中国の膨張策と集団自衛権3

集団自衛権の政府解釈変更の是非についての議論は、政府答弁をしたときと現在の国際情勢に変化があるのかないのか?あるとしたらどの部分でどのような変化があって、集団で自衛をしないと(日本一国だけの自衛が可能か)どうにもならない状態になりつつあるのか等について実証的に議論することが必須です。
集団自衛権行使の是非については、強引な中国の領土・領海拡張要求に直面しているアジア諸国における弱者連合の必要性・合理性の有無を議論すべきです。
実態に関する議論をタブー視・無視して、解釈変更をすること自体が違憲になるという議論は、必要性の有無程度に関する実証的な議論に入らせない効果を期待しているのでしょう。
今朝の日経新聞朝刊1面には、世論調査結果が出ていて、議論自体を許さないというマスコミ宣伝が効いたらしく、解釈変更に反対と言う意見が多数であるような報道でした。
国民の多くはプロパガンダ次第というところがありますから、マスコミ支配力は恐るべき効果を発揮します。
解釈変更自体が「議論の余地なく何故許されないか」の掘り下げた議論がマスコミ報道ではどこにも出ていないで「変節は許さない」とか祖父の岸信介の自主憲法制定怨念?を引き継いでいるかのような個人資質を強調するムード報道が目に着きます。
こう言う報道を煽って来た結果
「何十年も守って来た政府解釈の見直しは許されますか?」という問いかけは一見中立的ですが、これだけでは、中立的な人の多くは解釈変更は御都合主義でおかしいと感じてしまうでしょう。
「現状はこうなっていますが、これに対処するための解釈変更をすべきだと思いますか」という質問ですと、答えはかなり変わってきます。
そもそも集団自衛権の是非の前に、解釈変更の是非を第一のテーマとして問うているとした場合、この質問形式自体中立的ではなく、一定の立場で質問していることになります。
マスコミが世論(誘導するつもりがなくて)を知る必要があるのは、集団自衛権を認めるべきか否かの国民意思であって、その必要性があると言う回答の場合、解釈変更をどう思うか、どうすべきかの質問に移るべきでしょう。
解釈変更の是非を集団自衛権行使の必要性以前・・入り口の議論にしているとすれば、世論調査が一定の立場・・内容の議論に入らず変更自体を攻撃している特定の偏った立場で調査していることになります。
(世論調査質問内容・順序を知りませんので仮定の議論ですが、今朝の1面の書き方を見れば、大見出しに「解釈変更反対51%」と大きく出ていますので、これに焦点を絞った質問をいたと想定されます。)
私は法律論・・公平な議論をするための意見を書いています。
すなわち解釈変更違憲論は、どう言う場合には許されるか許されないか、どこまでの行使なら合憲で、(正月ころにスーダンでのPKO派遣軍だったかで、韓国軍が反政府軍の進撃対象になっている状態下で、小銃の弾薬が不足して自衛隊が緊急事態として弾薬を貸したことがありました・・こうした具体的な事態ごとの議論が必要です)どこまでならば違憲かと言うまじめな議論をすることすらを許さないという立場ですから、戦前で言えば「非国民」というレッテル貼りで言論を圧殺して来たのと同じ論法です。
実態観察の議論を抜きにした頭っからの反対論は、中国の目指す弱者連合打破論(中国にとっては都合の良い理論です)に裏で通じている疑いすら持たれることになり兼ねません。
実務家・法律家である以上は、政府答弁時と現在では立法事実(社会実態・・今回のテーマでは10年先の国際情勢)の変化があるか否かの実証的論争こそすべきであって、これを回避すべきではありません。
昨日書いたとおり、非嫡出子差別の違憲判断は現時点(と言っても訴え提起した人の相続開始時点ですから、かなり前・・過去の社会実態がどうであったかの判断)で、合理的差別か否かを判断したものですから、将来予測に比べれば簡単です。

中国の膨張策と集団自衛権2

アメリカは自力で友好国の安全保障を(日本等の自助努力による補完がない限り)「完全には」出来なくなったことから、中国がこの隙をついて既存秩序破りに動き出したのが現在アジア情勢です。
警官が来るには来るが直ぐには来られないとか警官一人では強盗を追い出す力まではないので家人と協力してならば可能という状態です。
こうなれば、自分の家族を守るにはある程度自衛するしかないのは理の当然ですし、自力だけではおぼつかなければ隣組で連帯して(集団で)強盗や山賊に対抗するしかありません。
それでもどうにもならないとなれば外部から助っ人を頼むしかない・・太平洋の彼方のアメリカに応援を依頼するのが(数日前の上海での習近平の演説) 何故悪いのか、理解できません。
戦闘力のない農民が100人集まってもどうにもならないとなれば、村を守るために戦闘集団を雇った映画7人のサムライのパターンです。
ココで集団自衛権の議論が出て来ます。
「政府が憲法解釈を変えるのは違憲だ」という変な議論を最近読みましたが、解釈を変えるのがいけないと言い出したら最高裁が判例変更すること自体違憲になってしまい、最高裁の存在意義がなくなります。
法解釈というのは、これを支える社会実態の変化にあわせて解釈変更して行くことになっています。
古くはチャタレイ事件における猥褻性の判例・・判断が社会意識の変化によって徐々に効力を失って行きましたし、最近の事例では非嫡出子の相続分差別が違憲か否かに関する連続した最高裁の判例です。
何回かにわたって最高裁が合憲判断を繰り返してきましたが、昨年だったか遂に違憲判例となったものですが、これはまさに社会実態・法律用語で言えば「立法事実」の変化に合わせて、最高裁内での違憲を主張する少数意見が徐々に増えて来て最後に多数意見になったものです。
この判例の変化は、判事の人材が入れ替わったことによるのではなく、この間に社会実態の変化がかなり進んだことがこの判例定着性の評価になっています。
(判例評釈など学説は概ね・・と言っても1つ二つしか評釈を読んでいませんが・・非嫡出子差別に対する違憲判断に対して肯定的評価になっていますが、その理由とするところは社会実態・意識の変化をどう捉えるかと言う視点であってゲスの勘ぐりのような判事の個別的思想傾向を論じたものではありません。)
自民党内保守派は当初反発していましたが、思想信条の問題というよりは社会実態の問題とする上記学説の動向などを参考にしたらしく、最高裁の判断に従って法改正する方向に変更したと報道されています。
判例変更の理由をこのように読み解くと、10〜20年前から違憲を主張していた人が10〜20年前から正しかったのではなく、(むしろ当時の社会実態に合っていなかったとすれば間違っていたことになります・・)今の判決を獲得した人がジャストミートした・・正しいに過ぎないことが分ります。
逆に言えば20年前に合憲だと主張していた人が、今の時代・実態を見て(時流にあわせて)違憲と言うようになっても変節したことにはならないということです。
いつも喩える例ですが、野球のボールが届く前にバットを振れば空振りですし、その次の人がちょうど良いところに来たときにバットを振ってホームランになった場合、俺がそのタマを狙って早くからバットを振っていたが空振りしたと自慢しても仕方のないことです。
寒くなって多くの人がオーバーを着るようになれば、温かいうちからオーバーやセーターを来ていた人が正しかったと言えません。
非嫡出子相続分差別の違憲の判断では、現時点を基準にすることから、それ以前は合憲だったことを前提にその前の相続事例には適用がない(・・過去の相続事件が全部やり直しになるのではない)ことを上記判決では明記しています。
昨年暮れに大阪地裁判例ですが、地方公務員災害補償法に関する違憲判決が出ていますが、これも考え方は同じです。
遺族年金は女性の場合年齢制限難しに受給できるのに妻を亡くした夫の方は55歳まで受給権がないと言う規定の合憲性が問題なった事件です。
上記判例は、法制定時の昭和40年代の専業主婦率等当時の男女差と現在の社会状況を詳しく比較した上で、非正規雇用が多くなっている(その他育児休業が男子にも認められているなどいろんな制度変更が書かれています)現在では、男性だからと言って55歳まで受給権がないのは非合理な差別に当たると判断したものです。
この判例の思考形式も法制定時は合憲であっても、当時と現在では社会状況が変わっているから今は差別する合理性がないので違憲だと言うものです。
上記のように法解釈は社会実態の変化に合わせて変化して行くべきものであって、解釈を変えるのは恥ずかしいことではありません・・法は万代不変のものではないことを前提に、いろんな事件でしょっ中判例変更を求めて裁判しているのです。

讒言社会4と集団強迫神経症2

韓国では、国を挙げて強迫的心理状態になっているので、反日というテーマが与えられると一方では焼け木杭に火がついたようになり易いし、他方で避雷針が見つかったようなもので、これを言ったり、率先してやりさえすれば自分は苛められなくて済むという魔法にかかるのではないでしょうか?
この点は中国での反日無罪と同様で、(精神・思想の自由のない)圧政下の国民に共通の現象と言えるでしょう。
ただ、中国では政府宣伝のまやかしを国民は良く知っていて、(反日キャンペインや文化大革命も権力争いの都合でやっていることをみんな知っていました・・集団精神障害の結果ではありません)政府の嘘に便乗して現政府に対するはっきりした不満のストレス発散に利用しているだけですから、中国人の場合はまだ余裕があります。
また政府側も実際には政府に対する不満のはけ口として、暴動に参加していると知っているので、あまり反日を盛り上げ過ぎて歯止めがなくなると本来の不満の対象である政府に向かって来るリスクがあるので、いつも程々でやめさせるしかありません。
言わば管理された反日騒動です。
韓国の場合管理されていない・・誰も演出していないのに、自分たちでお互いを信頼出来ない・・朝鮮戦争直後には、北のスパイだという疑いだけで直ぐに処刑されてしまった経験の結果、親兄妹も信用出来ない社会になっていました。
韓国人が現大統領に至るまで自己保身に汲々としている・・強迫神経症のように心底・必死になっているのは誰か(政府や誰かの都合によって出来上がった人工的なムードではない)が煽っているのではない怖さ・・社会全体の強迫神経症的病理を背景にしているからでしょう。
韓国の精神病理的現象は、相互不信社会と社会経験の未成熟・・社会経験のない幼児がイキナリネット社会に放り出された場合に起きる現象に、相互不信が相乗効果をもたらした結果ではないでしょうか?
韓国は自分で独立を勝ち取ったのでもなく、乱世を誰かが統一したものでもありません。
日本の敗戦によってアメリカから棚ぼた的に転がり込んで来たものですから、自己統治の経験がまるでなくて、一人前に社会を運営して行くのには、経験智としては無理があったからでしょう。
現在の凝り固まった韓国政府・社会全体の言動は、朝鮮族の人格レベルによるのではなく、社会の発展段階の問題でないでしょうか?
狂信的・極端な日本批判に関しては背後で「アメリカの唆しがあるから・・」と言う解説もあり得ますが、日々の朝鮮人たち同士での行動・国内デモの激しさ・・何かあるとマスコミやネットを挙げての吊るし上げに遭って自殺する人さえ出るような社会を見るとアメリカによる唆しだけでは理解を超えた反応です。
朝鮮族もも古代以来渡来人として何回にも亘って日本に多く来ていて、今ではそれ以外の日本人と区別が着かないほど同化を遂げているのですから、民族的遺伝子の差ではなさそうです。
実はヤクザ系・右翼活動家あるいは粗暴犯の殆どは在日かあるいは元在日という噂もありますし、実業界で成功しているのはパチンコ屋や風俗系が中心(医師や弁護士なども一定数いますが、ココは大多数の傾向を書いています)と言われていますので、実はうまく同化できていないのかも知れません・・。
我が国における傷害・強盗、殺人・強姦等暴力的粗暴犯罪の大多数は実は在日か中国系または帰化した元在日が占めているとも噂されますが、本当の統計・研究がタブー視されていて存在しないし、(あっても公表しないでしょう)在日に限って犯罪報道でも本名を報道しない扱いが多くて本当のところがよく分りません。
在日系を除けば、我が国の粗暴犯は統計上大幅に少なくなるように思っている人が多くなっています。
ヘイトスピーチあるいは人種差別的発言を批判する人が多いのですが、客観的データ造りを怠ってあるいは敢えて不正に特定人種だけの統計調査を伏せていると、却って国民の憶測が広がります。
偏見除去には、正確なデータ開示・調査研究が先決です。
デマや流言飛語は情報不足で起きることは周知のとおりですし、臭いものに蓋式の政治では却って国民は想像力を逞しくするしかない・・結局は偏見を助長する政策になります。
ヘイトスピーチをなくせと批判さえしていれば、人権尊重派の肩書きを得られると思っているのでは困ります。
データ調査してこれを公開するなど、憶測をなくす努力こそ必要です。
アメリカではドイツ系3世とか、イタリア系,アイルランド系、日系その他はっきり報道していますし、人種系列別にいろんな統計調査をして悪いことはあり得ません。
会社指導者の何%に黒人が進出しているかなど、失業率も全般だけしか日本では報道しませんが、実際には、男女別、年齢別、あるいは黒人で何%、ヒスパニック系で何%、学歴別等々きめ細かなデータがあってこそ、きめ細かな対策がとれるのであって、漠然として統計で対策を決めるのではラフ過ぎます。
実際にアメリカでは、分類した報道に接することは枚挙にイトマがないほどです。
ヘイトスピーチ根絶という抽象的言論封じに精出す前に、先ずは統計的事実を明らかにして実際と違うならば「違うよ!」偏見を打破して行くことこそが要請されているのではないでしょうか?

讒言社会3と集団強迫神経症1

日本からの独立直後続いていた軍事政権から民主政権になったと言っても民選の任期のある大統領制になっただけで、先進国の仲間入りしたと自己満足しているのですが、社会レベルがまだそこに至っていません。
一定の価値観で行動を始めれば、これと違った意見を言おうものならば(中国の紅衛兵のようなはっきりした組織はありませんが、)韓国では大変な吊るし上げを受けるので誰も自分の意見を言えない恐ろしい社会になっています。
一定の方向へ向かうと集団狂信的行動を取る(平衡感覚がない)異常な点は、中国でも見られない傾向です。
中国の文化大革命は毛沢東・・あるいは四人組が背後で仕掛けた組織的なものでしたが・・韓国では自然発生的に中世の魔女狩りみたいになるので、黒幕がはっきりしない分余計に恐ろしい社会です。
国民は政治に限らずうっかりした発言をすると、テレビやネットが炎上して自殺に追い込まれる事件も起きています。
自然発生的ですから、何がイキナリ標的になるかもしれないので国民は戦々恐々の心理状態にならざるを得ません。
いじめっ子がいるときに、いつ自分が標的にされるか怯えているような心理状況です。
誰かがイジメの対象になるとその他の子供がほっとするような状態ですから、誰かが一旦標的になるとその状態の固定が望ましいので、イキオイみんなが尻馬に乗り易い心理状態です。
国際政治でも、AB間で紛争が起きるとその他の国は表向き困ったものだと言いながらその実、漁父の利を得られるので実際には気楽な状態になります。
日中、日韓で揉めれば揉めるほど政治的に有利になるのはアメリカですし、経済的には中国市場に輸出競争している韓国やドイツなどが、少しでも長く、大きく揉めてくれればその間に市場を奪い取れる関係になります。
(アメリカだって政治的に得するだけではなく、GMだってシェアーを伸ばしました)
アメリカでの数年前のトヨタパッシングでは、現代自動車による裏工作があったとまことしやかにささやかれ、今回の日中激突はドイツの裏工作によるとささやかれているのは、誰が得しているかの基準によって読み解く評論家の意見によるのでしょう。
「裏」工作は裏に徹しているので、具体的な証拠は当然あり得ません。
いずれにせよイジメがあるとこうした(周辺が囃す)原理が働くので、いじめられっ子にとっては、孤立感が加わって耐えられない状態になり,自殺に追い込まれます。
マスコミがアジアで孤立するというのはこうした原理を言うので、全くの嘘とは言えません。
実は中国で日本と市場競合していない東南アジア諸国にとっては、逆に中国や韓国に向かっていた日本の投資が東南アジアに向かうので(中国とは、投資の受入れ競争国なのです)却って喜ばしいことになって大歓迎してくれます。
東南アジアにとっても日中・日韓の対立は大歓迎ということですが、欧米や韓国とは歓迎している意味、目的が違いますので、日本が孤立する訳ではありません。
この辺が日本が孤立すると騒ぐ(悪意がないとしても)マスコミの見当違いになっているところで、安倍総理の東南アジア歴訪・・中国包囲網造りが成功している所以です。
(・・黙っていても投資を待ちかねている・歓迎してくれる関係ですから、「投資しますよ」とわざわざ言いに行けば歓迎されるのは当然です)
AB間の紛争激化には周囲にもかなり(上記のとおり裏ですから当然証拠はありませんが・・道義上)責任があるので、学校等で一定集団内で苛められて自殺に追い込まれた場合、いじめっ子だけはなく、その周囲にも大きな道義的責任がある場合があると考えるべきでしょう。
学校では、みんなで反省文を書いたりしている所以です。
学校では、イジメに加わった証拠がなくともみんなで反省文を書いたりしているのは、教育的意味では正しいことです。

階層社会と讒言社会2

ところで、最近の朝鮮半島の人を見ると、12日に書いたように李氏朝鮮も専制君主制でしたので、元々讒言社会であったとしても、中国に比べてその程度が激し過ぎる点や、何かあると直ぐ激昂するように見えるので、落ち着いた話し合い解決に向かない傾向があると思いますが、古代から同じだったのでしょうか?
大多数の人間がそうなのか、あるいは自由な言論が許されないので民族全体が精神病にかかったみたいになって見えるだけなのでしょうか?
国内意見比率がどうであるかは別としても国家の公式発言・行為としては、非常識過ぎる言動を見ると日本人から見るとその低レベルさに驚き呆れる人が多くなっています。
天智天皇のころに朝鮮半島の覇者になっていた高句麗はツングース族といわれているので土着朝鮮族とは違うようで、イギリスのノルマンコンクェラー同様で異民族支配でした。
この後半島では統一政権が出来ませんでしたが、女真族系の高麗の武将であった李成桂が半島を統一して1392年に樹立した李氏朝鮮では、ヤンパン階級と庶民に厳しく二分されていました。
李氏朝鮮で階級分化・差別が厳しかった原因・根拠は、高句麗以来異民族の系譜を引く支配階級(李氏朝鮮は女真族か?)と非支配階級にはっきり二分された社会だったからかも知れません。
朝鮮半島では日本の統治(本土並みの皆教育制度を施行しました)が始まるまでは、階級制度が厳しかったので、庶民は教育を受ける機会もなく動物並みの生活で20世紀まで来たことが、現在朝鮮族の民度の基礎をなしていると思われます。
中国もその地域でのせっかくの長い歴史を活かし切れないうえに、その粗野さに日本人(だけではなく世界中)が驚いていると思います。
中国の場合も士大夫階層とその他に分離されていて、90数%のその他国民は何らの歴史経験も共有して来なかったことによることを11/18/05「儒教と社会の停滞4(刻苦勉励の日本1)」等で書いたことがあります。
日本の場合、幸い同胞支配の連続なので庶民・乞食に至るまで同一文化水準で来たので、最下層に至るまで政治意見を持っていたし、いつでも下から順次階層が繰り上がれる社会でした。
大黒屋光太夫とかジョン万次郎の漂流譚を見れば分るように、一介の漁民でも海外漂流すればそこでその土地のエリート同様のレベルで直ぐに意見交換出来るようになるのが昔からの我が国の民度でしたし、近代・・戦争前後では街角の乞食でも新聞を読んでいると外国人が驚く社会でした。
こう言う社会では行動基準が正義にあっているか、広く公論の支持が必要ですので、正しい意見かどうかが重要です。
専制制社会では、高級官僚と言っても庶民に支持基盤を持っていないので、讒言や讒訴が幅を利かして粛正という恐怖政治になり易いのはのはこうした違いによります。
日本以外ではノルマン支配のイギリスに始まって世界中どこでも(インドも支配階層はアーリア系で体つきからしてまるで違います)階層分化の厳しい社会でした。
フランスで貴族階級がなお色濃く残っている点については、ココ・シャネルの映画を見て来た印象として、08/10/09「大名の没落と西洋貴族1(所有権の絶対性1)」でも紹介しました。
世界で唯一、日本だけで庶民文化が早くから発達したのは、この違いによるものですし、産業革命以降国際競争力は庶民の勤勉さなど国民総体の道徳レベル競争になって来たので、いろんな分野で日本優位になっている源泉です。
日本以外では世界中で似たような階級分化社会だったのに、世界中で南北併せて朝鮮族だけが何故いつまでも理性化しないまま暴力的・直情的なのか原因がよく分りません。
中国にもしっかりした意見の人が結構いると言われることがありますが、士大夫層の末裔がいるからと言えますが、朝鮮族にもエリート層の末裔がいるのですから、不思議な差です。
現在の朝鮮半島の行動原理を理解するには、中国の文化大革命当時と比較すれば良いのかも知れません。

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