ここからは、養育料支払義務の前提となる婚姻費用分担義務制度が生まれて来た時代背景は何かの関心で書いて行きます。
養育料支払義務の法的構成は2010-4-6−1「母子一体感3(養育料3)」前後で書いたように、元々子育ては未熟な期間が長い人類では母親独りの手に終えないことに起源があることが明らかです。
これを人類は女性集団で面倒を見る古代社会から、氏族社会・大家族制での大家族内での女性集団あるいは親族共同体が近接して何世代にもわたって重層的に住む社会を順次構成して、冠婚葬祭・出産・介護その他夫婦あるいは親世代の援助だけでは間に合わないときには女性同士で助け合う(これは古代からの基本的インフラです)社会を経験して来ました。
ところが産業革命後都市への人口移動が始まると当然のことながら、上京した若夫婦には近くに親戚がいない(身寄りや同郷人を頼って行くものでしたが・・・それにしても糸一本わずかに繋がっている感じです)上に核・小家族化の進行ですから、(親世代は田舎に残っているので、都市住民1世は当然核家族になります)親族や親世代の助け合い関係が消滅して行き母親の孤立化が進行します。
社会の近代化=都市生活化に連れて小家族または核家族化が進行し、大家族制あるいは地域社会の崩壊による子育ての外延的枠組み崩壊が進行するのは必然です。
ちなみに、地域社会崩壊が言われて久しいですが、何世代にもわたって同一地域に住んで来たことによって親族関係の入り組んだ関係や仕事での共同関係があってこそ、地域社会が機能するのです。
赤の他人ばかりでしかも遠くに働きに出ていて地域内で共同して働いていない・仕事その他お互いに何ら接点のない人が砂粒のように住んでいるだけで、同じ地域に住んでいると言うだけでは昔のような一体感を期待するのは無理があります。
現在地域活動を担っているのは地域内で営業している業者が中心になっているのは彼らが金儲けのためと言うだけではなく日頃から地元で働いていて共同体意識が育まれているからです。
近くに親族もいないで、隣人同士無関心のママ放っておくと子育ては母親独りに委ねることになってしまいますが、それが無理であるからこそ古代から女性同士の助け合いが発達して来たのですから、その補充のためには社会・政府による責任制度へ移行するしかなかったのです。
近代国家・・流入都市住民の増加が大家族・親族共同体による母子支援を不可能にした以上は、母子の(経済だけではなく子育て支援を含む)生活保障に関する社会制度整備が完成するまでは、その担い手として当面身近にいる父親(血統重視)の責任とする前々近代的手法による思想教育に求めるしかなかったと考えられます。
November 8, 2010「子育ての意味」 のコラムで 里子制度を少し書きましたが、本来血縁に関係なく博愛精神?で社会的に子育てに協力すべき方向へ行くしかないのに、その思想を含めたインフラ準備が間に合わないので、(今のペットブームはその代替・補償作用です)その逆に血縁重視に舵を切っていたと言えます。