危険があろうとなかろうと生まれ故郷に残る人、残らない人を約10年かけてふるい分けし、50年計画で進めれば、90万坪の用地買収の終了した1964年から見れば今年の事故までには当時の中高年齢者はほぼ100%死亡している筈ですから、(高齢だから知らない土地に行くのがいやと言う人・・当時40歳でも今は100歳です)長期的に見ればそれほど大きな用地取得は要らなかったことになります。
立地決定から運転開始までの約10年間には、極論すれば土木工事等をしているだけですから、放射能漏れに関しては何の危険もないので、10年内で出て行く人は順次出て行く計画にしただけでも(当初10歳の子供でも運転開始時には20歳・・20年計画にすれば当初零歳児でも20歳ですから、高卒ないし成人する都度遠くに就職して出て行けば(無理に移転しなくとも)人口の大部分がいなくなっていた筈です。
お金を受け取らないで事故発生時まで危険な町に残った住民・・これこそ口先だけではなく、ふるさとを本当に離れられない人たち・ホンマものですし、しかも上記の通り(仮に30年目に事故があっても)ごく少数の高齢者が残るだけですから、自治体職員も順次縮小して行くことになります。
事前計画を進めていれば、今頃は原発立地4町は消滅・・安楽死していたので、被害者ゼロだったし自治体自体がなくなっていたのではないでしょうか?
仮に理屈通り行かないで多くの人が残っていたとしても、まとまって避難すれば・・例えば大規模病院の移転が出来ない場合でも、予定通りに避難していれば避難予定先付近に存在する中核病院の協力を得られるし、(協力協定を結んでおくなど準備が出来ます)まとまった避難の場合には元々避難勧告範囲にあった小規模医院や中核病院の医師や看護士・レントゲン技師等関連職種の人も一緒に避難している筈ですから、避難先でも人的には不足がない筈です。
医療施設も設備が緊急時に不足しているだけで一定期間で検査機械や医療器具・手術設備も整えられるでしょうから、その間の期間は避難先付近の中核病院の場所・・中庭などを借りられれば良いのです。(この程度は事前に根回ししておけることです)
まとまって移動することによって、病院の例でも分るように関係者の失業も少なくて済みます。
それまでの生活手段を分断してしまう現在行われている避難方式では、そこに住むと買い物1つ出来なくて配給を待っているとか、本来自力で通院できる人までどこへ行って良いかが分らなくてボランテイア医師の巡回待ちになっているなど、健全な生活能力のある人の生活力を奪ってしまいます。
みんなが生活保護や入院患者みたいに配給や往診に頼り、かと言って上げ膳据え膳で好きなものを食べられるのではなく、おにぎりしか食べられず、たまに汁物があれば良い方です。
医療の方も自分の患者だけ医師が回るのではなく、1つの体育館にいる人みんなに対する一律診療となると個人の嗜好に関係なくおにぎりを配るのと似た結果になります。
(データも機械もなく初見の人ばかりぐるぐる回っているのでは、医師としての能力が発揮し難く、貴重な人材資源を無駄に消費していることになります)
生活機能を分断した避難所生活では、元気な人まで何時までも自立に向かい難く、この間劣悪な食料配給が必要で、却って公的資金・行政経費が何十倍もかかっています。
同じ量の食料でも自分で好きなものを(あるいは必要に応じてサプリメントを買ったり野菜、果物など自分で考えて)買い物して食事を造れば簡単ですが、何から何まで公的機関が用意して配給するとすれば、不自由な割に莫大な人員やシステムが必要です。
それでもやれるのは画一的なおにぎりやカップ麺中心でしかないのでは、何ヶ月もこれでは貰う方も参ってしまいます。
仮設住宅を造っても生活必需品の商売人がそろわないのでは、入居してもまともな生活が出来ないので、せっかく抽選で当たっても仮設住宅に引っ越さないままで体育館でいた方が毎日配給してくれるので生きていけると言う人が出ています。
大量複雑な生活必需品を公平に且つ個人的必要性の違いに応じて配給するのでは、気の遠くなるような複雑な作業が必要になりますが、こんなことは不可能なので一律におにぎりを配ったり果物と言えばリンゴを一律に配るなどしかできません。