ロシアの脅威11(北方防備と幕府財政逼迫)

松前藩の上知は寛政11年(1799年)とのことですから、寛政の改革(1787年から1793年)で知られる松平定信失脚後のことになります。
その後を継いで(昇格して)老中首座になった松平信明は、(寛政の改革の)遺老と言われ定信の改革踏襲者として引退後の定信の意向に従ってやっていたので、いわばバックいる定信の英断によっていたことになります。
信明に関するウィキペデアの記述です。
「寛政5年(1793年)に定信が老中を辞職すると、老中首座として幕政を主導し、寛政の遺老と呼ばれた。幕政主導の間は定信の改革方針を基本的に受け継ぎ[1]、蝦夷地開拓などの北方問題を積極的に対処した。寛政11年(1799年)に東蝦夷地を松前藩から仮上知し、蝦夷地御用掛を置いて蝦夷地の開発を進めたが、財政負担が大きく享和2年(1802年)に非開発の方針に転換し、蝦夷地奉行(後の箱館奉行)を設置した[2]。しかし信明は自らの老中権力を強化しようとしたため、将軍の家斉やその実父の徳川治済と軋轢が生じ、享和3年(1803年)12月22日に病気を理由に老中を辞職した[2]。
信明辞職後、後任の老中首座には戸田氏教がなったが[2]、文化3年(1806年)4月26日に死去したため、新たな老中首座には老中次席の牧野忠精がなった[3]。しかし牧野や土井利厚、青山忠裕らは対外政策の経験が乏しく、戸田が首座の時に発生したニコライ・レザノフ来航における対外問題と緊張からこの難局を乗り切れるか疑問視され[3]、文化3年(1806年)5月25日に信明は家斉から老中首座として復帰を許された。これは対外的な危機感を強めていた松平定信が縁戚に当たる牧野を説得し、また林述斎が家斉を説得して異例の復職がなされたとされている[3]。ただし家斉は信明の権力集中を恐れて、勝手掛は牧野が担っている[3]。
文化4年(1807年)に西蝦夷地を幕府直轄地として永久上知した[2]。また幕府の対応に憤激したレザノフの指示を受けた部下のニコライ・フヴォストフ(ロシア語版)が単独で文化3年(1806年)9月に樺太の松前藩の番所、文化4年(1807年)4月に択捉港ほか各所を襲撃する事件も起こり、信明は東北諸藩に派兵させて警戒に当たらせた(フヴォストフ事件、文化露寇)[4]。またこのような対外的緊張から11月からは江戸湾防備の強化に乗り出し、砲台設置場所の選定なども行なっている[5]。
経済・財政政策で信明は緊縮財政により健全財政を目指す松平定信時代の方針を継承していた。しかし蝦夷地開発など対外問題から支出が増大して赤字財政に転落し、文化12年(1815年)頃に幕府財政は危機的状況となった。このため、有力町人からの御用金、農民に対する国役金、諸大名に対する御手伝普請の賦課により何とか乗り切っていたが、このため諸大名の幕府や信明に対する不満が高まったという[7]。
評価
松平定信にその才能を認められた知恵者で、定信失脚後は老中首座としてその改革精神を継承し、将軍・家斉の奢侈を戒め、その側近らの規律を正した逸話が伝わる[8]。ただ松平定信は信明について「発生した事柄には対処できる。しかし、長期的視野に欠けて消極的であるばかりか、決断力が乏しかったので、補佐する者がいればよかった。とはいえ、才能があって重厚でもあるので、今彼に勝る人はいない」と自らの日記に記している。一方で対外政策が30年も手遅れになったのは信明の責任であると評している[7]。
定信の近習番を務めた水野為長が市中から集めた噂を記録した『よしの冊子』によると、信明が老中を務めていた当時の政治は定信と信明、それに若年寄の本多忠籌の3人で行われており、老中の牧野貞長や鳥居忠意はお飾りに過ぎないというのが市中の評判であった。」
幕府は松前藩支配地を松前城の周辺付近を除いた蝦夷地を全面的に上知・・取り上げて直轄支配地にしていた様子を昨日紹介しましたが、今日は幕府側の動きの紹介です。
中学高校の日本史ではこの種の教育を全く受けませんでしたが(今では変わっているのかな?)古代の防人のように幕府は北方警備のため東北諸藩に出兵を命じていたことが分かります。
このため出兵しないその他の藩にも資金拠出を命じたこと(・・幕府財政赤字)が幕末諸大名の不満の下地になって行ったようです。
この辺は日本史の授業では出てきませんし、幕末西欧接近の危機感ばかり・薩長の活躍ばかりですが、ロシア対策によって財政支出・ひいては諸藩への負担協力を求めたことに対する不満が蓄積していたことが分かります。
将軍家の奢侈を戒める松平信明を将軍家斉は疎んでいたのですが、彼が病死すると好き勝手な奢侈に走り、いわゆる「化成」文化が花開きます。
財政危機のためにロシアに対する危機対応が不十分になっていたのに、家斉は逆ばり政治・奢侈に精出したことになります。
日本が世界に誇る浮世絵その他多様な文化爛熟期でしたが、背後から「怖いものが迫っているのを見ないことにしていた」時代であった・・これが幕府財政崩壊を早めたことになります。
西欧ではギロチンのつゆと消えたフランスのルイ16世や中国北宋最後の徽宗皇帝、わが国では室町幕府・政治を投げ出していた足利義政の東山文化を連想させられる動きです。
家斉政治に関するウィキペデア記述です。
「文化14年(1817年)に信明は病死する。他の寛政の遺老達も老齢等の理由で辞職を申し出る者が出てきた。このため文政元年(1818年)から家斉は側用人の水野忠成を勝手掛・老中首座に任命し、牧野忠精ら残る寛政の遺老達を幕政の中枢部から遠ざけた。忠成は定信や信明が禁止した贈賄を自ら公認して収賄を奨励した。さらに家斉自身も、宿老達がいなくなったのをいいことに奢侈な生活を送るようになり、さらに異国船打払令を発するなど度重なる外国船対策として海防費支出が増大したため、幕府財政の破綻・幕政の腐敗・綱紀の乱れなどが横行した。忠成は財政再建のために文政期から天保期にかけて8回に及ぶ貨幣改鋳・大量発行を行なっているが、これがかえって物価の騰貴などを招くことになった。」
「怖いものを見ない」ことにしても北から南から迫ってくる世界情勢・日本を取り巻く危機は変わりませんし、貨幣改鋳しても幕府財政赤字は変わりません。
たまたま9月10日と16日の2回千葉市美術館で開催中のボストン美術館所蔵の浮世絵・・鈴木春信(享保10年〈1725年〉 ?- 明和7年6月15日〈1770年7月7日〉)展を見てきましたが、可愛い子供や娘を大事にする江戸市民の気風が当時の流行絵画になっている・・鈴木春信の錦絵が最盛期を迎えたのは明和年間(1760年代末)のようです。
この錦絵によって庶民は江戸開府以来約百五十年以上に及ぶ平和の恩恵を享受している様子・・その後の浮世絵の本格 発展の萌芽を目にすることができましたが、その裏(一般市民はそんな物騒なことが遠くでおきているとは知る由もなく)で同時進行的に太平の世を脅かすロシアによる侵略の危機が遠くからヒタヒタと迫っていたことになります。
国防の基礎は自国の実態把握です。
まずは最上徳内から見ておきましょう。
以下アフィキペデアの記述です。
「実家は貧しい普通の農家であったが、学問を志して長男であるにもかかわらず家を弟たちに任せて奉公の身の上となり、奉公先で学問を積んだ後に師の代理として下人扱いで幕府の蝦夷地(北海道)調査に随行、後に商家の婿となり、さらに幕府政争と蝦夷地情勢の不安定から、一旦は罪人として受牢しながら後に同地の専門家として幕府に取り立てられて武士になるという、身分制度に厳しい江戸時代には珍しい立身出世を果たした(身分の上下動を経験した)人物でもある。」
「幕府ではロシアの北方進出(南下)に対する備えや、蝦夷地交易などを目的に老中の田沼意次らが蝦夷地(北海道)開発を企画し、北方探索が行われていた。天明5年(1785年)には師の本多利明が蝦夷地調査団の東蝦夷地検分隊への随行を許されるが、利明は病のため徳内を代役に推薦し、山口鉄五郎隊に人夫として属する。蝦夷地では青島俊蔵らとともに釧路から厚岸、根室まで探索、地理やアイヌの生活や風俗などを調査する。千島、樺太あたりまで探検、アイヌに案内されてクナシリへも渡る。徳内は蝦夷地での活躍を認められ、越冬して翌・天明6年(1786年)には単身で再びクナシリへ渡り、エトロフ、ウルップへも渡る。択捉島では交易のため滞在していたロシア人とも接触、ロシア人のエトロフ在住を確認し、アイヌを仲介に彼らと交友してロシア事情を学ぶ。北方探索の功労者として賞賛される一方、場所請負制などを行っていた松前藩には危険人物として警戒される。」
同年に江戸城では10代将軍・徳川家治が死去、反田沼派が台頭して田沼意次は失脚、田沼派は排斥される。松平定信が老中となり寛政の改革をはじめ、蝦夷地開発は中止となる。徳内と青島は江戸へ帰還。徳内は天明7年(1787年)に再び蝦夷へ渡り、松前藩菩提寺の法憧寺に住み込みで入門するが、正体が発覚して蝦夷地を追放される。徳内は野辺地で知り合った船頭の新七を頼り再び渡海を試みるが失敗、新七に招かれて野辺地に住み、天明8年(1788年)には酒造や廻船業を営む商家の島谷屋の婿となる。

観念論の弊3(財政赤字論)

金貨・貨幣が決済用に用いられるようになると材質は問題ではない・・本来は数字の問題でしかない・紙切れ(日銀紙幣)どころか電子記録(フィンテック)でさえも良くなっているのを見れば分ります。
元禄当時平和な時代が続き日本経済が拡張期(元禄文化)にあって,貨幣発行の基礎になる金に見合った金貨だけでは膨張して来た貨幣経済・必要な貨幣供給(折柄金産出量の減少に見舞われていました)が間に合わなくなった・・実態経済の需要に合わせる勘定奉行荻原重秀の政策が合理的だったと思われます。
言わば客が殺到してスーパーのレジ機に客が列をなしているような時代です
レジ機(決裁手段)が足りなければ増設を迷う必要はありません。
この原理が分らずに(今の財政赤字悪政論同様に)古代意識・儒学(とどう言う関係もないでしょう・・古代からの価値観を踏襲しただけ?)道徳だけを適用したのが新井白石の政策でした。
金の含有量を元に戻したので,貨幣量がヘリ,(貨幣の信用が戻ったと言うのですが・・)結果的に大デフレになって大変なことになりました。(ただし私の素人判断です)
金そのものを取引対象・商品としている場合,含有量を偽り、その他各種品の品質をこっそりと落として同じ価格で販売するのは、今でも不道徳です。
貨幣取引の歴史を素人的に遡ると,直截自分が欲しいものとの物々交換から,他の人が共通に価値を認めるものを代わりに受け取ってその後に知人と更に交換する→より多くの不特定多数人が交換に応じそうな金や銀が媒介物としての利用から始まった→原初金貨時代には,金そのものの物質的価値が99%重要であったでしょう。
政治権力が生まれて権力が金貨の価値が保障するようになると取引に当たって,その都度の品質確認作業が不要になって交換経済が円滑化します。
今でも銘柄の信用があると個別に味や品質確認しなくとも良いので円滑です。
こう言う時代には金貨の信用保証が重要なことで政権にとっても死活問題であったことが分ります。
いわば、金が金貨となり純粋決裁手段になる前の未分化時代・・これが貨幣の改鋳(含有量誤摩化し?)を非道徳視する基礎だったでしょう。
取引対象・商品として金と流通決裁手段しての貨幣との未分化状態の古代においては含有率を偽らないことが(秦の始皇帝の時代に権力背景に度量衡制度が始まったように)金貨のブランド維持・・王権による発行権独占に必須であったことは分ります。
現在でも大手企業が商品の品質維持に腐心するのと原理が同じですが、金が貨幣となり決済手段に使われるようになると約束事の世界・・誰でも交換代用に使ってくれれば良い・・紙切れでも良いのですから,金の含有量の程度は公表さえすれば関係がありません。
経済活動が活発化して,貨幣が決裁手段としての比重が高まり純化してくると決裁手段が金でも紙切れでも同じ・・材質に意味がない・・,社会の約束事の象徴でしかありません。
新井白石の時代より前の元禄時代・忠臣蔵・赤穂藩断絶のときに、大石内蔵助は発行済藩札を全部決裁したことが美談として語り継がれていますので、元禄時代にはこの過渡期・大名領地内で藩札が流通していたコトからも分るように、決裁利用の信用さえあれば紙切れでも良い時代が既に来ていたのです。
当時の経済活動の拡大に貨幣発行量がついて行けなかったので,列島・・とくに西国では既に藩札・紙幣の時代が来ていたコトが分ります。
藩札の信用は外貨・・幕府発行貨幣との両替で担保されていました。
今でも外貨準備+国民経済の実力の裏付け=為替相場こそが政府発行紙幣の価値の担保であり,政府単体の赤字とは関係がありません。
消費増税延期直後に官僚の意向を受けた?格付け会社によって,日本国債格付けを下げた途端、日本円が上がり始めた「喜劇?がこれを証明しています。
新井白石と荻原のどちらが時代にあっていたか?当時貨幣の中心機能が決裁機能に移行し,物質としての金取引と関係が少なくなっていた以上・経済取引拡大・必要に合わせて金の含有率を減らして幕府発行貨幣を多く発行した勘定奉行の決断は,実態経済の必要性に見あっていたのです。
何ごとでも(金自体の取引重視とは利用場面が違ってきた)「過去の正義」(鎖国の正義も家光のときと幕末とは国際情勢が違うように)とらわれると大きな間違いを起こす例の1です。
旧理論と現在進行形社会との齟齬は今もあります・・,伝統価値観に従ったIMFや経済官僚・エコノミストを中心とする現在の信仰的とさえも言える財政赤字「悪」論・・にも共通します。
今は政府と国民経済は一体ですから、政府財政赤字と国民経済赤字とは同じではありませんから、経済単位の1つに過ぎない政府財政赤字だけを強調するのは間違いです。
政府保証債は信用が高いように、政府債務は国民経済全体が保障している関係です。
この辺が中世スペイン王室が国民経済と関係なく破産した時代と違います。
実態の変化を無視した過去教養の固まり・緊縮経済を主導したがる秀才の集まるEU官僚支配に多くの市民がノーを言い始めた実体的基盤です・・EU離脱論やトランプが支持を広げる基礎には,実態無視のEU官僚政治にうんざりしている人が増えて来たと言う見方が必要です。
新井白石のこだわった金含有量についてその後の推移を見ますと,大恐慌以来日本その他が早くから金兌換制度をやめていたの(金含有量ゼロ政策)は正解で,アメリカが最後に金交換停止(ニクソンショック)をしましたが,これは「アメリカも遂に金が足りなくなったか!と言う(アメリカの威信低下程度のショックに過ぎず)世界の物価が急上昇にはなりませんでした。
金持ちが無駄に土蔵や長屋門を維持していたのを、遂に取り壊して貸し駐車場にした程度のことです。
取引の決裁道具としては、金の裏付けの必要としない政府信用だけの時代に入って久しかったからです。
政府信用も金非有の裏付けだけはなく、日々の貿易決裁や資本取引等を通じた総合信用・為替変動相場制に移行していますので,紙幣の材質には関係ありません。
今では紙切れの印刷さえ不要・・電子マネー決裁が目前に迫って来ました。
この一事を見ても白石が金の含有量にこだわったのは社会変化の流れを見ない時代錯誤であったことが(今になると)明らかですが,未だに歴史家は,白石の業績を(正徳の治」などと評価し,積極経済政策をした荻原や田沼を批判するのが普通です。
これまで繰り返し書いて来ましたが,金の裏付けがないと・・その代わり中央銀行の節度がないと紙幣大量発行に走り,超インフレになると心配をする人がいますが,インフレは需要に供給が間に合わないときに起きるものであって,供給過剰(需要不足)の現在では貨幣量がいくら多くてもインフレにはなりません。
ドイツ敗戦時の超インフレは敗戦で物資が不足したことによります。
逆から言えば特に現在社会では,紙幣発行を100〜1000倍にしてもそれだけではインフレにはなりません・・。
クルマを投機的に買う人がいるとしても,それは短期的現象であって必要以上にクルマを100台も買う人はいません・・紙幣が増えてあるいは金利が下がって買いたくなるのは需要範囲に留まりますので、必要以上に紙幣を発行しても必要以上のスマホなど買わない・・貯蓄・退蔵・ストックが増えるだけ・・銀行は預金が増えても貸す先がないので,自然に金利が下がりますが、下がっても必要以上に借金してクルマやテレビ・スマホを何台も買いたい人はいません。
だから私は紙幣大量発行→ハイパーインフレ論には組していませんし、現在のゼロ金利政策や紙幣大量発行による・・インフレ目標設定・・景気対策などは,茶番だと言う意見を大分前から何回も書いて来ました。
一国閉鎖経済時代の気候に左右される食糧品中心社会と違い,今の消費材は工業製品中心社会ですし、国際物流の時代です。
家電やクルマ、スマホなどは、需要がある限りいくらでも増産出来ますし,増産が間に合わず値上がりすれば競争相手のクニが黙っていない・・輸入品が直ぐに入ってくるので、国内紙幣発行量や低金利と価格の関連性はありません。
すぐに増産出来ない食料品も外貨さえあれば輸入が簡単です。
今でも新興国が金融危機で超インフレになることがあるのは,・・国民経済の信用毀損=金融危機・貨幣価値暴落で輸入資金(紙幣を10倍刷っても為替相場が20分の1に下がれば,半分しか輸入出来ません・・外貨を勝手に発行出来ませんので)外貨が足りなくなる・・輸入出来なくて供給不足になるからです。
1つの公団の赤字程度はその内政府が面倒を見るだろうと世界が問題にしないのと同様に、国民経済内の一単位に過ぎない政府の財政赤字だけとり出して議論するのは間違い・国全体の外貨準備(対外純資産)や国民の個人資産の総合評価・・結局は外為相場の動向が経済危機の重要指標であるべきです。
ただし,我が国のように敗戦・・民族の危機になると,命がけで国に帰って復興に努める民族とは違い,個人と政府の信頼・一体感のない中国では,クニが危機に直面すると,富裕層から真っ先に資金の国外逃避を始めるので個人金融資産の意味は国情によって違います。
政府赤字にこだわる論者は、中世から近代までの王室財産と国民経済分離時代の恐怖心を未だに引きずっていると思われます。
スペインフィリッペ2世が何回も破産し,次いでイギリス王権が増税失敗で革命になり、フランスも同じ結果でした。
この歴史経験の恐怖が、政府赤字にたいする恐怖感・・非合理で説明のつかない経済官僚の宗教的執念に繋がっているように見えます。
しかし今は,政府は国民財産管理者でしかありませんから管理者が管理している当座のお金がマイナスであろうとプラスであろうと民族の信用に関係がありません。
財政赤字論は,国内政治上どこに資金が配布されるべきか・・資金配分の議論でしかないでしょう。

フランス革命3と中韓露の財政危機対応への教訓

昨日紹介したようにフランスでは,財政改革が暗礁に乗り上げて,収拾のつかない状態打開のために三部会を開いたものです。
戦費調達のための議会招集はうまく行かないで革命に発展することは,イギリスの2度にわたる革命の教訓から,フランスでも良く知っていた筈ですが,敢えて三部会招集の轍を踏んだのは,フランス王家は貴族と聖職者から税をとろうとしていて市民を対象にしていなかったので,うまく行くと思ったからではないでしょうか?
この経緯から国王は当初聖職者・貴族等と第三身分との仲裁者的立場でしたから、国民公会の最初の決定事項は立憲君主制であり,教会財産の没収・国有化決定だったことを12月17日に紹介しました。
最初は三部会の議決方式(部会別か全体合算決議か)で市民と貴族聖職者連合と揉めた争いが切っ掛けで、第三身分が国王の招集がないのにテニスコートに集まる事態(国民公会の前身)に発展し,次第に騒ぎが大きくなって行きました。
貴族と聖職者に対する増税が元々のテーマだったのに,革命騒動進展の結果貴族層がうまく生き残って,聖職者と王様だけが引き摺り下ろされて終わった・・今になっても貴族層が生き残っているのですから,宮廷の権謀術数下で生き残って来た才覚を活かした政治力は大したものです。
我が国では,古代から(信長時代の近衛前久)戦前の近衛家に至る藤原氏と応仁の乱以降生き残って来た細川家(明智の謀反の危機や関ヶ原でもうまく切り抜け,明治維新では薩長土肥政府に参画し・20年ほど前の細川元総理は近衛文麿の孫)のような能力です。
16年12月20日過ぎ頃に日経新聞連載のファッションデザイナー高田賢三の「私の履歴書」では,同氏のパートナーの紹介部分で貴族が現在も生き残っている状態が紹介されています。
イギリスに比べて貴族層が厚かったことや貴族自体が既に資本家として活躍していたことも原因でしょうし、民間の力まだ弱くて貴族層との共存が必要だった可能性もあります。
元々国王と二人三脚で世界展開していた筈の商人が植民地戦争でうまく行かなかったからと,最後に国王を処刑する方に回るのは変な結果ですが,絶対王政と協調する重商主義の限界・・産業脱皮の限界に不満が出て来た・・保護者的?国王が不要になって来たのでしょう。
現在国際政治で言えば,中ロ等地域大国が国威発揚による内政失敗の誤摩化しが効かなくなったときに,どのレベルで民間が不満を持っているかによってその後の変化が決まって来ます。
韓国で言えば,歴代政権による国民不満逸らし目的で毎回反日批判していても、これまで日本が反撃しなかったので、これで溜飲を下げて政権満足度が上がる国民レベルでした。
こう言う赤ちゃんのような低レベル国民の場合、当てが外れると大変です。
朴政権も歴代政権の成功体験そのままでやったところ安倍政権の反撃で失敗に終わったのですが、朴政権が反日の旗を降ろすしかなくなると・・(国民はがっかりしたでしょう)突如朴大統領降ろしの嵐になって来ました。
当然次の大統領野党候補のスローガンには「日韓合意破棄」が掲げられていますし、数日前には釜山の日本領事館前に慰安婦像を建てる許可をしたと報道されています。
中ロのように「自分らのレベルはこんなもの」と達観できない・・まだまだこ反日を繰り返すしかないのでしょう。
中ロも中進国の罠を抜け出せなくて国内不満を逸らすために対外威信発揮に生き残りをかけていたように見えますが,(シリアで成功しても次々と手を広げることは出来ないので)威信発揮することがなくなると国民がどう出るかはフランス革命同様に国民レベルにかかって来ます。
ロシアではソ連崩壊後民主化・自由化して大失敗した経験があり、(実はロシア革命自体・・農奴解放などして行ったことが,逆に大貴族の反発を受けて命取りになったようにも見えます)このときにプーチンのような強力指導者がもしも出なかったら[アラブの春」のような大混乱に陥っていたと思われます。
この経験から,資源安による財政危機程度の不満でプーチン体制を変えても人民レベルが先進国水準に追いついていない以上どうにもならない・強権支配体制を変えようがないのが実態でしょうし、国民もこれを知っていると思われます。
資源安による経済低迷は仕方がない・・政治責任ではないと国民が達観しているとすれば、プーチンが焦って(経済が苦しいのにむだな軍事費を使って)国威発揚をする必要がなかったことになります。
国威発揚行為が行き詰まったときには,この点に関する(無駄なことに国費を使わないで欲しいと言う)国民批判が起きる可能性がある・・フランス革命で言えば[王様の見栄で戦争しないで!」)ということになるのでしょうか。
同じことは中国にも言えて,国内不満逸らしが本当に必要でやっていたとすれば,対外示威行為が行き詰まると大変なことになりますが,(中華の夢再現は)政府が勝手にやっていただけで,人民の方は冷めた目で見ていたとすれば,行き詰まってもそれ自体で大政変になりません。
アラブ世界のように無茶苦茶にしても意味がない・・歴代王朝末期に毎回繰り返したような大流民化時代を百年規模で繰り返さない・・少しは智恵がついたのではないか、ロシアが完全民主化するのは無理と分ってからプーチンを選んだように、その程度の智恵があると思われます。
中国人民も軍事費(岩礁の埋め立て工事などは世界で孤立する上に莫大な無駄です)に無駄遣いされたことの責任をとって欲しいかも知れませんが,独裁制自体をやめる必要がないと思っている可能性があります。
中国は先端技術を盗む追いつき型社会・・国策によるサイバー攻撃等で先端技術を盗んで追いついて来た側面があります。
今は,まだ完全自由化・民主化しても世界トップに立つのは無理があることは自明・・どうせ5〜6番手に近づく程度がやっとならば、個人で技術を盗むより国策でやって欲しい・・もう少し先端技術剽窃で追いついて行く方が特だと言う判断と完全自由化とどちらを選ぶかまだ分りません。
中国がトランプ氏に脅されて海外膨張よりは,内政に向き合うしかなくなってある程度自由化するしかないとしても、国策による組織的剽窃が必須とした場合,フランス革命型・・貴族に代わる共産党幹部の特権を前提にした国家関与を大幅に残した自由主義社会を目指すことになるでしょう。
これが為替を完全自由化出来ない原因(実力・WTOで非市場国認定を受けている実体的基礎))であり、完全自由化しないのは,中国社会能力に適した政策選択でもあります。
こうして見ると中国は内政的にはレベル相応の適正な政治(経済政策)をしているのですから,矛盾があるのは対外的に実態以上に威張り過ぎる矛盾だけ修正すれば済むことになります。
評論家の多くは完全自由化こそが経済発展に必要であるから,自由化を半端にしたままで政府がところどころつまみ食い的介入しているから,無理・限界が来ている・・完全自由化=共産主義経済統制経済の矛盾を認めるしかない→共産党一党支配の終焉しかないだろう式のニュアンスの主張が普通です。
いわゆる神の手・市場が決める方が優れている意見自体に私も反対しませんが、社会の中でもいろんな組織がある・家族で言えば「優先順位が弱い者順」になるなど市場の自由競争原理とは違った原理があるように・・構成要素の違う部分社会ごとに違った決定仕組みの方が良いこともある・・小学1年生に「何でも自分らで決めなさい」と言っても学級運営はうまく行かない・レベルに応じた自治が必要なように・・これがうまく行く社会とそうはいかない社会があることも事実として受入れるしかないでしょう。
国家単位で見ても小学生レベルから働き盛り〜老成したクニまで発展段階の違うクニがあります。
1直線に伸びて来た中国経済には無理が来ているのはそのとおりですが,だからと言って(ソ連崩壊後のように)無防備(抵抗力もないのに)に完全自由化さえすれば解決するものではありません。
私の考えでは完全自由化しないから中国がダメになりかけているのではなく,1直線の成長路線が曲がり角に来た・・修正が必要と言うだけであって,ここで大幅な自由化したもっと無茶苦茶になる・・先進国の餌食になるだけだから半自由化でも良いから,自己能力が低いこと認めて,[この程度で勘弁して下さい」とやる方が合理的です。
ハンデイをつけてもらって堂々と悪びれずやる方がなんぼか気持ちが良いでしょうし、周辺も協力してあげようとなる筈ですが、謙虚姿勢に転じるには沽券を重んじる意識が邪魔になります。
中韓共に国際社会で生き難さを助長している原因・謙虚さの逆張り・沽券意識が邪魔している点では共通です。
沽券や格式にこだわるならば相応の公徳心・礼儀があればバランスが取れますが,格式に見合う道義心が皆無・道路で痰を吐き,技術その他盗み放題・・道義心が最低のままで沽券・・大国意識だけ振り回す・・文字どおり形式だけで威張る沽券意識ですから世界で嫌われているのに気が付かないのです。
GDPその他指標をかさ上げして,威張り散らすのは百害あって一利無し・・・「今のところこれしか出来ない」ので教えて下さいと言えば済むことです。
数字で言えば実態以上のGDPや外貨準備等の自慢〜SDR採用成功などが端的に背伸びし過ぎを現わしていますが,「かさ高さ」をやめて低姿勢で教えを乞うように修正すれば廻りとうまく行き、実利もあって何の問題もありません。
個人もクニも原理は同じ・・実力相応に自己表現出来るようになれば良いだけのことであって、これが出来ないで実力不相応に空威張りしていると世界・友人との軋轢が絶えません。
これが洋の東西を問わない礼儀作法と言うものです。
若い頃には自信喪失と過剰の振幅が大きいと言われますが,クニや社会にとっても同じことが言えます。
民族、先祖の誇りを持ち自信を持って生きるのは(植民地支配で失った民族の誇りを取り戻し再起するエネルギー源は必要で)良いことですが、それを振りかざして近隣をバカにするようになると行き過ぎです。
何ごとも行き過ぎを押さえるのは余程の智恵がないと難しいものです。

中国資金不足4(財政赤字)

道路や国営の鉄道工事等インフラ投資は完成まで長期間要する上に、その後の乗客数がどうなるか(・・開業直後は赤字に決まっているので、赤字累積が問題になるのは開業してから10数年先のことですから)経済合理性のない内需喚起用の投資向きです。
日本でも本四架橋工事その他長期を要する工事では需要予測が高め・・殆ど無茶な予測をして工事をした結果、出来上がってみるとまるで需要が少なかったような事例が多いことからも分かりますが・・。
経済不振で追いつめられた中国では、(なりふり構わず外資導入を進めてその資金を利用して)先のことを読めないのに乗じて鉄道建設や不要なインフラ工事に投資するしかなくなっているように見えます。
数年前には乗客もいないのに無茶苦茶に鉄道建設工事をしていて、新幹線事故では現地で埋めてしまい世界の笑い物になっていました。
その後一時工事凍結していましたが、経済の底割れを防ぐために背に腹を代えられので春先から鉄道建設工事を再開したようです。
これによってココ数ヶ月の経済指標が上向いて来たようですが、無駄な工事をいくらやっても中国の勝手ですが、無駄な工事は将来負の遺産にしかならない・・需要のない鉄道を敷設すると工事費の支出(これが内需下支えになります)だけではなく、際限ない赤字の垂れ流しになりますので、資金繰りがいつまで続くかの問題になります。
こうした政策継続は将来の財政赤字問題の種になります。
日本の外貨準備は黒字の蓄積結果ですから、財政赤字と言っても国内資金付け回しの問題に過ぎないことを繰り返し書いてきました。
(「次世代につけを残すのか」とマスコミが言いますが、次世代は債券も相続するので結果はプラスになります・・1000兆円の国債残高に対して個人金融資産が1500兆円あるのですから、実質プラスです)
韓国の場合個人金融資産は以下のとおり貧弱ですから大変です。

2013年12月23日15時17分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
統計庁によれば昨年基準で韓国の家計総資産は平均3億1495万ウォン(約3090万円)だが、このうち金融資産は7855万ウォンに過ぎないということだ。総資産対比の金融資産の比重は24.9%に過ぎない。一方、実物資産は2億3639万ウォンで総資産の75.1%に達した。パク・ジョンサン研究委員は「担保融資や信用融資・賃貸保証金などを合わせた借り入れ総額が家計あたり5291万ウォンで、これを除けば純金融資産は2564万ウォンにすぎず、これに比べて米国は金融資産の比重が68.5%、日本(59.1%)、豪州(38.7%)とやはり韓国に比べて顕著に高い」と話した。

http://www.globalnote.jp/post-10574.htmlからの引用です。

個人金融資産 国別ランキング統計・推移
最新更新日2014年7月16日内訳データあり(1データ)統計期間1995-2012年収納カテゴリGDP・国民経済計算,金融解 説データの解説文を見る詳細機能Login

【単位:mil.US$】
順位 国名   2012年    注
1  アメリカ 59,434,131
2  日本   15,553,936 →今ですと約1555兆円です。
3  イギリス   6,413,696
4  ドイツ   6,236,054
5  フランス  4,928,674
6  イタリア  4,836,495
7  カナダ   3,841,220
8  韓国    2,871,164
9  スペイン  2,569,986
10  オランダ  2,356,153

中央日報の報道によると、一方は家計単位で他方が国単位ですので、実態が分り難いですが、上記国別個人金融資産表を見ると韓国人口が日本の約半分で金融資産は7分の1強ですから、貧弱さが分ります。
以上は平均値ですから、財閥支配の韓国の場合、(もしかして金融資産の大方が財閥のオーナー一族が保有している可能性があります・・このような区分けした統計はないのかな?)庶民レベルで比較すれば実態はもっと悲惨な状態にあることが推測されます。

連銀による財政政策6

日本の財政政策を見ても、バブル発生とその収束過程を見ても日銀の果たすべき役割が20年以上も前から如何に大きかったかが分ります。
アメリカや欧州危機だけのことではなく(日本に関係がないのではなく)日本の方こそ財政赤字が半端ではないことと、ほぼゼロ金利に張り付いてしまっていることから、経済政策を実行するには、日銀の役割が大きくなって来つつあります。
しかし日銀にはバブル発生防止に対する妥当な政策実行が出来なかったし、その収束過程でも本来果たすべきであった役割を充分に果たせないで来たことも確かです。
ただし、我が国の場合欧州危機やアメリカ連銀と違い、国内資本蓄積が大きくて(国内消化率が高いので)まだ日銀による無制限紙幣発行に頼る必要がありません。
それでもこのまま財政赤字が進んで行き、もしも国際収支赤字になって来るとアメリカ並みに紙幣発行増加で辻褄合わせをするしかなくなる時期が来るのを官僚が恐れているのです。
しかし、日本の中央銀行はそんな重責・役割を果たすだけの準備(心構え)も能力も今のところ全くないことが明らかですから、これが原因でここ20年ほど日銀批判が絶えない状態です。
他方で行政官僚の序列としては旧大蔵省入省組がエリートであって、日銀マンは亜流であったことから、財政赤字による日銀への権力集中・権力の逆転現象(官僚間の序列逆転)を何としても阻止したい気持ちが、旧大蔵省系列の官僚には根強くあってもおかしくありません。
バブル崩壊後日銀の独立性を法律上強化したものの、日銀には独立に堪える能力がないという内々の批判が喧しいのはこうした原因によるでしょう。
財政赤字が続くと行く行くはアメリカみたいに中央銀行が最終決定権を持って行くようになる危険(財務省系官僚から見れば・・)があることから、形勢逆転の危険な芽になる財政赤字累積だけは何とかして解消しておきたいのが旧大蔵省系官僚の悲願と言うべきでしょうか。
国際収支黒字か赤字かによって増税の必要性が決まるべきであって、国際収支が黒字である限り財政赤字がいくら溜まろうが増税の必要性は全くないと言う意見を連載してきました。
にも拘らず官僚組織挙げてマスコミを動員して財政赤字を理由とする増税の必要性にすり替えて猛烈に頑張る理由がここにあると言えます。
少しでも組織存続に害のある芽は早めに摘み取っておきたいのが官僚の本性です。
官僚の思惑は措くとしても、マイナス金利時代が来ると金利政策の意味がなくなり、ひいては財政出動の有無・程度が経済政策の中心にならざるを得ませんが、財政出動に必要な資金となるべき税は簡単に増税出来ないのが普通ですのでいきおい財政赤字が累積する一方です。
加えて通貨安競争時代に入ると、中央銀行が政府の意向に沿って紙幣を大量発行して国債等の引き受けをしてくれないとどうにもならなくなることは明らかです。
今回の欧州危機の解決についても独仏政府首脳はいろいろと発言しているだけで、その実、何らの直接的決定権もなく、その発言を受けて、欧州中央銀行総裁・理事会がどのような決定をするかにかかっている点はアメリカ連銀と同じです。
欧州危機の解決はECB総裁らの決定に頼っているから、マスコミも彼らの動静ばかり報じているのです。
連銀あるいは各国中央銀行の権限がここまで強くなっているのだから、中央銀行の役割がなくなったと私が主張しているのは逆じゃないかと思う方がいるでしょうが、ここまで来れば銀行の役割ではなく政治そのものです。
中央銀行の役割縮小については、2012/08/15「中央銀行の存在意義3」まで書いたことありますので、今回はその4となります。
欧州危機解決の必要性・・どのように解決の処方箋を書くかはまさに重要な政治テーマそのもので、世界中に影響を及ぼす重要決定ですが、これが政治家ではなくECB理事会が決めることになっています。
民主的洗礼を受けない専門家が政治の最重要課題である財政政策の最終決定をするようになると、政府から独立した中央銀行という独立部門である必要があるのか・逆にそんなことが許されるのかの疑問が生じます。

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