個人エゴ主張を臆面もなく公的主張にした・・地域エゴ、成長し最大限発展したのが、以前紹介した杉並ゴミ戦争でした。
たまたま10日ほど前から市川市で周辺住民による保育所設置反対運動の結果、新設断念に追い込まれた報道が世間を騒がせています。
MSNでみると「子供の声がうるさい」と言う苦情が多くなっていて、東京都では騒音防止条例から子供の声をワザワザ外したと言う報道まであります。
目黒区の国有地利用の保育所などでも反対があって設置出来ない状態が頻発している様子です。
3〜40年前に運動会の声がうるさいと言う苦情に対して、コラムに何か書いた記憶がありますが、何事もエゴ主張が過ぎると次世代養育することまで肩身が狭い思いをしなくてはならない時代が来ます。
そのころは子供3人の子育て中でしたから自分に利害があって、何言ってるのだと反発したのかも知れませんが・・身近に子供のいない今になっても(聞いてみればそれなりに理由がありますが・・)保育所設置反対運動には疑問を感じます。
ちなみにmsnニュースによると以下のとおりです。
毎日新聞が16、17両日実施 「迷惑だと思う」6%
「千葉県市川市や東京都調布市などで、保育園の新設が住民の反対によって断念や延期になる事例が相次いでいる。毎日新聞の16、17両日の全国世論調査で「近所に保育園ができるのを迷惑だと思うか」と尋ねたところ、「迷惑とは思わない」という答えが86%を占めた。「迷惑だと思う」は6%。男女別、年代別で結果に大きな差はなかった。」
サイレントマジョリティー論22の続きですがいろんな集会に行くと、大きな声で何かを詰問する人が数人でもいるとそれが全体意見のような雰囲気で運営されることが多いのに驚きます。
保育所設置反対しているのは一部の人だけだったのでしょうか?
私の場合、たまに聞くから子供の歓声が気にならない(耳も遠くなっているし・)だけかも知れませんが、何もかも自分の都合ばかり主張するのでは共同体が成り立ちません。
保育所設置断念騒動をみたときに、アメリカによる日本の共同体意識破壊政策がここまで浸透して来たのか?と驚いてこのシリーズを書き始めていたのですが、MSN調査結果を見るとアメリカ的我欲に固執するのはまだ少数であることが明らかになりほっとしています。
東北大震災では、エゴよりも共同体利益・・民族の絆を優先して行動する人が圧倒的に多かったことが証明されています。
日本が世界に誇る絆社会が(アメリカによる戦後70年にわたる同胞意識破壊工作にも拘らず)健在であることが世界中に示されました。
学校教育やマスコミを通じてエゴ主張奨励を如何に煽ろうとも万年単位で培われた日本民族の価値観は簡単に変わらない・・エゴ主張したい比率は昔から変わってないことがわかります。
民族の価値観と言っても比率の問題ですから、April 7, 2016「司法権の限界13(人材と身分保障1)」でどんなテストをしても「5%前後の外れモノ」がいると書いてきましたが、正に6%くらいの外れモノがいるのは当然と言うか昔から変わらないでしょう。
東北大震災時に避難した留守宅を狙う空き巣が発生しましたが、こう言う不心得者が一定率いるのは当然であり、要は民族特性は比率の問題です。
ですから特定民族批判や賞賛は、当然の前提としてこの民族には日本にくらべてこう言う傾向の人が多いと言う程度の意味しかありません。
日本人にも犯罪者はいっぱいますし、きれい好き、約束や時間を守る落とし物が届くなども比率の大小問題であることが当然の前提です。
〇〇人と言ってもいろんな人がいるから、「民族非難するのは偏見だ」と言うマスコミ報道が一般的で、うっかり特定民族批判をするとレイシストのレッテル貼りされるリスクがありますが、その発言や民族批判は比率の差を暗黙の前提にしているのですから、これをあえて無視してレイシスト呼ばわりするのはちょっと狡い印象になります。
西洋ではナチズムに対する絶対的禁止社会ですからレイシストと言うレッテルが貼られると言論界で事実上抹殺される仕組みらしいです。
日本ではそこまで行きません・・その点で西洋よりもナチズムやユダヤ人虐殺が本当にあったのかなどに関しての議論・・言論の自由がありますが、それでもマスコミにレッテル張りされる恐怖が強い点は同じです。
マスコミ等での発言をするときにはリスク回避のために必ず「私は個人的に〇〇人と付き合いがあってその人は立派な人ですが・・」と言う前置きから始める人が大多数になっています。
こんな無駄な前置きが必要なのは、マスコミの異常なレッテル張りが原因です。
人材採用で学歴を重視するのは、例外があることを前提にしながらも大方◯◯と言う比率を基準にしているからですが、採用基準に他所の大学を入れない理由として一々「◯◯大卒にもいい人がいるのですが・・」断りを入れる企業はありません。。
イギリス人はアジ音痴だと言ってもマスコミは問題にしないのに特定民族になるとヘイトスピーチなどと過敏なのは不思議です。
マスコミがある特定分野で批判するならば、特定国の軍備増強や公害・言論弾圧などには何も言わない傾向がありますが、どこの国に対しても公平に批判する度胸が欲しいものです。