二重支配解消と日本対中朝対立の始まり1

朝鮮が日本の働きかけに煮え切らなかったのは、頑迷固陋というだけではなく、宗主国清朝の許可を得なければならないという法的言い訳もあったでしょうし、これを半ば信じていたと言うか仮に属国とすれば法的にはそのとおりですから、朝鮮独立→ロシアの南下に対する防波堤とするには日朝協調のために解決すべき法理でもあったのです。
当時清朝は前近代的朝貢関係の属国を近代法の属国へと切り替えるつもりで、以前より朝鮮支配を強化していました。
朝貢関係程度では清朝支配の領土として国際法的に認められず、侵略に対する有効な法的抗議が出来なかったことによります。
沖縄(当時琉球)の関係もどっち付かずでお互いに旗幟を明らかにせずに都合良く利用しているような・・よく言えば大人の智恵的な関係したが、当時押し寄せて来た西洋法理では所有権は絶対でこんなあやふやな関係では所有者がいないものと見なして、だれが占領しても良いという西洋に都合の良い法理でした。
この法理によってアメリカ大陸や太平洋の諸島で誰の領有かはっきりしない場所(現地住民・一定の社会組織があるのにこれを無視して)では、先に国旗を建てた方が勝ちみたいな植民地化/西洋による領有化が進んだのです。
ローマ法→ナポレオン法典を源流とする民法に書いてある「無主物先占」法理の国際法版です。
民法
(無主物の帰属)
第二百三十九条  所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する。
2  所有者のない不動産は、国庫に帰属する。
この結果、極東地域では、アヤフヤな二重支配関係をどちらに帰属するかの整理を早急にしないと西洋諸国に占領されても文句言えないことから、単一支配に整理する必要性が出て来て、日中朝鮮3ヶ国の調整を迫られました。
当時の力関係で台湾は清朝に、沖縄と対馬は完全な日本にとなりました。
樺太・千島は、日露交換条約で樺太を譲り千島列島は全部日本となって行ったのです。
日本にとっては樺太と千島列島北半分の交換では大分条件が違う・・損な印象ですが、領土の広さよりは軍事的観点から見ると当時ロシアが太平洋に出られないようにすることに英国など他の西洋諸国の関心があって,この意向を受けていた日本が受諾したのではないでしょうか?
明治新政府は清朝李氏朝鮮がこうした領土確定交渉に忙しかったことが、それまでこれと言って争いのなかった中国や朝鮮との仲違いが始まっている元凶になっているとも考えられます。
中国や朝鮮はこのときの力関係(戦争によるものではないものの)で決まったので、日本に良いようにやられた・・許せないと言うのが国論になっているのでしょう。
(とは言うものの実際上の支配の強かった方に決まって行った点では、結果妥当と思うのは日本人である私の贔屓目でしょうか?)
所有権絶対の法理は既に何回か紹介しています。
我が国ではその前には所有権概念がなかったのです。
・・農地で言えば領主のものか地主のものかはたまた地元豪族のものか・・重層的支配が普通だったこと・・・城や城下の屋敷や建物も国替えの都度売って行ったのではなく、そのままおいて行くのが普通だったし誰の所有か実ははっきりしていませんでした。
・・忠臣蔵の吉良上野の屋敷替えでもそうですが、元の屋敷の建物を取り壊して移築などせずに、ただで出て行った筈です。
赤穂藩も領地没収されるだけではなく、お城その他のものもみんな無償で引き渡し命令を受けるので自分の物という意識はありません。
この辺の法理については、07/03/07「配偶者相続と所有権の多様性4(民法207)」December 8,2010「フランス大革命と所有権の絶対4」前後で連載しました。

不安解消資金

 

そこで一人当たり貰ったお金がどのくらいあって、万全の移転準備や補償・・不安解消に足りる額であったのかを見て行きましょう。
福島第一、第二原発立地自治体住民は赤ちゃんまで含めて、ウイキペデイアによると双葉町(2011年2月1日現在推計・6,884人)と大熊町(11,574人・推計人口、2011年2月1日)第二原発の立地する富岡町15,959人(推計人口、2011年2月1日)楢葉町7,679人(推計人口、2011年2月1日)ですから4町合計で約4万人に過ぎません。
このうち大熊町の例によれば、原発立地による巨額資金流入によって、人口が減るどころか逆に1、5倍くらいに増えた結果であることを6月14日のコラムで紹介しました。
他の町も同じ傾向かどうかはっきりしませんが、似たよう推移であったとすれば、・・震災前人口の3分の2=約2万6000人であった可能性もあります。
(双葉町をウイキペデイアで見ると1970以降の国勢調査しか出て来ず、用地買収の始まった1960年〜1965年当時の国勢調査結果が町の歴史・ネットでは出て来ないので正確には不明です)
この4町ぷらす周辺人口(お互いが周辺住民としてお金の配分を受ける関係)で巨額資金(モデル計算によれば施行段階から運転開始後10年経過までに元金で約9000億円)を・・何の対価もなく(ここでは土地買収資金などの入金は除外しています)全国民の血税から受け取って来たことになります。
モデル計算と実際の支給額とは誤差があるでしょうし、この4町以外にもある程度配っているでしょうが、その大方がこの4町に配られていたと見るべきでしょう。
「不安だ不安だ」と抽象的に騒ぐだけではなく本当に不安があったなら、不安の内容は何かを前回書いたように検討するべきでした。
そうすれば移転のリスクでしかないことが直ぐに分りますし、不安の内容が分れば一刻も早く避難行動に移れるように放射能汚染状況の計測を自前でするようにしたり、避難予定用地手当、避難経路の確定・避難・輸送手段の確保その際の防除服・マスクなど準備しておくべきことを簡単に決められたことになります。
周辺への配分など考慮して仮にこの4町だけで貰っていた金額が元金ベースで7000億に過ぎなかったとしても、この元金だけを26000人で割れば一人当たり(赤ちゃんまで含めて)2700万円前後貰っていたことになります。
これを約30年間普通にプロに運用を頼んでいたら(1964年=用地買収の頃から貰っていますが、仮に運転開始からとしても福島第一原発の最後の運転開始からでも既に30年は経過しています)8〜10倍になっていた勘定です。
2011年6月13日に会計検査院の記事の一部と共に紹介しましたが、何の能力もない消費者が信託銀行に預けておいても、5年で1、5倍、10年で2倍に(20年で4倍に)なると宣伝されていた時代でした。
私のような末端消費者にさえ10数%前後の商品が販売されていた時代で、プロの資金運用会社の場合、年利15〜18%くらいで回っていた時代ですから、貸付信託の2倍の利回りとすれば10年で4倍、20年で16倍、30年で64倍ですが、さすがに15年目以降はバブル崩壊後ですので、年利5〜6%でまわすのがやっとだったかもしれません。
それにしても1960年代から貰い始めたとすれば、バブル崩壊までだけでも、7〜8倍にはなっていた勘定です。
9000億円の交付金は運転開始後10年までのモデル計算が公表されているだけで、その後(素人には不明と言うだけで)も交付金がなくなる訳ではなく減少するだけですから、さらに莫大な資金が地元に落ちていました。
福島第一原発の最後の6号機運転開始が1979年ですから、その後の10年経過後1789年からだけでも今年までに20年以上経過です。
この間にどれだけの資金が交付されていたかについてははっきりしたことが公表されていませんが、(出来るだけ分り難くしている感じです)ウイキペデイアの電源三法の交付金(6月11日現在)の記事では以下の通りとなっています。
「朝日新聞の調べ[1]によると、2004年度(予算ベース)での電源三法交付金は約824億円に上るとされている。うち、福島第一、第二原発を抱える福島県では約130億円、柏崎刈羽原発を抱える新潟県では約121億円、敦賀、美浜、大飯、高浜原発を抱える福井県では約113億円、六ヶ所村核燃料再処理施設や放射性廃棄物管理施設を抱える青森県では約89億円となっている。」

これによると福島は第一第二合わせて130億円の交付とのことですが、2004年だけしか分りませんが、仮に同じような金額を22年間もらい続けていたとすれば、2860億の巨額になります。
この外に2003年からは原発特別措置法による巧妙な資金交付があります。
これは6月9日に書いたようにいろんな分野の補助率の引き上げですから、よほど綿密な調査しないどれだけ貰っているのか分らない仕組みです。
原発は本当に火力発電よりも安いのかについて疑問がありますので、(今回のような後始末の費用を含めて)国費の投入内容を明らかにすべきです。

不安「感」の解消

巨額交付金が不安「感」だけに対する補償だとしても、不安「感」を言い立ててそれに対する補償金をもらった以上は、不安「感」解消策にこの資金の大半を用いるべきであって危機管理に一切役立てる必要がない・贅沢して使ってしまえば良いお金だと言うことにはなりません。
好きに使ってしまえば良い資金にしては(この外に原発立地特別措置法による税の投入もあります)貰っている金額が大きすぎませんかと言うことです。
迷惑料には、町工場の騒音や振動・臭気、日照被害や電波障害等々に対する解決金もありますが、こうした場合には日々侵害を受けていることに対する対価であって、将来高層ビルが倒壊して自分の家がつぶされることや工場の爆発事故による被害の前払いまで含んでいないことは明らかです。
原発立地には、こうした日々の具体的損害が皆無(不安感こそが日々の損害であるとも言えますが・・・具体的損害ではなく抽象的損害の部類でしょう)ですから、何らかの具体的損害と関係のない「不安」感だけに対する補償としてこんな巨額資金を払う必要があったのか疑問です。
この巨額資金交付が決まったのは、イザと言うとき・・すなわち放射能の飛散時の巨額損害・迷惑を念頭に置いた政治交渉の結果妥結した金額だったと言うべきでしょう。
不安とは何らかの身体的精神的財産的損害に対する予測を言うものでしょうが、「感」とは、まだその予測が具体的な形をとっていない場合・予備段階の心情を表すものと言えます。
この漠然とした「感」言う非合理な恐怖感は解消する方法がないと思う方がいるかも知れませんが、政治家は住民の不安を具体的に構想してこれに対する対策をしておくことは可能です。
古来「備えあれば憂いなし」と言うように危機管理対策を十全にしておいて、その擦り合わせ・住民への周知などをしておけば、国民はイザとなればこのようにすれば良いのだと言う安心感が生まれるものです。
爆発事故や交通事故に遭遇するのとは違い、原発立地による不安とは放射能汚染の不安に尽きるのですから、事故のその日に寸秒を争って逃げないと大変なことになるのではなく、(爆発現場敷地内にいれば大変ですが、)一般住民にとっては事故があってから逃げても遅くはありません。
数km以上離れた住民の場合には、放射能漏れが始まってから数ヶ月〜年単位の継続汚染が問題になるだけであって、数日や一週間で致命的な被害を受けるものではありません。
津波や地震被害のように誰かが行方不明になったり、足腰を骨折するなどの身体的障害を受け、あるいは家財道具・商売道具が流されてしまう訳でもないのですから、原発の不安とはイザとなれば住み慣れた生活を捨てて長期間避難しなければならない不利益に対する不安に帰するのです。
避難方法やその先の生活方法の準備さえ、事前に充実していれば家族もペットもみんな一緒に避難出来て、しかもある程度従来の生活水準を維持出来る・・一種の転地が強制されるだけの話です。
6月17〜18日に書く予定ですが、あらかじめ希望者には一定金額を配って住民がそのお金で遠くへ移転しておくのが究極の不安解消策になります。
転地は嫌なものだと言うのは、定住時代の過ぎ去った意識に凝り固まっているだけであって、実際にそういう意見を言う人自身の生活を見れば、親元から離れて進学・就職したり、より良い生活を求めてアパートからマンションへ、マンションから一戸建てへと次々と引っ越しをしているのが普通であって引っ越しををいやがってはいないのです。
今の時代転勤族の多さを見てもあるいは転勤がなくもと同一経済圏内でライフステージの変化にあわせて(家族構成の変化・マンション購入などで)次々と引っ越しする人が多いことから見ても相応の金銭的補償・転勤による栄転などであれば、引っ越しをいとわない人の方が人口の過半でしょう。
とすれば移転の混乱・不利益を極小化し、その不利益を補填する準備さえあれば・・その準備はお金次第ですから、お金である程度用意・・代替出来ることが多いのです。
上記のように希望者にだけ配るのですから嫌なら引っ越さなくても良いのですから、外野が田舎の人は転居をいやがる筈だと前もってとやかくいう必要がありません。
そこで一人当たり貰ったお金がいくらくらいあって、上記のような万全な準備をするに足りる額であったのかが問題です。

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