長期的関係(系列・終身雇用)

対価関係と言っても法的な権利義務のある対価関係ではなく道徳にとどまるので、忘恩の徒とののしられても法的に何らかの義務を負うことはありません。
道徳的非難にとどまると言うことは、この非難を受けると「あの人のためには無償の援助をしても意味がない」と言う仲間はずれにされる恐れが生じるだけです。
葬儀に駆けつけることが今でも最重要視されている・・どんな仕事でもキャンセルが許される理由になっているのは、遠い過去に受けた恩を無償で返す(死んだ人にもう一回世話になることはあり得ませんから・・)意味が最も強調される効果的な場面であるからでしょう。 
こういうことに義理堅いことを周囲に印象づけることで、(この人は恩に感じる人なのだ・・・)と周囲も安心して何かと面倒を見てくれる期待に繋がります。 
閉鎖された社会では、忘恩の徒と言われるとその社会全体から困った時に誰も助けてくれないリスクが生じるのですが、流動性の高い社会では、そんなことを気にしなくて良いのでドライな関係・・即時的あるいは(住宅ローンのように)長期でもともかく法的責任のある対価関係が重視されて行きます。
以前ある鉄道会社にいくら恩をかけたことがあっても、電車に乗る時には切符を買わねば乗れませんし、その他の業界でも同じです。
羽振りの良い時に年間何千万円もデパートで買っていた上客でも、商売に行き詰まりお金がなくなれば洋服一枚買えません。
その逆にお金に困ればサラ金があるし、生活保護も医療行為も用意されている時代では、何かの時に困るから・・・と言うファジーな付き合いが減少します。
昭和の大恐慌の時に実家がほとんど役に立たなかったことで、大方の信頼を失い敗戦時の大混乱でも同じでした。
それでも親戚付き合いの郷愁が残っていたのですが、カード・貨幣経済化の進展で、そもそも親しい人がいくらいても、いざとなれば大して役立たないことも分って来たのです。
それどころか、私が弁護士になった頃には、息子や甥・従業員の刑事事件で親や叔父あるいは経営者が頼みに来たものですが、今では交通事故等経営者が面倒見るところか逆に経営者にに知られるとクビになると言う時代ですし、親戚にも自分のマイナスを知られたくない・・困ればサラ金に借りた方がましと言う時代です。
弁護士依頼も親や親戚に頼むよりは、お金がないと言って扶助で安く上げる方向へとなって行きます。
今では夫婦でさえ、自分の借金は相方に内緒で・・・夫に言わずに破産する人もいます。
(と言うことは、夫は妻の借金整理について一銭も負担しないのです)
我が国では昭和大恐慌以降じりじりと親戚関係維持の効能は低下し続け、今では法事等での顔合わせが中心で何のための親族共同体が維持されているのか意味不明・・・ひん死の状態で・・これが結婚率の低下にも繋がっていると思われます。

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