イタリアでは地震学者が有罪判決を受けたことが大ニュースになっていましたが、単なる笑い話として受け取るのではなく、我が国に置き換えるとよく分ります。
原発施設の場合は地震予知のように学問的に不明な事柄ではなく、備えをどこまでしておくべきだったか否かと言う初歩的ミス・・問題点が分っていたのに費用を惜しんで敢えて準備しなかった疑いが濃厚ですから、まさに刑事面から厳格な捜査をするべき分野です。
刑事面に限らず政治責任を含めて責任問題をどうするかを論じる気配すら全くないまま、再稼働準備・新基準のテーマに絞ってしまうのでは、消化不良のママ先送りになった印象になります。
原発事故当時の緊急対応に局限した事故調査ではなく、むしろ事故前の基準作りに責任がなかったのかミスがなかったのかこそ、長期的視点で検証することが重要でしょう。
事故当時の対応のミスばかりあげつらって肝腎の事前にあるべき安全基準策定ミスの有無を問題にしないはおかしな議論です。
原発事故後の対応を見ていると、交通事故や火災や爆発事故が起きたときに駆けつけた消防車や救急車の対応ばかり議論していて、交通事故や火災の原因究明・調査・責任者処罰等を放置しているやり方です。
原発事故のまじめな総括から入って再稼働の是非を決めて行く(きちっと検証して不備な点を明らかにした上で、今度はどうするという議論が必要というだけで必ず責任者を出せという意味ではありません)のが筋ですが、これをしないまま貿易赤字が大変だからという理由で、うやむやに決着すると将来に禍根を残すでしょう。
年金資金不足(喪失)に戻りますと、信託銀行に預けておけば5年で1、5倍、10年で2倍になる時代に預けていたのに何故40年もたって2倍にしかならないのか、その資金・元金自体どこへ消えてしまったのか等々について政府がきちっと説明する必要があります。
財投に使ったり、高齢者不要に使ったり、住宅ローン用に低金利で貸したために運用益が悪かったとかいろいろあると思いますが、正々堂々と主張して国民の理解を得るのが筋でしょう。
自信がないためか、資金の使い道の説明を全くせずにれに、世代間扶養・・「掛け金の合計と支払額は関係ない制度だった」と言い張り始めたのですが、・・これを裏返せばこれから掛ける人(次世代)に対しても「あなたの掛けた以上払うとは限りませんよ」と宣伝しているのと同じです。
それどころか4日に紹介したように、「これから掛ける若い人は払った以下しか受けられない」と学者を動員してしょっ中大宣伝しています。
自分の掛け金総額以上に払ってくれる可能性が低いのでは誰でも納付するのはいやでしょう・・払ってくれるかどうか当てにならないのでは、無理して掛ける気持ちにならない・・年金不信が起きて来るのは当然です。
その結果、公的年金不信になって(公的年金を積むのをやめて)民間年金契約をする人が増えているのは理の当然です。
民間では、次世代の加入者数に関係なく約束した年金を払うのが当然で、まさか後続の加入者次第ですと言えません。
現在の世代間扶養説の流布・マスコミを通じた洗脳は、後の加入者次第でいくら払えるか分りませんという結論ですから、行き着くところ国民に公的年金を掛ける気持ちをなくさせる・・納付意欲減退作戦・目的と同視出来ます。
政府はこのような宣伝を通じて何を達成しようとしているのか疑問ですが、公的年金を縮小廃止して民間移行を奨励しようと考えている・・ひいては年金制度の維持をまじめに考えていないとしか考えられません。
年金問題を解決するためなら「安心確実」がセールストークなのに、逆に「次世代次第で払うかどうか分らない制度だった」→「これからもそうだ」と主張し始めたのでは話になりません。
この論法では「これから公的年金掛けたら損する」と政府が宣伝しているのと同じですが、同時に民間年金契約の普及が始まりましたので、生命保険の加入者減に見舞われている生保業界からの働きかけ・・救済を始めたのでしょうか?