生物の気候変動等に対する適応には世代交代のサイクルが短い方が有利ですが、技術革新・経済変動の激しい時代には労働市場の入れ替わりも早い方が有利です。
機械設備で言えば、まだ使えるからと言って旧式の機械で40年も50年も操業していると競争に負けてしまいますし、商店でも内装のリニューアルをしないで30年もやっていると顧客に逃げられるのでしょっ中模様替えをしているのです。
労働者が技術革新に適応して行くためには、新陳代謝を早くして、そのひずみ是正に政府が何らかの手を打つべきであって、(早くから現役を引退した労働者の生き甲斐づくりの援助・・)古い機械や設備を長く使えば補助金を出すような政策をするべきではありません。
高齢者雇用に補助金を出して新陳代謝を遅くする現在の政策は、世界のスピード競争に日本が遅れを取るためにやっていることになります。
一定量の労働需要しかないのに供給の方が多いならば、若者を失業させる(あるいは非正規雇用に追いやる)か高齢者を失業させるかの二者択一となりますが、自然の競争に任せる方が良い結果になる筈です。
政治家がどこかに補助金を出さないと存在意義がなくなると思うならば、若者を優先正規雇用するように補助金を出して、他方で仕事を譲った高齢者に別の処遇を工夫すれば生産効率が上がるし、若者は技術革新について行けるどころか中には世界水準を追い越して世界の先端技術を開発することにもなるでしょうし、将来性があります。
老人雇用に補助金を出して無理に働かせようとしても新しい技術に追いついて行くのが大変なばかりで(労働生産性も下がり)漸く新しい技術に習熟したら超高齢化で隠退と言うのでは無駄です。
我が国の現状は、お祭りの神輿担ぎの役割を高齢者がいつまでも手放さずに、ヨタヨタ担ぎ、(政府は高齢者が担いでも危険がないように指導して)他方で屈強な若者が神輿を担げずにお祭りでもすることがなく、神社の隅で所在なく腐っているような社会です。
お祭りでも、高齢者には御神輿を担ぐより外の役割がある筈です。
高齢者に不向きな最新あるいは10年前の技術を訓練するのは非能率で(他方で若者が失業あるいは非正規雇用でぶらぶらしているのは)お互いに不幸ですから、高齢者は潔く若者に開け渡すとしても、ただボケていれば良いと言うのではありません。
ゆっくり余生を楽しんでもらえば、良いのではないでしょうか?
高齢者は若者の仕事を取らずに潔く次世代に引き渡すべきで、その結果時間が空けば、長い人生経験の味を元手に、俳句その他の高齢者ならではの能力を発揮出来る分野を開拓して行くべきです。
その結果新たなジャンルも生まれるし、高齢者と若者は住み分けて人類未経験の豊かな社会が出来上がる可能性があります。
江戸時代には、ご隠居さん向けの文化がいろいろ花開いています。
多くの高齢者が遊んでしまうと年金がパンクすると言う意見が多いようですが、前回末に書いたように労働需要が一定量しかない以上は、若者が遊ぶ(フリーター化する)か高齢者が遊ぶかの二者択一ですから、トータル国内生産量は変わらないのです。
むしろ両端で非正規雇用になる・・ワークシェアーするために双方ともに年金保険負担者にならないところが問題です。
潔く職場を若者に引き渡しても、国内総生産は同じ(むしろ効率が良くなる筈)ですし、仮に心配だとしても長年の貿易黒字による豊かな貯蓄があるので今のところ問題がありません。
この蓄積のあるうちに、(団塊の世代が通過して行き)頭でっかちの人口構成が改まる筈です。
世界初の超高齢社会に到達した我が国高齢者が、若者の仕事を取り上げて従来の延長でただ仕事を続ける期間が長くなっただけ、あるいは旅行・ゲームをしたりテレビを見ている時間が多くなっただけと言うのでは、芸がなさ過ぎます。
このチャンスに際して、我が国発の高齢者向けの人類未経験の時間(の過ごし方)を開発したらどうでしょうか?
この関心でOctober 13, 2010「文化は高齢者が創る」前後で書いたことがあります。