話が地方制度から古代の組織ひいては版籍奉還・辞官納地さらには原子力事故など連想ゲーム的にに大きくそれていましたが、2011年4月24日に書き始めたムラ八分に戻します。
我が国の自然発生的ムラ又はムレは、生活維持に必要な関係で成り立っているので、その反射としてムレから仲間はずれにされると生活の維持が困難になる・・死活問題となります。
たとえば、自分の田に来る灌漑設備が壊れてもみんなの協力がないと自分達家族だけでは直すには力不足です。
(日常生活に他人どころか、親族の力さえ借りる必要性が薄れて来た都会生活では、群れる必要性がありません。)
その結果法的制裁がなくとも「ムラの掟・・道徳でもきっちりと守るもの」と言う暗黙のルールが出来て、これが明治まであるいは今でも農村社会で守られて来たし、「ヒトに後ろ指されない」しつけが厳しくされ、我が国特有の犯罪の少ない社会が出来上がって来たのです。
産業革命以降都市労働者が増えると、田舎から都会に出て来た人たちは生活の糧を得るために近隣共同体維持の必要性はなくなりましたが、生活の場を古里から都会へ変えたことによって、収入源が近隣付き合いから切り離されただけではなく、いろんな日常生活の助け合い部分まで切り離されてしまいました。
明治の初め以降長い間、子育ての智恵やちょっとした助け合いがまだまだ必要な時代が続きましたが、(地方から出て来た若夫婦にとっては保育園も幼稚園もなく・・・産院で産むようになったのさえ昭和30年代半ば頃からでした)収入源の地域共同体性の喪失と同時に日常生活手段としての助け合いの基盤までなくなってしまったのが近代社会の特徴でしょう。
地域的生活共同体から切り離され、ムラ社会の束縛から解放されたのは良いですが、その代わり近隣に親戚もなく大家族的つながりが薄くなって助け合いの風土・基盤がなくなりました。
このように考えて行くと都市近郊農村社会に根を下ろしたまま近くの都会へ昼間だけ働きに出ている関係が、(良いとこ取りで・・)最も精神衛生上有利な関係であったことになりそうです。
(ムラの付き合いが煩わしい人にとっては逆に悪いところだけが、残っていることになりますが・・・)
一時は「遠くの親戚よりは近くの他人」と言われていましたが、最近では近隣の付き合いも減ってしまいましたので直系家族・3世代同居からさらに核家族化が進めば(母親や兄弟も遠くにいる状態)、子育ては大家族・親類縁者内の女性グループで助け合うことすら不可能になります。
都市化の進展に合わせて子育ての社会的受け入れが始まり・・出産(前後の母子への援助)も一族総出で行う行事から、昭和30年代中頃からは産院中心になりました。
私の家は東京大空襲で焼けてしまったので、幼児期から中学時代まで田舎で育ちましたが、その頃に見た経験では、田舎では冠婚葬祭等は近隣(・・結局は昔の集落単位です)の女性の応援で実施していました。
(田舎では滅多にない冠婚葬祭用に大量の食器などが蓄えられていました)
高校時代に東京で見た景色では、(私は池袋に住んでいたのですが)大田区区民会館が出来て結婚式もやれると言うニュースだったか広告だったかはっきりしませんが、見た記憶があります。
昭和30年代中頃から、東京ではホワイトカラー層では結婚式等も自宅ではなく東条会館・◯◯会館等で行われるようになり、庶民でも公民館等で結婚式が行われるようになり、次いで私の大学同窓生・・平均的サラリーマンでも私学会館等を利用し、更にはホテルへと豪華化されて行くのに比例して葬儀も次第に外注が原則となって行きました。
出産が産院で行われるようになったのは、応援の必要な結婚や葬式等の大型行事が総て外注形式になって行った先がけだったと言えます。
出産や病気・結婚等一過性大行事は病院や施設等の発達で近隣の応援がなくとも(お金さえあれば・・その結果保険や年金制度が発達しました)出来るようになりましたが、長丁場の子育てや高齢者介護になるとトピックス的な援助ではなく継続的援助・支援が必要になります。
子育て支援の社会的整備は簡単には進みませんので、未整備状態下のギャップで育児ノイローゼやこれに基づく母子心中事件、あるいは児童虐待事件の発生が生じて来るのですが、幅広い女性同士の精神的助け合いがなくなった近代都市生活の特徴かも知れません。