諫早水門開閉に関する司法判断の矛盾は、以下の通り菅総理が周囲の反対を押しきって(ウイキペデイアの解説によると)「私が決めたことだ」と最高裁への上告をさせなかったことによります。
矛盾関係をそのまま放置するのは市民運動家出身総理の面目躍如と言うべきです。
親子劇場専用ホール設置署名運動の例を書きましたが、ガラガラのホールを作っていつでも安く借りられれば便利かも知れませんが、「赤字を誰が負担するか」と言う他方の視点を無視するのが市民運動家です。
以下法務省(訟務部)の主張?解説です。
http://www.moj.go.jp/shoumu/shoumukouhou/shoumu01_00050.html
訴訟の現状及び国側の主張
開門派漁業者らが,潮受堤防の締切りによる漁業被害を訴えた佐賀開門訴訟において,福岡高裁は,平成22年12月6日,国に対し,潮受堤防に設置された排水門の開門を命じました(「判決確定日から3年以内に,防災上やむを得ない場合を除き,5年間にわたって開門せよ」という旨の主文)。この判決に対し,国 が上告をしなかったため,この判決が確定することとなりました。
そして,開門派漁業者らは,この福岡高裁確定判決に基づき,平成25年12月,強制執行(間接強制)の申立てをしました。これに対し,国は,対策工事がで きていない状況では,開門すれば営農者らや住民らに被害が生じるため,開門を強制することはできないなどと主張して争いましたが,平成27年1月22日, 最高裁は,国による抗告を棄却し,「開門しない場合,1日45万円(1人につき1日当たり1万円)を支払え」という間接強制決定が確定しました(その 後,1日90万円(1人につき1日当たり2万円)に増額変更がされ,この判断も最高裁で確定しています。)
他方,開門反対派営農者らは,国に対し,開門した場合には被害が生じるなどとして,開門の差止めを求める訴えを提起し,長崎地裁は,平成25年11月12日,国に対し,開門の差止めを命じる仮処分決定をしました。
これにより,国は,福岡高裁確定判決に基づく開門義務と,長崎地裁仮処分決定に基づく開門禁止義務の相反する義務を負うことになりました。
さらに,開門反対派営農者らは,長崎地裁仮処分決定に基づき,保全執行の申立てをし,平成27年1月22日,「開門した場合,1日49万円を支払え」という間接強制決定が最高裁で確定しました(これについても,現在,長崎地裁に対し,間接強制金の増額変更の申立てがされています。)。
このように,現在,国としては,開門してもしなくても間接強制金の支払を強制されるという状況に置かれています。」
以下はウイキペデイアの記事です
https://ja.wikipedia.org
菅直人の上告見送り
菅直人はかねてより自民党が推進していた本事業を「無駄な公共事業」として強く批判しており[1]、政権を取る前にも市民運動家やTVカメラを伴って水門を訪れて水門をただちに開けるように要求するなどの行動を行っていた[1]。2009年9月民主党政権が誕生すると、民主党の検討委員会が「開門調査を行うことが適当」という見解を2010年4月にまとめた。2010年12月15日、内閣総理大臣に就任していた菅は、福岡高等裁判所の判決について上告を断念すると表明した[1][8]。これに対して長崎県中村法道知事は「国営事業として進められたのに一切相談・報告がなく、報道で初めて聞いた。大変遺憾だ」[1]として不快感を示した[9]。政府内でも福岡高裁判決はあまりにも一方的であるとして上告する意見が大勢であった[1]。諫早市市長の宮本明雄(当時)や仙谷由人官房長官(当時)や鹿野道彦農水相(当時)が菅を説得しようとしたが[1]、菅は「私が決断したことだ」と意見を変えず高裁判決を確定させた[1]。長崎県知事・諫早市市長・雲仙市長・地元商工団体、農業関係者は連名で菅に23項目の抗議の質問状を提出した[10]。
高浜原発で言えば、福井地裁と大津地裁で矛盾する仮処分が出た場合、(諫早訴訟と違って直ちに矛盾する訳ではありませんが・・論点次第です)最高裁までやっておけば結論が統一されます。
衆議院選挙無効訴訟の場合で言えば、ある高裁で無効判決が出た場合国が控訴しないで確定させて、その他の高裁で有効となった場合選挙の有効性が矛盾し、収拾がつかなくなります・・そこでそれぞれの高裁事件について上告して最高裁の統一見解を求めるのが責任ある立場です。
菅総理は敢えてこれを拒否してしまった結果、収拾のつかない状態に追いやってしまいました。
この後で政治と司法の関係を書いて行きますが、政治は無限に存在する時間軸・平面軸の利害(矛盾対立)を調整して統合して行く仕事であり、現在社会では民意・市場こそが神の手であると言う思想が支配的・・民主政体優位の時代です。
そして多様な利害調整は民意吸収の専門家である政治家→国家意思で行なうことになっています。
司法権はそう言う場ではない憲法の作り付けであるのに、政治の場で民意吸収・支持に負けた勢力が、政治の場外乱闘目的・・司法の場に戦いを移したことが矛盾判断の確定をさせてしまったと原因です。
司法は主体性がなく訴えのある限度しか裁判出来ない仕組みですから、仕掛ける方の支持者・内通者?がタマタマ政権交代で国側のトップになっていたときに、ある裁判所で国に不利な判決が出たときに客観資料の明白な読み間違いがあって上訴すれば明白に国が勝ちそうなときに、国の敗訴を確定させるために政権トップの判断で直ちにやめてしまえば、別の裁判所で逆の判決が出ても(・・その間に政権を失っても・)矛盾状態を維持出来ます。
ある会社が次期社長の息子相手に横領事件の裁判をしたときに裁判所の資料読み間違いで、間違って息子が勝ったときに、(福井地裁の仮処分は新聞報道によれば決定書き引用自体が専門家の意見を誤解しているミスがあったと言う報道がありました)控訴すればほぼ100%逆転出来る資料があるときに、次期社長になった親が控訴をやめさせたようなもので、一種の背任行為です。
このように政治は時間軸での一貫性やA県とB県あるいは、国際政治と矛盾しない(「少なくとも県外」の一貫性)等の統一性が要請されますが、政治が司法に頼ると矛盾状態が起きる「制度的保障がある)原因になります。
民主党政権は(諫早事件では開門派が最高裁では負けると分って?)敢えてこう言う選択をしたことになります。
総理が(党利党略の観点のみで)こう言うことをしたとすれば、国家運営責任者の自覚があったのでしょうか?
この後で書きますが大津地裁原発停止の仮処分決定も、高裁では負けると思ってすぐに控訴出来ない仮処分決定手続に敢えて?した(・・その間停止状態になることを狙った)疑いがないかをこの後で書いて行きます。
ここでは過大被害想定運動が原発反対運動や原発操業停止仮処分を発令する伏線として利用されている点を書くのが目的で、失政をどうするかのテーマではないので、この点は仮処分制度のテーマが終わった後に回します。