明治維新後数十年で見ると英文学に進んだ夏目漱石は漢文学等の古典素養の高さが有名ですが、いろんな分野に進んだ偉人の多くが民族文化素養が厚かったように見えます。
明治維新以降では英語力の強化あるいは文系より科学教育の必要性が叫ばれるようになったことと関係があるのでしょうか?
最近で言えばみんなが言語素養を磨き切る前(大学入試でも国語力の配点・比重が下がる一方でしょう)に専門分化が進みますので、医学や理系は理系素養中心、文系でも法律や経済学等々早くから分化していくので言語文化素養を磨く時間が少なくなっていることによるのでしょうか?
小学生に英語教育するとかIT教育するなど言語素養にかける時間比率が近年急激に減少してきたように思われます。
中国が歴代科挙(試験科目は四書五経中心)制度に偏りすぎて近代化に遅れを取ったと言われていますが、物事は程度問題(バランス)です。
社会組織が高度化していくとこれに比例して言語表現能力もアップしていくべきでしょう。
中国や朝鮮族で古代意識のままの科挙制度が維持できたのは、社会レベル(需要)に関係ないトップ階層限定の教養でしかなかったことから民族文化と関係がなかった上に、社会の自律的発展がなく社会のあり方が古代から変わらなかったので不都合がなかったからのように見えます。
日本では万葉の昔から、防人に出る末端兵士まで歌を詠み、武士の台頭によって実務重視社会に変化していくと、実務社会に必要な文化教養を備える・薩摩守忠度や西行法師に始まり、秀吉でさえ茶会を催し、辞世の句を詠んでいます。
光秀謀反決起の朝・出陣前に連歌の会を開いていたのも知られています。
江戸時代に入ると文化の担い手と消費者が市民に移行していくので(庶民相手の落語や川柳、役者絵、笠森お千などの美人画・プロマイドや旅行案内・広重の東海道の名所図など)の発達が浮世普及の原点でした)文化活動は社会水準そのものを写すものでした。
文化活動が社会変化について行けていないときには、外来文化が未消化で入っている状態というべきでしょう。
具体的な例でなく架空の例ですが、外資誘致でアフリカのどこかの首都近くに、周辺ホテル群を備えた超近代的空港設備一式を建設して首都まで高速道路で結び、その途中に最新式の工業団地を作ったとしても、その国の文化度がいきなりその設備に見合った内容レベルになるわけではありません。
最新工業設備や先進国の商品等が表通りに並び国民皆の消費対象になり、自分たちで作れるようになってもすぐにそのレベルの文化になるわけでないことは、ミヤコ見物に出かけて仮に1〜2週間滞在してみやこブリを堪能しても、あるいは1〜2年住むだけでみやこの物腰態度や価値観が身につく訳でないのと同じです。
日本の文化発展の歴史を見ると基礎蓄積の上に外来文化接触による刺激で花開いてきたように見えます。
仏教伝来や大唐の文化受容〜禅文化〜西洋の大航海時代・・鉄砲伝来と国産化成功
鍛冶屋のレベルアップの基礎の上に鉄砲伝来があったのですぐに国産化できたのはその一例ですし、明治の文明開花も西洋文明を受け入れさえすればすぐに産業革命の成果を国産化できる各分野の技術力アップがありました。
西洋の到来に刺激を受けた日本では安土桃山の絢爛豪華な文化が花開き、その反作用としての侘び寂びの文化も成長しました。
基礎文化の厚みがないと外来文化に飲み込まれるか混乱するだけで、民族独自文化発酵にまで行かないで混乱するばかりでしょう。
西洋の大航海時代や産業革命の影響も明〜清両朝や朝鮮の方が日本より先に影響を受けた筈なのに、両王朝でこれによって新たな文化レベルで目立った変化がないまま幕末を迎えました。
幕末においても清朝は日本に西洋の余波が及ぶ何十年前からアヘン戦争〜太平天国の乱に至るほどの激烈な影響を受けながらも、内部混乱するばかりでまともな文化変化〜政体変化もできずにいたのは、新文化価値を受け入れるべき基礎能力がなかった・古代社会文化レベルそのままで来たから混乱するしかなかったと見るべきでしょう。
以前からこのコラムで中国では古代から王朝が代わっても前王朝の繰り替えしで進歩がなかったのはこれを支える社会変化がなかったからであると書いて来ましたが、清朝崩壊も古代歴代王朝崩壊時と同様に社会の変化に合わせるための王朝打倒ではなく従来型軍閥による政権争奪戦でした。
その過程で流行の共産主義を唱えた現政権(私見ではこれも清朝末期の軍閥と本質があまり変わらない)が、山賊的に支配権を確立しただけとみる主張を読んだ記憶です。
政治の目的が古代王朝並みに人民からの収奪しか考えていない場合、専制君主制の王朝再樹立では時代に合わない点を独裁政権と言い換えて、その口実に共産主義を標榜しているだけで本来共産主義(分配目的・・裸官で知られるように共産党幹部の蓄財は半端でない状態です)の精神とは関係ない政権という説明です。
民族意識が古代社会のままで開放路線の結果先端産業を社会レベルと関係なく導入するとこれを文化的に消化できない状態になります。
中国の大規模近代化は、アフリカに飛行場と最新設備を作ったような点として作ったものを大規模にしただけですので、衛生観念も最貧困国並みでおかしくない・摩天楼のようなビルをニョキニョキ立てるだけで足元が不潔な状態・・中国人が日本にくるようになった最初のイメージは「汚い」と嫌われるのが、代表的イメージでした。
最近日本へ来る前に教育を受けてくるようで道路に痰を吐くようなことは目立たなくなりましたが、基本的衛生観念レベルの低さが、今回の新型肺炎の爆発的蔓延の基礎事情のようです。
フィリッピンや太平洋島嶼国などが、一様に厳しい包括的入国制限に走ったのは、自国に少しでも菌が入った場合、防疫能力の低さから見て仕方ないというのが国際的理解でした。
先進国では2次3次感染の広がりを阻止できそう・そういう意味では、WHOが(衛生レベルの低い中国特有の広がりにすぎず)世界的な問題性が低いと判断していたとすれば意外に正しいのかもしれません。