憲法改正・変遷3(社会党の憲法解釈変更)

政策論争に負けた方は今後負けないように政策内容をレベルアップする方に努力するのが本来のあり方です。
スポーツ選手が試合に負けた場合、更なる精進努力をしないで、相手の悪口を吹聴していても却って信用を落とすばかりです。
政策発動の妨害目的・・時間稼ぎ・・訴訟でいえば、遅延工作は弁護士倫理違反と言われるように、政治家も政策討論で決着がついたことについて、揚げ足取り目的で法廷闘争をするのは政策遂行を妨害するのは邪道で政治家倫理にもとることになります。
この手段を権力者が利用した場合を見れば明らかです。
韓国大統領の動静を報じた朝鮮日報の記事を引用報道した産経支局長を刑事立件したことが騒ぎになりましたが、自己の動静を誤って報じられたならば言論空間で争えば良いことであって、権力者が場外乱闘に持ち込むのは正当な政治活動の域を超えた民主主義の破壊行為です。
一旦被害者になり弱者の立場になれば、何を言ってもやっても良いと言う風潮が(特に韓国人には)顕著ですが、政治家のやっていることが本筋を外していると長期的には国民の支持を失います。
ところで、自主憲法を認めない立場ならば、社会実態調査不要・・欧米ではこうだと言う観念的議論も可能ですし、国連勧告が大切・・この立場からは国連調査団報告に重みをおく立場が導かれます。
何かあるたびにテレビに出て来て、「欧米では・・」と言う意見が、昭和40年代初頭ころまで、マスコミでハバを利かしていました。
司法権が日本の国益を総合勘案して判断するべきとした場合、国内実態の判断では足りずに国際情勢全般に目配りして判断する必要のある外交のあり方を判断するのは無理があるので、日米安保条約の合憲性に関して統治行為論が出て来たのです。
どこの国と組むかを含めて司法が介入出来ないと明白な判断が示されている砂川事件大法廷判決を前提にすれば、条約内容の決め方・・どう言う段階で相互協力するかの細目協定まで司法が介入すること・・すなわち憲法違反かどうかの判断することは不可能です。
まして司法権でもなく実態把握能力に何の保障もない机上の議論しか経験のない、(国際情勢・国家機密情報を総合判断必要があります・・判断能力の担保もない)学者が、集団自衛権関連法案を憲法違反だと合唱すれば、特別な意味があるかのようにマスコミが大きく取り上げるのって、上滑りの感じを否めません。
仮に元裁判官で事実認定経験のある人でも、国家機密等を入手出来ない在野人になっていれば、国際情勢に関する情報を総合判断して条約の必要性を判断するのは無理があります。
我々実務経験のある弁護士でも、他人のやっている事件を軽々に判断出来ないと言うのが常識です・・弁護士仲間をかばう意味ではなく、訴訟でどう言う証拠が出ているか・これに対する裁判所の反応どうであったかなど総合しないと判断出来ないからです。
繰り返しますが、憲法は日本のためにあるのですから、日本にとって必要かどうかが合憲、違憲判断の分かれ目であって、日本の国益を離れた憲法解釈(・・例えば中国の利益になるための判断)は許されません。
日本の社会実態を見極めて憲法内容を判断して行く方式の場合、憲法違反かどうかを見極めるのに時間がかかるように、改正する必要があるかの判断も時間がかかります。
社会実態の変遷をじっくり見定めることを省略した憲法改正など直ぐに出来る訳がないことを前提に、「改正が先だ」と「百年河清を待つ」ような議論をしていると、必要とされている現実の政策対応が全て間に合わなくなります。
15日に砂川事件判決の田中長官の補足意見を紹介しましたが、憲法論を言い出したら何でもそうなりますから(非正規雇用も平等原則違反だから憲法違反だとか、消費税問題も弱者にきついから憲法違反と言う主張が可能です)全て憲法違反と言っていれば、約10年かけてその裁判の決着がつかない限り何らの政治決定も出来ないと言う論法は無理があります。
要するに憲法論・・護憲勢力の主張は、なんでも反対の社会党が政策論争で負けたことについて、憲法違反のレッテル貼りすればいいと利用していた便利な論理でしたが、これで国民の信用をなくしてしまいました。
政治家は政策の優劣で競争すべきですが、旧社会党は筋違いのことをやり続けたので信用をなくして行ったと思われます。
私は革新系と言うのは、社会の進歩に反対する超保守の集まりであると書いて来た所以です。
社会党は世上「何でも反対・・」と言われていたものの実は賛成する分野もあったのですから、政治と言うものには、利害集団がバックにあるものと言う前提で考えると、政策対応が停止することによって利益を受ける集団があることが分ります。
これを前提に分類すると、日米安保反対、自主防衛反対、グリーンカード反対、指紋押捺制度反対、防犯カメラ反対、通信傍受反対・・秘密保護法反対・・等々、産業的には空港建設反対、原子力発電反対、公害反対・それぞれ名目があり、結果的に日本のために良かった分野もありますが、概ね目先の目的を見れば、日本の安全保障に反対であり、経済が発展する疑いのあるものには全て何でも反対していたように見えます。
憲法論に持ち込んで思考停止を要求する勢力の目的とする方向性も共通です。
集団自衛権の可否について内容の議論を拒否して、・・「憲法改正するまではそんな法律は許されない」と言うばかりでは、現実政治向きではありません。
これまで書いて来たように憲法は、イキナリ改正すべきものではないし簡単に出来ないのが分りきっているし、しかもその主張者の多くが護憲勢力を標榜しています。
既に社会党が放棄した「何でも反対」路線の蒸し返しを民主党が憲法違反と言い換えているだけですから、思考方式としては、砂川事件判決で六十年まえから「自主防衛が許される」「防衛のために安保条約を結ぶのは合憲である・どこと組むべきかその内容について、司法権が介入出来ない・・立法府の専権行為である」と言う歴史的解決をすませている現実を無視して、蒸し返している点では、韓国が条約で決着がついたことを、もう一度蒸し返しているのと同じ思考方式になります。
但し社会党がこれ・・自主防衛権・自衛隊合憲・安保条約合憲を認めたのは、村山内閣になってからですから、国内的に大筋の決着がついたのは、まだ最近のことです。
2015年12月9日のウイキペデイアによれば、以下のとおりです。
村山内閣
総理大臣在任中[編集]
1994年7月、第130回通常国会にて所信表明演説に臨み、「自衛隊合憲、日米安保堅持」と発言し、日本社会党のそれまでの政策を転換した(後述)。

社会党の年来の主張は、自衛する権利もない・・強盗に襲われても抵抗する権利がないと言うにひとしい、砂川事件判決後約40年間も最高裁判決を無視して非武装論をずっと主張していたことが分ります。
実務に関係しない学者ではなく、現実政治を担うことを目的とする政治家の集団が非現実的主張を続けていて一定数の支持があったこと自体、マスコミによる実力以上の援護報道が利いていたことを推測させます。

解釈改憲3(憲法秩序の事実上改変)

日本で「解釈改憲」「事実上の改変」がずっと続いて来たのは、長期間憲法改正手続法すら制定出来なかった・・アメリカの圧力で事実上国民主権の行使が制約されている状況下が続いていたことから、生まれた民族の智恵です。
言わば、無理な関税撤廃・不平等条約が要求されると非関税障壁で国内産業保護をして来たのと同じです。
国民主権の実質が宗主国?アメリカの圧力で事実上行使出来ない・・結果的に真の独立が出来ないようにされたままになっている・・これを法令上担保して来たのが国民投票手続法制定反対運動でした。
国民投票法が出来ないままの状況下が65年間も続いた結果、解釈改憲・・あるいは内閣の自主規制の変更で民意を表して行くのが、民族を守るために必須の手段だったのです。
アメリカも再軍備が必要になったときに憲法を丸ごと変えてしまうのを許すと、支配力の歯止めがなくなるので、アメリカにとって必要な限度で事案ごとに事実上の改憲・骨抜きを許して来たのが戦後政治でした。
これを合法化するために砂川事件のときだったか?国家の根幹に関わる高度な統治行為に関しては、最高裁判所が違憲判断出来ない「統治行為理論」と言うものがイキナリ出て来ました。
アメリカで生み出された学説だと言う触れ込み(学生か受験勉強時代の記憶ですのではっきりしません)でしたが、実際にアメリカで統治行為理論によって、違憲判断を回避した事件があったのかどうか私は知りません。
日本の非武装憲法をそっくり改正すると、どこまでニッボンが再軍備するか知れないので、改正まではさせたくないが、実際にはアメリカが認める限度の軍備を持たせたいと言うアメリカの都合に合わせてイキナリ出て来たご都合理論だったのではないでしょうか?
この結果、違憲立法審査権が骨抜きになり、アメリカのお墨付きがある限り、憲法の縛りを潜脱することが制度的に可能になって来ました。
このやり方だと戦後秩序そのものに対する挑戦・・改変運動のときにはアメリカは反対派を応援し、アメリカに必要な変更の場合・・安保条約締結などは変更勢力を応援するなど変幻自在の便利さがあります。
今になって集団自衛の違憲性が問題になっていますが、そもそも安保条約を結ぶことが許容されて来た経緯から見るとおかしなものです。
日本の基地を利用してアメリカ軍は、朝鮮半島の戦線やベトナム等へ出撃していました。
集団自衛権を行使すると、戦争に巻き込まれると言いますが、基地からの出撃を自由にしている方が、敵からの攻撃目標にされても文句言えない関係です。
横田基地などは東京の人口密集地近くですが、ここを攻撃された場合の被害の大きさに関して何の文句も言わなかったのに不思議です。
沖縄に限らず東京の横田基地が攻撃されても、日本はこれを防衛出来なかったのか?と言う疑問が起きてきます。
安保条約で基地提供したときから、基地防衛は相互関係にあったのではないでしょうか?
今になって何故、緊急時に助け合う集団自衛権協定を結ぶのが危険だと良い、違憲だと言うのか不思議です。
国内の米軍基地への攻撃ならば応援しても良いが、海外でも協力するとなると大きな違いがあると一般に思われているようです。
仮に国内米軍基地が攻撃されても応援しくても良い協定になっているとしても、「戦争に巻き込まれる危険」基準ならば、朝鮮戦争で日本本土から米軍が出撃した場合に出撃基地が逆襲される危険の方が大きかったのです。
当時アメリカはダントツに強かったので、日本国内の米軍基地まで空襲をうけることは想定外だったからと言うのでしょうか?
でも、数十年前から、ソ連や中国が、長距離弾道弾を持つようになっているので、アメリカも弾道弾での攻撃を防ぐことは出来なくなっているのですから、世界最強だから基地を貸しても大丈夫とは言えなくなっています。
戦争に巻き込まれる危険リスクから言えば、国内基地が攻撃を受ける場合に基地周辺日本人の受けるリスクの方が、海外艦船防衛に比べて桁違いに大きいことは確かです。
北朝鮮が都内横田基地を狙ってミサイル攻撃した場合、ニッポンが米軍に応援するか否かに関わらず周辺民家が大被害を受けます。
北朝鮮にとっては、命中しないで新宿のあたりに落ちても、それはそれで大きな効果があるでしょう。
政府は政府で、集団自衛権に関して日本近海だけ・・イラク等遠方では行使しないと説明していますが、戦争に巻き込まれる心配から言えば逆でしょう。
はるか遠くのイラクアやアフリカに行った船が巻き込まれるリスクに関しては、ソマリア沖等航行中の船の警備さえすれば何とかなりますが、横田基地をミサイル攻撃される場合を考えると米軍基地防衛を応援しないで、周辺だけ守るのは、不可能です。
追記
※ タマタマ10月9日の朝刊1面には政府が米軍と地域限定しない協力協定を見直すと言う中間報告が出ていました。
私の上記意見によれば、当然のことです。
以上によれば、集団自衛権と言っても国内に準ずる艦船や飛行機その他状況限定ならば、基地共同防衛と大差ないようにも見えます。
もしかしたら50歩100歩の違いで大騒ぎしているように見えますが、専門家から見れば大違いなのでしょうか?
無茶な上司の命令が部下のやる気を殺いでしまい、結果的にうまく行かないように、非民主国家(憲法改正が事実上禁止されている)における無茶な制度設計や命令に対して、解釈改憲は、被支配民族に残された有力な不服従・抵抗手段と言うべきでしょう。
これを違法だと形式論で批判するのは、植民地宗主国・正当性のない支配者の代弁者そのものと言うべきです。

解釈改憲2(憲法秩序の事実上改変)

憲法改正手続法の制定が事実上禁止されている状態の実際的効果については、憲法に選挙権を書いていても選挙法の制定をしない限り、選挙権が絵に描いた餅に過ぎないことを2014/09/13/「国民主権と護憲論の矛盾2」に書きました。
日本は1945年ポツダム宣言受諾に伴う武装解除以降・・武装解除の延長となる「陸海空軍その他の戦力はこれ保持しない」と言う憲法を強制されて、その憲法改正手続法がないまま、平成22(2010)年まで約65年以上もやってきたのです。

憲法

9条
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この間、改正手続法がない以上は、権利実現の方法がない・・法律上自前の憲法を法的に持つことが出来ない状態におかれて来たことになります。
自前の軍隊の保有も憲法制定権も否定されているのでは、・・法的には植民地にされていたようなものです。
憲法改正手続法が出来ても、なおアメリカの影響力があってイキナリ戦後秩序をそっくりひっくり返すような憲法が改正出来る訳ないので、実質的に自由に改正出来るようになるには、なお30年前後の期間がかかるのでしょう。
この間、自立出来ないように自衛力が弱小のままに抑えられて来た・・事実上アメリカの植民地的支配下におかれていたことから、イザとなれば友好国(宗主国アメリカ)に応援を頼むしかない状態におかれて来ました。
そうとすれば、「イザと言うとき日本も応援します」と言う相互防衛条約を友好国(アメリカ)と事前に締結しておく必要があります。
友人関係も同様で、自分の都合のときだけ付き合ってくれと言って、相手の都合に付き合わないのでは、友人関係が壊れてしまいます。
まして映画を見に行ったり食事のお誘い程度の交際ではなく、軍事協力する方は自国民の生命を危険に曝す以上は、事前に相互関係を築いておくことは必須です。
古来から、独立国家間で相互性のない軍事同盟は皆無と言っても良いほどです。
(日本がアメリカに完全従属・事実上の植民地支配を受けていたこととアメリカ軍が強大であったから、片務契約が例外的に成立していたことを以前から書いてきました)
個人間でも一方的に世話になるばかりでは対等な関係とは言えません。
この後で主権と相互関係のテーマで書いて行きますが、主権を維持する以上は、片務関係ではなく相互関係が原則です。
アメリカの経済・アメリカ軍が弱体化して、他方日本の主権回復が進んで片務契約から、相互条約に変えて行く必要が迫ってからでも、具体化するにはいろんな擦り合わせに時間がかかります。
敵が攻めて来るかもしれないときにこう言う条約を結んで良いかどうかを「憲法改正してから考えます」と言うのでは間に合いません。
解釈改憲ではなく憲法改正が必要と言う勢力が、憲法改正手続法の施行に反対・施行延期を主張していた勢力と一致しているのですから、矛盾した主張と言うべきです。
自国防衛に必要な軍備も半年や1年で準備出来ませんし、(戦闘機等の購入は、スーパーで日用品を買うような訳に行かないので、外国からの購入契約自体にかなりの期間が必要ですし、購入後の訓練期間・人員養成等を考えると間に合いませんから、5〜10年かけて憲法改正してから購入や製造をすれば良いと言うのでは間に合いません。
「非武装の憲法があるから議論自体許さない」・・あるいは「憲法改正してから危機に対応すべきだ」・・その間は思考停止して中韓の動きを傍観しているべきだと言うのでは、本末転倒した議論のような気がします。
議論は議論で予め充分に尽くしておくべきだし、いつ憲法が改正されても迅速対応出来るように予め装備品購入や友好国との共同訓練その他の準備を怠りなくしておくべきです。

解釈改憲1

憲法改正は、革命的動乱がない限り実現するには5〜10年以上の歳月が必要で、急場の対応には間に合わないし現実的ではないことを(9月9日「憲法改正の時間軸」で書きました)直視する必要があります。
まして我が国ではアメリカ応援を得ている護憲勢力によって、改正手続法の施行制定自体に強力な反対が続いていましたが、漸く平成19年5月に手続法が制定されたばかりです。
日本国憲法の改正手続に関する法律(平成19年5月18日法律第51号)これは公布後3年経過で施行するとされていましたので平成22(2010)年から施行されていることになります。
憲法制定後約65年近くも改正手続法がなかった・・この間実質的な国民主権国家とは言えなかったことになります。
非武装平和論者は平和憲法を守れと主張して憲法改正手続法の制定にさえ反対していて、制定された後も施行延期を求めるなど、何が護憲勢力か意味不明です。
護憲勢力と言う以上は、国民の意見が反映した憲法にするべきです。
この後に書いて行きますが、弁護士会の自治を主張する以上は自治に値する内容を維持しないと却って自治権が失われてしまいます。
以下はウイキペデイアからの引用です。

「社会民主党は、国民投票法について「戦後60年間、平和国家としての土台となっていた日本国憲法を変える法案」とした上[1]で、「憲法改悪の道へひきずりこむ改憲手続法案は絶対に廃案にすべきである」として、国民投票法の制定そのものを批判した[2]。
民主党国会対策委員長の高木義明は国民投票法の成立を受けて、「安倍総理のための実績づくりを急いだという印象が拭えない」との認識を示した[3]。このことに関して、自民党政調会長の中川昭一は「反対は民主党の党利党略である」と批判した[4]。
日弁連会長の宇都宮健児は、2010年4月14日、「選挙権を有する者の年齢、成年年齢、公務員の政治的行為に対する制限のいずれについても、いまだ必要な措置が講じられて」いないこと(同法附則3条および同法附則11条)、また成年年齢・最低投票率・テレビ・ラジオの有料広告規制の三点について必要な検討が加えられていないこと(同法附帯決議)、さらに、同連合会が2009年11月8日付の憲法改正手続法の見直しを求める意見書で指摘していた8項目にわたる問題点について[5]、「附則及び附帯決議が求めている検討がほとんどなされておらず、必要な法制上の措置が講じられていない」ことなどを理由に、同法の施行延期を求める会長声明を発表した[6]。」

・・この後で書くようにアメリカは解釈改憲には応援しますが、憲法自体(戦後秩序)の改変には反対ですから、この点ではソ連中共よりの左翼・文化人と意見が一致していました。
民主国家では国民多数の意見で法令を改廃出来る仕組みになっているからこそ、法令遵守を求め違反者を処罰出来る正当性があるのです。
一旦作った法令(しかも占領軍が強制して作らせた憲法を)の改廃手続法がない状態・・手続法制定に反対していた護憲勢力は憲法の正統性の根拠を否定しているに等しい存在になります。
憲法改廃手続法が制定されない限り、民意を合法的に憲法に反映する方法がないままですから、憲法に国民主権を謳っていても実際の国民主権・民主国家とは言えません。
日常法令の改廃手続き・・普通選挙法と国会があるので、国民は何となく民主国家になっていると誤解しているものの、国の根幹を決める憲法に関しては、占領軍の作った憲法・・植民地が宗主国に従うしかないような基本法・・の改廃が出来ないようにされたままでした。
植民地が独立を認められたと言っても、憲法で軍隊は旧宗主国が従来とおり駐留して国を守るので自前の軍を持つことを禁止し、このシステム・憲法の改正を禁止すると言う憲法を制定しているようなものです。
武装解除されたママ70年も来た日本を、世界に誇れる平和憲法とはよう言ったもので、この論理によれば、軍事侵略されて武装解除された国はみんな平和国家となります。
彼らの論理によれば、ウイグル人やチベット人も自前の武力を持たないので、平和国家の名誉を得て、世界一幸せな国民となる理屈でしょう。
我が国や香港の場合、独立を認められた植民地が自由に決められるのは憲法の下位の国内法の改廃だけで、旧宗主国の決定が上位規範であると言う原則を定めた憲法改正が禁止されている・いたようなものです。
血を流した独立戦争で独立を勝ち取らない限り、宗主国は根幹的権限を残そうとするので、こう言う半端な状態になります。
今騒乱状態にある香港にあたるのが日本で、アメリカが中国本土政府みたいな状態です。

平和論と憲法1

中韓の歴史認識を擁護する論者の多くが、護憲勢力・非武装平和論者とダブっていますので、アメリカ占領下で作られた異民族支配体制の恒久化・・日本独立を認めたくない勢力ではないでしょうか?
被占領下で異民族に隷属していた日本民族の姿が一番良かったと言う立場・・アメリカが出て行ってしまったならば、今度は中国または韓国どこでも良いが、どこかの被占領下・被支配下にあるのが望ましいとする勢力でしょうか。
アメリカが占領の置き土産にした歴史認識・・他国の言うとおり、歴史を教えろと言う立場・・自国民族を貶めて異民族に隷属する方が正しいと考える言論人やマスコミを置き土産に養成して行ったので、その遺産・アメリカの露骨な外圧のみならず内圧にも日本民族は苦しむしかありません。
日本が少しでも中韓独自の歴史認識に反論しようとすると、中韓両政府の「戦後体制に対する挑戦だ」と言う主張は、まさに左翼・文化人・マスコミの主張と同根ですし、そう主張すればアメリカが背後で後押ししてくれると言う期待があるからでしょう。
自国の独立・主権を否定し、アメリカの支配力が衰えればその代わりに中韓の主張に唯々諾々と従うべきだ・・そうしないと世界で孤立すると脅すのが、マスコミや文化人です。
中東で言えば英仏の勢力が衰退すれば、この機会に独立するよりは、今度はアメリカに従うべきと主張をしているような勢力です。
日本主権否定論が外国勢力だけではなく、同一民族内で強固な勢力を築いているのが日本の不幸ですし、世界各地での欧米の植民地支配の遺産が、旧植民地諸国だけはなく日本でも根強く根を張っていることが分ります。
中東でのテロ組織「イスラム国」による国境線変更の動きに対して、これを作った欧米が残虐なテロ組織だと非難するのは分りますが、民族宗派を分断し内部対立するように仕組んだ現在の国境線に苦しんでいる筈のアラブ諸国政府自体が、こぞってイスラム国に猛反発しているのは、我が国左翼文化人が護憲勢力・アメリカの作った戦後秩序維持派になっているのと根っこは同じです。
アメリカとしては、自分の強制した憲法が日本民族の利益にあわない(アメリカは日本の利益にならないように憲法を作ったのですからそう言う意見になるのは至極当然の成り行きです)と言う理由で改正されるのを、一日でも先に伸ばした方が良いので、護憲派がアメリカを後ろ盾にしている面では(日本が自衛力を持たない方が有利な)中韓の主張と同様です。
日本民族にとって何をすることが必要かを虚心に議論し、その上で、もしも現行憲法条文が時代に合わず国民にとって不都合と分れば、憲法を改廃出来ること自体が憲法に明記されていることを9月15日に紹介しました。
9月18日「非武装平和論とその帰結2」以来横にそれていましたが、平和論に戻ります。
憲法違反かどうかではなく、現実にどうしたら良いかの議論こそが先決的に重要ですから憲法に書いてあると言って、どうすべきかの議論自体を封殺するのは邪道です。
我々は学校で現実に存在しない教科書問題を解いているのではなく、現実に起きている社会現象をどうすれば良いかの議論が必要です。
尖閣諸島侵略の危機に直面している今の日本にとって大切なことは、先ずはどうしたら日本民族の尊厳・領土主権を維持出来るかが重要であって、その議論の結果なすべきことが決まった場合、その対策をとるのが現行憲法上許されないならば、憲法を変えるかどうかの議論が必要です。
議論の前に「祖国防衛は憲法上許されないから議論の必要がない」と言う意見は学校教材的な空理空論と言うべきです。
教養人と言うのは学校秀才が多いと以前から書いてきましたが、非武装論や集団自衛権アレルギー論はその実例と言えるかも知れません。
ちなみに、もしも憲法が実態にあっていないとなったときには、解釈改憲によって対応をするのは狡いと言う主張があります。
集団自衛権に関する政府見解・閣議決定の変更に対する反対論もこの一種です。

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