各種反対〜政治家の責任1

政策提案のうち何が重要かの方向が決まった後も、1分で5分でも政策実現を遅れさせるための議事妨害に一生懸命というのではその政治家が国家のために活動してきたかの疑問が生じます。
何が優先政策課題かを決めるための議論する権利義務と、どちらの推進する政策が多数の支持を受けるかの方向性が決まったのちの議決を先延ばし・抵抗するための議論のための議論にこだわるのとは次元が違います。
企業等で一定方向のプロジェクトが決まればその実現に向けてみんなで各方面に手を尽くすのが普通です。
自分の意見が通らなかったからと横を向いて協力しないようなことをしていると信用を無くすので率先して動くの一般的です。
国家にとって必要な政策を決めた以上は、国会議員を含めてその実現に向けて動き出すべきでしょう。
政策実現の遅れは、国家にとってそれだけの損失です。
多数の意見で「これが良い」と決まった政策実現を1分でも4分でも遅れさせるのに必死になっている人たちは、国家損失効果拡大を狙っていることになります。
もちろん野党としては政策の方向性に反対しないが、「その実現には最低こういうことを詰めておく必要があるという問題点を指摘しているだけ」という場合もあるでしょうが、それはまず方向性確認後法案では賛成し、政省令等の周辺事情の整備を求める次段階の議論であるべきでしょう。
企業でも多くの新プロジェクトは試行錯誤しながら修正を重ねて進めていくのが原則で、前もって何もかも見通せるものではありません。
今朝の日経新聞2pでは千葉県野田市の小4児童虐待死事件について、児童福祉司の対応について、傷害等の客観資料をもとに機械的に保護開始するのは難しくないが保護解除の見極めには5年程度の経験が標準的に必要であり、困難事案では10年程の経験がないと対応困難な事案が増えているとしたうえで、現在児童福祉司で10年以上経験者は全体の16%しかなく、全体の平均経験年数が3年程度しかないという実態が紹介されています。
他方で10年前に比べて相談が10年で3倍に増えている他、従来は母親の相談対応が中心であったのが、今回の事件のように父親による虐待の場合、家庭訪問しても父親が勤務等で不在のことが多く、直接面談できないことが多く実態把握が難しくなっている側面もあるようです。
児童相談所設置等の整備・大都市での設置が始まってからまだそれほど普及していない状態です。
私の実務経験では少年事件対応が主目的で県単位で(家庭裁判所本庁のある県庁所在地)1箇所あるかないかでした・・この点はうろ覚えです)まだ法の期待する設置が実現出来ていない自治体が多い現状を最近新聞だったかで読んだばかりです。
人材を急速に育成できないので以下の通り設置義務化ではなく、「設置しても良い」という程度から始まっている現状です。
https://kotobank.jp/word/%E5%85%90%E7%AB%A5%E7%9B%B8%E8%AB%87%E6%89%80-74428

2006年政令で指定された中核市なども児童相談所を設置できるようになった。2016年東京都の 23特別区に設置の権限が与えられ,中核市にも設置を促すこととされた。2015年現在,全国の施設数は 208。(→児童福祉)

今まで児童相談所が存在しなかった市が設置する場合、経験者を他所から引き抜くしかないのですが、こうした場合経験者が少ないから児童相談所増設置に反対するのではなく、まず相談所の任意増設から始めて人材を育成(需要に応じて経験者が増えていくのを期待)しながら・・走りながら考えて行くのが社会の暗黙の合意でしょう。
政治的立場による違いのない法案は、こういう方式が普通なのに、政党の主義主張に絡むもの・多くは国家社会にとって重要案件に限って・具体的対案もなく反対→実質的議事妨害が先行していましたが、社会党が政権を取れば自衛隊合憲論に修正し、長良川だったかのダムの工事を推し進めたことが知られています。
民主党政権ではそれまでの消費税反対論と正反対の消費税増税を決定し、沖縄の辺野古移設も認めた記憶です。
政権を取ればいきなり反対から推進に変わる結果を見れば、反対論者は日本のために何が良いかの議論をしてきたのではなく、「与党の政策には反対」という基準で反対しているように理解する人が多いのではないでしょう。
最近では集団自衛権反対運動や改憲反対論をネット情報で見ると「安倍政権だから反対」という点で共通性があるとネット発信者自身が自賛しているものが多く見受けられます。
以下はアジビラと違い表現が抑制されていますが、それでも第一目標が安倍政権打倒にあることが事実上宣言されています。
http://www.mdsweb.jp/doc/article/151011article03.pdf

論説民主主義的社会主義No.3
佐藤和義高瀬晴久山川よしやす
4.今後いかに闘うかこれからの闘いの方針を提案しておこう。
まず第1に、戦争法廃止、安倍内閣打倒の闘いがある。総がかり行動実行委員会は毎月19日の行動を提起し、戦争法廃止・安倍内閣打倒の闘いを継続することとしている。また、戦争法廃止署名を提起している。
第2に、戦争法の施行を阻止していかねばならない。2016年3月の戦争法施行に向けて、表5に示されるように政府は準備を進めていこうとしている。すでに自衛隊は戦争法を先取りする軍事演習を行なっている。2015年7月5日から21日までの米豪合同軍事演習「タリスマンセーバー2015」に自衛隊が初めて参加し、離島奪還上陸訓練を行なった。

第一目標が安倍政権打倒目的のようですし、
第二目標を見ると喫緊の課題になっている(中国によって尖閣諸島が実力占領された場合の)離島奪還演習を戦争法の実例に挙げていることからすれば、彼らのいう「戦争法」を許すな」というのは、離島を占領された場合、奪還行為をすることを「戦争法」と評価宣伝しているイメージが伝わります。
戦争法反対で盛りがっている人の内どれだけのひとが、尖閣諸島防衛反対運動と理解しているのでしょうか?
中国の公船と称する事実上中国軍によって連日行われている領海侵犯行為の現状で、ある日突然中国軍による上陸が行われるのを防ぐ手段がない・領土保全にはその後の奪還しかない現状を前提にすれば、奪還作戦阻止あるいは日本の奪還作戦の対応準備の遅れを目的にした運動と想像するのが普通ではないでしょうか?

各種反対運動と説明責任2

昨日最後に紹介したように、憲法学界では「思想の自由市場」が機能していない前提で、支配的地位を確立した特定思想集団(東大学閥)が自己正当化のために思想の自由市場論を宣伝してきたように見えます。
報道の自由論が寡占市場である報道界を前提にしての主張でしたが、ネットの発達で覆されつつあることをこのコラムでは折に触れて書いてきました。
事実上表現の自由のない市場?で支配的地位を獲得した人たちにとっては、就職先の推薦などの影響力を行使できない国民相手では、文字通り言論の自由市場ですから、そこで内容の議論をするのは怖いので(「素人は黙ってろ?」)「専門家の多くが反対だ」式宣伝・・何名の憲法学者が反対しているとか、大勢の弁護士署名があるとか?の運動中心になってきたのではないでしょうか?
韓国の学者の議論ではまず相手どこの大卒かどこの大学教授かの肩書で議論の立場が決まり、一方的な上から目線の議論になると日本人から見れば驚くような権威社会と言われます。
この弊害が高学歴を求めて無茶苦茶な受験浪人(親が法外な?受験コストを負担せざるを得ない原因)が生まれる基礎になっているようです。
この弊害については、(「上から目線の慣習」まで書いているものではありませんが)昨日の日経新聞朝刊2p韓国学歴主義招く出産減」「教育費高騰子育てためらう」という副題で出ています。
日本で政治運動では意見表明の方法自体が、内容よりも「権威」で勝負しようとする傾向が見えるグループの場合、どこか韓国的価値観と共通する点で日本の大方の意見調整方法と違っています。
運動家にとっては「権威づけで勝負あり!と思っているのでしょうが、受け手の日本国民は権威者が言ってる!という煽り行為に反応しないで自分で具体的時用によって判断したい人が大多数ですので、権威づけの運動形態に頼っている限り空回りです。
「国民大多数の願いを踏みにじって!」とか「国民の声を無視して」いるなど一方的声明を羅列しても日本列島では古代から、根っからのボトムアップ民主主義社会ですので、賛同する学者や弁護士の数で決まる社会ではありません。
直近で言えば、岡口判事支援に関して27日に見たように、いかに多くの弁護士が賛同しているかのアッピールが中心になっていて、具体的内容不明(引用記事だけ見る限り空疎?)の主張になっているのもその1例です。
裁判官の裁判外発言であれば、裁判官に対する国民の期待する人物像とずれている場合に、(上記条文の「威信」という表現は時代背景もあって古いので、今風に言えば「国民の信頼」と訳すべきでしょうか?)相応の社会批判を受けるのは当然であり、それが罷免すべきほどのものかの判断をするために弾劾裁判制度を憲法に設けている以上は、そのシステムに乗ること自体を批判するのは、憲法をないがしろにする行為ではないでしょうか?
27日紹介した支援グループがいわゆる護憲グループと重なっていないとしても、支援グループの論拠は憲法違反を前提していることが明らかですから不思議です。
現在日本の支配的憲法学・あるいは上記支援弁護士らの主張では結果的に、違法にならない限り「裁判官はどういう表現をしようが勝手だ」となりそうですが、裁判官ならば何をしようと言おうと違法でない限りどのような制限も受けないということ自体、憲法の弾劾制度を否定する憲法違反の主張はないでしょうか?
表現の自由論においては二重の基準論とか言って(企業活動の場合保護が薄い)ようですが、表現行為が名誉毀損等何らかの規制に触れない限り、どういう主張をしていても良いと言えるのでしょうか?
日本人は「〇〇人の奴隷に」とか「服従すべきだ」という抽象論では、なんの犯罪にも該当しないように思いますが?
人を殺せとか盗め、日本人を牛馬のごとく扱えと言っても、具体性がない場合、日本国内では日本人は少数民族でないのでヘイトスピーチにもならない?殺人罪や監禁罪等の教唆犯にもならないのが刑法理論です。
刑事処罰あるいは名誉毀損等にならない限り、マスコミは表現の自由だからと「日本人は〇〇人の奴隷になった方が良い」という意見をメデイアにのせ宣伝するのも自由でしょうか?
いわゆる反日言動に対して憲法学者による自己実現論等で手厚い防御理論が確立されていて、これを背景にして?道義(共同体維持)などの基準不要・・言いたい放題が憲法の理想だと奨励される時代になっていたように見えます。
無責任思想表現の自由にととまらず、現実政治を担う国会で言えば、社会党時代には国会で揚げ足取り的議事妨害を繰り返し、本会議直前には担当委員長の不信任案動議提出など決まり切った議事妨害抵抗をするのが定番です。
本会議にかかると何時間ぶっ通しの演説時間の長さを競い、いざ採決になると牛歩戦術で、1分でも5分でも引き延ばすことが国会議員の仕事のような行動でした。
https://www.fnn.jp/posts/00345220HDK

2018年8月3日 金曜 午前6:30
衆院最長!?枝野演説は異例の書籍化

「2時間43分」
この時間は7月20日、安倍内閣不信任決議案の審議で立憲民主党・枝野幸男代表が本会議場で行った趣旨弁明演説の長さだ。衆議院では記録が残る1972年以降で最長の演説となった。

政策決定は国家・社会に必要があってやることですから、この政策選択が国民多数の意思で決まる以上はその政策を一刻も早く実施すべき事柄です。

何が国家にとって優先課題かは、民主国家においては国会が最高議決機関ですから、政治家が徒党を組んで(政党)「これが国家に必要」と競うために論争を繰り広げるのは当然の権利であり義務です。
議論を重ねてABCの政策のどれが多数の支持を受けているかの方向性が決まった以上は、自分の推進していた政策論が通らなくとも多数の支持を受けた政策が民意と受け止めてその内容実現に協力すべきです。
内心にとどまる心理学や芸術や学問分野の場合、出品して受賞できなくとも、支持者が少なくとも「自己実現行為」として自己の主義主張、自己の信ずる創作活動を続けたり少数説でも粘り強く研究を続けるのが勝手なのとの違いです。
自己実現にこだわる生き方の立派さの議論と政策実行の遅れが許されない政治決断の必要性とは評価の次元が違います。
芸術作品でもどの作家に依頼するの選定作業過程で、(例えば唐招提寺の襖絵を東山魁夷氏が描いたことが知られていますが)その依頼が自分に来そうもないことを知った他の画家が、お寺が東山氏に依頼するのを1日でも先延ばしするように妨害工作活動をしていたとしたら・・そのようなことがバレたらその画家の信用がどうなるかです。

各種反対運動と説明責任

「近代法の法理違反や、平和憲法違反とか、軍靴の音が聞こえる」などの主張は言いっ放しで主張には具体性がないとこのコラムでは批判してきましたが、今回も「裁判官の独立や三権分立にかかる問題」というお題目を唱えるだけで、どの行為が裁判官の独立にかかる問題なのかの主張すらありません。
ただし支援弁護士は具体的に書いているのに、昨日引用した発信者が勝手に省略したのかもしれませんが・・・。
「裁判官の独立や三権分立にかかる問題」との主張ですが、国会の調査は岡口裁判官の担当事件に対する調査ではないし、特定思想そのものへの批判でもない・具体的表現行為が現職裁判官の表現行為として許容範囲かどうかの調査のよう(上記ネット記事しか知らないので断定不能)ですから、個別裁判への圧力や干渉という問題から遠い印象です。
具体的事実関係とどういう関係があるのか、司法権への「憲法で許容されない政治圧力」というには積極的な説明がないと論理に飛躍があると思う人が多数ではないでしょうか?
上記ネット記事の限りでは、特定訴訟や具体的思想に圧力をかける目的でないように見えますが、これを前提にした場合、こういう主張グループは、「裁判官に対するいかなる批判も許されない」「それが憲法解釈として正しい」という主張を前提にしているような印象を与えます。
それでは憲法でなぜ弾劾制度が設置されているかの説明がつきません。
憲法の想定している弾劾制度の乱用というには、どの点が乱用かの主張説明しないでいきなり「政治圧力」という広い概念を持ち出して、裁判官の独立に関連づけて、国会の訴追委員会への呼び出し行為の内容の何が不当かの議論抜きに「呼び出し」だけを批判する支援集団呼びかけを発表している・・昨日引用記事を見る限り、「もしかして憲法上弾劾制度があるのを知らない集団がこんなにいるのかな?」と疑う人がいてもおかしくありません。
一般人でもその立場によって、意見発表すれば、刑事民事等の違法行為にならないネット炎上程度でも、内容の広がりによってはテレビ番組などから降板させられたりしています。
企業で言えば、社長発言は言うに及ばず、幹部どころか営業マンでさえも企業を背負って働いている以上は、顧客や世間に向かって所属企業に関する発言がどこまで許容される範囲かの試練にいつも晒されています。
休暇中であろうと勤務時間中であろうと所属組織に関連する発言か否かによって、発言の重みが違います。
この数日酔っ払った厚労省現職課長が韓国空港であばれた上で「韓国大嫌い」という趣旨の発言をしたことが、ネットニュースに出ています。
休暇中の個人旅行であったかどうか不明ですが、休暇旅行であろうと日本国の現職官僚発言としてニュースになるし社会への影響の大きさも違ってくる・・影響の大きさに比例して責任も大きくなるべきでしょう。
現職高裁判事という要職にあるものが、個別事件へのコメントを発表すればその影響力が一般人のTwitter発信(トランプ氏のツイッターでも知られる通り)とは桁違いに大きいのは当然です。
裁判官や官僚にも自己実現権があるという一般論で解決すべき問題でなく、同僚や友人間の個人的会話が録音されたものか?意図的な対外発表か等の具体的事実次第での責任を論じるべきは明らかです。
そもそも憲法で設けられた弾劾制度で弾劾事由の要件(特定違法行為限定など制限列挙)を厳しく定めていない意味からすれば、刑事犯罪や不法行為確定のような機械的事例しか対応できない制度設計とは到底思えません。
裁判官の言動がどの程度まで許容されるべきかの幅を決めるには、「国民の代表たる国会で良識に従って決めるべき」というのが憲法の精神でしょう。

憲法
第六十四条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
○2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。
第七十八条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。
昭和二十二年法律第百三十七号
裁判官弾劾法
第二条(弾劾による罷免の事由) 弾劾により裁判官を罷免するのは、左の場合とする。
一 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。
二 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。

岡口判事支援弁護士らの主張は、表現の自由絶対論(刑事その他法令違反を除いた)・・・「何を言おうと憲法上の権利だ」から「自己実現を否定すべきでない」と言う意見を下敷きにしているかどうか不明ですが、表現の自由=自己実現論が現在の憲法学の通説であるとすれば、これを十分知っているはずの通説を正面から主張できないのは、国民の支持を得られない変な通説?であることを知っているからでしょうか。
何かあるとすぐに憲法違反に結びつけて主張する人たちや、憲法学者は、国民意識から遊離しいると言われる所以です。
遊離すればするほど象牙の塔?素人にはわからないという問答無用式の憲法学界が支配していくようになり、うっかり集団自衛権合憲を主張すると学界で孤立し、まともな発表の場を与えられないし、活動がしにくくなる・昔有名になった「白い巨塔」同様に・全国に張りぐらされた大学教授の推薦ステムの網から外される仕組みになっている印象です。
自己実現論紹介のために判例時報増刊号を紹介中ですが、その冒頭の論文を書いた毛利透氏のウイキペディアでみると以下の通りです。

東京大学では樋口陽一の指導を受ける。筑波大学時代には、ドイツのフランクフルト大学に留学し、インゲボルク・マウス教授に師事。
京都大学の佐藤幸治教授の定年退官に伴い、佐藤の強い推薦で京都大学に移った。

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/120100058/050500004/

2016年5月17日
昨年、安保法案に多くの憲法学者が「違憲」の声を上げた。だが極めて少数だが、「合憲」と発言した者もいる。そのあと彼の身に何が起きたか。その主張についてじっくり聞いて見た。憲法学者の姿、2回目は九州の新進気鋭の学者を紹介する。

大学に「あんな奴を雇っていていいのか」と電話も掛かってきた。事務局は無視してくれた。
同業者にフェイスブックで「化け物」と書かれ、テレビ番組で「ネッシーを信じている人」と揶揄された。
「ふだん少数者の人権を守れって言っている人が、矛盾していないんですかねえ」と、九州大学法学部准教授の井上武史は苦笑する。

 

国際孤立化とメデイアの責任2(日米緊密化)

明治以降の漸進的民主化の動きを潰してしまった対ロ講和条約以来の歴史の勉強に戻ります。
現在も何かに目をつけてはメデイアが大騒ぎして「国民感情が許さない」と言っては、担当大臣辞職を煽る・ひいては内閣総辞職を狙うのは、戦前の日本を国際孤立化方向へ引きずり込んだ責任を全く反省していない・・失敗の経験を学ばないことになります。
戦後教育では軍部責任論ばかりですが、軍部さらにはその中の極論派を育ててきたのはメデイアの煽りであったことを自己批判していないのが日本国民の不幸です。
その都度、これを許せないという偏狭な右翼感情を煽るメデイアに政治家が屈してしまい、この繰り返しの結果、背後の応援団であった軍部トップが対外主張を通すために妥協を知らない内部極論を利用した結果、一知半解の極論派青年将校の発言力が強化されて行き、穏健=幅広い見識を持つ従来の軍部トップが発言力を失い・・・3・15や2・26事件などで軍部内粛清対象になって行きました。
今の国際環境激変時の対米関係を如何にするかは、ロシアやイランであれ北朝鮮であれ、どこの国でも最重要事項ですが、安倍トランプ関係の構築がどれだけ日本の国際的地位強化に役立っているか知れません。
革新系は民主主義の本家みたいな顔をしていますが、実は皆の意見を聞いてやるのが苦手・・唯我独尊的になりがちな体質です。
選挙結果無視の政党です。
原発事故時の菅総理のやり過ぎを見ても分かるように、革新系政治家は批判ばかりで、多くの人の納得を得て円滑に動かす能力に欠けています。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1850

野田佳彦総理大臣は、米国東部夏時間4月29日(日)にワシントンDCに到着した。30日朝にアーリントン国立墓地で献花した後、午前から昼食にかけてバラク・オバマ大統領と首脳会談を行った。翌5月1日には帰国の途につく、という慌しい日程となった。
オバマ大統領その他の主要閣僚と会談するだけでなく、例えば、米日商工会議所や日米協会などで日本の震災後の復興について演説する、日本人選手が在籍する野球チームの試合を観戦に行く、大学で米国人学生とアジア太平洋地域における日米同盟の将来のビジョンについて議論する、など日本の総理自らが日本という国のPRマンとなるチャンスはいくらでもあった。訪米の際に、自らが持つ日本の将来に向けたビジョンについてのメッセージをしっかりと発信することで「外交に強い総理」というイメージを作る、あるいは総理自身の人となりを米国で知ってもらうという選択肢もあった。しかし、2泊4日というゆとりのない日程を組んだことで、せっかくの訪米という機会を棒に振ってしまった。
訪米時に1週間滞在した習近平
野田総理がオバマ大統領と過ごす時間が、会談の時間だけなのも気になった。習氏訪米時はカウンターパートのバイデン副大統領がアイオワ州やカリフォルニア州訪問を含めた全日程に同行した。
英国のキャメロン首相夫妻が3月に米国を訪れた際には、オバマ大統領はキャメロン首相とは首脳会談のほか、大統領専用機で共にオハイオに赴き、バスケットボールを観戦、加えてホワイトハウスで晩餐会も主催している。この晩餐会にはジョージ・クルーニーをはじめとする有名人が出席し、事後のワシントン・ポストの社交欄である「Style」欄の1面は「イギリス人が来た!イギリス人のためならジョージ・クルーニーだって連れてくるさ!」という書き出しの記事が占めていたのが印象に残っている。ところが、今回、野田総理がオバマ大統領と会うのは会談時のみで、総理の夕食会はクリントン国務長官が主催するという。

民主党政権になってから初めて野田総理が訪米しても、けんもほろろ・大統領との会談時間すら昼食を挟んだ2時間程度でしかなく、大統領主催の歓迎晩餐会もなくほとんどなく軽視されたので、中国や韓国は軽くみて、尖閣諸島侵犯や反日騒動慰安婦騒動その他が澎湃として起こりました。
安倍総理のトランプ政権との緊密化の成功はどれだけ日本の国益に貢献しているか知れません。
これを革新系支持のメデイアは属国根性と揶揄しますが、属国根性かどうかは別として、日本は野球で言えばイチロー人気、今の大谷翔平人気など、多様な分野でアメリカ大衆の心を掴むスベを大事する必要があります。
その中でも政治家の影響力が大きいのです。
ともかく米国世論を侮ってはイケません。
これに対する安倍総理の訪米日程は以下の通りです。
https://mainichi.jp/articles/20180410/k00/00m/030/063000c

毎日新聞2018年4月9日 19時51分(最終更新 4月9日 21時22分)

安倍晋三首相は17~20日に訪米する際、米南部フロリダ州でトランプ大統領と「ゴルフ外交」をする調整に入った。米側が要請していた。日本政府内には森友学園問題などを抱えていることからゴルフには慎重論もあったが、首相は日米の蜜月関係をアピールできる好機と判断した。
首相は昨年2月に同様にフロリダで、同11月は訪日したトランプ氏と埼玉県内でゴルフをした。2人だけで長時間言葉を交わせるメリットがあり、首相も「突っ込んだ話ができた」と「ゴルフ外交」の意義を語る。

安倍総理は毎回かな?トランプ氏の個人別荘に宿泊して懇談していますが、隔世の感があります。
こちらがもっと時間が欲しいと言ってこと割られているのと、相手大統領から個人別荘に移動してゴルフしないかと誘われているのとではおお違いです。
ナポレン戦争を終結させたのはロシアの軍事力であって、いわゆるウイーン体制は背後に当時興隆してきた新興国ロシアの軍事力に西欧諸国が潜在的に依存している・・恐怖を抱いていた体制でした。
・・そのロシアが軍事力に任せて問答無用式にシベリアや中央アジア〜東欧〜中東等へ版図をどしどし広げていく恐怖感が19世紀西欧の基礎意識でした。
14年のクリミヤ併合作戦で示した覆面武装集団が問答無用式に制圧して行く光景・これが西欧諸国にとって不気味に感じている本質です。
弱体化したオスマントルコ領を蚕食していく凄まじい過程を素描しましたが、植民地争奪戦では長年のライバル・・宿敵同士の英仏が共同してようやくロシアの南下作戦を食い止めたのがクリミヤ戦争でした。
「ロシアの南下主義」と言うのは西欧のすぐ近く・バルカン半島や中東で起きている脅威を表したものであって、実態はロシアの全世界的拡張主義に対して西欧は脅威に感じるようになっていました。
同じ新興国の勃興でもアメリカの勃興は西欧の分身というか価値観共同の安心感があったのです。
西欧中世以来の戦争は神聖ローマ帝国内の争いでしたので一応暗黙のルールがあった・・これを条約化したのがウエストファーリア条約でしょう・・そこに異質・辺境のロシアが参入してきたことになります。

地球温暖化とCO2原因説(説明責任6)

ネット空間の意見交換は学界の論文発表や論争の場ではなく、一般人の疑問や質問への応答で成り立っているものですから、参加者の理解は専門学部の大学生以下で当たり前でしょう。
CO2元凶論はこのシリーズで書いている通り、国民に年間2兆円以上の負担を押し付ける→その分競合する他のエネルギー利用を強制的に縮小させる産業政策に直結する上に、一般国民に2兆円分以上の負担→他の支出を下げるしかない点で、国民生活に重大な影響を及ぼす政策決定を強制している・・経済的には増税と特定業界補助金がセットになったようなものです。
政策決定に学界がもろに口出しする以上は「専門知識を噛み砕いて説明している暇がない」と開き直るのはなく、直接影響を受ける素朴な国民でも一応理解できる程度の説明責任・個々の研究者は研究が忙しいのでそんな暇がないとしても、学界の広報担当みたいな人材が必要です。
台風や地震直後にその仕組みや、原発の仕組みなど素早く図解して報道する時代です。
国民に2兆円以上も負担させて特定業界の発展を目指す以上は、素人の国民に分かる訳がないと開き直るのはおかしいでしょう。
一般事件でさえもマスメデイアが「専門家の意見」として結論さえ報道を垂れ流せば済む時代はありません。
地震があれば、プレートテクトニクス理論とはどう言うものかの図解、あるいは原発事故があれば原発の炉心の構造などを図解して報道する時代です。
国民レベルが上がってその結論に疑問を抱くようになってくると、そういう疑問にわかりやすく学者間の論文よりは、数段レベルを落として解説する人の意見が一般化して流通してしまいます。
歴史小説の影響力に歴史学者が困っている例がよく言われますが、従来科学分野では専門外の人は黙って結論に従っていたのですが、別分野の科学者・・またはある程度科学素養のある人が増えてきたことと、ネット情報の発達で分野外のことでも目に入る機会が増えてきたので、国民生活に大きな影響のある科学分野になるとその道の専門ではないものの、論理的にどうなっているかの疑問を感じる人が増えてきます。
ネット発信が容易になったこともあって、おかしいと思っても昔のように知ったフリして黙っていないで、疑問を投稿する人増えてきていますが、科学分野でも政策決定に関与する以上は、その道のプロではないが別分野の科学者とか疑問提起する人に対してはセミプロや素人向けに解説する必要性が生じています。
温暖化やエネルギー問題は原発事故のような緊急報道の必要がないテーマですから、時間をかけて・・と言ってもちょっとした実験成果や論争経過の解説を追加すれば足りるでしょう。
反論者がくどくどと解説しなくとも、実験でこういうことがわかった程の結論を書いておけば、それで納得する人が多いでしょうし、読者の中で別分野の科学者で一定レベルまで実験成果をチェック能力のある人がその説明に納得できないときには、その実験成果に入っていきチェックできるうに引用原典を付記しておけば足ります。
「この点には一見異論や疑問が起きるが、この点についてはなんとか研究所の〇〇とどこそこの大学の研究チーム△●の実験で問題がないことがわかった」
とか克服されているという「注」をつけるなど、一定レベル以上の国民が理解できるような(あるいは実験成果を共有できるような)説明をする責任があるのではないでしょうか?
ところで、仮に「温暖化が正しいとしたら暖かくなった方がいいじゃないか!」(寒くなる方が動植物人類の生存区域が狭くなり大変)と思うのが素人の考えですが、小さな島が水没してもその代わり広大なシベリア等の広大な地域で穀物・野菜が取れるようになる・(日本でいえば北海道の農地は広い)のがなぜ悪い影響があるかも不明です。
低緯度地方は人口の多い地域だがそこで干ばつが起きると大変といいますが、気象学の専門でしかない研究者がこういう多方面の研究が必要な分野に口出しして国家政策に干渉しようとするのは論外です。
何十年〜何百単位で徐々に起きる変化には、徐々に人口移動すればいいので、この程度のことは昔から行われてきたことです。
江戸時代はじめには東京駅あたりがまだ海辺であったことがあるように(もっと古代で見ても今の京浜東北線の大森駅付近で貝塚がモースによって発見されたように)その程度の人口移動は甘受すべきことでしょう。
日本の棚田その他の「原風景を守れ」という変な超保守運動を批判したことがありますが、ホンの数百年程度の気候変動や産業構造に合わせて先人が適応したに過ぎない生き方を、歴史資料として博物館的に1部残すのはあり得ますが「そのままの生活を守れ」という意見は元々おかしいのです。
5月30日に新潟コシヒカリに関する適地変化の例で書きましたが、50〜100年後に新潟のコシヒカリ生産量が仮に10%になりゼロになったとしても、新潟県民がその間に他の品目の作付け開発に成功し、他の職種に転換したりしますので、皆飢え死にや出エジプト記のような悲惨な逃避行になるなどありえません。
戦争や津波等によって短期間に避難を強制されると、移転先での生活設計もないママの緊急脱出になるので問題が多く(中高年以上は難民住宅から抜け出せず事実上の収容所生活でほぼ一生終わり、次世代の教育環境が劣悪←何世代もマイナス影響)悲惨な状態になります。
しかし、百年単位で1℃程度の緩やか変動の場合、生産適地移動(人間が移動しなくとも従来日本で作れなかったバナナやコーヒー豆・カカオ栽培に取り組むなど)や職場移動・それも適応力のある若者から順次学校等の卒業に合わせて就職などで移動するパターンになります。
昭和30年代中頃に中卒の「金の卵」が集団就職で東京に出てきましたが、仕事を通じてすぐに標準語や都市生活スタイルに馴染んで行きました・・東北方言しか知らない大人が東京に出稼ぎに来るよりはスムースです。
就職先の仕事を通じて移動先に気候や文化に馴染んでいくので、災害等による急激な避難行動(いく先での仕事のあてもなくしかも高齢者も一緒に行くパターン)とは本質が違います。
このように本質的な違いがあるのに、いかにも大規模一斉移動が必要であるかのようなイメージを前提にして不安を煽るのは意図的な誤導にならないでしょうか?

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