コミンテルンとユダヤ人脈2

欧米一丸で、対日戦開始を企図していた原因は、ヒットラーの言うとおり日本を除く欧米各国ではアメリカに限らず原則的にユダヤ系が政治経済を牛耳っていてユダヤ系一丸となって日本叩きを決めていたことによるのではないでしょうか?
西欧各地でユダヤ人排斥運動が広範に起きたのは、あまりにもユダヤ系がいろんな分野でのさばり過ぎたコトに対する反発があったからでしょう。
広範な不満が広がっていたからこそ、各地でユダヤ排撃運動が支持を受けたものと思われます。
広範な不満がなければアジテーターが勢いを持つことが不可能です。
確かに能力に応じた平等・人種差別出来ない・移民自由となれば、結果的に優秀なユダヤ系がのさばる傾向になるしかないのが西欧諸国なのでしょうが、あまりのさばらず目立たないように控えめに生きて行く智恵がないからこういうことになるのでしょうか。
日本人は大成功しても豪邸に住まず、質素な生活を心がけるのが普通です。
昨年ノーベル賞を受賞した大村氏の人生をみると・・特許料を利用して何百億と北里研究所につぎ込んでもり立てて来たこと・自分の生活は質素なままであることが分ります。
戦前のアメリカでもユダヤ系が支配層を形成していましたが、アメリカの場合、ユダヤ排斥どころか、迫害されるユダヤ人の受け皿になっていました。
西欧では人種差別というよりは具体的被害から「ゆだやじんは〇〇」と発展したのに対して、アメリカでは被害に対する防衛ではなく黒人差別正当化のために根源的人種差別思想があったからです。
19世紀から植民支配を正当化するために発達して来た「アーリアン人説」の直接的表現である「白人優越意識」がアメリカではびこっていましたが、これは黒人奴隷制〜根強い差別意識を説明するのに便利だったからでしょう。
ところが20世紀に入ってみると白人の優越性に挑戦して来る将来の敵・日本の台頭が身近になったことから、白人内のユダヤ人排斥・あるいは共産主義かどうかなど身内の対立などしていられない・・日本敵視政策・・純粋な人種差別意識と混合した・・排日差別法等日本叩きに集中したもの・・アメリカにすれば合理的選択ですし、ユダヤ系、コミンテルンにしてみれば自分らに対する標的を日本人へのすり替えに成功した大勝利です。
19世紀末〜20世紀代初頭からアメリカが成長途上だったので、アメリカ人にとって成長の先にある将来の敵は気になったでしょうが、そのとき現在の国民間での身内の争いには、あまり関心がなかったと面があります。
20世紀以降のアメリカは、いつも挑戦者になりそうな国を潰すのに熱心な動きをして来たことが特徴です。
2番手を潰すために3番手を応援・・3番手がのし上がって来るとその国を敵視する・・めまぐるしい友好国変更ですから世界中が遂にアメリカを信用しなくなってきました。
アフガンゲリラは対ソ戦略のためにアメリカが育成したものの、用済みになって冷遇したら今度は反米ゲリラ・・9.11として育ってしまったと言われています。
戦前には成長途上で国民には明日への夢があったので、「競争さえ平等ならば良い」と言う理念どおりでそれほどの痛みを感じていなかったから、自由競争の盟主を任じていたのです。
中国でもどこでも高度成長中には大成功者が出れば夢・アメリカンドリームが与えられるだけ・・貧しいムラから一攫千金の大富豪が出れば「自分も!」と夢を持ってムラを飛び出すのが普通で成功者への妬みは少ないのが普通です。
ところが成長が止まると他人との差が気になる・・目の前の格差が気になって来るし、不満が生じます。
19世紀末からの西欧をみると、産業革命で先行して先行者利益を得ていたものの、台頭して来た新興国アメリカやドイツ(普仏戦争・1870です)に19世紀末から追い上げられて来た→先行者利益を得ていた英仏蘭は低成長社会への移行が始まっていたことになります。
第一次世界大戦はお互いに破壊し尽くしただけで何も得るものがなかった・・戦後の苦境が始まると夢のない低成長社会で見渡してみると上層部や旨味のある仕事の多くがユダヤ人に取られていることに対する不満が出て来たものと思われます。
ドイツだけではなく西欧全土でユダヤ人に対する排斥が始まっていました。
ちなみにユダヤ人排斥で有名なドレフュス事件は、既に1894年に起きています。
ここから40年経過で欧州全域に不満が広がり、これを背景にした遂にナチスによる大迫害になるのですが、アメリカの退潮が明らかになった1971年8月15日のニクソンショックから既にほぼ同様の期間が経過しています。
その前・・日米繊維交渉に始まって、自由貿易の盟主どころか日本に対して次々と輸出自主規制の強要・・対日パッシングが常態化していました。
今回のアメリカから広がっている広範な格差拡大反対論、反グローバリズム運動・タクスヘイブン摘発の動き・金融資本に対する敵意・・ウネリには、表向きは反ユダヤ論やヘイトスピーチがありませんが、その奥底にはアメリカの政治経済を支配するユダヤ系に対する不満噴出気分が充満しています。
トランプ氏の売りの1つは自己資金であって巨大資本から資金を得ていないと言う宣伝で庶民の支持を受けて来た面があります・・本戦になると自己資金では間に合わなくなって今はその修正を含めた各分野での発言修正に追われて・・支持が逆に減る状態になっています。
こうした庶民の気持ちはアメリカンドリームの消滅・停滞社会化によるものとみるべきです。
今回も日本だけはユダヤの浸透を阻止しているので、反グローバリズムと言ってもあまり進み過ぎるのは困ると言う程度で、現状の外国人排斥するほど切迫感がありませんし、金融資本の強欲さもそれほどないので気になっていません。

コミンテルンとユダヤ人脈1

西欧近代だけでなく、今でもアメリカは自分達だけでは何も出来ない?経済・・ひいては政治決定がユダ系に実質的に握られている・・格差反対やグローバリズム反対論・・金融資本・・関係者の高額過ぎる報酬批判論は実質的には反ユダヤ論と同じと言われています。
ユダヤ人がアメリカ経済を牛耳っている証拠があるか?何が悪いのかと開き直られれば証拠を出せる人は殆どいないでしょう。
金融資本家や高報酬トレーダーのどこが非道得なのか、グローバリズムのどこが悪いのかと個別議論をして行くとそれぞれそうなっていった理屈があって言いくるめられてしまう感じでよく分らない・・しかしイギリス世論はEU離脱を選択したし、アメリカでは国民不満を代弁したトランプ氏が共和党の大統領候補選出手続きで圧倒的支持を受けました。
戦後アラブ世界のど真ん中に強引にイスラエルを建国させ、イスラエル建国以来全アラブを敵に回してでも、アメリカはイスラエルを全面支援をして来たことなどの結果からみて・・(ユダヤ人が政治家に圧力をかけた証拠がなくとも)アメリカの政治に対するユダヤ系影響力の強さを疑う人はいないでしょう。
ユダヤ人が政治経済を牛耳っている具体的証拠がなくとも、ユダヤ人がアメリカの政治経済を牛耳っていると結果から多くの人が推測しているのです。
ロシア革命とユダヤの関係に戻しますと、ロシアはやっと農奴解放が始まった程度・・半端な地位向上策が却って貴族層と農民層双方の不満を呼んで19世紀末頃から統治混乱に陥り遂に革命に至った・・社会の基礎がそんな程度でしたし,政治はまだ宮廷政治の域を脱し切れていない状態でした。
宮廷文化・・公用語?は長くフランス語であり、革命時のニコライ2世の奥さんは、ドイツのヴィルヘルム2世やイギリスのジョージ5世と従姉妹関係でした。・
近代国家の入り口・・宮廷政治しか知らない遅れたロシアが近代化の渦に巻き込まれ、混乱の末に革命が起きると政治訓練を経た人材がそもそもいませんので、アフリカ諸国が戦後イキナリ独立したバカリのような混沌状態になっていたところでした。
アフリカ諸国が戦後次々に独立すると、政治能力・・経験のなさから、血で血を洗う部族抗争が始まり、大混乱に陥って来ました。
この数年で言えば「アラブの春」の結果、アラブ諸国の庶民が意見を言えるようになると政治的大混乱に陥っているのも同じ経過です。
ロシア革命後の複雑な権力闘争・・混乱を何とかボリシェビイキがまとめられたのは、政治経験の豊富なユダヤ人が事実上握って来たから何とかなった言うのが一般的評価ではないでしょうか?
ただこのような意見は、上記のとおり証拠らしいものは当然ありませんし、膨大な下級役人等になって来ると外国にまで出て来るデータがなくて検証が難しいので、専門家の研究に委ねるとして以下名の知れた人材に焦点を当ててちょっと見て行きます。
革命騒乱時主役であるトロツキーをみておきましょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%BC
「1879年、ロシア帝国時代のウクライナ南部のヘルソン県エリザヴェトグラード近郊の、最寄の郵便局から15マイル離れた小さな村ヤノフカにて父ダヴィード(1847年 – 1922年)と母アンナの第5子として生まれる。両親はユダヤ系の富農であった。
次にロシア革命の第一人者であるレーニンは引用するまでもなくユダヤ人として知られていますが、念のため引用しておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki
ウラジーミル・イリイチ・レーニン(ロシア語: Влади́мир Ильи́ч Ле́нин、1870年4月22日 – 1924年1月21日)
アストラハン出身の物理学者イリヤ・ニコラエヴィチ・ウリヤノフとドイツ・スウェーデン系ユダヤ人(ロシア正教に改宗していた)のマリア・アレクサンドロヴナ・ブランク(英語版、ロシア語版)の間に生まれる。
コミンテルンの創設
第二インターナショナルは、加盟する社会民主主義政党が第一次世界大戦においてそれぞれ自国政府を支持したために瓦解した。再建も試みられたが、ボリシェヴィキは独自に1919年にコミンテルンを創設した。」
スターリン政権の戦前戦後の欧米外交責任者リトヴィノフはユダヤ人でした。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit#
マクシム・マクシモーヴィッチ・リトヴィノフ(ロシア語: Макси́м Макси́мович Литви́нов, ラテン文字転写: Maxim Maksimovich Litvinov、1876年7月17日 – 1951年12月31日)は、ソビエト連邦の政治家、外交官。外務人民委員(外務大臣)、駐米大使などを歴任した。
876年7月17日ロシア帝国の支配下にあったポーランドのビアリストクにユダヤ人の銀行家の家庭に生まれる。
外相時代
第二次上海事変により日中戦争が本格的に勃発した時はうれしくて我慢できないほどだったことをフランスのレオン・ブルム副首相に伝えてる。ブルムによると、リトヴィノフは「自分自身もソ連も日本が中国を攻撃したことをこの上なく喜ばしく思っている」、さらに「ソ連は中国と日本の戦争ができるだけ長く続くことを望んでいる」と語った。ソ連は第二次上海事変直後に第二次国共合作に動いた蒋介石の南京政府と不可侵条約を締結して軍事援助を開始し[6]、1938年9月30日には国際連盟は対日経済制裁、1939年1月20日には対中国援助の決議を可決させ、日本包囲網も順調に構築していった。」
「1941年から1943年まで駐米大使も務め、アメリカとの関係強化に努めた。」
上記記事の内で、「自分自身もソ連も日本が中国を攻撃したことをこの上なく喜ばしく思っている」と言う部分が異様です。
彼は政府意見のみならず個人的意見を敢えて外部(公式発言)に出すほど、日本を敵視していたことが分ります。
これがフランス政府宛のソ連政府の公式発言とすれば、アメリカだけではなく西欧諸国では、共産主義か否かの違いを越えてニッポン民族を如何にして殲滅させるか・・そのためには如何にして戦争に引きずり込むかの智恵を絞っていて、「遂に罠にはまった!」と仲間内での興奮を共有している印象です。
レオン・ブルムとは何者か?ウイキペデイアによれば以下のとおりです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/
レオン・ブルム(Léon Blum、1872年4月9日 – 1950年3月30日)は、フランスの政治家。社会党に属し、3度にわたって首相を務めた。とりわけ1936年に成立したフランス人民戦線内閣の首班を務めた人物として知られる。
・・・・その後に成立した急進社会党内閣にも副首相として入閣するが、急進社会党が共産党の弾圧を図るにいたってブルムら社会党は倒閣を支持した。1938年、ブルムは再び首相になるが、1ヶ月とたたずに内閣が崩壊した。こうした政治的混迷が収拾されないまま、フランスは第二次世界大戦に突入した。
第二次世界大戦が勃発し、1940年にはドイツ軍がパリを陥落させ、フランスを降伏に追い込んだ(ナチス・ドイツのフランス侵攻)が、ブルムはフランスからの亡命を図らなかった。・・・無論、ユダヤ人であり社会主義者である彼が母国に留まることは極めて危険な行為であった。まず、ブルムはヴィシー政府に「フランスを弱体化させた」という罪で逮捕された。
・・・・1943年には ドイツへと送られ、まずブーヘンヴァルト、ついでダッハウ、そしてティロルの強制収容所に収監された。ブルムの弟ルネ・ブルム(René Blum)はバレエ振付師で、オペラ・ド・モンテカルロ付属バレエ団(Opéra de Monte-Carlo)創設者であった。彼は逮捕され、1943年にアウシュヴィッツに送られて間もなく処刑された。ドイツ敗戦間際にはユダヤ人の処刑を加速化させる命令が出されるが、それがティロルでは遵守されなかったためブルムは生き延びた。やがてブルムは連合国軍による解放によって強制収容所から救出された。彼の代表的なエッセイである『À l’échelle Humaine』は、この収容所で記されたものである。」

集団自衛権関連法案審議2と国会議員の職責1

集団自衛権関連法案に対する賛否は、政治の専門家である政治家が、自分で良く吟味した上で、支持者に分り易く説明してそれでも理解し難いところは良く説明し、合理的疑問であれば、この意思を体して国会で質疑して修正を求めて行くべきです。
・・それでも与野党の意見の隔たりがあればその先は議決するしかないのが民主制=憲法の基本ルールです。
裁決を拒否すること自体が憲法違反行為です。
強行採決に対して野党が立憲主義違反とアッピールしているのは、裁決拒否して退場したこと・・自分のことを言っているのかな?と思った人が多いのではないでしょうか?
よく見ると与党が立憲主義違反と言うのですから、ややこしい話です。
「マスコミを支配して大量に言い募った方が勝ち・・シロを黒と言いくるめられる」と言う韓国流の主張が、これからも効果があると思っているように見えます。
(歴史を学ばないものは・・と言う韓国の主張に対して、どちらだよ〜と思っている人が多いと思いますが、韓国ではいつも自分のことを相手にすり替えて言う傾向・・韓国の主張を見ると自分のやっている狡いことを日本がやっていると主張する国だと理解している人が多いでしょう。
憲法を見ておきましょう。
日本国憲法
第五十六条  両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
2  両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
憲法では最後は議決でケリを付けることになっていますから、議決拒否・・病欠等正当事由を除いて退場した方が職責=憲法違反行為です。
選挙制度さえあれば民主国家が完成するのではなく、冷静な議論をしたあとは議決に従うところで民主制が完成することを書いてきました。
自分の意見が通らないからと言って、韓国議会のように怒号やからだを張って議決妨害したりするのでは、民主国家のまねごと社会です。
日本も4〜50年前まで安保国会のようなことがありましたが、(政権側では、ハマコーが有名です)今はそんなことが出来なくなったので、場外乱闘・国民理解を得られないと言うマスコミ宣伝に変化したようですが、冷静な議論後の議決ルールの実質妨害を目的としている点では同じです。
まだ充分に民主制を理解しない勢力が、国会内乱闘の代わりにマスコミを利用して場外戦をしている状態と言うべきで、選挙で決めて行くべきことを選挙を経ないでマスコミの誘導によって「国民の声」を創出して国会議決の価値を減殺しようとするもので、これこそが憲法秩序の違反行為です。
政治主張は選挙で反映させるべきが憲政の基本です。
総選挙は昨年暮れにあったばかりですし、その時点ではすでに同年夏の集団自衛権の閣議決定は大政治問題になっていたし反対運動も激烈でしたから、選挙後半年程度しか経過していないときに選挙結果を無視して「国民の声」をマスコミが作り出す?こと自体おかしなことです。
選挙後約半年しか経過していないのに、国民の理解などと言い出したら選挙が何のためにあるのか理解不能・・マスコミによる選挙制度無視・・選挙制度・憲法自体の否定になってしまいます。
裁判で言えば正しい主張があるならば、裁判手続で主張すれば良いのであって、法廷外でわめいていて多くの人がうなづいていたと言うのはルール違反ですし、そんな主張自体恥ずかしくて弁護士は出来ません。
裁判の場合場外でいくら騒いでも判決には何の影響もありませんが、政治の場合、マスコミがそのように宣伝すると何となく国会が民意に反しているかのような印象を植え付けるので、次の選挙には影響するでしょう。
この影響を代議士が気にすると言う間接効果(与党内造反)を期待しているのでしょう。
また、世論調査ではマスコミの宣伝効果が大きいので、(昨日書いたように十分理解していますか?と問われれば、私だって・・細かいことはプロに任せれば良いと言う態度ですから「十分理解していない」と答えます)大きな影響があります。
十分審議と尽くすべきと思いますか?と聞かれればそのとおりと答えます。

中国のバブル崩壊18(中国関連報道の変化)

5月13日の日経新聞朝刊第一面には中国の経済状況が大きく出ています。
表向きはまだ7%成長を少し下回ったが、まだ高い成長率であると(統計が正しければそのとおりです・・・。)従来どおりの書き方ですが、その中身を見ると、3月のセメント生産量は前年比2割減、建機大手の利益は前年比96%減、2位?の中聯重科は赤字と書いていて、上海先物市場の銅価格は11年ピーク時の4割安の価格になっている外に各種の卸売物価は3年連続前年割れが続いていると書いています。
これを合理的に読めば、7%弱の成長に下がっているが日本や世界の国々に比較すれば「なお高度成長だ」と言う正面の意見とは矛盾することが明らかです・・。
(クルマ販売台数は外資系企業の発表があるので誤摩化せませんが、その他業界別統計の信用性がないことは従来どおりですが・・・1応これを信用したとしても)政府のGDP統計とは矛盾する各種業界のマイナスぶりを見れば、数年前からマイナス成長だったと見るのが普通でしょう。
しかも同紙9ページには、中国に大量生産能力を持つGMが1台あたり平均100万円もの大幅の値引きを発表して値引き競走に突入と大きく出ています。
数日前に紹介したように、中国国内ではクルマ生産能力の半分しか需要がない・・2500万台の過剰生産力で自動車業界が苦しんでいる状況が、遂に表面化した様子です。
大手マスコミとしては中国政府発表の7%弱の成長が噓だとは書けないので、(うっかり書くと中国国内での記者証が剥奪されてしまう・・韓国の産經新聞記者のように何らかの容疑で逮捕されるとか?と言うことでしょうか?)記事内容でその矛盾を書いて読者に知ってもらおうとしているのでしょう。
最近中国政府発表を否定しないままで、矛盾した内容を書くようになっただけでも、中国べったりのマスコミとしてはかなりの進歩です。
従来は反日暴動以降進出を縮小している日本企業に対して、「中国は良いぞ!何故進出しないんだ」と言わんばかりの一方的な中国政府の肩を持つ報道ばかりでしたので、ネットでは(中国政府にマスコミは乗っ取られていると)批判されていましたが、結局ネット報道の方が正しかったことになります。
中韓は自分がやっていることを日本にすり替えて主張する(自分が虚偽歴史教育をしているからこれを日本に当てはめて、「歴史を学ばないものは・・」説教しに来る・・)傾向があります。
マスコミはそのまま日本語に翻訳して主語を中韓と日本とだけ入れ替えて使うのが普通でしたから、どこの国のマスコミか?と言う批判する人が増えてきました。
14日まで年金と株式や消費税に関して書いたように、中国のやっている(反日暴動に始まり何でも中国では基本は官製です)理解を日本に持って来て、年金による株式等の購入を「官製相場造り」だと言い張っていたのもこの一例でしょう。
日本がオスプレイ購入など兵器購入したり、集団自衛権を具体化する・・中国の嫌がることは全て反対する方向に決めていて、・・軍国主義化する近隣国に警戒心を呼び起こすなどと言うのも、中韓政府が自分が軍事大国化していることを日本に置き換えて主張しているのと同じです。
中国が日本敵視して軍備大拡張していることには、左翼人権派、平和運動家は一切触れません。
私が弁護士になった頃には、ソ連、中国の公害には一切触れず「社会主義は大成功している。こんなに生産力ある」と大宣伝していましたが、日本の工業生産や生活利便性改革には「あれが駄目これがが駄目」と言っては、反対運動ばかりでした。
どちらが軍国主義化しているか・・軍事力で周辺国圧迫を目指しているかどちらの方が公害がひどいかは、世界衆目の一致するところではないでしょうか?
中国のバブル処理に話題を戻します。
日本の技術導入で高炉を造り銑鉄を一応造れるように習えば(最高級品はまだ無理としても)原料にちょっと手を加えるだけですから、国際価格の何分の1に出血輸出・・安くさえすれば売ることが出来ます。
従来の出血輸出は資源系基礎商品・・あるいは低レベル商品でしたから国際価格無視の安値攻勢が可能だった・・鉄骨や石化製品等の資源系製品・・原料類似の基礎製品は投げ売り的輸出が可能で安ければ売れました。
自動車産業や鉄道車両の場合、需要の2倍も作ってしまうとどうなるでしょうか?
採算無視の車を一杯作って苦し紛れに採算度外視の輸出をしようにも、先進国では排ガス規制があるし、粗悪品では、品質・安全面で心配があるから、半値〜10分の1にしても輸出は無理でしょう・・。
従って国内値引き競争突入しかありません・・これがGMが1台平均百万円も値引き販売を始めた原因でしょう。

業界組織と政治3(農業関連組織など)

3月8日の「業界組織と政治2(農協法1)」以来話題がそれていましたが、非政治組織の政治運動・・農政に戻します。
一般国民は農政に関して、政治的圧力による解決・・米や小麦買い上げ単価引き揚げ額や農家保障をどうするかの政策決定を期待しているのではありません。
農業をどうやって再生させて行くか・・自力で国際競争に伍して行けるようにするかに関心があるのですから、農協の全国組織の政治力が喧伝され、誇示されると、却ってこれが農業発展・維持のためにはマイナス的存在になっているイメージを持つ人が多くなるのではないでしょうか?
今回、安倍政権による農業制度改革の目玉として全中の機能(中央の指令権限)削減が盛り込まれて決着しました。
今回の政治決着は、(上記中央会の権限の大幅縮小)農協全国組織が農業再生に対するがん組織になっているので、ここから手を付けないと何も進まないと言う国民意見が反映されたものと見ることが可能です。
農協法は、自創法で農地を地主から取り上げた上で、(ロシア革命でも農奴解放が行なわれ、それを小作人に配らずに集団農場化したものですが)日本では小作人に配った上で個人の創意工夫に委ねずに集団指導下に置いたものです。
自創法→農地法と農協法は、共産主義的思想による占領軍による置き土産・・国民の基礎産業である農業の発展阻害を企図した基礎法であったと評価出来ますから、農協法の中央会による指導権限の縮小改正は、安倍政権による戦後レジーム脱却の第一歩になるのかも知れません。
ちなみに戦後「レジーム変更」とは国際的意味合いでは国内組織枠組み変換を意味するものらしく、国際秩序を意味するものではないようですし、安倍氏自身この文脈で言明しているそうです。
農協もそれなりに農業発展に努力して何かやってい来たのでしょうが・・・農業発展維持にどのような努力しているかを良く知りませんが、結果として(同じ日本人なのに)その他産業に比べて時代適応能力が低かったことは実績で示されていますし、結果的に他産業に従事している国民の足を引っ張って来たことは明白です。
一般産業であれば、努力しても効果がないないならば消えて行けば良いのですが、食糧は必須産業であることから、(食糧を人質にした)農協の政治力による開き直りが通用して来たことになります。
農業団体は、実績が悪い・・国際競争がなくなる一方であることを反省するよりは、逆にこれを理由に、政治力で補助金や輸入規制ばかり求めている結果、(国際関税交渉で他産業が割を食っている)他の産業・・即ち他産業従事者である国民を犠牲にしている悪印象になっています。
過去に政治力を誇った各種団体・・農協や医師会・・総評・日教組その他団体が政治力を誇れば誇るほど、私のように内容のよく分らない無関係な国民は、却って組織の必要性に疑問を抱く関係になることを全ての本来的非政治組織団体が自戒すべきです。
(振り返ってみると、これら強力団体は全て?国民の支持があって政治力があったのではなく、日教組は子供を人質にしているし、農業は食糧を人質にしているし、医師会は生命を人質にしている・国鉄労組は交通の足を人質にしているなど・・で影響力を行使して来たように見えます。)
自動車工業会もある程度の政治関係が必要でしょうが、本来は自動車製造技術を磨くのがスジですし、電気工業会その他全ての産業はそう言うものです。
せいぜい、政治に邪魔されないように適当な関係を保つのが普通の業界姿勢です。
車その他どんな産業でも製品競争力・革新努力を怠って、政治力で輸入規制や補助金などに走るようになれば、その産業の将来は暗いでしょう。
中韓が国民努力を怠って、如何に中韓が素晴らしい国で日本は駄目かと言う宣伝活動(アメリカでロビー活動など・)ばかり努力していても、内容・中韓の素晴らしい国民行動を伴わないと時間の経過でメッキが禿げます。
こう言う自国宣伝活動も経済的に見れば、自国民を実力以上に良く見せようとする補助金投入と同じです。
日教組や弁護士会は、特定集団利益保護運動ではない分・・自分たち集団の利益目的ではない・・「崇高な目的」だと言う主張に比例して、政治行動過熱の功罪が分り難いところがあります。

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