共産党基本方針で踊った民主党の失敗2(奥田氏国旗意見陳述1)

全共闘運動〜過激派が暴れるだけ暴れて社会からそっぽを向かれて正気に戻って?社会復帰したのが大多数でしたが、一部は開き直ってさらに過激化し内部抗争に走ってより一層社会から相手にされなくなって行きました。
中核派と革マル、社青同解放派などその時代の有名運動体は今でも一定の組織力を持っていますが、社会的意義が全くなくなっているという意味で書いています。
やむなく過激活動から足を洗って普通の社会人になり、あるいはやむなくまっとうな政治活動の範囲にとどまっている人たちにとっては、見果てぬ夢よもう一度というのが、民主党政権挫折後の動きだったのでしょうか?
その頃メデイアが持て囃した昨日紹介した新芸術運動家のその後は全くパッとしない印象ですが、私の偏見でしょうか?
今時の若者は現在の中高年世代と違ってスマートになっていて、言語表現であれ体力に任せる剥き出しの粗暴行動であれ、粗暴表現に親和感を抱く若者は減る一方・・ごく少数化しているはずです。
シールズの立ち上げは野党共闘を実現するための接着剤として共産党の仕掛けだったようにみえますが(もちろん証拠がない・外形からそのように推測できるというだけです)、鬱屈している民主党がまんまとその仕掛けに乗ってしまい民主党の名でシールズの奥田氏を国会推薦したなどの結果、奥田氏やシールズの非常識意見開陳は全て民主党や旧社共系野党の本音の露出出ないかの疑念を強めたでしょう。
すなわち日頃から表現の自由を声高に唱えながら自分の意見が通らないと暴力や粗暴言動に訴えたい体質政治集団の本音を見たというイメージ定着です。
口を開けば国民の声を無視するな!という合唱ですが、国民の声を無視してひとりよがりを言ってるのは自分の方でないのか!の無言の批判・・いつも真逆の主張が多いという印象を強めます。
人民の声など正面から無視をしている共産圏で、人民民主主義共和国と名乗る矛盾をそのまま体現しているような政治スタイルです。
社民党が沖縄での反基地闘争もいつの間にかしばき隊と共闘するような外見ができてしまうなど現在のジリ貧の遠因ではないでしょうか?
こういう無茶な(本音を持っている)政治運動する政党に国政を委ねられないと感じた人が多数だったことになります。
人民の声など無視の共産圏で、人民民主主義共和国と名乗る矛盾をそのまま体現しているような政治スタイルです。
シールズの主張?と言えるか煽り行為が、若者大多数の支持を受けていたどころか反発を受けていたとも言える選挙結果(自民党支持率が20代で最も高いのが現状です)でした。
14年12月の総選挙、16年参院選と選挙のたびに民主党〜民進党は議席激減して行き、18年総選挙直前についに党を維持できなくなって希望の党騒動を経て事実上の党解体に陥りました。
解体後の新党も結党時比で現在半分〜3分の1の支持率に沈んでいますので、国民大多数、過半数の反対を尊重しろと勇ましいことを言いながらも、総選挙が近ずくとシュンとしてしまう関係です。
一方仕掛け人と見られる共産党は、シールズとの関係を表に出さず民主党に譲って、火の粉を浴びずしぶとく生き残り、7月15日紹介した通り今も調査機関平均支持率2%(国民民主支持率は0、何%前後に下がっています)前後を維持して堅調です。
奥田氏は国会では群衆相手ではないので (いうべき意見を持ってれば)まともな意見を述べたのでしょうか?
どういう意見を述べたかを、ネット検索すると以下の通りです。
まずNHKです。
https://archive.is/20150915140910/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150915/k10010235751000.html#selection-553.0-553.230^

野党が推薦した、法案への反対を呼びかけている学生などのグループ「SEALDs」の奥田愛基氏は「『SEALDs』は、注目を集めているが、安保法制に対する国民的な世論は私たちが作り出したのではない。この状況を作っているのは紛れもなく与党の皆さんで、安倍総理大臣の理解し難い例え話に不安に感じた人が国会前に足を運び、全国各地で声をあげ始めた。国会審議を異例の9月まで延ばした結果、国民の理解が得られなかったのだから、結論は出ている。廃案にするしかない」と述べました。

【緊急アップ!意見陳述全文掲載】「今日は、国会前の巨大な群像の中の一人として、ここにきています」SEALDs奥田愛基さんが参院で堂々意見陳述「安保法案」に反対を表明!

緊急アップ!意見陳述全文掲載】「今日は、国会前の巨大な群像の中の一人として、ここにきています」SEALDs奥田愛基さんが参院で堂々意見陳述
「安保法案」に反対を表明!
2015.9.15

全文をかいつまんで読むと、平和を守れとか、国民が反対しているから反対という主張中心で法案のどこがどういう問題かの具体論がない印象ですので、NHKのような要約になったのでしょう。
全文は以下に出ていますので明日以降、部分的に引用していきます。
全文自分で読みたい方は以下をお読みください。

【緊急アップ!意見陳述全文掲載】「今日は、国会前の巨大な群像の中の一人として、ここにきています」SEALDs奥田愛基さんが参院で堂々意見陳述「安保法案」に反対を表明!

共産党基本方針で踊った民主党の失敗1(全共闘時代の縮小復活?)

民主主義とは合理的対話討論を経てより良き意見を選び良き社会を目指すものであり、衆愚政治を理想とするものではありません。
弱者のストレス発散の場としては、おしゃれなカフェその他の憩いの場を与えたり、各種イベントやお祭り騒ぎ等に参加させて活躍の場を与える必要がありますが、表現者が情緒に訴える表現力を利用して政治不満を煽り社会混乱を煽るのは筋違いであるし、社会にとってマイナスです。
シールズに関するウイキペデイアの記事中に以下の意見も出ています。

安倍政権倒閣運動
産経新聞は、2016年3月13日に新宿アルタ前で、日本共産党委員長の志位和夫ら野党幹部が演説する前でコールしているが、なかには「保育園落ちたの私だ」などと大声で叫ぶ者もおり、「もはや何のための集会か分からない。単なる安倍政権批判の集まり」、「安倍政権が何やらとんでもない悪さをしており、このままでは明日にでも戦争が始まるのではないか、という嫌なムードを周囲に伝播させるには十分なイベント」、「いくら野党といえども、公党が、これほどめちゃくちゃなデマゴーグを不特定多数の有権者の前で述べるわけにはいかないだろう。だからこそ「彼ら」が叫んでくれる無責任な誹謗と中傷が必要であり、多少の行儀の悪さには目をつぶってでも、利用価値は十分過ぎるほど高いのだ。」と評している[69]。

上記紹介の通り、シールズの反安保集会はまともな政治集会になっていないのが実態でしょうし、大手メデイアや革新系野党は民主党政権の挫折による手詰まり感打破のために、一方で低劣感情に訴える稚拙な表現者を利用し、他方ではしばき隊のような剥き出し暴力組織を大規模報道→ヒーロー化するなど両輪としていたように見えます。
しかし合理的議論を避けてこの種の手法に頼るようになると日本のように 民度の高い落ち着いた社会では衰退を早めるだけです。
落ち着いた議論を捨てて街頭行動へ駆り立てた(昭和35年)60年安保に始まって昭和40年代以降の全学連の大衆(全共闘)化?→凶暴化が急速に進むと一般学生が学生運動に距離を置き、一般労働者が過激系労働運動と距離を置くようになって息の根を止めたのと同じことを「夢よもう一度!とばかりに左翼系メデイアと現代野党政治家は小型化して再開したのでしょうか?
思い起こせばその頃共産党はソフト路線で「歌って踊って民青」という標語で学生を勧誘していて社会党系は学生の派手な街頭行動・象徴的には新宿騒乱→成田闘争がピークでしょうか?の過激派と共闘し応援?する立場でした。
なんとなくソフト系シールズの動きが当時の民青をレベルダウンさせた印象で重なりそうです。
公党の先生方が恥かしくて口に出せない本音を、代ってドンドン言ってくれる代弁者若者を共産党が仕立て上げたら、大手メデイアや民主党〜民進党も出口なき低迷ストレス発散のために?マンマと乗せられてしまったのでしょうか?
そういう過激活動時代の縮小再現?の視点で見直してみると、数年前に千葉市美術館では全共闘時代を懐古する美術展が企画されていました。
私より4〜5歳若い世代の高齢者.団塊の世代が青春時代の懐古趣味で盛りあがっている様子でしたので企画としては成功した感じです。
ひどい馬鹿騒ぎの時代だったと思っている立場で見るとその時代の前衛芸術と言っても何もならない破茶滅茶だっただけの再確認・・恥を晒しているように受け止めましたが・・。
横尾忠則の大きな1万円札の模造など・・その他街頭で白衣を着て消毒して歩くなど奇妙な行動など..独り善がりでしかなかった・ことをもう一度見直すためにやった企画の印象を受けました。

千葉市美術館 企画展「1968年 激動の時代の芸術」が開催されます。

1968年 激動の時代の芸術

会期 2018年9月19日(水)~ 11月11日(日)

一部引用—
50年前の芸術はこんなにも熱く激しかった
本展は、1968年からちょうど半世紀が経過した2018年の視点から、
この興味深い時代の芸術状況を、現代美術を中心に回顧しようとする試みです。
この時代の芸術を輪切りにして展観することで、新たに見えてくるものがあるのではないでしょうか。
磯崎新、赤瀬川原平、高松次郎、0次元、横尾忠則、宇野亜喜良、寺山修司、唐十郎、
シュウゾウ・アヅチ・ガリバー、土方巽、林静一、森山大道、関根伸夫ら個性的な顔ぶれが
縦横無尽に活躍した時代の熱い雰囲気を、この展覧会で感じ取っていただければと思います。

日大全共闘という学生運動の4〜5年前から、社会不適合の高校生が校舎のガラスを割ったり蹴っ飛ばすような事件が流行っていましたが、進学率急上昇によってその世代が持ち上がって学生になり社会人になって不満で仕方なく暴発していた印象です。
学生も労働者も社会のエリートではなくて底辺層に放り込まれた不満の発散運動のイメージで、素人の失礼な感想ですが、街頭芸術運動家も芸術志望者の底辺だったのではないでしょうか?
一般学生の大衆化同様に美大や芸大出ただけではエリート芸術家の道が保障されない時代がきていたのです。

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