利害調整不全9(自治体と国の権限分掌)

9月9日の地域エゴ競争2の続きであり、July 6, 2020 12:00 「利害調整不全8」(地域エゴ野放し3)の続きです。
国政段階で反対の選挙運動をした結果惨敗して国会審議で反対が否定されたのにその後、その法律具体化のための現場工事段階で場外乱闘のように妨害するのは、民主主義政党としてルール違反ではないか?の疑いがありますが、これをできないように法改正すべきという意見が自民党から全く出ないのが不思議です。
成田空港や高速道路原発などなど相次ぐ自治体反対運動の結果、民主主義と地方自治の関係が問われるようになって久しいのに、抵抗政党の主張(中ソ陣営との競争力を削ぐことが主目的に見える)に親和性を持つ大手メデイアや政治学者が、意図的に放置して?この重要なテーマを一向に取りあげようとしないで半世紀以上経ちました。
選挙を通じた民意によって日米基軸体制が選択され、これに適合すべき政策の実現を採用するのは民意実現そのものです。
政府中央が合法的に決めた国策であっても、現地工事になると地元自治体が例外なく拒否権を持つ制度設計になっているからこのような国策実現反対運動が効果を持つようになったように思われます。
しかも、9月9日に書いたように、地方自治体特に県単位になると中央施策に「ともかく反発する」のがかっこいいような風潮が広がってきました。
この風潮にのるパフォーマンスが〇〇ファーストのスローガんであり、地域政党の乱立でしょうか?
小は、韓国や、フィリッピン大統領のように反日や反米を唱えても、超大国が大人気なく懲罰行動に出ないのをいいことに、超大国に反抗する素ぶりを見せて、民族感情を煽り政権浮揚の基本にする国があります。
(実は超大国はむき出しの武力を使わないだけで相応の報復をする能力をもっているので実は大きな国益損失になっているのが、普通です。・・)
上司の悪口を言っていても、露骨な左遷がないとしても何かと上司に厚遇されないことは確かでしょう。
この逆があって、日頃からお中元お歳暮を滞りなくしたりするのです。
地域大国の場合、口先反抗でなく、本気で周辺小国に勢力拡大していこうとする実力行使を伴いますので、世界の無秩序化が進みます。
中東のトルコ、イラン、ロシア、中国等の地域大国・例外なく独裁的強権支配が特徴・・ごり押し的勢力拡大期に入ってきましたが、これが行き着くところ世界が日本の戦国時代のようになり、お公家様のように「暴力はいけません」と眉をひそめるだけ・・平和愛好などと言っていても押し潰されるだけのことでしょう。
国内でいえば、杉並ゴミ戦争の時には文字通り権力を伴わない住民地域エゴでしたが、20年9月8〜9日に地域エゴと首長の〇〇ファーストのテーマで一部書きましたが、地域権力を持つ地域エゴが過ぎてくると権力の遠心力が働きます。
世界平和より地域大国の強引がのさばるのと同様に、国内でも地域権力を盾になんでも反対を始める国家の統一が成り立ちません。
米国が世界の警察官でないと言いだして世界平和の守護者の役割を放り出したように中央政府が国内統治権を放り投げたりできません。
私の思いつき意見ですが、政府決定にランクをつけて例えば、Aクラスについては地元に工事許認可権を政府に保留するなどの例外制度を設けるべきです。)
地方自治と中央政府の関係ですが、中央政府が決めた政策の場合、そのために必要な工事その他を政令で決めるとそれについては地元自治体の許認可事項でなく中央政府が直接行うとすれば良いのでしょう。

憲法
第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
○2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
第九十五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない

上記の通り憲法の直接的縛りは95条のみであって、その他は地方自治の本旨に従いさえすれば法で権限分掌できることです。
リニアーであれ、自衛隊基地設置工事であれ、特定自治体だけの特別法ではありません。
現在の地方自治体の許可権限濫用は、杉並ゴミ戦争を巨大化したもので目に余る・放置できない段階に至っていると見るべきでしょう。

アメリカの自治体11(草の根民主主義の妥当領域4)

特定目的自治体や、数十人から数百人程度の規模ではなにかの問題が起きた時に文字通り昼の仕事が終わってから集まる・・昔からのムラ社会で行なわれてきた・・昼の農作業が終わってから集まる寄り合い程度で済む規模です。
私の所属する町内会のようなイメージ運営です。
アメリカの自治体の半数が千人以下というのですから、大方が寄り合い的会合で間に合っている印象です。
これならば日本は古代からずうっと行ってきました。
これが大阪市や横浜市、千葉市のような規模になっている場合に昼間勤務先で目一杯仕事をしてから、仕事帰りに立ち寄って数時間の議論で何を責任を持って決められるのでしょうか?
私の住む自治会では20年程前京成電鉄の線路を隔てて2つの自治会に別れました。
人口が増えると身近なテーマ解決に無理が出て来たからでしょう。
ロサンジェルスやサン・フランシスコのような大都会でも従来型議員活動で間に合っているのは自治体の権限が小さな自治体結成運動で始まったから・・そのままだからではないでしょうか?
アメリアカの自治体は、結成の目的がもともと身近な問題解決のためだったから、規模が大きくなっても身近なテーマに限定されたままだからではないでしょうか?
ただし、大きく育ったと言っても21日に紹介したとおりサンフランシスコ市でせいぜい人口80万ですから千葉市よりも人口が少ないのです。

https://www.city.chiba.jp/sogoseisaku/sogoseisaku/kikaku/tokei/top.html千葉市の人口

 平成30年11月1日現在
・人口977,828人
・世帯数435,113世帯

日本の自治体の場合、もともと一族の命運を決める古代氏族社会からはじまり、これが灌漑と生活手段の発展に応じて共同作業の必要性の拡大や外敵防御その他集落単位〜連合等々の必要性で血縁から面としての生活共同体に発展して来た歴史があります。
関係の広がりに応じて必要に応じて全能の権限を目的別に制限・・権限をより上位の連合体に移譲して来たものですから、規模が大きくなればその分、移譲された権限が大きくなるのが原則です。
ただ、移譲によって失っていく関係ですから、移譲されていない分野では権限が残っています。
明治政府以降法的権限が剥奪されていますが、事実上の権限として古来からの集落共同体・氏子共同体などの結束がいまだに強固に残っています。
大都会における擬似氏子共同体が町内会とか団地の自治会でしょうか?
アメリカではもともと地域社会の裏付けもなく、広大な地域を人為的にテリトリーを決めただけでこれを裏づける歴史的関係・移譲して来た歴史がない状態です。
この結果、逆に州政府から与えられた範囲しか自治体に権限がない・与えられた権能がはっきりしているのに対して、日本とアメリカとでは原則と例外の違いがあるように思えます。
その結果新たに生じた未知の事柄については移譲していないのだから、まだ原始共同体に権限が残っていて・・例えば原発廃棄物〜放射能汚染物質埋設地の立地是非などについては、市長さえ同意すればいいのではなく地元自治会の反応を無視できません。
これらに対応するには文字通り草の根の議論が必要で、しかも新たに起きてくる分野は高度ですから議論レベルも高度になって行きます・・。
マイナンバー法一つとっても、個人情報が漏れたらどうするというスローガンだけではなく、情報機器のどの部分についてどのようなことが起きたらどのようなことが起きて情報漏れがどのように広がる可能性があるかなど具体的な理解が必要です。
安保であれ原発再稼働あれ、ゴミ焼却設備であれ、単に反対というだけでは国民が納得しない時代です。
焼却炉新設ではゴミの収集がどの程度増えているのか、環境がどうなるか、焼却設備の性能であれ、まともに議論するには全て高度な知識が必須です。
このために小さ町村では対応しきれなくなっているので合併による事務部門の高度化が促進されています。
17年10月9日の日経新聞「私の履歴書」では、日本国内での株式の営業経験が全く通じなかったという経験談が書かれています。
日本では個人相手営業だったがアメリカに行くと機関投資家相手なので、例えば、原油が何%上がるとこの企業の業績に何%損が出るなどという緻密な情報を勉強していかないと質問に応えられないので苦しんだ例が書いてありました。
市議とか市長といっても何をやっているかによって要求されるレベルが違ってきます。
もしも日本ではアメリカよりも自治権限が桁違いに高く幅広いとすれば、いろんな分野について市議、県議も市職員も十分な予習学習や訓練を欠かせません。

アメリカの自治体10(草の根民主主義の妥当領域3)

http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col517.htmlによれば、サンフランシスコ市議は十一人しかいないようです。
町内会のように防犯灯をどこにつける廃止するか、ゴミ回収場所の新設程度のテーマの場合、ボランテイアなので、「今日は仕事が遅くなっていけないのでよろしく」程度の挨拶ですむのでしょう。
「市民の代表として市議同士が議論をして市民が傍聴するだけの日本と違い、この方式だと市議同士の議論というより市議と住民との対話集会のようで、住民意見開陳が終わると開陳されたその場の意見を参考に即座に出席市議が評決するので市議同士の密室の議論もないと解説されています。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlの続きですが、

「多様な役職者が選挙で選ばれる一方、市議の数自体は少なくなる。アメリカの市議会は通常5、6人、大都市でも10人前後である(表3参照)日本の市議会が「議員が話し合う」機関なのに対してアメリカの市議会が「市民の話を聞く場」であることと関係している。参加市民とのやりとりを通じて物事を決めていくのであれば、市議はある意味で裁判官のような役割を果たし、何十人もの議員は必要でなくなる。」

いわば、体操やフィギアスケートなどの採点者のような雰囲気ですから、市議が5〜10人もいれば十分・・何十人もいらないという原理らしいです。
日本の公聴会は型式的進行ですが、アメリカの住民自治というのはこうした直接的な意見表明で行われている・・まさに草の根の対話で物ごとが進んで行くらしいのには驚きます。
裁判でも有名な陪審制度の基礎がここにあります。
政治であれ裁判であれ、「内心の意向を汲み取るのではなく、はっきり言ってくれたらそれを参考に結論を出す」と言う単純な社会構造です。
上記論文を読んでいると我が国の町内会運営よりも直接的なイメージです。
私のいる自治会の場合、ゴミステーションをどこにするかとか防犯灯設置または廃止についての議論でさえ利害関係者一人も出てきません・・。
出て来ないで「悪いようにはしないだろうと言う」お任せ方式で不利だったら後で不満を言う方法です。
ですから、町内会役員や市議は後で不満が起きないように意見を聞いて歩くサービスが要請されていてこれをしないで独断でやってしまうとあとで恨まれます。
二者択一の選択しかない場合、一方当事者の意に反した結果になるのは当然ですがその時には、意に沿うように努力したが他の役員や市議におし切られたとかの言い訳が必要ですから(これを繰り返すと今後投票しないと言われます)その前提として自分の意見を聞きにも来なかったと言うのは最悪になります。
日本では会議に出てこない人や発言しないひとの意見を重視する社会ですから、市議・県議に限らず上に立つ人はすべからず御用聞きみたいになるゆえんです。
これが日本のボトムアップ・忖度政治の原型ですし、市議等が市民の意向を聞いて歩くために忙しく動く必要のある原因です。
例によってアメリカはこうだ・・・「夕方から議会を開け、議員定数を減らせ、議員はボランテイアにしろ」という乱暴な意見がトキおりメデイアを賑わせますが、日本では自治レベルが高く議会で論じるべき自治権の範囲が違うし、これに比例して議論レベルがアメリカとは違う・自治体といっても数十人規模の自治体数十万人規模の自治体と一緒にする無理な意見です。
このあとで紹介しますが、アメリカでは数十人規模の自治体などがかなり多くを占めていますし、単純目的だけ(自前の警察がほしいとか「蚊の駆除」や学校をつくるなど)の自治体もいっぱいあります。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlによれば以下の通りです。

「日本には人口1000人を割る自治体はほとんどないが、アメリカの自治体の半数は1000人以下である[12]。人口数十人、数人というところもまれではなく、1997年の調査では、全米19,373の市(Municipal Government)のうち905、の町(Township)のうちが人口99人以下である[13]。そうした小自治体を紹介した貴重な資料にデニス・キッチン『我らの最も小さい町々』[14]がある。自治体研究の必読書とも言える同書からそうしたマイクロ自治体の事例をいくつか紹介してみよう。」
*ノース・カロライナ州のデルビューは人口16人の町。1925年に設立されて以来「3家族以上の家があったことがなく、これからもないだろう」と言うのはバン・デリンジャー町長だ。彼の祖父とその2人の弟がここで養鶏場を経営していたが、野犬がニワトリを食べてしまうという問題があった。州法は野犬を撃つことを禁じていた。そこで彼らは独自自治体を結成し、野犬刈りができるようにした。「野犬を撃つ権利だけを規定した憲章をもつ自治体を結成した」ということだ[15]。
*ネブラスカ州モノウィは人口8人の村。だが、1990年の国勢調査の結果が6人と出た。各戸に調査表も回り、国勢調査局からの電話確認も入った。なのに結果は人口6人。政府調査の信頼性なさの好例とされ、全国に流布された[17]。
*ユタ州オーファーは1906年設立の町。かつて銀鉱山の町としてさかえたが、廃坑後衰え、現在人口22人となった。「この町には常に(馬車型の)消防車はあったが、それを置いておく消防署の建物がなかったので、車がすぐ老朽化してしまっていた」と言うのは現町長のウォールト・シューバート。「それで最新の消防車を買った時、今度こそはと消防署兼市役所の建物をたてた。町の商店、団体、住民が寄付をしてくれた」。何かNPOの運営を語るかのような口調である[20]。
*小さい町では町長がボランティアですべてをこなす。人口30人のニューメキシコ州グレンヴィルで町長をつとめるミグニョン・サエドリスが言う。「男たちが日中仕事に出ている間、(女の)ルースと私があとを引き受ける。消防車を運転し、ブルドーザーを動かし、救急隊を組織する。サラリーはなく、すべてボランティアだ。時々、夫の郵便配達の代わりもする。200キロを車で走り35の家に止まり全行程5時間かかる。」[21]
*テキサス州マスタングは、現在人口27人の町。ダンスクラブ経営者のマック・アルヘニーの主導で1969年につくられた町だ。ハイウェイ沿いのこ地域は、野生の馬が生息する草原地帯だった。アルヘニーはここに450シートのカントリーウェスタン・ダンスクラブをつくる計画をたてた。州の土地規制を回避するにはそこを自治体化する必要があったという。しかし、テキサス州政府は200人以上の住民がいなければ自治体結成の要件は満たさないと言ってきた。そこでアルヘニーは急きょトレーラーハウス場をつくり、臨時住人を集めた。見事200人以上の住民が確保し、自治体を結成。クラブもオープンすることができた[22]。

アメリカの自治体8(草の根民主主義の妥当領域1)

http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.html引用の続きです。

岡部一明 (『東邦学誌』第30巻第1号、2001年6月)

アメリカの市議会のようす。壇上に少数の市議。会場は市民が詰め掛け、発言もできる。 (カリフォルニア州バークレー市)アメリカの自治体(Local Government)には通常の市や町以外に特別区がある。
有名なのは日本の教育委員会にあたる学校区だが、その他水道区、大気汚染監視区、潅漑区、高速地下鉄区、蚊駆除区、○○商店街街灯管理区、あらゆる種類の特別区がある。これらは必ずしも、市や町の下部組織ではなく、それらの連合した広域自治体という訳でもない。独自の自立した自治体であり、その首長が公選される場合も多い。区域が通常自治体とまったく無関係に線引きされている場合も珍しくない。
自治体は領域をもった全員加盟制のNPOである」という認識を、調査を進めるうち筆者はもつようになった。

日本で考えると土地区画整理組合や消防組合・水利組合やNPOあるいは町内会のようなものが自治体になっている印象です。
上記写真を見ると日本でよく知られたバークレイ市でさえもちょっとした公民館程度のホールで5人前後の市議が舞台のような演壇に机を置いて並んで座っています。
上記引用続きです
以下の写真は引用連載中の論文に掲載されているサンフランシスコ市の市議会風景です。

市議会は住民集会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パブリック・コメントは多様な問題についての意見を聞くことができるので有用だ。」とトム・アミアノ市議の立法秘書ブラッドフォード・ベンソンが聞き取り調査に答えて言う。サンフランシス市で1ヶ月に1回行われる地域での市議会に参加した時のこと[27]。議長も兼ねるアミアノ市議は革新派で、市民運動の活動家たちといっしょに市議会にのぞむことが多い。会場には多くの市民が押しかけ、壇上の11人の市議に向かって次々に発言している。
「市の政治は、経済的に力のある人たち左右されがちだ。こうした形で一般市民が参加できることでカウンターバランスになる。」
とベンソン秘書。
こうした議会での市民の自由な発言を「パブリック・コメント」という。現在、日本でも行政の個々の施策に意見書を提出する「パブリック・コメント制度」がはじまっているが、その語の起源はこうしたアメリカの市議会などで行われている市民の自由な発言だ。
サンフランシスコ市議会は通常、毎月曜の午後、支庁舎内の会議場で開かれるが、月に一回は地域で出張市議会を行う。この時は、市民の集まれる夜に設定された。ケーブルTVの中継カメラがいくつかすえられ、講堂の中央に発言を求める市民が長い列をつくる。順番整理のためリストに名前を書き込むこともあるが、待ち列の一番後ろにつくだけでもいい。資格審査などは一切ない。サンフランシスコ住民でなくともよい。外国人でも発言できる。各議題に付き1人1回3分程度の発言が認められる。発言者が多い場合1分以内などと制限されることもある。
この日は地域での市議会だったが、市議会堂で行われる通常の議会も同様だ。通常5人程度の市議が壇上に座り、「客席」には多数の市民が詰めて次々に立って発言する。市議の重要な役割の一つは市民の発言をじっくり聞くことだ。最終的には市議の多数決がものごとを決定するが、それも公開の場で住民監視のもとで行われる。
議会は通常、市民が来れる夜開かれ、紛糾する問題があれば市民発言が真夜中まで続く。市民運動にとっては絶好の動員の場だ。同一団体のメンバーと思われる人たちが次々立って同じような主張を繰り返す。「エイズはビールスで起こるのではない」というよくわからない主張をする宗教グループの人も何人か居た。」

引用は明日も続きます。

アメリカの自治体7

日本のような自然発生的集落しか知らない立ち位置からではイメージしにくいですが、エベレスト等に登頂すると「エベレスト制服」と発表し、先住民を駆逐して?広大な無人の?原野に行った先で旗(行ったしるしの石碑)を立てて帰ってくるとそこまで先に支配がおよんだことにする西欧や中国的領土主張のあり方を前提に一応イメージしてみると以下のように想像できます。
広大な北アメリカの原野の隅から隅まで地図上の分割を済ませて各州の領域が決まったが、そのほとんどが誰も住んでいないし人跡未踏の空白地域で始まっている・・そこに人が住むようになって一定の集合体ができた場合、州(ステート・国家です)の作った一定の基準を満たせば町や村等のコミュニティーと認めようという制度設計のイメージです。
日本で言えば、民法の公益財団設立認可・・あるいは、今はやりの法人でいえば、NPO法人や社会福祉法人設立認可のように一定基準を満たせば地方公共団体が設立されていくのと似ています。
大和朝廷の始まりがはっきりしないのと同様に、日本の集落は自然発生的・・古代からあっていつでき上がったかも不明なほど古い集落が基本(古くは平家の落人部落伝説や新田開発や、明治維新時に北海道開拓に移住したりした場合など例外的場合しか知られていません)ですから、明治維新後幕藩体制を解体して中央集権化に適した郡県制に組織替えするに際しても、古代から存続している集落には手をつけずに、いくつかの集落を併合する形でその上に近代的市町村制を乗せたに過ぎません。
ですから、市町村合併で明治以降の市町村名が消えてもその下の集落名・・大字小字の仕組みになっています。
この辺は大宝律令制による班田収授法でも古代からの集落を無視できなかったので、結果的に古代的私有(集落有)制度に戻っていく・・中央任命の国司の権限が形骸していき、古代から地域に根を持つ地方有力者・郡司の実権を奪い切れず、地元勢力・逆に武士の台頭→幕府成立→戦国時代を経て古代集落の合議で地元のことは地元で決める法制度になった徳川時代にようやく落ち着いたのと似ています。
明治以降(大化の改新同様に)西洋法に倣って形式的地方自治体の権限を法で強制し(その逆張りとして古代から続く集落にに法人格を認めませんでしたが、中央政府が無理矢理強制した郡県制・市町村線引きは無理があり、次元の違う集落共同体の抵抗が、我々法律家の世界では有名な「入会権」の抵抗です。
最近顕著になってきた各地に根付く集落ごとの「お祭り」の復活が、押し込められていた地方精神面での反抗復活というべきでしょうか?
話題がそれましたが、ここでのテーマはアメリカの自治体権限と明治維新以降我が国が西洋法の移植で始めた自治権限とは歴史本質が違うということです。
アメリカの場合、一足飛びの社会ですので、日本や西欧諸国のような歴史経験・・原始的集団形成過程を追体験して行くしかないので、草の根民主主義から始まるのは当然です。
わが国で言えば、原始時代に遡るしかないほどアメリカの遅れた状態を単純に賛美している報告がわが国で普通に行われているのはおかしなものです。
原始時代からいつ始まったか不明なほど古くからの集合体があったのではなく、外部侵入・占領に始まる社会の作り方です。
まず州ができてそのあとであまり広域すぎるので、泥縄式にまず郡を作ってその領域内でミニサークルが出来上がっていくのを待つようなイメージです。
日常的に必須のサービスについて自分たちでプラス負担しても良いから・・ということでより良いサービスを求めて自治体結成するのですから、でき上がった自治体の役割・権限もその程度になるのが自然でしょう。
学校や道路などその部分だけ自分たちでプラス負担しても良いという程度の動機ですから自治を求めるのものその範囲のことです。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.html引用の続きです。

「アメリカでは自治体は市民がつくる。住民が住民投票で自治体をつくると決議してから初めて自治体ができる。決議しなければ自治体はない。だから、アメリカには自治体のない地域(非法人地域、Unincorporated Area)が面積の大半を占め、約1億人(総人口の38%)が自治体なしの生活をしている[ 1]。無自治体地域では、行政サービスは通常、州の下部機関である郡によって提供される。それでも最低のサービスは保証されるが、警察や消防が遠くの街(郡庁所在都市)から提供されるのは不安だし、地域の発展を直接自分たちでコントロールしたいということで、自治体をつくる運動が生まれ、住民投票などを経て自治体が設立される。」
「自治体結成について最も障害となるのが財政、税金の問題である。郡から大枠の行政サービスを受けるだけよりは地元で自治体をつくり身近な行政サービスを受けた方が好ましい。しかし、自治体をつくると税金負担が大きくなるマイナスがある。東パロアルトのような貧しい地域では域内ビジネスがあまりないので税収があまり期待できない、という問題もある。「独立」するよりは郡の庇護下に居たほうがいいという判断も出てくる(周辺の裕福な地域の税収で行政サービスを受けるということでもある)。それで東パロアルトの自治体設立にも根強い反対があり、1930年代以来、何度も自治体結成の話が出てはその度消えていった。」
「さらに結成した後も、自治体は極めて市民団体的である。例えば市長や市議は通常、ボランティアだ。カリフォルニア州の場合は州法で5万人以下の市なら月給400ドル以下、3万5000人以下なら月給300ドルなどの報酬額が定められている。このような名目賃金では生活できないから、市長や市議は通常、他の仕事をもっている。市議会や市行務の仕事は夜行なわれる。
市議の数も通常5人から10人程度で少ない。夜開かれる市議会は住民集会のようなもので、市民が自由に参加できるのはもちろん、だれでも1議題につき1回まで発言さえできる。連邦、州、自治体レベルにはりめぐらされている公開会議法(Open Meeting Laws)がこうした市民の発言を保証している」

この論文ではこのコラムで関心のある自治体権限の範囲について書いていませんが、(私は法律家なので法的権限に関心が行きますが、社会学者の場合?関心の一部でしかないでしょう)自治体結成の動機エネルギーから見ても、結成動機に権限が関係しますし、また「市」と言っても市議会議員の給与や定数まで州法で決めているくらいですから・・自主的にできることは、州政府の提供するサービス・・最低保障に自分たちで集めた税で上乗せサービス給付する程度しか想定できません。
このような観点から見れば、領域支配を前提とする日本人の自治体イメージから見れば、不思議に見える領域支配と関係ない特別区という自治体がいっぱいあることも「異」とするには足りません。
(昨日紹介した警察だけ自分たちで運営する自治体など)

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