事実報道の重要性3(国連報告のいかがわしさ1)

仮にも、いわゆる悪所だけ視察して歩いて、それを全国比率に拡大して、日本の性風俗が乱れている・・怖い街ばかりだったと報告すれば、それも可能ですが、あまりにも偏った調査意見になります。
「国際水準」によって対日勧告するならば、全国比率・・要は公正な統計に基づいて諸外国と比較するべきです。
民主社会・・消費社会を前提にすると、マスコミがありもしないことを、あるいは事実を誇張して事実のように宣伝してマスコミの誘導したい結果を導こうとするのは、食品偽装や建築時の鉄骨量の偽装・・旭化成の基礎杭打ちデータ偽装・・・以上に悪質な行為と言うべきです。
判断すべき前提事実を偽って、マスコミの誘導したい結論を導く行為は、権力による思想弾圧行為と結果が似ています。
口を塞いでおいて「話すのは自由だ」と言われても話せないし、会議で一人だけ違った資料を配られるとマトモな議論が出来ません。
個々人に対する直接的な言論弾圧は目立ちますが、国民全部に間違った方向性への意見を強いるような情報操作をして健全な意見を言えなくする「弾圧」は目立たない分に反比例してより悪質です。
「1〜2人殺せば殺人犯だが、大勢殺せば英雄」と言われるのと同じ現象です。
マスコミが金科玉条のごとく表現の自由が必須と主張しながら、マスコミしか事実を拡散出来ないことを奇貨として、マスコミ主導ででっち上げや虚偽事実を報道するのは自ら天に唾する行為ではないでしょうか?
ヤラセや誇張等で判断の前提となる事実報道を意図的に歪める行為は、国民の自由な判断権・思想信条の自由を侵害していることになり、これ自体が文字どおり人侵害行為であり、民主制度の破壊行為と言うべきでしょう。
マスコミが事実を歪曲しあるいは誇張して報道すると、重要な国政の方向性に関する国民の判断を狂わせてしまうので、国政の基礎を狂わせる悪質性は半端ではありません。
民主国家においては「知る権利」や「思想表現の自由」が最重要視されているのは、噓でも知れば良いと言うことではなく、健全思想形成の前提となる「本当の事実を知る権利」のことです。
そして政治判断に必要な「事実」とは、マスコミが好きな箇所の事実だけ拡大強調する部分ではなく、全体の傾向が重要ですから統計の重要性・・公平性・正確性こそが知る権利=民主政体の必須装置です。
旧ソ連や中国の各種統計がデタラメで当てにならないのは、この意味で重要な事実・・非民主国家、独裁国家の本質を表しています。
個別食品偽装や建築データ偽装等は、個別消費者を欺く経済損失程度ですが、マスコミによる意図的な不正確報道や政府による統計を偽装は国政の基本方向性を誤らせることになってしまう点で、個別データ偽装よりも実質的な罪が深いと言えます。
商品品質偽装も・・フォルクスワーゲンレベルになると購入した個人損失・・燃費がか余計かかっていた損害に留まらず、環境に関する重要前提データの偽装になるので、クルマを買わなかったその他の人も損害を被っています。
国家の統計偽装に匹敵する悪質性があるので、顧客に対して燃費偽装分の損失賠償さえすれば済むことではありません。
国連特別調査官報告に戻ります。
いい加減な感想程度の報告が、一旦報告されると国際常識として確定してしまい、学者もマスコミも独自に根拠を調べることなく国連報告として引用して世界に拡散出来る・・逆にこれに反した論文を出そうとすれば・・修正主義者のレッテルを貼られ、根拠を示す義務があります。
朝日新聞報道によってどこのマスメデイアも、裏付け調査不要になって一気に世界に拡散したことからも大変なことが分るでしょう。
珊瑚礁のでっち上げ報道でも直ぐだったからこそ、珊瑚について前後の状況を知っている人が多かったので、現地漁協が反証を出せたのですが、4〜5年後に出回って来た場合、もはや遠い過去の歴史事実となってしまい反証を出スのは大変なことだったでしょう。
一旦国際常識が出来上がると、これがなかったと言う証明は悪魔の証明(まして調査官がデータに基づかずに印象を言うだけですからデータでの反論が困難です)となって不可能になるのですが、変なデマが出回っているのを大分経ってから知って、仮に何とか自力で証明しようとすれば、現地調査など膨大な時間コストがかかる上に信用してくれるかどうかも不明・・・・・・膨大な時間とコストがかかります・・事実上反論が出来なくなってしまうところでした。
国内世論誘導はマスコミで、国連報告と言う名でフィクションを事実に洗浄・化学反応させる役割を期待されているのが、国連調査官の役割です。
犯罪に至らない援助交際のばあいは、実態調査など正確にやりようがないので、(自分から自分の親にさえ言いたくないのに他人に正直に申告する人などいる筈がない)・・発覚したときには自己弁明のために「周りではみんなやっている」程度の誇大な弁明をするのが普通です。
法律相談に来た人が、自己弁明・自己の行為が正当であることをアッピールするために「みんながやっている」のに・・とか「みんなが言っている」と言う言い訳をする人が圧倒的です。

NGO12(民主主義と事実の重要性2)

国内で言えば、マスコミ独自調査による報道は名誉毀損のリスクがありますが、警察発表をそのままするときには、裏付け調査しなくとも名誉毀損になり難いメリット・・手間が省けます。
このために国連報告があると、世界中のマスコミや公的機関がこれを事実であることを前提にした引用がはじまり議論が始まってしまいます。
一旦国連報告になって信用されてしまうと、「これは事実ではないと主張し証明する・・・・「ない」証明は「悪魔の証明」と言って、不可能であることは、我々法律家の世界では、公理のようになっています。
せいぜいアリバイ証明・・矛盾事実の反証しか出来ません。
例えば南京虐殺の30万人と言うのは、当時の人口と矛盾すると言う程度ですから、虐殺がなかったと言う根本否定にはなりません。
これが「国連で決着済み」と言われて困っている慰安婦騒動の基礎構造です。
今回の記者会見同様に情報源秘匿または直感で言われると反論するべき資料すらありません。
国連報告は、化学発明の場合に実験経過を公表しないようなものですから、南京虐殺や慰安婦の場合は、反論する材料すらないのです。
慰安婦の場合具体的な裁判になったので、却って証言の矛盾性・・年齢がおかしいとか、キーセン学校に行っていた、のせられたクルマがジープであったなどが指摘されるようになりました。
(慰安婦訴訟を提起した弁護士らが、日本の名誉回復に果たした役割は大きなものがあります・・愛国功労賞を贈るべきでしょう)
今回の援助交際騒動は、国連特別調査官が、何を調査したのか・・特定グループ中心に意見を聴取しただけで?「調査した」と言う安易な発表・記者会見をしたらしいことが発端です。
「調査」と言うのは事実調査をすることであって、特定主張をしているグル−プ中心に「日本は如何に援助交際が多いか」のアッピール・意見を聞いて、後はお飾り的にちょっと反対意見を聞いたただけの印象を報告にするのでは、意見調整でしかなく事実の調査とは言えないでしょう。
まして援助交際の実態などは、「大勢のお供を引き連れて街頭を数時間歩き回った程度で何が分るの?」と言うのが普通の感覚です。
調査に来る以上は、1〜2年程度日本に居着いて自分でフィールドワークすべきではないでしょうか?
僅か2週間滞在で予め決めたスケジュールに従って、日本国内を回って行った先で誘致関係者が用意した場所を数時間歩き回って?グループ・・・危機感を強調するに決まっているグループ?中心の聞き取りでは、結論が決まっています。
仮に現地調査する場合でも、調査対象を決める段階で公平でないと「調査」とは言えません。
どこの国にも一定犯罪がある・・ゼロの国はないので、A国では犯罪の多いところばかり歩いてB国では閑静な住宅街を歩いて、その比較でA国の治安が乱れていると言っても意味がないように、特定対象ばかり調査しても意味がないのは当たり前のことです。
疑惑をもたれているベンゴシが秋葉原を案内したかどうか分りませんが、周辺のメード喫茶等で働いている女子高生らしき比率が仮に
10%あっても、それが全国比率になる訳ではありません。
そもそも、メード喫茶等で働いている子が100%援助交際していると言う想定自体が非現実的です。
後に、同弁護士の秋葉には「氾濫している」と言う刺激的な表現を取り上げますが、街頭に援助交際が「氾濫している」と言う表現自体が実態に合わない過剰な表現ですが、同弁護士はもしかしたら街を歩いている女子高生みんなが売春していると言う目で女性を見ているのでしょうか?
スケートの浅田麻央の例を見ても分るように、日本人は外国人に比べて若く・幼く見えるので、調査官・・欧米人基準で見ると20代女性でも、高校生と言う目で見ればそう見えてしまう可能性があります。
マスコミを見ていると、マスコミの誘導したい結論に合うように・・ある国の景気が悪いと言う場合には、閉鎖した工場などを報道しますが、景気が良くても一定割合の倒産はありますから、部分報道では全体の比率が分りません。

NGO11(民主主義と事実の重要性1)

日本の人権状況を良くすることは、結果的に日本のためになるのは間違いないですが、援助交際している女子高校生比率が3割でも13%でも、事実に基づかない過大主張すると人権擁護になるのか?
仮に女子高校生の援助交際が国連勧告によって少し減ったとしても、実態以上に不名誉な評価を受ける日本国民の総損害はどうなるのか?
人にはいろんな意見があっても良いのですが、今回の騒動の結果、外務省が抗議し、特別調査官が、13%の数字に根拠がないことを認めて今後この数字を使わないと文書で回答して来たようですから、多分ネット世論だけではなく、国際世論でも、事実に基づかない悪宣伝が総合的に日本のためにならない・・マイナスの方が大きいと言う考え方が常識なのではないでしょうか?
人の信用も組織の信用も同様で、事実を曲げて表現する人や集団は信用がなくなります。
意見を言うときには、事実は事実として正確に紹介し、この事実からこういうことが導かれると言う意見であれば、聞いた人がその推論が正しいか、自分は別の推論をするとか合理的判断が出来ます。
その推論方法のうち、たとえば、特定事実から導かれるABCD4種類の考え方の内、どれを選択するかを多数決で決めるのが民主決定ルールです。
今回の国連特別調査官記者会見は、前提事実を断定する根拠を明らかにしないまま、結論・・自分の主観を事実であるかのように公表したところに問題があります。
パンでもすき焼きでも前提になる量や単価や品質等を正しく表示していて、どちらが良いかを決めるのであって、業者が品質を偽装していると・・和牛でないのに和牛(絹でないのに絹・国産でないのに国産品とか)と表示していると本物の和牛や絹、国産品で作っている業者に比べて割安なので客が間違って選んでしまいます。
消費者だけではなく、政治政策選択についても同様で、多くの人は政治選択の前提になる事実そのものを知るチャンスがないので、大多数の人はマスコミ等の報道が「事実とすれば・・」と言う仮定で考える習慣になっています。
目の前に出て来る食品でさえ、添加物の有無や国産か中国製かを確認出来ない・・業者の表示を信用するしかない状態ですし、ましてや政治問題・・町内と違って県や、国単位になると、遠くの事実・・あるいは近隣に出来る工場でも外から見ているだけでは、何をしているか、どう言う危険物を扱っているかについて詳しくは知りません・・。
ですからマスコミ報道や当事者の事実説明以外に、国民は判断すべき前提事実を直接知ることが出来ません。
直接説明を聞ける人は周辺住民のホンの数%もないですから、結局はマスコミ報道によるしかないのです。
大事故・大災害にあった人でも当事者はそのときは目の前の現象対応に夢中で、後でマスコミ報道を見て何があったのか分るのが普通です。
消費者が業者の品質表示を信用するしかないのと同様に、政治決断・・民主的決定もマスコミ報道を前提に・・事実として多くの人が判断しています。
報道以外に国民が直截知ることが不可能ですから、報道されていたことが虚偽やデッチ上げ、ヤラセでもよいとなると、国民が自由な判断が出来ません。
真実を知る権利がない状態においても、投票権さえあれば、民主国家と言えるでしょうか?
思想信条の自由や、民主主義が機能するためには事実報道が正確であることが必須であり生命線です。
今回の援助交際の報道も私自身立ち会っていないので、そう言う記者会見があったとしたら・・と言う仮定でこのコラムを書いています。
「援助交際をしたことがある女子高生が何%いる」と言う客観データがないと言う報道を前提で書いています・・このように、前提事実が報道に頼っていることが多いのです。
国連特別調査官が、何を調査したのか・・特定グループ中心に意見を聴取しただけで「調査した」と言う安易な発表・記者会見をしたらしいことが発端です。
国連特別調査官と言う権威をまとった人物がマトモな調査もしないで一方的に特定グループの主張する結論を事実であるかのように記者会見し、しかも統計に基づくかのような具体的数字を発表したことが日本人に対する衝撃を広げたのです。
それが国連報告になって行くと世界中の研究者やマスコミはそれ以上の調査不要の「事実」として引用して行くことになります。
一旦国連報告になってしまうと、これは事実ではない・・・・「ない」証明は「悪魔の証明」と言って、不可能であることは、我々法律家の世界では、公理のようになっています。
これが「国連で決着済み」と言われて困っている慰安婦騒動の基礎構造です。

サイレントマジョリティ9(アンケート等の重要性2)

日本政府やマスコミの中韓に対する主張は、名誉毀損被害で言えば、相手に対する要求は、次から発行部数を少し減らすか、掲載方法を目立たなくすれば良い・・広告停止や謝罪広告も、慰藉料支払いも求めないやり方です。
北朝鮮でもイランでも、制裁を受けて妥協するのはせいぜい「今後核開発を停止する」と言うだけですから、これではやれるところまでやると言う意識になるのは当然です。
泥棒その他違法行為が見つかっても弁償しなくて良い・・今後やめるどころか、「今度から回数を減らします」と言えばよいと言う状態です。
中国の南沙諸島での軍事基地敷設問題も、米国は中止を求めているだけですから中国はやりたい放題になります。
ロシアもオバマが絶対に軍事介入しないと読んでいるから、ウクライナやシリアでやりたい放題になるのです。
違法行為を抑止するにはペナルティとセットで主張しないと抑止効果がないのではないでしょうか?
無免許、スピード違反や飲酒運転を見つけても、「今後はやめましょう」と声を掛けるだけはなくなりません。
防犯カメラがあるだけではなく、検挙されるリスクがあるから抑止効果があるのです。
自衛力はいらない、道義に訴えていれば良いと言う場合、国内で言えば警察や刑務所などいらない・学校の先生さえあれば良いと言うのと同じです。
日教組が非武装平和論にこだわる真の理由かも知れません。
話を戻しますと、弁護士会で執行部が「こんな主張をするのはおかしくないか?」と頑張っていても、一般会員が政治問題には関係したくないと言う立場ですと、執行部は孤立してしまうリスクがあります。
政治論にかかわりたくない人が9割の場合、(相手が明白に反対出来ないことを奇貨として?)政治論を吹っかける人が1割いれば、(多くが「事なかれ主義」でうなづいてしまう・・)何でも会全体の意思になってしまうことになります。
我が国では、面と向かって反対や否定するのが苦手な人が多い反面、識字率が高いので、欧米流の演説等はそんなに必要がありません。
むしろ演説で決めるのは害があると思います。
オバマなどアメリカ歴代大統領は演説のみが上手であるものの、本来政治家に必要なその他のネゴシエーション能力に乏しいことが知られています。
政治力が乏しくても今までは圧倒的腕力だけで何とかなっていましたが、相対的強国になって来ると一定の政治力がないとどうにもならなくなって来たのこの5〜6年の世界政治です。
執行部が本気で会員の意思を知りたければ、ネット・アンケート等を実施すれば文字どおりサイレントマジョリティーを知ることが可能です。
日弁連や単位会が簡便なアンケーと調査しないので、事実上委員会を牛耳っている勢力がホンの数%の数で100%の政治力を発揮しているか、会員の99%が政治活動に賛成しているのか不明のママです。
10の権利しかないのにコワモテその他の手段で60〜70の成果を得ている場合・・・ずいぶん得しているように見えますが、長期間の交際を前提にする日本では、長期的には実は嫌われるので損をする関係になります。
お店でイチゴのパックの上に綺麗なものを並べて、下の方にイタンだものを入れて売った場合、苦情をいて来る客が1%しかいなければ店はぼろ儲けです・・文句を言わない客は、その後その店には買い物に行かなくなる率が上がります。
ヤクザが、10の権利の言いがかりで50〜80のものをカツアゲするとその場では大もうけですが、街の嫌われ者になって結局肩身の狭い生活しか出来なくなり、結果的に真面目に働いている人よりは年収が低くなっているのが普通です。
このように本来の権利以上の権利行使?をする狡い人間は長期的に見て損をするのが日本社会のあり方です。
ある勢力の行き過ぎがあっても、本来は放っておいてもやり過ぎればその内是正されるのですが、外部からの批判がある場合そこまで放っておけません。
八百屋の例で言えば特定店員が悪いだけ・・と言って放っておけばその店全体の信用に関わります。
フォルクスワーゲンと旭化成の不正の場合、知っていて放置していた役員もその責任を問われますが、知らなかったその他の部門まで全体として悪評価を受けています。
弁護士会の場合、組織名を使って政治活動をしていることは周知のとおりですから、知らなかったではすみません。
政治活動をすることは犯罪行為や不正とは違いますが、会自体の地盤沈下・イメージ低下・・黙認放置していた一般会員も一蓮托生でそのとばっちり評価を受けてしまいます。

サイレントマジョリティー8(アンケート等の重要性1)

弁護士会執行部にすれば、数だけではなく発言力の強い人や戦闘力の強い人がどの程度賛成しているかなどの総合判断で会を当面は運営して行くことになって行く可能性があります。
意向集約結果の単純多数によらないで声の大きいグル−プに圧されることが良いかどうかは、そのときどきの執行部の政治的判断によることです。
総会や集会等でドンドン発言する人が多いと実際にはその意見に納得している人が少なくても何となく集会の多数意見のような雰囲気になることがあります。
投票制度は・・集会で有力者に遠慮があって、発言出来ない「声なき多数」の声を吸い上げるための民主主義の原点です。
民主主義の原点は有力者の意向で政治をすることなく多数の意思によるべきですから、会員多数意見と乖離すると批判を受けることで意見収集方法の透明化・公開など技術基準が整備されて行き、是正されて行くことになるのでしょう。
執行部が会員意思を知るために、意見照会をやっている内に「メール等で集まった意見を無視している」と言う意見が出て来たら、集約方法その他の意見を参考にして、より良く改良して行けば良いことです。
先ずは参考意見を知る程度で良いから、正確でも不正確でも会員意思を探る方向から始めるべきでしょう。
ワンイシューで選挙していないから立憲主義違反と政権批判しているよりは、先ず自分の会・組織運営についてワンイシューで意見吸収をはかる・・まずやって見るべきです。
ところで、民主政治は単純多数ではなく戦闘・活動力のある集団は、1割の支持率でも2〜3割以上の発言力を持つことがあります。
政治と言うのはいろんな力の総合ですから、(これまで書いているように、ワンイシュー支持だけでは当選で来ません。)政治家の方はその法案に賛成するかどうかは他の法案に協力してもらうための駆け引きもあるでしょうから、代議制民主制度は、総合判断が許された権限行使制度です。
代理の場合は委任者の意向に反すると背任行為ですが、代表は投票者の意向に左右されないことも代表と代理の違いのコラムで書きました。
ただ、不正行為・・賄賂等で政治信条と違う方向へ妥協する場合の区別が難しいので、政治資金規制法等で外形的に規制していることになります。
グランデール市や今度のサンフランシスコでの慰安婦像設置決議が成り立つのは、中韓係居住者が多いからと言われていますが、比較的多いだけで多数ではありません。
それでも決議を獲得するのは、活動力によります。
戦闘的集団が人口の1〜2割でしかなくとも他の8〜9割はどちらでも良い場合、市議会議員等は落選キャンペインされるのが怖いので、1〜2割の票でも大きな威力を持つ実例です。
日本でも公明党が候補を擁立しない小選挙区の数%〜5%の票の応援票を失うのが怖くて、自民党が何かと妥協するしかないことが多い例が知られています。
選挙は概ねある程度接戦ですか5%の評票が自分に来るのかライバルに行くかの違いは大きな脅威になります。
日系人の戦い方は「設置に反対してくれ」「これが正しい」と言う大人しいお願いだけですが、現地議員は票が欲しいのであって正しいかどうはあまり気にしていません。
2週間ほど前に日本のインドネシアに対する新幹線輸出が土壇場で中国の賄賂攻勢に?敗れたと大騒ぎになっていますが、現地政治家の基準は国家のためになるかどうかよりは、今現在の政治資金が欲しいのが現実です。
慰安婦像「設置賛成した議員を落とすぞ」と言う方向の運動をしないと仮に居住者が同じ数いても、威力がまるでありません。
10月1日にも書きましたが、反撃力がないと防御すら出来ない・・攻撃が最大の防御になる実例です。
慰安婦像も南京虐殺でっち上げ問題も、日本が防戦しているだけだから彼らは気楽にやりたいだけやるのです。
負けそうになれば今後運動を激しくしない・・日本批判を緩めると言うシグナルだけでマスコミは中韓と仲直りすべきと言う誘導です。
正に専守防衛思想です。
仲直りするには、今後反日教育をやめるべきことと、「慰安婦像設置は間違いでした」と設置した海外で「謝って歩かない限り許せない」と言う意見は右翼系の意見になるのでしょうか?

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