選挙で負けての内閣退陣ならば、勝った方に政権を交代するのは健全ですが、選挙(国民の意思)によらずに「メデイアの煽る群衆がうるさい」から・・という事なかれ式・・「宸襟をお騒がせするのは恐れ多い」・・騒いだ方が悪いのではなく、人民が「騒ぐような政治をした方が悪い」という「両成敗」ならぬ一方成敗の片手落ち裁定が政治を病理現象に追い込んだ原因です。
騒ぐだけ騒げば、政敵を辞職させられるものの騒いだ方も喧嘩両成敗ばならば(佐倉惣五郎伝のように願いは聞き届けれても処罰は免れない)話が別ですが、騒いだ方にお咎めなしの代わり騒動を起こした要求内容は何一つききとどけられない・例えば日露講和条約の効果は1ミリも変わらないが、騒動になった結果責任だけを政権にとらせる・・騒動が正しかったか否か(選挙審判)にかかわらず、騒ぎを大きくしただけの功で政権が自分に転がり込むのであれば、野党は理不尽な要求でもなんでも騒げる材料があれば騒いで審議妨害に持ち込めば損がない関係になります。
審議が止まれば、騒動の原因にどちらが責任があったかについて議会解散して信を国民に問うならば合理的ですが、これがなく騒ぎが大きいか否かを基準に一方的に現内閣が辞めさせれるのはおかしなルールでした。
騒ぎのテーマの是非ではなく「騒ぎが大きいか否か」が基準という刷り込みが簡単に消えないので、戦後も左右を問わずこの種の「騒ぎさえ起こせば勝ち」みたいな風潮が残って現在に至っています。
日露講和条約反対論の頃から、騒動を盛り上げるには、メデイアとの連携が必須でしたが、敗戦後占領政策の結果右翼系は弾かれたので、メデイアは左翼系しか利用できなくなり、右翼はいわゆる街宣活動に活路を求めていましたが、むしろ国民の迷惑・・町の害悪イメージが広がり、竹下内閣に対する「褒め殺し」を最後に表舞台から姿を消したように記憶しています。
左翼系はメデイア界独占の結果、今なお元気です。
騒ぎの原因の是非にかかわらず騒ぎが大きければ政権が倒れて政権が野党に転がり込むシステム場合、政党は政策を国民に訴えるよりは、メデイアが騒いでくれるテーマに絞って騒ぎまくれば良い・・・結果的にメデイアの誘導する方向のお先棒担ぎに堕して、国会で騒ぎまくれば・・・連携しているメデイアは大々的に報道してくれます・・逆にメデイアが支持してくれないテーマでは生中継をしてくれないしニュースでも取り上げられません。
ニュースにならなければ、世論の盛り上がりはありえないのですから、世論といってもメデイア次第です。
ニュースで煽っても世論がメデイア意見に同調しているかどうかは内容次第ですが、その判定は選挙してみない限り真相は誰にもわかりません。
メデイア側としては自分が煽っている以上は、このテーマで政府批判が強い・他の主要政策の国会審議を止めても真相解明すべきと言うイメージを強調したい立場・中立ではないので実は民意がこれを支持しているか否かが、政権批判側の報道では不明です。
だからこそ戦前は、騒動の是非を問わずにともかく政権交代方式を採用して騒ぎの沈静化優先してきたのでしょう。
国会審議を停滞させれば審議再開のために総辞職させられる→それまで審議妨害していた野党に政権が転がり込む仕組みでは、倒閣理由は・・政党政治を否定する主張(天皇機関説=政党政治の理論的基礎→これの否定=政党政治否定論)でも何でも良いから手段を選ばず倒閣を主目的に熱意を燃やすようになって行きます。
選挙で勝たない限り政権交代がない現在でもこの習慣が抜けず、政党間の政策論争を忘れて、法案審議を妨害していれば政府が困って戦前同様に総辞職するのを待つ戦術「とも角安倍政権を倒せ」ばかりです。
憲法改正の是非に対しても、「安倍政権による改正だけは反対」と言う意味不明の主張が出回っています。
メデイアもしきりに内閣支持率の報道をしたがります。
4月5日に紹介したように最大野党の立憲民主でさえ5%あまりの支持率に過ぎないので、・・・ただしNHKで見ると自民党30%台、立件が8%台で軒並み上がっている←支持政党なしが減っています・・いずれにせよ安部政権を倒しても野党に政権が来る訳がないので、彼らは何のために倒閣に血道をあげているのか不明です。
自分の政党支持率を上げる努力よりは、倒閣に熱をあげる不思議さは戦前の政権交代ルールを潜在意識に持っているからです。
揚げ足取りの国会戦術で政策遂行妨害すれば、事態収集のために総辞職するしかなくなるのを待つ戦術ですが、(戦後も安保国会ではこれが成功しました)戦後は、何回内閣総辞職しても選挙で負けない限り、政党間権力移動がなくなっている点・政権移動は選挙結果しかなくなっている点を理解できていないようです。
理解できないからか、数十年前頃には「政権のたらい回し」はおかしい・「憲政の常道」に反するという意味不明の宣伝がメデイアで取り上げられていました。
責任を取って総辞職した以上は、野党に政権を交代すべきというものですが、そのやり方は民意を軽視する矛盾に基礎がある点に気がついていないのです。
その頃、しきりに「憲政の常道論」が宣伝されて「憲政の神様」尾崎学堂の名が報道されていましたが、最近あまり聞かなくなりました。
戦前の事実上の西園寺ルール・・選挙制度は作ったが天皇親政と矛盾するので政権担当者は大御心によって決まるヌエ的民主主義制度であった以上は、政権交代の基準がないので、西園寺の形式的交代論になってしまったのは、当然の帰結でした。
憲政の常道でもなんでもありません。
今の左翼系野党は選挙で勝たなくとも政権交代できた戦前の記憶にしがみついている・・・民意によって政権交代するのではなく、大御心によって決まる・・戦前のヌエ的民主主義制度を理想としている「政権たらい回し批判」が野党の潜在意識とすれば、日頃から私が書いている革新系政党の本質が超保守体質であることの一つの現れです。
戦後は総理は国会の選出による→多数党の党首が総理になるのが民意・・戦前のように元老の推薦→天皇の大命降下で決まるものではなくなっている・本当の民主主義制度ですから、野党は目先の審議妨害で内閣を倒しても野党が少数党である限り自分たちに政権は回ってきません。
戦後の内閣総辞職は与党内のナンバー2にお鉢が回るだけでは、何のために頑張っているか不明・・そんなことよりは次の選挙または次の次の選挙・・将来に備えて政策を磨くのが、戦後政党の本来の姿です。
それをやる能力がないので戦後も戦前同様の際限ない揚げ足取りや失言追及などで国会審議を停滞させるのが目的の国会戦術が続いています。
「なんでも反対の社会党」と揶揄されているうちに長期低落で4月5日に紹介したところでは0、5%前後の支持率ですが、あまり政策妨害に徹しているので、もしかして中ソ、中韓の手先か?と疑う人が増えてきました。
外国の手先というよりは頭が固くて独自性を出すには、反対するしかない・・何を提案して良いか分からないからでしょうが、これに外国勢力が利用価値を見出だしているという逆の結果ではないでしょうか?
国政が停滞すると国民の批判が起きてくるので、(予算が通らないと新年度の政策が停滞します。)与党も放置できない・・かといって強行採決がメデイアによって「暴挙」と批判されて簡単にできないので、一応野党の顔を立てるために総辞職して一件落着にして野党から総理を立てるという「ことなかれ」主義が日露戦争以降の習慣となりました。
ワシントン軍縮条約反対といえば総辞職、天皇機関説反対と騒げば総辞職・・その都度下野した先の与党=野党が今度は攻める側ですから、この繰り返し・・・戦後の社会党だけの専売特許と違い・・与野党共に交替してはその都度政権の揚げ足取りに終始して本来の政治そっちのけでした。
与野党共(戦後の社会党の役割を双方で繰り返していたので)に政治家が国民の信頼を失い、「何やってんだか・・」と最後は翼賛政治になっていった原因です。