工場労働者を基礎にした社会党を中心とする反対には相応の合理性があって公害防止技術の発展などの前向き効果がありましたので、いわば怪我の功名だったことになります。
工場労働を前提にした組織を背景にしていたから、一定の理解力があった事にもよるでしょう。
ここ数十年サービス社会化が進展してくると工場労働を前提した反対ばかりでは何も生み出せない・単なる社会構造変化反対と同義になってきました。
ここ数十年来、左翼系が先住民意識を煽ったり地域エゴを煽るようになったのは、日本の進歩に資することはなんでも妨害・・反企業=日本国力衰退願望を基礎にしたかのような「何でも反対」のイメージが定着しうまく行かなくなったので、もっと基本的な民族分断策に切り替えたと見るべきでしょう。
日本民族は一体ではない・「先住民」がいる・・国内分裂策として見れば最効果的戦略です。
先住民というのはそもそも何か?が不明です。
大和王権成立時期から見ると当時の東国・・今の岐阜県以東は皆異民族・先住民族なのか?出雲や越の国の人は?なぜアイヌや沖縄人だけ先住民というのか?
東北の蝦夷(エミシ)や九州の隼人族は?
一般的に言って、周辺部族同士(元々言語習慣の似た者同士)の争いで負けた方が吸収されてより大きな部族になり〜民族国家になって行く場合・・黄河上流の小さかった漢民族が次第に周辺民族を吸収あるいは融合していった場合や異民族包摂した多民族国家内の少数民族などを先住民とは言わないでしょう。
常識的に言って、西欧がアメリカ大陸やアフリカに進出するようになって、押しのけられた元からいた民族を先住民というようになった印象です。
一般に予定している先住民のイメージは・西欧の植民・移民政策・圧倒的武力によって元からいた民族をおしのけて我が物顔に住み着くようになり、先住民根絶やし政策にあります。
・・アメリカ大陸でのスペイン系による先住民意図的抹殺・・ほぼ100%と言われる西欧人とのおそるべき混血強制政策・混血というと聞こえがいいですが、男は皆殺してしまい・・女性は性奴隷にしてしまい100%混血児以外先住民を残さない徹底した民族根絶やし政策でした。
この後にウエストファーリア条約の紹介でキリスト教徒以外には人権がない・牛馬豚同様でどんな非道なことも許されるという身勝手な「人道主義」(これが黒人奴隷を公然と行った基礎です)を紹介して行きますが、もともと異民族根絶やし政策・思想は西洋人の十八番でした。
ナチスのユダヤ人に対するジェノサイドは突然発生したものではなく、この延長で西洋系同士で起きたので衝撃が強かったにすぎません。
例えばAugust 16, 2017,「自民族言語表現の重要性5(インドネシアの国語統一)」でをオランダのインドネシア統治方式紹介しましたが、現地人との混血(植民地に赴くのは主に男性・軍人で現地女性に産ませる)しその混血児優先に利用して支配の道具にしていく方法でした。
上記コラムで紹介した文章をもう一度引用しましょう。
「③オランダは大がかりにインドネシア人との混血児を作り、それを間接統治の官吏とした。行政官は混血児と華僑に任せ、インドネシア人の政治参加、行政参加はほとんど禁止した。」
アメリカ大陸と違いアジアでは、基礎的人口が多すぎるからオランダが現地人を根絶やしにできなかったにすぎません。
ポリネシアの諸島の多くでは基礎人口が少ないことから、西洋人との混血以外残っていない状態になっているとどこかで読んだ記憶ですが、今になると根拠が分かりません。
異民族・現地人絶滅方針は中南米や北米の対インデアン政策だけではなく西洋・キリスト教徒のの基本政策であったと見るべきです。
日本敗戦時占領時に「男は皆殺され、女は強制的占領軍人の性奴隷にされてしまう」・・民族根絶やしにされると恐れた理由は西洋人による中南米や南洋諸島での先住民根絶やし政策の実例があったからです。
アメリカインデイアンに対する卑劣極まる(降伏後約束を破る)仕打ちが良く知られているところですが、(アメリカを信用するとイラクのフセインやリビアのカダフィのような目にあうという不信感・北朝鮮の核兵器保持の上での交渉以外には応じられない不信感もそこにあります・・)彼らの行った非人道性がようやく人権問題のテーマになってから、先住民概念が生まれたのではないでしょうか。
(ノルマンコンクエラーや次々と支配層が重層的に入ってきたインドのように)少数者が入ってきて支配層に落ち着く程度の場合には、元々の住民は今も社会の大多数であって、彼らを先住民とは言いません。
香港割譲中・返還前のイギリスと香港住民の関係も支配と被支配の関係であって、香港人を先住民は言いませんでした。
あとから来て支配者になるかどうかではなく、あとで大挙して来た集団が住民として元からの住民を押しのけて住み着き多数を占めるようなイメージを いうものでしょう。
欧米のアメリカ阿智陸の先住民迫害の酷さが言われるようになると、その反作用として「日本もあるじゃないか」と言わんばかりにこの数十年来アイヌと沖縄人が先住民性が、喧しくなってきました。
確かにアイヌの部族は明治維新までは異民族・「化外の民」扱いでしたし、文化的格差も大きいものがあり、さらには住民が大挙して移住してアイヌ人を圧倒してしまった点では、アメリカへの西洋人移民と似ていますが、元は同種族同士で気候の違いで発展段階がずれただけのことですから、西洋人がアメリカ大陸やオーストラリアの先住民を人間扱いしなかったのとは本質が違っています。
これに対して沖縄はどうしょうか?
文化水準の違いはあるものの和人が大挙して押しかけて元々の住民を圧迫し少数民族においやっているような関係自体がありません。
今も沖縄人の島々です。
周辺部族がより民度の高い方に収斂していく普通の国家形成関係/過程にあると見るべきでしょう。
9月2日に歴博で見てきた「漆」の企画展(内容は充実していてとてもよかったのですが)の説明文を見て驚いたのですが、沖縄(琉球)の漆文化の紹介文に、1609年の「島津の侵略・」という表現が何箇所かあったことです。
島津の支配下に入ったことは誰でも知っていることですが、それをあえて「侵略」以降と一度ならず繰り替えしてどぎつく!書く意味・政治意図です。
漆研究の発表であればその流れをそのまま書けばいいことであって、琉球が日本文化圏に入ったことをいうためには「支配下に入った」結果・・と説明すれば足りるものをあえて「侵略」というどぎつい表現を繰り返す必要が何故あったのでしょうか?
歴史学者間では島津家による琉球「侵略」で一致しているからというのでしょうか?
仮に島津家の支配が友好関係の結果か武力威嚇によるかをテーマにする討論の場であれば別ですが、ウルシの伝播あるいは分布過程の説明の場で、「侵略によるかどうか」を論じる必要のないことをあえて書く必要があるかの疑問です。
沖縄観光案内に「島津による侵略を受けた沖縄へようこそ!」といちいち大きく書く必要があるかの問題と同じです。
そもそも「侵略」という熟語自体が近代以前にあったかどうか?せいぜい明治以降の熟語でしょう。
シーザーやアレクサンダー大王、ナポレオン、漢の武帝もチンギスハーンも今の解釈によれば大侵略者ですが、彼らの表現するのに大侵略者武帝、大侵略者シーザー、大侵略者ナポレオンと肩書きをつけて表現しているのをみたことがありません。
慰安婦・当時売春業は世界中で普通であったのに、今の基準で政府が衛生上の必要から管理した売春婦がいたことを人道非難するのがおかしいのと同じです。