戦後占領時には米軍による強姦事件などが大量にありましたが、日本政府が内々抗議する程度しか出来ず、報道規制で報道すら出来ませんでした。
今でこそ沖縄が日本統治下であるから、沖縄でたまに起きる性犯罪事件が大々的に報道されているし、ちょっとした事故(・・飛行機から部品が落下したなど)でも大きく報道されて米軍責任者がその都度謝罪していますが、返還されていなければこう言う報道すらない状態が続いていたことになります。
サンフランシスコ講和条約締結のときも同様で、ソ連を含めた全面講和以外反対と言っていると、米ソ冷戦下で不可能な条件設定ですから、その結果半永久的に日本はアメリカ占領軍の軍政下・支配下に置かれていたことになります。
このように過去の反対論が日本のために何を獲得目標にしていたか理解不能と言うか実態に合っていない(国益を害する)主張であったことが多いのですが、そのときに反対論を頭からバカ扱いして多数決原理/強行採決していると国内にしこりが残り取り返しのつかない事態になります。
意見が合わない度に相手を国賊扱いしていきり立って強行突破するのは、国内宥和にとってマイナスです。
双方いきり立っているときには、内容を明からさまにして(多数決で強行採決)少数派の顔を潰して国内分裂を誘うよりは、少数派のいやがることを密約程度にとどめておいて「将来の国民が適切な判断を下すであろう」とするのは責任のある政権担当者としては合理的選択です。
内政・国会の場合秘密に出来ないので論議を尽くしても少数派が納得しない場合には最後は強行採決しかありませんが、外交決着や政党内意思決定等には、(論議を尽くした後には幹部間の協議に一任という形での)秘密交渉が必須です。
この場合将来自分の方が正しいという判定が出る確固たる自信があってこそ許されることですから、興奮の収まった頃・・ことによっては5年から数十年経過後には必ず開示するべき性質のものです。
懐に入れるバックマージンの密約のばあい、これがバレたらその政治家の政治生命は終わります。
こう言う場合、無期限に秘密にしたい誘惑が生じますが、このような不合理な誘惑に協力する必要はありません。
PKO派遣に関連する機密情報で言えば、国会審議のためと言って国民全部に関連国の兵力配置図や携行兵器の種類から何から何まで資料を公開するのは自衛隊員のみならず関係国兵士を危険に曝すリスクがあるので秘密にすべきです。
派遣終了後5年ほど経過してしまえば、5年前にゲリラ群がどの地域に展開していたか友軍がどの地域に展開しどのような装備でイザとなれば何時間で救援してくれるかなど・・派遣すべきか否かの直前情報の秘密性が薄れてしまうのが普通です。
派遣軍の保有武器や配置関連など外国から貰った資料は、ある程度ボカスなどで段階的公開して行く方法が考えられます。
すべからく、政治決定議事録等(特定秘密に関する引用している設計図等資料を除いての意味です)は性質に応じて一定期間経過で公開して政治決定時の国会や行政判断等の妥当性を事後審査に曝すべきが民主国家の基本でしょう。
一定期間経過・・その判断が難しいですが、政策効果が終わって何十年もたっているのに第三国に知られると困るという場合は、正義の観念に照らして第三国に対して不道徳なことをしている自覚があると疑えます。
例えば極東軍事裁判の記録は本当に正しいことならば、最早速やかに開示すべきでしょう。
合理的必要な期間が終わってもなお公開を嫌がる場合、・・・特定秘密ではありませんが、単純な例として試験終了後のテスト問題開示反対論があるとすれば、試験問題の適否に関する合理的批判を避けたい心理があるとしか考えられません・・出題に自信がないことになります。
設計や警備・兵器等や研究資料情報等データ関係を除いた政治的な会議での発言議事録等は、(添付資料が機密兵器等の設計図等であれば資料自体の開示には別の判断が必要としても口頭会話を議事録化した程度は)一定の更新があり得るとしても、最長50年前後を区切りにすべきではないでしょうか?
時代が変わり内容によっては50年以上秘密にする必要な事案が増えて来れば、その時点で最長期間の改正をすれば良いことです。
アメリカが大分前に知財の保障期間を20年ほど延ばして、プレスリーなどの版権を伸ばしたことがあります。
この見直し規定があると永久に公開できなくなるというのが、特定秘密保護法反対論の意見になります。
ただし今回の「特定」秘密保護法に関しては、安全保障に関する情報の中でも「特に秘匿すべき」情報に限定しているので、TPPなどの一般的な政治交渉議事録は普通の解釈では特定秘密に入りません。
ですから政治交渉過程が半永久的秘密になる訳ではありません。
この辺の批判意見は、すり替えっぽい主張になります。
「更新回数制限のない制度では反民主的だ」と言う反対論は、交渉議事録も特定秘密に加えるべきだという意見であるならば一貫します。