非武装平和論4と集団自衛権反対論2

以下、集団自衛権論の内容実質に入ってみたいと思います。
集団自衛権反対論は、友好国の応援など要らない・結果的に中韓の言うとおりに「領土を寄越せ」と言えば抵抗せずにハイと渡す・・慰安婦や南京虐殺で批判されれば事実如何に関わらず言うとおりに謝罪する・・謝罪が足りないと言われればまた謝罪する・・これの繰り返しで足りないとなれば巨額賠償をする・・それでも数年して蒸し返されるとまた賠償を繰り返せと言うこそが、平和を守る道だと言うことでしょうか。
私の実務経験によるとヤクザの手口は以下の通りでした。
(過去形になっているのは、このような典型的手口は直ぐに刑事事件になるので今はもっと巧妙です)
何かの言いがかりで押し掛けたヤクザは、「金を求めているのではない、先ず誠意を示せ」と言うやり方で始めます。
・・いくら謝っても誠意が足りないと言い、いつまでも帰ってくれないので、(本音は金に決まっているので)仕方なしにいくらお金を包めば良いですかと言うのを待っている・・そこまで行けば、交渉の峠は越したようなものです。
少しのお金を包むと、俺は金を要求しているのではないとうそぶく・・もっと包むと俺はそんなものを求めて来たのではないと逆に怒る・・この繰り返しの末に巨額のお金になったところで、「折角そこまで言うのならば・・」「俺は金が欲しくて来たのじゃないが、お前さん骨折りに免じて受け取ってやる・言っておくが俺は金で満足している訳じゃないぞ!とこの先もっと来る権利?を留保して引き上げて行くのが普通のやり方です。
中韓の要求するまま、何ら抵抗せずに沖縄から九州〜四国・中国地方〜近畿〜東海地方と順次引き渡して、ロシアは北海道から、韓国は壱岐・対馬から要求して来るでしょう・・行く行くは、日本全土が中国や韓国の支配下に入って行けば平和?を守れるでしょう。
いじめっ子に絶対服従して自殺すれすれの生活をしていることが、平和でしょうか?
ウイグル族やチベット側の焼身自殺などの抗議活動や国外逃亡の未遂などがしょっ中報じられています。
日本でも苛められて自殺に追い込まれる子供が後を立ちません。
苛められている子供がSOSを外部に発し助けを求めることを禁止するのが、子供のためになる平和な行為でしょうか?
警察が来るヒマもなく、ギャングが入って来たときに無抵抗で言いナリなるしかないのは、緊急避難的なやむを得ない行為であって、(さしあたり押し込み強盗との間の闘争が起きず平和を守れます。
しかし無抵抗で押し込み盗に居座られてしまい、救援の警察が永久に来ないで永久的に支配される状態を平和と言うのかの疑問です。
警察官の給与を払うのが無駄だからと言って警察官に給与を払うよりも、「強盗が来ても自宅を占領していてもらった方が、良いですよ!」と積極的にこう言う事態を望む人はいない筈だと思いますが・・。
未だかつて警察制度無用論を聞いたことがありません。
ヒトによっていろんな意見があり得ますが、強盗に居座られて家の片隅でこそこそと生活している方が良いと思う人は、百万に一人もいないのではないでしょうか?
中国や韓国はギャングや強盗ではないし(左翼やマスコミは)積極的に受入れるのだから強盗じゃない・警察にあたる自衛の備えは不要と言うのでしょうが、ギャング等は一定時間で退去して行きますが、中韓の占領・支配下に入れば一定時間どころか、数十年でも済みません・・。
家の片隅でこそこそ生活どころか、外で働いて来た収入までお前の親世代が悪いことしたのだからと継続的に取り上げられるのが目に見えています。
無抵抗で中韓両国の占領を受入れた場合、日本人は何世代も中韓両国の隷属化におかれますが、非武装平和論者は永久的に中国・韓国の支配下に入ることが、何故日本民族が幸福になる方法であるかの説明がありません。
日本に支配された屈辱の報復感情に燃える・・と言うかありもしない事件をでっち上げて日本憎しの映画まで国策で次々と作ってまで国民を煽っているのですから、中韓支配に入れば、ウイグル族やチベット族が悲惨な目に遭っていることの比ではないことが容易に想像されます。 

集団自衛権関連法案審議2と国会議員の職責1

集団自衛権関連法案に対する賛否は、政治の専門家である政治家が、自分で良く吟味した上で、支持者に分り易く説明してそれでも理解し難いところは良く説明し、合理的疑問であれば、この意思を体して国会で質疑して修正を求めて行くべきです。
・・それでも与野党の意見の隔たりがあればその先は議決するしかないのが民主制=憲法の基本ルールです。
裁決を拒否すること自体が憲法違反行為です。
強行採決に対して野党が立憲主義違反とアッピールしているのは、裁決拒否して退場したこと・・自分のことを言っているのかな?と思った人が多いのではないでしょうか?
よく見ると与党が立憲主義違反と言うのですから、ややこしい話です。
「マスコミを支配して大量に言い募った方が勝ち・・シロを黒と言いくるめられる」と言う韓国流の主張が、これからも効果があると思っているように見えます。
(歴史を学ばないものは・・と言う韓国の主張に対して、どちらだよ〜と思っている人が多いと思いますが、韓国ではいつも自分のことを相手にすり替えて言う傾向・・韓国の主張を見ると自分のやっている狡いことを日本がやっていると主張する国だと理解している人が多いでしょう。
憲法を見ておきましょう。
日本国憲法
第五十六条  両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
2  両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
憲法では最後は議決でケリを付けることになっていますから、議決拒否・・病欠等正当事由を除いて退場した方が職責=憲法違反行為です。
選挙制度さえあれば民主国家が完成するのではなく、冷静な議論をしたあとは議決に従うところで民主制が完成することを書いてきました。
自分の意見が通らないからと言って、韓国議会のように怒号やからだを張って議決妨害したりするのでは、民主国家のまねごと社会です。
日本も4〜50年前まで安保国会のようなことがありましたが、(政権側では、ハマコーが有名です)今はそんなことが出来なくなったので、場外乱闘・国民理解を得られないと言うマスコミ宣伝に変化したようですが、冷静な議論後の議決ルールの実質妨害を目的としている点では同じです。
まだ充分に民主制を理解しない勢力が、国会内乱闘の代わりにマスコミを利用して場外戦をしている状態と言うべきで、選挙で決めて行くべきことを選挙を経ないでマスコミの誘導によって「国民の声」を創出して国会議決の価値を減殺しようとするもので、これこそが憲法秩序の違反行為です。
政治主張は選挙で反映させるべきが憲政の基本です。
総選挙は昨年暮れにあったばかりですし、その時点ではすでに同年夏の集団自衛権の閣議決定は大政治問題になっていたし反対運動も激烈でしたから、選挙後半年程度しか経過していないときに選挙結果を無視して「国民の声」をマスコミが作り出す?こと自体おかしなことです。
選挙後約半年しか経過していないのに、国民の理解などと言い出したら選挙が何のためにあるのか理解不能・・マスコミによる選挙制度無視・・選挙制度・憲法自体の否定になってしまいます。
裁判で言えば正しい主張があるならば、裁判手続で主張すれば良いのであって、法廷外でわめいていて多くの人がうなづいていたと言うのはルール違反ですし、そんな主張自体恥ずかしくて弁護士は出来ません。
裁判の場合場外でいくら騒いでも判決には何の影響もありませんが、政治の場合、マスコミがそのように宣伝すると何となく国会が民意に反しているかのような印象を植え付けるので、次の選挙には影響するでしょう。
この影響を代議士が気にすると言う間接効果(与党内造反)を期待しているのでしょう。
また、世論調査ではマスコミの宣伝効果が大きいので、(昨日書いたように十分理解していますか?と問われれば、私だって・・細かいことはプロに任せれば良いと言う態度ですから「十分理解していない」と答えます)大きな影響があります。
十分審議と尽くすべきと思いますか?と聞かれればそのとおりと答えます。

非武装平和論3と集団自衛権反対論1

彼らの言う平和外交とは、応援してくれる国を外部に求めると戦争になると言う論理ですが、ヤクザが「警察に通報すると酷い目に遭うぞ!」と言うのに似ています。
ヤクザ組織(中韓)から頼まれているのじゃないのか!と言う意見が出る所以です。
非武装平和論や「集団自衛権=戦争する国へ!」論は論理に飛躍があって、誰でもおかしいと思うでしょう。
彼らの主張によれば、相互防衛条約を締結している国々は、みんな軍国主義・侵略国家になります。
無茶な説明に無理が出て来ると最近ではマスコミを通じて、「国民の理解を得られていない」と宣伝していますが、自分で混乱した説明しているから理解を得られないのではないでしょうか?
マスコミが「よく分っていませんよね」と聞けば、9割以上の人が「分らない」と答えるのは当たり前のことです。
我々法律専門家でも民法改正・商法改正論その他各種特別法改正の研修を受けても、大方今後こんな改正になる程度のことは理解出来る程度で充分であって、詳細までは知りません・・事件のときに詳細基準等を見れば、充分であって、改正前にそこまで知っておく必要もないからですが・・。
事前研修程度では、詳細どころか・・応用編・・こう言う場合どう言う扱いになるかの具体論になると、その詳細は政令等で施行までの間に決める分野も多いし、実際に事件処理するときにその後に(普通の法律は施行までの周知期間があります)発行された解説書を読み、あるいは書記官等に実際の運用を聞かないと分らないないのが普通です。
身近な都市計画法の用途区域があると知っていても、その詳細まで知っている人は滅多にいないでしょう・土地を買ったり家を建てるときに必要になってからプロに聞いたりネット等で見れば良いと言うのが普通です。
そのときになっても、具体的になるとこれがこの規制のどれにあたるか迷うのが普通で、専門家や規制当局に相談するのが多いのです。
身近なゴミ捨てのルールでも配って来た説明書を覚えていられないので、そのときに見ながら粗大ゴミ、不燃ゴミ等を捨てているのが普通で、前もって内容を知らないと法律や条例が出来ないと言うことはありません。
詳細は市会議員等に任せておけば安心と言うのが代議制民主主義の利点です。(何もかも直接頭を突っ込んでいると生活時間がなくなります)
ましてや法案や条例段階でどう言う場合どうなると言う応用議論は、(何が資源ゴミで何がそうではないかの細かい基準)プロ・・立案当局・政治家同士(あるいは政省令やガイドライン等作成段階でそれぞれのプロが参加して)で問題点を議論するべきものであって、弁護士でさえもそんな議論を前もって知る必要もありません。
「どうなったらどうなるのか」の詳細をマスコミが「国民に理解されていない」と宣伝しまくっていますが、詳細運用パターンを国民大衆が事前に直接説明を聞いて直接決めるような法律はそもそもありません。
国民に直接の影響の大きい相続税法改正だって、国民はこう言う方向に変わると言うことを知れば良いのであって詳細は(その後に規則や通達等で決まり税理士等を集めた説明会等で具体化して行くものです)税理士等専門家に聞いて生活しています。
原発の安全性も、設計や地震等の詳細説明の正確性に付いては、科学者でさえも専門家以外には良く分らないのが普通です。
一般人あるいは一般科学者は、それぞれの立場(反対派、推進派など)の科学者の説明によって、原発の安全性に付いて賛否を決めているのが普通です。
まし集団自衛権に関して、どこまでの行為があればどの時点で反撃するかは退自衛隊員の安全を守るために高度な軍事機密であって、これを公開で議論するような性質のものではありません。
元々応用形態を公開するのは問題がある点で、普通の法案とは違うのですが、この法案に限って、普通の法律では政省令や運用規則等に任せるべき具体基準まで・・細かい応用編まで逆にあら探しみたいな議論をしているところにも大きな問題性があります。
どんな法律(レストランの衛生基準、建築構造基準・計算式、薬事法関係の基準等々・・総べてそうです・・)でも、細かい運用基準を一々国民(国会議員や市議会議員も)が理解出来る訳がないので、そこから先はプロが参加する審議会等で議論して規則やガイドラインになって行くのです・・だから国民に分り難いと言うよりも、元々理解不能な議論です。
国民がこの点がどうなるかを知りたいと言う合理的疑問があるならば、軍事機密以外の分野では、その声を吸い上げて国会で質問し反映させるのが政治家の役割ですが、詳細運用になると政治家は上記のとおりその道の専門家ではないので、不安だけ煽ってみるもののその先に付いてそ説明能力を持っていないから自分で説明出来ないのでしょう。
(東北大震災時に菅総理が理工系出身と言うことで、・・原子力の専門家ではないのに、・・半可通的に原子力発電事故処理に口を挟んだことで、却って大混乱に陥れたことは、記憶に新しいところです)
民主党は、当初は審議時間が少な過ぎると言う正論を主張していましたが、大幅会期延長になって見ると、(戦争する国にするのかと言う程度の)抽象論以外に言うことがないのですから、言うことがなくなったらしく夏休み予定だったのに延長したのだから、休み予定中には審議に応じないと欠席したり、言うことがなくなった結果、国民理解が進んでいないと言い出したのですが、これでは国民の声を反映する仕事を怠っていることになります。

集団自衛権4(予測の複雑さ)

過去にあった社会現象ならば認識が簡単かと言うと、慰安婦問題、太平洋戦争の原因は何かなど過去の歴史事実だっていろんな意見があるので簡単ではないと言えます。
ただ、歴史論争は、過去にあった大量の資料のうちどれを重視するかの問題ですが、将来の事象になると現存する客観資料の取捨選択だけではなく、将来が到来するまでの間に、相手方も日本の防衛準備を見て変更余地がある分、不確実性が増します)
一般に予測というものには、客観事実を前提にその先を予測するもの・・たとえば東京駅で何時何分発新幹線に乗れば大阪に何時に着くという予測は、いろんな人間の営みに支えられているとは言え関係者の自由意志によって遅れるようなことは滅多にないので、言わば自然現象の予測に似ています。
雨が降りそうだからと傘を持って出たら、雨雲が人間がカサを持っているから雨を降らすのやめようと変更しません。
ところが政治や経済現象の将来予測は、その間に自由な人間の意思力によって相手の出方によって途中の方向転換が可能なので、どんな風にも変わってしまいます。
選挙で優勢の予想が出れば支持者が安心してしまって運動エネルギーが弱まる外、双方から頼まれていた人は絶対優勢の方は大丈夫だろうからきわどい人に投票しようとなって最下位予想の人がトップ当選し、絶対優勢を予想された方が落選するようなことが起きます。
自衛力を充実すれば、相手は方向転換して日本より弱そうなところに勢力を伸ばそうとします。
その他の国も充実すると、どこにも攻めて行けずに平和国家のフリ(養光韜晦)に戻るかも知れません。
日本に攻めて来ずフィリッピン等にも攻めて行かなかったから、無駄な自衛力だったと言えるかと言う議論になります。
集団自衛権の是非の議論に戻りますと、国防に関しては、非嫡出子判例のように過去のある時点の社会実態調査ではなく、現時点の判断である分だけ(情報が充分に行き渡る期間がない結果、前提事実なしの「解釈変更は是か否かという単純質問の場合、)意見も分かれるし難しいところがあります。
国防に関しては、具体的危機が迫ってからの世論変化→与党内擦り合わせに半年〜1年→法改正→同盟国との協議開始→実戦配備の訓練等をやっていたのでは間に合いませんので、5〜10年先の動向を見据えて今から議論しておく必要があります。
そこで10年先の動向を踏まえた現状がどうかですが、2014/04/18「無防備平和論と周辺国の実情2」前後で書きましたが、今やアメリカに頼って無防備のままではどうにもならないほど危険な国際情勢になっています。
今朝の日経朝刊では、多数の中国漁船(多分漁船を偽装した軍関係者でしょう)がベトナム漁船を取り囲んで体当たりを繰り返した結果、ついにベトナム漁船が沈没した(別のベトナム漁船に救助された)と報じられています。
相手が抵抗できないとなればどこまでもエスカレートして行くのが中国のやり方です。
同じく日本の哨戒機の何十メートル近くまで中国戦闘機が接近したと1昨日から報道されていますが、日本の抗議に対して「撃墜されなかっただけ有り難いと思え」というのが中国の反応です。
現在〜近い将来はアメリカ一国による安全保障の提供では物足りなくなって来たことが背景にあって、「弱小国同士が相互に助け合いましょう」となって来たのは当然の議論です。
圧倒的武力をもっている国や組織が治安維持してくれるときには、個々人は丸腰・非武装でも安全です。
戦後アメリカが警察官役を果たして来たので、我が国に限らず東南アジア諸国・・フィリッピンあるいは島嶼諸国は、元々国境観念が少なく国単位で隣国と大規模に紛争して興亡した経験がなかったこともあって、国防意識が希薄だった結果外敵の侵攻に対する備えが足りない・・準備不足である分、余計に助け合いが必要になっています。
アフリカの国境線は植民地支配国の勢力範囲の線で決まったものであって、民族や部族の生活圏とは一致していないことが有名ですが、インドネシアやフリッピンも植民地支配の範囲を1つの国にしたと言う点では変わりません。
多数の島々が植民地になる前から一体感を持って行動して来たことがありません。
インドネシアでは島ごとに言語が違って大変だったらしいですが、日本支配のときに日本得意の教育制度を取り入れたことで急速に言語の統一化が進んだと言われています。
ただし、ウイグル人等に対して漢語を強制する中国のように日本語を強制したのではなく、日本のばあい、台湾やフィリッピン、インドネシア等では、現地の多数言語の教育システムを構築しただけです。

中国の膨張策と集団自衛権3

集団自衛権の政府解釈変更の是非についての議論は、政府答弁をしたときと現在の国際情勢に変化があるのかないのか?あるとしたらどの部分でどのような変化があって、集団で自衛をしないと(日本一国だけの自衛が可能か)どうにもならない状態になりつつあるのか等について実証的に議論することが必須です。
集団自衛権行使の是非については、強引な中国の領土・領海拡張要求に直面しているアジア諸国における弱者連合の必要性・合理性の有無を議論すべきです。
実態に関する議論をタブー視・無視して、解釈変更をすること自体が違憲になるという議論は、必要性の有無程度に関する実証的な議論に入らせない効果を期待しているのでしょう。
今朝の日経新聞朝刊1面には、世論調査結果が出ていて、議論自体を許さないというマスコミ宣伝が効いたらしく、解釈変更に反対と言う意見が多数であるような報道でした。
国民の多くはプロパガンダ次第というところがありますから、マスコミ支配力は恐るべき効果を発揮します。
解釈変更自体が「議論の余地なく何故許されないか」の掘り下げた議論がマスコミ報道ではどこにも出ていないで「変節は許さない」とか祖父の岸信介の自主憲法制定怨念?を引き継いでいるかのような個人資質を強調するムード報道が目に着きます。
こう言う報道を煽って来た結果
「何十年も守って来た政府解釈の見直しは許されますか?」という問いかけは一見中立的ですが、これだけでは、中立的な人の多くは解釈変更は御都合主義でおかしいと感じてしまうでしょう。
「現状はこうなっていますが、これに対処するための解釈変更をすべきだと思いますか」という質問ですと、答えはかなり変わってきます。
そもそも集団自衛権の是非の前に、解釈変更の是非を第一のテーマとして問うているとした場合、この質問形式自体中立的ではなく、一定の立場で質問していることになります。
マスコミが世論(誘導するつもりがなくて)を知る必要があるのは、集団自衛権を認めるべきか否かの国民意思であって、その必要性があると言う回答の場合、解釈変更をどう思うか、どうすべきかの質問に移るべきでしょう。
解釈変更の是非を集団自衛権行使の必要性以前・・入り口の議論にしているとすれば、世論調査が一定の立場・・内容の議論に入らず変更自体を攻撃している特定の偏った立場で調査していることになります。
(世論調査質問内容・順序を知りませんので仮定の議論ですが、今朝の1面の書き方を見れば、大見出しに「解釈変更反対51%」と大きく出ていますので、これに焦点を絞った質問をいたと想定されます。)
私は法律論・・公平な議論をするための意見を書いています。
すなわち解釈変更違憲論は、どう言う場合には許されるか許されないか、どこまでの行使なら合憲で、(正月ころにスーダンでのPKO派遣軍だったかで、韓国軍が反政府軍の進撃対象になっている状態下で、小銃の弾薬が不足して自衛隊が緊急事態として弾薬を貸したことがありました・・こうした具体的な事態ごとの議論が必要です)どこまでならば違憲かと言うまじめな議論をすることすらを許さないという立場ですから、戦前で言えば「非国民」というレッテル貼りで言論を圧殺して来たのと同じ論法です。
実態観察の議論を抜きにした頭っからの反対論は、中国の目指す弱者連合打破論(中国にとっては都合の良い理論です)に裏で通じている疑いすら持たれることになり兼ねません。
実務家・法律家である以上は、政府答弁時と現在では立法事実(社会実態・・今回のテーマでは10年先の国際情勢)の変化があるか否かの実証的論争こそすべきであって、これを回避すべきではありません。
昨日書いたとおり、非嫡出子差別の違憲判断は現時点(と言っても訴え提起した人の相続開始時点ですから、かなり前・・過去の社会実態がどうであったかの判断)で、合理的差別か否かを判断したものですから、将来予測に比べれば簡単です。

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