自己実現と社会1

近年の中国躍進の根源は技術窃取によるだけではなく、リスクを恐れないこと・・思想規制が強ければ経済の進展は望めないというのが一般論ですが、実態は思想規制は厳しいものの共産党支配の否定さえなければ、道義に反するかどうかは問わない・・経済活動は自由自在・・環境破壊であれ知財窃取であれ、やりたい放題やれば良い・とも角先進国に追いつきたいだけです。
新幹線で言えば安全対策など二の次で、まず走らせて「脱線すればその時のこと」という姿勢が顕著です。
商売人は儲けのためには下水利用の油とかミルクを作るのもためらいません。
公害なども諸外国からの苦情によって無視できなくなるまで、なんの心配もしないという姿勢でした。
世界中でリスクをとる果敢なビジネスが広がっているときに・・中国のような無茶苦茶も困りますが・・世界中でまず普及するのを待って最後に参入すれば、世界一安全かもしれませんが、世界で安全確認できるまで実験すらできないのでは国際競争に参加できない結果、世界の最後進国に下がっていくしかありません。
社会党は「〇〇があればどうする」式の反対や役人に対すする厳しい追及で何をするにも複雑な仕組みを構築した成功体験に酔って?なんでも反対政党として信用を落としましたが、反日国としては国内反日利用勢力は、鉄砲玉・捨て駒でしかないので痛くもかゆくもないでしょう。
社会党は信用がなくなれば解散させて新党を創り、洗脳済みの政治家を新党に入れさせればいいのですから簡単です。
政治家は個人として政治責任をとるべきであって、社会党から新党に入り直せば過去の政治行為の責任がなくなる仕組みがおかしいのです。
この仕組みを真似しているのが各種詐欺的集団で、金融商品等の違法行為で許可取り消しになるとそのメンバーを含めて別の組織を立ちあげる(代表にはなりませんが)繰り返しが続いています。
国際競争から日本をいかに遅れさせ、脱落させるかの、反日運動目的では新たな挑戦を一切できない仕組みづくりでは大成功してきたように見えます。
表現の自由はその集団をよりよくする効果があるから重要なのだと自分流に理解してきましたが、今の憲法論では、言いたいことを言うのはそれ自体が「自己実現」であるから、「所属集団ために害があるかどうかは関係がない」というようになっているらしいことを、Jul 12, 2018「表現の自由(自己実現・自己統治)とは2」のシリーズで紹介したことがあります。
私はもともと勉強不足でそういう意見が通説だったか?元は違ったが、この数十年でいつの間にか変わったかすら知らないのですが、ネット検索すると、芦部信喜憲法以来これを書かないと司法試験に合格できない時代が続いていると解説されています。
私はそのひと世代前の宮澤憲法時代のテキストで合格してきたので知らないわけです。
実務ではこう言う哲学的論争は実務にあまり関係ないのでその後の学説変化フォロー・勉強視野に入っていませんでしたので、司法試験勉強時代になかった説を私が知らなかったのは当然ですが、言いたいことをいうのは自己実現行為であって、人間の侵すべからざる基本的人権・人権の中でも優越的人権というらしいですが・・。
ただ、この説も冷戦時代の産物であって、今では批判が出ていると言う解説が以下に出ています。
http://nota.jp/group/kenpo/?20061016104219.html

自己実現と自己統治
なぜ表現の自由は優越的地位を有し、他の人権よりも手厚く保護されなければならないのか、ということを説明する方法はいろいろあるが、芦部信喜が定式化したものが「自己実現」と「自己統治」の価値である。受験生の中には表現の自由に関する問題が出題されたときには、何が何でも答案のどこかにこれを書かなければならない、これを書かないと減点される、という強迫観念さえ持っている人がいる。
人権の中でそもそも優劣が付けられるのだろうか、アメリカ合衆国憲法ならばともかく、日本国憲法の条文から優劣が読み取れるだろうかとか、統治にまたがる人権はなぜ価値が高いのか、とかいった根本問題を立ててみると、この理論は自明ではない。
「人間の活動の中で精神活動を重視して経済活動、営利活動を軽視したのは、これを提唱したインテリの観念的立場を反映したもので、普遍的には成り立たない」とかいった批判が出されている。

優越的地位の理論が日本で通説になったのにはそれなりの歴史的事情(ここで詳しくは述べられないが冷戦とその影響を受けた日本の政治状況)があり、合理性があったと考えるが、これにともなう負の面があったことも否定できないと思う。

冒頭に書いたように中国では、逆に企業活動の創意工夫にあまり注文をつけず、悪しき結果が出てから規制処罰する方向で大躍進をとげている時代ですが、芦部憲法ではこの逆で政治反対運動は侵すべからざる権利であっても企業活動の自由を縛るのはいくら縛っても良いかのような差別論理でした。
要は企業活動を縛る方向性が、冷戦時代に中ソに有利な方向へはびこって行ったように見えます。
以下紹介するように芦部憲法著作が重版を重ねるようになった時期と、日本の企業活動が元気を失い停滞が始まった時期と重なるのには驚きます。
私が司法試験勉強したのは60年代末〜70年代初頭ですが、芦部信喜に関するウイキペデイアによれば経歴代表著作は以下の通りで、約20年以上経ってからのようです。

ハーヴァード・ロー・スクール留学を経て、1963年東京大学法学部教授、

『憲法学Ⅰ~Ⅲ』(有斐閣、1992年~1998年)
『憲法』(岩波書店、初版1993年

芦部説を勉強したこともない素人の私にはあまり批判する権利がありませんが、素人風に誤解すると自己実現こそが最重要で「民族を売る目的かどうかは善悪の基準にならない」という方向へ親和性を持つ学説のようです。

日本独立反対運動 1

高速道路反対運動の頃になると私が勧誘に乗らないのがわかったらしく、あっさりした勧誘程度しか来なくなったので、スローガン程度しか覚えていませんが、地元団地の反対運動(「クルマの出入りが多くなると団地住民が危険だ」というスローガンだったように思いますが・・マンション等の工事反対の戦術としてトラックの出入り→子供の通学が心配というのが定番・通学時間中の資材搬入をしない約束などが普通になりました。
この種の運動の成果か?路地の水道/ガス工事あるいは広い道路での重機使用などでも道路左右に監視員がついて歩行者の誘導をしている・誘導などしてくれなくとも歩行者用の迂回路がきちんとできているのですが・・外国の人が見れば不思議な光景になっています。)が成功したらしく、モータリゼーションが一般化した後に、元は猛反対していた団地住民?自治会?がジャンクションが遠くて不便だということで設置運動をしているとのニュースを見たことがあったので、その前のジャンクソン設置反対運動が成功していたのだとわかりました。
その頃からビルを立てるにも周辺の同意がいる、工場等で新たな設備導入するには公害防止手順を踏み周辺の同意などをつくす必要など、各種実験・・今の自動運転技術獲得競争でいえば、日本では公道実験実施が困難なので、アメリカに行って実験しなければならないなど・・実験すらまともにできないので、国際開発競争に遅れをとる懸念が知られています。企業が最新設備導入にあたり、経済合理性があればまず導入し弊害が起きればその時に考えれば良いという社会と比較すれば、何か新しいことをするには大変な手間や時間がかかりいつも実行が遅くなります。
安全は先に確保した方がいいといえばその通りですが、物事は程度問題・神ならぬ身で100%安全の保証など前もって確保することは不可能ですから(国会議論報道によると)反対の為の反対の傾向が強すぎて、あまりにも微に入り細に入りすぎているのではないかの疑問を書いています。
言論の自由がなく、発表前に許可がいる社会同様に、日本では何かしようとすると、ものすごくコストかかる社会になっています。
キャッシュレス化その他最新技術導入が周辺国よりも日本で進まないのは、何かをやろうとすれば会議では「〇〇が起きると誰が責任を取るのか?いう議論が普通で)なんでも反対論が立ちはだかる仕組みができ上がっています。
選挙で言えば、ネット利用投票ができれば膨大な投開票コストも要らず投票者も手間暇かかりません。
この議論を会議ですると本人確認できない・なりすましがあったらどうする?と反対論が出るのですが、現在だって、公職選挙で言えば投票所に来た人の確認は投票通知書を持って来たかどうかを基本として確認しているにすぎません。
毎年一定時期に郵便配達される国保のカードを狙ったヤクザがマンション郵便受けから取り出して、その人の名義の銀行口座を作りあちこちで多数の携帯購入して、期間限定海外への電話使い放題で5〜6万円でイランや東南アジア人などに売りだしてぼろ儲けしていた事件を担当したことがあります。
名義を使われたのは同じ組員で刑務所服役中でしたので、利用明細が郵便受けに入ってもどうってことのない状態で(もともと残高がゼロ近いので)口座引き落し不能になるまで使えるという触れ込みでした。
このように郵便を受けとった人というだけでは、 本人かどうか不明ですし、私の関与している日弁連選挙で言えば、投票時間にどっと並ばれると受付の人は投票権のない人(登録したばかりでまだ投票権のない人や郵便投票申し込み者などなど・同じ人が2回以上)が投票することのないようにするのが主たる業務のような関心で、名簿チェックに忙しくて、投票に来た人の顔をマジマジみている暇がありません。
ちなみに千葉県弁護士会では800人以上の会員ですので、もともと顔をみんな知っているわけではありません。
多くの人は生命より大切な?お金を引き落とし承諾などパスワードその他の貴重な情報を利便性のためにいつもネット上で開示しています。
相手が限定されているとはいえ、それの漏洩リスクを冒しながら支払いの都度開示しているし銀行や業者も盗まれた情報のリスクを負担しながらネット決済等に応じている・・何事もリスクのない行為はあり得ません。
※追記
以下のニュースが流れていましたので、追記です。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190322-00000056-mai-bus_all

フェイスブック、12年からパスワード閲覧可能 ずさんな管理態勢相次ぎ発覚
3/22(金) 18:55配信
ワシントン中井正裕】インターネット交流サイト(SNS)最大手の米フェイスブックは21日、利用者数億人分のパスワードが暗号処理されず、同社社員が閲覧できる状態で社内システムに保管されていたと発表した。

パスワード制度やキャッシュカードの普及には末端機器で解読出来なければ、(暗号化してない限り)機能しないのですが、暗号化して本部機能に送信して本部機能がそれを解読して即時に○X返信する仕組みになっているので銀行支店員やレストラン店員がパスワードを個人的に入手できなくなっているのですが、本部でのパスワード管理が、暗号化されないまま放置されていたとは驚きです。
このように多くの人は、なんとなく自分のパスワード開示には不安であっても、まさかフェイスブックのようなことはないだろうと一応根拠なく信用していたのです。
車でも事故ゼロはあり得ないのと同様に何事もリスクと便益の兼ね合いですが、メデイアはなんでも新しい挑戦に対してこういうことが起きたら誰が責任を取る式の反対論応援というか報道し過ぎでしょう。
新規性を取るか安全性を取るかは国民消費者の選択に委ねるべきでしょう。
リスクとの兼ね合いで何をやるかを決めるべきなのに、ワクチン接種であれなんであれ、リスクがあったら誰が責任を取るのだという?反対論がハバを効かせすぎています。
これでは何事も前に進みにくい社会になるのは当然です。

対支21か条2(中国の反日運動激化)「コラム再開」

※8月29日から昨日までは約1ヶ月間コラムアップできなかったので、今日からアップできるようになりましたが、書く気力がなかなか復活しない・・8月30日以降昨日までの分は、時節の話題に関係なく半年〜数年前からの原稿先送り分そのままの掲載になっていますが、今日からのコラム同じく過去原稿のアップですが、掲載時現在で少し見直して手入れした内容復活です。
こうしてみると「高齢者が入院すると退院後歩いて良い」と言われても歩けなくなる状態がよくわかります。
時事問題をすぐに書く気力が復活しないのでまだ過去の先送り原稿の手直し程度ですが、今後おいおい、書く気力が復活していくと思います。

昨日引用の続きです。

日本の要求書を受けとった袁世凱は、即答を避け、ポール・ラインシュ米公使やヒンツェ独公使らと緊密な連絡をとり、相計って国内世論を沸騰させ、外国に対しては、日本の要求を誇大に吹聴して列国の対日反感を挑発した。
在中ドイツ系機関紙である北京ガゼットや独華日報は山東問題に関する袁世凱との直接交渉を攻撃しはじめ、20余紙はドイツの新任公使ヒンツェに買収されたなどと言われた[13]。排日派や宣教師らは日本軍の暴行を喧伝し日本軍の撤兵を要求した[14]とされる。
アメリカは第1号第2号第3号については抗議する意図なく、あるいは敢て反対しない態度を日本政府に提示したが[15]、第4号第5号に関しては明確に反対であり、とりわけウィルソンの関心は第5号に集中していた[16]。
大隈内閣は3月15日に日本側に提示されたこの対日覚書の意図を正しく理解することができず、第5号に関して米国は「左シテ重キを措カサルモノ」と判断し安易に対華強硬策に転じたことは、4月中旬以降のアメリカの極東政策に影響をあたえることになった

列強支持のもと21ケ条要求貫徹・成功・・これを不服とする中国人民の抵抗・条約の無効化による不服従抗争→宣戦布告なき戦争の泥沼に入って行った原因です。
野党系政治家の弱点・民意把握より観念論で押し通す習癖→唯我独尊傾向を繰り返し書いてきましたが、大隈内閣に対する戦後メデイアの偏った高評価が多いのですが、日本の命運を間違った方向へ導いた元凶であったことが上記引用でわかります。
(明治憲法制定前からの大隈重信の行動は今の革新系野党同様の現実無視の主張が多かったように・記憶だけですが・・)
大隈重信のアメリカ訪問時に大統領との会談記録に「こんな激しい主張をする人は見たことがない」(要は「話しにならない人物」という評価)と記録されている記事を引用紹介したことがありますが、なんのコラムで引用したか忘れましたので、以下の通り再引用します。もともと自由民権運動政治家で、今で言えば鳩山〜菅内閣で知られる民主党政権の先祖のような性格です。
要は政治能力がないのです。
第一次大隈内閣に関する本日現在のウイキペデイアの記事からです。

またアメリカのハワイ併合に対して、「これほど激烈で宣戦布告か最後通牒に等しいような外交文書は見たことがない」とマッキンリー大統領に言わしめるような強硬姿勢を示して外交危機を招いた。そして組閣後4ヶ月余りで総辞職を余儀なくされた。

対し21か条要求は、日本の協力を必要として指定た連合国の承諾で国際政治力学上で日本の主張が通ったとはいえ、要は日本が中国で火事場泥棒的に「やりすぎた」点について、政治家としての反省が足りなかったのです。
強い国や強いものからの不当な要求を跳ね返すために、訴訟や国際政治力学を利用するのは良いことですが、不当な要求を通すために国内であろうと国際であろうと政治力学.権力を利用して弱者をいじめると、時間の経過でその無理が跳ね返ってくるのは政治の常識です。
さらに話題が変わりますが、先の大戦ではたまたまドイツと同盟しましたが、日本を世界孤立に追い込んだ元凶は実はドイツの反日宣伝に始まるものでした。
日本が世界の思想変化(植民地支配に対する批判精神浸透)について行けなかったのが原因ですから、今更ドイツを恨むのは大人気ないですが・・事実は事実です。
7年ほど前の中国の反日暴動後日本に代わって着々と進出しているのがワーゲンを代表とするドイツ企業であったことからわかるように(慰安婦騒動でドイツを見習え論が韓国等で強いですが、)、もしかして?今も中国や韓国の反日運動にはその背後にドイツの陰・・「日本排撃しても高度部品の供給は引き受けるから」と言う後ろ盾示唆がある可能性があります。
21か条要求と現実支配が始まると中国人民を巻きこんだ不服従運動が高まるに連れて、現実に合わせて英米は日本離れを加速していきます。
日本はあくまで戦後講和会議を乗り切った以上譲る必要がないという立場で、強制→不服従行動の激化→弾圧強化→治安維持のための満州の切り離し(要は野党系の好きな観念論強行です)→欧米人権思想家の反発・運動→国内世論に影響を受ける米英政府の上申の徐々に変更・反日方向への転換へとなって行きます。
日清戦争後の三国干渉を範にとると法理上横車であれ、それを受け入れるしかないのが国際政治の現実でしたし、第一次世界大戦時の対支21か条要求は、国際的に日本は多くの支持を受けて決まったこととしても、敗戦国ドイツは中国在住メデイアを通じて(日本に奪われた権益回復のため?)反日感情を煽っていて、現地反日運動が激化してきた以上は妥協をするしかないのも政治の現実です。
日本はこの辺で世界情勢を読んだ上での謙抑的行動が必要だったのですが、これができなかったのは右翼メデイアや学者が世界情勢を読むことが(素人・半可通のメデイアが政治を左右する悪弊)できなかったことが第一の原因でしょう。
日露戦争時に半可通の知識人が、妥協を拒み国民を煽って日比谷焼き討ち騒動になったように、今朝の日経新聞を見ると安倍総理がプーチンの無条件平和条約締結先行提案にその場で明白に拒否すべきだった」という立憲民主の主張を引用し、数日前の日米首脳会談の日米円満合意を批判して日本が多国間協調主義に反して2国間協議に応じたのは許せないという観念論を宣伝?しています。
旧社会党の国会戦術・通りそうもない強硬意見を言い張りで妥協しない結果、最後は何の主張も通らない強行採決誘引しては、国民大多数の批判無視と声高に主張する・・「執行部は筋を通した」と虚勢を張ることの繰り返しでした。
彼らは国民や労組のためではなく、(自分はやるだけやったという)保身のためにのみ行動している勢力ではないでしょうか?
大隈内閣は、隈板内閣と言われたようにいまの立憲民主党のようないわゆる野党系の観念論の集団でしたがこれに似ています。
今回の日米会談で多国間協議以外受け入れないと頑張って決裂して帰る選択肢はあったでしょうか?
何かを受け入れない限り交渉は成立しないのですから、自動車の輸出数量制限を受け入れない代わりに何かの輸入を受け入れるしかないのが現実です。
何しろアメリカが、一方的に関税をかけた場合、日本は打つ手がないのが現実です。
国際ルール違反だと騒いでも、どうなる訳ではありません。
日本が報復関税をかけて相互貿易が滞れば日本にとってもっと大きな被害になります。
だから中国だって焦っているのです。
カナダもメキシコも「約束違反」といっても仕方ないので、結局なNAFTAの再協定に合意しているのです。
日本のメデイアや野党は、なんらの対案もなしに批判だけする・・安倍総理が円満解決したのが減点かのように騒ぐのは、日露講和条約時以来の無責任な煽り体質に終始している印象です。
元に戻しますと、日本の大陸進出政策への邁進に対する米国の警戒は日比谷焼き打ち事件の頃から、すなわち満州事変の約25年も前から始まっていたのであり、これが21カ条要求事件後、日本がアメリカの修正要求に応じないところから顕在化し、日本は逆に強硬論の拡大一方・・満州事変〜北支事変〜上海事変へと広がっていき、その都度欧米の反日姿勢が強まっていきます。
日米開戦はその延長上の結果でした。
野党系観念論者が政権を取るとこういう結果になる歴史です。

先住民権運動の背景3(ロシアの領土欲1)

先住民権運動に戻しますと先住民運動が活発化してきた原因は、単なる善意の愛国心によるのではなく、国政政治関心・・欧米のアメリカ大陸やオーストラリア大陸での先住民に対するジェノサイド等々に対する非難活発化に呼応した動きによるのではないかという関心に戻ります。
現代国際政治的に見れば、北海道を含めた北方領土を狙うロシアと尖閣諸島を手始めに沖縄本島を狙う中国が北海道と沖縄切り放しの口実に、先住民運動を活発化させている印象です。
この意見は印象であって根拠はない憶測・穿ち過ぎ?ですが、この数十年でこの種運動が激しくなってきたのは不思議です。
これに呼応する動きがだいぶ前から国内に浸透し準備されていたことがわかります。
この数千年程度の北海道の気候を前提にすると、いわゆるアイヌ人は「北方民族」であってもともと別民族のようなイメージが定着しています。
ところが9月2日に紹介したとおり九千年前に南方から伝わったはずの漆の利用例が出ていることや青森の三内丸山の巨大遺跡を見てわかるとおり、長い1万年以上も前から始まる縄文時代の間には北の方でもかなり気温が高い時があって北方であることの不利性がこの数千年間よりも少なかった・・今の気候条件で考えるのは間違いの元ではないでしょうか?
気候条件が同じであれば身の回りの環境ひいては生活習慣も似たようなものになります。
長い縄文時代に北海道にいた人たちと本州の人との間で一体感が強かった・同一生活圏・価値観でつながっていた可能性がうかがわれます。
DNA調査により寒冷化によってシベリアから日本列島にきた人種がいると世上言われていますが、流れの順序は逆でしょう。
暖かい時にシベリアまで行っていたグループ(ブリヤート人)が寒くなっても少し生き残っていたとみるのが普通ではないでしょうか?
日本海などが凍って大陸と繋がったので列島に(歩いて)来たと言われていましたが、常識的に無理がある・海が凍るほど寒い時に海を渡る=長距離(女子供など弱者が一緒で)民族移動するには10日〜20日では移動できません・・。
海が凍るほどの寒冷期にようやく海を渡り切ってもすぐの海岸線・・海が歩けるほど凍っていれば宗谷岬周辺にたどりついてもそこも寒いでしょう・・に果物がたわわに実っているはずがありません。
寒冷化によって生命を維持できなくなっての民族移動するということは、元々備蓄食料が底をついている状態での出発です。
中世〜近世〜近代〜現在でも長期間移動となれば、全期間の食料携行は無理があるので行く先々で食料調達しながら移動していくのが普通です。
凍った海を歩いて渡れるどの寒冷期となれば、その間の食料をどうするかという問題一つとっても、無理な想定です。
同様に寒冷期にベーリング海峡〜アリューシャン列島を歩いてアメリカ大陸に渡ったという説も教えられてきましたが、これも非現実的です。
むしろ産物の豊かな暖かい時代に行く先々で魚その他食料を得ながら千年単位で少しずつ北上して行ったグループが寒冷化後もシベリアに居残っているとみるのが本来でしょう。
私のような素人が、ウルシの分布を勉強してきただけで想像するのは飛躍がありますが、もしかすると縄文時代を通してみると北海道を含めて大方は暖かく同一生活環境民族であり寒くなった以降4〜5千年あまりの短期間気候環境が違っていただけ・・元々同一民族とみるべきも知れません・DNA次第ですが・・。
実際にここ数十年で先住民性を言い立てるようになる前には、普通に見られる田舎の人と都会の人の違い程度・・近代化の進度こそ違っても思考形態がまるで違う民族という印象を受けた記憶がありません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8Cで見るとアイヌのDNAが沖縄人と最も近く和人ともはほぼ同じらしく、私の上記思いつき同様同じ縄文人であった.・・和人と同一人種らしいです。
「人類学的には日本列島の縄文人と近く、北海道にあった擦文文化を基礎に、オホーツク文化と本州の文化を摂取して生まれたと考えられている。本州では農耕文化が始まるが、北海道では狩猟採集の文化が継続し、7世紀には擦文文化が始まる[6]。擦文文化やオホーツク文化はアイヌ文化に影響を与えている[6]。13~14世紀になると、農耕も開始され、海を渡った大和民族との交易も行われた[6]。」
遺伝子調査
近年の遺伝子調査では、アイヌとDNA的にもっとも近いのは琉球民族で、次いで大和民族であり、大和民族とアイヌ人の共通性は約30%程である。他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本人(アイヌ、琉球民族、大和民族)の特異性が示された。これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している[11]。アイヌ集団にはニヴフなど大和民族以外の集団との遺伝子交流も認められ、これら複数の交流がアイヌ集団の遺伝的特異性をもたらしたとされる[12]。」
アイヌの言語で見ると以下の通り日本語と語順が同じようです。
http://jinbunweb.sgu.ac.jp/~okuda/works/02003-2001-01-03.pdf4
.文法
アイヌ語の文の組み立てかたは、すでに述べたとおり、日本語などとよく似ている。」
素人の私の意見ですが、語順が同じならば、アイヌ語と言っても日本各地の方言同様に単語や発音・・東北弁に限らず多くの方言は単語だけでなく発音方法からして違うのが普通です・・が違う程度に帰するのではないでしょうか。
以上総合すれば沖縄人もアイヌ人も大和朝廷支配下に入った時期が遅かったというだけの違いのように見えますが、何故これをここ数十年で強調するようになったのでしょうか?
今、我が国では北方領土問題といえば、歯舞色丹等の4島だけに何故か限定していますが、ソ連は日本敗戦時に火事場泥棒的に満州侵入・占領作戦→シベリア連行と同列に北海道全域の占領統治を目指していたことを忘れてはなりません。
もともと千島列島全体が、日本とロシアが幕末から明治にかけての交渉の結果、平和的に決めた領土関係でした。
幕末〜明治期には日本はロシアと対等交渉する能力すらありませんでしたが、 漸く平和裡に現状を認めあって、国境確定していたものです。
日本が継戦能力がほぼなくなった敗戦の数日前になって、不可侵条約を突如破棄して連合軍に参加したソ連が戦勝国として平和裏に決まっていた千島列島全体を自国領土に編入すること自体が国際法的に許されないことです
これを連合軍が容認すること自体が、連合軍が日本に仕掛けた戦争は正義でも何でもない・・侵略戦争を仕掛けていたたことになります。
ですから日本はアメリカが正義の戦いであったというならば、北海道の一部である4島だけではなく、千島列島全体の返還要求すべきことがらです。
ソ連は千島列島と北海道全土の占領→自国領土化を目的に参戦していたことは、日本の降伏により防衛意欲低下を見込んだソ連軍が夜陰に紛れて千島列島の守備隊を急襲してきたことがこれを表しています。
この奇襲は北海道全体占領の手順として手をつけたものでしたが、これを首の皮一枚のところで防いだのは、ポツダム宣言受諾・降伏後に急襲してきたソ連軍から千島列島を守るために日本兵が果敢に防衛したことによります。
ソ連としてはその時に、あと一息というところで北海道占領・自国領土に編入しそこなった残念感・逃げた魚は大きい・・未だにこだわっていることを忘れてはなりません。
ソ連による不可侵条約違反によるの満州侵入と暴虐非道な行いは良く知られていますが、実は千島列島でもあったのです。

先住民運動の背景2(歴博と政治攻撃)

出雲の国譲り神話も見てもわかるように国家形成のどの時点でもって侵略というのか不明です。
歴博の政治意見によれば、家康の天下統一も周辺大名に対する侵略でしょうし、世界中の現在国家はいくつかの周辺部族の統合・侵略でなりたっているのですから何もかも〇〇年の「侵略以降」のイタリアとかスペインと表現することになります。
仮に1609年に島津家の支配に入ったのが今風に言えば侵略に当たるとしても(歴史学会の趨勢を知りませんが)これを漆の文化紹介にあたって書く必要があるかの疑問でした。
政治論争のために歴博が設置されているわけではない・ウルシ文化の客観的分布とその原因を紹介すればいいのですから、「島津の支配下に入って」から・・という単純表現に何故できないか不思議です。
オナガ沖縄県知事の先住民発言を応援するかのような「侵略」という表現を何故繰り返して「国立機関の展示で国民教育しているのでしょうか?
敵対国は相手国の領土拡大を侵略行為と言いたがりますが、自国の領土拡張拡大を「侵略行為だった」と必要もないのに敢えて国家機関自ら言う国はないでしょう。
ロシアは15年のクリミヤ併合を「我が国の侵略後支配下に入った」と自分では言っていないと思います。
まして「侵略」という言葉もないような1609年の自国の行為を政府自から「侵略した」という国がどこにあるでしょうか?
先の大戦で日本が東南アジア諸国に進出しましたが、それを見方によれば侵略とも言えますし、欧米のアジア植民地支配からの解放戦争だったとも言えます。
もちろん日支事変の見方も分かれます。
いずれにせよ、日本政府がなにかで挨拶する都度聞かれてもいないのにわざわざ「先の侵略戦争では・・」と毎回挨拶する必要がないのが普通です。
何か言及する必要があるとしてもせいぜい「先の戦争では大変ご迷惑をかけました」という程度でしょう。
少しでも言葉を婉曲的にすると左翼・文化人が「侵略戦争に対する反省の念が足りなない」と大騒ぎするので、相手国・特に中韓では日本国内でさえ問題になっているのに我が国が黙っていて良いのか!となって中韓等の相手国政府もそれに反応せざるを得ない関係が起きます。
この繰り返しが大きくなったのが慰安婦騒動や靖国参拝などで日本と中韓との感情対立・政治問題の象徴になってしまい、お互いの外交の棘になってしまった原因です。
東南アジア諸国ではこの扇動に乗らないのでうまく行っていますが、中韓両国が対日交渉を有利にするためにこれを利用し(有利にするために左翼をそそのかしていた黒幕かどうか不明)たことが、「千年でも恨みが残る」とパク前大統領が公式発言するほどの長期的禍根を残すタネになってしまいました。
中韓両国が対日友好路線に梶を切替えようとしても、歴代政権が自己の政治権力維持のためには「反日を煽って損はない」という計算で前政権よりさらに過激な主張をする繰り返しで反日教育をして来たために、今更切り替えると政権の命取りになる・・難しくしてしまったのです。
パク大統領が政権当初から反日で突っ走っていたものの、最初は初めて聞いた第三国は「そんなことがあったの!と同情的対応しますが、あまり激しくやったために日本が反撃を始めると結局は事実の方が強いのです。
逆に世界中で相手にされなくなりパク大統領が孤立するようになった結果仕方なしに日韓合意になっわけですが、その途端に国民不満が高まりどうでも良いようなことで国民感情の赴くまま大騒動になって失脚しました。
日韓合意批判票を集めて当選した文大統領は、当選後国家間合意を破るわけに行かず「国民感情が・」と日本への理解を求めるしかない立場です。
そういう感情を育ててきた自分で責任を持って処理するしかないでしょう・これが大人のやることです。
日本との友好復活以外に国の活路がないので、煽って来た徴用工問題その他日韓の棘を前にどうやって良いか、困りきっている状態が見えます。
歴博は日本の国立機関・正式には「国立歴史民族博物館」ですから、漆の解説には何の必要もないのに敢えてそう言う刺激的な説明文を付する必要があるのでしょうか?
学問世界では占領軍に迎合した反日思考が幅を利かせ・今では中韓迎合歴史観でないと出世できないという刷り込みがはびこっているのではないでしょうか?
私自身歴博の政治批判がどうなっているのか知りませんが、事実を積み上げていく研究レベルが高いこと・・地元千葉県にあって簡単に行けることをありがたく思っていますが、漆の説明をするのに侵略によるかどうかを買う必要があるかどうか不明な事柄で歴博が政治評価にをなぜ頭を突っ込む必要があるかの疑問を抱いて帰ってきました。
気になってネットでちょっと調べて見ると以下の騒動があったことがわかりました。
https://blogs.yahoo.co.jp/nipponko2007/36816912.htmlからの引用です。
産経ニュース(2010.4.7 19:08)
沖縄戦の展示内容を再検討 抗議殺到で歴博 千葉
瑞慶覧長敏衆院議員は2009年の総選挙で自民党を破った民主党議員。政権交代の 後遺症がこんなところにも現れている。
結局、一部市民団体(プロ市民)と沖縄サヨク議員の抗議を呑んで展示内容の変更を決定。
その後の様子を産経記者が伝えた。
産経ニュース(2010/5/23)
【日本の議論】評価定まらぬ「現代史」 国立博物館はどう展示しているか?
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100523/edc1005230701000-n1.htm
ところが、昨日、更に抗議を受け容れて「軍人の指示があった」と明記するに至った。
読売新聞(2011/1/6)
沖縄集団自決、軍人の指示明記 歴博が説明変更
衆参議員で総数700人以上もいる中で 一人二人の左翼政治家がねじ込めば、学者が学問の自由を言わずにすぐに国民支持率わずかな左翼系政治家の主張にすぐに応じるのが不思議です。
国民大多数の支持を受けている政治家がうっかり苦情を言うと「学問への干渉だ」と大騒ぎして抵抗する学者やメデイアの偏頗な方向性が不思議です。
この事件以来沖縄に関する表現を全て左翼系の希望する方向に変更している歴博の基本方針がか固まったのか?この習慣が漆の紹介文にさらっと出たのかもしれません。
国民の知らぬ水面下でこんな地道な学問分野でまで、この種の思想定着運動がシコシコと浸透していたことが分かり驚きました。
左翼・文化人は人道主義の名の下で日本は侵略国家・そもそも沖縄や北海道は日本の固有領土ではないというイメージ流布に骨折っているように見えます。
こうした水面下の浸透作戦を国内外(国連を含め)で着々と浸透させているようですが、彼らは日本を本当に愛しているのでしょうか?
歴博館長であった平川南氏が朝鮮・韓国関係重視?で右翼の攻撃を受けているとの噂がありますが、(どういう理由か知りませんが・・)少なくともこうした歴博の基本姿勢が背景があるようです。
ネット検索してみると以下の記事が出ました。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1013465999.html
 2) 国際シンポジウム「『韓国併合』100年を問う」
  2010年8月7・8日の両日,東京大学弥生講堂一条ホールで「国際シンポジウム「『韓国併合』100年を問う」が開催された。主催は国立歴史民俗博物館,共催が「『韓国併合』100年を問う会」,後援に岩波書店,朝日新聞社。このシンポジウムには1000人超える聴衆が参加した。
このシンポジウムは「植民地主義を克服し,問題解決の転換期に」という狙いのもと,2日間で4つのセッションと特別セッションが開かれ,27人の学者・研究者らが幅広い視野・視点から講じ,「韓国併合」100年について問題提起と発言をおこなった。」
国立歴史民俗博物館の平川南館長は開会のあいさつにつづき,韓国の成均館大学校東アジア学術院教授の宮嶋博史があいさつに立った。同シンポの意義について「『韓国併合』にまつわる諸問題がいまだ解決していない状態のまま,101年目を迎えてはならないという思いからこのシンポを開くこととなった。この問題解決の転換期になれば」と述べた。
そもそも日韓併合後の政策を欧米の過酷な植民地支配と同視する議論じたいに批判がある中で、上記のようなテーマを掲げて公費を投じてシンポジュームを開くこと自体が偏っていると言う批判がありうるでしょう。
内容が紹介されていませんが、概ね日本の「植民地支配」を「否定する人がいるのは困ったものだ」「反省が足りない」的な主張が圧倒的に支配する会合になっていて、この運営に関して批判を受けているのかも知れません。

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