相続税と貴族制

   

わが国では、日露戦争を契機に戦費調達名目に(近代税制としては)世界で最初に相続税が創設されたことを11/20/03「相続税法 10(相続税の歴史1)」のコラムで紹介しましたが、以来我が国では平等意識の強調によって拡大の一途ですが、これに対して欧米では日本のまねをして、臨時的に戦費調達で創設をしても、取りやめたりしていて廃止しないまでも税率が低く(4〜5%前後が多いか?)日本のように(3代でゼロになると言われるほど)過酷ではありません。
特に英米系(英米の外に香港、シンガポール、オーストラリアなど)では相続税がないか、あっても廃止の議論が盛んです。
この結果、今でも西洋の古城が、個人所有で残っています。
我が国では一定以上の資産家になると財団法人(美術館など)にしない限り、維持出来ません。
この違いは、明治維新がブルジョア(資産家による)革命ではなく(経済的に恵まれていない)下級士族による一種の社会革命だったことに由来するのです。
フランス革命時の貴族の置かれた立場を今の日本で考えれば、世界各国との自由貿易協定に進んで行ってくれないと困る産業界と困らない産業界(農業の中でも2種類に別れています)があって、(12月4日のニュースでは、韓国とアメリカのFTA協定成立が大きく報道されていました)我慢しきれない業界の支持を受けた政党が革命を起こそうかと言うことです。
(私は、日本の将来のために第二の開国の必要性・・そのくらいの時代が来ていると思いますが・・・)
反小沢かどうかが政治の中心テーマになっている昨今の我が国の政治はどうかしています・・政治家は何をするかをテーマにすべきです。
これに対して、日本の大名・武士層は明治維新=革命前夜には藩ごとの特産品開発に熱心でしたが、自分が主体となって事業家としてやるものではなく現在の市役所等と同様に、飽くまで役人の立場で産業を奨励するものでしかなかったので、どこの大名も産業資本家でも商業資本家でもなかったのです。
長州の毛利家が産業資本家に転化していたので維新に熱心だった訳ではなく、幕府に対する敵愾心が中心的エネルギーだったに過ぎません。
明治維新・一種の革命の原動力は、産業資本家ではなく下級武士層だったのですから、当然のことながら経済的自由を求めるエネルギーがその基礎になかったことが明らかです。
(そのスポンサーは長州の白石氏のような豪商がいましたが彼は産業構造転換必須性からスポンサーになったのではなく、単に長州藩あるいは高杉晋作のために協力したに過ぎなかったでしょうから、明治維新後次世代へ繋いで行く産業的功績を残せませんでした。)

フランス大革命と所有権の絶対4

貨幣経済化・・商品交換社会化の進展によって対象となる土地所有権の内容が画一化されて行き近代所有権観念が確立して行ったことや、所有権の確立・保障が西洋では大革命後の貴族の勢力維持に繋がったのに対し,日本では大名・武士層没落になって行った違いについては、ココ・シャネルの映画を見た感想に関連して08/10/09「大名の没落と西洋貴族1(所有権の絶対性1)」以下でインドの社会学調査の例を引きながら連載しました。
西洋貴族は産業革命の進展に連れて農民を追い出して産業資本家になって行ったので、フランス革命の頃には、産業資本家に転化出来ていたので、貴族=王党派と限ったものでなく、むしろ革命勢力の推進者にもなっていたので、ブルジョアワジーと重なっていたことになります。
「紅はこべ」やフランス革命時の物語では、マリーアントワネット救出などで貴族が活躍するので日本のイメージでは貴族=王党派だったと無意識に連想しがちです。
農民や庶民が王党派になりようがないので、王党派になるのは王家と接触のあった貴族しかいなかったでしょうが、貴族層の中の出遅れた少数派でしかなく貴族・騎士層の多くは革命側であったことになります。
国民兵になったのはナポレオン以降のことで、それまでは騎士その他の専業兵力だったのです。
漫画では農民や庶民・・いわゆる大衆が押し掛けて革命になったような場面が多いのですが、組織力のない大衆が押し掛けた程度では政権がつぶれません。
大衆による革命ではなくブルジョワジーと言うより武力を持った階層の多くが革命政権についたので成立したのです。
革命勢力が、貴族層全体を有力スポンサーとして大事にしたのは当然だったと言えるでしょう。
その制度的保障が、所有権の絶対保障の宣言・・これは上記コラムでも書きましたが、革命に協力した貴族層や資産家への恩賞として所有権の相続制とリンクして子々孫々までの永久保障だったことになります。
日本ではイギリスやフランスで大規模な革命があったことと「自由・平等・博愛」を教え込まれるのに、貴族が今でも続いていることに驚くのですが、上記のとおり貴族の中で産業資本家に転化出来た多くがブルジョアワジーに転身していて、自由に経済活動するには王制のくびきが邪魔になっていて革命の原動力になっていたとすれば、産業資本家に転身し損ねた時代遅れの少数貴族だけが王党派としてアンシャン・レジームに郷愁を抱いていたに過ぎないことになります。
ところで、当時絶対王政を否定して相対性(・・民主主義は相対性の原理で成立しています)の原理に進む時代精神にも関わらず、所有権に限ってわざわざ「絶対性」を新たに強調するようになったゆえんは、革命政権の担い手を絶対的に保障する必要があったものと解することが可能です。
王朝や幕府創設にあたっては獲得した権力・地位を自分の子々孫々まで保障し、同時に政権樹立の功労者にも本領安堵・子々孫々への保障をしてきたのと同じです。西洋近代革命政権思想の系譜を引く現憲法も所有権の絶対保障・・憲法を変えない限り法律で侵すことは出来ない制度保障をしていますし、それだけでは足りず法哲学として「所有権と言うものは、絶対なのだ」と言う学問が成立し、思想教育を広めて来たのが、近代社会でした。

憲法
第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

上記のように財産権の内容は法律で定めることが出来ますが、各種財産権は法で決めることが出来ても「所有権」自体の内容を法で変更したり定義付けすることすら出来ない、誰かにある物の所有権があるとすれば所有権の内容は、制定法以前に「絶対」的に決まっている関係になっています。

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