過で「いい加減にしろよ!」なります。

高齢者と民意1

産経ニュースによれば以下の通りでした。
https://www.sankei.com/politics/news/180430/plt1804300002-n1.html
ニュース 政治

2018.4.30 01:00更新
【政界徒然草】野党の審議拒否は若者に支持されるか
世論調査に現れた世代ギャップ
産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が4月21、22両日に実施した合同世論調査で、一連のセクハラ問題に関して麻生氏が辞任すべきかと尋ねたところ、「辞任の必要はない」が49・8%となり、「辞任すべきだ」の45・6%を上回った。
大差がついたわけではないが、年代別に分析すると興味深い傾向があらわになる。
若年層(18、19歳と20代)では「辞任の必要はない」が71・7%と多数を占め、「辞任すべきだ」は26・8%止まり。
逆に高齢層(60歳以上)では「辞任すべきだ」が58・4%で、「辞任の必要はない」が35・5%だった。

高齢者は「揉め事が起きれば為政者は責任を取るべき・総辞職すべき」という戦前日本が間違った方向へ引きずり込まれた悪習を後生大事にしている印象です。
戦後民主主義のスローガンに夢を抱いて育った世代・高齢者(といっても私も後期高齢者ですのでその気持ちはよくわかりますが・・)は、ともかく戦前軍部は悪かった政府は悪いことをすることをする・・これを信用せず監視するのが民主主義だというような教育で育った世代です。
ともかく批判精神が重要・・・前向きの政策をどのように進めるかの教育を受けた記憶がありません。
この教育の結果何でも批判的に見る→先ずは反対から入っていくことが正しいような生き方が身についた世代なのでしょう。
反対から入る=従来の方式やルール変更や新技術導入に反対となりますから、世界の進運に棹差す方向=超保守運動に陥ります。
このコラム何回も書いてきましたが、私が弁護士になった頃には、成田空港反対、高速道路反対、川鉄操業反対・(録音機発達による)裁判所タイピストや速記官廃止反対・・共通項はなんでも新しいことに対する反対運動に誘われたものです。
それぞれ騒音被害、公害 、予防接種被害その他理由をつければ色々ありますが、今の原発でも同じ・・いつも車の例を書きますが、交通事故ゼロにできない点は明らかですが、物事の是非はその不利益と便益のどちらをとるかの政策判断であって、交通事故について見ると1970年に年間16765人の死者があった時代から2017年は3694人に減っています。
原発でいえば、絶対に被害がゼロとはいえないという想像(まだ一人の死者もでていないというのに)だけで、反対理由にしているのが不思議です。
公害や空港騒音があることから直ちに操業、飛行禁止ではなく、技術の漸進を求めていく方が合理的であったことを歴史が証明しています。
私の場合、日本よりひどい公害を撒き散らしている中ソの重工業の発展を称賛しながら、国内工場には反対する二重基準ではおかしいと思うようになって反対運動に参加しなかったことを書いてきましたが、この辺で反対ばかりしているのはどこかおかしいのではないか?と疑問を感じる人が増えてきて、結果的に反対ばかりに特化している社会党支持が激減して行ったように見えます。
物事には例外がいるもので、学校秀才?にとっては自分が「前衛」で進んでいるエリート意識の塊ですから、意識の低い人を教育する必要があるとまだ信じ込んで今に至っている様子です。
彼らは単なる戦後教育の申し子にすぎません。
戦前は軍部とメデイアバックで、戦後はメデイアと中ソ、中韓?バックでなんでも反対して議会審議停滞させて政策遂行を妨害することが正しいという教育にどっぷり浸っているのが高齢者のイメージです。
彼らの支持を受けている確かな野党は、今では正面きっての反対が国民支持を受けられなくなったことを知っているので法案自体の反対ではなく、揚げ足取りに終始するようになった印象です。
今回の愛媛県の獣医学部新設反対が本来の意図でしょうが、法案内容の議論を一切せずに手続きを批判しているし働き方改革法案も内容についての議論が一切なく「データがどうだ」という議論ばかりです。
「真偽や正邪はともかく騒動さえ起こして国政麻痺させれば良い」
という露骨な審議妨害に徹するようになってきました。
違法収集証拠論の発展で書いてきましたが、今や内容の「正邪よりは手続き」という戦術です。
民主国家においては反対意見がある方が言論が活発になって良い事ですが、政策議論より揚げ足取り→審議妨害ばかりでは国会の存在意義がなくなってしまいます。
彼ら高齢者にとっては60年の安保国会・・国政麻痺こそが理想の姿ですし、何かというと国会周辺の大規模デモ(実際には小規模ですが・・)をメデイアが宣伝するのは、戦前民意によらないで騒ぎを大きくして、国政を停滞させて政府を困らせれば政権交代になってうまい汁を吸えてきたノスタルジアの表れです。
民主国家においては、革命騒動や大規模デモなど騒乱で日本の政策対応を停滞させて物事を決めるのではなく、選挙で民意を静かに表現するのが基本です。
今でも、航空写真等を見ると高齢者中心に数千人程度しか集まらないのに、万単位の水増し発表をしている印象ですが・後記の通り戦前の歴史経験から、メデイアは政権批判運動が大きければ大きいほどメデイアの影響力を高められると信じているようです。
国政は比較多数の民意によって決めていくのが民主主義社会の基本原則です。
民意による選挙結果を無視して組織動員して騒動を大きくさえすれば内閣総辞職→民意支持に関係なく少数野党に政権交代する戦前のエセ民主主義を前提にする現在野党やメデイアの考えでは、結果的に国会審議妨害になれば良いので何でも反対運動・・揚げ足取りへと導きます。
(と言っても1億数千万人口のうち数千人から1万前後のいわゆるプロ市民・あるいは退職して時間を持て余している高齢者が集まっているようですが・・彼らの動員が容易になったこともこういう傾向に拍車をかけているのでしょう)
政権担当者は、寸秒を惜しんで国政に集中しなければならないほど需要決定事項が山積していますが、大事な政治家の時間を、スキャンダル暴露バカリ・・国家運営レベルから言えば何段階も下位の官僚が処理すべき事項について国会のテーマにして担当大臣や総理を問い詰めて・辞職しない限り審議に応じない必要があるのかということです。
今回騒動になっている官僚のセクハラが事実か否かの争いは司法で決めべきことですし、仮に事実としても公務員のセクハラ程度で大臣や内閣が総辞職しなければならない・・国政全てをストップさせなければならないような大事件かの説明がありません。
社員・部長クラスの社員がセクハラや刑事事件を起こした場合、社長が辞任しない限り、株主総会の審議に応じないという大株主がいるでしょうか?
セクハラどころか、公務員の汚職がわかった場合でも、政府としては今後「綱紀維持に務める」とかこのような事態発生に対する政府の姿勢を説明したり、せいぜい再発防止策を聞きたいという程度テーマでしかありません。
どこの企業でも自治体でも汚職や職員が刑事事件を起こした場合でもそんな程度であり、頭っから社長や市長辞任を要求する例を聞いたことがありません。
低レベルテーマをくどくどと追求する質問対応に心身をすりへらさせて国政に集中出来なくする目的は何か?という疑問を持つ人が増えるでしょう。

高齢者の財産管理・保護制度の創設

現在では後見人選任は、親族等からの申請がないと裁判所で選任しませんが、(April 8, 2011「失踪宣告4」に書いたように役所は受け身の体制です)受け身のママでは老人ホームや介護者が好きなように横領して財産処分してしまっても(身寄りがないので)誰も文句を言って行く人がいないことになります。
そもそも身寄りのない人には申し立て権のある人がいません。
例えば有料老人ホームに入居している場合(一定の資産があるのが普通です)で、子供など相続人がいない場合には、ボケているか否かに関係なく自動的に(従って現行後見人ほど強力な権限は強力過ぎるでしょう)定時に財産状況の管理検査をする権限のある人を(民間からの申し立てがなくとも)職権で選任して、高齢者資産の管理状況をチェックし裁判所に報告するような制度にすべきです。
何事も被害者からの申し立てがあってから動く今の制度では、家族関係が稀薄になってくると悪い者がはびこり易くなります。
悪いものがはびこるのは、道徳心の欠如によるだけではなく、これが直ぐに発覚するシステムがないときにはびこり易くなるのですから、制度改正が必要です。
現在では40〜50歳代以降では結婚していない人や子供のいない人が多くなっていて、しかも兄弟も少ないので、老後に備えて老後資金を蓄えている人が多いのですが、悪徳老人ホームの餌食になるリスクが大きくなるのでこの方面のチェック体制整備の方が喫緊の課題ではないでしょうか?
これについては戸籍制度があれば防げるものではなく、また元気な時に友達をいくら増やしておいてもお互い高齢化するのが普通ですので無駄です。
兄弟がいてもお互い80〜90代ではどうにもならないでしょう。
意思能力の有無にかかわらず施設に入居したり介護保険を利用するようになれば、申し立てがなくともこの時点で自動的に裁判所が仮称管理人・・保護者を選任するシステムを創設すべきです。
外部の目が行き届くと施設や介護業者が被介護者の資産を好きにいじれないようになるだけではなく、仮称管理人の定期的面会が要件になって行くと、お金の問題だけではなく外部の目が入ることによる牽制効果があって各種待遇が良くなり、介護水準も上がるし、ひいては虐待が発覚し易くなり・死亡の隠蔽が困難になるでしょう。
現在では自分が将来駄目になった時に備えて元々親しい人に頼める任意後見制度がありますが、これでは完全に意思能力を失った時だけで、能力があるが拒否力の弱った人の助けにはなりません。
保佐制度(元の準禁治産)も同様の問題があります。
後見と保佐の前段階としてに補助制度が創設されていますが、本人や身内のイニシアチブ・申し立てをしないと動き出さない点と飽くまで精神の障害を前提にしている点が同じですから同様の難点があります。
介護の利用や施設入居が始まれば精神障害がなくとも弱い立場になるのは同じですから、自動的に補助する制度創設が望まれます。
当面はこの制度しかないのですから、この補助制度で要求される精神障害の認定・運用を緩やかにして、障害があるどころかむしろしっかりした人が中心になって自分を守るために積極的にこの制度を利用することから広げて行くしかないでしょう。
私は一定の資産のある高齢者夫婦だけの暮らしの人には、まだ元気なうちに別居している息子や娘を補助人にしておくと良いですよ・・と、この制度利用を勧めています。
高齢化するとどんな立派な人でも最後は弱いものだと言う説明に納得して予め手続きしておこうかと言う人は、精神に障害があるどころか、今現在では平均人よりしっかりした人の方が多いです。
この制度を利用して押し売りや無用な自宅リフォームなどのまとまった金額の出る契約行為を補助人の同意が必要な項目(17条)にしておくのです。
偶然尋ねて来た娘などが気づけば、契約してしまった後でも契約の取り消しが出来ます。(17条4項)
これは、クーリングオフとは違いまさに権利ですから、業者が契約の履行を始めていても、どの段階でも取り消しが出来る強力なものです。
効力が強力である分精神障害の程度について緩やかな認定で良いのかの議論がありそうですが、私の意見は、精神の障害を基準にするのではなく、施設入居や介護を受けているかを基準にするものですから、外見では分りにくい精神障害を基準にするよりは却って第三者に明白な基準となって、善意の第三者が被害を受けることが少ないない筈です。
民法
(補助開始の審判)
第15条 精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分である者については、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族、後見人、後見監督人、保佐人、保佐監督人又は検察官の請求により、補助開始の審判をすることができる。ただし、第7条又は第11条本文に規定する原因がある者については、この限りでない。
2 本人以外の者の請求により補助開始の審判をするには、本人の同意がなければならない
(補助人の同意を要する旨の審判等)
第17条 家庭裁判所は、第15条第1項本文に規定する者又は補助人若しくは補助監督人の請求により、被補助人が特定の法律行為をするにはその補助人の同意を得なければならない旨の審判をすることができる。ただし、その審判によりその同意を得なければならないものとすることができる行為は、第13条第1項に規定する行為の一部に限る。
2 本人以外の者の請求により前項の審判をするには、本人の同意がなければならない。
3 補助人の同意を得なければならない行為について、補助人が被補助人の利益を害するおそれがないにもかかわらず同意をしないときは、家庭裁判所は、被補助人の請求により、補助人の同意に代わる許可を与えることができる。
4 補助人の同意を得なければならない行為であって、その同意又はこれに代わる許可を得ないでしたものは、取り消すことができる。

不正受給防止(超高齢者)

 

戸籍制度の存在意義・超高齢者の戸籍登録残存問題に戻しますと、超高齢者が戸籍に残っていても何の不都合もないのに、マスコミが正確な報道をせずにムードばかり煽って無駄に騒いでいるのは、一種のスケープゴート造りの疑いがあります。
昨年秋頃にいきなり(April 11, 2011「戸籍制度存在意義2」まで書いて来た通り)意味もなくマスコミが騒ぎ始めたのは、年金制度の議論が行き詰まっているのでその八つ当たりというか問題隠しっぽい報道姿勢・・政治的意図によるものとでも言うべきでしょうか?
マスコミはいつも、時の政府の意向で動きたがる傾向があります。
年金や各種手当の不正受給をなくすにはどうすべきかは、戸籍登録の正確性をはかっても費用対効果で全く意味がないので、別に議論して行くべきことです。
各種不正受給をなくすには、住民登録制度の完備・正確性を期すことと年金・社会保険番号制度等の個人識別番号を充実していき、本人に直接支給する仕組みを充実すれば良い筈ですから、(大勢の人手を使って超高齢者の戸籍抹消に精出すよりは)この機会に戸籍・本籍を個人特定のよりどころにする戸籍制度自体が、不要になっているのではないかの議論こそすべきです。
昨年秋に発覚した不正受給事例は生活に困窮した遺族がお祖母さんの死亡後も死亡を隠して年金を受給し続けた事例ですが、よほど生活に困らないとこんなことが出来ませんので、これは本来ならば、きちんと死亡届を出して遺族が生活保護を受けるべき事案です。
生活保護を受給するのとお祖母さんの僅かな年金を頼りに細々と生きているのとでは、公的支出総額自体は変わらない可能性がありますので、実質的経済効果はそれほど変わりません。
県営・公営住宅の家賃未納問題も同じで、ときどき滞納者一掃作戦実施とマスコミが報道するのですが、県営住宅などの家賃が払えなくなっている人は生活困窮者が殆どですから、結果は市職員が生活保護受給申請を勧告・手助けすることが殆どであって、役所のセクショナリズムの結果に過ぎなかったことが露呈するのと同じです。
よほど生活に困っていない限り、自宅で死亡した人をそのままにして生活出来るものではありませんから、それほど困っている人であれば生活保護申請したら受けられた筈ですし、もしも受けられないとすれば生活保護受給制度の仕組みに問題があることになります。
個人が悪用する場合は上記の通りも極限的困窮者中心ですし、数もそんなにあり得ませんから、国家経済に関係するような実質的にそれほどの経済問題が起きませんから、そもそもマスコミで騒ぐほどの実害がないでしょう。
今後は少子化の結果子供のいない人など身寄りのない高齢者が増えてくることと、身寄りがない人の老人ホーム利用者が増えて来ることから、老人ホームなどで身寄りのない老人の死亡を隠して如何にもまだ在院しているかのようにした組織的巨額不正請求が発生する余地がありますので、これの防止策の方が政治的には重要です。
老人ホームで遺体を何体も何年も放置しておけないと思いますが、組織的にやる場合は冷凍技術を駆使するなどして特別な部屋を一つ用意すれば何十体も保管可能です。
狭い自宅でそのまま遺体と一緒に暮らすよりは、倉庫みたいなもので、特段の不気味さもなく事務的に処理して行ける筈です。
一人当たり何十万円も毎月保険請求請求出来るぼろ儲けを考えれば、一部屋に何十体も保存すれば、大変な額の不正請求になります。
最初は年金支給基準日に数日足りないような時に、(年金支給は日割り計算ではなく基準日を越えれば一ヶ月分が支給される仕組みです)数日遅れの死亡届にして行くなどの少しずつのズレから始まるのでしょうが、これが徐々に幅が大きくなって行くのではないかと言うことです。
病院での死亡の場合は医師の診断書があってごまかせませんが、100歳くらいになってくると特定の病気がないので病院に行かず、ただ老衰的死亡が中心ですから、(ガンになっていた場合でも治療の方法がないとして施設に戻る場合が殆どです)死亡後に医師に来てもらって死亡診断書を貰うのが普通です。
医師を数日遅れで呼ぶことから死亡日時のズレが始まり、次第にズレが広がって行くパターンが想定されますが、例えば一ヶ月もズレてくると一ヶ月前の死亡者を昨日死にましたと医師に見せる訳に行かないので、昨日死んだ人を、一ヶ月前に死んだ人の氏名で医師に説明して診断書を貰うような替え玉作戦になって行く可能性があります。
そこは従業員の集金使い込みの隠蔽工作と同様で、先月使い込んだ分をそのままにしないで翌月集金分を先月の人から1ヶ月遅れで集金したことにして会社に報告するのと同じ方法です。
この場合、一ヶ月間の死亡者数だけ、特別室に遺体が溜まって行く勘定ですが、徐々にごまかす日数が多くなるに連れて遺体の数も溜まって行きますが、収拾策として遺体投棄が起きると、バレル切っ掛けになります。
そこは使い込みが次第に膨らんで行くと集金報告が一ヶ月遅れから、2ヶ月遅れになって行き、収拾がつかなくなって発覚するのと同じパターンです。
何らかの手を打たないと死亡報告を少しずつずらして行く手法が多くなるかもしれません。
年金や介護費用の不正受給だけではなく、4月15日に書いたように身寄りのない老人の場合、その人の財産も生前から事実上老人ホームで預かって管理している傾向があります。
身の回りのことを出来ない被介護者も同じで介護人に銀行へ行って預金を下ろして来てもらうことが増えて来て、最初はその都度律儀に報告していても本人に見せてもよく分らなくなってくるとその報告もしないのが普通になってしまいます。
結果的にいつの間にか介護者が自由に出し入れ出来るようになってしまいますが後で親族が預金を見る前提ですと困るので簡単には手をつけませんが、後でチェックする身内がいないとなれば自由自在になり易いのは火を見るよりも明らかです。

遺言制度改正3(高齢者の拒否力)

死亡後にその前に作った遺言書作成時に意思能力があったかなかったかの証明は難しいのですが、(立証責任は無効を主張する方にあります)年に一回も訪問したことのない甥姪等遠い親戚の場合、数年前にどうだったかの証明は至難の業でしょう。
かりに意思能力があった場合でも、自分で身の回りのことを殆ど出来ないで、老人ホームで毎日暮らしている人や訪問介護等に頼っている人にとっては、言いなりになってしまい易いのは目に見えています。
本当にそのホームの人たちや介護者に心から感謝していて寄付(贈与)したいと日頃から思っていた人もいるかも知れませんが、毎日のようにホームへ寄付する遺言書を作れと言われて困っている人が出て来てもこれを相談出来る外部の人がいない場合・・身寄りや友人のいない場合の問題です。
現行法では遺言書作成時の意思能力があったかどうかだけが有効無効の判定基準ですが、有効性を争う人がいても裁判で無効が確定しない限り、形式さえ整っていれば先ずは遺言は有効として扱って行く不動産登記も出来るし預金も払い戻せます。
・・実務としては、何を原則とし、何を例外とするかの基準・・ここ数回のコラムで戸籍抹消基準で書いているように、裁判で言えば主張立証責任がとても重要です。
遺言が原則有効制度のままでも良いとしても、前回書いたように死亡前一定期間内の遺言を絶対的無効とし、あるいは介護関係者(その範囲は別に決めるとして)が遺言でびた一文でも貰うことを無効として、これに反した場合刑事罰の対象とするなどの法改正が必要です。
現在では誰が貰っても有効ですが、今後は受けるべき対象者(介護関係者の受遺禁止)の除外を規定すべきです。
矛盾した遺言書があれば後から作った方が有効ですが、現行制度では最後に預かった老人ホームや介護者が有利です。
また、実際に死亡後になって遺言書作成時の意思能力の有無を争うのは困難ですし、ここで問題なのは、仮に意思能力があったとしても、自分で身の回りのことを充分に出来なくなって、あるいは寝たきりになって誰かの世話になる場合や老人ホームに死ぬまで居続ける場合に、気力・体力の弱った高齢者が密室状態で連日介護者やホーム側から遺言を作ってくれと迫られた場合、これを拒否しきれない現実です。
この危険を避けるためには、連日の勧誘を禁止したり、第三者の立ち会いを要件にしても・・弁護士が立ち会った時に意思確認してもその前段階の密室状態でどれだけ言い含められているか不明・・誰も見ている人がいないのですから無理です。
刑事事件の可視化のために改革で録画録音を一部だけすると言うふざけた検察の意見と同じです。
連日否認していることに対して脅したり正座させたり、お前の娘も共犯の疑いで逮捕するとか連日事情聴取に呼び出すぞなどとして無理に自白を迫っていた部分は録画しないで、被疑者がもうどんな抵抗も出来ないと観念してから「良いか、これから録画するから自分から進んで話すんだぞ!」と言われて録画録音を開始することを想像して下さい。
遺言書は、裁判所の選んだ弁護士立ち会いでないと出来ない制度にしても、立ち会い時間を5分から10分あるいは1時間に延ばしても、その前の何百時間の執拗な遺言依頼の実態が明るみになる(ホンの一部・・・転院出来る体制を作れた場合の氷山の一角でしょう)訳ではないので検察の一部録画と同じ結果になります。
毎日何を言われていても、いじめられていても見舞いに行く身内がいないと明るみに出ませんから、いじめ問題同様に外部からの絶えざるチェックが必要ですが、外部巡回員に苦情を言うとそこにいられなくなることからなかなか苦情を言えない・無理があります。
むしろチェック体制強化(コストがかかります)よりは遺言法制を大幅に改めて、例えば死亡の5〜10年以上前までは遅い方が有効(現行通り・・もちろん意思能力が要りますが・・)として、死亡前5〜10年以内の遺言は(勧誘方法や遺言者の意思能力の有無強弱を問わず)無効とするような制度設計が必要です。
これだと死ぬ直前に遺言が出来ないのかと言う意見がありそうですが、誰も自分が何時死ぬかを分らないので毎年一定時期(その人の誕生日など自分で決めておいて)に書いておけば、その内に死亡しても最後の5〜10年前の遺言書が有効になると言うことです。
今のように最も新しい遺言書が有効のままで、身寄りのいない人が増えて赤の他人が遺言で遺産を貰うのが普通の時代になると、最後にちょっと世話した人が意識もうろうの人や体力、気力の弱った人に遺言を書かせる不都合が起きやすいので一定の禁止期間の設定が必要です。
高齢者目当ての不正商法が後を絶たない現実から誰でも分ることですが、高齢化すると判断力がしっかりしていても断固拒否する能力が落ちて来て押し売りの餌食なり易いので、意思能力さえあれば有効とする現行法制は危険です。
しかも血族・相続人のいない人はこの遺言は「脅迫によるものだから・あるいは偽造文書で無効」として争う資格がないのですからなお問題です。
最早家に帰ることがないとして最後に老人ホームに入居する人がこれから増えて来る筈ですが、これから独身その他子のいない高齢者が増えてくると一旦入居してしまうと・・入居後数年間自分の足で元気に出入りしているうちはホームも遺言書を作ってくれとは言わないでしょうが、その内自分で外出も出来なくなって友人も同様に高齢化して誰も訪ねて来ない状態になると囚人同様の弱者になってしまいます。
拒否力の衰えと言う基準からすれば、今後の超高齢社会では5〜10年でも短すぎるかもしれません。
これから老人ホームに入ってから10年も20年も生存する人が増えてきますので、一般の場合には5〜10年以上前までは有効としても少なくとも施設に入るようになった以降の遺言あるいは介護度2以上の人は、年齢に拘らずすべて無効にするような仕組みが必要な時代が来るかも知れません。
施設や介護関係者は遺言で貰うのを禁止する、もしあってもその場合は国庫帰属し、介護施設やその関係者は受けられないとする法制が必要です。
仮に5〜10年以上前の遺言だけが有効(プラス介護関係者は禁止)とすれば、施設外の場合個人的に親しくしていても少なくとも5〜10年は親切にしなければ世話した人が遺産を貰えなくなります。
遺言制度は、遺言者の判断力だけを問題とするよりは、拒否力の弱った高齢者をどのように保護するかの問題です。
数年前に受任した事件では、長男の嫁さんが姑の世話をしていたが、タマタマ長男(嫁にとっては夫)がガンになってしまったことから、妻が両方の介護を仕切れなくなって夫の次男に世話を頼んで預けたところ夫も姑も相次いで死亡したのですが、その間に姑は公正証書遺言をしていて、お嫁さんの住んでいる自宅敷地を次男らが相続するようになってしまい(自宅建物は長男名義)もめ事になってしまいました。
現行法では、姑の意思能力(最後までボケていないで遺言が出来たか)の有無ではなく、短期間預かった最後の人が高齢者の拒否力の減退を利用してズルを出来るリスクがあります。
これが身寄りのない人の場合、現行法のまま放置しておくともっと極端な結果になりがちです。

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