表現の自由(自己実現・自己統治)とは1

民意による公権力=社会秩序と「距離を保つ」価値観であれば、いわゆる吉田調書のような「反日フィクション創造」に喜びを見い出して大喜びで大々的報道したい人が多いのもわかります。
メデイア界でこのような主張を英雄視する風潮・空気を読んで「公権力とは距離を保つ」と言えば格好いいとして、発言したのでしょうか?
「公権力とは距離を保つ」というのですが、全ての権力と距離を保つのではなく「公権力とは」と限定して距離を保つとしている意味が不気味です。
公に対する対語は私ですから「私権力」には「距離を保たない」と言う反語的意思表示でしょうか?
「公権力」とは、民意による正当性を付与された権力とすれば、「私権力」とは、民意による正当性を付与されていない・・・山賊やギャングが、民家に押し入って事実支配している状態・・マフィア的アウトロー権力を言うのでしょうか?
中国の共産党政権は民意による洗礼を受けていない・山賊(共産党私兵・人民軍は国家の兵ではなく共産党の私兵です)が国家を乗っ取った状態と言われていますが、「民意による「日本の政府・公権力とは距離を保つ」が、中国共産党政権には近づきたいと言う意味を含むのでしょうか?
7月9日に
「日本をより良くしたいと思うならば、国内の言論市場で先ずは勝負すべきです。」
と書き、その後カンヌ映画際に話題がそれましたが、元に戻ります。
私はいわゆる宮沢憲法で勉強した世代ですが、蒙昧な私は、自分に都合の良いように
「言論の自由、思想表現の自由が結果的に「その」社会発展に貢献するから重要」
という意味で理解してきましたが、最近そういう意見が(なくなった訳ではなさそうですが)背景に退いているようです。
旧ソ連に限らず中国その他の(人権無視の)独裁社会では、自由主義社会に遅れてしまうはず・・とメデイアでも一般的に言われている大方の刷り込みは、上記理解のもとで語られてきたと思います。
今朝の日経朝刊24pにもフランスの元文化相ラング氏との対談記事で、文化を大事にすると結果的にその国社会の発展に資するという添え言葉がありました。
「文化に投資するのは窓から金を投げ捨てるのではありません。それは大変に還元性の高い「投資」であり、世界にはすでに多くの実証例があります。」
と書いています。
文化に力を入れているフランスの元文化相らしい意見です。
我々個人も同じで、18年7月7日に上野東博の縄文展を見てきて感動し(後期も見に行く予定)ましたが、何千年も前の古代に高度・・・現代的に見て最先端センスでしかも精巧な器や櫛、土器等々がすでに製作されていたのを見ると「日本人は古代から手の込んだ「ものづくり」の好きな民族なのだなあ」と感動せずにいられませんでしたが、その背景にあるのはわが列島人(今の民族)が、かくも素晴らしい「ものづくり」続けていたのか?という感動であり民族の誇りです。
我々一人一人が一人で育ったのではなく「海よりも深い山よりも高いちちははの恩」というと古臭すぎるかもしれませんが、物心つく前から周囲の風のそよぎに始まって一言で言えば、民族の中で生きているのではないでしょうか?
芸術こそ他者無視でも「自己実現」に最適の分野ですが、それだけでは庶民に訴えるものがないからでしょうが、フランス文化相が「社会のために良いのだと付け足す」必要を感じたのでしょう。
いろんな基本的人権の中でも表現の自由は、とりわけ「受け手」があるものですから、聞いたら意見相違・・不満な不愉快になる人の存在が避けられません。
これに対して「言いたいことを言うのは勝手でしょう」と言うだけでは現実社会の支持を受けられないからではないでしょうか?
言いたいこというのは必要だがそれは「時と場所を選らんで言うものだ」という程度は子供だって知っています。
ところがいつの間にか?学問の世界では、表現の自由は「自己実現」のためにあるという意味が中心化して、ひいては国家社会の発展に資するという意味合いは否定されないようですが、副次効果的扱いに変わっているようです・・。
この扱いは昔から同じだったのにレベルの低い私は副次効果ばかりに印象が強く残っていたのかも知れません。
現在の主流的学説・・表現の自由で検索すると以下の通りで、社会のためになるのは二の次で、先ずは個人人格の発展に資するという主張が前面に出ています。
http://kenpou-jp.norio-de.com/hyogen/

ひとつは自己実現の価値。
自己実現の価値とは、
表現活動を通じて個人の人格を発展させるという個人的な価値といわれていますが、人間的成長のために表現活動が大事であるという価値観であるといえます。
もうひとつは自己統治の価値。
表現活動によって国民が政治的意思決定に関与するという民主主義と密接不可分な、社会的な価値をいいます。
このような価値を支えるためには、
「思想・言論の自由市場」の形成が不可欠であるといわれています。

ネットに出ている憲法の解説では、表現の自由は個人の幸福追求權の一種?誰でもいいたいことを言えるのが(ストレスがなく?・・兼好法師流に言えば言いたいことも言えないのでは「腹ふくるるわざ」)であり、「自己統治」に必要で人間として生きていくための基本的権利であり、最重要だと言うようになっているようです。
政治参加権のことを「社会の一員として当然発言権がある」という私流の粗雑な理解?いわば社会参加論ではなく、「自己統治」と言うようです。
ちらっと説明を読むと、「政治参加するには、多様な情報を知る必要がある・だから表現の自由が必要」というような説明ですが、その程度の説明をするのに難解な「自己統治」というのか不明です。
要は、「表現の自由は社会発展に資する」とは言いたくない・・「何事も個人のためにある」という強調のために言い出してこれが格好いいということで定着してきたようです。
そう言いながらも社会のためになると憲法の解説者はつい口を滑らせるようです。
https://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/7ddf217e3a7af1c482364e1eb34d335d

「自己統治ですが、これは、私たちの社会の大切な仕組みである、民主主義を支えるとても大切な価値です。
自己実現でも述べましたが、ひとりひとりが、社会に起きている事柄について、情報を集め、分析することで、社会がどうあるべきかについての意見を自己決定することができます。
政治家を選び、その政治家が、私たちの未来の社会を決めるのですから、その判断材料となる情報は、とても大切であることが分かりますよね。
表現の自由の中でも、この政治にかかわる情報は、一番手厚い保護を与えて行かねばならないと考えられています。」

「自己統治」とは、国家・民族のためになるからではなく、政治参加する個人の「権利」を尊重しようという側面強調のために考え出された・・いかに共同体利益を消し去るかの工夫のためにできた概念のようです。
何が何でも共同体・社会と個人は対立するべきものだという戦後の風潮がここに現れています。

報道自由度ランキング2(「公権力とは距離を保つ」1)

ここで、2018/06/13「報道の自由度ランキング1」〜2018/06/29「(フェイク?)報道と信用失墜3(国連特別報告2)」の続き・・日本の言論自由度ランキングが政府批判的意見を言う書店主が政府によって拉致されてしまう香港などよりも低いという国連報告に戻ります。
言論に関しては本当の自由市場があれば、国民の意向に合わない言論は売れないし、メデイアの場合視聴率も下がり自然に出番が減ります。
流行作家や流行商品が売れなくなるのと同じですが、それを言論の自由がなくなったと転嫁批判していないかの疑問があります。
実験らしい実験もしない研究発表が自由に出来なくなった場合に、研究発表の自由度が下がったと嘆くようなものです。
日本をより良くしたいと思うならば、国内の言論市場で先ずは勝負すべきです。
外国に向かって日本の批判ばかりする習癖(自虐史観)は、「自分だけは別」という優越思想発露の一環でしょうか?
数年〜4〜5年前に「そこまで言って委員会?」の議論を見ていたら、慰安婦事件に関連して日本兵の蛮行批判をしていたある有名女性の(父職業軍人であった?か忘れました)「ではあなたのお父様もその一人ですか?」という趣旨の質問をされて「私の父はそんな人ではありません」と「憤然」と言い切って会場の失笑を買っていましたが・・・。
日本人の多くが「自分の父さまはそんな人ではなかった」と思いたい人ばかり・・国民心情と切り離して日本批判する人は「自分または自分の父だけは違う」と問題の圏外・高みにいる思想の人が多い印象です。
社会派と称する映画を見ると、日本の最底辺層をアップして「日本はいかに貧しく汚い街か!」というイメージを海外に宣伝するものが多いのですが、そういう画像ばかり見て日本へ来てみると実態とは大違いなのに驚く人が多いようです。
社会が発展し景気が良くても、苦しい人や犯罪を少しでも減らせると言うだけであってゼロにはできません・・高成長や発展から取り残される人がいるのは当然です。
そういう人々・・日本の0、00何%!の人に焦点を当てる・・自分の収入が増えて成功者になっても、いつもそういう人へ想いを馳せることは重要ですし、他人に対しては、謙遜する姿勢が必要です。
しかし、それは個々人の内省や国内政治のあり方を国内で発信する問題であって、日本の暗部を対外宣伝する必要性とは関係のないことです。
日本の欠点とも言えない・強い絆で結ばれ一体感が強く過疎地の隅々まで貧窮に苦しむ人の少ない・世界一格差の少ない社会から暗部を探し出して国際社会に訴えたい人が多い・・そのような逆境でも健気に?頑張っている人を描くのが表向きのメッセージですが・・視覚的に圧倒的影響力がある(ことこそ映画の最大の強みです)のは汚い空間表現です。
・・映画界ではそんな最底辺に焦点を当てる監督ばかりが「社会派」と称して幅を利かしてきたのが不思議です。
どんなに頑張っても貧困率や犯罪率をゼロにできないが、その比率を下げることに政治は努力すべきですし、しているのです。
あばら家やゴミも不良も犯罪もゼロにはできないが、比率を下げる努力が重要です。
犯罪等をゼロにはできないが、日本をよくしようと頑張っている人や政府を嘲笑うために特別汚い場所を選んで報道する・・自分だけが偉くなったよう気になる人がいるようです。
最近カンヌ映画際で「万引き家族」という日本で現実にありえないような題名の映画ですが・・受賞した是枝監督が、政府のお祝いの招きを断った記事が新聞に出ていました。
私は例によって「見出し」しか見ていませんので読んだ時に「不思議なことをいう人がいるものだ」と印象だけ残っていたのですが、今回のテーマに関係ありそうなので以下検索して見ました。
https://www.asahi.com/articles/ASL68677QL68UCVL025.html

是枝監督、文科相の祝意を辞退 「公権力とは距離保つ」
2018年6月8日20時39
是枝監督は同日付で「『祝意』に関して」とする文章をサイトに掲載。
受賞を顕彰したいとする団体や自治体からの申し出を全て断っていると明記し、「映画がかつて、『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような『平時』においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」

「公権力とは潔く距離を保つ」とはどういう意味でしょうか?
公権力の主体は政府であり、民主国家においては政府は国民代表ですから、言い換えれば日本人代表と距離を保ちたいということでしょうか?
是枝監督は、「政府は国民を代表していない」というのでしょうか?
こう言う根拠のない言い切りを喝采して売れっ子?の虚像を作り上げてきたのが、情報独占にあぐらをかいてきたメデイア界でした。
もしかして、フランス政府主催の映画祭で受賞すれば、(フランス政府に公認されれば)日本国民代表になったつもりでしょうか?
上記論法によれば日本人代表が日本人の選挙によらずに、フランス政府によって選ばれるイメージです。
革新系運動家の政府批判はほぼ毎回、「国民大多数の声を無視して・・」という合唱ですが、根拠なく「国民大多数」を僭称しているのと共通です。
メデイア界にいると日本批判「自分は日本人一般とは違う人間・・高みにいる」と思い込んでしまうのでしょうか?
彼は戦前権力に抵抗した実績があるのでしょうか?
一見したところ戦後だいぶ経ってからの生まれで戦前政治と関係がなさそうな世代のようですから、いわば自分を安全地帯において格好つけているだけのようにみえます。
では現在の権力と戦ったことがあるのでしょうか?
メデイアという第4権力に身を置いて、その中の多数派の意見を代弁しているだけではないでしょうか?
是枝監督の公権力・・主張は、june 6, 2018,「慰安婦=性奴隷論の説明責任1(言葉のすり替え1)」以降書いてきた戸塚弁護士が「私」の主観を媒介に「売春婦を性奴隷」とすり替えたように「公権力」概念の巧妙なすり換えが行われています。
今彼が指す公権力は現在の公権力なのに、なぜか戦前の公権力のイメージに切り替えて距離を保つ必要があるのでしょうか?
いかにも現政府も国民を代表していない・・国民抑圧者のようなイメージすり替えが行われています。
その上で、「映画がかつて、『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つ・・」というのですが、彼の脳裏では戦前の国民抑圧者的公権力が今も続いているような論理です。
いわば戦後の民主化と70年の結果を見ないことにしている・・現実無視の態度です。
そもそも戦前政治が権力による抑圧社会であったか?メデイアの誘導に抵抗できなかったか否か自体検証されていません。
メデイア界こそ敗戦時にきっちりした自己批判・総括してこなかったことが、未だに尾を引き我が国を変な方向へ引っ張っているのです。

思わせぶり報道と信用失墜1(自由度ランキングの怪)

見出しに大きく軍関与の資料発見(正確な表現は忘れました)と書いていて、内容をよく読むとどうでもいいような資料・連行と何の関係もなさそうな資料しか書いていない・・よく読めばメデイアは中立ですというつもりでしょう。
軍による強制連行があったかどうかが国民の大関心事になっている最中にこういう誘導的見出しの記事が1面に出ると多くの国民が強制連行の証拠書類が出たのかと第一印象を抱きます。
昨日最後に書いたように多くの人は内容をじっくり読む暇がないのが普通です。
互いに他報道機関の憶測に過ぎない記事を検証することなく「他社が書いているから」という理由で?既成事実としてその上に自社でさらに少しずつ憶測を螺旋状に積み上げていく繰り返しで、戸塚弁護士やメデイア界は役割分担しながら憶測を世界に広めていたように見えます。
今回の森かけ関連報道でも顕著ですが、見出しと内容記事が違う報道をすると、誤解を与えるリスクが高いのですが、なぜか裁判所は「内容をよく読めばわかるはず」というトリックで名誉毀損訴訟の多くを退けてきました。
名誉毀損事件の被告・・加害者の多くは報道可能な媒体を持つメデイアですから、裁判所のこのような姿勢は、メデイア界による思わせぶりな事実上の虚偽(フェイク)報道を助長してきたことになります。
こうした報道態度はフェイク報道に近いので、思想表現の自由の保護を受けない・・公正取引分野での規制対象にすべきかもしれません。
商品の見出し広告と内容説明が違うのは消費者の誤認を招くので(大きな効能の見出しを買いておいて隅っこに小さな文字100人にひとりしか効きませんとか、大特売と書きながら特売品一個だけですとかいておく)公正取引法で許されないのが常識的運用です。
メデイアに限って古典的基準・常識人が内容まできっちり読めば反対意見も書いていて自分で判断できるはずということで、上記の通り名誉毀損に当たらないとして多くのどぎつい見出し広告が許容されてきました。
裁判所の基準は「通常人」が誤読するかという基準ですが、憲法学者の言う「言論の自由市場」という市場論は、その道のプロ論壇参加者や週刊誌で言えば、お金を出して買う購入層の読解力を基準に判断しているのですが、政治判断は電車内の吊り広告や新聞等にある週刊誌の表紙広告や新聞やテレビの見出しテーマによって影響を受ける比率の方が大きい実態があります。
見出しで多くの人が影響を受けているのですが、その場合その道の専門家も部外者(エコノミストその他の専門家も専門外の見出しに関しては)やレストラン店員も労働者も洗脳的に受ける影響力は似たようなものでしょう。
要はその内容吟味する時間も暇もない点では情報「消費者」なのです。
消費者保護が必要なのは、消費者の知的レベルが低いからではなく、消費のたびに内容チェックする時間も暇もないということです。
食品専門家でも表示品質通りの食品かどうかは、購入現場で判断できない・検査機関に持ち込まない限り店頭で品質チェック能力がないので、表示を信用して買うしかありません。
野菜果物では、見ただけでうまそうかどうかの判断がある程度つきますが、それでも食べて見てマズ過ぎれば「おかしい」となりますが、見ただけでは産地偽装をその場で見抜けません。
板倉社長の時だったか、三越事件があって信用がガタガタになってしまいましたが、顧客は鑑識能力がないから三越は偽物をつかまさないだろうという信用で高額品を買っていたのです。
日本では報道機関等の報道では「言論の自由」「報道の自由」と称してこれが許されていたのは、報道機関は実態調査裏づけを取ってからの発表だろうという信用が高かったのですが、裏付け調査どころか信用を悪用して、自分自身がヤラセ報道(サンゴ礁事件/捏造報道)するようなことが頻発するようになったこと自体、三越事件(三越も偽物を知らずに仕入れたのではなく三越が意図的にガラクタを高級宝石と売って事件でした)同様で、この頃から「情報も商品」として「消費者保護対象」にする必要が出てきていたことになります。
ところが言論に限っていまだにこのような「羊頭狗肉」報道がまかり通っているのが不思議です。
ただ彼らのいう報道の自由市場論は、彼ら大手メデイアが牛耳っている限りの自由市場論のように見えます。
裁判所とメデイア界合作のこのような変なルールが、ネット批判が可能になったことで「見出しと内容が違う、あるいは「言葉の(一方的)すり変え」にはすぐさま厳しい反論が出るようになりました。
ネットの発達によって、報道界が独占支配する「言論の自由市場」が終わったことがわかります。
メデイアの偏ったイメージ報道がすぐ批判に曝されるようになったので、彼らにとって「日本には言論の自由がない」ということになったらしく、国連特別報告者が訪日調査して(多分そういう不満分子が招請したのでしょうから、そういう人たちから聞き回った)特別報告が採択されたとかで、1昨年頃に大さわぎなりましたが、要は国内言論市場の独占支配が崩れて困っている実態が丸見えです。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/post-7031.php
日本が低迷する「報道の自由度ランキング」への違和感
2017年2月22日(水)12時09分

佐藤卓己(京都大学大学院教育学研究科教授)
<61位(2015年度)、72位(2016年度)と、日本は世界報道自由ランキングの順位を年々下げている。果たして安倍政権のメディアに対する姿勢に原因があるのか、それとも内閣支持率で空気を読むメディアの自己規制に問題があるのか――。「この順位に驚かない」という佐藤卓己・京都大学大学院教育学研究科教授による論考

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パリに本部を置くNGO「国境なき記者団」Reporters Without Bordersが二〇〇二年以降、二〇一一年をのぞいて毎年発行している。すでに述べたように、二〇一六年度版で日本の「報道の自由度」は一八〇国中、七二位に下落した
二〇一六年五月四日付『朝日新聞』の「天声人語」も、このランキングで中国政府が言論弾圧を行っている香港(六九位)よりも日本の方が低いことに「驚いた」といい、「西欧中心の見方ではないかと思う」と疑念を呈している。だが、このコラムは次のように結ばれている。
それにしても、昨今の自民党議員らによる居丈高な物言いは、やはり常軌を逸している。担当相が放送局に電波停止をちらつかせ、議員が報道機関を懲らしめる策を勉強会で披露する。あの種のふるまいがなければ、日本がここまで評判を落とすことはなかっただろう。

(稲垣注・朝日は「自分らが告げ口したのではない」という表向き弁解ですが、本音はこの部分でしょう)

学問の自由安売り2→天皇機関説事件へ

学者の公式意見であるならば合理的根拠が必要で、根拠なし(日清戦争でいくら取れたから大国のロシアからはその何倍を取るべきという程度での主張では庶民の皮算用レベルで学者の意見とはいえません)に願望を書くだけならば、庶民の感情論と同じです。
ただし、これまで書いてきたように、(ウイキペデイアの解説には出ていませんが)「賠償金を取らないと日本経済が持たない」と言う危機感を持ってその種の説明もしていたのでしょうが、「日本に金が必要」ということと相手のあることで相手から金を取れるかは別問題ですから、いまの韓国のように「国民感情が許さない」と国内事情を対外的に喚けと主張していたことになります。
日露戦後に戦時経済の穴埋めために巨額資金が必要である点では異論がなかったと思われますが、賠償金獲得は資金手当の一方法でしかなかったことになります。
賠償金で賄うほどの戦勝ではなかった客観事実・・「負けないうちに終われてよかった」のが実態である以上は、その現実を受け入れて、戦後経済・復旧資金をどうやって工面するか、資金手当が無理ならば従来の拡大政策を修正し(民間企業でいえば、出店計画を縮小して台風や水害等で荒れた既存店舗工場の補修資金・死傷した従業員や下請け納入業者の支援などに優先配分する)腰を矯める時期・・どうやって戦争経済を平時モードに切り替えて行くかの提言こそが、学問のある人のなすべきことでしょう。
取れそうもない賠償金要求を貫徹しない政府・担当大臣を国民感情が許さないと言って政府を非難し、内閣総辞職を勝ち取ったものの、それで一件落着・結果を受け入れるしかないとなると、今度はその不平感情のはけ口・代償として満州への傍若無人な進出を煽っていったことになります。
アメリカは日本の賠償金要求を取り下げさせて満州権益を認めることで講和を仲介した以上は、「日本の満州進出に文句いえない筈」という程度の浅はかな意見で煽り続ける・・結果的に満州への傍若無人な進出を当然とする感情論が広がっていったのでしょう。
賠償金を取れなかったのは、アメリカによる不当な介入(多分日清戦争後の三国干渉の結果同様のアメリカに不当に干渉されたかのように煽っていた印象です)によるのではなく、日本の実力からみれば最大限の利益を図ってくれた現実無視の「感情論」(・・アメリカ系教会襲撃を見れば)であったように見えます。
最近のネット世論?に出る、その道の通らしい人・〇〇評論家の意見を見ていても、左右を問わずこの種の前提事実を独断的な読み方をした上で、一方的邪推の上に邪推を重ねれればこうなると言う議論が広がっていることが散見されます。
最近の憲法学者の憲法関連声明も研究論文発表とはとても言えない代物が中心である点では同様です。
憲法学者は憲法の専門家であって、政治の現場にいないのですから政治声明を出す以上は、肩書きによらない個人意見であるべきでしょう。
日比谷焼打事件でも帝大教授の肩書で出すのではなく、自己の意見が正しいと思うならば、肩書きなしで自説を展開し、国民がその意見だけを見てどのように受け止めるかでしょう。
酒の鑑評会では出品者を不明にして味を見るのがルールになっているのと同じです。
このように本来学問研究成果と関係のない政治意見(3月31日に紹介した7博士意見書を読むと学術研究論文ではなく、単なるアジテートに過ぎません)を学者の名で発表し政治運動に利用することにより、本当に必要な学問の自由を侵害する危険がこの頃から始まっていたのでしょう。
えせ学者の跳ね返り行為が過ぎたことによって、せっかくの親日国の米国に対日疑念を抱かせ仮想敵国視(いわゆるオレンジ作戦の対日適用)へ移っていく切っ掛けになっていった原因です。
紹介したウイキペデイアに

「暴動・講和反対運動が日本国内で起こったことは、日本政府が持っていた戦争意図への不信感を植えつける結果になってしまった。」

書いていますが、(政府は謙遜に勤めていたのに)7博士は余計なことをしたものです。
米国は7博士の主張を危険視したのではなく、米国はこのような過激派を煽る民衆運動に弱い日本政府の傾向を読みとったのは慧眼というべきでしょう。
以降学者もどきの政治運動が政治を動かす傾向が続き騒動が起きる都度事なかれ式に内閣総辞職が慣例となってしまい、日本を取り返しのつかない方向へ走らせていくのです。
現在もそうですが、「学問の自由」とは学問発表の自由であって、政治運動する行為は政治運動というべきであって、それは「学問の自由」となんら関係がありません。
それは学問ではありません。
一旦学者になれば何を言っても何をしても全て免責されるかのように主張するのは、学問の冒涜です。
「学者」という特権身分があるものではありません。
帝大教授の肩書きで発表し国民を扇動しても何をしても許されるというのは傲慢です。
単に権威を利用した政治運動にすぎません。
日露戦争後約30年後に起きた天皇機関説事件も政府が始めたのではなく、メデイアが騒ぎ、これに便乗した野党の追求によって始まったものです。
政府は学問のことは学問論争に任せせればいいであって政府は関知しないという答弁をしているのに、メデイアの応援を受けた野党がこれを追求していたことが以下の記事でわかります。
天皇機関説事件に関するウイキペデイアの記述です。

松田源治文部大臣は、天皇は国家の主体なのか、天皇は国家の機関なのかという論議は、学者の議論にまかせておくことが相当(妥当)ではないか、と答弁していた。
岡田啓介首相も文相と同様に、学説の問題は学者に委ねるべきだと答弁した。
同年2月25日、美濃部議員が「一身上の弁明」として天皇機関説を平易明瞭に解説する釈明演説を行い、議場からは一部拍手が起こり、菊池議員までもがこれならば問題なしと語るに至った。
しかし、3月に再び天皇機関説問題を蒸し返し、議会の外では皇道派が上げた抗議の怒号が収まらなかった。しかしそうした者の中にはそもそも天皇機関説とは何たるかということすら理解しない者も多く、「畏れ多くも天皇陛下を機関車・機関銃に喩えるとは何事か」と激昂する者までいるという始末だった。最終的に天皇機関説の違憲性を政府およびその他に認めさせ、これを元に野党や皇道派[1]が天皇機関説を支持する政府・枢密院議長その他、陸軍統制派・元老・重臣・財界その他を排撃を目的とした政争であった[2]
これに乗じて、野党政友会は、機関説の提唱者で当時枢密院議長の要職にあった一木喜徳郎や、金森徳次郎内閣法制局長官らを失脚させ、岡田内閣を倒すことを目論んだ。一方政府は、陸軍大臣からの要求をのみ、・・・」

結局美濃部氏の告発まで政府がやらざる得なくなる方向へ進みます。
政友会やメデイアの政権攻撃は一見反政府運動・民主的運動になりますが、いつも背後に軍部内の小数強硬意見・跳ねっ返りの支持を受けて「虎の威を借りる」運動形式だったのが本質だったのではないでしょうか?
政権党が野党になると軍部の強硬派意向を背景に今度は次の政権を追い詰めることの繰り返しでした。
戦前の議会では非常識な軍部内の経論を持ち込んでは審議妨害・倒閣運動ばかりが華やかになったのは、当時のキングメーカーであった西園寺公望の憲政の常道論によります。
彼の憲政理解・・「時の内閣が総辞職すれば当時の野党に組閣させるの正しい」という形式理解による交代論が、戦前議会を歪な方向へ曲げてしまった原因です。

7博士意見書と学問の自由1

明治維新以降「民主化こそ良いもの」と言う信仰的流れの下で、騒動を起こすものが民意の代表とは限りませんが、これといった見識もないメデイアが民衆を煽るのに好都合な「弱腰外交批判」方向ばかりに陥ったのが日露戦争以降の日本でした。
満州への独占進出となれば日本だけ相手なので中国は欧米をバックに抵抗し易い・・(義和団事件などの例を見ればわかるように列国横並び進出の場合には日毎の競争関係を抜きにして共同対処できたのです)欧米は一緒に満州に進出できれば中国の不満を押さえる方に回りますが、欧米諸国としては日本に締め出されるならば中国の日本批判の後押しをします。
こういう知恵があるのでイギリスは自分が戦って香港を得たにも関わらず、中国進出には独占しないで、他の国が戦わないで後追い進出するのを黙認・・おこぼれを与えていざという時に多国籍軍組織化可能な状態にしてきたのです。
アメリカが、日本占領支配でも朝鮮戦争やイラク〜アフガン戦争でも国連〜多国籍軍にこだわるのはこの知恵の承継です。
だいぶ前にソニーだったか何かの部門で、先行していたのに独自技術にこだわったために世界標準になり損ねてしまった報道を記憶していますが、今になるとはっきりしません。
うろ覚えのVHSで検索すると以下の記事が出てきました。
これによると電子部門だけでも各種の規格戦争が繰り広げられていることがわかります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E6%88%A6%E4%BA%89
引用省略
満州単独進出により国際孤立した苦い経験がありますが、この10年前後でいえば携帯分野でのガラパゴス化も知られていますが・・満州進出時の苦い教訓を生かしていないことによります。
日本文化の独自性は簡単に文化侵略されにくい良い面がありますが、他方で世界標準を握りにくい弱点もあります。
山岳民族は防衛に強い反面広い世界の支配原理を持たないのと同じで、日本列島は蒸気船発達までは、海の防壁によって大量物流や大規模軍事侵攻の対象になりにくかったものの、文化流入程度の輸出入には事欠かなかったので、良い面だけ取り入れてうまくやってこられました。
(空海のように本を買って帰る程度ではエログロなどの猥雑なものは捨てられて、良いものだけ厳選されて入ってきます・大航海時代が来ても日本は意図的に窓口を出島に限定するなど・明治維新開国後の欧米文化の翻訳輸入も同じです)
蒸気船が発達するまでは、日本列島は文化を含めた防衛に最強でしたが、その分独自性も強い・・良い面もありますが、世界標準を先導する競争になると不利な面があります。
汎用品になると、今のように部品輸出で勝負するのが性に合っているとも言えます。
日露戦争の後始末に戻りますと日露戦争に勝って列強の仲間入りしたと言っても力を使い尽くしていたので、戦争前よりも内実は国力が弱っていました。
国力脆弱で満州を自力で守りきれないのですから、アメリカの要望・・元々その目的でアメリカは日本を応援したのですから・・門戸開放・・共同支配に一歩下がるべきだったのです。
三國干渉を受け入れたのと同様の知恵・・独仏露のように露骨に「俺にもよこせ」と要求しないアメリカの意を汲んで行動していれば、アメリカの後押しのある日本に中国が抵抗することもなく、円滑に国力拡張していけたでしょう。
この点は中国植民地支配の成功が人道的によかったかどうかの視点を別にして日本孤立化防止に限定しての意見です。
あと講釈はだれでも言えますが・・・。
日露戦争後に欲張りすぎて国家破滅の道を進むしかなくなった原因は、現実無視のエセ学者らの過激な要求が勢いを持ちすぎて政府・・政治が振り回されるようになって行ったことによります。
大分間が開きましたが、ポーツマス条約に関するウイキペデイア記載の日露戦争の年譜を引用しておきます。

年譜
5月28日 – 日本海海戦が日本大勝利のうちに終わる。
5月31日 – 小村外相が高平駐米公使にあててセオドア・ルーズベルト米大統領に日露講和の斡旋を依頼するよう訓電。
6月1日 – 高平公使、ルーズベルト大統領に仲介の斡旋を依頼。
6月2日 – ルーズベルト大統領、高平公使の依頼を承諾。
6月9日 – ルーズベルト大統領、日露両国に対し、講和交渉の開催を正式に提案。
7月7日 – 陸軍第13師団、南樺太に上陸。
7月31日 – 樺太のロシア軍が降伏。樺太全島が日本軍政下に。
8月10日 – ポーツマス会議が始まる。第1回本会議。
大阪朝日新聞が、ポーツマス会議で賠償金が獲得できないことを号外でスクープ。日本国内騒然となる。
8月12日
第2回本会議。
第二次日英同盟条約締結。
8月17日
第6回本会議。
講和問題同志連合会、東京明治座で集会。講和条約譲歩絶対反対決議を採択。
8月21日 – ルーズベルト米大統領、ニコライ2世あてに善処を求める親電を発信。
8月22日 – ルーズベルト米大統領、日本全権団に賠償金要求放棄を勧告。
8月23日 – 第8回本会議。ウィッテ、日本側妥協案を拒否。
8月24日 – 戸水寛人東京帝国大学法科大学教授、講和会議に反対する論文で休職になる(戸水事件)。
8月28日 – 御前会議で賠償金、領土割譲に関し譲歩してでも講和条約締結を優先することを決定。小村全権に訓令。
8月29日 – 第10回本会議で日露講和成立。
9月1日
日露休戦条約を締結。
国民新聞を除く有力各紙が日露講和条約に反対する社説を掲載。
9月2日 -立憲政友会代議士会及び院外団有志、憲政本党政務調査会がそれぞれ政府問責決議と講和条約反対を決議する。
9月3日 – 大阪市をはじめとする全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開催される。
9月5日
日露両国、講和条約(ポーツマス条約)に調印。
日比谷焼討事件。
9月6日 – 東京市、東京府5郡に戒厳令。
9月14日 – 大山巌満州軍総司令官、全軍に戦闘停止命令。
9月21日 – 東大七博士、講和条約批准拒否を上奏文を提出する。
10月10日 – 日本、講和条約を批准。
10月14日 – ロシア、講和条約を批准。

7博士意見書に対する当時の伊藤博文等政府要路の反応に関するウイキペデイアの記事からです。

東京帝国大学教授戸水寛人、富井政章、小野塚喜平次、高橋作衛、金井延、寺尾亨、学習院教授中村進午の7人[1]によって書かれた。6月11日に東京日日新聞に一部が掲載され、6月24日には東京朝日新聞4面に全文掲載された。
内容は桂内閣の外交を軟弱であると糾弾して「満州、朝鮮を失えば日本の防御が危うくなる」とし、ロシアの満州からの完全撤退を唱え、対露武力強硬路線の選択を迫ったものであった。
この意見書は主戦論が主流の世論に沿ったもので、反響も大きかったが、伊藤博文は

「我々は諸先生の卓見ではなく、大砲の数と相談しているのだ」と冷淡だったという。

なお、戸水は日露戦争末期に賠償金30億円と樺太・沿海州・カムチャッカ半島割譲を講和条件とするように主張したため、文部大臣久保田譲は1905年(明治38年)8月に文官分限令を適用して休職処分とした。ところが、戸水は金井・寺尾と連名でポーツマス条約に反対する上奏文を宮内省に対して提出したため、久保田は東京帝国大学総長の山川健次郎を依願免職の形で事実上更迭した。このため、東京帝国大学・京都帝国大学の教授は大学の自治と学問の自由への侵害として総辞職を宣言した。このため、翌年1月に戸水の復帰が認められた(「戸水事件」)。
実務を知らない学者の空論など相手にしないと言う伊藤博文の意見・態度は文字通り卓見です。
当時から上記の通り学問の自由は大切にされていたことがわかりますが、講和条約反対論は学問意見発表と関係のない政治意見でした。
具体的事情も知らないで?どういう根拠で東大7博士が上奏文(意見書)を書けたのか不思議です。

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