雌が子を産む性であることから、子育て中経済活動・・餌の獲得能力が低下することから、オスによる生活費負担が歴史上形成されて来たと思われています。
(この点はこの後で批判します)
この考え方が定着すると、女性は生活費獲得能力を身につけても子を生んで家庭に入れば無駄になるから、上流階級では家政学を身につけ、中産階級以下では栄養師、子を育てる能力や、夫が逃げ出さないようにする文化能力形成に注いだ方が良いとするジェンダーが幅を利かしていました。
(お茶の水女子大などはこういう思想で出来たものでしょう)
ジェンダーについてはNovember 19, 2010「ジェンダー解消」前後で連載しましたので今回はその続きになります。
法経商を含めた4年制大学への進学が一般的になっても、実際には明治中期以降の女工さんの例同様に結婚退職・・家庭に入るのが圧倒的多数でした。
(現在でも女性医師の場合、家庭に入ってしまう医師が多くて大幅な医師不足になっています)
最近は専門職に限らず末端工場労働者・店員に至るまで結婚後も働き続ける人の方が多くなっています。
(4年制卒女子の方が比較エリートとの結婚が多くて、専業主婦の比率が短大卒・高卒女子よりは高いでしょうが・・・)
殆どの女子が社会に働きに出る現在では、高学歴取得や女性の社会的能力向上への投資は社会的ロスにはなっていないのですが、実学系高学歴者でも結婚する女性が普通になって来ると(男子に比べて特段の文化力差がないので)元々放浪したい本能のあるオスを引き止めるための文化力の方は、どうなるかの関心です。
このコラムは、女性に文化力がないと大変なことになるから昔に戻れと言う主張をするためのものではなく、ジェンダーに基づく文化力は不要で良いのではないか・・無理に男女一緒にいる必要がない・・男女一緒にいる現状の家庭形態解体方向で書いています。
この後に書いて行きますが、グループがないと子育てが出来ないとしても、それは女性同士のグループで何故いけないかという視点です。
ところで、「子育てのために女性が働けないから・・・」と言うジェンダー論・価値観が歴史上太古から妥当する原理であったかと言うとそうではなさそうです。
有史以来の上流階級で見ると女性が奥方として澄ましていられる古代豪族〜公卿や上級武士層以上は別として一般庶民にまで浸透したのは、貨幣経済の発達した明治中期以降の現象と思われます。
庶民・その大部分を占める農民の女性は、貴重な働き手として重宝されていたことをApril 23, 2011「婚姻費用分担義務5(持参金2)」その他でこれまで書いてきました。
私の母の世代(明治生まれ)では、自分が如何に働き者であったかを自慢していたものです。
女性は生活費を稼ぐよりも女らしさを磨くことに価値があるとする価値観が国民一般の価値観になったのは、貨幣経済が一般化して来た都市労働者時代・結婚退職による専業主婦層の出現以降のことになります。
貨幣経済化の進展が女性の地位を低下させてしまったことについても、December 18, 2010「貨幣経済化と扶養義務2(明治民法3)」その他のコラムで書きました。
農業の場合、赤ちゃんを背負って家事をしたり畑にでたり、ときには畦畔に赤ちゃんを寝かせて母親が農作業するなど出来ましたので働けない時期は僅かでした。
明治以降も庶民の娘は女工さんとして重宝されましたが、結婚・出産退職が普通でしたので、ここから既婚・子持ち女性の無収入が始まったと言えます。
では上流階級の道徳・価値観として現在流布しているジェンダー論が貨幣経済化以前から何故妥当していたのでしょうか。
古代の豪族〜平安朝の公卿や鎌倉以来の武士層では、女性が子育てに忙しいから働けないのではなく、そもそも上流階級では、不労所得階層ですから、子育て中に働けないから経済力がないと言う関係はあり得ません。
ですから、上流階級で女性の地位が低いのは子育て中に働けない弱点によるものではなかったことになります。