お祭りと観光資源

ちなみにウインブルドン大会やカンヌ映画祭・バイロイト音楽祭が盛況だからと言って、現在その地の文化・スポーツ受容能力・・市民レベルとは関係がありません。
これらは過去の栄光や仕掛けの成功等で域外から多く人が集まるだけであって、カンヌの人が多くの映画を見、バイロイトに住む人々が今でもみんな音楽祭の切符を買ってこれを支えていることにはなりません。
ハイレベルの音楽を楽しむために国外から多くの金持ちが集まり、(高額切符を買い高級ホテルに泊まるでしょうが・・)他方地元の人たちはホンの数%も入場しておらず、ホテルの従業員やハンバーガーを売ったり切符キリをしているだけかも知れません。
そうとすれば、その外形的繁栄・・高級ホテルやレストランが満員になりあちこちで華やかなパーテイが開かれていても、地元民は宴会場の掃除夫やウエーターやウエートレスやタクシー運転手ばかりでは地元民にとって空疎なものと言うべきでしょう。
やはりパーテイに参加出来る身分でいたいものです。
日本でも伝統行事復活を町起こしなどとマスコミが推奨してほめる記事が何十年も続いていて、これを批判する報道は皆無ですが、極論すればエジプトがピラミッドで食っているのと同じことをしようとしているに過ぎません。
東北のチャグチャグ馬っ子や竿燈祭り、ねぶたや流鏑馬など、それぞれに生活背景があって過去に存在したことに関して歴史上意味がありますが、生活の場から馬がいなくなったり祭りを支えていた生活習慣・必要性がなくなっているのですから、今では懐旧の情に浸り、あわせてこれを観光資源として重宝しているだけではないでしょうか。
伝統行事を維持すること自体に水をさすつもりはありませんし、私も古くから続く伝統行事や遺跡・芸術品を見るの好きですし感動しています。
自分の家に国宝・名品があるのは家門の誉れですしこれを維持し子孫に残して行き時々自分で鑑賞し味わったり誰かに見せてやるのは良いですが、これを他人に見せることを仕事(生活費・収入源)にすると問題が違ってきます。
立派な家屋敷/庭園を楽しむのではなく、これを入場料を取ってみせる・・自分が受付や庭やトイレの掃除・草むしりにいそしむようになるとどちらが上か分らなくなります。
ココでは伝統行事・芸術品の宣伝・・観光客誘致を期待する報道・・経済的意味から書いています。
各地のお祭りの維持継続には無形文化財的担い手が必要・技術伝承という点が、エジプトやギリシャ等の遺跡保存とは違っていますが、これも国宝の刀剣や彫刻を磨く職人が必要なように過去の遺物を動的再現している違いがあるだけです。
これを収入源にして行こうとする以上はエジプトやギリシャがピラミッドなどの遺跡を維持してその前でハガキなどを売っている・・・観光客を呼び込んで食って行こうとしているのと本質が変わりません。
現在の生活がそのお祭りに結びついていて、生活に息づいている・その生活習慣が何かの勉強になるとして違った生活方式の勉強のために他国の人が見学するのならば、それも意味があるでしょう。
他国の人が今の東京や日本の田舎の生活を体験する・いわゆるホームステイなどがそれです。
海外で現在使ってもいない民族衣装をまとった集団の踊りなどを見ても、それは時代劇等を見ているのと同じ・・単なる見せ物に過ぎません。
北海道のアイヌ部落でのいろんな見せ物を見たことがありますが、同じ日本人だからか、却って痛々しい感じがしたのは私だけでしょうか?
日本各地のお祭り・・特に小さな神社仏閣の宗教行事は維持しなければ・・という熱意だけで観客など関係なしに維持して来た行事が基本ですし、それなりに意味があるでしょう。
各種行事が本来の目的を離れて観客(収入)を目当てにして行くようになると、生活からにじみ出した精神や宗教本来の精神が失われ、外国人から見ればそう言う(見せ物的)位置づけになってしまうのではないでしょうか?
ウインブルドン現象と言いますが、元はテニス大会が盛んなほど地元でテニスが盛んな場所であったのでしょう。
今では海外から人が押し寄せる人やテレビ等の放映権収入に頼って開催しているのであって、地元のテニス人口の入場料でその大会を維持出来ているほどテニスが盛んな訳ではありません。
大会で集まる外国報道陣や関係者の落とすお金を有り難がっている・・観光資源になっています。

貿易収支の均衡2(資源投資)

海外投資にも、商工業関連の投資だけではなく、資源採掘権などへの投資もあるのですが、この分野では我が国ではまだ始まったばかりです。
投資とはまさにこうした超長期の採掘に投資して、リスクを分担することですが、資源関連は((試掘であれ・・)採掘を始めるには巨額資金がかかりますが、「山師」というほどで掘ってみないと中るかどうか分らないすごいリスクのある投資です。
日本で世上言われている投資家とは殆ど株の上下に期待して投機している人を言うので、本当の投資家が育っていなかったのです。
機関投資家などと言っても、寝ている間のニューヨークの相場の動きを調べて今朝の売り買いを決めているような人を一般に言っています。
彼らは投機屋と言うべきでしょう。
日本で資源関連に積極的に投資して来たのは、機関投資家ではなく、三菱商事、三井物産など商事会社でした。
繊維系企業の変身成功の例として東レやクラレを正月に紹介しましたが、商事会社も従来のように口利き料(口銭)で生き残るのが難しくなったことによる大変身の1つの例です。
商事系企業は資源に限らずいろんなプロジェクトのまとめ役として世界中で活躍しています。
勿論変身成功せずに消えて行った商事会社も、有名な安宅産業倒産(石油精製業への進出失敗)だけでなく一杯あります。
今のところ資源関連投資は日本の黒字蓄積による円高解消に資する上に、無資源国の弱みを緩和出来るなど今のところ良いところだらけです。
ただ、資源採掘権はナショナリズムの影響を受け易いので、余り深入りするのは危険ですので、当面は合弁ないし一部の株式取得から入って行くのが安全でしょう。
過半数・支配権を持つようになるとイキナリ採掘禁止・あるいは上納金の引き上げ外国人株式保有の制限などで嫌がらせされてしまうとどうにもなりません。
資源だけというよりは商事会社のようにいろんな分野の開発プロジェクトの取りまとめをしているうちに、投資技術・腕が磨かれて行った結果とも言えますので、 世界に例のない我が国独自の業態である商事会社の発展は我が国の救世主になる可能性があります。
英米のようにあるいは古くはベネチア共和国のように金融で生きて行くのは危険です。
英米は産業革命後覇権を握ったものの、製造業の衰退後はベネチアの金融立国の真似をしているだけで、独自性がなくて行く詰まっていると言えます。
金融に頼ると弱くなる・・ベネチアが最後は駄目になったのは、相手が踏み倒せば、貸している方もおしまい・・借り手に運命を左右されてしまうからです。
この点は我が国も心しておくべきことです。
製造業→金融が駄目ならば観光と、日本の識者は直ぐに何でも西洋の真似をしたがりますが、こういう虚業では国が持たないことはベネチアの歴史が物語っているとおりです。
ベニスに観光客が多いことは確かですが、観光客からのおこぼれで食べているイタリア人はイタリア人の中で底辺層になっている筈です。
我が国でもどこでもそうですが観光地の入口で土産物を売ったり食堂で働く人、切符を売る人が観光客よりも裕福であることはありません。
観光にシフトすることは国民を外国人のサーバントにしてしまう政策です。

鉱物資源で生活する社会3(ナウル共和国)

今の中国で戦略的に主張している希土類と同じで、誰も見向きもしなかったしょうもないものが科学技術の発達によって、イキナリ脚光を浴びることが有ります。
これの1世紀くらい前の原初版と言うところでしょか?
鳥の糞の堆積物であるリン鉱石が、化学肥料等の発達で注目を集め高額で取引されるようになって、燐鉱石の採掘権益が生じました。
その権益収入だけで国民全員(と言っても1万数千人程度)が生活出来るようになり、公務員のみならず国民は年齢に応じて一定の給付金を得られることとなって全員が遊んで暮らして行けるようになったそうです。
リン鉱石の採掘作業は外国企業と外国人労働者に委ねて、全国民(と言っても1万数千人)が遊んで暮らしていたのですが、80年ほどで資源・リン鉱石(鳥の糞の堆積物ですから当たり前です)が枯渇してしまい、いきなり無収入になってしまったそうです。
燐鉱石がなくなって収入ゼロになったのですが、国民は遊び暮らすのに馴れてしまって勤労意欲がなくなってしまい、最貧国になっても何の仕事もできなくなってしまいました。
先祖伝来の漁法も忘れてしまって誰も何も出来ません。
どうにもならなくなったことから、避難民を受け入れることでオーストラリアか、国際機関からその代償金を支給されて何とか食いつないでいるらしいです。
この点資源国でもアラブ産油国は、王族以外の庶民は働かないと駄目らしい・・貧富格差が激しいので、却って庶民の勤労意欲までは喪失していないらしい様子です。
格差の大きい社会も捨てたものではないと言えるのでしょうか?
アラブ産油国も、自国民があまり働かず外国人労働者に大きく依存している点では共通の問題があります。
我が国は昔から金の産出国として(黄金の国ジパングとして)有名なことはマルコポーロの東方見聞録を通して誰でも知っている通りですが、金だけではなく、銀の方も戦か国時代末期から江戸時代の初め頃に掛けては我が国は銀の輸出で潤っていました。
日本の当時の銀輸出量は年間200トンと言われ、当時の世界総生産量は新大陸の鉱山開発によって激増していたにも拘らずもまだ年間400トン前後しかなかったと言われ
ますので、(いろんな意見が有ります)日本の銀生産量(全部輸出していたのでは有りません)の膨大さが分るでしょう。
新大陸の鉱山開発前の石見銀山を中心とする我が国の生産量は世界生産量の3分の2を占めていたと言われます。
(今のようにきっちりした統計のない時代ですので、人によっては半分という人もいますし、3分の1という人もあるなどいろいろですが、いずれにせよ莫大な銀の輸出国であったことは間違いがないでしょう)
日本は金銀の輸出で今のアラブ産油国並みのぼろ儲けの時代が何百年も(マルコポーロの時代から数えても大変な期間です)続いていたのですが、怠ける方には行かなかったのは歴史上唯一の例外でしょう。

利子・配当収入(鉱物資源)で生活する社会2

対外債務国に転落した時点でいきなり「所得収入(利子・配当等の送金が)ゼロまたはマイナスですから働いて下さい」と言われても、それまで100年近くも働かないで輸入品に頼った生活をしていると技術喪失してしまっているのが普通です。
対外債務国に転落したときにいきなり輸入品に負けないほどの仕事を出来る訳がないのでそのときのことを今から(余計なお世話かも知れませんが・・・)心配しています。
今のアフリカ諸国のように、どうにもならない状態に陥ってからでは遅いのです。
尤もアフリカ諸国は一回も先進技術を持ったことがないのに比べれば、一度世界最先端でいた日本が復活するのは可能ですが、それにしてもそのときには大変なことになります。
昨日製造業で失われた雇用が570万人と紹介しましたが、570万人そっくり失業するのではなく、介護等福祉やその他サービス分野で吸収しているので、ある程度みんなが働いているのですが、国際収支が赤字になったときに必要な技術は老人介護・やサービスではなく製造して輸出する能力です。
保育園や床屋さんや居酒屋が世界的に有名になって日本まで散髪に来たり子供を預けに来る人、飲酒に来る時代がくるとしても、極例外で数は知れています。
介護や医療技術は一部輸出出来るかも知れませんが(フィリッピンのようにベビーシッタ−を富裕国へ輸出して出稼ぎ労賃の本国送金も有りますが、そんなことを期待するのは悲しい話です)これらの基本は支出型・輸入赤字産業でしか有りません。
医療や福祉保育士などの需要がいくらでもあるという論説が多いのですが、これまで何回も書いて来たように、これらは国際収支で見れば海外からの輸入があって(輸入資金があって)成り立つ産業でしか有りません。
一家に喩えて何回も書いていますが、働き手が失業して手が空いたからと言うことで庭掃除をしたり、老母の病院への送迎あるいは身の回りの世話をして働いているとしても、一家の収入がないことは同じです。
貯蓄を食いつぶしたころには、以前働いていた技術が陳腐化してしまって最早どこも雇ってくれないとしたら、馴れている老人介護しか仕事が有りません。
これを国家に当てはめると、蓄積が底をついた頃にもう一度輸出産業を起こそうとしても誰も技術がないので、そのときに元気な中国や韓国の掃除夫や介護士・子守りとして出稼ぎに出るしかないということでしょう。
所得収支の黒字(対外債権の蓄積)は、今回の大震災等のような被害が続いた場合の備えとして5〜10年分食べて行ける程度の臨時の備えとして役に立つ程度にしておくのが健全で、それ以上溜め込むのはむしろ害があるとも言えます。
個人の場合で言えば、景気の悪いときあるいは病気等に備えて一定の蓄積が必要としても一生遊んで暮らせるほど、溜め込んでしまうと働くことを忘れてしまう害があって行き過ぎです。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」と古来言われますが、多すぎると亡国(個人で言えば亡家?)破綻の危険が有ります。
金融資産であれ地下資源であれ蓄積が多すぎて、自分の一生どころか次世代3世代まで遊んで暮らせるほどもあると次世代以降が怠けてしまうリスクが大きくなります。
どこかで読みましたが、ナウル共和国という珊瑚礁の国のお話は示唆に富んでいますので次回以降紹介しておきましょう。

利子・配当収入(鉱物資源)で生活する社会1

平等意識の強い我が国でも高度成長期から大分期間が経ってくると、親世代が有能で高収入を続け、ある程度金融資産を残して、あるいは巨額株式保有をしていて死亡した場合、次世代以降が無能でもその巨額株式等の遺産で贅沢できるさらなる不平等時代が現出します。
個々人の区別はできないとしても総体で見れば、わが国の対外純資産分だけ貯蓄が積み上がっていると言うべきですから、(赤字財政・・年金赤字+国債残高の増加で「子孫に借金を残すな」の合唱ですが、実際には)この純資産分だけ、貯蓄を次世代に残す勘定になります。
この純資産を国民が平均保有しているなら話は別ですが、持っている人と全く持っていない人がいる・・偏在しているのでこの格差が次世代には大きく作用します。
仮に預貯金がゼロに近くても普通の中堅ホワイトカラーでも都市住民の場合、かなりの人が東京都内・近郊に一定の土地建物・マンションを保有しています。
市営・県営住宅等に住んでいて何も残さない人の次世代との比較では、一戸建てあるいはマンション保有者との生活費負担に大きな格差が生じることを、都市住民2世と地方出身者の格差としてFebruary 5, 2011都市住民内格差7(相続税重課)」まで書いたことが有ります。
巨額金融資産保有者として我が国の有名なところでは、ブリジストンのオーナーの娘で鳩山元総理の母親が目もくらむような巨額遺産を相続していてその資金が鳩山元総理などに流れたことが、政治資金規正法の虚偽記載に繋がって政治問題になったことは記憶に新しいところです。
鳩山兄弟は無能で遊んでいるのではありませんが、鳩山兄弟は政治家として有名なので明るみに出ましたが、社会の表面に出るのは氷山の一角に過ぎないと言えます。
我が国でも高度成長期に巨大企業化した数多くの企業オーナーの子孫の時代が始まっていますので、お金の使い道がなくて遊んで暮らしている人が一杯いる筈です。
大王製紙の会長が(2世〜3世?・どら息子の典型?)が子会社から100億近い借金をしたとマスコミを騒がせてでいるのもこの氷山の一角の一例です。
我が国はお金持ちであることを自慢しない社会ですので、彼らは目立たずひっそりしているだけで、我が国も(知らないところで巨万の富の上で遊び暮らしている人が増えている)アメリカ並みの格差社会に近づきつつあります。
このように国際収支が貿易赤字なのに所得収支で均衡を維持したり黒字を計上している国では、真面目に働きたくとも製造現場が減る一方で失業者が溢れ、(今朝の日経新聞第一面では、製造業が国内総生産の3割を切り、GDPは過去20年で48兆円減って雇用者数は570万人減少したと有ります。)その内に働く意欲が薄れ、国民の健全性が次第に蝕まれて行きます。
円高対策として海外進出しても、海外で儲けて配当収入で黒字を計上出来れば良いという意見が目立ちますが、これは国際収支上の均衡を維持するための意味でしかありません。
その間の国民の生活(働かないで暮らす人が増えると技術の蓄積がなくなります)はどうなるのか、将来所得収支黒字(利子・配当・知財収入等)がなくなったときにどうするかの遠い将来を見据えた意見とは言えません。
いつかは預貯金は食いつぶすのですが、個人の場合は100歳(寿命のつきる)前後までの資金を用意しておけば、その先は残っていてもいなくとも良いと言えますが、国家の計画としては、その先のことも考えておく必要が有ります。
幸いか不幸か分りませんが、所得収支の黒字が大きくて次世代でも使い切れずに残っていて3世代先まで残せたとした場合の方が実は大変です。

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