不満社会?4(統一地方選挙に見る民意)

もともと「全数検査や直接訪問など無駄なことだからやめよう」となった・・真面目な公務員が無駄を省くのを考えたが上(審査会の審議を経る必要あるのを気がつかなかった?)の許可を取っていなかっただけ?のような話です。
公務員がサボったのではなく・厚労省が直接する職務でなく「東京都が全数調査や会社訪問をしなくて良い」というお墨付きを与えただけ)国民のために無駄な調査コストをかけるのをやめようという動機こそ褒めるべきではないでしょうか?
うがった見方をすれば統計学者が擁護しないのは、自分らが気づかないで放置していた点に現場が気づいて自分らにお伺いなく実行してしまったことが腹立たしいからでしょうか?
世論調査や、消費者物価指数等調査手法でわかるように統計の基本はサンプル調査であって、全数調査などしていたらイクラ予算・税金を徴収しても足りません。
昨日見たところによれば、統計調査手抜き?(無駄な調査を省いたの)は1996年から始まっているのですが、統計不正?(結果が良くても上司の許可を得ずに簡略化した不正)?を追及している野党政治家が当時所属していた民主党政権時代(2009〜11年)にも気がつかなかったことでした。
(政治家が政党所属さえ変えれば、過去に属していた党の従来主張の責任を免れるかのテーマは別に書きます)
野党が自分らの政権時代に自民党同様に気がつかなかった責任に触れずに現政権の責任追及ばかりで、どうやってこれを防ぐべきかの提案がない野党の存在価値を国民は認めなくなっているのではないでしょうか?
国会論戦のあり方は与野党どちらの提案の方がいいかどうかの論戦であり、自分の政権時放置していたやり方を自分が野党になると、現政権の責任=「不正」と追及するのは論理矛盾と受けとめる国民の方が多いでしょう・・。
アラ探しといえば、今朝の日経新聞では桜田五輪担当大臣の失言による辞任が出ていました。
野党が色めき立つのは失言追及が目立ち、政策論争で野党の存在を示す場面がほとんどないのが不思議です。
こういうアラ探し中心の野党の存在意義を国民がどう受けて止めているかです。
4月7日の統一地方選での知事選結果発表を見ると11知事選で与党系が10道県知事で勝利し、負けたのは大阪府市だけでした。
特に革新系の強固な地盤とされていた北海道で与野党がっぷり四つの対決で、大差で自民党推薦の新人候補が圧勝したことが象徴的です。
a.wikipedia.org/wiki/2019年北海道知事選挙#選挙結果

候補者名 年齢  得票数  得票率  推薦・支持
鈴木直道 38 1,621,171票 62.7%  推薦:自民・公明・大地
石川知裕 45 963,942票 37.3% 推薦:立民・国民・共産・自由・社民

福岡や島根県では保守分裂選挙でしたが、分裂選挙は主に保守王国で起きている・・分裂しても保守が制しているなど、革新系野党は保守分裂でも勝てない惨状です。
自民党に勝った大阪維新は不満代弁・煽り型でなく、都構想など提案型政党のイメージです。
しかも維新と自民党は安保法など重要法案では事実上政策共有しているので、(党は別として内閣中枢とは緊密な関係・・二階幹事長が大阪維新と真っ向勝負しているのに菅官房長官が大阪に入らなかったことを二階氏がチクリと批判している・・事実上保守分裂型です)不満煽り型・革新系野党は全敗でした。
県議市議は多数ですので全敗はあり得ないのですが、概ね共産党と国民の市議が立憲民主に食われている印象で、トータルでは与党系増加で終わった印象です。
話題が年金記録消失や統計問題や統一地方選挙の結果に逸れましたが、不満暴発(不満を煽るメデイア?政治団体?)社会に戻ります。
日本の場合一時荒れる学校などが社会問題になりましたが、子育て環境整備・エネルギー発散受け皿整備に成功したことによって安定型社会に戻った印象ですが、内部処理に失敗して内向化している人も一定数いるでしょう。
その比率を如何に縮減していくかうまく社会で受け入れていくかの知恵が社会の能力・民度です。
江戸時代に入って戦国時代に必要であった粗暴系エネルギーを、各地のお祭りに昇華していったのと同じ工夫が必要です。
粗暴系縮小→学校現場では部活でくたびれさせ、一定レベル以上の場合、社会人野球やラグビー等々その他で官民共同でエネルギー吸収を図り、他方で世代交代によってソフト系進化が進みました。
日本の若者が草食系男子と言われるほどになりましたが、今ではソフト系の中で落ちこぼれる人の(内面)救済が必要な時代です。
多くの人は自分の内部でうまく処理して人間関係を円滑にし、お祭り参加・スポーツや趣味・草花や、ペット等への愛情等で幸せに生きるすべを身に付ける人と、内部処理に失敗して引きこもりその他家族のフォロー等で何とかなっている人、内部処理失敗でうつ病その他精神に病を持つ人まで色々います。
その中で活動的なタイプでは、内向している不満を合法的に発散できるチャンスがあると、このチャンスとばかりに付和雷同型・・不満を発散したい人が一定数でてきます。
ただし日本では活動的タイプでは自己実現のチャンスが多い・日常的には企業の運動会や地元のお祭り参加で主役を張れる機会が多いばかりか、災害現場に出かけて救援活動参加など陽のあたる活動のチャンスが多いので、粗暴系暴発エネルギーが溜まっていない社会です。
欧米で災害があると略奪や破壊に走るエネルギーを日本では救援活動のエネルギーに転化させて彼らを賞賛する社会です。
ただし、有名人や社会的成功者が何かのキッカケで槍玉に挙げられると、これに便乗していわゆる炎上を煽る人になるのでしょう。
この種の鬱憤ばらしには体力がいらず、しかも匿名参加のできるメリットを利用している(いわば卑怯者)のです。
日本にもはけ口を求めている一定の不満分子がいますが、ネット発信中心(同一人が別人を装った多数投稿可能)なので「炎上」といっても実数不明です。
西洋のフーリガンや略奪行動などは無意識のうちに溜まっている不満鬱屈のエネルギーを機会をみては本能に基づいてエネルギー発散している・・体力派の不満がなお大きいようです。

小西参議院議員に見る民進党の体質

たまたま「失言」のキーワードで小西議員が出てきたのでついでにどんな人かと、ウイキペデイア紹介記事に入ったら、この連載に関係のありそうな紹介が出ていたので続けて引用しているだけで、彼個人を全く知らないし応援するためにも否定する目的で書いているわけでも何の関係もありません。
現在野党の体質がもろにでいているので紹介しているだけです。
小西議員の続きです。

参議院予算委員会における安倍首相への質疑
2013年3月29日、参議院予算委員会において安倍晋三首相に対し、日本国憲法の中で最も大切な条文を挙げるよう切り出し、「包括的な人権保障、包括的な人権規定と言われる条文は何条ですか」と質問した[7]。これに答えられなかった安倍から「クイズのような質問は生産的ではない」「そういう子供っぽいことはやめて」などと反論したが[8]、小西は「私は知っています。今総理が答えられなかったことは、大学で憲法学を学ぶ学生が1学期でみんな知っていることですよ」「憲法13条が分からないというのは、これは驚愕の事実ですよ、総理。あきれます」と呆れながら答弁した[8]。
また自由民主党が発表している憲法改正草案について「目的、内容で憲法十三条を公益及び公の秩序と変えるのか」と質問し、参考人質疑における参考人の説明の中で名前の出た芦部信喜に関し、安倍に「今述べられました芦部信喜さんという憲法学者、ご存知ですか」と尋ねた。安倍の「私は存じ上げておりません」という答弁に対し、「では、高橋和之さん、あるいは佐藤幸治さんという憲法学者はご存知ですか」と重ねて質問したが、安倍は「申し訳ありません、私は余り、憲法学の権威ではございませんので、学生であったこともございませんので、存じ上げておりません」と答弁した[8][9]。安倍の答弁に対し、「憲法学を勉強もされない方が憲法改正を唱えるというのは私には信じられないことなんですけれども。今私が聞いた3人は、憲法を学ぶ学生だったら誰でも知っている日本の戦後の憲法の通説的な学者です」と述べ、安倍の「認識不足」を批判した[8]

小西氏は、総理が憲法学者の名前を知らないことで鬼の首でも取ったようなつもりで自慢トクトクの様子ですが、総理はすべての分野で政治決断すべきことが期待されているのであって医学、薬学、年金制度、都市計画、地震や原子力、経済学(金融論その他さらに分野が分かれますが、国家財政政策を決めるのにノーベル賞学者の名前も知らないで経済政策しているのかという議論のおかしさがわかるでしょう)その他全ての分野で専門学者の名前を知らないと政治をできないものではありません。
国会でこういう質問しかできない・党の質問枠利用の質問者として党から選任された以上は、党の承認を得ている・・野党政治家レベルの低さに驚くばかりです。
こんな稚拙で無駄な質問に答えられない(回答するに値しないから相手にされていないだけですが)、と言っては総理をバカにしているのですが、貴重な時間を空費しているのを棚に上げて審議時間が少ないと批判し、これをマスコミが囃し立てるのですから不思議?メデイア界も同類レベルなのでしょうか。
戦前の天皇機関説事件は学問論争を政治家が国会に持ち出したものですが、学問批判する以上は、学問的論争すべきですが、批判する方が機関説の「機関」を機関銃や機関車に例えて天皇陛下を機関車と同じように扱って良いのか!という感情論で批判している程度のレベルだったことを紹介しました。
現憲法の解釈論ならばABCの意見のどれを採用するかなど一定の事前調査が必要ですが、(その場合でもそれぞれの分野の審議会等で決めていくべきことで、政治家は結論を採用する決断するだけであり、審議会等の議論の逐一を知っている必要がありません)どのように改正した方が良いかは政治家が諸般の事情を総合して決断して国会に発議するかを決める分野であって過去の憲法学者の名前を知っているかどうかに関係がありません。
ここで21日冒頭に書いたように平成に入ってからは戦後昭和末頃まで主流であった保守政治家の政治持論に関する主張批判から、平成に入る頃から揚げ足取り的な失言批判が主流になってきた点を紹介しておきましょう。
要は政治意見自体に問題がないが、「政治家がそんなことを言って良いの」か!式の批判です。
政治意見の優劣は選挙で勝負すべきことですから、戦後から昭和50年代にかけて・政治家が政治主張をしたらいけないことを前提にした「失言妄言」と称して辞職を要求する野党の運動とこれを国会外で大々的に政府批判報道して世論をけしかけるメデイアのあり方も不思議でした。
(戦前の天皇機関説事件の展開同様です)
1億国民のほんの一部・数百人から数千人のデモを労組などが動員すれば「国民大多数の意見を無視するな!」という大合唱(といってもメデイア界だけのことですが・・)になるのが不思議でしたが、中曽根総理時代だったかな?サイレントマジョリテイー論が広がりました。
昭和の終わり頃から上記メデイアの虚構あおりを「本当の世論は」バカにするようになったので、(選挙の都度旧社会党が消滅に向かうようになり、メデイアの言うように社会党や野党の主張は国民大多数の支持など受けていないことが証明されていました)弱者目線と称して庶民感情に訴える方向へ方向転換したように見えます。
最近はやりの弱者ビジネス・一種の炎上商法の走りです。

2017-05-10
政治家の失言でなぜいきなり辞任なのか?失言の本質を見ると大して問題ない発言もあると思う
政治家の失言について、最近話題になることが多かったが、一連の政治家の失言の報道や世論の反応を見ていると、本質的な部分を指摘している人が全然いないよね。と思えてくる。
数日前にこの政治家の失言や問題発言をめぐる議論をある番組でしていたのだが、そこでの議論の中心は、一連の政治家の失言は発言の本質を見ると何ら問題のものだったという意見も多かった。表現の仕方とか、言葉の選び方に問題があったとしても本質はちゃんと突いていて、辞任する必要なんかないというのが西村博之氏だったのです。
例えば、今村復興大臣が発した「東北でよかった」という言葉は、揶揄されたり、批判されたりもしたが、西村氏によれば、発言の真意を読み解くと筋が通ったことしか言っていなかったと評している。彼によると、「東北でよかった」という発言は、首都で地震が起きなかったがために、震災が起きた地への支援などがスムーズにできたりちゃんとメリットがあったのだから、発言の真意自体は問題ないとしている。そして、学芸員に対する政治家の暴言と捉えられた件についても、橋下徹氏は言い方がマズイところはあったが、橋下氏自身も学芸員の考え方に関しては問題と考えているところがあるらしく、学芸員に対する暴言の真意自体は理解できるとしていた。
・・・・有益な内容を含んだ発言をした政治家をやめさせるようなことは、デメリットの方が大きいと思うのです。私は学芸員の事情はよく分からないけど、学芸員の現状が本当に何かしら問題ならば、そこを指摘する人間は必要じゃないですか?だから、発言の仕方を気をつけてもらえればよくて、それ以上のことは必要ないと思うのです。山本大臣だっけ?あの人は辞めてはいないみたいだけど。でも、今村復興大臣は辞めてしまいましたね。
実は有能な人だったのに、その政治家を失言を理由に辞任させて、後任がさらに評判が悪い人だったみたいなケースもあるわけですから、辞任を要求するときには、せめて後任候補を挙げて、この人なら前任者よりもまともだと、有能だと言える根拠を添えるべきだと思います。そこまでやらないと辞任させることが必ずしも良い結果を生むとは限らないのです。
とりあえず辞めさせて、辞めてから良い人間を探そうとすると失敗する確率が上がります。

以上のような意見が続きますが、引用が長くなりすぎるので関心のある方は上記に入って直接お読み下さい。
以上によれば実態は「揚げ足取り」が多いと言う指摘が出始めました。
野党やメデイアはまさに辞任ドミノ・政治が劣化する・国民の不利益を企図していて、より良い政治を目的にしない野党や、メデイアの言論現状が浮き彫りです。

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