社会党の教条主義化3(宣伝重視)

共産主義系の文化人あるいは運動家が日常活動→地元庶民の困りごと解決に精出すならば・・一緒に知恵をしぼる内に新たな知見や解決策が見つかることが多いので、社会の変化に対応できたでしょうが、社会党の場合庶民に知恵を教えてもらうのでなく、庶民は遅れている・教育対象なので庶民の知恵を学ぶチャンスにできない・・一般党員は庶民の知恵を党上層部に伝えるパイプの役割を果たさなかったのです。
ソ連の影響力の大きかった共産党が、中ソから距離を置く独自路線に舵を切った(舵を切らざるを得なくなった?)結果、国際支援をあてにできなくなり国内地盤維持培養にエネルギーを注がざるを得なくなった→日常活動重視→下部党員が生活者の視点でものを考える素養が磨かれたのに対して、社会党は国際社会やメデイア界で共産党を蹴落として?国際関係やメデイアや学者と連携を独占して宣伝重視→日常活動に重きを置かない政党になった面が否めません。
共産党はもともとソ連式上意下達システムでしたが、公明党、自民党のように困りごと解決に汗をかく日常活動をするようになった結果、上意下達体質を事実上変えていくことになりました。
社会党は支持率低迷で苦しくなってからも日常活動に向かわず、国際提携に頼るようになっていったように見える点で方向性に大きな違いが生じました。
現在でも国内で0、何%の支持率しかない社民党の福島瑞穂氏が国際組織の副議長になっている不思議な状態を見ればそのDNAがわかるでしょう。
福島瑞穂氏に関するウイキペデイアです。

福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1955年12月24日 – )は、日本の弁護士、政治家。社会民主党所属の参議院議員(4期)、社会民主党党首(第3・6代)、同参議院議員会長、社会主義インターナショナル副議長。神奈川県在住。

地元日常問題に関心が低い→庶民は感謝しない→結果的に党員が増えない=党費納付者が少ない・・党収入が議員歳費中心政党の場合、巨大な党組織を維持できないので外部からの秘密資金流入に頼るリスクが高まります。
本日現在の日本社会党に関するウキペデイアの記事からです。

革新自治体と社会主義協会派の台頭
・・・・親ソ傾向の社会主義協会派の勢力拡大により、本来の左派である佐々木は中国との接近を強めるとともに、構造改革論争以来の仇敵の江田と結び、以後、協会派と反協会派の党内対立が激化した。1975年にソ連敵視を意味する覇権主義反対を明記した日中共同声明を成田委員長が結んだことで、両者の対立はさらに激化した。
ソ連崩壊後のクレムリン秘密文書公開により、社会党がソ連から援助を得ていたことが明らかにされたが、当時の社会党執行部はソ連の資金援助を否定した。

客観データが開示されているのに、具体的反論しないでただ否定するというだけでは忘れられるのを待っている・反論して論争を長引かせたくないという意図が推測されます。
上記記事では反社会主義協会派(党内左派)は中国援助に頼っている状況らしいですが、資金関係については中国政権がまだ崩壊していないので、証拠がないのは当然でしょう。
ただし文革を賞賛し毛沢東語録賛美(造反有理のスローガン)など親中姿勢は明白でした。
中国政府内では賄賂天国・・全てゲンナマ重視の中国政府が、資金援助なしに外国政党を手なづけていたとは想定できないと思っている人が多いでしょう。
上記の通りソ連や中国(これの証拠は出てません)の資金援助で党を運営していたから、日本のためになる政治には「なんでも反対」を貫いていたのではないかの憶測が広がります。
社会党衰退の原因についてネット上では、以下の論考が芦田内閣以来の検討を加えていて有益です。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaes1986/17/0/17_0_84/_pdf/-char/ja

日本社会党 の盛 衰 をめ ぐる若干 の考察 -選挙戦術 と政権 ・政策戦 略谷 聖美
要 旨:社 会 党 は,60年 代 に入 る と停滞 し,そ の後 は長 期低 落 の道 をた どった。 この停滞 と衰 退 を め ぐって は さ まざ まな原 因が 指摘 されて きた。 なか で も,党 の非現 実 的 イデオ ロ ギ ーが党 の適 応 力 を奪 った とい う見 方 は もっ とも一 般 的 な もの で あっ た。 本 稿 は,衰 退 の原 因 を め ぐる諸 々の説 明 を逐 一検 討 し,そ れ らの 多 くが必 ず しも説 得 力 を持 た な い こ とを明 らか にす る。 つ いで,選 挙 にお ける この党 の集票 戦術 を分析 し,労 組 依存 に安住 して個人後援会な どの集票組織の構築に努力 しなかった ことが衰退の一因であ ることを示す。 さらに,片 山 ・芦田内閣失敗 の負の影響 はあった ものの,こ の党の連合戦 略 と政策展開は60年代中葉 までは巷間いわれているよりもずっと現実的で,党 が活力 を失 ったのは,そ うした現実派が党内抗争で社会主義協会などの教条的左派に敗れたあ とにな ってか らの ことであることを指摘 した。

詳細紹介しませんが、この論考に同意するかどうかは別として頭の整理になりました。
読んでみて私の思いつき的主張・個人が自分の得票維持拡大・地盤培養のために個人事業主として日常業務に精出す努力をしてこなかった・民意〜客の気持ちがわからない弱点という私の着想は専門家でない考えの浅さがありますが、一部あっている自信を持ちました。
私は子供の頃からしっかりした理解力なく誤解に満ちた人生でしたが、ある人物や絵画であれ論文であれ全体として見れば意見相違があっても、部分部分で見れば共鳴部分があるもので、いろんな物事をを自分に都合よく理解する傾向・・へえ!自分の好みや意見と同じじゃない・・とすぐ納得する・・不満や敵意を持たない・・だれでも好きになるおめでたい性格です。
路地・・鉢植えの草花を見れば、全体としてデタラメかどうかは別としてまずは個々の花びらを愛でたくなる無節操な生き方です。

精神障害判断(エピソード重視リスク)2

社会防衛の話題からコロナウイルス対策に長く入っていましたが、この辺で5月21日以来書いてきたコロナ対策第一幕の総括を(再度緊急事態宣言があった場合やその時の話題の都合で触れることが合あるかもしれませんが)一旦終了します。
March 8, 2020 12:00 am「精神障害判断(エピソード重視リスク)1」の続き・・精神障害と隔離に戻ります。
精神病関係は伝染性疾患ではないのですが、・・「自傷他害の恐れ」という社会防衛思想が前面に出る点で人権侵害と隣り合わせになる点が違います。
これまでの受任事件(障碍者が傷害事件等を起こすのは入院していない在宅の場合が普通)では20年ほど前までには親が70台以上になり子供が40台での事件が多かったのですが、最近(と言ってもこの4〜5年医療観察法事件をやっていません)では80台前後の親に4〜50台の息子というパターンが増えてきた印象です。
経験的印象では統合失調症系の事件は服薬その他の病状管理が行き届かなくなる場合が中心の印象ですが、発達障害等は(人間関係の障害ですので)子供の年齢上昇に比例して家庭内暴力が多くなります。
父親に体力があって抑え込める時期には暴発控え目だった息子が、体力逆転してくると親の威厳だけで管理しきれなくなるのと息子の病状が高年齢化に比例して悪くなる相乗効果かもしれませんが、対外事件に発展して表沙汰になる(弁護士として知るのは氷山の一角)ことが多いようです。
昨年元農水次官が発達障害の息子を自分の手にかけた事件は、高年齢化による将来不安の境界年齢で「自分に体力あるうち・・」にという決断が背を押したものと思われます。
横にそれましたが、親の自助努力・責任感に頼る「保護義務者の同意」という制度に無理が来たので、保護義務者制度ををなくして家族の同意と広げたようですが、今後子供の兄弟が減る一方ですのでこれもすぐに破綻するでしょう。
ところで、本人以外の状況説明に頼る点では救急車出動の場合も付近にいた人の直前状況説明と、客観状況判断、脈や呼吸状態把握し瞬時の判断をしますし、交通事故等事件性の場合、受傷箇所特定など状況説明が重要な端緒です。
精神障害の場合医療申し込みは本人名義で行うものの実は関係者同行・関係者に連れてこられる(受け身であることが多い)点が救急患者と似ていますが、救急患者の場合、第三者の説明だけでなくバイタルデータに決定的意味があるのですが、精神障害の場合、本当にあったかどうか検証余地のない10〜20年前からのエピソードに頼る比重の高い点が大違いです。
20年3月7日の日経新聞朝刊1面には、全国の介護度認定のばらつきを大きなテーマにした記事が出ています。
客観データのない過去の生活状況説明に頼る弊害(客観性欠如の問題)が出ているというべきでしょう。
以下介護認定の実務の紹介は10年ほど前まで後見人等選任申し立て事件や、民事事件の争点・・契約当時の高齢者がどの程度の判断力を有していたかの必要があって介護認定表を参考にしていたころの私個人の経験ですので今はかなり変わっているかもしれませんのでそのつもりでお読みください。
最近では禁治産宣告制度から被後見制度に変わった結果によるのか、高齢化進展により後見制度活用が急膨張してきた結果?後見人選任申立用の診断書様式が簡易になって、精神科専門医でないかかりつけ医に行ってもすぐに、いわゆる長谷川式簡易テスト程度で(付き添って行った妻や娘などから日頃の様子を参考に聞く程度?)すぐに診断書を作ってくれるようです。
(これはこの1年〜2年半ほどの間における複数事件の経験です)
現行民法の制度は被後見人等の能力制限が目的ではなく被後見人等の身上看護や財産保護等に主眼が置かれるようになった制度目的の変更が影響しているのでしょう。
以上の次第で、今では介護認定データを見る機会が減っていますので様式もだいぶ変わっているかもしれませんので、そのつもりでお読みください。
介護認定表では日常行動として自分で何ができるか、時々どういう忘れものがあるか道に迷ったことがあるかちょっとした買い物ができるかなどのチェック表があって介護している近親者等からの日常生活の聞き取り中心で認定している実態があります。
調査担当者が調査事案ごとに実際に買い物について行く実験やお風呂やトイレに入ってもらう?似たような再実験をするのは時間、コスト的に無理でしょう。
親族や介護事業者等からの聞き取りやチェック項目記載結果を総合して医師を中心とする認定会議で介護度を決めているので、大げさにいう人と控え見に言う人との個性差や、利にさとい地域差が大きく出る仕組みだからこそ、政府も地域差が気になって、3月7日に紹介したような都道府県別の認定格差表(その関心で事前データ集計など行い)を公表したのでしょう。
7日の新聞の結果を見ても都道府県別健康保険利用・医療費データとほぼ同じような傾向が出ているような印象を受けました。
医療保険では濫診濫療問題が古くからありますが、受診のためには仕事を休むデメリットや、それなりに痛い思いをする他、無職高齢者の場合家族に送迎してもらうなど負担がある外1〜3割負担などの自費支出が発生します。
経済デメリットが全くないので合理的チェックが働かないのが、生活保護者利用の乱診乱療問題です。
介護関連制度は保険適用外のサービスが介護度のレベルアップになれば自費負担が減る一方でなんらの負担も増えない関係ですから、医療の濫診濫療よりブレーキが効きにくくなる傾向があります。
より高度な介護支援を保険適用にしてほしいという利害では、家族にとってオーバー表現に走るのは合理的行動でしょうが、制度本来の介護必要度の認定と、介護認定が一人歩きして人権侵害に連動する危険という面では割り引いた謙抑的認定が必要ですが、厳し目に割り引いて認定するとこんなに大変なのに介護度が2〜3なのか?あるいは要支援のママなのか?という不満が出ます。
利害対立者の一方が目の前にいない・保険赤字負担する国民は抽象的存在でしかなく直接応援してくれないので、目前の強い声に押されがちになるようなイメージです。
認定される本人も家族に家計負担かけない方が気楽なので、「そんなことくらいできるよ!と反論しないでうなづいて済ます傾向があります。
施設入所者あるいはデイサービス利用者の介護度ランク上げも同様で介護事業者にとっては、保険適用外サービスで顧客に対する自費負担・費用請求額アップよりは介護保険適用サービスになって自費負担が1〜2割になった方が営業的に楽です。
医師や、医薬品業界が、新薬等について保険適用を求める利害団体になるのと同じでしょう。
認定を受ける高齢者もこれが将来自分に対する人権侵害に使われる「万1」の可能性など気にしませんので、問診あるいは調査担当者に対して親族に経済負担をかけない方向へ協力する傾向が高まります。

精神障害判断(エピソード重視リスク)1

精神病以外の病気の場合、診断や手術ミスかの認定には医師単独で完結しない多くの関与者作成の手術直前の時系列に従った客観データ・体温や脈拍、血圧・血液検査の結果数値や画像の外検体自体が残っていることが多いのですが、精神病の認定や隔離入院判断の場合客観補強データとしては利害関係者のエピソード供述しかなく、診断にあたって、本当に過去にそう言うエピソードがあったかの関心で医師が補強証拠を検討しているように見えません。
一般医療の現場で考えれば、「昨日何時ころからどこそこが痛み始めて今朝我慢できなくなってきました」という説明が嘘かどうかで検証している暇がないし痛くてきている本人の説明を疑う必要もないのでどこそこが「痛い」という説明を信じてその説明に応じた診察(触診や検査)を始めるしかないのが現実ですからそれで良いのでしょう。
精神障害による強制入院のうち措置入院の場合、文字通り強制収容(人権侵害の最たるもの)ですのでいわゆる自傷他害の要件該当性判断が必須で、多くは具体的近隣相手の暴力行為があって警察通報に始まる事件が中心ですので、エピソード自体の客観性が事実上保障されていますし、障害があることにより自傷他害の恐れの認定に際し指定医2名の判断が必要なので判断自体の客観性もある程度担保されています。
問題は入院の大多数を占める同意や保護入院です。
まず措置入院制度を紹介しておきます。
これだけ始まりが厳重な制度設計でも一旦強制入院させたら永久入院で良いのではなく、実務上数ヶ月経過での再審査が必要になっています。

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(昭和二十五年法律第百二十三号)
第五章 医療及び保護
第一節 任意入院
第二十条 精神科病院の管理者は、精神障害者を入院させる場合においては、本人の同意に基づいて入院が行われるように努めなければならない。
第二十九条 都道府県知事は、第二十七条の規定による診察の結果、その診察を受けた者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めたときは、その者を国等の設置した精神科病院又は指定病院に入院させることができる。
2 前項の場合において都道府県知事がその者を入院させるには、その指定する二人以上の指定医の診察を経て、その者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めることについて、各指定医の診察の結果が一致した場合でなければならない。
3 都道府県知事は、第一項の規定による措置を採る場合においては、当該精神障害者に対し、当該入院措置を採る旨、第三十八条の四の規定による退院等の請求に関することその他厚生労働省令で定める事項を書面で知らせなければならない。
4 国等の設置した精神科病院及び指定病院の管理者は、病床(病院の一部について第十九条の八の指定を受けている指定病院にあつてはその指定に係る病床)に既に第一項又は次条第一項の規定により入院をさせた者がいるため余裕がない場合のほかは、第一項の精神障害者を入院させなければならない。
第二十九条の二 都道府県知事は、前条第一項の要件に該当すると認められる精神障害者又はその疑いのある者について、急速を要し、第二十七条、第二十八条及び前条の規定による手続を採ることができない場合において、その指定する指定医をして診察をさせた結果、その者が精神障害者であり、かつ、直ちに入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人を害するおそれが著しいと認めたときは、その者を前条第一項に規定する精神科病院又は指定病院に入院させることができる。
2 都道府県知事は、前項の措置をとつたときは、すみやかに、その者につき、前条第一項の規定による入院措置をとるかどうかを決定しなければならない。
3 第一項の規定による入院の期間は、七十二時間を超えることができない
第二十九条の四 都道府県知事は、第二十九条第一項の規定により入院した者(以下「措置入院者」という。)が、入院を継続しなくてもその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがないと認められるに至つたときは、直ちに、その者を退院させなければならない。この場合においては、都道府県知事は、あらかじめ、その者を入院させている精神科病院又は指定病院の管理者の意見を聞くものとする。

ガイドラインでは概ね3ヶ月に一回この判断のための診察をするようになっているようです。
医療観察法の事件で医師と面談した時に聞いたのかいつ聞いたか不明ですが、自傷他害の恐れは興奮状態のものなので、興奮を鎮める薬投与(が発達しているの)ですぐ興奮は治るので3ヶ月もたってまだ恐れがあるというのは一般的に無理があるが服薬をやめるとすぐ再発する可能性がある・・問題は退院後も服薬指導に応じるかどうかが重要とのことでした。
医療観察法による強制入院の場合、退院後の強制通院制度もあるので素人的には完全体制のような印象でしたが、同意という名の任意や準任意入院の場合、服薬を嫌がる人の場合、どうして良いかの制度問題があるというイメージでした。
違法収容されていると主張して治療に不満がある場合、退院できれば服薬指導に応じないのが普通ですので、これが悩みの種でもあるようです。
無罪主張で判決が有罪認定になった場合、犯罪を冒した反省の情がないことを理由に刑が重くなるのと似た関係です。
実数で言えば、本当の人権侵害事件は万に一つあるかないかで本当に精神障害があるのに病状を自覚しない患者の方が多いのでしょうが、(自覚していても入院生活に不満な場合も多いでしょう・狭い空間に拘束されて気持ちの良い人はいません)だからと言って、患者とはそういうものだと決めつけるのも危険です。
20条で同意入院原則が書かれていますが、実際に自分から進んで入院したい人が少ない前提で医療保護入院という制度が用意されています。
従来保護義務者同意でしたが最近家族一人の同意でも良くなり、これも身寄りのない者などの例外も揃っています。

日系企業米国生産と格差緩和1

日本の場合赤字になるまで維持するどころか、赤字でも後何年頑張れるか・・「がんばれるだけ頑張ります」というのが決まり文句ですが・・地域経済への悪影響への心配がこういう精神論表明になるのでしょうか?
11月6日日経新聞朝刊1面トップに富士フィルムが合弁相手の米国ゼロックスから富士ゼロックスの持ち株(25%)全部を2500億円で買取り資本関係解消したと出ていましたが、米国ゼロックス本部はIT化進行により衰退事業分野となっている事務機部門を売り抜けて、富士フィルムから得た2500億円を新規有望部門の投資に回せる思惑が解説されていました。
11月7日夕刊には、米国のゼロックスはこの資金を含めて3兆円規模でコンピュータ企業のHPの買収提案をしたと報じられています。
富士フィルムの立場は合弁契約で富士ゼロックスには販路制約があったのですが、販路制限契約の縛りがなくなるので販路を世界に広げて行くための買い物と位置付けているようです。
この思惑の違いこそが、米国企業の真骨頂であり、落穂拾い的に衰退分野を修復しながらコツコツと維持して行く(法隆寺や、日本画、民俗行事など修復し続けて未来に繋ぐのが日本民族の基本姿勢です)日本企業との違いの象徴的取引というべきでしょう。
収益重視経営を一直線に突き進めると低賃金新興国の追い上げによる国内大量生産部門急速縮小→大量人員整理が急激に起きます。
不採算事業切り離しを一直線に進めると、収益的・株式相場的には高収益企業が増えて万々歳ですが、新興産業の金融やハイテク〜IT産業は雇用吸収力が弱いので製造業から押し出された大量労働者の行き先がない・大量失業→急激なサービス雇用への転換が必要になります。
この辺、明治維新によって武士が失業しても受け皿になる製造業界が多く立ち上がって労働者(士族の転職先でる管理部門事務系需要も急増)を吸収したのとの違いです。
戦後直ぐに日本の挑戦で繊維や家電等の軽工業縮小・米国での雇用喪失の場合には、女性労働者が多かったのでサービス業への転換(今では介護士など)が容易でしたが、重工業や自動車等機械製造系は男性労働者中心ですのでサービス業への転職は1世代程度の時間差がないと気質的に困難です。
我が国でも草食系男子という流行語が20年ほど前に流行った・今やそんな言葉すらないほど男性多数がソフトになってきて男性看護師・介護士等も普通になってきましたが、その間30年ほどの経過があって適応できるのです。
ソフト社会になるのは良いことと思いますが、サービス雇用化は製造業雇用に比べて不規則労働が多いことから非正規化→中間層が痩せて行く一方となります。
事務系でも資本自由化による資本金融取引拡大・IT・知財発展による中間管理職・ホワイトカラー層不要化進展による中間層縮小が加速する一方です。
国際金融取引のプロとして巨額を動かせるエリートはホンの一握りであって、中間管理職不要化の動きはとどまるところがありません。
大学院まで進み研究者の道はというとこれまた多くが同じ思いですから、オーバードクター状態になり、大多数が非正規の臨時講師の仕事しかない状態です。
製造業中心社会からサービス社会化の進行は、一方でグローバル化の波に乗って巨万の富を得る人がごく少数出る一方で中間層から脱落する低賃金層の拡大する社会でもあります。
米国の歴史的行動価値観・・収益率低下見込み〜不採算事業を早めに切り離し売り抜けて収益率の良さそうな企業買収するのが原則的価値観の社会です。
米国独立後北部工業地帯が成長を始めると奴隷による低賃金労働に頼る南部綿花事業切り捨て→南北戦争の主原因でした・・これをドライに割り切って行うのを視覚的に表現したのが、スクラップアンドビルドという表現だったのでしょう。
これの経営への応用が収益重視・・・ROE重視経営です。
戦後復興した日独等の米国追い上げが始まる追い上げられる分野ごとに収益率が下がって行くのがはっきりしているので、米国内生産を早期に切り上げて欧州等需要地での現地生産に切り替えて行ったのは上記経験による選択でした。
資源等ある国や地域にしかない物品は貿易による交換が合理的ですが、工業製品は本来どこでも作れるものですから労働者の能力差とコストしだいで生産適地が決まるものです。
圧倒的コスト差があれば輸送費や関税、人件費の差を負担しても長距離輸出が合理的ですが、技術などの競争力が拮抗してくるとちょっとした輸送費や関税手続きコスト負担も重荷です。
現地相場のコスト・・欧州の場合戦争で疲弊して生産設備が壊滅したのでその隙をついて米国が大量輸出できただだけのことで、労働者の能力としては米国と同様(以上?)でしたので現地生産に切り替える方が合理的でした。
戦争で破壊された欧州製造設備の復興が進むと米国から輸出するよりは、人件費の安い欧州に進出して生産すれば土地代、輸送費、時間、関税等すべて競争条件が同じになるので欧州などでの競争力を保てる→国内製造縮小して行くのが経営学的には正しい選択となります。
米欧の関係はもともと人種的に同根で基本的能力差がないに等しいのですから、相互に現地生産=競争条件が同一化すればどうなるか?
長距離輸送や関税負担するコスト差以上の競争力がないだけでなく、米企業の欧州拠点の場合、米国本社の遠隔指示と現地判断の差が出るので現地生産もうまくいかなるし、米欧相互に輸出コスト負担してまで輸出努力するメリットもなくなります。
これが欧州進出したGMや、フォード、クライスラーなど早くから欧州進出していた企業が軒並みうまくいかなくなっている理由でしょう。
イタリア、ドイツ等の特殊手作り的高級車や食品や衣装系・・仏伊のファッション系その他伝統に根ざしたもの各種製品に限って、米国へ食い込み成功しているのは、文化力格差によるものです。
同じ欧米系人種同士でもいわゆるアメリカの文化レベルはいわゆるヤンキーと表現される・・文化力の総合的表現である女性の理想像で言えば、最盛期のアメリカが初めて獲得した自前の民族理想像がマリリンモンローでした・彼女が米国文化の代表になったことが米国の文化レベルの国際意思表示・自白?と評価すべきでしょう。

GM破産2(遅れた不採算事業切り離し)

会社側の再建案は新会社設立案を基本にしたものでしたが労組優遇で、一般投資家(米国は個人投資家が多い・子供の入学資金用の株式投資など)に対して大きな負担を求めるものでしたので債権者の同意が得られず破産に突入しました。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1176

切り捨てられた「普通の人々」
GM倒産劇の裏側 2009.6.9(火) 小浜 希

GMが発行した無担保社債など約270億ドル分の債券保有者には、新生GMの10%の株式と引き換えに100%の債権放棄を要求。その一方で、GMに約200億ドルの医療費関係債権を抱える労働組合の債権放棄比率は50%とし、新生GMの株式39%を与える内容だった。
米国では労働者個々人も銀行預金より小口投資する投資社会なので、投資家と言っても一般の労働者が多い社会ですから、GM労組優遇の提案で合意できるはずもない・・世論も応援しないので合意不成立で破産に突入します。
日本や韓国では、労組=弱者→優遇という図式化した運動・市民代表を僭称する運動が多いのですが・・アメリカの場合、労働者切り捨て投資家保護反対!という図式的スローガンが成り立たなかったようです。
ウイキペデイアのGM破産解説に戻ります。

2009年6月1日、GMは連邦倒産法第11章(日本の民事再生手続きに相当する制度)の適用を申請した。負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)。この額は製造業としては史上最大である[9]。同時にアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有する、事実上の国有企業として再建を目指す事になった。
・・・しかし、子どもの教育資金や、老後の生活の備えとして、なけ無しの金を注ぎ込んだ個人投資家が、労組偏重の再建計画を甘受できるはずもなかった。

従業員の新時代適応拒否症?が、部分的とは言え企業活性化を妨げる効果を上げ、現在米国の国際的地位低下が目立ってきた基礎構造でしょう。
アメリカの活力は、スクラップアンドビルド・あるいは用済みの都市を捨て去り(ゴーストタウン化して)別の街を作る・効率性重視社会と言われていましたが、一定の歴史を経ると古い産業構造を残しながら前に進めるしかなくなった分、非効率社会になったのでしょう。
破産により不採算部門を切り離し、新会社移行(国有化後国保有株の市場売却で民営に戻っています)により新生を目指すGMですが、破産後10年経過で先祖帰りしたらしく今年に入って以下通りのストらしいです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49865800X10C19A9000000/

GM工場のスト続く、労使合意なお時間 株価は急落
2019/9/17 5:20
ただ、米国内に業界平均より3割多い77日分の完成車在庫があるため「すぐに販売面に影響が出る可能性は低い」という。

業績不振のおかげで在庫が77日分も溜まっているので企業はストが続いても余裕らしいですが、こう言うのってめでたいのかな?
アメリカの製造業は低賃金国への脱出盛んですが、今でも製造業大国らしいです。
製造業草創期から蓄積した技術があって世界に進出した各種工場のマザー工場機能を果たせる仕事があるからのようです。
ただしマザー工場的役割は従来の内需を満たし輸出までしていた工場群の数%(雇用も同率)で足りるものですから、国外脱出の穴埋めには力不足でしょう。
別の側面から見ると、日本の自動車産業が輸出の限界を悟り現地生産を増やして成功していることを見ると、この限度で日系企業が米国内製造業生き残りに貢献していることが分かります。
米国の外資による国内生産受け入れ政策は、後進国が輸入規制によって、自国産業育成のために高関税などの権利を留保できている役割の逆張りです。
米国の日系企業の米国内誘致政策は、先進国製造業が新興国の追い上げを受けて雇用が急速縮小する激痛緩和の役割を果たして来たようです。
後進国のこれから育つ産業育成を待つのは、少年期に成長期待して見守ってやるのに似ていて成長確率が高いですが、新興国に追い上げられる先進国社会保護のために時間猶予を与えるのは高齢者を大事にするようなものでいわゆる延命策です。
ここでいきなり話題がそれますが、いわゆるM&Aに関する関心を書いていきます。
日本企業の株価収益率の低さが長年問題視されて来ましたが、その裏側の米国企業の目線で考えると企業のあり方に関する基礎的考え方の違いがわかります。
時代遅れになる分野→ローエンド〜セコンドエンド生産にこだわり、同業他社との競り合いを続けてさらに20〜30年生き残れるとしても、これをやっているとその間収益率が徐々に低下していきます。
米国的価値観では、自国産業は利益率の高い高度化転身を目指して不採算見込み事業をどんどん切り離し(M&Aでこれを処分し)て行くべきというもののようです。
比喩的事例で言えば、現在15%の高収益事業が5年サイクルで13%〜11〜8〜7〜3%〜0〜マイナスと変化していくパターンの場合、その事業を今売れば1千億円で売れるが11%に下がってからだと5百億円で、3%に下がってからだと30億円でしか売れない見込みの時に、どの時点で処分するのが合理的かの判断が重視される社会です。
処分金で再投資すべき事業の存在との兼ね合いで合理性が決まるのですが、処分金を年利数%で預金する予定の場合と現在5%の収益率があり、3年後に8%、5年後に1%8年後には15%に成長可能な企業があった場合どの段階で自社事業を切り離して売却するかの複合判断です。
ちなみに雇用を守るために簡単にリストラクチャリングできないとも言われますが、倒産と違って企業を買う方は事業に慣れた従業員が継続してくれることこそ購入価値ですので、原則全従業員が引き続き雇用継続される前提・雇用確保の社会的責任への考慮はこの場合不要です。
マイナスになるまでリストラを先送りし、大混乱の倒産を引き起こす方が無責任経営の評価を受けるのではないでしょうか?

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